セントラル・リーグ
セントラル・リーグ | |
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競技 | 野球 |
開始年 | 1950年 |
参加チーム | 6 |
国 | 日本 |
前回優勝 | 東京ヤクルトスワローズ(2年連続9回目) |
最多優勝 | 読売ジャイアンツ(38回) |
セントラル・リーグ(英: Central League)は、日本のプロ野球リーグのひとつ。正式名称は日本プロ野球組織 セントラル・リーグ運営部。呼称はセ・リーグ、またはセ。
概要
日本におけるプロ野球リーグの一つで、読売ジャイアンツ、阪神タイガース、中日ドラゴンズ、東京ヤクルトスワローズ、横浜DeNAベイスターズ、広島東洋カープの6球団から構成されている。
読売ジャイアンツ、阪神タイガース、中日ドラゴンズの3球団は、戦前に誕生し現在に至るまで親会社が変わらずに存在する老舗球団である。
パシフィック・リーグとは異なり、指名打者制(DH制)を採用しておらず、投手を含めた9人のスタメンで構成されているのがセ・リーグの大きな特徴である。
2019年(令和元年)11月11日にJERAとタイトルパートナー(冠スポンサー)契約を締結。契約期間は2020年(令和2年)から3年間。2020年シーズンより、リーグ戦では「JERA セントラル・リーグ」の名称が使用される[1]。
沿革
誕生
1949年(昭和24年)、新チーム加盟の是非をめぐり日本野球連盟が分裂し、加盟反対派の読売ジャイアンツ(巨人)、中日ドラゴンズ、松竹ロビンスを中心に、大阪タイガース[注 1]、新球団の大洋ホエールズ、広島カープ、西日本パイレーツを加えた計7球団でセントラル野球連盟(セントラルやきゅうれんめい)が発足。なお、発足当時は小田急電鉄が球団を所有してセ・リーグに加盟して8球団体制とする計画があった[2]が、これは計画倒れに終わり実現しなかった。
袂を分かった賛成派の4球団(阪急ブレーブス、南海ホークス、大映スターズ、東急フライヤーズ)は、3つの新チーム(毎日オリオンズ、近鉄パールス、西鉄クリッパース)と共に太平洋野球連盟ことパシフィック・リーグ(パ・リーグ)を結成した。
翌1950年(昭和25年)1月には球団所有が中止・消滅に終わった小田急電鉄と入れ替わる形で国鉄スワローズ(現:東京ヤクルトスワローズ)も加盟し、当初の計画から違う形となったが、運営初年度から8球団体制となった。なお、初年度である1950年は松竹ロビンスがセ・リーグ初代優勝チームとなったが、その年の日本シリーズでは親会社のバックアップで戦力を充実させた毎日オリオンズに敗退した。
1950年代
その後1951年から1959年にかけて、水原茂監督率いる読売ジャイアンツの第2次黄金期だった。日本シリーズでも1951年から1953年、1955年において、鶴岡一人監督率いる南海ホークスを圧倒し、4度の日本一を達成した。しかし、1956年から1958年ではかつて巨人を指揮した三原脩監督率いる西鉄ライオンズに3年連続で敗退。さらに1959年でも杉浦忠擁する南海ホークスに0勝4敗と敗退した。なお、日本シリーズでストレートでの4連勝を決めたのは南海が史上初だった。
1951年1月10日に開催が予定されたセ・リーグ代表者会議を前に、経営危機に直面していた広島と西日本を整理する構想が浮上したが、当日の会議では問題を先送りされた[3]が、結局シーズン開始直前、西日本パイレーツがパ・リーグの西鉄クリッパース(現:埼玉西武ライオンズ)と合併し脱退。1952年シーズン終了後には大洋ホエールズと松竹ロビンスが合併して「大洋松竹ロビンス」を結成し、6球団になる[要出典]。1951年8月19日には中日スタヂアムが全焼、死者4名、重軽傷者多数を出す惨事となった。
以降、親会社及びチーム名の変更こそあるものの、チーム数そのものの増減は無い。大洋松竹ロビンスが1953年(昭和28年)に下関から大阪へ、さらに1955年(昭和30年)大洋ホエールズに改称して神奈川県川崎市の川崎球場へ移転して以降は、各球団の保護地域の変更も無い。同球団は、1978年に横浜市の横浜スタジアムへの移転とともに横浜大洋ホエールズに改称しており[注 2]、それ以降、本拠地(球場)所在地の変更も無い。
1954年は中日ドラゴンズが杉下茂を擁して球団初のリーグ優勝、その年の日本シリーズでも球団初のパ・リーグ優勝を決めた西鉄ライオンズを破り日本一となった。
1959年6月25日の巨人×大阪戦(後楽園)で、プロ野球史上初めての天覧試合が開催された。1950年代後半から巨人の王貞治・長嶋茂雄が球界のスター選手となり、宿命のライバルである村山実・G.バッキー・金田正一らとの名勝負を繰り広げた。
1960年代~1970年代前半
1960年は、前年まで6年連続最下位に喘いでおり、この年に就任した三原脩監督率いる大洋ホエールズが球団初のリーグ優勝。そしてその年の日本シリーズでも西本幸雄監督率いる毎日大映オリオンズ(大毎)を4勝0敗で制した。
巨人は1961年から球団OBの川上哲治が監督に就任。当時の巨人は打撃陣では長嶋茂雄だけが頼りになる存在で、投手陣でも絶対的な存在がいなかった。そのため、川上は『ドジャースの戦法』をチームに導入し、後に「V9」と呼ばれるセ・リーグ9連覇・日本一という前人未到の黄金期を築き上げる。また、1960年代前半にテレビ中継(主に日本テレビ系列など)の普及も相まって、やがて巨人と阪神は爆発的な人気を得ることになる。特に巨人同様読売新聞グループである日本テレビのプロ野球中継は日テレの看板番組でもあり、巨人は爆発的な人気を獲得し、「子供の好きなものといえば『巨人・大鵬・卵焼き』」と言う言葉ができるなど、V9が始まる前から社会現象となっていた。
そんな中、巨人のライバル球団である阪神タイガースは1962年・1964年にリーグ優勝を果たすも、前者は元巨人の監督だった水原茂監督率いる東映フライヤーズに、後者は南海ホークスに敗れた。なお、1964年の日本シリーズは関西私鉄同士だったこともあり、『御堂筋シリーズ』と呼ばれた[注 3]。
1965年~1973年(巨人のV9時代)
巨人の監督だった川上は、選手個々の実力よりも、『ドジャースの戦法』の導入に代表されるように、他球団に先んじてチームプレーを導入することを優先した。またスタッフでも牧野茂などを招聘。選手においても、王貞治・長嶋茂雄という二人のスーパースター(いわゆるON砲)を筆頭に、森昌彦・柴田勲・黒江透修・高田繁・土井正三といった名選手や、堀内恒夫・高橋一三・城之内邦雄・金田正一といった球史に名を残す投手が揃った。様々なポジションに適した人材が揃っており、1番・2番とクリーンナップで点をとり、あとはその点を守備で徹底して守る、日本における「スモールベースボール」の先駆けである一方、V9の期間中、巨人はセ・リーグ最多チーム得点だった。当時の本拠地だった後楽園球場が狭くて打者有利の球場であった事もあり、V9時代の巨人は攻撃力中心のチームであったと見ることができる。
1965年11月、戦力の均衡を目的として第1回プロ野球ドラフト会議が開催された。
なお同年1965年5月シーズン中、国鉄スワローズはサンケイスワローズとなったが(1962年の産経新聞との業務提携以降、経営権は実質的に国鉄から産経に移行していた)、1970年にはヤクルトに経営権が移行、ヤクルトアトムズとなった。1973年には中日スタヂアムの経営権をめぐる恐喝事件(中日スタヂアム事件)が発生した。
1970年代後半 V9の終焉、広島の赤ヘル旋風
1974年に与那嶺要監督の中日ドラゴンズが優勝し、巨人の10連覇を阻止、V9時代は終焉を迎えた。10月14日、戦後史に残る長嶋茂雄の引退スピーチが行われた。翌1975年は、古葉竹識監督率いる広島東洋カープが山本浩二・衣笠祥雄・外木場義郎らを擁して初優勝を果たすとプロ野球界に赤ヘル旋風を巻き起こす。その後も広島カープは高橋慶彦、北別府学、江夏豊らの活躍もあり、3度の日本一(1979年・1980年・1984年)を成し遂げる。
