ライアン・ハワード
フィラデルフィア・フィリーズ #6 | |
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基本情報 | |
国籍 | アメリカ合衆国 |
出身地 | ミズーリ州セントルイス |
生年月日 | 1979年11月19日(44歳) |
身長 体重 |
6' 4" =約193 cm 240 lb =約108.9 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 左投左打 |
ポジション | 一塁手 |
プロ入り | 2001年 MLBドラフト5巡目(全体140位)でフィラデルフィア・フィリーズから指名 |
初出場 | 2004年9月1日 ブレーブス戦 |
年俸 | $25,000,000(2014年)[1] |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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ライアン・ジェームズ・ハワード(Ryan James Howard, 1979年11月19日 - )は、アメリカ合衆国ミズーリ州セントルイス出身のプロ野球選手(一塁手)。左投左打。現在は、MLBのフィラデルフィア・フィリーズに所属している。
経歴
プロ入り前
1979年11月19日にミズーリ州セントルイスで、二卵性双生児のひとりとして誕生。ハワード家は父がIBM社員で母がマーケティング職という共働き家庭であり、アフリカ系アメリカ人でありながら住民の大半が白人という地域で暮らしていた[2]。野球を始めたきっかけは2歳のときで、テレビの野球中継を観ながらおもちゃのバットを振っていたところ、たまたま部屋に入ってきた父がその滑らかなスウィングに才能を見出したことによる[2]。セントルイス・カージナルスの当時の本拠地球場ブッシュ・メモリアル・スタジアムから車で20分ほどの場所に自宅があり、子供のころ憧れていた野球選手はオジー・スミスやウィリー・マギーだったが[3]、ハワードは彼らと異なる長距離砲タイプとして頭角を現し始める。
その長打力はずば抜けており、母親から「お前は、どの子よりもずっと遠くにボールを飛ばせるね」と語りかけられるほどであった[4]。12歳のときには推定飛距離400フィート(約121.9メートル)の本塁打を放ったといい、その打球はフェンスをはるかに越えて、球場の向かいにあったレストラン "レッドロブスター" の店舗を直撃している[2]。同州ワイルドウッドのラファイエット高校では、アメリカンフットボールこそ怪我を恐れる母親に止められたものの、バスケットボールをしたりトロンボーンを演奏したり、といろいろ楽しんでいた[2]。しかしその中でも一番は野球だった。1998年には、地元の書店でトニー・グウィンが新著発売記念イベントを行うと聞き、本人にサインを貰いに駆けつけた[5]。
サウスウェスト・ミズーリ州立大学(現ミズーリ州立大学)へ進学後は、野球に専念する。
2000年にはアメリカ合衆国代表に選出されたが、木製バットに対応できずに評価を下げた[3]。日米大学野球選手権大会では山村路直や石川雅規と対戦するも、1試合4三振を含む3試合11打数2安打に抑えられ「日本の投手はフォークボールが多くて、あんまり好きじゃない」とコメントしている[4]。
2001年にも、ドラフト会議開催直前にスランプに陥った[6]。
1999年から2001年までの3年間の通算成績は、172試合で打率.335・50本塁打・183打点[7]。
プロ入り後
2001年のMLBドラフトでドラフト5巡目(全体140位)とやや低い順位でフィラデルフィア・フィリーズから指名された。およそ1か月後の7月2日にフィリーズと入団契約を交わしたハワードは、傘下のマイナーリーグでプロとしてのスタートを切る。
マイナー時代
2003年にはAdv-A級クリアウォーターで所属するフロリダ・ステートリーグのMVPを受賞した[8]。
2004年はAA級レディングでシーズン開幕を迎える。ここでハワードは102試合に出場し、打率.297・37本塁打・102打点・OPS 1.033という成績を残した。チームが本拠地を置くペンシルベニア州レディングは、フィリーズの本拠地である同州フィラデルフィアと60マイル(約96.5km)ほどしか離れておらず、そのためハワードの活躍は、球団広報が「記憶にない」と言うほどメディアの注目を集めた[9]。7月末にはAAA級スクラントン・ウィルクスバリへ昇格し、ここでも29試合で9本塁打を放つ。両クラス合計での46本塁打・131打点という数字は1956年以降のマイナーリーグでは史上5人目という成績であり、シーズン終了後にはAA級イースタンリーグのMVPを受賞した[8]。
メジャー昇格
