内閣 (日本)
日本の政治 |
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内閣(ないかく、英: Cabinet)は、日本の行政権を担当する合議制の機関。内閣総理大臣と国務大臣で組織される。
現在の内閣は第3次安倍改造内閣である。
内閣制度の変遷
太政官制から内閣制へ
明治維新後、古代の律令制を参考にして新たに設置された太政官を国政の最高機関とした太政官制が採られた。この期間の政府組織は、幾度も大きな改正が行われ、制度の模索が続いた。1873年(明治6年)の官制改革では、太政官正院に置かれた太政大臣と参議から構成される合議体である「内閣」が国政全般にわたる意思決定機関とされた(太政官内閣制)。また、参議と各省大臣にあたる省卿が分離しているという問題に対しては、明治六年政変後に参議省卿兼任制を採用することで解決を図った。これらの改革は天皇に対する輔弼と執行の一体化を指向するもので、後の内閣制度につながるものであった。
1881年(明治14年)10月12日、明治天皇が出した「国会開設の詔」の中で、1890年(明治23年)を期して「國會」(議会)の開設を目指すと表明した。政府の中心で立憲主義体制の整備を図っていた伊藤博文らは、太政官制に替わる新たな政府機構の策定に取り組んだ。
太政官達第69号と内閣職権
1885年(明治18年)12月22日に、「太政官達第69号」が発せられ、太政官制を廃止して内閣総理大臣と各省大臣による内閣制が定められ、ここに内閣制度が始まった。内閣書記官長は、太政官内閣制の時期に非常設の官職として設置され、内閣制発足後も引き続き置かれた。
同日「内閣職権」が制定され形式的には内閣総理大臣に強い権限が与えられた。内閣の組織には宮内大臣は含まれなかった。この結果「宮中(宮廷)」と「府中(政府)」との区別が明確にされた。
初代の内閣総理大臣には、長州藩出身で参議であった伊藤博文が就任した(第1次伊藤内閣)。内閣総理大臣は、1871年(明治4年)以来三条実美が務めてきた太政大臣とは異なり、公卿が就任するという慣例も適用されず、どのような身分の出自の者であっても国政のトップに立つことができる点で、明治維新におけるひとつの成果の完成をあらわしていた[1]。内閣制度はまた、各省大臣の権限を強め、諸省に割拠して力をつけつつあった専門的な官僚をコントロールできる、大臣レベルの指導者層の主導権を確立するうえで大きな役割を担った[1]。
職名 | 氏名 | 備考 |
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内閣総理大臣 | 伊藤博文 | 宮内大臣を兼ねる[3]。 |
外務大臣 | 井上馨 | |
内務大臣 | 山縣有朋 | |
大蔵大臣 | 松方正義 | |
陸軍大臣 | 大山厳 | |
海軍大臣 | 西郷従道 | |
司法大臣 | 山田顕義 | |
文部大臣 | 森有礼 | |
農商務大臣 | 谷干城 | |
逓信大臣 | 榎本武揚 |
大日本帝国憲法と内閣官制
1889年(明治22年)2月11日に大日本帝国憲法が発布され、同年12月24日には、「内閣職権」を改定する形で「内閣官制」が制定された。
大日本帝国憲法には「内閣総理大臣」や「内閣」に関する記述はなく、同法第4章55条に「国務各大臣ハ天皇ヲ輔弼シ其ノ責ニ任ス」と記述されているのみで、天皇を輔弼することで、行政は「国務大臣」が遂行するとだけされ、「内閣総理大臣」や「内閣」は「内閣官制」によって存在することとなった。また、大日本帝国憲法法第4章56条に、最高意思決定機関としての天皇は国務(国政)を枢密院へ諮問すると明記され、国政の意思決定機関は「枢密院」とし、その認可をもって国政を遂行する機関として「内閣」が位置付けられていた。ただ、「内閣」を構成する各国務大臣は「枢密院」の「顧問官」の議席を有し表決に参加することが出来たため、全く別々の意思決定組織という形でもなかった。
内閣総理大臣や国務大臣は「帝国議会」や「臣民」(国民)に対して直接責任を負うこともなかった。「内閣官制」では「内閣職権」よりも内閣の権限が弱められ、内閣総理大臣は「各大臣ノ首班トシテ機務ヲ奏宣シ旨ヲ承ケテ行政各部ノ統一ヲ保持ス」(2条)とのみ定められ、具体的な権限などは定められなかった。そのため、内閣総理大臣は、内閣の中で「同輩中の首席(primus inter pares)」としての地位を占めるに過ぎず、いわゆる「閣内不統一」は直ちに内閣総辞職に結びついた。