巨人は、V9以降、1975年に球団史上初の最下位という結果になった。但し、翌1976年・1977年は張本勲、小林繁ら新戦力の活躍によりV2を果たしている。また、1977年9月3日には王貞治がハンク・アーロンの記録を抜く756号を放ち、初の国民栄誉賞を受賞した。 1979年、5位に甘んじたシーズン直後の伊東市での秋季キャンプは『地獄の伊東キャンプ』として語り継がれ、江川卓、中畑清、松本匡史、西本聖、角三男ら後に巨人の主力となる選手もいた。
1978年 ヤクルトスワローズ、球団初のリーグ優勝と日本一
外国人の活躍
セ・リーグにおいては前掲のバッキー(阪神)や、MLB仕込みの華麗な守備を見せたC.ボイヤー(大洋)、J.シピン(大洋・巨人)らが先駆をなしたが、70年代後半からは日本経済の成長に伴い、MLBでレギュラーであった外国人選手がキャリアの後半にNPBを選ぶケースが増え、R.ホワイトやR.スミス(巨人)、赤鬼ことC.マニエル(ヤクルト)が活躍した。そこから、80年代にはR.バース(阪神)、B.ホーナー(ヤクルト)を筆頭とする圧倒的なパワーを持つ打者が各チームに出現、大人気となる。1994年からは外国人枠の拡大(2名⇒3名。1998年からは4名)にも発展した。
逆に、日本での経験ののち、帰国後にMLBでタイトルを獲るキャリアハイの活躍をした例もあり、C.フィルダー(阪神)、B.ガリクソン(巨人)、A.ソリアーノ(広島)が良く知られている。
1980年代 読売ジャイアンツの復活と東京ドーム開場
入団時の混乱から「ヒール」とも言われた江川卓・桑田真澄、また若大将こと原辰徳、現役メジャーであったW.クロマティらの活躍により、長嶋茂雄監督解任後のチームの建て直し[注 4]に成功した読売ジャイアンツは、80年代をつうじ全てAクラスという安定感を取り戻し、リーグ優勝も1981・1983・1987・1989年に達成。とくに1989年は84勝44敗と他者を寄せ付けない圧勝となった。1988年に東京ドームが開場し、のちの5大ドーム時代の先鞭をつけた。
1985年 阪神タイガース、悲願の日本一
1985年の阪神タイガースは、R.バース・掛布雅之・岡田彰布の『バックスクリーン3連発』など、ニューダイナマイト打線と呼ばれる強力打線が活躍し、21年振りのセ・リーグ優勝を達成する。
日本シリーズでは、広岡達朗監督率いる西武ライオンズを破り4勝2敗で球団史上初の日本一に輝いた。
1990年代 ヤクルトの黄金期・阪神暗黒時代、フリーエージェントの導入
1990年に野村克也がヤクルトの監督に就任した。この年は後にヤクルトの正捕手として活躍する古田敦也、1991年には高津臣吾などが入団し、ヤクルトの黄金期を担うことになる。他にも広沢克己・飯田哲也・池山隆寛・川崎憲次郎・J.ハウエルなどの活躍もあり、1992年・1993年にセ・リーグ連覇を果たす。さらに1993年の日本シリーズでは、パ・リーグ4連覇中の西武ライオンズを破り、1978年以来15年ぶり2度目の日本一を果たした。その後も生え抜き選手では石井一久・伊藤智仁・真中満・宮本慎也・稲葉篤紀など、移籍選手では吉井理人・田畑一也・T.オマリー・H.ミューレン・辻発彦・小早川毅彦などが活躍し、野村克也監督時代(1990年~1998年)のヤクルトは、4度のリーグ優勝(1992年・1993年・1995年・1997年)と、(左記1992年を除く)3度の日本一を成し遂げた。1998年シーズン終了をもって野村克也監督は退任し、阪神に移籍した。
一方、その頃の阪神タイガースは昭和末期・平成と2度の暗黒時代に突入。1987年~1991年にかけて、(1989年を除く)4度の最下位を喫した。しかし1992年は、新庄剛志・亀山努・T.オマリーなどが活躍し、ヤクルト・巨人と優勝争いを繰り広げ、最終的には優勝のヤクルトと僅差で2位(巨人と同率2位)と健闘を見せた。しかし、翌1993年以降はBクラスに逆戻り、1995年から2年連続の最下位に転落するなど、再び暗黒時代に突入する。1999年にヤクルト前監督の野村克也が阪神の監督に就任するが、1998年から2001年にかけて4年連続最下位となる。
読売ジャイアンツは90年代をつうじ1990年・1994年・1996年と、黄金期ヤクルトに次ぐ3回の優勝を果たした。中でも1994年の10.8決戦で同率首位の中日を下しての最終戦優勝、1996年のメークドラマ(首位広島に1996年7月6日時点で最大11.5ゲーム差をつけられながらも逆転優勝)は国民的な関心を集め、地上波TV視聴率・観客動員も高水準で推移した。また積極的な補強とドラフト戦略の成功により、1990年V2時点の主力(斎藤雅樹・桑田真澄・槙原寛己の3本柱中心)から、第2期長嶋茂雄政権での主力(松井秀喜・上原浩治・高橋由伸ら00年代優勝メンバー)への転換にも成功した。この間、落合博満・清原和博らのフリーエージェント補強にも成功し、ストーブリーグにおいても話題の中心であり続けた。
1998年 横浜ベイスターズ、38年ぶりのリーグ優勝・日本一
1998年、横浜大洋ホエールズからの改称後6シーズン目となった横浜ベイスターズは、5月終了時点では貯金3の3位だった。しかし、6月後半から石井琢朗・鈴木尚典・R.ローズ・駒田徳広らによる「マシンガン打線」が爆発するようになり、16日から8連勝して首位に立った。その後、オールスター戦を挟んで10連勝、アクシデント続出で失速する巨人とは対照的に首位を固めた。9月4日からの2位中日との直接対決を佐々木主浩の3連投で全勝、大洋ホエールズ以来となる38年ぶり2度目のセ・リーグ優勝を飾った。1998年の日本シリーズは4勝2敗で38年ぶり2度目の日本一を果たした。
2000年代 巨人・阪神・中日の3強時代、横浜暗黒時代
この頃のセ・リーグは原辰徳監督率いる読売ジャイアンツ、岡田彰布監督率いる阪神タイガース、落合博満率いる中日ドラゴンズが熾烈な優勝争いを繰り広げていた。
巨人は00年代前半には前掲の松井・上原・高橋由、及び阿部慎之助・高橋尚成・仁志敏久・二岡智宏・清水隆行ら生え抜き選手が非常に強く、逆指名などのドラフト改革を追い風としたチーム強化に成功。また、清原和博・江藤智・工藤公康らの移籍組も活躍した。00年代後半は小笠原道大・A.ラミレス・S.グライシンガー・M.クルーン・李承燁らの移籍組がMVP級の活躍、さらに坂本勇人・亀井善行・内海哲也・山口鉄也といった生え抜きスター選手とのベストミックスでV3を達成。00年代をつうじリーグ優勝5回(2000・2002・2007・2008・2009)は最多であった[注 5]。
阪神は金本知憲・矢野輝弘・赤星憲広・今岡誠・井川慶・下柳剛・新井貴浩・JFK(藤川球児・J.ウィリアムス・久保田智之)・鳥谷敬・能見篤史といったスター選手を擁し、星野仙一監督(2002-2003)~岡田彰布監督(2004-2008)の在任中、2度のリーグ優勝(2003・2005)を達成した。
中日は山本昌・川上憲伸・浅尾拓也・岩瀬仁紀・立浪和義・福留孝介・中村紀洋・T.ウッズ・和田一浩・谷繁元信・アライバコンビ(荒木雅博・井端弘和)・森野将彦・吉見一起といったスター選手を擁し、落合博満監督の在任8年間(2004-2011)で4度のリーグ優勝(2004・2006・2010・2011)、2007年にはリーグ2位からの日本一を達成した。
しかし、横浜ベイスターズ(現:横浜DeNAベイスターズ)は森祇晶・山下大輔・牛島和彦・第2期大矢明彦と政権を継いだが、最下位6度と結果を残せなかった。
2005年からは育成選手制度がスタートした。 また、インターネット社会の到来による娯楽・嗜好の多様化により、巨人戦の視聴率が大きく低下した時期でもあり、巨人戦中継の主体は地上波からBS・CSに移行した。
2009年1月1日の改定日本プロフェッショナル野球協約発効に伴い、連盟事務局と直下の審判部・記録部はコミッショナー事務局、パシフィック・リーグ事務局と統合され、コミッショナー直属の『セントラル・リーグ運営部』『審判部』『記録部』となり、リーグ会長職は廃止された[4]。