イースタンリーグMVPが発表されるおよそ1か月前の9月1日にメジャー昇格し、同日のブレーブス戦でデビュー。5回裏一死一塁の場面で代打として登場するも、ジャレット・ライトの前に見逃し三振に倒れた[10]。このときのフィリーズはジム・トーミを正一塁手としていたため、ハワードの起用法は10月3日の閉幕まで代打中心に。メジャー初本塁打は9月11日のメッツ戦で、7回表無死二塁の場面でやはり代打として登場、バルトロメ・フォルトゥナートから放っている[11]。フィリーズはトーミとハワードの両立を図り、シーズン終了後のアリゾナ秋季リーグや翌2005年のスプリングトレーニングでハワードに外野守備の練習をさせたが、結果はあまり良くなかった[12]。
最終的にコンバートは立ち消えとなり、ハワードは開幕メジャー入りはならず。2005年もシーズン開幕をAAA級スクラントン・ウィルクスバリで迎えることになる。5月3日にトーミが背中を痛めて故障者リスト入りしたため、一度はメジャーへ昇格するも[13]、12試合で打率.214・OPS.660と結果を残すことができず、21日のトーミ復帰とともにAAA級へと戻された。しかし7月1日になって、トーミが今度は右肘を痛めて再び故障者リスト入りとなり、ハワードは再昇格を果たす[14]。このときハワードは、5月の不振の反省から「自分で余計なプレッシャーをかけないようにした」という[12]。その結果、翌2日から前半戦終了までの9試合で打率.278・2本塁打・10打点・OPS.825を記録。後半戦に入っても、7月19日のドジャース戦では延長10回に逆転サヨナラ本塁打[15]、8月10日の同じカードでは9回に勝ち越し満塁本塁打[16]、と印象的な活躍を続けた。9月には月間10本塁打。最終的なシーズン成績は、88試合で打率.288・22本塁打・63打点・OPS.923となった。シーズン終了後、ハワードはナ・リーグ新人王を受賞した[17]。
ハワードの台頭を受け、フィリーズはハワードを正一塁手として起用することを決断する。これにより、まだ契約が3年残っているトーミはホワイトソックスへトレードで放出された。2006年、開幕戦に6番・一塁として先発出場したハワードは[18]、前半戦だけで28本塁打・71打点を挙げ、7月にはオールスター初選出。前日に行われた本塁打競争で優勝した[19]。後半戦は打順が4番になってさらに成績を上げ、75試合で打率.355・30本塁打・78打点・OPS 1.259を記録。8月と9月の2か月連続でナ・リーグ月間MVPを受賞した。特に8月の41打点は、フランク・ハワードが1962年7月に記録して以来の多さであった[20]。シーズン通算成績は打率.313・58本塁打・149打点・OPS 1.084となり、本塁打王と打点王の二冠を獲得。58本塁打は、1980年にマイク・シュミットが記録した球団記録を10本上回っていた。また敬遠37はメジャーで2番目に多い。この活躍が評価され、シーズン終了後にハワードはナ・リーグMVPに選ばれた[21]。
シーズン終了後に日米野球で訪日すると、6試合で5本塁打を放ち、そのパワーを日本のファンにも見せつけた。
ワールドシリーズ優勝へ
2007年は左膝を痛めたこともあり開幕から不調で、5月10日から5月25日にかけて故障者リスト入りを余儀なくされた。しかし復帰後は本塁打・打点を量産。6月27日のレッズ戦で本塁打を放ち、通算325試合目で100本塁打を達成した。これはラルフ・カイナーの385試合を上回るメジャー最速記録である[22]。シーズン通算では47本塁打・136打点(共にリーグ2位[23])を記録している。しかしその一方で、左投手の変化球攻めにてこずるなどしたため三振も多く[24]、9月27日のブレーブス戦では2三振を喫し、シーズン197三振を記録。アダム・ダンが2004年に記録した195三振を超えシーズン三振記録を更新し、その後199三振まで記録を伸ばした。
3シーズンを過ごしたことで年俸調停権を得たハワードは、2008年の年俸として1,000万ドルを要求。これに対して球団側は700万ドルを提示し、交渉は平行線を辿った。調停の結果ハワード側の主張が認められ、年俸1,000万ドルの契約を勝ち取った。これは調停権取得初年度の選手としてはMLB歴代最高額の契約であり[25]、また前年の年俸90万ドルから10倍以上の大幅昇給となった。
この年のシーズン序盤は前年同様不調で、50試合に出場した5月23日終了時点で打率.202・出塁率.302と低迷。それでも監督のチャーリー・マニエルは、ハワードがかつてのアルバート・ベルのように味方打線全体にいい影響を及ぼす打者であるとの評価から、4番打者として起用し続けた[26]。結局、オールスターゲームまでに28本塁打・84打点(共にリーグトップ)を挙げたが、低打率や他チームの一塁手との兼ね合いのためオールスター選出を逃す。本塁打・打点の2部門でリーグ1位にいながらオールスターに選ばれなかったのは1948年のハンク・サウアー以来60年ぶりだった[27]。それでもオールスター終了後の後半戦になると調子を上げ、9月には打率.352・11本塁打・32打点・OPS 1.274という成績を残して月間MVPを受賞。この時期にはチームも17勝8敗・勝率.680と勝ちを重ね、同月終了=レギュラーシーズン終了時にはチームは2年連続の地区優勝、そしてハワードは本塁打王と打点王のタイトルを2年ぶりに獲得した。
