「小沢グループ」の版間の差分
編集の要約なし |
|||
1行目: | 1行目: | ||
{{redirect3|一新会|民主党内のグループ}} |
{{redirect3|一新会|民主党内のグループ}} |
||
{{独自研究|date=2014年12月}} |
|||
{{Infobox 組織 |
{{Infobox 組織 |
||
|名称 = 小沢グループ |
|名称 = 小沢グループ |
||
33行目: | 34行目: | ||
|補足 = <references /> |
|補足 = <references /> |
||
}} |
}} |
||
'''小沢グループ'''(おざわグループ)は、[[民主党 (日本 1998-)|民主党]]の[[民主党の派閥|グループ]]。[[小沢一郎]]を支持 |
'''小沢グループ'''(おざわグループ)は、[[民主党 (日本 1998-)|民主党]]の[[民主党の派閥|グループ]]。かつて[[小沢一郎]]を支持した複数のグループの総称である。小沢一郎の民主党離党により民主党内のグループとしては事実上消滅したと見られている。 |
||
== 概要 == |
== 概要 == |
||
[[2003年]](平成15年)の[[民由合併]]によって解散した旧[[自由党 (日本 1998-2003)|自由党]]出身の議員を指していた。当初は党中党は避けようという観点からほとんど会合なども行われなかった。その後、[[2004年]](平成16年)6月に当時当選1~2回の議員を対象とした小沢主宰の勉強会一新会(いっしんかい)が発足し、これ以降徐々に会合等を開くようになる。この一新会に加え、[[2005年]](平成17年)秋、[[第44回衆議院議員総選挙]]の惨敗により、新たに発足した落選者や候補者を対象とした一新会倶楽部(いっしんかいくらぶ)が発足した。[[2006年]](平成18年)に小沢が党代表に就任し、候補者擁立に采配を振るったこともあり、[[2007年]](平成19年)の[[第21回参議院議員通常選挙]]、[[第45回衆議院議員総選挙]]でそれぞれ民主党が大勝すると、当選した新人議員の多くが加入し、党内最大派閥となった。 |
[[2003年]](平成15年)の[[民由合併]]によって解散した旧[[自由党 (日本 1998-2003)|自由党]]出身の議員を指していた。当初は党中党は避けようという観点からほとんど会合なども行われなかった。その後、[[2004年]](平成16年)6月に当時当選1~2回の議員を対象とした小沢主宰の勉強会一新会(いっしんかい)が発足し、これ以降徐々に会合等を開くようになる。この一新会に加え、[[2005年]](平成17年)秋、[[第44回衆議院議員総選挙]]の惨敗により、新たに発足した落選者や候補者を対象とした一新会倶楽部(いっしんかいくらぶ)が発足した。[[2006年]](平成18年)に小沢が党代表に就任し、候補者擁立に采配を振るったこともあり、[[2007年]](平成19年)の[[第21回参議院議員通常選挙]]、[[第45回衆議院議員総選挙]]でそれぞれ民主党が大勝すると、当選した新人議員の多くが加入し、党内最大派閥となった。 |
||
旧自由党出身で当初小沢グループと見れていた議員の中でも、[[渡辺秀央]]、[[大江康弘]]のように小沢と対立し離党した議員や[[藤井裕久]]、[[平野達男]]のように党内の反小沢の立場に転じた議員もいる。 |
|||
第45回衆院総選挙後、一新会と一新会倶楽部の統合が検討されたが党内外に警戒感を招くとの考えから一新会倶楽部を議員組織に格上げして存続させることとなり、小沢グループが計3つ存在することとなった。また、旧自由党グループに[[国民新党]]出身の議員も参加することとなった。[[2010年]](平成22年)秋に一新会倶楽部はより結束力が高い政治団体北辰会に衣替えした<ref>{{Cite news |
第45回衆院総選挙後、一新会と一新会倶楽部の統合が検討されたが党内外に警戒感を招くとの考えから一新会倶楽部を議員組織に格上げして存続させることとなり、小沢グループが計3つ存在することとなった。また、旧自由党グループに[[国民新党]]出身の議員も参加することとなった。[[2010年]](平成22年)秋に一新会倶楽部はより結束力が高い政治団体北辰会に衣替えした<ref>{{Cite news |
