「日本人」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
整理
18行目: 18行目:
| region4 = {{flag|Philippines}}
| region4 = {{flag|Philippines}}
| pop4 = 120,000
| pop4 = 120,000
| ref4 = <ref>[http://search.japantimes.co.jp/cgi-bin/nn20061011f1.html Japan news, commentary, culture, sports | The Japan Times]. Search.japantimes.co.jp. Retrieved on 2013-08-24.</ref><ref>{{cite journal | url = http://books.google.com/?id=litYzL0GYSkC&pg=PA97&lpg=PA97#v=onepage&q&f=false | title = Japanese diasporas: Unsung pasts, conflicting presents, and uncertain futures | isbn = 978-0-415-77035-4 | author1 = Adachi | first1 = Nobuko | date = 2006-05-30}}</ref>
| ref4 = <ref>[http://search.japantimes.co.jp/cgi-bin/nn20061011f1.html Japan news, commentary, culture, sports | The Japan Times]{{リンク切れ|date=2017年3月}}. Search.japantimes.co.jp. Retrieved on 2013-08-24.</ref><ref>{{cite journal | url = http://books.google.com/?id=litYzL0GYSkC&pg=PA97&lpg=PA97#v=onepage&q&f=false | title = Japanese diasporas: Unsung pasts, conflicting presents, and uncertain futures | isbn = 978-0-415-77035-4 | author1 = Adachi | first1 = Nobuko | date = 2006-05-30}}</ref>
| region5 = {{flag|Canada}}
| region5 = {{flag|Canada}}
| pop5 = 109,740
| pop5 = 109,740
45行目: 45行目:
| region13 = &nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;{{NCL}}
| region13 = &nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;{{NCL}}
| pop13 = 8,000
| pop13 = 8,000
| ref13 = <ref>[http://www.newcaledonia.co.nz/downloads/newcal-weekly-08-08-22.pdf Tourism New Caledonia | Prepare your trip in New Caledonia<!-- Bot generated title -->]</ref>
| ref13 = <ref>[http://www.newcaledonia.co.nz/downloads/newcal-weekly-08-08-22.pdf Tourism New Caledonia | Prepare your trip in New Caledonia<!-- Bot generated title -->]{{リンク切れ|date=2017年3月}}</ref>
| region14 = {{flag|South Korea}}
| region14 = {{flag|South Korea}}
| pop14 = 28,320
| pop14 = 28,320
66行目: 66行目:
| region20 = {{flag|Bolivia}}
| region20 = {{flag|Bolivia}}
| pop20 = 14,000
| pop20 = 14,000
| ref20 = <ref>[http://www.fenaboja.com/ ボリビア日系協会連合会(FENABOJA)<!-- Bot generated title -->]</ref>
| ref20 = <ref>[http://www.fenaboja.com/ ボリビア日系協会連合会 (FENABOJA)<!-- Bot generated title -->]</ref>
| region21 = {{flag|New Zealand}}
| region21 = {{flag|New Zealand}}
| pop21 = 13,447
| pop21 = 13,447
87行目: 87行目:
| region27 = {{flag|Bangladesh}}
| region27 = {{flag|Bangladesh}}
| pop27 = 8,114
| pop27 = 8,114
| ref27 = <ref>{{cite web| title= Bangladesh Japanese Population| url=http://www.foreignbangladesh.com|accessdate=2016-2-12}}</ref>
| ref27 = <ref>{{cite web| title= Bangladesh Japanese Population| url=http://www.foreignbangladesh.com|accessdate=2016-2-12|deadlinkdate=2017-3-21}}</ref>
| region28 = {{flag|Spain}}
| region28 = {{flag|Spain}}
| pop28 = 7,046
| pop28 = 7,046
99行目: 99行目:
| region31 = {{flag|Marshall Islands}}
| region31 = {{flag|Marshall Islands}}
| pop31 = 6,000
| pop31 = 6,000
| ref31 = <ref>[http://www.kitsapsun.com/news/2006/jun/10/pacific-islands-president-bainbridge-lawmakers/?printer=1/# Pacific Islands President, Bainbridge Lawmakers Find Common Ground » Kitsap Sun<!-- Bot generated title -->]</ref>
| ref31 = <ref>[http://www.kitsapsun.com/news/2006/jun/10/pacific-islands-president-bainbridge-lawmakers/?printer=1/# Pacific Islands President, Bainbridge Lawmakers Find Common Ground » Kitsap Sun<!-- Bot generated title -->]{{リンク切れ|date=2017年3月}}</ref>
| region32 = {{flag|India}}
| region32 = {{flag|India}}
| pop32 = 5,556
| pop32 = 5,556
123行目: 123行目:
近年、最初に日本列島に住んだ後期旧石器時代人(縄文人)は[[古モンゴロイド]]であり、縄文晩期以降になって日本列島に渡ってきた農耕民は[[新モンゴロイド]]であると言われている。新モンゴロイドの影響が直接及ばなかった[[アイヌ]]は古モンゴロイド的形質をそのまま残していると解されているほか、地理的に本土から隔離された南西諸島の人々は新モンゴロイド的形質が比較的薄い傾向にある。これらの分析では、[[埴原和郎]]や[[尾本恵市]]などが、W・W・ハウエルズの分類によるモンゴロイドの二型(古モンゴロイドと新モンゴロイド)を用いている<ref>前掲 『世界大百科事典』21、447-448頁。</ref>。
近年、最初に日本列島に住んだ後期旧石器時代人(縄文人)は[[古モンゴロイド]]であり、縄文晩期以降になって日本列島に渡ってきた農耕民は[[新モンゴロイド]]であると言われている。新モンゴロイドの影響が直接及ばなかった[[アイヌ]]は古モンゴロイド的形質をそのまま残していると解されているほか、地理的に本土から隔離された南西諸島の人々は新モンゴロイド的形質が比較的薄い傾向にある。これらの分析では、[[埴原和郎]]や[[尾本恵市]]などが、W・W・ハウエルズの分類によるモンゴロイドの二型(古モンゴロイドと新モンゴロイド)を用いている<ref>前掲 『世界大百科事典』21、447-448頁。</ref>。


かつては約3万年前に大陸から渡来して[[先土器時代]]・[[縄文時代]]の[[文化]]を築いた先住民を、[[大陸]]から渡来した今の日本人の祖先が駆逐したとする説があったが、現在は[[分子人類学]]の進展により完全駆逐説は否定され、混血説が主流となっている<ref>溝口優司(国立科学博物館人類研究部長)『アフリカで誕生した人類が日本人になるまで』日本人の成り立ちについてのつの仮説(P173)</ref>。
かつては約3万年前に大陸から渡来して[[先土器時代]]・[[縄文時代]]の[[文化]]を築いた先住民を、[[大陸]]から渡来した今の日本人の祖先が駆逐したとする説があったが、現在は[[分子人類学]]の進展により完全駆逐説は否定され、混血説が主流となっている<ref>溝口優司(国立科学博物館人類研究部長)『アフリカで誕生した人類が日本人になるまで』日本人の成り立ちについての3つの仮説 (P173)</ref>。


=== 定義と分類 ===
=== 定義と分類 ===
148行目: 148行目:


==== 縄文人と弥生人 ====
==== 縄文人と弥生人 ====
先史時代の日本列島に住んでいた人間を縄文土器を使用していたことに因み[[縄文人]]と呼んでいる<ref>なお、[[佐原真]]はこの語の原義である「縄紋土器を使用していた人間」ということを強調するために「縄紋人」という呼称を提唱している。</ref>。水稲農耕が始まった[[弥生時代]]の日本列島に居住する人間を[[弥生時代#弥生人の特徴|弥生人]]と呼んでいる。[[佐原真]]は弥生人について、渡来系の人々とその子孫、渡来系と縄文人が混血した人々とその子孫などの弥生人(渡来系)と、縄文人が弥生文化を受け入れて変化した弥生人(縄文系)に区別できるとした。ただし弥生時代において縄文文化のみを保持するものや渡来した後縄文文化を受け入れたものについては言及すらしていない<ref>[http://100.yahoo.co.jp/detail/%E5%BC%A5%E7%94%9F%E6%96%87%E5%8C%96/%E5%BC%A5%E7%94%9F%E4%BA%BA/ 『日本大百科全書』(小学館)「弥生文化」の項]参照。</ref>。渡来系の人々の移動ルートについては諸説ある(下記「学説」参照)
先史時代の日本列島に住んでいた人間を縄文土器を使用していたことに因み[[縄文人]]と呼んでいる<ref>なお、[[佐原真]]はこの語の原義である「縄紋土器を使用していた人間」ということを強調するために「縄紋人」という呼称を提唱している。</ref>。水稲農耕が始まった[[弥生時代]]の日本列島に居住する人間を[[弥生時代#弥生人の特徴|弥生人]]と呼んでいる。[[佐原真]]は弥生人について、渡来系の人々とその子孫、渡来系と縄文人が混血した人々とその子孫などの弥生人(渡来系)と、縄文人が弥生文化を受け入れて変化した弥生人(縄文系)に区別できるとした。ただし弥生時代において縄文文化のみを保持するものや渡来した後縄文文化を受け入れたものについては言及すらしていない<ref>[http://100.yahoo.co.jp/detail/%E5%BC%A5%E7%94%9F%E6%96%87%E5%8C%96/%E5%BC%A5%E7%94%9F%E4%BA%BA/ 『日本大百科全書』(小学館)「弥生文化」の項]{{リンク切れ|date=2017年3月}}参照。</ref>。渡来系の人々の移動ルートについては諸説ある。


==== 倭人 ====
==== 倭人 ====
{{See|倭人}}
{{See|倭人}}
倭、倭人に関する記載は、もっとも古い文献では紀元前2世紀に中国の『[[山海経]]』と『[[論衡]]』にて登場するが、これらの記載は中国南東部の倭人のことを指しているとする説と日本列島の倭人のことを指しているとする説<ref>http://www.japanology.cn/japanese/book/nihonzo/01/1.htm/ 『中国史のなかの日本像』王勇]参照。</ref>があり、日本列島住民との関わりは不明である<ref>[[佐々木高明]]『日本文化の多重構造?アジア的視野から日本文化を再考する』小学館,1997,p.112。</ref>。日本列島周辺の倭人について書かれた確実な初出は75年から88年にかけて書かれた『[[漢書]]』地理志で、百余りの倭人の国々が[[楽浪郡|楽浪]]の海にあるとしている。この頃には近隣の漢民族が倭人を別民族として区別していたことがわかる。(詳しくは[[中華]]思想を参照。)また、朝鮮半島南部においても近年倭人の墓とされる前方後円墳が発見されており、1600年以上前には朝鮮半島南部も倭人の居住地だったとみられている。<ref>https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%89%8D%E6%96%B9%E5%BE%8C%E5%86%86%E5%A2%B3</ref>
倭、倭人に関する記載は、もっとも古い文献では紀元前2世紀に中国の『[[山海経]]』と『[[論衡]]』にて登場するが、これらの記載は中国南東部の倭人のことを指しているとする説と日本列島の倭人のことを指しているとする説<ref>http://www.japanology.cn/japanese/book/nihonzo/01/1.htm/ 『中国史のなかの日本像』王勇]{{リンク切れ|date=2017年3月}}参照。</ref>があり、日本列島住民との関わりは不明である<ref>[[佐々木高明]]『日本文化の多重構造?アジア的視野から日本文化を再考する』小学館,1997,p.112。</ref>。日本列島周辺の倭人について書かれた確実な初出は75年から88年にかけて書かれた『[[漢書]]』地理志で、百余りの倭人の国々が[[楽浪郡|楽浪]]の海にあるとしている。この頃には近隣の漢民族が倭人を別民族として区別していたことがわかる。(詳しくは[[中華思想]]を参照。)また、朝鮮半島南部においても近年倭人の墓とされる[[前方後円墳]]が発見されており、1600年以上前には朝鮮半島南部も倭人の居住地だったとみられている。


==== 「日本民族」の形成 ====
==== 「日本民族」の形成 ====
[[古墳時代]]、朝廷権力の拡大とともに「日本」という枠組みの原型が作られ、その後、文化的・政治的意味での日本民族が徐々に形作られていくとされる。
[[古墳時代]]、朝廷権力の拡大とともに「日本」という枠組みの原型が作られ、その後、文化的・政治的意味での日本民族が徐々に形作られていくとされる。


「日本人」「日本民族」という認識(ナショナル[[アイデンティティ]])が形成され浸透していく経緯については諸説あり、ヤマト王権の支配が広い地域に及ぶ以前の[[弥生時代]]から[[倭人]]として一定の民族的統合があったとする説、また[[律令制]]を導入し国家祭祀体制を確立させた[[7世紀]]後期の[[天武天皇|天武]]・[[持統天皇|持統]]期([[飛鳥時代]]後期)にその起源を置く説、[[13世紀]]の[[元寇]]([[鎌倉時代]]中期)が国内各層に「日本」、「日本人」意識を浸透させていく契機となったとする見解などがある。
「日本人」「日本民族」という認識(ナショナルアイデンティティ)が形成され浸透していく経緯については諸説あり、ヤマト王権の支配が広い地域に及ぶ以前の[[弥生時代]]から[[倭人]]として一定の民族的統合があったとする説、また[[律令制]]を導入し国家祭祀体制を確立させた[[7世紀]]後期の[[天武天皇|天武]]・[[持統天皇|持統]]期([[飛鳥時代]]後期)にその起源を置く説、[[13世紀]]の[[元寇]]([[鎌倉時代]]中期)が国内各層に「日本」、「日本人」意識を浸透させていく契機となったとする見解などがある。


[[奈良盆地|大和盆地]]の[[大王]]を中心とした連合政権である[[ヤマト王権]](大和朝廷)が成立すると、[[本州]]、[[四国]]、[[九州]]の住民の大半は[[大和民族]]として統合された。東北の[[蝦夷]]や南九州の[[熊襲]]と呼ばれた諸部族は大和朝廷に服属せず、抵抗した。その後、それらの諸部族は[[隼人の反乱]]の失敗や[[坂上田村麻呂]]の蝦夷征伐などにより、大和朝廷の下に統合されていった。[[白村江の戦い]]以後、倭国は長年支配した朝鮮半島から手を引いたが、代わりに東北日本へ進出し、現在の[[青森県]]にあたる本州最北部までを統一する。朝廷の支配が揺らいだ平安時代の[[東日本]]では、[[平将門]]の将門政権や[[奥州藤原氏]]の平泉政権など半独立政権が築かれたものの、東日本と[[西日本]]の民族的統合は保たれ、後に[[関東地方]]を基盤とした[[武家政権]]が全国を支配することとなった。
[[奈良盆地|大和盆地]]の[[治天下大王|大王]]を中心とした連合政権である[[ヤマト王権]](大和朝廷)が成立すると、[[本州]]、[[四国]]、[[九州]]の住民の大半は[[大和民族]]として統合された。東北の[[蝦夷]]や南九州の[[熊襲]]と呼ばれた諸部族は大和朝廷に服属せず、抵抗した。その後、それらの諸部族は[[隼人の反乱]]の失敗や[[坂上田村麻呂]]の蝦夷征伐などにより、大和朝廷の下に統合されていった。[[白村江の戦い]]以後、倭国は長年支配した朝鮮半島から手を引いたが、代わりに東北日本へ進出し、現在の[[青森県]]にあたる本州最北部までを統一する。朝廷の支配が揺らいだ平安時代の[[東日本]]では、[[平将門]]の将門政権や[[奥州藤原氏]]の平泉政権など半独立政権が築かれたものの、東日本と[[西日本]]の民族的統合は保たれ、後に[[関東地方]]を基盤とした[[武家政権]]が全国を支配することとなった。


==== 国民国家の認識 ====
==== 国民国家の認識 ====
166行目: 166行目:
日本が近代[[国民国家|ネーションステート]](国民 / 民族国家)として[[朝鮮半島]]や[[台湾|台湾島]]を領有していた時代には、'''日本人'''という語は、公式には、朝鮮人、台湾人など日本国籍を付与された併合地の[[先住民族]]を含む国籍的概念であった。[[大日本帝国]]が[[多民族国家]]であることは強く意識され、現在の日本国民に相当する人々は「[[大日本帝国#国民|内地人]]」と呼ばれた。ただし、当該の先住民族の間では「日本人」が内地人と同義として使われることが多かった。
日本が近代[[国民国家|ネーションステート]](国民 / 民族国家)として[[朝鮮半島]]や[[台湾|台湾島]]を領有していた時代には、'''日本人'''という語は、公式には、朝鮮人、台湾人など日本国籍を付与された併合地の[[先住民族]]を含む国籍的概念であった。[[大日本帝国]]が[[多民族国家]]であることは強く意識され、現在の日本国民に相当する人々は「[[大日本帝国#国民|内地人]]」と呼ばれた。ただし、当該の先住民族の間では「日本人」が内地人と同義として使われることが多かった。


[[樺太#南樺太|南樺太]]に住んでいた[[ロシア人]]、[[ポーランド人]]、[[ウクライナ人]]、[[ドイツ人]]、[[朝鮮人]]、[[ウィルタ]]や[[ニヴフ]]の中には日本国籍を持っていた者もいた。そのため、[[第二次世界大戦]]後、[[ソビエト連邦|ソ連]]によって日本人として北海道に強制送還、ないしは自ら進んで移住した朝鮮人、ウィルタ、ニヴフがいた。また、反ソ分子として抑留された者もいた。ポーランド系日本国民の多くはポーランド国籍を取得し[[ポーランド]]に移住した。
[[樺太#南樺太|南樺太]]に住んでいた[[ロシア人]]、[[ポーランド人]]、[[ウクライナ人]]、[[ドイツ人]]、朝鮮人、[[ウィルタ]]や[[ニヴフ]]の中には日本国籍を持っていた者もいた。そのため、[[第二次世界大戦]]後、[[ソビエト連邦|ソ連]]によって日本人として北海道に強制送還、ないしは自ら進んで移住した朝鮮人、ウィルタ、ニヴフがいた。また、反ソ分子として抑留された者もいた。ポーランド系日本国民の多くはポーランド国籍を取得し[[ポーランド]]に移住した。


== 系統 ==
== 系統 ==
218行目: 218行目:
|url = https://www3.nationalgeographic.com/genographic/atlas.html
|url = https://www3.nationalgeographic.com/genographic/atlas.html
|accessdate = 2008-04-14
|accessdate = 2008-04-14
}}</ref><ref>{{citation
}}{{リンク切れ|date=2017年3月}}</ref><ref>{{citation
|title = Y-DNA Haplogroup Tree 2006
|title = Y-DNA Haplogroup Tree 2006
|editor = International Society of Genetic Genealogy
|editor = International Society of Genetic Genealogy
235行目: 235行目:
{{See also|[[Y染色体ハプログループの分布 (東アジア)]]}}
{{See also|[[Y染色体ハプログループの分布 (東アジア)]]}}