ポストシーズンでは、地区シリーズ及びリーグ優勝決定戦の9試合で本塁打なしに終わったが、レイズとの対戦となったワールドシリーズでは3本塁打・6打点を記録。特に第4戦では、1点差に迫られた直後の4回裏に3点本塁打を打って相手を突き放すと、8回裏にも2点本塁打を放った。チームは4勝1敗でシリーズを制し、28年ぶり2度目の世界一となった。
2009年以降
シリーズ終了後、ハワードは2009年の年俸として1,800万ドルを要求。これに対して球団側は1,400万ドルを提示した。2009年2月8日、両者は年俸調停突入を回避し、3年総額5,400万ドルで契約を延長することで合意に達した[28]。年平均では1,800万ドルとなり、事実上ハワードの要求が受け入れられた格好となった。同年のシーズンでは、7月17日のマーリンズ戦で本塁打を放ち、通算200本塁打を達成。この試合はデビューから658試合目であり、ラルフ・カイナーの706試合を抜く史上最速での200号到達となった[29]。また、3年ぶりにオールスター選出も果たした。生まれ故郷セントルイスでのオールスターゲームであったため、ブッシュ・スタジアムの観客からは地元カージナルスの選手にも劣らないほどの大声援で迎えられた[30]。また、このシーズンは自己最多の8盗塁を記録している。
2010年は、打率.276・31本塁打・108打点という打撃成績を記録したが、規定打席に初めて到達(2006年)して以降、毎年45本塁打と135打点以上の数字を記録していた時と比べると、それらの数字に14本塁打・27打点も及ばない数字にとどまった。この原因として友成那智は、8月1日に足首を痛めて3週間DL入りした影響が大きいとしている[31]。
2011年、フィリーズの地区5連覇に貢献し、打率.253・33本塁打・116打点を記録するも前年からの故障の影響もあり物足りない成績に終わる。さらにポストシーズン、セントルイス・カージナルスとのナ・リーグ地区シリーズ第5戦、9回に最後の打者でゴロを放って一塁に向かった直後、顔をしかめて倒れ込む。精密検査でアキレス腱断裂が確認され、腫れが引いてから手術を行うことになり、フ軍は「復帰時期は分からないが、来春のキャンプに間に合う保証はない」とコメント。復帰まで一般的には6カ月程度を要すため、来季開幕も絶望となった。[32]
2012年は、前年にしたアキレス腱断裂の影響で復帰が遅れ、71試合で打率.219・14本塁打・56打点と大幅に成績を落とした。
2013年、2年連続で故障に苦しめられたシーズンとなる。7月の試合前の練習で膝を痛め、半月板断裂により手術を受ける事になった[33]。手術の影響で長期欠場を余儀なくされ、シーズン約半分に当たる80試合の出場に終わる。打率こそ大きく上昇させ.266とするものの、11本塁打・43打点はいずれも前年以下の数字に終わった。
2014年、3年ぶりとなるシーズンフル出場 (153試合) を果たし、規定打席に到達した。しかし、往年の破壊力は見る影もなく、打率.223・23本塁打・95打点 (リーグ4位) という成績に終わり、シーズン通じて低打率に終始した。リーグワーストの190三振を喫し、自身5度目となるシーズン180三振以上を喫した。守備力も相変わらずで、ファーストで9失策・DRS-10 (自身ワースト2位) に終わった。
2015年は129試合に出場し、2年連続でぎりぎり規定打席に達した。打撃面では通算350本塁打を達成した事がハイライトで、打率.229・23本塁打・77打点・OPS0.720と2年連続で低調な成績に終わった。出場試合数を超える138三振を喫し、ここ2シーズンでの計46本塁打は、全盛期であれば1シーズンで放てる本数だった。ファーストの守備は、116試合で守りに就いて6失策・守備率.994・DRS - 9という内容で、こちらも相変わらずであった。
選手としての特徴
ナショナルリーグのMVPを1回、本塁打王を2回、打点王を3回獲得した強打者。かつてフィリーズで活躍した強打者であるマイク・シュミットは「私どころか、絶好調時のハワードは全盛期のバリー・ボンズよりさらに危険な打者かもしれない」と語っている[6]。
MLBを代表する長距離打者で、規定打席に到達した2006年から2010年までの5シーズンで平均45.8本塁打・136打点を挙げている。しかし打率は2006年から下降傾向にあり、それに伴い長打率も下落している。そのため、コラムニストのジョー・ポスナンスキーはハワードを「『最強打者』ではなく『最高のホームランバッター』である」と評価している[34]。打率の低さに対してハワード自身は「自分の役割は打点を稼ぐことだ。もちろん打率は高い方がいいけど、打率を上げるための打撃をするつもりはない。そのためにフォームを崩したり、自分の特長である長打力が消えてしまったりする危険性があるからね」と語っている[26]。