||
50行目: | 51行目: | ||
}}</ref>。 |
}}</ref>。 |
||
政策的にはかつては右派的、新自由主義的なものが多かったが小沢の政策の変化に加え新人議員の取り込みの過程で様々な立ち位置の議員が所属したことからそういった傾向は薄れ |
政策的にはかつては右派的、新自由主義的なものが多かったが小沢の政策の変化に加え新人議員の取り込みの過程で様々な立ち位置の議員が所属したことからそういった傾向は薄れていった。小沢同様、政策よりも選挙や政局を重視する傾向があり、政策重視を掲げる[[凌雲会|前原グループ]]や[[花斉会|野田グループ]]とは対立することが多かった。 |
||
ここ |
ここに挙げたグループのメンバー以外にも小沢の影響下にある議員は多数存在し、特に第21回参議院議員通常選挙と第45回衆議院議員総選挙で初当選した議員の多くは俗に[[小沢チルドレン]]とマスメディアで呼ばれた。 |
||
[[鳩山由紀夫内閣|鳩山政権]]下では、前原グループや野田グループ出身の[[松本剛明]]や[[細野豪志]]、[[原口一博]]、[[新政局懇談会|横路グループ]]の[[高嶋良充]]などの登用も目立った。特に細野や高嶋は幹事長室への陳情の集約を任されるなど信任が厚かった。 |
[[鳩山由紀夫内閣|鳩山政権]]下では、前原グループや野田グループ出身の[[松本剛明]]や[[細野豪志]]、[[原口一博]]、[[新政局懇談会|横路グループ]]の[[高嶋良充]]などの登用も目立った。特に細野や高嶋は幹事長室への陳情の集約を任されるなど信任が厚かった。 |
||
134行目: | 135行目: | ||
=== 一新会 === |
=== 一新会 === |
||
[[2004年]](平成16年)[[6月16日]]に小沢を支持する1期~3期の衆議院議員を中心に結成された。代表幹事に[[鈴木克昌]]、会長代行に[[奥村展三]]が就任し事務を取り仕切ってい |
[[2004年]](平成16年)[[6月16日]]に小沢を支持する1期~3期の衆議院議員を中心に結成された。[[菅直人|菅]]政権の時代には代表幹事に[[鈴木克昌]]、会長代行に[[奥村展三]]が就任し事務を取り仕切っていた<ref>{{Cite news |
||
|url=http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20101008-OYT1T00168.htm |
|url=http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20101008-OYT1T00168.htm |
||
|title=小沢G、溶解?…「俺もオヤジのように離党か」 |
|title=小沢G、溶解?…「俺もオヤジのように離党か」 |
||
142行目: | 143行目: | ||
|accessdate=2010-10-08 |
|accessdate=2010-10-08 |
||
|language=日本語 |
|language=日本語 |
||
}}</ref>。グループ名は自由党のスローガンであった「日本一新」に由来する。国会会期中は毎週木曜日に定例会を開催し、それ以外でも多くの勉強会を開催 |
}}</ref>。グループ名は自由党のスローガンであった「日本一新」に由来する。国会会期中は毎週木曜日に定例会を開催し、それ以外でも多くの勉強会を開催した。{{独自研究範囲|結束力の強い|date=2014年12月}}旧自由党出身の小沢支持グループと比較すると緩やかな繋がりにすぎず、議員によって小沢との距離に大きな差があるが、[[マスメディア|マスコミ]]には他の小沢グループと一括して扱われることがあった。[[民社協会|川端グループ]]や[[政権公約を実現する会|鳩山グループ]]に所属する議員も多かった。 |
||