2003年 阪神タイガースの18年ぶりセ・リーグ優勝
2004年 プロ野球再編問題
セ・パ交流戦(2005年より導入)、クライマックスシリーズ(2007年より導入)も参照。
これに先立つ2001年末に横浜ベイスターズは筆頭株主がマルハからTBSに変更となった。(2011年末からはDeNAに変更。)
2010年代 広島3連覇、パ・リーグとの実力差
2012年より読売ジャイアンツの3連覇(2012・2013・2014)、(2015年のヤクルト優勝を挟んで)2016年より広島東洋カープの3連覇(2016・2017・2018)、という結果となり、両チームとも2位とのゲーム差を大きく付けた「圧勝」でのV3となった。但しクライマックスシリーズの導入により、リーグ終盤の興行的好調は継続され、実際に2014年には2位、2017年には3位からの日本シリーズ進出が実現した。
2011年は東日本大震災の発生により電力が逼迫、開幕を両リーグとも3月25日から4月12日に順延した。2012年からは予告先発を導入した。
2013年より開幕前のイベントとして東京ビッグサイトにて『セ・リーグファンミーティング』を行っている。
2015年秋に、読売ジャイアンツ所属選手による野球賭博問題が発覚。巨人は渡邉顧問、白石オーナー、桃井会長の3首脳が引責辞任した。
2019年11月11日にJERAとタイトルパートナー(冠スポンサー)契約を締結。契約期間は2020年(令和2年)から3年間でリーグ戦では「JERA セントラル・リーグ」の名称が使用される[1]。
また、セ・パ交流戦の10年連続負け越し(セの548勝671敗41分)、また2010年代をつうじて日本シリーズにおけるセの優勝が1回のみ(セの19勝38敗2分)に終るなど、セの地盤沈下が語られる事態となった。
2016年~2018年 広島東洋カープ球団史上初の3連覇
2016年は緒方孝市監督率いる広島東洋カープは25年ぶりのセ・リーグ優勝を達成。200勝を達成した黒田博樹・2000本安打を達成した新井貴浩の復帰組ベテランと、投手陣は野村祐輔の16勝3敗の快進撃、B.エルドレッド・外国人投手2人目の沢村賞を受賞したK.ジョンソンといった助っ人外国人、生え抜きの「タナキクマル」(田中広輔・菊池涼介・丸佳浩)、若き大砲の鈴木誠也の若手を組み合わせたベストミックスの優勝であった。
2018年まで、上述の主力組が機能しリーグ戦・交流戦で圧倒的な強さを見せ、球団史上初の3連覇を達成した。(セ・リーグでは巨人以外で初である。)
2020年代~現在
2020年から2021年にかけ、新型コロナウィルスの発生に伴い、各球場とも観客動員を大きく減らした運営を強いられた。特に2020年は120試合のみの開催で1952年以来68年ぶりの規模縮小、入場者数(275万人、昨対比▲81%)は草創期である1951年以来の少なさとなった[5]。また、クライマックスシリーズが2020年は中止となったほか、外国人選手の入国制限により、契約そのものが出来ない・契約できても来日や帰国が自由にできず、本人や家族のメンタルの問題で出場試合数を大きく減らしてしまう事もあった。2022年7月にはオミクロン株の感染力の強さにより、巨人戦が7月22日から同31日まで6試合連続で延期[6]となるなど大きな影響を受けた。
2021年 ヤクルト、20年ぶり日本一
前年まで2年連続で最下位であったヤクルトは、打撃陣では山田哲人・村上宗隆・塩見泰隆といった生え抜きや、新外国人のJ.オスナとD.サンタナの活躍、投手陣では奥川恭伸・高橋奎二・リリーフの清水昇(50ホールドでNPB記録更新)・S.マクガフの台頭により、2021年シーズンの前半戦を3位で終えた。前年から順延となった東京五輪により神宮球場が資材置き場[7]になる苦難の中、後半戦になると最大7ゲーム差あった首位阪神とのゲーム差を徐々につめて9月22日に首位に立ち、10月8日にはマジック11が点灯、10月26日の横浜スタジアムでのDeNA戦で勝利し、優勝が決定した。ポストシーズンはクライマックスシリーズで巨人相手に2勝1分で突破、日本シリーズではオリックスと対戦し、4勝2敗で勝利し前年最下位からの日本一に輝いた。
現存する加盟球団
一覧
球団名 | 保護地域 | 創設年度 | 本拠地球場 | チームカラー | |
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読売ジャイアンツ (Yomiuri Giants) |
東京都 | 1934年 | 東京ドーム (文京区、北緯35度42分21秒 東経139度45分7秒 / 北緯35.70583度 東経139.75194度) |
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東京ヤクルトスワローズ (Tokyo Yakult Swallows) |
東京都 | 1950年 | 明治神宮野球場 (新宿区、北緯35度40分28.4秒 東経139度43分1.5秒 / 北緯35.674556度 東経139.717083度) |
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横浜DeNAベイスターズ (Yokohama DeNA BayStars) |
神奈川県 | 1950年 | 横浜スタジアム (横浜市中区、北緯35度26分36.18秒 東経139度38分24.1秒 / 北緯35.4433833度 東経139.640028度) |
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中日ドラゴンズ (Chunichi Dragons) |
愛知県 | 1936年 | ナゴヤドーム(バンテリンドーム ナゴヤ) (名古屋市東区、北緯35度11分9.5秒 東経136度56分50.88秒 / 北緯35.185972度 東経136.9474667度) |
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阪神タイガース (Hanshin Tigers) |
兵庫県 | 1935年 | 阪神甲子園球場 (西宮市、北緯34度43分16.43秒 東経135度21分41.91秒 / 北緯34.7212306度 東経135.3616417度) |
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広島東洋カープ (Hiroshima Toyo Carp) |
広島県 | 1950年 | 広島市民球場(MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島) (広島市南区、北緯34度23分30.76秒 東経132度29分5.03秒 / 北緯34.3918778度 東経132.4847306度) |
※ 球団表記順は野球協約の保護地域表記順
各球団の略年譜
球団名 | 遍歴 |
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読売ジャイアンツ |
1934年12月26日に大日本東京野球倶楽部として結成 |
阪神タイガース |
1935年12月10日に阪神電気鉄道を親会社として大阪タイガースを結成 |
中日ドラゴンズ |
1936年1月15日に新愛知新聞社(中日新聞社の前身)を親会社として名古屋軍を結成 |
東京ヤクルトスワローズ |
1950年1月12日に鉄道弘済会、日本通運、日本交通公社(現・JTB)などを親会社とした国鉄スワローズがセントラル・リーグに加盟。 |
横浜DeNAベイスターズ |
1949年12月15日に大洋漁業(現・マルハニチロ)を親会社としたまるは球団(暫定名)がセントラル・リーグに加盟 |
広島東洋カープ |
1949年12月15日に、広島県内の有力企業複数が出資した広島カープがセントラル・リーグに加盟。広島総合球場を本拠地とする |
