狐ヶ崎駅

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狐ヶ崎駅
狐ヶ崎駅舎
狐ヶ崎駅舎
きつねがさき - KITSUNEGASAKI
御門台 (0.9km)
(1.7km) 桜橋
所在地 静岡市清水区上原
駅番号 S12
所属事業者 静岡鉄道
所属路線 静岡清水線
キロ程 8.3km(新静岡起点)
駅構造 地上駅
ホーム 島式 1面2線
乗車人員
-統計年度-
2,366人/日(降車客含まず)
-2006年度-
開業年月日 1908年(明治41年)12月9日

狐ヶ崎駅(きつねがさきえき)は、静岡市清水区上原にある静岡鉄道静岡清水線

駅構造[編集]

ホームは1面2線の島式ホーム(昔は対向式ホーム)で、橋上駅である。出口は1つ、エレベータが2基ある。

新清水方に非常用の上下渡り線が設置されている。これは後述の狐ヶ崎ヤングランドへの乗客輸送のため、かつて同駅発着の臨時列車が設定されていたことの名残である。遊園地が閉園し、臨時ホームも撤去されたが現在も運行障害時に折り返しが出来るように渡り線は残されており、2011年10月1日のダイヤ改正で使用が開始された幕には「新静岡 - 狐ヶ崎」の行き先が新たに追加された。

のりば
1 静岡清水線(下り) 新清水方面
2 静岡清水線(上り) 新静岡方面

利用状況[編集]

「静岡市統計書」によれば、2006年度の一日平均乗車人員は2,366人、降車人員は2,014人であった。この乗降人員数は静岡清水線全15駅中5番目である。なお、同統計によれば、2002~2005年度の乗降人員は以下の通りである。

  • 4,240人・・・・乗車2,262人、降車1,978人(2002年)
  • 4,285人・・・・乗車2,294人、降車1,991人(2003年)
  • 4,291人・・・・乗車2,298人、降車1,993人(2004年)
  • 4,807人・・・・乗車2,527人、降車2,280人(2005年)

駅周辺[編集]

歴史[編集]

1908年上原駅(うわはらえき)として開業。1927年狐ヶ崎ヤングランドの前身である狐ヶ崎遊園地が開園した際に遊園前駅(ゆうえんまええき)に改称された。このときに静岡鉄道が狐ヶ崎遊園地のCMソングとして北原白秋に作詞を依頼をし、民謡研究家の町田佳声の作曲でできあがった新民謡ちゃっきり節」の発表が、狐ヶ崎遊園地で行われた。遊園地は1967年に一旦閉園。翌1968年に狐ヶ崎ヤングランドとして再開したのにあわせて駅名も狐ヶ崎ヤングランド前駅(きつねがさき―)に改称した。駅名はその後1980年代後半頃に狐ヶ崎駅に改称され、1993年に狐ヶ崎ヤングランドも閉園となった。かつては遊園地へ向かう行楽客のために同駅を発着する臨時列車も設定されていたが、後に廃止となっている。そのために駅舎側にもう一面対向式ホームが存在していたが、廃止と共にレールが撤去され、現在は同駅駐輪場の土台として残存している。なお新清水側に同駅の臨時ホーム発新清水方面行きの列車が使用していた渡り線が今なお残されている。 狐ヶ崎ヤングランドの跡地はジャスコ清水店(現:イオン清水店)となったが、同店3階に作られたボウリング場は、現在も「狐ヶ崎ヤングランドボウル」の名称で営業している。

狐ヶ崎は鎌倉幕府創設に貢献した梶原景時とその一族が鎌倉からの追手に殲滅された地である(葵区の谷津山南側の曲金地区という説もある)。鎌倉御家人の吉香友兼が景時の三男景茂を討ち取った備中青江為次の太刀は、名刀「狐ヶ崎」と呼ばれる。友兼は翌日に戦傷死したが、子孫の安芸国人吉川氏、さらにその家系を簒奪した毛利分家旧岩国藩主吉川氏のもとで、伝来の家宝として拵えともども管理され、岩国市の吉川史料館で保存されている。刀身、拵えとも国宝に指定である。刀身は、いかにも平安末から鎌倉前期らしい、ふんばりの付いた見事な元反りの刀姿と、古青江らしい澄んだ直刃と地肌が特徴で、美術的価値を高く評価されている。拵えは、源平期から鎌倉初期の武士の刀装のありかたを示す貴重な歴史的史料である。

1999年、全面改築し、バリアフリー化された。また、中部の駅百選にも選ばれた。

1996年(平成8年)3月31日以前のダイヤにおいても急行停車駅であった。

隣の駅[編集]

静岡鉄道
静岡清水線
通勤急行・急行・普通
御門台駅 (S11) - 狐ヶ崎駅 (S12) - 桜橋駅 (S13)

備考[編集]

関連項目[編集]