[[2004年]](平成16年)9月と[[2006年]](平成18年)9月に、[[箱根町|箱根]]で、地方議員や各地の後援者を含めた全国研修会を開いた。 |
[[2004年]](平成16年)9月と[[2006年]](平成18年)9月に、[[箱根町|箱根]]で、地方議員や各地の後援者を含めた全国研修会を開いた。 |
2014年12月24日 (水) 13:46時点における版
この記事には独自研究が含まれているおそれがあります。 |
設立 |
旧自由党グループ:2003年(平成15年) 一新会:2004年(平成16年) 北辰会:2005年(平成17年) 木曜会:2010年(平成22年) 新しい政策研究会:2011年(平成23年) |
---|---|
設立者 | 小沢一郎 |
種類 | 民主党のグループ |
事務総長 | 新しい政策研究会:東祥三 |
会長 |
一新会:鈴木克昌 木曜会:田中直紀 新しい政策研究会:小沢一郎 |
重要人物 | 小沢一郎 |
主要機関 |
旧自由党グループ 一新会 北辰会 木曜会 新しい政策研究会 |
関連組織 |
小沢一郎政治塾 自由党 |
予算 |
一新会:8,633,922円[1] 北辰会:650,000円[2] |
ウェブサイト | 新しい政策研究会 |
特記事項 |
小沢グループ(おざわグループ)は、民主党のグループ。かつて小沢一郎を支持した複数のグループの総称である。小沢一郎の民主党離党により民主党内のグループとしては事実上消滅したと見られている。
概要
2003年(平成15年)の民由合併によって解散した旧自由党出身の議員を指していた。当初は党中党は避けようという観点からほとんど会合なども行われなかった。その後、2004年(平成16年)6月に当時当選1~2回の議員を対象とした小沢主宰の勉強会一新会(いっしんかい)が発足し、これ以降徐々に会合等を開くようになる。この一新会に加え、2005年(平成17年)秋、第44回衆議院議員総選挙の惨敗により、新たに発足した落選者や候補者を対象とした一新会倶楽部(いっしんかいくらぶ)が発足した。2006年(平成18年)に小沢が党代表に就任し、候補者擁立に采配を振るったこともあり、2007年(平成19年)の第21回参議院議員通常選挙、第45回衆議院議員総選挙でそれぞれ民主党が大勝すると、当選した新人議員の多くが加入し、党内最大派閥となった。
旧自由党出身で当初小沢グループと見れていた議員の中でも、渡辺秀央、大江康弘のように小沢と対立し離党した議員や藤井裕久、平野達男のように党内の反小沢の立場に転じた議員もいる。
第45回衆院総選挙後、一新会と一新会倶楽部の統合が検討されたが党内外に警戒感を招くとの考えから一新会倶楽部を議員組織に格上げして存続させることとなり、小沢グループが計3つ存在することとなった。また、旧自由党グループに国民新党出身の議員も参加することとなった。2010年(平成22年)秋に一新会倶楽部はより結束力が高い政治団体北辰会に衣替えした[1]。
政策的にはかつては右派的、新自由主義的なものが多かったが小沢の政策の変化に加え新人議員の取り込みの過程で様々な立ち位置の議員が所属したことからそういった傾向は薄れていった。小沢同様、政策よりも選挙や政局を重視する傾向があり、政策重視を掲げる前原グループや野田グループとは対立することが多かった。
ここに挙げたグループのメンバー以外にも小沢の影響下にある議員は多数存在し、特に第21回参議院議員通常選挙と第45回衆議院議員総選挙で初当選した議員の多くは俗に小沢チルドレンとマスメディアで呼ばれた。
鳩山政権下では、前原グループや野田グループ出身の松本剛明や細野豪志、原口一博、横路グループの高嶋良充などの登用も目立った。特に細野や高嶋は幹事長室への陳情の集約を任されるなど信任が厚かった。