※親会社の企業名、本拠地の球場名はいずれも当時のもの ※球団名の改称年は改称後の初年度シーズンを起点に表記
過去に存在した加盟球団
- セントラル・リーグの消滅球団と成績
球団名 | 創設年度 | 優勝回数 | 試合 | 勝利 | 敗戦 | 引分 | 勝率 |
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松竹ロビンス (Shochiku Robins) (1950年 - 1952年) |
1936年 | 1 | 372 | 185 | 176 | 11 | .512 |
西日本パイレーツ (Nishinippon Pirates) (1950年) |
1950年 | 0 | 136 | 50 | 83 | 3 | .376 |
- 成績はリーグが結成された1950年以降のもの
- 球団名・本拠地・親会社の遍歴
球団名 | 遍歴 |
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松竹ロビンス |
1936年2月15日に國民新聞社(東京新聞の前身)を親会社として大東京軍を結成。洲崎球場を本拠地とする |
西日本パイレーツ |
1949年12月15日に西日本新聞社を親会社とした西日本パイレーツがセントラル・リーグに加盟。平和台野球場を本拠地とする |
- 親会社の企業名、本拠地の球場名はいずれも当時のもの
- 球団名の改称年は改称後の初年度シーズンを起点に表記
試合方式
総当り回数
1952年のフランチャイズ(ホームタウン)制度採用後はホーム・アンド・アウェー方式で、原則それぞれ半分ずつの試合を行う。
年度 | 試合数 | 内訳 | 備考 | |
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リーグ戦 | 交流戦 | |||
1950 | 140 | 20×7 | - | |
1951-1952 | 120 | 20×6 | ||
1953-1962 | 130 | 26×5 | ||
1963-1965 | 140 | 28×5 | ||
1966-1996 | 130 | 26×5 | ||
1997-2000 | 135 | 27×5 | ※1 | |
2001-2004 | 140 | 28×5 | ||
2005-2006 | 146 | 22×5 | 6×6 | |
2007-2014 | 144 | 24×5 | 4×6 | |
2015-2019 | 143 | 25×5 | 3×6 | ※1、※2 |
2020 | 120 | 24×5 | - | |
2021- | 143 | 25×5 | 3×6 | ※1、※2 |
※1:1997年 - 2000年と2015年 - 2019年、2021年 -(リーグ間の対戦)は総当りが奇数回となるため、対戦カードのどちらか一方がホームゲームを1試合多く行う形式(前者は14試合、後者は13試合)である。なお1試合増加分のホームチームについては、2年単位で隔年入れ替わりである。
※2:2015年以降のセ・パ交流戦は3回総当たりとなるため、対戦カードごとに隔年でホームチームを入れ替える。
- 引き分けに関する扱い
- 引き分け再試合制度実施年:1962年、1966年 - 1968年、1990年 - 2000年
- 引き分けを0.5勝0.5敗で勝率計算した年:1956年 - 1961年
上記が規定上の対戦回数であるが、諸事情により公式戦を一部中止した年度がある。
- 1950年:日本シリーズの日程関係のため一部試合を中止。
- 1951年:広島カープが存続問題から第一節(3月29日 - 4月6日)の参加を見送り。この期間の対広島戦中止。また、同年10月20日より予定されていた日米野球の日程関係のため同月9日でペナントレースを打ち切り。
- 1953年:読売ジャイアンツがアメリカ遠征のため第一〜第三節途中(3月28日 - 4月9日)まで不参加で、かつ日本シリーズに進出したため、また同年10月17日より開催のアメリカメジャーリーグ遠征チームとの交流試合の日程の都合上、読売ジャイアンツ対国鉄スワローズ戦5試合を残してペナントレースを打ち切り。
- 2004年:選手会が球団合併凍結などを求めたプロ野球ストライキを9月18日と19日に決行したため、同日に予定されていた全試合を中止。
- 2020年:新型コロナウイルス感染拡大の影響で開幕が約3ヶ月延期となり、シーズン日程を再考。交流戦が中止となるなど一部日程が変更され、当初の143試合から120試合に試合数を削減。
回数・時間制限
年 | 内容 |
---|---|
1950年 - 1951年 |
シングルの場合は回数・時間制限なし(デーゲームの場合日没まで)。 |
1952年 - 1954年5月24日まで |
シングル、ダブルヘッダーとも原則として勝敗が決するまで時間・回数無制限。 |
1954年5月25日 - 同年の閉幕まで |
デーゲームで開催のシングルの場合は時間・回数制限なし(日没まで。以後1973年まで同じ)。 |
1955年 - 1958年 |
ナイトゲームは22:15まで。 |
1959年 - 1962年 |
ナイトゲームは22:30まで(時間制限は1963年も同じ)。 |
1963年 |
ダブルヘッダー第1試合は延長13回まで。 |
1964年 - 1965年 |
ダブルヘッダー第1試合は延長12回まで。 |
1966年 - 1967年 |
ダブルヘッダー第1試合は延長11回まで。 |
1968年 - 1970年 |
ダブルヘッダー第1試合は延長12回まで。 |
1971年 |
ダブルヘッダー第1試合は延長12回まで。 |
1972年 - 1973年 |
ダブルヘッダー第1試合は、延長11回まで。 |
1974年 - 1982年 |
ダブルヘッダー第1試合については9回まで(回数制限は1987年まで同じ)。 |
1983年 - 1987年 |
ダブルヘッダー第1試合以外は、開始時刻に関わらず試合開始から3時間20分を過ぎて次のイニングに入らない。 |
1988年 - 1989年 |
延長12回まで、時間制限なし。 |
1990年 - 2000年 |
延長15回まで、時間制限なし。引き分けの場合は再試合(降雨コールド時も含む)。 |
2001年 - 2010年 |
延長12回まで、時間制限なし。 |
2011年 - 2012年 |
延長12回まで[注 6]。ただし、東日本大震災に伴う節電対策として以下の規定がある。
|
2013年 - 2019年 | |
2020年 |
延長10回まで、時間制限なし[注 8]。 |
2021年 |
延長なし、時間制限なし[注 8]。 |
2022年 |
延長12回まで、時間制限なし。 |
順位の決め方
- 2000年以前は勝率順で決めており、勝率が同率でシーズンが終了した場合のみ、プレーオフで優勝を決めることとなっていた。
- 2001年は例外的に勝ち星の多い順で順位を決定していた。ただし、勝ち星1位と勝率1位のチームが異なった場合は3戦2勝制のプレーオフを行い優勝を決定する。
- 2002年からは再び勝率順に変更された。ただし、勝率3位以内に勝ち星1位のチームが別にいた場合、3戦2勝制のプレーオフで優勝を決定する。この制度は2006年まで続いた。
- ※以上のようなケースによるプレーオフは2006年まで過去1度もなかった。
- 2007年からはクライマックスシリーズの導入により、以下の制度となった(クライマックスシリーズの結果にかかわらず、レギュラーシーズンの順位がリーグ確定順位となる)。
- レギュラーシーズンの勝率
- 1が同率の場合、勝利数の多いチームが上位
- 2も同じ場合、当該球団間の直接対戦で勝率が高い順
- 3も同率の場合、前年度順位の上位
- ※2015年度は3チーム以上が勝率で並ぶ場合があるため、その場合でも2チームが同成績で並んだ場合に従って優勝を決める方式となった。