打撃フォームは、最初の構えからスウィングが始まるまでグリップ位置をほとんど動かさず、その代わりに左肘を高く上げることによって腕にパワーを蓄え、右足で壁を作ってスウィングすることで溜め込んだパワーをボールに伝えている[35]。元々の体が大きいので[2]、このスイングによって生み出されるパワーはMLBでも屈指のものとなる。また、打撃の特徴として、左翼方向へ流し打っての本塁打が多い。デビューした2004年から2010年までの計253本塁打のうち、左翼・左中間方向へのものが全体の40.3%にあたる102本あり、右翼・右中間方向へのもの(89本 / 35.2%)より多い[36]。本人は「(打席で)リラックスすればするほどスウィングは鋭さを増し、集中すればするほどバットの出だしは遅くなる(=左翼方向への打球が増える)」と語っている[37]。
シーズン終盤に大きく成績を伸ばすことでも知られている。2010年までの7年間におけるハワードのレギュラーシーズン9月・10月の成績は、打率.307・OPS 1.084と他の月よりも向上している[38]。これについて本人は「9月に好調な理由? いろいろ言われているけど、はっきりした答えはないよ」としつつも、チームのポストシーズン進出争いを挙げ「やはりビッグゲームになるほど燃えるタイプなんだと思う」と話している[26]。その一方で、左腕投手には打率.234・OPS.767と抑え込まれ[38]、三振数では2006年から2009年まで4年連続で180以上を喫してリーグ2位以内に入るなど、短所もある。
走塁や守備は平均以下である。盗塁はほとんど試みず、メジャー初盗塁は2007年8月21日のドジャース戦で、通算1572打席目に中前打を放った後で達成した。初盗塁までに費やした打席数としては史上5位(投手は除く)であり、この試合の翌日にはチームメイトから記念の二塁ベースを贈られたという[39]。一塁守備では、2010年に守備防御点-14という数値が算出されている[40]。
詳細情報
年度別打撃成績
年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2004 | PHI | 19 | 42 | 39 | 5 | 11 | 5 | 0 | 2 | 22 | 5 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 1 | 13 | 2 | .282 | .333 | .564 | .897 |
2005 | 88 | 348 | 312 | 52 | 90 | 17 | 2 | 22 | 177 | 63 | 0 | 1 | 0 | 2 | 33 | 8 | 1 | 100 | 6 | .288 | .356 | .567 | .924 | |
2006 | 159 | 704 | 581 | 104 | 182 | 25 | 1 | 58 | 383 | 149 | 0 | 0 | 0 | 6 | 108 | 37 | 9 | 181 | 7 | .313 | .425 | .659 | 1.084 | |
2007 | 144 | 648 | 529 | 94 | 142 | 26 | 0 | 47 | 309 | 136 | 1 | 0 | 0 | 7 | 107 | 35 | 5 | 199 | 13 | .268 | .392 | .584 | .976 | |
2008 | 162 | 700 | 610 | 105 | 153 | 26 | 4 | 48 | 331 | 146 | 1 | 1 | 0 | 6 | 81 | 17 | 3 | 199 | 11 | .251 | .339 | .543 | .881 | |
2009 | 160 | 703 | 616 | 105 | 172 | 37 | 4 | 45 | 352 | 141 | 8 | 1 | 0 | 6 | 75 | 8 | 6 | 186 | 11 | .279 | .360 | .571 | .931 | |
2010 | 143 | 620 | 550 | 87 | 152 | 23 | 5 | 31 | 278 | 108 | 1 | 1 | 0 | 3 | 59 | 11 | 8 | 157 | 14 | .276 | .353 | .505 | .859 | |
2011 | 152 | 644 | 557 | 81 | 141 | 30 | 1 | 33 | 272 | 116 | 1 | 0 | 0 | 5 | 75 | 16 | 7 | 172 | 10 | .253 | .346 | .488 | .835 | |
2012 | 71 | 292 | 260 | 28 | 57 | 11 | 0 | 14 | 110 | 56 | 0 | 0 | 0 | 3 | 25 | 7 | 4 | 99 | 8 | .219 | .295 | .423 | .718 | |