2011年(平成23年)12月21日、小沢を支持する三つのグループが勉強会「新しい政策研究会」を発足させた[2]。2011年12月、小沢を支持する内山晃ら9人の民主党所属の議員が「新党きづな」を結成して集団離党する。さらに2012年(平成24年)7月、当の小沢が計48人の議員を率いて民主党を集団離党して新党「国民の生活が第一」を結成した。新党結成後も一部の議員は民主党内に残ったが、この時点で民主党内の小沢系グループは事実上消滅したとされる。その後、2012年11月、国民の生活が第一は実質的な先発隊となった新党きづなを吸収合併して来る選挙に備える。小沢系の新党は2012年12月16日投開票の第46回衆議院議員総選挙で野党として民主党と争うこととなった。しかし、2014年12月14日投開票の第47回衆議院議員総選挙を前に鈴木克昌・小宮山泰子といった生活の党の一部議員・党員は民主党に復党。太田和美・木内孝胤といった生活の党の一部党員は維新の党に入党するなど小沢の影響力に陰りが見え始めている。
2011年(平成23年)に発足した21世紀国家ビジョン研究会(小沢鋭仁グループ)と区別する為、小沢一郎グループとも呼ばれる。
主な集団
旧自由党グループ
自由党に所属、または自由党公認で立候補した経験がある国会議員より成るグループ。自由民主党羽田派、新生党、新進党との連続性から、いわゆる保守本流(田中派)の流れを汲む。
所属国会議員一覧
計2名。
衆議院議員
計2名。
黄川田徹 (6回、岩手3区) |
小宮山泰子 (5回、埼玉7区) |
※1)国政選挙における自由党公認候補経験者
※2)第43回衆議院議員総選挙における自由党公認候補予定者
過去の在籍者
- 衆議院議員
- 参議院議員
- 元衆議院議員
- 中井洽(11回、三重1区)
- 藤井裕久(7回・参院2回、比例南関東、小沢グループ離脱後無派閥)
- 西村眞悟(6回、比例近畿・大阪17区)
- 山田正彦(5回、長崎3区、民主党除籍後減税日本・反TPP・脱原発を実現する党を経て日本未来の党所属)
- 東祥三(5回、東京15区、民主党除籍後国民の生活が第一を経て日本未来の党所属)
- 河村たかし(5回、愛知1区)
- 塩田晋(5回、比例近畿・兵庫10区)
- 山岡賢次(5回・参院2回、栃木4区、民主党除籍後国民の生活が第一を経て日本未来の党所属)
- 武山百合子(4回、比例北関東・埼玉13区)
- 達増拓也(4回、岩手1区)
- 石原健太郎(3回・参院2回、比例東北・福島1区)
- 高山智司※2(3回、埼玉15区)
- 中塚一宏(3回、神奈川12区)
- 樋高剛(3回、神奈川18区、民主党除籍後国民の生活が第一を経て日本未来の党所属)
- 岡島一正(2回、千葉3区、民主党除籍後国民の生活が第一を経て日本未来の党所属)
- 古賀敬章(2回、福岡4区、民主党除籍後国民の生活が第一を経て日本未来の党所属)
- 鈴木淑夫(2回、比例東京・東京6区)
- 土田龍司(2回、比例南関東・神奈川6区)
- 都築譲(2回・参院1回、比例東海・愛知15区)
- 豊田潤多郎(2回、比例近畿、民主党除籍後新党きづな、国民の生活が第一を経て日本未来の党所属)
- 村上史好(2回、大阪6区、民主党除籍後国民の生活が第一、日本未来の党を経て生活の党所属)
- 渡辺浩一郎(2回、比例東京、民主党除籍後新党きづな、国民の生活が第一を経て日本未来の党所属)
- 梶原康弘※1(2回、兵庫5区)
- 川島智太郎(1回、比例東京、民主党除籍後国民の生活が第一を経て日本未来の党所属)
- 黒田雄(1回、千葉2区、民主党除籍後国民の生活が第一を経て日本未来の党所属)
- 古賀潤一郎(1回、福岡2区)
- 渡辺義彦(1回、比例近畿、民主党除籍後新党きづな、国民の生活が第一を経て日本未来の党所属)
- 高橋嘉信(1回、比例東北)
- 藤島正之(1回、比例九州)
- 元参議院議員
一新会
2004年(平成16年)6月16日に小沢を支持する1期~3期の衆議院議員を中心に結成された。菅政権の時代には代表幹事に鈴木克昌、会長代行に奥村展三が就任し事務を取り仕切っていた[3]。グループ名は自由党のスローガンであった「日本一新」に由来する。国会会期中は毎週木曜日に定例会を開催し、それ以外でも多くの勉強会を開催した。結束力の強い[独自研究?]旧自由党出身の小沢支持グループと比較すると緩やかな繋がりにすぎず、議員によって小沢との距離に大きな差があるが、マスコミには他の小沢グループと一括して扱われることがあった。川端グループや鳩山グループに所属する議員も多かった。