{|class="wikitable" border="1" style="text-align:right"
{|class="wikitable" border="1" style="text-align:right"
|+日本人および周辺(日本からおよそ5000㎞以内)の諸民族のY染色体ハプログループの割合
|+日本人および周辺(日本からおよそ5000㎞以内)の諸民族のY染色体ハプログループの割合
!rowspan="4" colspan="2" | &nbsp;
!rowspan="4" colspan="2" | &nbsp;
241行目: 241行目:
!colspan="2"|[[ハプログループC (Y染色体)|C]]
!colspan="2"|[[ハプログループC (Y染色体)|C]]
!colspan="3"|[[ハプログループD (Y染色体)|D]]
!colspan="3"|[[ハプログループD (Y染色体)|D]]
!rowspan="4"|<div style="width:30px"> [[ハプログループNO (Y染色体)|NO*]] </div>
!rowspan="4" style="width:30px"|[[ハプログループNO (Y染色体)|NO*]]
!rowspan="4"|<div style="width:30px"> [[ハプログループN-M231 (Y染色体)|N]] </div>
!rowspan="4" style="width:30px"|[[ハプログループN-M231 (Y染色体)|N]]
!colspan="5"|[[ハプログループO-M175 (Y染色体)|O]]
!colspan="5"|[[ハプログループO-M175 (Y染色体)|O]]
!rowspan="4" colspan="1" |[[ハプログループQ (Y染色体)|Q]]
!rowspan="4" colspan="1" |[[ハプログループQ (Y染色体)|Q]]
!rowspan="4" colspan="1" |[[ハプログループR (Y染色体)|R]]
!rowspan="4" colspan="1" |[[ハプログループR (Y染色体)|R]]
|-
|-
!rowspan="3"|<div style="width:35px"> [[ハプログループC-M8 (Y染色体)|C1a1]] </div>
!rowspan="3" style="width:35px"|[[ハプログループC-M8 (Y染色体)|C1a1]]
!rowspan="3"|<div style="width:30px"> [[ハプログループC-M217 (Y染色体)|C2]] </div>
!rowspan="3" style="width:30px"|[[ハプログループC-M217 (Y染色体)|C2]]
!rowspan="3"|<div style="width:30px"> D* </div>
!rowspan="3" style="width:30px"|D*
!rowspan="3"|<div style="width:30px"> [[ハプログループD1a (Y染色体)|D1a]] </div>
!rowspan="3" style="width:30px"|[[ハプログループD1a (Y染色体)|D1a]]
!rowspan="3"|<div style="width:30px"> [[ハプログループD-M64.1 (Y染色体)|D1b]] </div>
!rowspan="3" style="width:30px"|[[ハプログループD-M64.1 (Y染色体)|D1b]]
!rowspan="3"|<div style="width:30px"> [[ハプログループO-MSY2.2 (Y染色体)|O1a]] </div>
!rowspan="3" style="width:30px"|[[ハプログループO-MSY2.2 (Y染色体)|O1a]]
!colspan="3"| [[ハプログループO-M268 (Y染色体)|O1b]]
!colspan="3"| [[ハプログループO-M268 (Y染色体)|O1b]]
!rowspan="3"|<div style="width:30px"> [[ハプログループO-M122 (Y染色体)|O2]] </div>
!rowspan="3" style="width:30px"|[[ハプログループO-M122 (Y染色体)|O2]]
|-
|-
!rowspan="2"|<div style="width:40px"> <small>[[ハプログループO-M95 (Y染色体)|O-M95]]</div>
!rowspan="2" style="width:40px;fontsize:smaller;"|[[ハプログループO-M95 (Y染色体)|O-M95]]
!colspan="2"| [[ハプログループO-M176 (Y染色体)|O1b2]]
!colspan="2"| [[ハプログループO-M176 (Y染色体)|O1b2]]
|-
|-
!style="fontsize:smaller;"|O-47z
!<small>O-47z
!<small>O1b2<br />(xO-47z)<ref>文献等(2014年以前)ではO2b*と表記されているが、実際はO1b2(旧O2b)からO-47zを除いたものである。</ref>
!style="fontsize:smaller;"|O1b2<br />(xO-47z)<ref>文献等(2014年以前)ではO2b*と表記されているが、実際はO1b2(旧O2b)からO-47zを除いたものである。</ref>
|-
|-
!rowspan="1"|日本<br />(Nonaka et al. 2007)<ref name = "Nonaka2007"/>
!rowspan="1"|日本<br />(Nonaka et al. 2007)<ref name = "Nonaka2007"/>
![[日本]]
![[日本]]
|263||2.3||3.0||||0.4||38.8||||0.8||3.4||0.8||25.1||8.4||16.7||0.4||
|263||2.3||3.0||||0.4||38.8||||0.8||3.4||0.8||25.1||8.4||16.7||0.4||
|-
|-
!rowspan="6"|日本<br /> (Hammer et al. 2006)<ref name="Hammer 2006表">Michael F. Hammer他 (2006年). [http://link.springer.com/article/10.1007/s10038-005-0322-0#page-1“"Dual origins of the Japanese: common ground for hunter-gatherer and farmer Y chromosomes"]Journal of Human Genetics
!rowspan="6"|日本<br /> (Hammer et al. 2006)<ref name="Hammer 2006表">Michael F. Hammer他 (2006年). "Dual origins of the Japanese: common ground for hunter-gatherer and farmer Y chromosomes"Journal of Human Genetics January 2006, Volume 51, Issue 1, pp 47-58 {{Doi|10.1007/s10038-005-0322-0}}</ref>
January 2006, Volume 51, Issue 1, pp 47-58、[http://static-content.springer.com/esm/art%3A10.1007%2Fs10038-005-0322-0/MediaObjects/10038_2005_322_ESM_supp.pdf Supplementary Material]</ref>
![[アイヌ]]
![[アイヌ]]
|4||0||25.0||0||0||75.0||0||0||0||0||0||0||0||0||0
|4||0||25.0||0||0||75.0||0||0||0||0||0||0||0||0||0
|-
|-
![[青森]]
!青森
|26||7.7||0||0||0||38.5||0||7.7||0||0||27.0||3.8||15.4||0||0
|26||7.7||0||0||0||38.5||0||7.7||0||0||27.0||3.8||15.4||0||0
|-
|-
![[静岡]]
!静岡
|61||4.9||1.6||0||0||32.8||0||1.6||0||1.6||21.3||13.1||19.7||1.6||0
|61||4.9||1.6||0||0||32.8||0||1.6||0||1.6||21.3||13.1||19.7||1.6||0
|-
|-
![[徳島]]
!徳島
|70||10.0||2.9||0||0||25.7||5.7||1.4||0||2.9||24.3||5.7||21.4||0||0
|70||10.0||2.9||0||0||25.7||5.7||1.4||0||2.9||24.3||5.7||21.4||0||0
|-
|-
286行目: 285行目:
|45||4.4||0||0||0||55.6||0||0||0||0||11.1||11.1||15.6||0||2.2
|45||4.4||0||0||0||55.6||0||0||0||0||11.1||11.1||15.6||0||2.2
|-
|-
!rowspan="10"|日本<br /> (Sato et al. 2014)<ref name = "Sato2014">YOUICHI SATO, TOSHIKATSU SHINKA, ASHRAF A. EWIS, AIKO YAMAUCHI, TERUAKI IWAMOTO, YUTAKA NAKAHORI [https://www.jstage.jst.go.jp/article/ase/122/3/122_140709/_article Overview of genetic variation in the Y chromosome of modern Japanese males.]</ref> <br />S=大学生<br />A=成人男性
!rowspan="10"|日本<br /> (Sato et al. 2014)<ref name = "Sato2014">YOUICHI SATO, TOSHIKATSU SHINKA, ASHRAF A. EWIS, AIKO YAMAUCHI, TERUAKI IWAMOTO, YUTAKA NAKAHORI Overview of genetic variation in the Y chromosome of modern Japanese males. {{Doi|10.1537/ase.140709}}</ref><br />S=大学生<br />A=成人男性
![[長崎]]S
!長崎S
|300||3.3||5.3||||0||30.0||||1.3||0||1.0||23.3||10.7||23.7||||
|300||3.3||5.3||||0||30.0||||1.3||0||1.0||23.3||10.7||23.7||||
|-
|-
![[福岡]]A
!福岡A
|102||5.9||7.8||||0||33.3||||1.0||2.0||0||26.5||8.8||10.9||||
|102||5.9||7.8||||0||33.3||||1.0||2.0||0||26.5||8.8||10.9||||
|-
|-
![[徳島]]S
!徳島S
|388||5.7||5.9||||0||30.6||||1.0||1.8||2.1||23.2||10.3||17.8||||
|388||5.7||5.9||||0||30.6||||1.0||1.8||2.1||23.2||10.3||17.8||||
|-
|-
305行目: 304行目:
|232||4.7||5.6||||0||32.7||||0.9||3.0||0||18.5||9.5||21.9||||
|232||4.7||5.6||||0||32.7||||0.9||3.0||0||18.5||9.5||21.9||||
|-
|-
![[川崎]]S
!川崎S
|321||5.6||5.9||||0.3||33.0||||1.6||0.9||0.3||24.3||10.0||17.8||||
|321||5.6||5.9||||0.3||33.0||||1.6||0.9||0.3||24.3||10.0||17.8||||
|-
|-
![[札幌]]S
!札幌S
|302||4.4||5.0||||0.3||33.1||||0.7||1.3||0.3||23.2||8.6||20.3||||
|302||4.4||5.0||||0.3||33.1||||0.7||1.3||0.3||23.2||8.6||20.3||||
|-
|-
![[札幌]]A
!札幌A
|206||3.4||7.3||||0||35.0||||1.0||1.0||1.9||19.9||7.8||19.9||||
|206||3.4||7.3||||0||35.0||||1.0||1.0||1.9||19.9||7.8||19.9||||
|-
|-
329行目: 328行目:
|104||4||8||||0||28|||| ||2|| || || ||24|| ||
|104||4||8||||0||28|||| ||2|| || || ||24|| ||
|-
|-
!rowspan="1"|日本<br /> (Seo et al. 1999)<ref name = "Seo1999">Yasuhisa Seo, Yasunari Takami, Tatsuo Nakayama, and Keiichi Takahama, "Y chromosome DNA polymorphisms and their haplotypes in a Japanese population." ''Legal Medicine'' (Tokyo). 1999 Sep;1(3):145-9. DOI: http://dx.doi.org/10.1016/S1344-6223(99)80027-3</ref>
!rowspan="1"|日本<br /> (Seo et al. 1999)<ref name = "Seo1999">Yasuhisa Seo, Yasunari Takami, Tatsuo Nakayama, and Keiichi Takahama, "Y chromosome DNA polymorphisms and their haplotypes in a Japanese population." ''Legal Medicine'' (Tokyo). 1999 Sep;1(3):145-9. {{Doi|10.1016/S1344-6223(99)80027-3}}</ref>
![[宮崎]]
!宮崎
|270|| ||
|270|| ||
|colspan="3" style="text-align: center;" |35.2
|colspan="3" style="text-align: center;" |35.2
381行目: 380行目:
|48||0||2.1||0||0||0||0||0||89.6||2.1||0|||0||6.3||0||0
|48||0||2.1||0||0||0||0||0||89.6||2.1||0|||0||6.3||0||0
|-
|-
!rowspan="2"|[[東南アジア]]<br />(Trejaut et al. 2014)<ref>Jean A Trejaut, Estella S Poloni, Ju-Chen Yen, Ying-Hui Lai, Jun-Hun Loo, Chien-Liang Lee, Chun-Lin He and Marie Lin [http://bmcgenet.biomedcentral.com/articles/10.1186/1471-2156-15-77 "Taiwan Y-chromosomal DNA variation and its relationship with Island Southeast Asia.]"BMC Genet. 2014 Jun 26;15:77. doi: 10.1186/1471-2156-15-77.</ref>
!rowspan="2"|[[東南アジア]]<br />(Trejaut et al. 2014)<ref>Jean A Trejaut, Estella S Poloni, Ju-Chen Yen, Ying-Hui Lai, Jun-Hun Loo, Chien-Liang Lee, Chun-Lin He and Marie Lin "Taiwan Y-chromosomal DNA variation and its relationship with Island Southeast Asia."BMC Genet. 2014 Jun 26;15:77. {{Doi|10.1186/1471-2156-15-77}}.</ref>
![[フィリピン人|フィリピン]]
![[フィリピン人|フィリピン]]
|40||0||0||0||0||0||4.8||0.7||42.5||3.4
|40||0||0||0||0||0||4.8||0.7||42.5||3.4
402行目: 401行目:
|25||0||0||0||0||0||0||0||20.0||12.0||8.0||8.0||36.0||0||4.0
|25||0||0||0||0||0||0||0||20.0||12.0||8.0||8.0||36.0||0||4.0
|-
|-
!rowspan="2" |[[南アジア]]<br /> (Thangaraj et al.2003)<ref name="Kumarasamy 2003">Kumarasamy et al.(2003)[http://www.sciencedirect.com/science/article/pii/S0960982202013362; Genetic Affinities of the Andaman Islanders, a Vanishing Human Population] Current Biology Volume 13, Issue 2, Pages 86–93</ref>
!rowspan="2" |[[南アジア]]<br /> (Thangaraj et al.2003)<ref name="Kumarasamy 2003">Kumarasamy et al.(2003)Genetic Affinities of the Andaman Islanders, a Vanishing Human Population Current Biology Volume 13, Issue 2, Pages 86–93 {{Doi|10.1016/S0960-9822(02)01336-2}}</ref>
![[オンゲ族|オンゲ]]
![[オンゲ族|オンゲ]]
|23||0||0||100||0||0||0||0||0||0||0||0||0||0||0
|23||0||0||100||0||0||0||0||0||0||0||0||0||0||0
413行目: 412行目:
|17||0||0||0||0||5.9||0||0||11.8||0||0||5.9||17.6||0||0
|17||0||0||0||0||5.9||0||0||11.8||0||0||5.9||17.6||0||0
|-
|-
!rowspan="2"|[[北アジア]]<br />(Tambets et al.2004)<ref>Tambets, Kristiina et al. 2004, [http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC1181943/pdf/AJHGv74p661.pdf The Western and Eastern Roots of the Saami—the Story of Genetic “Outliers” Told by Mitochondrial DNA and Y Chromosomes]</ref>
!rowspan="2"|[[北アジア]]<br />(Tambets et al.2004)<ref>Tambets, Kristiina et al. 2004, The Western and Eastern Roots of the Saami—the Story of Genetic “Outliers” Told by Mitochondrial DNA and Y Chromosomes {{PMC|1181943}}</ref>
![[ガナサン人|ガナサン]]
![[ガナサン人|ガナサン]]
|38|| ||5.3|| || || || ||92.1|| || || || || || ||
|38|| ||5.3|| || || || ||92.1|| || || || || || ||
420行目: 419行目:
|48|| ||6.2|| || || || || || || || || || ||93.7||
|48|| ||6.2|| || || || || || || || || || ||93.7||
|-
|-
!rowspan="2"|[[北アジア]]<br /> (Duggan et al.2013)<ref>Duggan AT, Whitten M, Wiebe V, Crawford M, Butthof A, et al. (2013)  [http://journals.plos.org/plosone/article?id=10.1371/journal.pone.0083570 Investigating the Prehistory of Tungusic Peoples of Siberia and the Amur-Ussuri Region with Complete mtDNA Genome Sequences and Y-chromosomal Markers] PLoS ONE 8(12): e83570. doi:10.1371/journal.pone.0083570</ref>
!rowspan="2"|[[北アジア]]<br /> (Duggan et al.2013)<ref>Duggan AT, Whitten M, Wiebe V, Crawford M, Butthof A, et al. (2013) Investigating the Prehistory of Tungusic Peoples of Siberia and the Amur-Ussuri Region with Complete mtDNA Genome Sequences and Y-chromosomal Markers PLoS ONE 8(12): e83570. {{Doi|10.1371/journal.pone.0083570}}</ref>
![[ヤクート]]
![[ヤクート]]
|184|| ||2.1|| || || || ||94.5|| || || || || ||0.5||2.2
|184|| ||2.1|| || || || ||94.5|| || || || || ||0.5||2.2
443行目: 442行目:
||0||0||0
||0||0||0
|-
|-
!rowspan="3"|[[北アジア]]<br />(Lell et al.2002)<ref>Lell, Jeffrey T. et al. 2001-2002, [http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC384887/?tool=pubmed The Dual Origin and Siberian Affinities of Native American Y Chromosomes]</ref>
!rowspan="3"|[[北アジア]]<br />(Lell et al.2002)<ref>Lell, Jeffrey T. et al. 2001-2002, The Dual Origin and Siberian Affinities of Native American Y Chromosomes {{PMC|384887}}</ref>
![[コリャーク人|コリャーク]]
![[コリャーク人|コリャーク]]
|27||0||59.3||0||0||0||0||22.2||0||0||0||0||0||18.5||0
|27||0||59.3||0||0||0||0||22.2||0||0||0||0||0||18.5||0
455行目: 454行目:
|}
|}


日本人のハプログループは'''[[ハプログループD1b (Y染色体)|D1b系統]]'''、'''[[ハプログループO1b2 (Y染色体)|O1b2系統]]'''、'''[[ハプログループO2 (Y染色体)|O2系統]]'''の3系統で日本人全体の約8割以上を占めるほど高頻度に見られる。他に'''[[ハプログループC1a1 (Y染色体)|C1a1系統]]'''、'''[[ハプログループC2 (Y染色体)|C2系統]]'''、'''[[ハプログループN (Y染色体)|N系統]]'''、'''[[ハプログループO1a (Y染色体)|O1a系統]]'''、'''[[ハプログループO-M95 (Y染色体)|O1b1系統]]'''なども低頻度に見られる。<br />
日本人のハプログループは'''[[ハプログループD1b (Y染色体)|D1b系統]]'''、'''[[ハプログループO1b2 (Y染色体)|O1b2系統]]'''、'''[[ハプログループO2 (Y染色体)|O2系統]]'''の3系統で日本人全体の約8割以上を占めるほど高頻度に見られる。他に'''[[ハプログループC1a1 (Y染色体)|C1a1系統]]'''、'''[[ハプログループC2 (Y染色体)|C2系統]]'''、'''[[ハプログループN (Y染色体)|N系統]]'''、'''[[ハプログループO1a (Y染色体)|O1a系統]]'''、'''[[ハプログループO-M95 (Y染色体)|O1b1系統]]'''なども低頻度に見られる。
日本人全体で見るとD1b系統が約32~35%、O1b2系統が約30%、O2系統が約20%の順となっている。