- 2022年度からは一部改正が施されており、勝率1位球団が複数あった場合、上記の3→4の間に「同一リーグの参加チーム(2022年度:6チームによる25回総当たり125試合)の勝率の高いほうを上位扱い」とするというルールが定められ、これにより順位決定方法は、
- レギュラーシーズンの勝率
- 1が同率の場合、勝利数の多いチームが上位
- 2も同じ場合、当該球団間の直接対戦で勝率が高い順
- 3も同じ場合、同一リーグの参加チーム間における総当たりにおける勝率の高い順
- 4も同率の場合、前年度順位の上位
に変更された。(パ・リーグの場合は、1で並んだ場合は、2ではなく、3以下同文の順番である)[9]
結果
- 背景桃色は日本シリーズ制覇。*は左のチームと同率順位
- 2006年までは優勝チームが日本シリーズに出場。クライマックスシリーズ導入後の2007年以降の日本シリーズ出場チームは太字で示す。
年度 | 優勝 | 勝 | 敗 | 分 | 2位 | 勝 | 敗 | 分 | 3位 | 勝 | 敗 | 分 | 4位 | 勝 | 敗 | 分 | 5位 | 勝 | 敗 | 分 | 6位 | 勝 | 敗 | 分 | 7位 | 勝 | 敗 | 分 | 8位 | 勝 | 敗 | 分 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1950 | 松竹 | 98 | 35 | 4 | 中日 | 89 | 44 | 4 | 巨人 | 82 | 54 | 4 | 大阪 | 70 | 67 | 3 | 大洋 | 69 | 68 | 3 | 西日本 | 50 | 83 | 3 | 国鉄 | 42 | 94 | 2 | 広島 | 41 | 96 | 1 |
1951 | 巨人 | 79 | 29 | 6 | 名古屋 | 62 | 48 | 3 | 大阪 | 62 | 51 | 3 | 松竹 | 53 | 57 | 5 | 国鉄 | 46 | 59 | 2 | 大洋 | 40 | 64 | 4 | 広島 | 32 | 64 | 3 | ||||
1952 | 巨人 | 83 | 37 | 大阪 | 79 | 40 | 1 | 名古屋 | 75 | 43 | 2 | 大洋 | 58 | 62 | 国鉄 | 50 | 70 | 広島 | 37 | 80 | 3 | 松竹 | 34 | 84 | 2 | |||||||
1953 | 巨人 | 87 | 37 | 1 | 大阪 | 74 | 56 | 名古屋 | 70 | 57 | 3 | 広島 | 53 | 75 | 2 | 洋松 | 52 | 75 | 1 | 国鉄 | 45 | 79 | 1 | |||||||||
1954 | 中日 | 86 | 40 | 4 | 巨人 | 82 | 47 | 1 | 大阪 | 71 | 57 | 2 | 広島 | 56 | 69 | 5 | 国鉄 | 55 | 73 | 2 | 洋松 | 32 | 96 | 2 | ||||||||
1955 | 巨人 | 92 | 37 | 1 | 中日 | 77 | 52 | 1 | 大阪 | 71 | 57 | 2 | 広島 | 58 | 70 | 2 | 国鉄 | 57 | 71 | 2 | 大洋 | 31 | 99 | |||||||||
1956 | 巨人 | 82 | 44 | 4 | 大阪 | 79 | 50 | 1 | 中日 | 74 | 56 | 国鉄 | 61 | 65 | 4 | 広島 | 45 | 82 | 3 | 大洋 | 43 | 87 | ||||||||||
1957 | 巨人 | 74 | 53 | 3 | 大阪 | 73 | 54 | 3 | 中日 | 70 | 57 | 3 | 国鉄 | 58 | 68 | 4 | 広島 | 54 | 75 | 1 | 大洋 | 52 | 74 | 4 | ||||||||
1958 | 巨人 | 77 | 52 | 1 | 大阪 | 72 | 58 | 中日 | 66 | 59 | 5 | 国鉄 | 58 | 68 | 4 | 広島 | 54 | 68 | 8 | 大洋 | 51 | 73 | 6 | |||||||||
1959 | 巨人 | 77 | 48 | 5 | 大阪 | 62 | 59 | 9 | 中日* | 64 | 61 | 5 | 国鉄 | 63 | 65 | 2 | 広島 | 59 | 64 | 7 | 大洋 | 49 | 77 | 4 | ||||||||
1960 | 大洋 | 70 | 56 | 4 | 巨人 | 66 | 61 | 3 | 大阪 | 64 | 62 | 4 | 広島 | 62 | 61 | 7 | 中日 | 63 | 67 | 国鉄 | 54 | 72 | 4 | |||||||||
1961 | 巨人 | 71 | 53 | 6 | 中日 | 72 | 56 | 2 | 国鉄 | 67 | 60 | 3 | 阪神 | 60 | 67 | 3 | 広島 | 58 | 67 | 5 | 大洋 | 50 | 75 | 5 | ||||||||
1962 | 阪神 | 75 | 55 | 3 | 大洋 | 71 | 59 | 4 | 中日 | 70 | 60 | 3 | 巨人 | 67 | 63 | 4 | 広島 | 56 | 74 | 4 | 国鉄 | 51 | 79 | 4 | ||||||||
1963 | 巨人 | 83 | 55 | 2 | 中日 | 80 | 57 | 3 | 阪神 | 69 | 70 | 1 | 国鉄 | 65 | 73 | 2 | 大洋 | 59 | 79 | 2 | 広島 | 58 | 80 | 2 | ||||||||
1964 | 阪神 | 80 | 56 | 4 | 大洋 | 80 | 58 | 2 | 巨人 | 71 | 69 | 広島 | 64 | 73 | 3 | 国鉄 | 61 | 74 | 5 | 中日 | 57 | 83 | ||||||||||
1965 | 巨人 | 91 | 47 | 2 | 中日 | 77 | 59 | 4 | 阪神 | 71 | 66 | 3 | 大洋 | 68 | 70 | 2 | 広島 | 59 | 77 | 4 | サンケイ | 44 | 91 | 5 | ||||||||
1966 | 巨人 | 89 | 41 | 4 | 中日 | 76 | 54 | 2 | 阪神 | 64 | 66 | 5 | 広島 | 57 | 73 | 6 | 大洋 | 52 | 78 | サンケイ* | 52 | 78 | 5 | |||||||||
1967 | 巨人 | 84 | 46 | 4 | 中日 | 72 | 58 | 4 | 阪神 | 70 | 60 | 6 | 大洋 | 59 | 71 | 5 | サンケイ | 58 | 72 | 5 | 広島 | 47 | 83 | 8 | ||||||||
1968 | 巨人 | 77 | 53 | 4 | 阪神 | 72 | 58 | 3 | 広島 | 68 | 62 | 4 | サンケイ | 64 | 66 | 4 | 大洋 | 59 | 71 | 3 | 中日 | 50 | 80 | 4 | ||||||||
1969 | 巨人 | 73 | 51 | 6 | 阪神 | 68 | 59 | 3 | 大洋 | 61 | 61 | 8 | 中日 | 59 | 65 | 6 | アトムズ | 58 | 69 | 3 | 広島 | 56 | 70 | 4 | ||||||||
1970 | 巨人 | 79 | 47 | 4 | 阪神 | 77 | 49 | 4 | 大洋 | 69 | 57 | 4 | 広島 | 62 | 60 | 8 | 中日 | 55 | 70 | 5 | ヤクルト | 33 | 92 | 5 | ||||||||
1971 | 巨人 | 70 | 52 | 8 | 中日 | 65 | 60 | 5 | 大洋 | 61 | 59 | 10 | 広島 | 63 | 61 | 6 | 阪神 | 57 | 64 | 9 | ヤクルト | 52 | 72 | 6 | ||||||||