1907年(明治40年)には内閣官制が一部改正され、内閣総理大臣が閣令を制定する権限を定め、従来の国務大臣の単独副署をなくし、すべての勅令に内閣総理大臣との連署を定めるなど、内閣総理大臣の権限強化が図られた。
内閣総理大臣は、天皇が任命することとなっていたが(大命降下)、具体的な人選は元老や重臣と呼ばれる首相経験者や藩閥・軍部の重鎮など、憲法外の機関・人物が行い、その推薦を経て天皇が任命した。大正時代末期から昭和時代初期には、衆議院の第一党の党首が内閣総理大臣に就任する「憲政の常道」と呼ばれる慣例が確立し、政党内閣時代とも呼ばれるが、あくまでも元老が衆議院議員総選挙の結果を参照した結果、第一党党首を推挙したという形式は守られた。
また、組閣は、内閣総理大臣が国務大臣の候補を自由に人選し、天皇が任命することとなっていたが、軍部大臣(陸軍大臣及び海軍大臣)については現役の大将・中将をもって充てるという「軍部大臣現役武官制」が一時期を除いて採用されていた。武官の階級や現役・退役・予備役の別は、軍部が独自に決めることとなっていたため、結局、軍部が推す人物を軍部大臣に充てるほかなく、内閣総理大臣の人選の範囲は限定されることになった。さらに、内閣が軍部の意に沿わない決定を行った場合には、軍部大臣を退かせて替わりの人物を送らず、ひいては内閣総辞職に至らせることも出来るため、軍部の意向が政権に与える影響は非常に大きかった。このほかにも、陸軍・海軍は、軍政の面では一応国務大臣の下にあったものの、軍令の面では天皇に専属する「統帥権」(大日本帝国憲法11条)を直接補佐することとされ、軍部大臣や参謀総長・軍令部総長などには帷幄上奏の権限も与えられたため、内閣は事実上、軍事に関する政策に関わることは難しかった。
日本国憲法と内閣法
1947年(昭和22年)に日本国憲法が公布され、第5章に「内閣」の規定を置き、「行政権は、内閣に属する。」(65条)と定めた。
内閣は、内閣総理大臣及びその他の国務大臣から組織され(66条1項)、行政権の行使について国会に対し連帯して責任を負うとされるなど(同条3項)、名実共に国の行政の中心的機関に位置づけられた。また、内閣総理大臣は、国会議員の中から国会の議決で指名し、天皇が任命すると定め(67条、6条1項)、議院内閣制を採ることが明確にされた。国務大臣は内閣総理大臣が任免して天皇が認証すると定め(68条、7条5号)、内閣総理大臣の行政各部に対する指揮監督権を定めるなど(72条)、内閣官制を廃止して新たに制定された内閣法とともに、内閣総理大臣を内閣の「首長」として(66条1項)、内閣と内閣総理大臣の権限強化が図られた。
内閣の地位
内閣の位置付け等については、日本国憲法第5章が規定している
- 行政権を担当する最高の合議体として、国会(立法)、裁判所(司法)と並ぶ憲法上の機関である。
- 国会に対して連帯して責任を負う(日本国憲法第66条)。
- 議院内閣制をとる。
- 内閣総理大臣に首長的地位を与える。
- 内閣総理大臣に国務大臣の任免権を保障する。( →「罷免」の項を参照)
内閣の構成
内閣は、内閣総理大臣(首相)及びその他の国務大臣(閣僚)から組織される(66条1項、内閣法2条1項)。内閣総理大臣と国務大臣に共通する任命要件は、「文民」であることである(66条2項)。
内閣総理大臣
内閣総理大臣は、国会議員の中から国会の議決で指名し、天皇が任命する(67条、6条1項)。
国務大臣
国務大臣は、内閣総理大臣が任命して、天皇が認証する(68条1項、7条5号)。国務大臣として任命された者は、内閣総理大臣から具体的な担当事務について補職辞令がなされる(例:外務大臣を命ずる)。国務大臣の過半数は、国会議員の中から選任しなければならない(68条1項)。また、内閣総理大臣は、任意に国務大臣を罷免することができる(68条2項)。国務大臣の数は、14人以内とされている(内閣法2条2項)。ただし、特別に必要がある場合においては、3人を限度にその数を増加し、17人以内とすることができる(同条項ただし書き)。
ただし内閣法附則2号により、東京オリンピック競技大会・東京パラリンピック競技大会推進本部が置かれている間は内閣法2条2項の「14人」は「15人」、「17人」は「18人」となる。 さらに内閣法附則3号により復興庁が廃止されるまでの間は内閣法2条2項の「14人」は「16人」、「17人」は「19人」となる。
