1962年の読売ジャイアンツ

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1962年の読売ジャイアンツ
成績
セントラル・リーグ4位
67勝63敗4分 勝率.515[1]
本拠地
都市 東京都文京区
球場 後楽園球場
球団組織
オーナー 正力松太郎
経営母体 読売新聞社
監督 川上哲治
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1962年の読売ジャイアンツでは、1962年の読売ジャイアンツの動向をまとめる。

この年の読売ジャイアンツは、川上哲治監督の2年目のシーズンである。

概要[編集]

川上監督となって初の日本一奪回を果たした前年の勢いをそのままチームは開幕からまずまずのスタートを切った。6月までは阪神大洋と首位を争い、7月には入団以来長く伸び悩んだ王貞治荒川博打撃コーチ指導の一本足打法で本塁打を量産するなど明るい話題もあった。しかし、夏場以降は前年優勝を争った中日に抜かれて4位に転落すると、阪神・大洋とのゲーム差が広がり最後は1947年以来15年ぶり、そして2リーグに分裂して以来初のBクラスで終了した。投手陣では日本麦酒から加入した城之内邦雄がエースにのし上がり、第2次黄金時代末期を支えた藤田元司が復活してまずまずの成績を残し、チーム防御率2.47はリーグ2位。打撃陣でも長嶋茂雄や王など主軸打者は活躍したが、それ以外は低調に終わり連覇はならず川上監督が正力松太郎オーナーに辞表を提出。しかし、「来シーズンも川上君にやってもらう」という正力オーナーの鶴の一声で川上監督の続投が決まった。対戦成績では阪神・大洋と互角だったものの、5位の広島に12勝14敗1分と負け越し、大きく貯金したのは国鉄戦(17勝9敗1分)だった。

チーム成績[編集]

レギュラーシーズン[編集]

開幕オーダー[2]
1 国松彰
2 高林恒夫
3 王貞治
4 長嶋茂雄
5 宮本敏雄
6 森昌彦
7 広岡達朗
8 藤本伸
9 城之内邦雄
1962年セントラル・リーグ順位変動
順位 4月終了時 5月終了時 6月終了時 7月終了時 8月終了時 最終成績
1位 大洋 -- 大洋 -- 大洋 -- 阪神 -- 阪神 -- 阪神 --
2位 阪神 0.0 阪神 1.0 阪神 2.5 大洋 2.0 大洋 2.5 大洋 4.0
3位 巨人 1.0 巨人 1.5 巨人 4.5 巨人 8.0 中日 6.5 中日 5.0
4位 中日 1.5 国鉄 5.0 国鉄 6.0 中日 9.5 巨人 8.0 巨人 8.0
5位 広島 1.5 中日 5.0 中日 10.0 国鉄 12.5 広島 16.5 広島 19.0
6位 国鉄 2.0 広島 5.5 広島 13.0 広島 16.0 国鉄 20.5 国鉄 24.0


1962年セントラル・リーグ最終成績
順位 球団 勝率
1位 阪神タイガース 75 55 3 .577 優勝
2位 大洋ホエールズ 71 59 4 .546 4.0
3位 中日ドラゴンズ 70 60 3 .538 5.0
4位 読売ジャイアンツ 67 63 4 .515 8.0
5位 広島カープ 56 74 4 .431 19.0
6位 国鉄スワローズ 51 79 4 .392 24.0

[1]

オールスターゲーム1962[編集]

  • 選出選手及びスタッフ
ポジション 名前 選出回数
監督 川上哲治
投手 中村稔
捕手 森昌彦 3
一塁手 王貞治 3
三塁手 長嶋茂雄 5
外野手 坂崎一彦
  • 太字はファン投票による選出。

できごと[編集]

選手・スタッフ[編集]

[5]

表彰選手[編集]

森昌彦(捕手、2年連続2度目)
王貞治(一塁手、初受賞)
長嶋茂雄(三塁手、5年連続5度目)

出典[編集]

  1. ^ a b 年度別成績 1962年 セントラル・リーグ”. 日本野球機構. 2015年10月15日閲覧。
  2. ^ 『読売新聞』1962年4月8日付朝刊、14版、7面
  3. ^ ベースボールマガジン2012年11月号72ページ
  4. ^ 読売新聞1962年9月16日7面「藤田プロ入り100勝 広島を完封、巨人3位へ」
  5. ^ 読売巨人軍公式HP 背番号変遷”. 読売ジャイアンツ. 2015年10月15日閲覧。