日本人全体で見るとD1b系統が約32 - 35%、O1b2系統が約30%、O2系統が約20%の順となっている。
*'''[[ハプログループD1b (Y染色体)|ハプログループD1b]]'''は本土'''日本人'''・[[アイヌ]]・[[沖縄]]に固有に見られるタイプで、アイヌが最も高頻度で約90%、次いで[[琉球民族]]で50%以上、本土日本人にも30%ほど見られる。<br />[[縄文人]]の血を色濃く残すとされる[[アイヌ]]<ref>ただし近年の遺伝子調査により、[[アイヌ]]は縄文人の単純な子孫ではなく、[[オホーツク人]]等の[[新モンゴロイド]]系北方民族のY-DNAも10%ほど見られ、複雑な過程を経て誕生したことが明らかになった。[http://www.asahi.com/culture/news_culture/TKY200902040080.html 消えた北方民族の謎追う 古代「オホーツク人」北大が調査]</ref>沖縄県民で高頻度に見られ、反対に[[漢民族]]や[[朝鮮民族]]などの周辺諸民族にはほとんど見られないことから、[[ハプログループD-M64.1 (Y染色体)|ハプログループD1b]]は[[縄文人]]特有のY染色体だとされる。([[ミクロネシア]]<ref name="Hammer 2006">{{Cite web |url=http://link.springer.com/article/10.1007/s10038-005-0322-0 |title="Dual origins of the Japanese: common ground for hunter-gatherer and farmer Y chromosomes" |accessdate=2015年6月3日 |author=Michael F. Hammer他 |date=2006年|format=PDF|quote=Outside of Japan D-P37.1 and its sub-lineages are extremely rare, being found in only three Korean males (D-P37.1* and D-M125*) and one male from Micronesia (D-M116.1*).|publisher=ResearchGate|language=英語 |ref=}}</ref>や[[ティモール島]]<ref name = "Tumonggor2014">Meryanne K Tumonggor, Tatiana M Karafet, Sean Downey, ''et al.'', "Isolation, contact and social behavior shaped genetic diversity in West Timor." ''Journal of Human Genetics'' (2014) 59, 494–503; doi:10.1038/jhg.2014.62</ref>でもわずかに発見されているが、近年の日本領時代にもたらされた可能性が高い。)<br />[[アリゾナ大学]]のマイケル・F・ハマー (Michael F. Hammer) のY染色体分析でも[[ハプログループD (Y染色体)|D系統]]が扱われ、[[チベット人]]にも、約50%の頻度でこのハプログループDを持っていることを根拠に、縄文人の祖先は約5万年前に中央アジアにいた集団が東進を続けた結果、約3万年前に北方ルートで北海道に到着したとする説を提出した<ref>道方しのぶ『日本人のルーツ 探索マップ』平凡社新書,2005年,61頁</ref><ref name="Hammer">{{cite paper

*'''[[ハプログループD1b (Y染色体)|ハプログループD1b]]'''は本土'''日本人'''・[[アイヌ]]・[[沖縄]]に固有に見られるタイプで、アイヌが最も高頻度で約90%、次いで[[琉球民族]]で50%以上、本土日本人にも30%ほど見られる。<br />[[縄文人]]の血を色濃く残すとされる[[アイヌ]]<ref>ただし近年の遺伝子調査により、[[アイヌ]]は縄文人の単純な子孫ではなく、[[オホーツク人]]等の[[新モンゴロイド]]系北方民族のY-DNAも10%ほど見られ、複雑な過程を経て誕生したことが明らかになった。[http://www.asahi.com/culture/news_culture/TKY200902040080.html 消えた北方民族の謎追う 古代「オホーツク人」北大が調査]</ref>沖縄県民で高頻度に見られ、反対に[[漢民族]]や[[朝鮮民族]]などの周辺諸民族にはほとんど見られないことから、[[ハプログループD-M64.1 (Y染色体)|ハプログループD1b]]は[[縄文人]]特有のY染色体だとされる。([[ミクロネシア]]<ref name="Hammer 2006">{{Cite web |doi=10.1007/s10038-005-0322-0 |title="Dual origins of the Japanese: common ground for hunter-gatherer and farmer Y chromosomes" |accessdate=2015年6月3日 |author=Michael F. Hammer他 |date=2006年|format=PDF|quote=Outside of Japan D-P37.1 and its sub-lineages are extremely rare, being found in only three Korean males (D-P37.1* and D-M125*) and one male from Micronesia (D-M116.1*).|publisher=ResearchGate|language=英語 |ref=}}</ref>や[[ティモール島]]<ref name = "Tumonggor2014">Meryanne K Tumonggor, Tatiana M Karafet, Sean Downey, ''et al.'', "Isolation, contact and social behavior shaped genetic diversity in West Timor." ''Journal of Human Genetics'' (2014) 59, 494–503; {{Doi|10.1038/jhg.2014.62}}</ref>でもわずかに発見されているが、近年の日本領時代にもたらされた可能性が高い。)<br />[[アリゾナ大学]]のマイケル・F・ハマー (Michael F. Hammer) のY染色体分析でも[[ハプログループD (Y染色体)|D系統]]が扱われ、[[チベット人]]にも、約50%の頻度でこのハプログループDを持っていることを根拠に、縄文人の祖先は約5万年前に中央アジアにいた集団が東進を続けた結果、約3万年前に北方ルートで北海道に到着したとする説を提出した<ref>道方しのぶ『日本人のルーツ 探索マップ』平凡社新書,2005年,61頁</ref><ref name="Hammer">{{cite paper
|author = Michael F. Hammer
|author = Michael F. Hammer
|title = Dual origins of the Japanese: common ground for hunter-gatherer and farmer Y chromosomes
|title = Dual origins of the Japanese: common ground for hunter-gatherer and farmer Y chromosomes
|version =
|version =
|publisher = The Japan Society of Human Genetics and Springer-Verlag
|publisher = The Japan Society of Human Genetics and Springer-Verlag
|year= 2005
|year= 2005
|url = http://www.eva.mpg.de/genetics/pdf/Japan.pdf
|url = http://www.eva.mpg.de/genetics/pdf/Japan.pdf
|format = [[PDF]]
|format = [[PDF]]
|accessdate = 2007-01-19 }}
|accessdate = 2007-01-19 }}{{リンク切れ|date=2017年3月}}
</ref><ref>University of Pittsburgh, [http://www.pitt.edu/~annj/courses/notes/jomon_genes.html Jomon Genes - Using DNA, researchers probe the genetic origins of modern Japanese] by John Travis</ref>。<br />現在世界でD系統は極めて稀な系統になっており、日本人 (D1b) が最大集積地点としてその希少な血を高頻度で受け継いでいる。遠く西に離れた[[チベット人]] (D1a) や[[アンダマン諸島人|アンダマン諸島]](D*)で高頻度である他は、[[アルタイ人|アルタイ]](D*)、[[タイ人|タイ]] (D1a)、[[ヤオ族]] (D1a)、フィリピン (D2) 等にわずかに存続するだけである。しかしながら同じD系統とは言え、日本固有のD1b系統と日本列島外の他のD系統は分岐してから3.5 - 4万年もの年月を経ているため、明確に区別される。(O系統が誕生したのが2 - 3万年前であるため、これよりも前に分岐しているD1bとD1a等はほぼ別系統とみなしてよい。)
</ref><ref>University of Pittsburgh,
[http://www.pitt.edu/~annj/courses/notes/jomon_genes.html Jomon Genes - Using DNA, researchers probe the genetic origins of modern Japanese] by John Travis
</ref>。<br />現在世界でD系統は極めて稀な系統になっており、日本人(D1b)が最大集積地点としてその希少な血を高頻度で受け継いでいる。遠く西に離れた[[チベット人]](D1a)や[[アンダマン諸島人|アンダマン諸島]](D*)で高頻度である他は、[[アルタイ人|アルタイ]](D*)、[[タイ人|タイ]](D1a)、[[ヤオ族]](D1a)、フィリピン(D2)等にわずかに存続するだけである。しかしながら同じD系統とは言え、日本固有のD1b系統と日本列島外の他のD系統は分岐してから3.5~4万年もの年月を経ているため、明確に区別される。(O系統が誕生したのが2~3万年前であるため、これよりも前に分岐しているD1bとD1a等はほぼ別系統とみなしてよい。)


*'''[[ハプログループO (Y染色体)|ハプログループO]]'''は[[東アジア]]から[[東南アジア]]にかけて最多を占めるグループである。O系統は23,000-32,000年前<ref name = "Yan2013">Shi Yan, Chuan-Chao Wang,Hong-XiangZheng ''et al.'' (2013), "Y Chromosomes of 40% Chinese Are Descendants of Three Neolithic Super-grandfathers." E-print at arXiv:1310.3897 [q-bio.PE].</ref>に東アジアにて[[ハプログループNO (Y染色体)|ハプログループNO]]から誕生した。孤立的なD1b系統とは対照的に近縁な系統も多い。4万年前頃には既に日本列島にまで到達していたD系統と比べると、O系統はそれよりもずっと後にアジア地域に到来したと考えられるが<ref name="shi">{{cite journal|title=Y chromosome evidence of earliest modern human settlement in East Asia and multiple origins of Tibetan and Japanese populations |first13=Bing|last13=Su|first12=Li|last12=Jin |first11=R Spencer |last11=Wells |first10=Chun-Jie |last10=Xiao |first9=Runlin Z|last9=Ma|first8=Si-jie|last8=Tan|first7=Lu-Fang|last7=Liu|first6=Feng|last6=Zhang|first5=Xue-bin|last5=Qi|first4=Yong-li|last4=Dong|first3=Yi|last3=Peng|first2=Hua|last2=Zhong|first1=Hong|last1=Shi|journal=BMC Biology|publisher=BioMedCentral|date=October29,2008|doi=10.1186/1741-7007-6-45|pmid=18959782|pmc=2605740|url=http://www.biomedcentral.com/1741-7007/6/45|accessdate=November 21, 2010|volume=6|page=45}} {{open access}}</ref>、その後O系統は東ユーラシア全域に広がり、誕生時期的には比較的若い系統であるものの、西ユーラシア系の[[ハプログループR (Y染色体)|ハプログループR]]と並んで現代人類において最も帰属人口の多い系統となっている。日本で主に見られる詳細系統は[[ハプログループO1b2 (Y染色体)|O1b2系統]]と[[ハプログループO2 (Y染色体)|O2系統]]である。<br />[[ハプログループO1b2 (Y染色体)|'''O1b2系統''']]は、[[日本列島]]の他、[[朝鮮半島]]でも日本と同程度見られ、他[[満州]]など含めた東アジア北東部で多く、東南アジアでも低頻度見られる<ref name =Hammer2006/><ref name="Jin 2003">Jin, Han-Jun; Kwak, Kyoung-Don; Hammer, Michael F.; Nakahori, Yutaka; Shinka, Toshikatsu; Lee, Ju-Won; Jin, Feng; Jia, Xuming et al. (2003). "Y-chromosomal DNA haplogroups and their implications for the dual origins of the Koreans". Human Genetics 114 (1): 27–35. doi:10.1007/s00439-003-1019-0. PMID 14505036.</ref>。O1b2系統はおおよそ4,000年乃至12,000年前に中国大陸で[[ハプログループO1b (Y染色体)|O1b]]から発祥したと考えられている<ref name = "Yan2011">Shi Yan, Chuan-Chao Wang, Hui Li ''et al.'', "An updated tree of Y-chromosome Haplogroup O and revised phylogenetic positions of mutations P164 and PK4." ''European Journal of Human Genetics'' (2011) 19, 1013–1015.</ref>日本のO1b2保有者の約8割で見られるO1b2a-47zというサブグループは、おおよそ4,000年乃至12,000年前に発生したと概算されているので、他で多く見られるO1b2-M176(x47z)というサブグループとはそれ以上昔に血筋がわかれているということになる<ref name =Hammer2006/>。<br />[[ハプログループO2 (Y染色体)|'''O2系統''']]は日本においてはO1b2系統より低頻度であるものの、[[中国]]、[[朝鮮]]、[[ベトナム]]等においては最多を占めるグループであり、日本やその他の東南アジア、インド北東部やネパールなどの南アジアでも中低頻度見られ、O系統では最大のサブグループである。
*'''[[ハプログループO (Y染色体)|ハプログループO]]'''は[[東アジア]]から[[東南アジア]]にかけて最多を占めるグループである。O系統は23,000-32,000年前<ref name = "Yan2013">Shi Yan, Chuan-Chao Wang,Hong-XiangZheng ''et al.'' (2013), "Y Chromosomes of 40% Chinese Are Descendants of Three Neolithic Super-grandfathers." E-print at arXiv:1310.3897 [q-bio.PE].</ref>に東アジアにて[[ハプログループNO (Y染色体)|ハプログループNO]]から誕生した。孤立的なD1b系統とは対照的に近縁な系統も多い。4万年前頃には既に日本列島にまで到達していたD系統と比べると、O系統はそれよりもずっと後にアジア地域に到来したと考えられるが<ref name="shi">{{cite journal|title=Y chromosome evidence of earliest modern human settlement in East Asia and multiple origins of Tibetan and Japanese populations |first13=Bing|last13=Su|first12=Li|last12=Jin |first11=R Spencer |last11=Wells |first10=Chun-Jie |last10=Xiao |first9=Runlin Z|last9=Ma|first8=Si-jie|last8=Tan|first7=Lu-Fang|last7=Liu|first6=Feng|last6=Zhang|first5=Xue-bin|last5=Qi|first4=Yong-li|last4=Dong|first3=Yi|last3=Peng|first2=Hua|last2=Zhong|first1=Hong|last1=Shi|journal=BMC Biology|publisher=BioMedCentral|date=October29,2008|doi=10.1186/1741-7007-6-45|pmid=18959782|pmc=2605740|url=http://www.biomedcentral.com/1741-7007/6/45|accessdate=November 21, 2010|volume=6|page=45}} {{open access}}</ref>、その後O系統は東ユーラシア全域に広がり、誕生時期的には比較的若い系統であるものの、西ユーラシア系の[[ハプログループR (Y染色体)|ハプログループR]]と並んで現代人類において最も帰属人口の多い系統となっている。日本で主に見られる詳細系統は[[ハプログループO1b2 (Y染色体)|O1b2系統]]と[[ハプログループO2 (Y染色体)|O2系統]]である。<br />[[ハプログループO1b2 (Y染色体)|'''O1b2系統''']]は、[[日本列島]]の他、[[朝鮮半島]]でも日本と同程度見られ、他[[満州]]など含めた東アジア北東部で多く、東南アジアでも低頻度見られる<ref name =Hammer2006/><ref name="Jin 2003">Jin, Han-Jun; Kwak, Kyoung-Don; Hammer, Michael F.; Nakahori, Yutaka; Shinka, Toshikatsu; Lee, Ju-Won; Jin, Feng; Jia, Xuming et al. (2003). "Y-chromosomal DNA haplogroups and their implications for the dual origins of the Koreans". Human Genetics 114 (1): 27–35. {{Doi|10.1007/s00439-003-1019-0}}. {{PMID|14505036}}.</ref>。O1b2系統はおおよそ4,000年乃至12,000年前に中国大陸で[[ハプログループO1b (Y染色体)|O1b]]から発祥したと考えられている<ref name = "Yan2011">Shi Yan, Chuan-Chao Wang, Hui Li ''et al.'', "An updated tree of Y-chromosome Haplogroup O and revised phylogenetic positions of mutations P164 and PK4." ''European Journal of Human Genetics'' (2011) 19, 1013–1015.</ref>日本のO1b2保有者の約8割で見られるO1b2a-47zというサブグループは、おおよそ4,000年乃至12,000年前に発生したと概算されているので、他で多く見られるO1b2-M176(x47z)というサブグループとはそれ以上昔に血筋がわかれているということになる<ref name =Hammer2006/>。<br />[[ハプログループO2 (Y染色体)|'''O2系統''']]は日本においてはO1b2系統より低頻度であるものの、[[中国]]、[[朝鮮]]、[[ベトナム]]等においては最多を占めるグループであり、日本やその他の東南アジア、インド北東部やネパールなどの南アジアでも中から低頻度見られ、O系統では最大のサブグループである。