国務大臣をもってあてられる職は、内閣法、国家行政組織法、その他個別の法律によるため、中央省庁の長であるからといって国務大臣であるとは限らない(例:宮内庁長官、公正取引委員会委員長などは国務大臣ではない)。逆に、内閣府特命担当大臣のようなスタッフ的な閣僚も存在し、無任所大臣を置くことも認められている。
組閣の手続
内閣を組織する(組閣)には以下の手順が踏まれる。
- 国会が、国会議員の中から内閣総理大臣を指名する(首班指名)。
- 天皇が内閣総理大臣を任命する(親任式)。
- 内閣総理大臣が国務大臣を任命する。
- 天皇が国務大臣の任命を認証する(認証官任命式)。これにより内閣が完成する。
- 内閣総理大臣が国務大臣の職を指定する(補職辞令、例:法務大臣を命ずる)。
一般には組閣本部における人事選考は内閣総理大臣の任命前に行われる。つまり次期首相となる者は国会の指名を受けた者という資格において組閣の準備に取りかかることが一般的となっている[4]。内閣総理大臣の任命によって従前の内閣はその地位を完全に失うことになるが(日本国憲法第71条)[5]、内閣は合議体であることを本質とすることから内閣総理大臣が一人で内閣を構成している状態は望ましくはなく、内閣総理大臣の任命の時期から他の国務大臣の任命・内閣の成立までは極めて短い期間であることが憲法上期待されていると解されるためである[4][5]。実際には内閣総理大臣や内閣総理大臣周辺などから入閣予定者に対して、組閣当日は待機するように事前連絡があり、首班指名の後、総理大臣官邸に組閣本部が設置されると、順次官邸に来るよう呼び出しの電話があることが多い。その後、与党による閣僚名簿の了承や、親任式・認証官任命式が併せて行われる。
内閣の職務
憲法73条による職務
- 一般行政事務(憲法73条柱書)
- 法律の執行、国務の総理(憲法73条1号)
- 外交関係の処理(憲法73条2号)
- 条約の締結(憲法73条3号)
- 条約の締結は内閣の職務であるが、その成立、発効には国会の承認が必要とされる。承認は事前が原則であるが、事後であってもよい。
- 官吏(公務員)に関する事務の掌理(憲法73条4号)
- 予算の作成と国会への提出(憲法73条5号)
- 政令の制定(憲法73条6号)
- 大赦、特赦、減刑、刑の執行免除、復権の決定(憲法73条7号)
憲法73条以外の職務
- 天皇の国事行為について助言と承認(憲法3条、憲法7条) - 内閣はその責任を負う
- 最高裁判所長官の指名(憲法6条2項)
- 国会の臨時会の召集の決定(憲法53条)
- 参議院の緊急集会の要求(憲法54条2項)
- 最高裁判所と下級裁判所の裁判官の任命(憲法79条1項、80条1項)
- 予備費の支出(憲法87条)
- 決算の国会への提出(憲法90条)
- 国会に対する財政報告(憲法91条)
閣議
内閣がその職権を行うのは、閣議によるものとされている(内閣法4条1項)。閣議は、内閣総理大臣が主宰し(同条2項)、内閣総理大臣はこの場において、内閣の重要政策に関する基本的な方針その他の案件を発議することもできる(同条)。また、各国務大臣は、案件の如何を問わず、内閣総理大臣に提出して、閣議を求めることができる(同条3項)。
内閣制度発足以来、閣議の議事録は作成されてこなかったが、2014年4月1日から議事録が作成され一部を除き公開されることとなった[6]。
内閣総理大臣は、閣議にかけて決定した方針に基いて、行政各部を指揮監督する(内閣法6条)。主任の大臣の間における権限についての疑義は、内閣総理大臣が、閣議にかけて裁定する(同法7条)。
歴代内閣の呼称
内閣制度発足時より内閣は内閣総理大臣の氏名をもとに◯◯内閣と称されている(例:石橋内閣、福田赳夫内閣)。前職(あるいは元職)の内閣総理大臣が改めて内閣総理大臣に就任して組閣した場合には就任回数を追って第◯次◯◯内閣と称する(例:第2次池田内閣)。
また、一般に内閣総理大臣はそのままに内閣改造が行われた場合には改造内閣と称して区別される(例:三木内閣改造内閣)。2回以上内閣改造が行われた場合には第◯次改造内閣という(例:第2次池田内閣第2次改造内閣)。
組織図
脚注
参考文献
- 鈴木淳『日本の歴史20 維新の構想と展開』講談社、2002年7月。ISBN 4-06-268920-0
関連項目
発足・組織・形態
運営・法律
歴史
その他