1972 | 巨人 | 74 | 52 | 4 | 阪神 | 71 | 56 | 3 | 中日 | 67 | 59 | 4 | ヤクルト | 60 | 67 | 3 | 大洋 | 57 | 69 | 4 | 広島 | 49 | 75 | 6 | ||||||||
1973 | 巨人 | 66 | 60 | 4 | 阪神 | 64 | 59 | 7 | 中日 | 64 | 61 | 5 | ヤクルト | 62 | 65 | 3 | 大洋 | 60 | 64 | 6 | 広島 | 60 | 67 | 3 | ||||||||
1974 | 中日 | 70 | 49 | 11 | 巨人 | 71 | 50 | 9 | ヤクルト | 60 | 63 | 7 | 阪神 | 57 | 64 | 9 | 大洋 | 55 | 69 | 6 | 広島 | 54 | 72 | 4 | ||||||||
1975 | 広島 | 72 | 47 | 11 | 中日 | 69 | 53 | 8 | 阪神 | 68 | 55 | 7 | ヤクルト | 57 | 64 | 9 | 大洋 | 51 | 69 | 10 | 巨人 | 47 | 76 | 7 | ||||||||
1976 | 巨人 | 76 | 45 | 9 | 阪神 | 72 | 45 | 13 | 広島 | 61 | 58 | 11 | 中日 | 54 | 66 | 10 | ヤクルト | 52 | 68 | 10 | 大洋 | 45 | 78 | 7 | ||||||||
1977 | 巨人 | 80 | 46 | 4 | ヤクルト | 62 | 58 | 10 | 中日 | 64 | 61 | 5 | 阪神 | 55 | 63 | 12 | 広島 | 51 | 67 | 12 | 大洋 | 51 | 68 | 11 | ||||||||
1978 | ヤクルト | 68 | 46 | 16 | 巨人 | 65 | 49 | 16 | 広島 | 62 | 50 | 18 | 大洋 | 64 | 57 | 9 | 中日 | 53 | 71 | 6 | 阪神 | 41 | 80 | 9 | ||||||||
1979 | 広島 | 67 | 50 | 13 | 大洋 | 59 | 54 | 17 | 中日 | 59 | 57 | 14 | 阪神 | 61 | 60 | 9 | 巨人 | 58 | 62 | 10 | ヤクルト | 48 | 69 | 13 | ||||||||
1980 | 広島 | 73 | 44 | 13 | ヤクルト | 68 | 52 | 10 | 巨人 | 61 | 60 | 9 | 大洋 | 59 | 62 | 9 | 阪神 | 54 | 66 | 10 | 中日 | 45 | 76 | 9 | ||||||||
1981 | 巨人 | 73 | 48 | 9 | 広島 | 67 | 54 | 9 | 阪神 | 67 | 58 | 5 | ヤクルト | 56 | 58 | 16 | 中日 | 58 | 65 | 7 | 大洋 | 42 | 80 | 8 | ||||||||
1982 | 中日 | 64 | 47 | 19 | 巨人 | 66 | 50 | 14 | 阪神 | 65 | 57 | 8 | 広島 | 59 | 58 | 13 | 大洋 | 53 | 65 | 12 | ヤクルト | 45 | 75 | 10 | ||||||||
1983 | 巨人 | 72 | 50 | 8 | 広島 | 65 | 55 | 10 | 大洋 | 61 | 61 | 8 | 阪神 | 62 | 63 | 5 | 中日 | 54 | 69 | 7 | ヤクルト | 53 | 69 | 8 | ||||||||
1984 | 広島 | 75 | 45 | 10 | 中日 | 73 | 49 | 8 | 巨人 | 67 | 54 | 9 | 阪神 | 53 | 69 | 8 | ヤクルト | 51 | 71 | 8 | 大洋 | 46 | 77 | 7 | ||||||||
1985 | 阪神 | 74 | 49 | 7 | 広島 | 68 | 57 | 5 | 巨人 | 61 | 60 | 9 | 大洋 | 57 | 61 | 12 | 中日 | 56 | 61 | 13 | ヤクルト | 46 | 74 | 10 | ||||||||
1986 | 広島 | 73 | 46 | 11 | 巨人 | 75 | 48 | 7 | 阪神 | 60 | 60 | 10 | 大洋 | 56 | 69 | 5 | 中日 | 54 | 67 | 9 | ヤクルト | 49 | 77 | 4 | ||||||||
1987 | 巨人 | 76 | 43 | 11 | 中日 | 68 | 51 | 11 | 広島 | 65 | 55 | 10 | ヤクルト | 58 | 64 | 8 | 大洋 | 56 | 68 | 6 | 阪神 | 41 | 83 | 6 | ||||||||
1988 | 中日 | 79 | 46 | 5 | 巨人 | 68 | 59 | 3 | 広島 | 65 | 62 | 3 | 大洋 | 59 | 67 | 4 | ヤクルト | 58 | 69 | 3 | 阪神 | 51 | 77 | 2 | ||||||||
1989 | 巨人 | 84 | 44 | 2 | 広島 | 73 | 51 | 6 | 中日 | 68 | 59 | 3 | ヤクルト | 55 | 72 | 3 | 阪神 | 54 | 75 | 1 | 大洋 | 47 | 80 | 3 | ||||||||
1990 | 巨人 | 88 | 42 | 広島 | 66 | 64 | 2 | 大洋 | 64 | 66 | 3 | 中日 | 62 | 68 | 1 | ヤクルト | 58 | 72 | 阪神 | 52 | 78 | |||||||||||
1991 | 広島 | 74 | 56 | 2 | 中日 | 71 | 59 | 1 | ヤクルト | 67 | 63 | 2 | 巨人 | 66 | 64 | 大洋 | 64 | 66 | 1 | 阪神 | 48 | 82 | ||||||||||
1992 | ヤクルト | 69 | 61 | 1 | 巨人 | 67 | 63 | 阪神* | 67 | 63 | 2 | 広島 | 66 | 64 | 大洋 | 61 | 69 | 1 | 中日 | 60 | 70 | |||||||||||
1993 | ヤクルト | 80 | 50 | 2 | 中日 | 73 | 57 | 2 | 巨人 | 64 | 66 | 1 | 阪神 | 63 | 67 | 2 | 横浜 | 57 | 73 | 広島 | 53 | 77 | 1 | |||||||||
1994 | 巨人 | 70 | 60 | 中日 | 69 | 61 | 広島 | 66 | 64 | ヤクルト | 62 | 68 | 阪神* | 62 | 68 | 横浜 | 61 | 69 | ||||||||||||||
1995 | ヤクルト | 82 | 48 | 広島 | 74 | 56 | 1 | 巨人 | 72 | 58 | 1 | 横浜 | 66 | 64 | 中日 | 50 | 80 | 阪神 | 46 | 84 | ||||||||||||
1996 | 巨人 | 77 | 53 | 中日 | 72 | 58 | 広島 | 71 | 59 | ヤクルト | 61 | 69 | 横浜 | 55 | 75 | 阪神 | 54 | 76 | ||||||||||||||
1997 | ヤクルト | 83 | 52 | 2 | 横浜 | 72 | 63 | 広島 | 66 | 69 | 巨人 | 63 | 72 | 阪神 | 62 | 73 | 1 | 中日 | 59 | 76 | 1 | |||||||||||