; 歴史
; 歴史
[[崎谷満]]によれば、最初に日本列島に到達し、[[日本列島の旧石器時代|後期旧石器時代]]を担ったのは、4万-3万年前に大陸からやってきた[[ハプログループD1b (Y染色体)|'''D1b系統''']]である<ref>『DNA・考古・言語の学際研究が示す新・日本列島史』(勉誠出版 2009年)</ref>。D1bは日本に多く見られる系統であり、アイヌ88%、沖縄県約50%(4% - 56%)<ref name = "Shinka1999">Toshikatsu Shinka, Keiko Tomita, Tatsushi Toda, Svetlana E. Kotliarova, Juwon Lee, Yoko Kuroki, Dong Kyu Jin, Katsushi Tokunaga, Hideki Nakamura, and Yutaka Nakahori, "Genetic variations on the Y chromosome in the Japanese population and implications for modern human Y chromosome lineage," ''Journal of Human Genetics'' (1999) 44:240-245</ref><ref name = "Tajima2004">Atsushi Tajima, Masanori Hayami, Katsushi Tokunaga, Takeo Juji, Masafumi Matsuo, Sangkot Marzuki, Keiichi Omoto, and Satoshi Horai, "Genetic origins of the Ainu inferred from combined DNA analyses of maternal and paternal lineages." ''Journal of Human Genetics'' (2004) 49:187–193. DOI 10.1007/s10038-004-0131-x</ref><ref name = "Nonaka2007">I. Nonaka, K. Minaguchi, and N. Takezaki, "Y-chromosomal Binary Haplogroups in the Japanese Population and their Relationship to 16 Y-STR Polymorphisms," ''Annals of Human Genetics'' (2007) 71,480–495. doi: 10.1111/j.1469-1809.2006.00343.x</ref>、本州約36%(31% - 39%<ref name = "Shinka1999" /><ref name = "Tajima2004" /><ref name =Hammer2006>Michael F. Hammer, Tatiana M. Karafet, Hwayong Park ''et al.'', "Dual origins of the Japanese: common ground for hunter-gatherer and farmer Y chromosomes." ''Journal of Human Genetics'' (2006) 51:47–58. DOI 10.1007/s10038-005-0322-0</ref><ref name = "Nonaka2007" />で、東アジアではほとんど存在しない。遠縁のD1aが多数のチベット人で見られるほか、少数のウイグル人、モンゴル人、アルタイ人、イ(彝)人、ミャオ(苗)人、ヤオ(瑶)人、漢人などでも確認されている。D1系統は4万年程前に二つのグループに分岐し、東進して日本列島に至り誕生したのがD1bであり、アルタイ-チベット付近にとどまったグループがD1aであると考えられる。
[[崎谷満]]によれば、最初に日本列島に到達し、[[日本列島の旧石器時代|後期旧石器時代]]を担ったのは、4万-3万年前に大陸からやってきた[[ハプログループD1b (Y染色体)|'''D1b系統''']]である<ref>『DNA・考古・言語の学際研究が示す新・日本列島史』(勉誠出版 2009年)</ref>。D1bは日本に多く見られる系統であり、アイヌ88%、沖縄県約50%(4% - 56%)<ref name = "Shinka1999">Toshikatsu Shinka, Keiko Tomita, Tatsushi Toda, Svetlana E. Kotliarova, Juwon Lee, Yoko Kuroki, Dong Kyu Jin, Katsushi Tokunaga, Hideki Nakamura, and Yutaka Nakahori, "Genetic variations on the Y chromosome in the Japanese population and implications for modern human Y chromosome lineage," ''Journal of Human Genetics'' (1999) 44:240-245</ref><ref name = "Tajima2004">Atsushi Tajima, Masanori Hayami, Katsushi Tokunaga, Takeo Juji, Masafumi Matsuo, Sangkot Marzuki, Keiichi Omoto, and Satoshi Horai, "Genetic origins of the Ainu inferred from combined DNA analyses of maternal and paternal lineages." ''Journal of Human Genetics'' (2004) 49:187–193. {{Doi|10.1007/s10038-004-0131-x}}</ref><ref name = "Nonaka2007">I. Nonaka, K. Minaguchi, and N. Takezaki, "Y-chromosomal Binary Haplogroups in the Japanese Population and their Relationship to 16 Y-STR Polymorphisms," ''Annals of Human Genetics'' (2007) 71,480–495. {{Doi|10.1111/j.1469-1809.2006.00343.x}}</ref>、本州約36% (31% - 39%)<ref name = "Shinka1999" /><ref name = "Tajima2004" /><ref name =Hammer2006>Michael F. Hammer, Tatiana M. Karafet, Hwayong Park ''et al.'', "Dual origins of the Japanese: common ground for hunter-gatherer and farmer Y chromosomes." ''Journal of Human Genetics'' (2006) 51:47–58. {{Doi|10.1007/s10038-005-0322-0}}</ref><ref name = "Nonaka2007" />で、東アジアではほとんど存在しない。遠縁のD1aが多数のチベット人で見られるほか、少数のウイグル人、モンゴル人、アルタイ人、イ(彝)人、ミャオ(苗)人、ヤオ(瑶)人、漢人などでも確認されている。D1系統は4万年程前に二つのグループに分岐し、東進して日本列島に至り誕生したのがD1bであり、アルタイ-チベット付近にとどまったグループがD1aであると考えられる。


その後、渡来時期については諸説あるが、約1万年程前に古代地中海<ref name = "Scozzari2012">Scozzari R, Massaia A, D’Atanasio E, Myres NM, Perego UA, ''et al.'' (2012), "Molecular Dissection of the Basal Clades in the Human Y Chromosome Phylogenetic Tree." ''PLoS ONE'' 7(11): e49170. doi:10.1371/journal.pone.0049170</ref>とネパール<ref name = "Hallast2014">Pille Hallast, Chiara Batini, Daniel Zadik, ''et al.'' (2014), "The Y-Chromosome Tree Bursts into Leaf: 13,000 High-Confidence SNPs Covering the Majority of Known Clades." ''Mol. Biol. Evol.'' Advance Access publication December 2, 2014. doi:10.1093/molbev/msu327</ref>に遠戚を持つ[[ハプログループC-M8 (Y染色体)|'''C1a1系統''']]が日本列島に入ってきた。[[崎谷満]]はC1a1の祖型はイラン付近からアルタイ山脈付近を経由し朝鮮半島経由で日本に到達したとしている<ref>『DNA・考古・言語の学際研究が示す新・日本列島史』(勉誠出版 2009年)</ref>。渡来年代についてはD1bより早い4万年以上前という説もあり、C1a1が日本列島最古層という可能性もある。
その後、渡来時期については諸説あるが、約1万年程前に古代地中海<ref name = "Scozzari2012">Scozzari R, Massaia A, D’Atanasio E, Myres NM, Perego UA, ''et al.'' (2012), "Molecular Dissection of the Basal Clades in the Human Y Chromosome Phylogenetic Tree." ''PLoS ONE'' 7(11): e49170. {{Doi|10.1371/journal.pone.0049170}}</ref>とネパール<ref name = "Hallast2014">Pille Hallast, Chiara Batini, Daniel Zadik, ''et al.'' (2014), "The Y-Chromosome Tree Bursts into Leaf: 13,000 High-Confidence SNPs Covering the Majority of Known Clades." ''Mol. Biol. Evol.'' Advance Access publication December 2, 2014. {{Doi|10.1093/molbev/msu327}}</ref>に遠戚を持つ[[ハプログループC-M8 (Y染色体)|'''C1a1系統''']]が日本列島に入ってきた。[[崎谷満]]はC1a1の祖型はイラン付近からアルタイ山脈付近を経由し朝鮮半島経由で日本に到達したとしている<ref>『DNA・考古・言語の学際研究が示す新・日本列島史』(勉誠出版 2009年)</ref>。渡来年代についてはD1bより早い4万年以上前という説もあり、C1a1が日本列島最古層という可能性もある。


{{要出典|同時期に[[シベリア]]の狩猟民である'''[[ハプログループC-M217 (Y染色体)|C2系統]]'''が、[[バイカル湖]]周辺から[[アムール川]]流域および朝鮮半島を経由して、[[最終氷期]]の海面低下により地続きとなっていた[[九州北部]]に達した(1.5 - 2万年前)。|date=2016年6月}}また、一部は[[サハリン]]経由で北海道に達した。崎谷はC2系統は[[細石刃]]石器を用い、[[ナウマンゾウ]]を狩っていたと考えている。現在、C2系統はカザフ人、モンゴル人、エヴェンキ人等の[[アルタイ語族|アルタイ系諸族]]、極東ロシア(ニヴフ人、コリャーク人等)及び北アメリカ大陸北西部の原住民や[[アサバスカ諸語|北部アサバスカ諸語話者]]に多い。ただし、C2系統も渡来時期については諸説あり、[[朝鮮民族]]などの周辺民族にも一定頻度見られることから、後述のO1b2系統やO2系統と共に渡来してきた可能性もある。ちなみにアルタイ系民族([[チュルク系民族]]、[[モンゴル系民族]]、[[ツングース系民族]])で高頻度なC2系統はほぼ全てC-M48系統であるが、日本人や朝鮮民族で観察されるC2系統はC-F1067系統が大半で、C-M48はわずかである<ref name = "Kwon2015">So Yeun Kwon, Hwan Young Lee, Eun Young Lee, Woo Ick Yang, and Kyoung-Jin Shin, "Confirmation of Y haplogroup tree topologies with newly suggested Y-SNPs for the C2, O2b and O3a subhaplogroups." ''Forensic Science International: Genetics'' 19 (2015) 42–46. http://dx.doi.org/10.1016/j.fsigen.2015.06.003</ref>。また日本列島固有のC2a(C-M93)もあり、一概にC2系統といっても、そのルーツや渡来時期は複数存在したことが想定される。
{{要出典|同時期に[[シベリア]]の狩猟民である'''[[ハプログループC-M217 (Y染色体)|C2系統]]'''が、[[バイカル湖]]周辺から[[アムール川]]流域および朝鮮半島を経由して、[[最終氷期]]の海面低下により地続きとなっていた[[九州北部]]に達した(1.5 - 2万年前)。|date=2016年6月}}また、一部は[[樺太|サハリン]]経由で北海道に達した。崎谷はC2系統は[[細石刃]]石器を用い、[[ナウマンゾウ]]を狩っていたと考えている。現在、C2系統はカザフ人、モンゴル人、エヴェンキ人等の[[アルタイ語族|アルタイ系諸族]]、極東ロシア(ニヴフ人、コリャーク人等)及び北アメリカ大陸北西部の原住民や[[アサバスカ諸語|北部アサバスカ諸語話者]]に多い。ただし、C2系統も渡来時期については諸説あり、[[朝鮮民族]]などの周辺民族にも一定頻度見られることから、後述のO1b2系統やO2系統と共に渡来してきた可能性もある。ちなみにアルタイ系民族([[チュルク系民族]]、[[モンゴル系民族]]、[[ツングース系民族]])で高頻度なC2系統はほぼ全てC-M48系統であるが、日本人や朝鮮民族で観察されるC2系統はC-F1067系統が大半で、C-M48はわずかである<ref name = "Kwon2015">So Yeun Kwon, Hwan Young Lee, Eun Young Lee, Woo Ick Yang, and Kyoung-Jin Shin, "Confirmation of Y haplogroup tree topologies with newly suggested Y-SNPs for the C2, O2b and O3a subhaplogroups." ''Forensic Science International: Genetics'' 19 (2015) 42–46. {{Doi|10.1016/j.fsigen.2015.06.003}}</ref>。また日本列島固有のC2a (C-M93) もあり、一概にC2系統といっても、そのルーツや渡来時期は複数存在したことが想定される。


[[ハプログループO-MSY2.2 (Y染色体)|'''O1a系統''']]は[[台湾]]の[[台湾原住民|原住民]]の男性に非常に多いので、新石器時代の台湾または対岸の中国本土沿岸部が起源であろうと推測されている。崎谷満は[[オーストロネシア語族]]との関連があると想定している。[[台湾]]と近いにもかかわらず、[[日本列島]]ではO1aはごく少数に過ぎない。
[[ハプログループO-MSY2.2 (Y染色体)|'''O1a系統''']]は[[台湾]]の[[台湾原住民|原住民]]の男性に非常に多いので、新石器時代の台湾または対岸の中国本土沿岸部が起源であろうと推測されている。崎谷満は[[オーストロネシア語族]]との関連があると想定している。[[台湾]]と近いにもかかわらず、[[日本列島]]ではO1aはごく少数に過ぎない。


[[ハプログループO-M176 (Y染色体)|'''O1b2系統''']]について、崎谷満は[[長江文明]]の担い手だと考えている。O1b2系統が移動を開始したのは約2800年前で、長江文明の衰退に伴い、O1b1および一部のO1b2は南下し、[[百越]]と呼ばれ、残りのO1b2は西方及び北方へと渡り、[[中国東北部]]、[[朝鮮半島]]から[[日本列島]]へ渡ったと崎谷満は主張している。O1b2系統は中国[[江南]]から[[水稲]]栽培を持ち込んだと考えられ、日本列島への流入は[[弥生人]]と関連し、則ちO1b2系統の到来と共に[[縄文時代]]から[[弥生時代]]へ移行しはじめたと考えられる。O1b2系統は日本本州の他、朝鮮半島や中国東北部でも比較的多く見られる。
[[ハプログループO-M176 (Y染色体)|'''O1b2系統''']]について、崎谷満は[[長江文明]]の担い手だと考えている。O1b2系統が移動を開始したのは約2800年前で、長江文明の衰退に伴い、O1b1および一部のO1b2は南下し、[[百越]]と呼ばれ、残りのO1b2は西方及び北方へと渡り、[[中国東北部]]、[[朝鮮半島]]から[[日本列島]]へ渡ったと崎谷満は主張している。O1b2系統は中国江南から[[水稲]]栽培を持ち込んだと考えられ、日本列島への流入は[[弥生人]]と関連し、則ちO1b2系統の到来と共に[[縄文時代]]から[[弥生時代]]へ移行しはじめたと考えられる。O1b2系統は日本本州の他、朝鮮半島や中国東北部でも比較的多く見られる。


[[ハプログループO-M122 (Y染色体)|'''O2系統''']]について崎谷は、その一部は弥生人として[[雑穀|ミレット農耕]]をもたらしたが、大部分は弥生人よりも更に後、特に4世紀から7世紀頃に[[中国大陸]]及び[[朝鮮半島]]から到来した[[渡来人]]による流入が多かったであろうとしている<ref>『DNA・考古・言語の学際研究が示す新・日本列島史』(勉誠出版 2009年)</ref>。O2は[[漢民族]]に最多の系統である。
[[ハプログループO-M122 (Y染色体)|'''O2系統''']]について崎谷は、その一部は弥生人として[[雑穀|ミレット農耕]]をもたらしたが、大部分は弥生人よりも更に後、特に4世紀から7世紀頃に[[中国大陸]]及び[[朝鮮半島]]から到来した[[渡来人]]による流入が多かったであろうとしている<ref>『DNA・考古・言語の学際研究が示す新・日本列島史』(勉誠出版 2009年)</ref>。O2は[[漢民族]]に最多の系統である。


[[ハプログループN-M231 (Y染色体)|'''N系統''']]は[[ウラル語族|ウラル系民族]]に高頻度で、日本には0-8%見られるが、具体的な渡来経路などは明らかでない。N1(xN-M128,N-P43,N-M46/N-Tat)が青森で7.7%観察され<ref>Hammer, Michael F.; Karafet, Tatiana M.; Park, Hwayong; Omoto, Keiichi; Harihara, Shinji; Stoneking, Mark; Horai, Satoshi (2005). "Dual origins of the Japanese: Common ground for hunter-gatherer and farmer Y chromosomes". Journal of Human Genetics 51 (1): 47–58. doi:10.1007/s10038-005-0322-0. PMID 16328082.</ref>、[[遼河文明]]の遺跡人骨からもN1(xN-M128,N-P43,N-M46/N-Tat)が高頻度で見つかっており<ref> Yinqiu Cui, Hongjie Li, Chao Ning, Ye Zhang, Lu Chen, Xin Zhao, Erika Hagelberg and Hui Zhou (2013)[http://www.biomedcentral.com/1471-2148/13/216 "Y Chromosome analysis of prehistoric human populations in the West Liao River Valley, Northeast China.] " BMC 13:216
[[ハプログループN-M231 (Y染色体)|'''N系統''']]は[[ウラル語族|ウラル系民族]]に高頻度で、日本には0-8%見られるが、具体的な渡来経路などは明らかでない。N1(xN-M128,N-P43,N-M46/N-Tat)が青森で7.7%観察され<ref>Hammer, Michael F.; Karafet, Tatiana M.; Park, Hwayong; Omoto, Keiichi; Harihara, Shinji; Stoneking, Mark; Horai, Satoshi (2005). "Dual origins of the Japanese: Common ground for hunter-gatherer and farmer Y chromosomes". Journal of Human Genetics 51 (1): 47–58. {{Doi|10.1007/s10038-005-0322-0}}. {{PMID|16328082}}.</ref>、[[遼河文明]]の遺跡人骨からもN1(xN-M128,N-P43,N-M46/N-Tat)が高頻度で見つかっており<ref> Yinqiu Cui, Hongjie Li, Chao Ning, Ye Zhang, Lu Chen, Xin Zhao, Erika Hagelberg and Hui Zhou (2013)"Y Chromosome analysis of prehistoric human populations in the West Liao River Valley, Northeast China. " BMC 13:216 {{Doi|10.1186/1471-2148-13-216}}</ref>、かつ[[三内丸山遺跡]]と遼河文明の関連性が指摘されている<ref>中国北方新石器文化研究の新展開【詳細報告】[http://www.ipc.tohoku-gakuin.ac.jp/~orc/sympo/20040201-r-2.htm 「東北アジアにおける先史文化の交流」]王 巍(中国社会科学院考古研究所・副所長)</ref>。
</ref>、かつ[[三内丸山遺跡]]と遼河文明の関連性が指摘されている<ref>中国北方新石器文化研究の新展開【詳細報告】[http://www.ipc.tohoku-gakuin.ac.jp/~orc/sympo/20040201-r-2.htm 「東北アジアにおける先史文化の交流」]王 巍(中国社会科学院考古研究所・副所長)</ref>。


==== HLAハプロタイプの流れ ====
==== HLAハプロタイプの流れ ====
[[HLA]]ハプロタイプについては、日本人には大きく以下の4タイプの流れが認められる<ref>徳永勝士 (1995)「HLA遺伝子群からみた日本人のなりたち」『モンゴロイドの地球()日本人のなりたち』東京大学出版会,第4章,遺伝子からみた日本人,p193-210</ref><ref>徳永勝士 (1996) 「HLA の人類遺伝学」『日本臨床免疫学会会誌』=『Japanese journal of clinical immunology』19(6), 541-543</ref><ref>徳永勝士 (2003)「HLA と人類の移動」『Science of humanity Bensei 』(42), 4-9, 東京:勉誠出版</ref><ref>徳永勝士 (2008)「HLA遺伝子:弥生人には別ルートをたどってやってきた四つのグループがあった!」『日本人のルーツがわかる本』逆転の日本史編集部,東京:宝島社,p264-p280</ref>。
[[ヒト白血球型抗原|HLA]]ハプロタイプについては、日本人には大きく以下の4タイプの流れが認められる<ref>徳永勝士 (1995)「HLA遺伝子群からみた日本人のなりたち」『モンゴロイドの地球(3)日本人のなりたち』東京大学出版会,第4章,遺伝子からみた日本人,p193-210</ref><ref>徳永勝士 (1996) 「HLA の人類遺伝学」『日本臨床免疫学会会誌』=『Japanese journal of clinical immunology』19(6), 541-543</ref><ref>徳永勝士 (2003)「HLA と人類の移動」『Science of humanity Bensei 』(42), 4-9, 東京:勉誠出版</ref><ref>徳永勝士 (2008)「HLA遺伝子:弥生人には別ルートをたどってやってきた四つのグループがあった!」『日本人のルーツがわかる本』逆転の日本史編集部,東京:宝島社,p264-p280</ref>。
# B52-DR2: 中国大陸北部から朝鮮半島を経て北九州・近畿へ
# B52-DR2: 中国大陸北部から朝鮮半島を経て北九州・近畿へ
# B44-DR13、B7-DR1: 満州・朝鮮半島東部から日本海沿岸へ
# B44-DR13、B7-DR1: 満州・朝鮮半島東部から日本海沿岸へ
# B54-DR4: 中国南部から琉球諸島を経て太平洋側へ
# B54-DR4: 中国南部から琉球諸島を経て太平洋側へ
# B46-DR8: 中国大陸南部から直接、あるいは朝鮮半島を経由して北九州へ
# B46-DR8: 中国大陸南部から直接、あるいは朝鮮半島を経由して北九州へ