2013 | 80 | 317 | 286 | 34 | 76 | 20 | 2 | 11 | 133 | 43 | 0 | 0 | 0 | 6 | 23 | 4 | 2 | 95 | 6 | .266 | .319 | .465 | .784 | |
2014 | 153 | 648 | 569 | 65 | 127 | 18 | 1 | 23 | 216 | 95 | 0 | 0 | 0 | 5 | 67 | 7 | 7 | 190 | 10 | .223 | .310 | .380 | .690 | |
2015 | 129 | 503 | 467 | 53 | 107 | 29 | 1 | 23 | 207 | 77 | 0 | 0 | 0 | 3 | 27 | 2 | 5 | 138 | 11 | .229 | .277 | .443 | .720 | |
通算:12年 | 1460 | 6169 | 5376 | 813 | 1410 | 267 | 21 | 357 | 2790 | 1135 | 12 | 4 | 0 | 52 | 682 | 152 | 58 | 1729 | 109 | .262 | .349 | .519 | .868 |
- 2015年度シーズン終了時。
- 太字はリーグ1位。
獲得タイトル
受賞
- ナショナルリーグ新人王:2005年
- ナショナルリーグMVP 1回:2006年
- ナショナルリーグ シルバースラッガー賞 1回:2006年
- ナショナルリーグ ハンク・アーロン賞 1回:2006年
記録
- 100本塁打最速記録「325試合」
- 150本塁打最速記録「495試合」
- 200本塁打最速記録「658試合」
- 250本塁打最速記録「855試合」
- 通算1000打数での本塁打数「85」
- 通算満塁本塁打数「9」(フィリーズ球団記録)
- 9イニング試合での故意四球数「5」(ナ・リーグタイ記録 2006)
- 1シーズンでの本塁打数「58」(フィリーズ球団記録 2006)
- 故意四球数「37」(フィリーズ球団記録 2006)
- シーズン三振数「199」(フィリーズ球団記録 2007 2008)
- オールスターゲーム選出 3回:2006年、2009年、2010年
代表歴
脚注
- ^ “Ryan Howard Contract, Salaries, and Transactions” (英語). Spotrac.com. 2013年11月26日閲覧。
- ^ a b c d e Michael Sokolove, "Ryan Howard, No Asterisk," New York Times, March 4, 2007. 2008年12月31日閲覧。
- ^ a b 福島良一 「FACE IN THE CROWD」 『週刊ベースボール』2005年12月5日号、ベースボール・マガジン社、2005年、雑誌20441-12/5、85頁。
- ^ a b 臼田雄一 「イオン日米野球2006 11月2日開幕(1) R・ハワード(フィリーズ)自然体の長距離砲」 『読売新聞』2006年10月24日付朝刊、24面。
- ^ Ken Mandel / MLB.com, "Notes: Phils' pair admires Gwynn / Rollins, Howard glad to witness Saturday's ceremony," MLB.com, July 22, 2007. 201年5月3日閲覧。
- ^ a b 杉浦大介 「パワー全開/ナ・リーグ二冠王 ライアン・ハワード[フィリーズ]」 『月刊スラッガー』2006年12月号、日本スポーツ企画出版社、2006年、雑誌15509-12、14-17頁。
- ^ Courtesy: MSU Athletics Communications, "Ryan Howard Returns to Campus Saturday for Jersey Retirement Ceremony," MissouriStateBears.com, December 15, 2010. 2011年5月3日閲覧。
- ^ a b "Howard named Eastern League MVP," phillies.com, September 30, 2004. 2011年5月1日閲覧。
- ^ Benjamin Hill / MLB.com, "Path of the Pros: Ryan Howard / Future MVP's career really took flight in Double-A Reading in '04," The Official Site of Minor League Baseball, September 21, 2009. 2011年5月1日閲覧。
- ^ "Sep 1, 2004, Braves at Phillies Box Score and Play by Play," Baseball-Reference.com. 2011年5月1日閲覧。