1998 | 横浜 | 79 | 56 | 1 | 中日 | 75 | 60 | 1 | 巨人 | 73 | 62 | ヤクルト | 66 | 69 | 広島 | 60 | 75 | 阪神 | 52 | 83 | ||||||||||||
1999 | 中日 | 81 | 54 | 巨人 | 75 | 60 | 横浜 | 71 | 64 | ヤクルト | 66 | 69 | 広島 | 57 | 78 | 阪神 | 55 | 80 | ||||||||||||||
2000 | 巨人 | 78 | 57 | 中日 | 70 | 65 | 横浜 | 69 | 66 | 1 | ヤクルト | 66 | 69 | 1 | 広島 | 65 | 70 | 1 | 阪神 | 57 | 78 | 1 | ||||||||||
2001 | ヤクルト | 76 | 58 | 6 | 巨人 | 75 | 63 | 2 | 横浜 | 69 | 67 | 4 | 広島 | 68 | 65 | 7 | 中日 | 62 | 74 | 4 | 阪神 | 57 | 80 | 3 | ||||||||
2002 | 巨人 | 86 | 52 | 2 | ヤクルト | 74 | 62 | 4 | 中日 | 69 | 66 | 5 | 阪神 | 66 | 70 | 4 | 広島 | 64 | 72 | 4 | 横浜 | 49 | 86 | 5 | ||||||||
2003 | 阪神 | 87 | 51 | 2 | 中日 | 73 | 66 | 1 | 巨人* | 71 | 66 | 3 | ヤクルト | 71 | 66 | 3 | 広島 | 67 | 71 | 2 | 横浜 | 45 | 94 | 1 | ||||||||
2004 | 中日 | 79 | 56 | 3 | ヤクルト | 72 | 64 | 2 | 巨人 | 71 | 64 | 3 | 阪神 | 66 | 70 | 2 | 広島 | 60 | 77 | 1 | 横浜 | 59 | 76 | 3 | ||||||||
2005 | 阪神 | 87 | 54 | 5 | 中日 | 79 | 66 | 1 | 横浜 | 69 | 70 | 7 | ヤクルト | 71 | 73 | 2 | 巨人 | 62 | 80 | 4 | 広島 | 58 | 84 | 4 | ||||||||
2006 | 中日 | 87 | 54 | 5 | 阪神 | 84 | 58 | 4 | ヤクルト | 70 | 73 | 3 | 巨人 | 65 | 79 | 2 | 広島 | 62 | 79 | 5 | 横浜 | 58 | 84 | 4 | ||||||||
クライマックスシリーズ開始 | ||||||||||||||||||||||||||||||||
2007 | 巨人 | 80 | 63 | 1 | 中日 | 78 | 64 | 2 | 阪神 | 74 | 66 | 4 | 横浜 | 71 | 72 | 1 | 広島 | 60 | 82 | 2 | ヤクルト | 60 | 84 | |||||||||
2008 | 巨人 | 84 | 57 | 3 | 阪神 | 82 | 59 | 3 | 中日 | 71 | 68 | 5 | 広島 | 69 | 70 | 5 | ヤクルト | 66 | 74 | 4 | 横浜 | 48 | 94 | 2 | ||||||||
2009 | 巨人 | 89 | 46 | 9 | 中日 | 81 | 62 | 1 | ヤクルト | 71 | 72 | 1 | 阪神 | 67 | 73 | 4 | 広島 | 65 | 75 | 4 | 横浜 | 51 | 93 | |||||||||
2010 | 中日 | 79 | 62 | 3 | 阪神 | 78 | 63 | 3 | 巨人 | 79 | 64 | 1 | ヤクルト | 72 | 68 | 4 | 広島 | 58 | 84 | 2 | 横浜 | 48 | 95 | 1 | ||||||||
2011 | 中日 | 75 | 59 | 10 | ヤクルト | 70 | 59 | 15 | 巨人 | 71 | 62 | 11 | 阪神 | 68 | 70 | 6 | 広島 | 60 | 76 | 8 | 横浜 | 47 | 86 | 11 | ||||||||
2012 | 巨人 | 86 | 43 | 15 | 中日 | 75 | 53 | 16 | ヤクルト | 68 | 65 | 11 | 広島 | 61 | 71 | 12 | 阪神 | 55 | 75 | 14 | DeNA | 46 | 85 | 13 | ||||||||
2013 | 巨人 | 84 | 53 | 7 | 阪神 | 73 | 67 | 4 | 広島 | 69 | 72 | 3 | 中日 | 64 | 77 | 3 | DeNA | 64 | 79 | 1 | ヤクルト | 57 | 83 | 4 | ||||||||
2014 | 巨人 | 82 | 61 | 1 | 阪神 | 75 | 68 | 1 | 広島 | 74 | 68 | 2 | 中日 | 67 | 73 | 4 | DeNA | 67 | 75 | 2 | ヤクルト | 60 | 81 | 3 | ||||||||
2015 | ヤクルト | 76 | 65 | 2 | 巨人 | 75 | 67 | 1 | 阪神 | 70 | 71 | 2 | 広島 | 69 | 71 | 3 | 中日 | 62 | 77 | 4 | DeNA | 62 | 80 | 1 | ||||||||
2016 | 広島 | 89 | 52 | 2 | 巨人 | 71 | 69 | 3 | DeNA | 69 | 71 | 3 | 阪神 | 64 | 76 | 3 | ヤクルト | 64 | 78 | 1 | 中日 | 58 | 82 | 3 | ||||||||
2017 | 広島 | 88 | 51 | 4 | 阪神 | 78 | 61 | 4 | DeNA | 73 | 65 | 5 | 巨人 | 72 | 68 | 3 | 中日 | 59 | 79 | 5 | ヤクルト | 45 | 96 | 2 | ||||||||
2018 | 広島 | 82 | 59 | 2 | ヤクルト | 75 | 66 | 2 | 巨人 | 67 | 71 | 5 | DeNA | 67 | 74 | 2 | 中日 | 63 | 78 | 2 | 阪神 | 62 | 79 | 2 | ||||||||
2019 | 巨人 | 77 | 64 | 2 | DeNA | 71 | 69 | 3 | 阪神 | 69 | 68 | 6 | 広島 | 70 | 70 | 3 | 中日 | 68 | 73 | 2 | ヤクルト | 59 | 82 | 2 | ||||||||
2020 | 巨人 | 67 | 45 | 8 | 阪神 | 60 | 53 | 7 | 中日 | 60 | 55 | 5 | DeNA | 56 | 58 | 6 | 広島 | 52 | 56 | 12 | ヤクルト | 41 | 69 | 10 | ||||||||
2021 | ヤクルト | 73 | 52 | 18 | 阪神 | 77 | 56 | 10 | 巨人 | 61 | 62 | 20 | 広島 | 63 | 68 | 12 | 中日 | 55 | 71 | 17 | DeNA | 54 | 73 | 16 | ||||||||
2022 | ヤクルト | 80 | 59 | 4 | DeNA | 73 | 68 | 2 | 阪神 | 68 | 71 | 4 | 巨人 | 68 | 72 | 3 | 広島 | 66 | 74 | 3 | 中日 | 66 | 75 | 2 |
チーム別成績
2022年現在、横浜DeNAベイスターズのみが21世紀にセントラル・リーグ制覇を経験していない。
2022年現在、現存する6球団は全て21世紀に日本シリーズ出場を果たしているものの、阪神タイガース・横浜DeNAベイスターズ・広島東洋カープの3球団は21世紀に日本シリーズ制覇を経験していない。