1.は中国北部、モンゴルの一集団に高頻度のタイプで、国内では九州北部から本州中央部にかけて多い。

2.は満族、韓国人<ref name=北朝鮮>北朝鮮では調査がなされていない</ref>に高頻度タイプで、国内では日本海側に多い。

3.は中国南部に多いタイプで、国内では沖縄や太平洋側に多い。

4.は国外では満族と韓国人<ref name=北朝鮮/>のみに多くみられ、国内には九州北部から本州中央部にかけて多い。このタイプの姉妹タイプB46-DR9が東南アジアで最も高頻度でみられる。


1.は中国北部、モンゴルの一集団に高頻度のタイプで、国内では九州北部から本州中央部にかけて多い。<br>
2.は満族、韓国人<ref name=北朝鮮>北朝鮮では調査がなされていない</ref>に高頻度タイプで、国内では日本海側に多い。<br>
3.は中国南部に多いタイプで、国内では沖縄や太平洋側に多い。<br>
4.は国外では満族と韓国人<ref name=北朝鮮/>のみに多くみられ、国内には九州北部から本州中央部にかけて多い。このタイプの姉妹タイプB46-DR9が東南アジアで最も高頻度でみられる。<br>
さらにこれとは別に縄文系と想定される別の複数のハプロタイプが南九州や北東北に存在する。また[[アイヌ]]は日本人と異なる型が多いという。
さらにこれとは別に縄文系と想定される別の複数のハプロタイプが南九州や北東北に存在する。また[[アイヌ]]は日本人と異なる型が多いという。


==== 塩基多様度のネット値(DA)分析による系統関係 ====
==== 塩基多様度のネット値 (DA) 分析による系統関係 ====
ミトコンドリアDNAの塩基配列の多様性の度合いを比較分析することによっても系統関係を計測できる。塩基多様度のネット値(DA)分析によって求められた集団間の遺伝距離をもとにした系統樹では、まずアフリカ人より西ユーラシア人(ヨーロッパ人)と東ユーラシア人(東アジア人)とが分岐し、次いで東ユーラシア人からアメリカ先住民が分岐し、次いでアイヌと東アジア人クラスターが分岐、次いで中国人と東アジア人が分岐、次いで沖縄と本州とが分岐する<ref>宝来聡「DNA人類類進化学」岩波書店、116頁。[http://ir.lib.u-ryukyu.ac.jp/bitstream/123456789/146/2/04_doi.pdf 宝来聡「ミトコンドリアDNAからみた日本人の成立」琉球大学医学部公開講座講演要旨、1997年3月]</ref>。
ミトコンドリアDNAの塩基配列の多様性の度合いを比較分析することによっても系統関係を計測できる。塩基多様度のネット値 (DA) 分析によって求められた集団間の遺伝距離をもとにした系統樹では、まずアフリカ人より西ユーラシア人(ヨーロッパ人)と東ユーラシア人(東アジア人)とが分岐し、次いで東ユーラシア人からアメリカ先住民が分岐し、次いでアイヌと東アジア人クラスターが分岐、次いで中国人と東アジア人が分岐、次いで沖縄と本州とが分岐する<ref>宝来聡「DNA人類類進化学」岩波書店、116頁。[http://ir.lib.u-ryukyu.ac.jp/bitstream/123456789/146/2/04_doi.pdf 宝来聡「ミトコンドリアDNAからみた日本人の成立」琉球大学医学部公開講座講演要旨、1997年3月]</ref>。


==== ゲノムワイドな解析 ====
==== ゲノムワイドな解析 ====
[[ヒトゲノム]]が解析されて<ref name="IHGSC2001" />以来、人類集団間の遺伝的関係を推定するために大量の[[SNP]]を解析する研究が進展している<ref name="HapMap2005" />。日本列島の人類集団においても、このようなアプローチによる集団の歴史の解明、医療方面への応用が期待される。
[[ヒトゲノム]]が解析されて<ref name="IHGSC2001" />以来、人類集団間の遺伝的関係を推定するために大量の[[一塩基多型|SNP]]を解析する研究が進展している<ref name="HapMap2005" />。日本列島の人類集団においても、このようなアプローチによる集団の歴史の解明、医療方面への応用が期待される。


遺伝子マーカーとしてのミトコンドリアDNA、Y染色体DNAとの違いは、①注目するDNA領域長、②遺伝的組み換えの有無、③遺伝様式などが挙げられる。
遺伝子マーカーとしてのミトコンドリアDNA、Y染色体DNAとの違いは、①注目するDNA領域長、②遺伝的組み換えの有無、③遺伝様式などが挙げられる。
523行目: 524行目:


日本列島内部集団の遺伝的構造を解析した例として、7001人のサンプルを解析したYamaguchi-Kabata et al.(2008)<ref name="Yamaguchi2008" />では、日本列島の人類集団が琉球クラスターと本土クラスター
日本列島内部集団の遺伝的構造を解析した例として、7001人のサンプルを解析したYamaguchi-Kabata et al.(2008)<ref name="Yamaguchi2008" />では、日本列島の人類集団が琉球クラスターと本土クラスター
に分かれることをゲノムレベルで示した。これはミトコンドリアやY染色体の解析からも予想されていた、日本列島人類集団の[[二重構造モデル]]を支持する結果であった。しかし本土クラスターと琉球クラスターの遺伝的分化の程度は非常に小さく、そのためSNPの頻度の違いは大部分についてはわずかであった<ref>http://www.riken.jp/r-world/info/release/press/2008/080926/detail.html</ref>。
に分かれることをゲノムレベルで示した。これはミトコンドリアやY染色体の解析からも予想されていた、日本列島人類集団の[[二重構造モデル]]を支持する結果であった。しかし本土クラスターと琉球クラスターの遺伝的分化の程度は非常に小さく、そのためSNPの頻度の違いは大部分についてはわずかであった<ref>http://www.riken.jp/r-world/info/release/press/2008/080926/detail.html {{リンク切れ|date=2017年3月}}</ref>。


しかしYamaguchi-Kabata et al.(2008)ではアイヌ人の集団サンプルを解析してはいなかった。最新の成果としては、[[斎藤成也]]ら総合研究大学院大学による大規模調査がある。これは、ヒトゲノム中の[[SNP]](単一塩基多型)を示す100万塩基サイトを一挙に調べることができるシステムを用いて、アイヌ人36個体分、琉球人35個体分を含む日本列島人のDNA分析を行った。
しかしYamaguchi-Kabata et al.(2008)ではアイヌ人の集団サンプルを解析してはいなかった。最新の成果としては、[[斎藤成也]]ら総合研究大学院大学による大規模調査がある。これは、ヒトゲノム中の[[一塩基多型|SNP]](単一塩基多型)を示す100万塩基サイトを一挙に調べることができるシステムを用いて、アイヌ人36個体分、琉球人35個体分を含む日本列島人のDNA分析を行った。

その結果アイヌ人からみると琉球人が遺伝的にもっとも近縁であり、両者の中間に位置する本土人は、沖縄にすむ日本人に次いでアイヌ人に近いことが示された。さらに、他の30人類集団のデータとの比較より日本列島人の特異性が示された。このことは、現代日本列島には旧石器時代から日本列島に住む縄文人の系統と弥生系渡来人の系統が共存するという、二重構造説を強く支持する。また、アイヌ人はさらに別の第三の系統([[ニブフ]]などのオホーツク沿岸居住民)との遺伝子交流があり、本土人との混血と第三の系統との混血が共存するために個体間の多様性がきわめて大きいこともわかった<ref>http://www.soken.ac.jp/news_all/2719.html</ref>。


その結果アイヌ人からみると琉球人が遺伝的にもっとも近縁であり、両者の中間に位置する本土人は、沖縄にすむ日本人に次いでアイヌ人に近いことが示された。さらに、他の30人類集団のデータとの比較より日本列島人の特異性が示された。このことは、現代日本列島には旧石器時代から日本列島に住む縄文人の系統と弥生系渡来人の系統が共存するという、二重構造説を強く支持する。また、アイヌ人はさらに別の第三の系統([[ニブフ]]などのオホーツク沿岸居住民)との遺伝子交流があり、本土人との混血と第三の系統との混血が共存するために個体間の多様性がきわめて大きいこともわかった<ref>http://www.soken.ac.jp/news_all/2719.html</ref>。
また、この調査により、主成分分析およびfrappe分析から、アイヌ人個体の3分の1以上に本土日本人との遺伝子交流が認められた。
また、この調査により、主成分分析およびfrappe分析から、アイヌ人個体の3分の1以上に本土日本人との遺伝子交流が認められた。

アイヌ人と琉球人は、東ユーラシア人の系統樹においてクラスターを形成しており、ブートストラップ確率(推定系統樹の信頼度)は100%であった。さらにこのクラスターは、系統樹上で、本土日本人とのクラスターを形成していた<ref>[https://www.soken.ac.jp/news/5276/ 国立大学法人 総合研究大学院大学 【プレスリリース】日本列島人類集団の遺伝的近縁性]</ref>。
アイヌ人と琉球人は、東ユーラシア人の系統樹においてクラスターを形成しており、ブートストラップ確率(推定系統樹の信頼度)は100%であった。さらにこのクラスターは、系統樹上で、本土日本人とのクラスターを形成していた<ref>[https://www.soken.ac.jp/news/5276/ 国立大学法人 総合研究大学院大学 【プレスリリース】日本列島3人類集団の遺伝的近縁性]</ref>。


==== その他の分子人類学的指標による諸説 ====
==== その他の分子人類学的指標による諸説 ====
539行目: 542行目:
|year=1996
|year=1996
|publisher=裳華房
|publisher=裳華房
|isbn=978-4785386382 
|isbn=978-4785386382
}}要ページ表記</ref><ref>斉藤成也『DNAからみた日本人』筑摩書房 p56</ref><ref>{{citation
}}要ページ表記</ref><ref>斉藤成也『DNAからみた日本人』筑摩書房 p56</ref><ref>{{citation
|title=日本人になった祖先たち - DNAから解明するその多元的構造
|title=日本人になった祖先たち - DNAから解明するその多元的構造
563行目: 566行目:
}}</ref>。
}}</ref>。


京都大学ウイルス研究所の[[日沼頼夫]]は[[ALT]]([[成人T細胞白血病]])レトロウイ(HTLV)のキャリアが多い地域を縄文系の人が色濃く残存する地域と考えた<ref>日沼頼夫(1998) 「ウイルスから日本人の起源を探る」『日本農村医学会誌』,46(6),908-911</ref>。ATLのウイスルキャリアは日本人に多数存在するが、東アジアの周辺諸国ではまったく見出されず、アメリカ先住民やアフリカ、ニューギニア先住民などで多い。日本国内の分布に目を転じると、九州や沖縄、アイヌに特に高頻度で見られ、四国南部、紀伊半島の南部、東北地方の太平洋側、隠岐、五島列島などの僻地や離島に多いことが判明している。九州、四国、東北の各地方におけるATLの好発地域を詳細に検討すると、周囲から隔絶され交通の不便だった小集落でキャリアは高率に温存されている。HTLVはかつて日本列島のみならず東アジア大陸部にも広く分布していたが、激しい淘汰が繰り返されて大陸部では消滅し、弥生時代になってウイルス非キャリアの大陸集団が日本列島中央部に多数移住してくると、列島中央部でウイルスが薄まっていったが、列島両端や僻地には縄文系のキャリア集団が色濃く残ったものと考えられている。
京都大学ウイルス研究所の[[日沼頼夫]]はALT([[成人T細胞白血病]])レトロウイルス (HTLV) のキャリアが多い地域を縄文系の人が色濃く残存する地域と考えた<ref>日沼頼夫(1998) 「ウイルスから日本人の起源を探る」『日本農村医学会誌』,46(6),908-911</ref>。ATLのウイスルキャリアは日本人に多数存在するが、東アジアの周辺諸国ではまったく見出されず、アメリカ先住民やアフリカ、ニューギニア先住民などで多い。日本国内の分布に目を転じると、九州や沖縄、アイヌに特に高頻度で見られ、四国南部、紀伊半島の南部、東北地方の太平洋側、隠岐、五島列島などの僻地や離島に多いことが判明している。九州、四国、東北の各地方におけるATLの好発地域を詳細に検討すると、周囲から隔絶され交通の不便だった小集落でキャリアは高率に温存されている。HTLVはかつて日本列島のみならず東アジア大陸部にも広く分布していたが、激しい淘汰が繰り返されて大陸部では消滅し、弥生時代になってウイルス非キャリアの大陸集団が日本列島中央部に多数移住してくると、列島中央部でウイルスが薄まっていったが、列島両端や僻地には縄文系のキャリア集団が色濃く残ったものと考えられている。


=== 形質人類学、考古学からの接近方法 ===
=== 形質人類学、考古学からの接近方法 ===
日本人の形成過程を分析する形質人類学からの接近方法には原人や古人骨などの形態解析、石器の分布分析などが古典的な方法としてある<ref>[http://www.um.u-tokyo.ac.jp/publish_db/1995collection2/tenji_honyurui2_35.html 馬場悠男「港川人1号人骨」東京大学総合研究資料館1996]ほか。</ref>。形質人類学的な手法は、「ヒト集団の系統関係の把握」という用途に用いるにはかなり限界があるとの指摘が聞かれてきたところであり、この用途に限って言えば、完全に主役の座を分子人類学に譲り渡した感が強い。もっとも、遺跡発掘骨の年代推定は、発掘物のAMS放射性炭素年代測定法によりかなり正確に推定できる利点がある。
日本人の形成過程を分析する形質人類学からの接近方法には原人や古人骨などの形態解析、石器の分布分析などが古典的な方法としてある<ref>[http://www.um.u-tokyo.ac.jp/publish_db/1995collection2/tenji_honyurui2_35.html 馬場悠男「港川人1号人骨」東京大学総合研究資料館1996]{{リンク切れ|date=2017年3月}}ほか。</ref>。形質人類学的な手法は、「ヒト集団の系統関係の把握」という用途に用いるにはかなり限界があるとの指摘が聞かれてきたところであり、この用途に限って言えば、完全に主役の座を分子人類学に譲り渡した感が強い。もっとも、遺跡発掘骨の年代推定は、発掘物のAMS放射性炭素年代測定法によりかなり正確に推定できる利点がある。
{{See|港川人|日本列島の旧石器時代}}
{{See|港川人|日本列島の旧石器時代}}


603行目: 606行目:


=== 民族学 ===
=== 民族学 ===
人類学者の[[鳥居龍蔵]]は、[[アイヌ]]、固有日本人(朝鮮半島を経由して、あるいは沿海州から来た北方系民族)、[[インドシナ]]族([[苗族]])、[[インドネシア]]族([[隼人]])を主な構成要素として日本民族が形成されたと考えた<ref>『鳥居龍蔵全集』第1巻、朝日新聞社、1975年</ref>。
人類学者の[[鳥居龍蔵]]は、[[アイヌ]]、固有日本人(朝鮮半島を経由して、あるいは沿海州から来た北方系民族)、[[インドシナ半島|インドシナ]]族([[苗族]])、[[インドネシア]]族([[隼人]])を主な構成要素として日本民族が形成されたと考えた<ref>『鳥居龍蔵全集』第1巻、朝日新聞社、1975年</ref>。


民族学者の[[岡正雄]]は、先史時代の日本列島には少なくとも以下の5つの種族文化が渡来したとしている<ref>異人その他 日本民族=文化の源流と日本国家の形成 言叢社 1979</ref><ref>『異人その他 他十二篇 岡正雄論文集』岩波文庫、1994年</ref>。
民族学者の[[岡正雄]]は、先史時代の日本列島には少なくとも以下の5つの種族文化が渡来したとしている<ref>異人その他 日本民族=文化の源流と日本国家の形成 言叢社 1979</ref><ref>『異人その他 他十二篇 岡正雄論文集』岩波文庫、1994年</ref>。
# 母系的、秘密結社的、芋栽培=狩猟民文化(メラネシア方面)
# 母系的、秘密結社的、芋栽培=狩猟民文化(メラネシア方面)
# 母系的、陸稲栽培=狩猟民文化(東南アジア方面)
# 母系的、陸稲栽培=狩猟民文化(東南アジア方面)
616行目: 619行目:
2.は縄文末期に日本に流入。狩猟生活とともに山地丘陵の斜面の[[焼畑]]において[[陸稲]]を栽培した。(太陽神[[アマテラス]]の崇拝、家族的、村落共同的[[シャーマニズム]]、司祭的女性支配者)
2.は縄文末期に日本に流入。狩猟生活とともに山地丘陵の斜面の[[焼畑]]において[[陸稲]]を栽培した。(太陽神[[アマテラス]]の崇拝、家族的、村落共同的[[シャーマニズム]]、司祭的女性支配者)


3.は弥生初期に満州、朝鮮方面から[[ツングース系民族|ツングース]]系統のある種族によって日本に流入。[[粟]]、[[黍]]を焼畑で栽培しながらも狩猟も行った。[[アルタイ諸語|アルタイ語]]系の言語を最初に日本に持ち込んだのはこの種族。([[櫛目文土器]]、穀物の穂摘み用半月系石器)。日本語のウカラ、ヤカラ、ハラカラなど同属集団を意味する言葉ハラ=カラは[[ツングース諸語]]において外婚的父系同属集団を呼んだ語ハラ(Hala)に系統を引く。
3.は弥生初期に満州、朝鮮方面から[[ツングース系民族|ツングース]]系統のある種族によって日本に流入。[[粟]]、[[黍]]を焼畑で栽培しながらも狩猟も行った。[[アルタイ諸語|アルタイ語]]系の言語を最初に日本に持ち込んだのはこの種族。([[櫛目文土器]]、穀物の穂摘み用半月系石器)。日本語のウカラ、ヤカラ、ハラカラなど同属集団を意味する言葉ハラ=カラは[[ツングース諸語]]において外婚的父系同属集団を呼んだ語ハラ (Hala) に系統を引く。