2004年(平成16年)9月と2006年(平成18年)9月に、箱根で、地方議員や各地の後援者を含めた全国研修会を開いた。
選挙後一新会は党内最大派閥となり、小沢が幹事長に就任した。副幹事長を側近議員で固め、鳩山政権の政策決定においても影響力を利かせるようになった。
しかし、小沢の献金問題などの不祥事で内閣支持率が激減して内閣は総辞職し、小沢も幹事長の離任を余儀なくされる。その後の代表選では小沢が事実上支援した樽床伸二が敗北し、代表選後の役員人事改造では国会対策委員長に樽床が起用された他は軒並み小沢と距離を置く議員で固められ、一新会は反主流派に転落した。
参加議員は月1万円の会費を徴収される。
所属国会議員一覧
役員
会長 | 会長代行 | 事務局長 |
---|---|---|
― | 奥村展三 | ― |
衆議院議員
計11名。
黄川田徹 (6回、岩手3区) |
武正公一 (6回、比例北関東ブロック・埼玉1区) |
松原仁 (6回、比例東京ブロック・東京3区) |
菊田真紀子 (5回、比例北陸信越ブロック・新潟4区) |
小宮山泰子 (5回、比例北関東ブロック・埼玉7区) |
篠原孝 (5回、長野1区) |
鈴木克昌 (5回、比例東海ブロック・愛知14区) |
田嶋要 (5回、千葉1区) |
吉良州司 (4回、大分1区) |
階猛 (4回、岩手1区) |
福田昭夫 (4回、栃木2区) |
過去の在籍者
- 衆議院議員
- 元衆議院議員
- 海江田万里(6回、東京1区)
- 西村眞悟(6回、比例近畿・大阪17区)
- 東祥三(5回、東京15区、民主党除籍後国民の生活が第一を経て日本未来の党所属)
- 達増拓也(4回、岩手1区)
- 三井辨雄(4回、北海道2区)
- 吉田泉(4回、福島5区)
- 石川知裕(3回、北海道11区、民主党離党後新党大地・真民主所属)
- 内山晃(3回、千葉7区、民主党除籍後新党きづな、国民の生活が第一を経て日本未来の党所属)
- 奥村展三(3回・参院1回、滋賀4区)
- 神風英男(3回、埼玉4区)
- 高山智司(3回、埼玉15区)
- 田名部匡代(3回、比例東北・青森3区)
- 津島恭一(3回、比例東北・青森4区)
- 中塚一宏(3回、神奈川12区)
- 仲野博子(3回、比例北海道・北海道7区)
- 樋高剛(3回、神奈川18区、民主党除籍後国民の生活が第一を経て日本未来の党所属)
- 前田雄吉(3回、比例東海・愛知6区)
- 村井宗明(3回、富山1区)
- 糸川正晃(2回、比例北陸信越・福井2区)
- 岡島一正(2回、千葉3区、民主党除籍後国民の生活が第一を経て日本未来の党所属)
- 古賀敬章(2回、福岡4区、民主党除籍後国民の生活が第一を経て日本未来の党所属)
- 小林憲司(2回、愛知7区)
- 橋本清仁(2回、宮城3区)
- 横山北斗(2回、青森1区、民主党除籍後国民の生活が第一を経て日本未来の党所属)
- 若泉征三(2回、比例北陸信越)
- 渡辺浩一郎(2回、比例東京、民主党除籍後新党きづな、国民の生活が第一を経て日本未来の党所属)
政治資金収支報告書の記載
「党費又は会費を納入した人の数」は、平成17年分政治資金収支報告書には31人、平成18年分政治資金収支報告書には33人、平成19年分政治資金収支報告書には33人、平成20年分政治資金収支報告書には33人、平成21年分政治資金収支報告書には46人、平成22年分政治資金収支報告書には45人と記載されている[4]。
北辰会
2010年(平成22年)11月25日に小沢を支持する当選1回の衆議院議員を中心に結成された。既に存在していた一新会倶楽部を改編した組織で、一新会と同じく毎週木曜日に定例会を開く。
所属国会議員一覧
役員
最高顧問 | 代表世話人 | 事務局長 |
---|---|---|
小沢一郎 | 黒田雄 石井章 京野公子 |
福嶋健一郎 |
在籍者
過去の在籍者
- 元衆議院議員
- 中塚一宏(3回、神奈川12区)
- 樋高剛(3回、神奈川18区、民主党除籍後国民の生活が第一を経て日本未来の党所属)
- 岡島一正(2回、千葉3区、民主党除籍後国民の生活が第一を経て日本未来の党所属)
- 梶原康弘(2回、兵庫5区)