- ^ "Sep 11, 2004, Phillies at Mets Box Score and Play by Play," Baseball-Reference.com. 2011年5月1日閲覧。
- ^ a b 大冨真一郎 「新人王★ライアン・ハワード[フィリーズ] RYAN HOWARD/恐るべき爆発力」 『月刊メジャー・リーグ』2006年1月号、ベースボール・マガジン社、2005年、雑誌08625-1、30-31頁。
- ^ Ken Mandel / MLB.com, "Phils put Thome, Lofton on 15-day DL / Recall Howard, Byrd from Triple-A Scranton/Wilkes-Barre," phillies.com, May 3, 2005. 2011年5月1日閲覧。
- ^ Ken Mandel / MLB.com, "Thome lands on 15-day disabled list / Pain in right elbow sidelines slugger; Howard called up," phillies.com, July 1, 2005. 2011年5月1日閲覧。
- ^ "Jul 19, 2005, Dodgers at Phillies Play by Play and Box Score," Baseball-Reference.com. 2011年5月1日閲覧。
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- ^ "Apr 3, 2006, Cardinals at Phillies Box Score and Play by Play," Baseball-Reference.com. 2011年5月1日閲覧。
- ^ Associated Press, "Howard's end: Phillies 1B wins Home Run Derby," ESPN.com, July 11, 2006. 2011年5月1日閲覧。
- ^ Conor Nicholl / MLB.com, "Howard NL's best player in August / Slugger belted 14 homers, kept Phils in Wild Card race," phillies.com, September 5, 2006. 2008年12月31日閲覧。
- ^ Associated Press, "Howard beats out Pujols to win NL MVP award," ESPN.com, November 22, 2006. 2011年5月1日閲覧。
- ^ Ken Mandel / MLB.com, "Howard fastest in history to 100 homers / Phillies first baseman tops Kiner's record in 325th career game," phillies.com, June 28, 2007. 2008年12月31日閲覧。
- ^ ただし、レギュラーシーズンが終了した時点ではハワードの136打点はリーグ1位だった。この年はワイルドカード争いでロッキーズとパドレスが90勝72敗で並んだため、ワンゲーム・プレイオフが行われることに。このプレイオフの成績はレギュラーシーズンの成績に含まれ、そこでマット・ホリデイ(ロッキーズ)が2打点を挙げてシーズン137打点でハワードを逆転したため、ハワードは2年連続の打点タイトルを逃すこととなった。
- ^ 友成那智、村上雅則『メジャーリーグ・完全データ選手名鑑 2008』廣済堂出版、2008年、259頁頁。ISBN 978-4-331-51300-2。
- ^ Associated Press, "Howard's $10M win in arbitration sets new high-water mark," ESPN.com, February 22, 2008. 2008年3月25日閲覧。
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- ^ "Ryan Howard Fielding Statistics and History," Baseball-Reference.com. 2011年5月1日閲覧。
関連項目
外部リンク
- 選手の通算成績と情報 MLB、ESPN、Baseball-Reference、Fangraphs、The Baseball Cube、Baseball-Reference (Register)
- Ryan Howard stats MiLB.com (英語)
- Ryan Howard (@ryanhoward) - X(旧Twitter)