4.は紀元前4世紀から5世紀頃、揚子江の夏口地方よりも南の沿岸地域から[[呉]]、[[越]]両国滅亡に伴う民族移動の余波として日本に渡来したもの。弥生文化における南方的と言われる諸要素を日本列島にもたらした。[[オーストロネシア語族|アウストロネシア系]]の種族文化。(水稲耕作、進んだ漁撈技術、板張り船)若者宿、娘宿、寝宿、産屋、月経小屋、喪屋など機能に応じて独立の小屋を建てる慣習も年齢階梯制(年齢や世代の区分で社会を階層づける社会組織)によるもの。
4.は紀元前4世紀から5世紀頃、揚子江の夏口地方よりも南の沿岸地域から[[呉 (春秋)|呉]]、[[越]]両国滅亡に伴う民族移動の余波として日本に渡来したもの。弥生文化における南方的と言われる諸要素を日本列島にもたらした。[[オーストロネシア語族|アウストロネシア系]]の種族文化。(水稲耕作、進んだ漁撈技術、板張り船)若者宿、娘宿、寝宿、産屋、月経小屋、喪屋など機能に応じて独立の小屋を建てる慣習も年齢階梯制(年齢や世代の区分で社会を階層づける社会組織)によるもの。


5.は支配者王侯文化・国家的支配体制を持ち込んだ[[天皇]]氏族を中心とする部族の文化。4の文化と同系同質の種族が、西から来たアルタイ系[[騎馬民族|騎馬遊牧民]]によって征服され国家に組織されることによって、満州南部に置いて成立したが1世紀前から南下し始め朝鮮半島南部に暫く留まり3~4世紀頃に日本列島に渡来。大家族、「ウジ」族、種族のタテの三段に構成される種族構造。「ウジ」父系的氏族、軍隊体制、王朝制、氏族長会議、奴隷制、氏族職階製、各種の職業集団、鍛冶職集団などを所有。氏族や種族を五つの部分に区画する「五組織」的な社会及び軍事の構造もこの文化。天神崇拝、父系的祖先崇拝、職業的シャーマニズムなどの宗教要素もこの文化。[[ユーラシア]][[ステップ]]地域の騎馬遊牧民の文化と本質的に完全一致する。
5.は支配者王侯文化・国家的支配体制を持ち込んだ[[天皇]]氏族を中心とする部族の文化。4の文化と同系同質の種族が、西から来たアルタイ系[[騎馬民族|騎馬遊牧民]]によって征服され国家に組織されることによって、満州南部に置いて成立したが1世紀前から南下し始め朝鮮半島南部に暫く留まり3 - 4世紀頃に日本列島に渡来。大家族、「ウジ」族、種族のタテの三段に構成される種族構造。「ウジ」父系的氏族、軍隊体制、王朝制、氏族長会議、奴隷制、氏族職階製、各種の職業集団、鍛冶職集団などを所有。氏族や種族を五つの部分に区画する「五組織」的な社会及び軍事の構造もこの文化。天神崇拝、父系的祖先崇拝、職業的シャーマニズムなどの宗教要素もこの文化。[[ユーラシア・ステップ]]地域の騎馬遊牧民の文化と本質的に完全一致する。


=== 言語学 ===
=== 言語学 ===
629行目: 632行目:


=== 学際研究による日本列島へのヒト渡来経路の総合的分析 ===
=== 学際研究による日本列島へのヒト渡来経路の総合的分析 ===
平成17年(2005年)度から21年(2009年)度にかけて、日本学術振興会による共同研究「更新世から縄文・弥生期にかけての日本人の変遷に関する総合的研究」が行われ、2010年2月20日には国立科学博物館にて公開シンポジウム「日本人起源論を検証する:形態、DNA、食性モデルの一致、不一致」が開催され、また雑誌『[[科学 (岩波書店)|科学]]』([[岩波書店]]、2010年4月号)では同内容が掲載された<ref>[http://research.kahaku.go.jp/department/anth/s-hp/s14.html 平成17年度から平成21年度日本学術振興会科学研究費補助金(基盤研究(S))による研究「更新世から縄文・弥生期にかけての日本人の変遷に関する総合的研究 」日本人形成過程のシナリオ]、[http://research.kahaku.go.jp/department/anth/s-hp/index.html まとめ2010年5月]2010年9月20日閲覧。および『科学』岩波書店、2010年4月号</ref>。研究代表者の[[溝口優司]]は、研究班員全員の同意が得られるようなシナリオは作れなかったと断ったうえで、日本列島へのヒト渡来経路は現時点では次のようになるとしている<ref>溝口は「本プロジェクト研究班の班員全員の合意によるものではない」と明記している。同リンク先。</ref>。
平成17年(2005年)度から21年(2009年)度にかけて、日本学術振興会による共同研究「更新世から縄文・弥生期にかけての日本人の変遷に関する総合的研究」が行われ、2010年2月20日には国立科学博物館にて公開シンポジウム「日本人起源論を検証する:形態、DNA、食性モデルの一致、不一致」が開催され、また雑誌『[[科学 (岩波書店)|科学]]』([[岩波書店]]、2010年4月号)では同内容が掲載された<ref>[http://research.kahaku.go.jp/department/anth/s-hp/s14.html 平成17年度から平成21年度日本学術振興会科学研究費補助金(基盤研究(S))による研究「更新世から縄文・弥生期にかけての日本人の変遷に関する総合的研究 」日本人形成過程のシナリオ]{{リンク切れ|date=2017年3月}}、[http://research.kahaku.go.jp/department/anth/s-hp/index.html まとめ2010年5月]{{リンク切れ|date=2017年3月}}2010年9月20日閲覧。および『科学』岩波書店、2010年4月号</ref>。研究代表者の[[溝口優司]]は、研究班員全員の同意が得られるようなシナリオは作れなかったと断ったうえで、日本列島へのヒト渡来経路は現時点では次のようになるとしている<ref>溝口は「本プロジェクト研究班の班員全員の合意によるものではない」と明記している。同リンク先。</ref>。
# アフリカで形成された人類集団の一部が、'''5 - 6万年前までには東南アジアに渡来'''し、その地の後期更新世人類となった。
# アフリカで形成された人類集団の一部が、'''5 - 6万年前までには東南アジアに渡来'''し、その地の後期更新世人類となった。
# - 3. 東南アジア後期更新世人類の一部はアジア大陸を北上し、また別の一部は東進してオーストラリア先住民などの祖先になった(典型性確率を使った頭蓋計測値の分析で、オーストラリア東南部出土の人骨化石であるキーロー<ref>[http://www.ajf.australia.or.jp/aboutajf/publications/sirneil/dict/Keilor.html] キーローは[[メルボルン]]の北西19kmに位置し、[[1940年]]に約1万3000年前のキーロー頭骨と4万年前と考えられる石器が出土した。</ref>などに似た後期更新世人も、縄文時代人の祖先候補とすべきであることが指摘された)。
# - 3. 東南アジア後期更新世人類の一部はアジア大陸を北上し、また別の一部は東進してオーストラリア先住民などの祖先になった(典型性確率を使った頭蓋計測値の分析で、オーストラリア東南部出土の人骨化石であるキーロー<ref>[http://www.ajf.australia.or.jp/aboutajf/publications/sirneil/dict/Keilor.html]{{リンク切れ|date=2017年3月}} キーローは[[メルボルン]]の北西19kmに位置し、[[1940年]]に約1万3000年前のキーロー頭骨と4万年前と考えられる石器が出土した。</ref>などに似た後期更新世人も、縄文時代人の祖先候補とすべきであることが指摘された)。
# アジア大陸に進出した後期更新世人類は北アジア(シベリア)、北東アジア、日本列島、南西諸島などに拡散した。シベリアに向かった集団は、少なくとも2万年前までには、バイカル湖付近にまでに到達し、寒冷地適応を果たして北方アジア人的特徴を得た。日本列島に上陸した集団は縄文時代人の祖先となり、南西諸島に渡った集団の中には港川人の祖先もいた。
# アジア大陸に進出した後期更新世人類は北アジア(シベリア)、北東アジア、日本列島、南西諸島などに拡散した。シベリアに向かった集団は、少なくとも2万年前までには、バイカル湖付近にまでに到達し、寒冷地適応を果たして北方アジア人的特徴を得た。日本列島に上陸した集団は縄文時代人の祖先となり、南西諸島に渡った集団の中には港川人の祖先もいた。
# 更新世の終わり頃、北東アジアにまで来ていた、寒冷地適応をしていない後期更新世人類の子孫が、北方からも日本列島へ移住した可能性もある。
# 更新世の終わり頃、北東アジアにまで来ていた、寒冷地適応をしていない後期更新世人類の子孫が、北方からも日本列島へ移住した可能性もある。
641行目: 644行目:
;美称
;美称
* [[日本男児]]、大和男(やまとおのこ)
* [[日本男児]]、大和男(やまとおのこ)
* [[やまとなでしこ|大和撫子]]
* 大和撫子
前者は日本男性、後者は日本女性を指す。[[武士道]]、[[武芸 (日本)|武芸]]、日本的[[道徳]]、[[教養]]、[[芸術]]、[[和裁]]、[[日本料理]]の技能などを備えていることの誉め言葉としてよく使われる。国際スポーツ大会で活躍した日本チーム・選手は、20世紀末からは「[[サムライ]]○○」と呼ばれるようになった。(例)[[サッカー日本代表|サムライブルー]]、[[2009 ワールド・ベースボール・クラシック日本代表|サムライジャパン]]。
前者は日本男性、後者は日本女性を指す。[[武士道]]、[[武芸 (日本)|武芸]]、日本的[[道徳]]、[[教養]]、[[芸術]]、[[和裁]]、[[日本料理]]の技能などを備えていることの誉め言葉としてよく使われる。国際スポーツ大会で活躍した日本チーム・選手は、20世紀末からは「[[侍|サムライ]]○○」と呼ばれるようになった。(例)[[サッカー日本代表|サムライブルー]]、[[2009 ワールド・ベースボール・クラシック日本代表|サムライジャパン]]。


;他の言語
;他の言語
[[アイヌ語]]で、[[アイヌ]]人以外の日本人を、「自分のそば」「隣人」という意味のシサムという。それ以外の言語では、おおむね「漢語の日本の現地発音、ジパングに類似した固有名詞」+「国民、住民を表す接頭語、接尾語」で表現される。
[[アイヌ語]]で、[[アイヌ]]人以外の日本人を、「自分のそば」「隣人」という意味のシサムという。それ以外の言語では、おおむね「漢語の日本の現地発音、ジパングに類似した固有名詞」+「国民、住民を表す接頭語、接尾語」で表現される。

[[中国語]]では、日本または日本人のことを[[小日本]]という蔑称で呼ぶことがある。
[[中国語]]では、日本または日本人のことを[[小日本]]という蔑称で呼ぶことがある。


==言語==
==言語==
{{節stub}}
{{節スタブ}}
日本人の殆どが[[日本語]]を話す。他、[[琉球民族]]では[[琉球語]]([[琉球方言]])が話されるが、伝統的な方言は殆ど衰退している。そもそも琉球語を個別[[言語]]とするか[[日本語の方言]]とするかで議論があり、琉球語の下位方言をさらに独立した言語とする場合もある。
日本人の殆どが[[日本語]]を話す。他、[[琉球民族]]では[[琉球語]]([[琉球方言]])が話されるが、伝統的な方言は殆ど衰退している。そもそも琉球語を個別[[言語]]とするか[[日本語の方言]]とするかで議論があり、琉球語の下位方言をさらに独立した言語とする場合もある。


657行目: 661行目:


== 宗教 ==
== 宗教 ==
日本人の特定の[[宗教]]の[[信者]]数は、[[文化庁]]が[[宗教法人]]に対する宗教統計調査では、[[神道]]系が約9,126万人、[[仏教]]系が約8,690万人、[[キリスト教]]系が約294万人、その他約906万人、合計1億9,017万人と日本の人口の約1.5倍になっている<ref name="宗教統計調査">{{cite web|url= http://www.bunka.go.jp/tokei_hakusho_shuppan/tokeichosa/shumu/pdf/h25kekka.pdf|title=宗教統計調査結果―平成25年12月31日現在―|publisher=文化庁|date=2013-12-31|accessdate=2016-02-17|format=PDF}}</ref>。一方、国民へのアンケート調査からは、「何らかの信仰・信心を持っている、あるいは信じている」人の割合は20%~30%という結果が出やすい<ref name="武蔵野大">{{cite web|url= http://www.musashino-u.ac.jp/bukken/pdf/watanabehiro27.pdf|title=日本の宗教人口-2億と2-3割の怪の解-|publisher=[[武蔵野大学]]仏教文化研究所 渡辺浩希|accessdate =2014-07-03}}</ref>。[[河合隼雄]]は『[[対話する生と死]]』の中で、日本人は宗教を毛嫌いしたり無宗教であることを公言する人が他国に比較し多いことを指摘し、[[キリスト教]]や[[イスラム教]]信者の信仰心は日本人の想像を超えるものであると述べている。また、日本では戦時中に宗教が[[国家権力]]と結びつき悪用されたことやもともと日本人は日常生活の中に、宗教性を入れ込んで生きる姿勢を保持していたため、特定の宗教を他の[[一神教]]の信者らが「信じる」ような態度で信仰しなかったと指摘している<ref name="taiwa">河合隼雄『対話する生と死』([[大和書房]])</ref>。
日本人の特定の[[宗教]]の[[信者]]数は、[[文化庁]]が[[宗教法人]]に対する宗教統計調査では、[[神道]]系が約9,126万人、[[仏教]]系が約8,690万人、[[キリスト教]]系が約294万人、その他約906万人、合計1億9,017万人と日本の人口の約1.5倍になっている<ref name="宗教統計調査">{{cite web|url= http://www.bunka.go.jp/tokei_hakusho_shuppan/tokeichosa/shumu/pdf/h25kekka.pdf|title=宗教統計調査結果―平成25年12月31日現在―|publisher=文化庁|date=2013-12-31|accessdate=2016-02-17|format=PDF}}</ref>。一方、国民へのアンケート調査からは、「何らかの信仰・信心を持っている、あるいは信じている」人の割合は20% - 30%という結果が出やすい<ref name="武蔵野大">{{cite web|url= http://www.musashino-u.ac.jp/bukken/pdf/watanabehiro27.pdf|title=日本の宗教人口-2億と2-3割の怪の解-|publisher=[[武蔵野大学]]仏教文化研究所 渡辺浩希|accessdate =2014-07-03}}</ref>。[[河合隼雄]]は『[[対話する生と死]]』の中で、日本人は宗教を毛嫌いしたり無宗教であることを公言する人が他国に比較し多いことを指摘し、[[キリスト教]]や[[イスラム教]]信者の信仰心は日本人の想像を超えるものであると述べている。また、日本では戦時中に宗教が[[国家権力]]と結びつき悪用されたことやもともと日本人は日常生活の中に、宗教性を入れ込んで生きる姿勢を保持していたため、特定の宗教を他の[[一神教]]の信者らが「信じる」ような態度で信仰しなかったと指摘している<ref name="taiwa">河合隼雄『対話する生と死』([[大和書房]])</ref>。