- 杉本和巳(2回、愛知10区、民主党除籍後みんなの党所属)
- 橋本清仁(2回、宮城3区)
- 畑浩治(2回、岩手2区、民主党除籍後国民の生活が第一を経て日本未来の党所属)
- 村上史好(2回、大阪6区、民主党除籍後国民の生活が第一を経て日本未来の党所属)
- 相原史乃(1回、比例南関東、民主党除籍後国民の生活が第一を経て日本未来の党所属)
- 石井章(1回、比例北関東、民主党除籍後国民の生活が第一を経て日本未来の党所属)
- 石原洋三郎(1回、福島1区、民主党除籍後国民の生活が第一を経て日本未来の党所属)
- 大谷啓(1回、大阪15区、民主党除籍後国民の生活が第一を経て日本未来の党所属)
- 大山昌宏(1回、比例東海、民主党除籍後国民の生活が第一を経て日本未来の党所属)
- 笠原多見子(1回、比例東海、民主党除籍後国民の生活が第一を経て日本未来の党所属)
- 加藤学(1回、長野5区、民主党除籍後国民の生活が第一を経て日本未来の党所属)
- 川島智太郎(1回、比例東京、民主党除籍後国民の生活が第一を経て日本未来の党所属)
- 菊池長右ェ門(1回、比例東北、民主党除籍後国民の生活が第一を経て日本未来の党所属)
- 京野公子(1回、秋田3区、民主党除籍後国民の生活が第一を経て日本未来の党所属)
- 黒田雄(1回、千葉2区、民主党除籍後国民の生活が第一を経て日本未来の党所属)
- 小林正枝(1回、比例東海、民主党除籍後新党きづな、国民の生活が第一を経て日本未来の党所属)
- 近藤和也(1回、石川3区)
- 坂口岳洋(1回、山梨2区)
- 柴橋正直(1回、岐阜1区)
- 菅川洋(1回、比例中国・広島1区、民主党除籍後国民の生活が第一を経て日本未来の党所属)
- 空本誠喜(1回、広島4区)
- 高橋昭一(1回、兵庫4区)
- 田中美絵子(1回、比例北陸信越・石川2区→東京15区)
- 中後淳(1回、比例南関東・千葉12区、民主党除籍後新党きづな、国民の生活が第一を経て日本未来の党所属)
- 中野渡詔子(1回、比例東北・青森2区、民主党除籍後国民の生活が第一を経て日本未来の党所属)
- 萩原仁(1回、大阪2区、民主党除籍後国民の生活が第一を経て日本未来の党所属)
- 橋本博明(1回、広島3区)
- 福嶋健一郎(1回、熊本2区、民主党除籍後国民の生活が第一を経て日本未来の党所属)
- 三輪信昭(1回、比例東海、民主党除籍後新党きづな、国民の生活が第一を経て日本未来の党所属)
- 森本和義(1回、愛知15区)
政治資金収支報告書の記載
「党費又は会費を納入した人の数」は、平成22年分政治資金収支報告書には24人と記載されている[5]。
木曜会
2010年(平成22年)11月11日に小沢を支持する参議院議員を中心に結成された。
所属国会議員一覧
役員
会長 |
---|
田中直紀 |
参議院議員
計3名。
田中直紀 (3回・衆院3回、新潟県) |
大久保潔重 (1回、長崎県) |
川上義博 (1回、鳥取県) |
過去の在籍者
- 参議院議員
新しい政策研究会
一新会、北辰会、木曜会の3派合同の勉強会として発足。複数の政党の議員が参加する超党派の形となった。
2011年(平成23年)12月21日の初会合には以下の106名が出席した[6]。
役員、所属議員の一覧などは当該項目を参照のこと。
その他
以上に掲げた者の他、2010年9月民主党代表選挙における言動などから、以下に掲げる者も小沢グループとされる場合がある。
- 元衆議院議員
脚注
- ^ “政治団体に衣替え、小沢氏支持派「北辰会」設立” (日本語). 読売新聞. (2010年11月25日) 2010年11月26日閲覧。
- ^ “小沢G統合勉強会、106人で消費増税けん制”. (2011年12月22日) 2011年12月22日閲覧。
- ^ “小沢G、溶解?…「俺もオヤジのように離党か」” (日本語). 読売新聞. (2010年10月8日) 2010年10月8日閲覧。
- ^ 一新会平成22年分政治資金収支報告書参照
- ^ 北辰会平成22年分政治資金収支報告書参照
- ^ “小沢系勉強会の出席者”. 時事ドットコム. 時事通信社. (2011年12月21日) 2012年1月31日閲覧。