2022年現在、令和以降にセントラル・リーグ制覇を経験していないのは阪神タイガース・中日ドラゴンズ・横浜DeNAベイスターズ・広島東洋カープの4球団である。
読売ジャイアンツは平成(1989年)令和(2019年)で最初の年にセントラル・リーグ制覇を経験している。
2022年のシーズン終了時点で、リーグ優勝から最も遠ざかっているのは横浜DeNAベイスターズ、日本シリーズ制覇から最も遠ざかっているのは広島東洋カープ、日本シリーズ出場から最も遠ざかっているのは中日ドラゴンズである。
2021年のシーズン終了時点で、リーグ優勝した年にクライマックスシリーズに敗退した経験がある球団は、読売ジャイアンツ(2回)と広島東洋カープ(1回)である。また、リーグ2位・3位の年にクライマックスシリーズを突破した経験がある球団は、阪神タイガースと中日ドラゴンズと横浜DeNAベイスターズ(いずれも1回)であり、このうち中日は日本シリーズも制覇している。
2021年現在、令和(2019-)以降では東京ヤクルトスワローズを除く5球団が日本シリーズ制覇を経験していない。
- 太文字は日本一。
- 斜文字はクライマックスシリーズ敗退。
- ()は1リーグ時代の優勝年を含めた回数。
球団 | 優勝年 | 回数 |
---|---|---|
巨人 | 1951 1952 1953 1955 1956 1957 1958 1959 1961 1963 1965 1966 1967 1968 1969 1970 1971 1972 1973 1976 1977 1981 1983 1987 1989 1990 1994 1996 2000 2002 2007 2008 2009 2012 2013 2014 2019 2020 |
38回(47回) |
中日 | 1954 1974 1982 1988 1999 2004 2006 2010 2011 |
9回(9回) |
広島 | 1975 1979 1980 1984 1986 1991 2016 2017 2018 |
9回(9回) |
ヤクルト | 1978 1992 1993 1995 1997 2001 2015 2021 2022 |
9回(9回) |
阪神 | 1962 1964 1985 2003 2005 | 5回(9回) |
DeNA | 1960 1998 | 2回(2回) |
人気のセ
読売ジャイアンツと阪神タイガースの2球団はセ・パ12球団の中でも最も人気が高い球団であることから「人気のセ」と言われており、現実にセの観客動員数[5] はパの観客動員数[10] よりも設立以来常に多い状態であった。
巨人・阪神以外の4球団は、その保護地域において(人口動態上)当該球団よりも巨人や阪神のファンが多く分布している場合があること、また親会社の資本力も巨人や阪神に大きく水を開けられていることもあり、観客収入を対巨人戦や対阪神戦に頼る傾向が強い。尚、2020年からの2年間は三大都市での新型コロナウィルス感染拡大の影響と、2010年代の3連覇の影響で人気が高まっていた広島カープが観客動員数1位となっている[11]。
また、一部の対戦カードでは対巨人戦や対阪神戦以上の人気カードになることがある(PayPayドームでのソフトバンク対広島戦、北陸地方開催の対中日戦、坊ちゃんスタジアムでの対ヤクルト戦等)。
ファンサービスとして、過去にはセ・リーグ東西対抗(1979-1999)が秋季に地方球場で行われていた。また、広島を除く5球団がチアリーディングチームを持つ。
各球団監督
チーム | 監督 | 生年月日(年齢) | 就任年 |
---|---|---|---|
阪神タイガース | 岡田彰布 | 1957年11月25日(66歳) | 2023年(2年目) |
広島東洋カープ | 新井貴浩 | 1977年1月30日(47歳) | 2023年(2年目) |
横浜DeNAベイスターズ | 三浦大輔 | 1973年12月25日(50歳) | 2021年(4年目) |
読売ジャイアンツ | 阿部慎之助 | 1979年3月20日(45歳) | 2024年(1年目) |
東京ヤクルトスワローズ | 髙津臣吾 | 1968年11月25日(55歳) | 2020年(5年目) |
中日ドラゴンズ | 立浪和義 | 1969年8月19日(54歳) | 2022年(3年目) |
歴代リーグ代表者
リーグ会長
- 初代:安田庄司(1949年 - 1951年/読売新聞副社長兼編集主幹)
- 2代目:松島鹿夫(1951年 - 1952年/元外務事務次官)
- 3代目:鈴木龍二(1952年 - 1984年/元日本野球連盟会長)
- 4代目:川島廣守(1984年 - 1998年/元内閣官房副長官)
- 5代目:高原須美子(1998年 - 2000年/経済評論家、元経済企画庁長官)
- 6代目:豊蔵一(2001年 - 2008年/元建設事務次官、元住宅・都市整備公団総裁)【リーグ会長職廃止により退任】
リーグ運営部長
- 初代:大越英雄(2009年 - )
脚注
注釈
- ^ 当初は賛成派だったが巨人戦との兼ね合いで撤回し残留。それがきっかけで、毎日オリオンズは報復として大阪の主力選手だった若林忠志・別当薫・土井垣武・本堂保次・呉昌征などを引き抜いた。
- ^ 大洋の横浜移転と引換に、パ・リーグ所属のロッテオリオンズが1978年から1991年にかけて川崎球場を本拠地とすることになった。(ジプシー・ロッテを参照。)
- ^ その後、2003年にもその年の日本シリーズでもタイガースとホークスのカードとなったが、こちらは1989年から福岡ダイエーホークスとなっており、『山陽新幹線シリーズ』と呼ばれた。
- ^ 藤田元司監督・王貞治助監督・中日出身の牧野茂ヘッドコーチによる政権はトロイカ体制と呼ばれ、その後の王貞治政権での優勝(1987)にもつなげた。
- ^ 原辰徳監督の第2期政権(2006-2015)でカウントすれば、6度のリーグ優勝(2007・2008・2009・2012・2013・2014)を達成している
- ^ 当初は「延長戦は行わず、9回終了時で打ち切り」としていた。なお、時間制限を設けるのは1987年以来24年ぶり。
- ^ ただし、2014年に限り天候不順により日程消化が遅れていたため、9月5日以後シーズン最終日までのダブルヘッダー第1試合については9回までで打ち切り。
- ^ a b 新型コロナウイルスの影響に伴う感染防止の特別ルール。
出典
- ^ a b NPBニュース
- ^ 1949年11月27日付朝日新聞朝刊
- ^ 西日本、廣島の整理問題持越し『朝日新聞』昭和26年1月11日
- ^ セ、パ両事務局が廃局 サンケイスポーツ 2008年12月27日付・同日閲覧(リンク先は、インターネット・アーカイブ同日付保存キャッシュ)
- ^ a b https://npb.jp/statistics/attendance_yearly_cl.pdf
- ^ https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2022/07/30/kiji/20220730s00001173195000c.html
- ^ https://www.sanspo.com/article/20210617-75O4S53SLJK7TMJ5G6ACSD65Q4/
- ^ セ・リーグのダブルヘッダーについて
- ^ セ・リーグ、優勝決定方法変更 リーグ内の対戦勝率も(日本経済新聞)
- ^ https://npb.jp/statistics/attendance_yearly_pl.pdf
- ^ https://npb.jp/statistics/2021/attendance.html
参考文献
- プロ野球ユニフォーム物語(著:綱島理友・絵:綿谷寛。2005年、ベースボール・マガジン社発行)ISBN 978-4583038070
- 各外部リンク
関連項目
外部リンク
- セントラル・リーグ - NPB.jp 日本野球機構