{{main|日本の宗教}}
{{main|日本の宗教}}
665行目: 669行目:
{{See|日本人論}}
{{See|日本人論}}
* '''祖先の調査'''
* '''祖先の調査'''
** [[デオキシリボ核酸|DNA]]分析によるルーツ(祖先)調査は、[[ナショナルジオグラフィック協会]]と[[IBM]]による[[ジェノグラフィック・プロジェクト]]<ref>{{Cite web |title=Geno 2.0: The Greatest Journey Ever Told |url=https://genographic.nationalgeographic.com/genographic/ |language=en |work=(official website) |publisher=[[ナショナルジオグラフィック協会|National Geographic Society]] |accessdate=2013-01-23}}:有料。 ※[http://nationalgeographic.jp/nng/topics/n20050413_1.shtml 日本語版]。</ref>や、ローカス<ref>{{Cite web |title=DNAルーツ |url=http://www.rocus.co.jp/roots/dnaroots.htm |work=(公式ウェブサイト)|publisher=株式会社ローカス (Rucus) |accessdate=2013-01-23}}:有料。</ref>などで検査可能である。
** [[デオキシリボ核酸|DNA]]分析によるルーツ(祖先)調査は、[[ナショナルジオグラフィック協会]]と[[IBM]]による[[ジェノグラフィック・プロジェクト]]<ref>{{Cite web |title=Geno 2.0: The Greatest Journey Ever Told |url=https://genographic.nationalgeographic.com/genographic/ |language=en |work=(official website) |publisher=[[ナショナルジオグラフィック協会|National Geographic Society]] |accessdate=2013-01-23}}:有料。※[http://nationalgeographic.jp/nng/topics/n20050413_1.shtml 日本語版]。</ref>や、ローカス<ref>{{Cite web |title=DNAルーツ |url=http://www.rocus.co.jp/roots/dnaroots.htm |work=(公式ウェブサイト)|publisher=株式会社ローカス (Rucus) |accessdate=2013-01-23}}:有料。</ref>などで検査可能である。
:* [[東京都健康長寿医療センター]](旧・東京都老人総合研究所)の健康長寿ゲノム探索研究チームでも「[[健康]][[長寿]]を可能にする遺伝的素因の解明」という主題のもとにDNA系統分析が行われている<ref>{{Cite web |date= |title=研究チーム紹介・健康長寿ゲノム探索研究チーム |url=http://www.tmig.or.jp/J_TMIG/j_research/A40.html |work=(公式ウェブサイト)|publisher=地方独立行政法人 東京都健康長寿医療センター 東京都健康長寿医療センター研究所 |accessdate=2009-08-30}}</ref><ref>{{Cite book|和書 |author=産経新聞生命ビッグバン取材班 |date=2009-05-30 |title=ここまでわかってきた日本人の起源 |publisher=[[産経新聞出版]] |isbn=4-5940-5955-4 IPSN-13 978-4-5940-5955-2 |page=17頁}}</ref>。
** [[東京都健康長寿医療センター]](旧・東京都老人総合研究所)の健康長寿ゲノム探索研究チームでも「[[健康]][[長寿]]を可能にする遺伝的素因の解明」という主題のもとにDNA系統分析が行われている<ref>{{Cite web |date= |title=研究チーム紹介・健康長寿ゲノム探索研究チーム |url=http://www.tmig.or.jp/J_TMIG/j_research/A40.html |work=(公式ウェブサイト)|publisher=地方独立行政法人 東京都健康長寿医療センター 東京都健康長寿医療センター研究所 |accessdate=2009-08-30}}</ref><ref>{{Cite book|和書 |author=産経新聞生命ビッグバン取材班 |date=2009-05-30 |title=ここまでわかってきた日本人の起源 |publisher=[[産経新聞出版]] |isbn=978-4-5940-5955-2 |page=17頁}}</ref>。
* '''{{anchor|日本人の形質変化}}'''
* '''{{anchor|日本人の形質変化}}'''
: 歴史的に日本人の[[形質]]が大きく変化してきたことは[[人類学|人類学者]]・[[鈴木尚]]らの研究によって明らかになっているが、[[近代#アジア|近代]]以降は[[脚#人の脚|下肢]]が伸びて身長が高くなる、[[顎]]が縮小して面長になるなどの変化(小進化)が著しい。近年{{いつ|date=2013年1月}}の傾向としては[[歯]]の縮小と[[歯#永久歯|永久歯]]の減少が進んでおり、[[親知らず]]が生えない日本人が増えているが、それ以上に顎の[[退化]]が進み、歯並びが悪い若者が増えている。歴史的には同様の現象は[[徳川将軍家]]を始めとする[[江戸時代]]の[[大名家]]にも顕著にみられ、柔らかい食べ物を好んで食べるようになったのが原因と考えられている。
: 歴史的に日本人の[[形質]]が大きく変化してきたことは[[人類学|人類学者]]・[[鈴木尚]]らの研究によって明らかになっているが、[[近代#アジア|近代]]以降は[[脚#人の脚|下肢]]が伸びて身長が高くなる、[[顎]]が縮小して面長になるなどの変化(小進化)が著しい。近年{{いつ|date=2013年1月}}の傾向としては[[歯]]の縮小と[[歯#永久歯|永久歯]]の減少が進んでおり、[[親知らず]]が生えない日本人が増えているが、それ以上に顎の[[退化]]が進み、歯並びが悪い若者が増えている。歴史的には同様の現象は[[徳川将軍家]]を始めとする[[江戸時代]]の[[大名家]]にも顕著にみられ、柔らかい食べ物を好んで食べるようになったのが原因と考えられている。
* '''{{anchor|邦人}}'''(ほうじん)
* '''{{anchor|邦人}}'''(ほうじん)
: 「[[wikt:邦|邦]]」の字は「[[wikt:国|国]]」と同義であり、したがって「邦人」の字義は「[[国]]の[[人間|人]]」(歴史的用語である[[国人]]とは意味が異なる)である。その語義は第1に「([[文]]が[[主体と客体|主体]]とする)国の人間」を意味し、「自国の人」を指す。この意の「邦人」は、文の主体が日本であれば「日本人」を指し、他の国であればその国の人を指す(用例:[[アメリカ政府]]は邦人の救出に成功した)。ただ、当然ながら[[日本語]]において日本人を指すことが多いため、[[現代 (時代区分)|現代]]においてはこれが「邦人」の第2義となっている(用例:[[日本国政府|日本政府]]は邦人の釈放を要求した)。なお、第2義の「邦人」は[[日本の外国人|日本に滞在する外国人]]や[[日系人]]を含まないことが多い。「日本国外に居留(在留)する日本人('''海外在留邦人'''、略して'''在留邦人'''とも、'''在外邦人'''などとも呼ばれる。旅行者は含まない)」に対して使われることが多く、[[マスメディア]]では「現地在留の日本人」を指して用いられる頻度が高いが、現代日本語のニュアンスとしては、硬質な話題、すなわち、政治経済のニュースや現地在留の日本人が何らかの災禍を被った[[ネガティブ]]なニュースで用いられるケースがほとんどであり(用例:事故に巻き込まれた邦人の数は…)、硬質でない話題で用いられることは比較的少ない(用例:ご到着になった[[天皇]]陛下と現地在留の日本人らは…)。また、「当事国の在留日本人」という意味で「在+国名+邦人」や「国名+邦人」とする例も見られる(用例:在アルジェリア邦人拘束事件<ref>{{Cite web |date=2013-01-21 |title=在アルジェリア邦人拘束事件(我が国の働きかけ)|url=http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/algeria/hostage2013/houjinkousoku_20130121.html |work=(公式ウェブサイト)|publisher=[[外務省]] |accessdate=2013-01-23}}</ref>〈''cf.'' [[アルジェリア人質事件]]〉。アルジェリア邦人拘束の報。※後者の場合は第1義的用法〈アルジェリア国の邦人〉との判別は不可能)。
: 「[[wikt:邦|邦]]」の字は「[[wikt:国|国]]」と同義であり、したがって「邦人」の字義は「[[国]]の[[人間|人]]」(歴史的用語である[[国人]]とは意味が異なる)である。その語義は第1に「([[文]]が[[主体と客体|主体]]とする)国の人間」を意味し、「自国の人」を指す。この意の「邦人」は、文の主体が日本であれば「日本人」を指し、他の国であればその国の人を指す(用例:[[アメリカ政府]]は邦人の救出に成功した)。ただ、当然ながら[[日本語]]において日本人を指すことが多いため、[[現代 (時代区分)|現代]]においてはこれが「邦人」の第2義となっている(用例:[[日本国政府|日本政府]]は邦人の釈放を要求した)。なお、第2義の「邦人」は[[日本の外国人|日本に滞在する外国人]]や[[日系人]]を含まないことが多い。「日本国外に居留(在留)する日本人('''海外在留邦人'''、略して'''在留邦人'''とも、'''在外邦人'''などとも呼ばれる。旅行者は含まない)」に対して使われることが多く、[[マスメディア]]では「現地在留の日本人」を指して用いられる頻度が高いが、現代日本語のニュアンスとしては、硬質な話題、すなわち、政治経済のニュースや現地在留の日本人が何らかの災禍を被ったネガティブなニュースで用いられるケースがほとんどであり(用例:事故に巻き込まれた邦人の数は…)、硬質でない話題で用いられることは比較的少ない(用例:ご到着になった[[天皇]]陛下と現地在留の日本人らは…)。また、「当事国の在留日本人」という意味で「在+国名+邦人」や「国名+邦人」とする例も見られる(用例:在アルジェリア邦人拘束事件<ref>{{Cite web |date=2013-01-21 |title=在アルジェリア邦人拘束事件(我が国の働きかけ)|url=http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/algeria/hostage2013/houjinkousoku_20130121.html |work=(公式ウェブサイト)|publisher=[[外務省]] |accessdate=2013-01-23}}</ref>〈''cf.'' [[アルジェリア人質事件]]〉。アルジェリア邦人拘束の報。※後者の場合は第1義的用法〈アルジェリア国の邦人〉との判別は不可能)。


== 脚注 ==
== 脚注 ==
{{Reflist|2|refs =
{{Reflist|2|refs =
<ref name="IHGSC2001">International Human Genome Sequencing Consortium (2001)
<ref name="IHGSC2001">International Human Genome Sequencing Consortium (2001) Initial sequencing and analysis of the human genome. Nature, 409: 860-921. {{Doi|10.1038/35057062}}</ref>
<ref name="HapMap2005"> International HapMap Consortium (2005) A haplotype map of the human genome. Nature, 437: 1299-1320. {{Doi|10.1038/nature04226}}</ref>
[http://www.nature.com/nature/journal/v409/n6822/full/409860a0.html Initial sequencing and analysis of the human genome.]
<ref name="Ota2007" >太田(2007) ゲノム科学と人類学―世界の動向と今後の展望―Anthropological Science (Japanese Series). 115(2), 73-83. {{Doi|10.1537/asj.115.73}}</ref>
Nature, 409: 860-921. </ref>
<ref name="Saitou2009" >斉藤(2009) [http://sayer.lab.nig.ac.jp/~saitou/japanese/paper-j.pdf/Anthrop.Sci_2009.pdf#search='%E3%83%92%E3%83%88%E3%82%B2%E3%83%8E%E3%83%A0%E7%A0%94%E7%A9%B6%E3%81%AE%E6%96%B0%E3%81%97%E3%81%84%E5%9C%B0%E5%B9%B3' ヒトゲノム研究の新しい地平]{{リンク切れ|date=2017年3月}}Anthropological Science (Japanese Series). 117(1), 1-9.</ref>
<ref name="HapMap2005"> International HapMap Consortium (2005)
<ref name="Tian2008" >Chao Tian, Roman Kosoy, Annette Lee, Michael Ransom, John W. Belmont, Peter K. Gregersen, Michael F. Seldin (2008) Analysis of East Asia Genetic Substructure Using Genome-Wide SNP Arrays PLoS ONE, 3(12): e3862. {{Doi|10.1371/journal.pone.0003862}}</ref>
[http://www.nature.com/nature/journal/v437/n7063/full/nature04226.html A haplotype map of the human genome.]
<ref name="HUGO2009" >HUGO Pan-Asian SNP Consortium(2009) [http://humpopgenfudan.cn/p/A/A1.pdf Mapping Human Genetic Diversity in Asia.]{{リンク切れ|date=2017年3月}} Science. 326, 1541-1545.
Nature, 437: 1299-1320.
</ref>
<ref name="Ota2007" >太田(2007)  [https://www.jstage.jst.go.jp/article/asj/115/2/115_2_73/_article/-char/ja/ ゲノム科学と人類学―世界の動向と今後の展望―]Anthropological Science (Japanese Series).
115(2), 73-83.
</ref>
<ref name="Saitou2009" >斉藤(2009)
[http://sayer.lab.nig.ac.jp/~saitou/japanese/paper-j.pdf/Anthrop.Sci_2009.pdf#search='%E3%83%92%E3%83%88%E3%82%B2%E3%83%8E%E3%83%A0%E7%A0%94%E7%A9%B6%E3%81%AE%E6%96%B0%E3%81%97%E3%81%84%E5%9C%B0%E5%B9%B3' ヒトゲノム研究の新しい地平]Anthropological Science (Japanese Series). 117(1), 1-9.
</ref>
<ref name="Tian2008" >Chao Tian, Roman Kosoy, Annette Lee, Michael Ransom, John W. Belmont, Peter K. Gregersen, Michael F. Seldin (2008)
[http://www.plosone.org/article/info%3Adoi%2F10.1371%2Fjournal.pone.0003862 Analysis of East Asia Genetic Substructure Using Genome-Wide SNP Arrays] PLoS ONE, 3(12): e3862.
</ref>
<ref name="HUGO2009" >HUGO Pan-Asian SNP Consortium(2009) [http://humpopgenfudan.cn/p/A/A1.pdf Mapping Human Genetic Diversity in Asia.] Science. 326, 1541-1545.
</ref>
<ref name="Yamaguchi2008" >Yumi Yamaguchi-Kabata, Kazuyuki Nakazono, Atsushi Takahashi, Susumu Saito, Naoya Hosono, Michiaki Kubo, Yusuke Nakamura, Naoyuki Kamatani(2008) [http://www.cell.com/AJHG/retrieve/pii/S0002929708004874 Japanese Population Structure, Based on SNP Genotypes from 7003 Individuals Compared to Other Ethnic Groups: Effects on Population-Based Association Studies.] The American Journal of Human Genetics, 83(4), 445-456.
</ref>
</ref>
<ref name="Yamaguchi2008" >Yumi Yamaguchi-Kabata, Kazuyuki Nakazono, Atsushi Takahashi, Susumu Saito, Naoya Hosono, Michiaki Kubo, Yusuke Nakamura, Naoyuki Kamatani(2008) Japanese Population Structure, Based on SNP Genotypes from 7003 Individuals Compared to Other Ethnic Groups: Effects on Population-Based Association Studies. The American Journal of Human Genetics, 83(4), 445-456. {{Doi|10.1016/j.ajhg.2008.08.019}}</ref>
<!--<ref name="Jinam2012" >Japanese Archipelago Human Population Genetics Consortium: Timothy Jinam, Nao Nishida, Momoki Hirai, Shoji Kawamura, Hiroki Oota, Kazuo Umetsu, Ryosuke Kimura, Jun Ohashi, Atsushi Tajima, Toshimichi Yamamoto, Hideyuki Tanabe, Shuhei Mano, Yumiko Suto, Tadashi Kaname, Kenji Naritomi, Kumiko Yanagi, Norio Niikawa, Keiichi Omoto, Katsushi Tokunaga and Naruya Saitou
<!--<ref name="Jinam2012" >Japanese Archipelago Human Population Genetics Consortium: Timothy Jinam, Nao Nishida, Momoki Hirai, Shoji Kawamura, Hiroki Oota, Kazuo Umetsu, Ryosuke Kimura, Jun Ohashi, Atsushi Tajima, Toshimichi Yamamoto, Hideyuki Tanabe, Shuhei Mano, Yumiko Suto, Tadashi Kaname, Kenji Naritomi, Kumiko Yanagi, Norio Niikawa, Keiichi Omoto, Katsushi Tokunaga and Naruya Saitou
[http://www.nature.com/jhg/journal/vaop/ncurrent/full/jhg2012114a.html The history of human populations in the Japanese Archipelago inferred from genome-wide SNP data with a special reference to the Ainu and the Ryukyuan populations.] Journal of Human Genetics, advance online publication 8 November 2012; doi: 10.1038/jhg.2012.114
[http://www.nature.com/jhg/journal/vaop/ncurrent/full/jhg2012114a.html The history of human populations in the Japanese Archipelago inferred from genome-wide SNP data with a special reference to the Ainu and the Ryukyuan populations.] Journal of Human Genetics, advance online publication 8 November 2012; doi: 10.1038/jhg.2012.114
704行目: 696行目:
* [[民族]]
* [[民族]]
* [[ハプロタイプ]]
* [[ハプロタイプ]]
* [[ハプログループD (Y染色体)|ハプログループD]]
* [[ハプログループD (Y染色体)]]
* [[ハプログループD1b (Y染色体)]]
* [[ハプログループD1b (Y染色体)|ハプログループD1b]]
* [[ハプログループO (Y染色体)]]
* [[ハプログループO (Y染色体)|ハプログループO]]
* [[モンゴロイド]]
* [[モンゴロイド]]
* [[倭人]]
* [[倭人]]
715行目: 707行目:
* [[日本の外国人]]
* [[日本の外国人]]
* [[コロボックル説]]
* [[コロボックル説]]
* [[特別:Prefixindex/{{SUBJECTPAGENAME}}|{{SUBJECTPAGENAME}}で始まる記事の一覧]]
* [[特別:Prefixindex/日本人|日本人で始まる記事の一覧]]


== 外部リンク ==
== 外部リンク ==
721行目: 713行目:
* [http://yamatai.cside.com/katudou/kiroku191.htm 日本人の起源]
* [http://yamatai.cside.com/katudou/kiroku191.htm 日本人の起源]
* [http://www.hapmap.org/index.html.ja 国際HapMap計画]
* [http://www.hapmap.org/index.html.ja 国際HapMap計画]
* [http://www.kahaku.go.jp/special/past/japanese/ipix/index.html 日本人はるかな旅展]
* [http://www.geocities.jp/sugiiteruo/index.htm 「菊と刀」と日本人]
* [http://www.geocities.jp/sugiiteruo/index.htm 「菊と刀」と日本人]



2017年3月21日 (火) 15:20時点における版

日本人
日本人、日本民族

紫式部織田信長徳川家康明治天皇
伊藤博文与謝野晶子湯川秀樹今上天皇
明治維新志士たち • 現代の一般的な家庭
総人口
約1億2692万人[1]
日本の旗 日本 121,500,000人
海外に住む日系人4,010,000人以上
全人類の2%弱
居住地域
先住地
日本列島日本の旗 日本)
規模の大きな移民
アメリカ大陸
ブラジルの旗 ブラジル1,600,000[2]
アメリカ合衆国の旗 アメリカ1,404,286[3]
中華人民共和国の旗 中華人民共和国140,134[4]
フィリピンの旗 フィリピン120,000[5][6]
カナダの旗 カナダ109,740[7]
ペルーの旗 ペルー100,000[8]
オーストラリアの旗 オーストラリア71,013[9]
イギリスの旗 イギリス63,017[10]
タイ王国の旗 タイ45,805[9]
ドイツの旗 ドイツ36,960[9]
アルゼンチンの旗 アルゼンチン34,000[11]
フランスの旗 フランス30,947[9]
     ニューカレドニア8,000[12]
大韓民国の旗 韓国28,320[9]
シンガポールの旗 シンガポール23,000[13]
香港の旗 香港21,297[4]
中華民国の旗 中華民国20,373[9]
ミクロネシア連邦の旗 ミクロネシア20,000[14]
メキシコの旗 メキシコ20,000[15]
ボリビアの旗 ボリビア14,000[16]
ニュージーランドの旗 ニュージーランド13,447[9]
イタリアの旗 イタリア12,156[9]
インドネシアの旗 インドネシア11,263[9]
ベトナムの旗 ベトナム9,468[9]
マレーシアの旗 マレーシア9,142[9]
スイスの旗 スイス8,499[9]
バングラデシュの旗 バングラデシュ8,114[17]
スペインの旗 スペイン7,046[9]
オランダの旗 オランダ6,616[9]
ベルギーの旗 ベルギー6,519[9]
マーシャル諸島の旗 マーシャル諸島6,000[18]
インドの旗 インド5,556[19]
言語
日本語族日本語琉球語)、アイヌ語
宗教
神道仏教

日本人(にほんじん、にっぽんじん、: Japanese)は、日本国籍日本国籍)をもつ人、日本国民。または祖先が日本列島に居住していた民族集団を指す。

概要

主に日本人という語は、日本国の法律で「日本国民」と呼んでいる日本国に国籍を有する人々の呼称として用いられる場合と、日本列島に起源をもつ民族集団を指す場合に用いられている。

特徴

モンゴロイド大人種に属しており、一般的に皮膚黄色頭髪黒色茶色、直毛が多く、身長は中位、また幼児期蒙古斑が現れる[20]。平均身長は1940年代末ごろから伸びてきており、男性は171cmになっている。成人女性は通例として、成人男性より平均身長がほぼ8%低い[21]

成立

主要に日本人を形成したのは、日本列島が樺太経由で陸続きだったウルム氷期最寒冷期に渡来した狩猟民と、弥生時代になって朝鮮半島や中国南部から海を渡って渡来した農耕民である。まずウルム氷期にアジア大陸から日本列島に移った後期旧石器時代人は、縄文人の根幹を成した。そして縄文時代終末から弥生時代にかけて、再びアジア大陸から新石器時代人が西日本の一角に渡来した。その地域では急激に新石器時代的身体形質が生じたが、彼らが直接及ばなかった地域は縄文人的形質をとどめていた。その後、古墳時代から奈良時代にかけて徐々に均一化されていった[22]

近年、最初に日本列島に住んだ後期旧石器時代人(縄文人)は古モンゴロイドであり、縄文晩期以降になって日本列島に渡ってきた農耕民は新モンゴロイドであると言われている。新モンゴロイドの影響が直接及ばなかったアイヌは古モンゴロイド的形質をそのまま残していると解されているほか、地理的に本土から隔離された南西諸島の人々は新モンゴロイド的形質が比較的薄い傾向にある。これらの分析では、埴原和郎尾本恵市などが、W・W・ハウエルズの分類によるモンゴロイドの二型(古モンゴロイドと新モンゴロイド)を用いている[23]

かつては約3万年前に大陸から渡来して先土器時代縄文時代文化を築いた先住民を、大陸から渡来した今の日本人の祖先が駆逐したとする説があったが、現在は分子人類学の進展により完全駆逐説は否定され、混血説が主流となっている[24]

定義と分類

日本人は、次のような幾つかの考え方により定義、分類が可能である。

民族としての形成

以下、上記民族的分類による日本人について概説する。なお、近年の科学的研究の進展により従来の見方は大きく見直しが進んでおり、先史時代の日本人の形成については流動的な状況にあることに留意されたい。

石器時代の日本人

石器時代の日本列島には下記の人々が活動した記録がある。

縄文人と弥生人

先史時代の日本列島に住んでいた人間を縄文土器を使用していたことに因み縄文人と呼んでいる[31]。水稲農耕が始まった弥生時代の日本列島に居住する人間を弥生人と呼んでいる。佐原真は弥生人について、渡来系の人々とその子孫、渡来系と縄文人が混血した人々とその子孫などの弥生人(渡来系)と、縄文人が弥生文化を受け入れて変化した弥生人(縄文系)に区別できるとした。ただし弥生時代において縄文文化のみを保持するものや渡来した後縄文文化を受け入れたものについては言及すらしていない[32]。渡来系の人々の移動ルートについては諸説ある。

倭人

倭、倭人に関する記載は、もっとも古い文献では紀元前2世紀に中国の『山海経』と『論衡』にて登場するが、これらの記載は中国南東部の倭人のことを指しているとする説と日本列島の倭人のことを指しているとする説[33]があり、日本列島住民との関わりは不明である[34]。日本列島周辺の倭人について書かれた確実な初出は75年から88年にかけて書かれた『漢書』地理志で、百余りの倭人の国々が楽浪の海にあるとしている。この頃には近隣の漢民族が倭人を別民族として区別していたことがわかる。(詳しくは中華思想を参照。)また、朝鮮半島南部においても近年倭人の墓とされる前方後円墳が発見されており、1600年以上前には朝鮮半島南部も倭人の居住地だったとみられている。

「日本民族」の形成

古墳時代、朝廷権力の拡大とともに「日本」という枠組みの原型が作られ、その後、文化的・政治的意味での日本民族が徐々に形作られていくとされる。

「日本人」「日本民族」という認識(ナショナルアイデンティティ)が形成され浸透していく経緯については諸説あり、ヤマト王権の支配が広い地域に及ぶ以前の弥生時代から倭人として一定の民族的統合があったとする説、また律令制を導入し国家祭祀体制を確立させた7世紀後期の天武持統期(飛鳥時代後期)にその起源を置く説、13世紀元寇鎌倉時代中期)が国内各層に「日本」、「日本人」意識を浸透させていく契機となったとする見解などがある。

大和盆地大王を中心とした連合政権であるヤマト王権(大和朝廷)が成立すると、本州四国九州の住民の大半は大和民族として統合された。東北の蝦夷や南九州の熊襲と呼ばれた諸部族は大和朝廷に服属せず、抵抗した。その後、それらの諸部族は隼人の反乱の失敗や坂上田村麻呂の蝦夷征伐などにより、大和朝廷の下に統合されていった。白村江の戦い以後、倭国は長年支配した朝鮮半島から手を引いたが、代わりに東北日本へ進出し、現在の青森県にあたる本州最北部までを統一する。朝廷の支配が揺らいだ平安時代の東日本では、平将門の将門政権や奥州藤原氏の平泉政権など半独立政権が築かれたものの、東日本と西日本の民族的統合は保たれ、後に関東地方を基盤とした武家政権が全国を支配することとなった。

国民国家の認識

大日本帝国の版図

日本が近代ネーションステート(国民 / 民族国家)として朝鮮半島台湾島を領有していた時代には、日本人という語は、公式には、朝鮮人、台湾人など日本国籍を付与された併合地の先住民族を含む国籍的概念であった。大日本帝国多民族国家であることは強く意識され、現在の日本国民に相当する人々は「内地人」と呼ばれた。ただし、当該の先住民族の間では「日本人」が内地人と同義として使われることが多かった。

南樺太に住んでいたロシア人ポーランド人ウクライナ人ドイツ人、朝鮮人、ウィルタニヴフの中には日本国籍を持っていた者もいた。そのため、第二次世界大戦後、ソ連によって日本人として北海道に強制送還、ないしは自ら進んで移住した朝鮮人、ウィルタ、ニヴフがいた。また、反ソ分子として抑留された者もいた。ポーランド系日本国民の多くはポーランド国籍を取得しポーランドに移住した。

系統

以下、人類学的観点から、日本人の系統または起源に関する諸説について記述する。

系統関係

形質人類学的観点から日本人は、過去の縄文人・弥生人や現在の日本国内に古くから住む住民がモンゴロイドに属する。むろん「モンゴロイド」という分類概念では漢民族などの東ユーラシア人全体が包括され、イヌイットアメリカ先住民も含まれる。

だが遺伝子の研究が進むにつれ、便宜的に使用される分類名称としての各人種も、推定される起源地(原初の居住地)の地理的名称を基準とすることが多い。モンゴロイド集団の分布は日本人形成過程の分析にとって今日もなお重要な手がかりである。

分子人類学による説明

ミトコンドリアDNA(母系)による系統分析

1980年代からのミトコンドリアDNA(母系)の研究の進展により、ヒトの母系の先祖を推定できるようになった(ミトコンドリア・イブ参照)。これにより、アフリカ単一起源説がほぼ証明され、また民族集団の系統も推定できるようになった。ミトコンドリアDNAやY染色体のようなゲノムの組換えをしない部分を用いた系統樹の作成は、集団の移動とルーツを辿るのに用いられる。たとえば日本人のミトコンドリアDNAのハプロタイプの割合と、周辺の集団つまり各ハプログループを比較することで、祖先がどのようなルートを辿って日本列島にたどり着いたかを推定できる。分析に用いられるのは、ミトコンドリアDNAの塩基配列のうち、遺伝子の発現に影響しない中立的な部分である。形態の生成等に関与せず、選択圧を受けないため、分析に用いることができる[35]
ただし、ミトコンドリアDNAは稀に男性のDNAが混じることや、人間より検証個体の多いネズミのDNA測定では、ハプログループの分岐や時期が事実とは全く異なっていたから、あくまでもY染色体DNA等、他の資料と共に考察する必要がある。

以下、ミトコンドリアDNAによる人類集団の系統分析を系統樹にしたものを参考に記す。

人類集団の遺伝的系統
多型マイクロサテライトによる人類の進化系統樹

この系統樹は民族グループに丸め込んでおり、各グループが純粋な一系統のミトコンドリアDNAで構成されていないため正確な分岐順序を導き出せない事に留意する必要がある。 この系統樹図では、最初にアフリカ人とその他の集団が分岐し、次にヨーロッパ人とその他の集団が分岐し、その次に東・東南アジア人とオーストラリア人が分岐し、最後の大きな分岐として東・東南アジア人とアメリカ先住民が分岐したという結果になっている。

人類集団の遺伝的系統-2
近隣結合法による遺伝的近縁図

近縁図は分岐の順序を表すものではなく、グループ同士の要素の近似性を表したに過ぎない事に留意する必要がある。 この図によれば、アフリカン(ネグロイド)からコーカソイド(白人)が離れ、コーカソイドからオセアニアン(オーストラロイド)・東アジア人(モンゴロイド)が離れ、そして東アジア人からネイティブアメリカ人が離れている。

日本人特有のM7aグループ

日本人には特徴的なハプログループM7aというグループがある[36]琉球諸島アイヌに比率が高く本州で比率が少なくなるという分布になっている。発祥地域については議論があるが、台湾付近で発生したM7aが日本を最大集積地(最も頻度の高い地域)とし、台湾・日本から朝鮮半島中国北東部へ北上し、北上の上限がシベリアとなったとの見方が主流である。M7a、M7b、M7cについてもシベリア等からの発祥は考えにくく、南方から北方に移動があったとされている。

これに対して崎谷満2009年の著書で、M7aは極東・アムール川流域にも見られるほか、シベリア南部(ブリヤート)、東南アジアにも見られるとし、発生したのはシベリア南部 - 極東あたりと予想する一方、台湾先住民にも台湾漢民族にも存在せず、台湾から北上して日本列島に入ったものではないと記している[37]。なお崎谷は上記の著書において、ミトコンドリアDNA・Y染色体といった分子人類学的指標、旧石器時代の石刃技法という考古学的指標、成人T細胞白血病ウイルスやヘリコバクター・ピロリといった微生物学的指標のいずれにおいても、東アジアのヒト集団は北ルートから南下したことを示し、南ルートからの北上は非常に限定的で日本列島には及ばなかったと述べている[38]

Y染色体(父系)による系統分析

母系のみをたどるミトコンドリア解析に対し、父系をたどるY染色体は長期間の追跡に適しており、1990年代後半からY染色体ハプログループの研究が急速に進展した[39][40][41]。ヒトのY染色体のDNA型はAからTの20系統がある。複数の研究論文から引用したY染色体のDNA型の比率を示す[42]。全ての型を網羅していないため、合計は100%にならない。空欄は資料なしで、必ずしも0%の意味ではない。

日本人および周辺(日本からおよそ5000㎞以内)の諸民族のY染色体ハプログループの割合
  n C D NO* N O Q R
C1a1 C2 D* D1a D1b O1a O1b O2
O-M95 O1b2
O-47z O1b2
(xO-47z)[43]
日本
(Nonaka et al. 2007)[44]
日本 263 2.3 3.0 0.4 38.8 0.8 3.4 0.8 25.1 8.4 16.7 0.4
日本
(Hammer et al. 2006)[45]
アイヌ 4 0 25.0 0 0 75.0 0 0 0 0 0 0 0 0 0
青森 26 7.7 0 0 0 38.5 0 7.7 0 0 27.0 3.8 15.4 0 0
静岡 61 4.9 1.6 0 0 32.8 0 1.6 0 1.6 21.3 13.1 19.7 1.6 0
徳島 70 10.0 2.9 0 0 25.7 5.7 1.4 0 2.9 24.3 5.7 21.4 0 0
九州 53 0 7.5 0 0 26.4 3.8 0 0 3.8 28.3 3.8 26.4 0 0
沖縄 45 4.4 0 0 0 55.6 0 0 0 0 11.1 11.1 15.6 0 2.2
日本
(Sato et al. 2014)[46]
S=大学生
A=成人男性
長崎S 300 3.3 5.3 0 30.0 1.3 0 1.0 23.3 10.7 23.7
福岡A 102 5.9 7.8 0 33.3 1.0 2.0 0 26.5 8.8 10.9
徳島S 388 5.7 5.9 0 30.6 1.0 1.8 2.1 23.2 10.3 17.8
大阪A 241 6.2 7.5 0.4 31.2 1.7 1.2 0.8 17.8 10.4 22.5
金沢S 298 3.4 6.4 0 32.6 2.3 0 3.7 21.1 11.4 18.5
金沢A 232 4.7 5.6 0 32.7 0.9 3.0 0 18.5 9.5 21.9
川崎S 321 5.6 5.9 0.3 33.0 1.6 0.9 0.3 24.3 10.0 17.8
札幌S 302 4.4 5.0 0.3 33.1 0.7 1.3 0.3 23.2 8.6 20.3
札幌A 206 3.4 7.3 0 35.0 1.0 1.0 1.9 19.9 7.8 19.9
2390 4.7 6.1 0.1 32.1 1.3 1.2 1.3 22.0 9.9 19.7
日本
(Tajima et al. 2004)[47]
アイヌ(北海道日高 16 0 13 0 88 0 0 0 0
本州 82 5 1 0 37 0 20
九州 104 4 8 0 28 2 24
日本
(Seo et al. 1999)[48]
宮崎 270 35.2
日本
(Shinka et al. 1999)[49]
沖縄本島中部
(読谷勝連)
61 30
沖縄本島南部
(糸満具志頭)
99 45
八重山
(西表・波照間)
27 4
東アジア
(Hammer et al. 2006)[45]
朝鮮民族 75 0 9.3 0 0 4.0 0 2.6 2.6 2.7 4.0 33.3 40.0 0 1.3
満州民族 52 0 26.9 0 0 0 0 5.7 5.7 5.8 0 3.8 38.5 0 7.7
モンゴル 149 0 52.3 0 2.6 0 0.7 8.0 0.7 O1b*=1.3 22.8 2.7 4.0
漢民族華北 44 0 4.5 0 0 0 2.3 9.1 0 6.8 0 0 65.9 4.5 2.3
漢民族華南 40 0 5.0 0 0 0 2.5 15.0 15.0 30.0 0 0 32.5 0 0
イー 43 0 2.3 0 16.3 0 2.3 30.2 0 9.3 0 0 32.6 0 0
ミャオ 58 0 3.4 0 8.6 0 0 0 6.9 10.3 0 0 68.9 0 0
チベット 105 0 1.9 3.8 46.6 0 0 2.9 0 0 0 0 35.2 0 6.7
台湾原住民 48 0 2.1 0 0 0 0 0 89.6 2.1 0 0 6.3 0 0
東南アジア
(Trejaut et al. 2014)[50]
フィリピン 40 0 0 0 0 0 4.8 0.7 42.5 3.4 0 15.0 0 4.1
タイ 75 0 0 1.3 2.7 0 0 0 5.3 42.7 0 29.3 0 1.3
東南アジア
(Hammer et al. 2006)[45]
ベトナム 70 0 4.3 0 2.9 0 0 2.9 5.7 27.1 2.9 1.4 40.0 7.1 1.4
マレー 32 0 0 0 3.1 0 3.1 0 6.3 34.4 0 0 31.3 0 3.1
インドネシア(西部) 25 0 0 0 0 0 0 0 20.0 12.0 8.0 8.0 36.0 0 4.0
南アジア
(Thangaraj et al.2003)[51]
オンゲ 23 0 0 100 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0
ニコバル 11 0 0 0 0 0 0 0 0 100 0 0 0 0 0
オセアニア
(Hammer et al. 2006)[45]
ミクロネシア 17 0 0 0 0 5.9 0 0 11.8 0 0 5.9 17.6 0 0
北アジア
(Tambets et al.2004)[52]
ガナサン 38 5.3 92.1
ケット 48 6.2 93.7
北アジア
(Duggan et al.2013)[53]
ヤクート 184 2.1 94.5 0.5 2.2
ユカギール 13 30.8 30.8 30.8
北アジア
(Hammer et al. 2006)[45]
アルタイ 98 0 22.4 5.1 0 0 0 4.0 0 0 0 0 1.0 17.3 46.9
ブリヤート 81 0 60.5 0 0 0 0 30.9 0 0 0 0 2.5 0 3.7
エヴェンキ 95 0 68.4 0 0 0 0 18.9 0 0 0 0 0 4.2 1.1
オロチョン 22 0 90.9 0 0 0 0 4.5 0 O1b*=4.5 0 0 0
北アジア
(Lell et al.2002)[54]
コリャーク 27 0 59.3 0 0 0 0 22.2 0 0 0 0 0 18.5 0
チュクチ 24 0 4.2 0 0 0 0 58.3 0 0 0 0 0 33.3 4.2
ニヴフ 17 0 47.1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 11.8 35.3 0

日本人のハプログループはD1b系統O1b2系統O2系統の3系統で日本人全体の約8割以上を占めるほど高頻度に見られる。他にC1a1系統C2系統N系統O1a系統O1b1系統なども低頻度に見られる。

日本人全体で見るとD1b系統が約32 - 35%、O1b2系統が約30%、O2系統が約20%の順となっている。

  • ハプログループD1bは本土日本人アイヌ沖縄に固有に見られるタイプで、アイヌが最も高頻度で約90%、次いで琉球民族で50%以上、本土日本人にも30%ほど見られる。
    縄文人の血を色濃く残すとされるアイヌ[55]沖縄県民で高頻度に見られ、反対に漢民族朝鮮民族などの周辺諸民族にはほとんど見られないことから、ハプログループD1b縄文人特有のY染色体だとされる。(ミクロネシア[56]ティモール島[57]でもわずかに発見されているが、近年の日本領時代にもたらされた可能性が高い。)
    アリゾナ大学のマイケル・F・ハマー (Michael F. Hammer) のY染色体分析でもD系統が扱われ、チベット人にも、約50%の頻度でこのハプログループDを持っていることを根拠に、縄文人の祖先は約5万年前に中央アジアにいた集団が東進を続けた結果、約3万年前に北方ルートで北海道に到着したとする説を提出した[58][59][60]
    現在世界でD系統は極めて稀な系統になっており、日本人 (D1b) が最大集積地点としてその希少な血を高頻度で受け継いでいる。遠く西に離れたチベット人 (D1a) やアンダマン諸島(D*)で高頻度である他は、アルタイ(D*)、タイ (D1a)、ヤオ族 (D1a)、フィリピン (D2) 等にわずかに存続するだけである。しかしながら同じD系統とは言え、日本固有のD1b系統と日本列島外の他のD系統は分岐してから3.5 - 4万年もの年月を経ているため、明確に区別される。(O系統が誕生したのが2 - 3万年前であるため、これよりも前に分岐しているD1bとD1a等はほぼ別系統とみなしてよい。)
  • ハプログループO東アジアから東南アジアにかけて最多を占めるグループである。O系統は23,000-32,000年前[61]に東アジアにてハプログループNOから誕生した。孤立的なD1b系統とは対照的に近縁な系統も多い。4万年前頃には既に日本列島にまで到達していたD系統と比べると、O系統はそれよりもずっと後にアジア地域に到来したと考えられるが[62]、その後O系統は東ユーラシア全域に広がり、誕生時期的には比較的若い系統であるものの、西ユーラシア系のハプログループRと並んで現代人類において最も帰属人口の多い系統となっている。日本で主に見られる詳細系統はO1b2系統O2系統である。
    O1b2系統は、日本列島の他、朝鮮半島でも日本と同程度見られ、他満州など含めた東アジア北東部で多く、東南アジアでも低頻度見られる[63][64]。O1b2系統はおおよそ4,000年乃至12,000年前に中国大陸でO1bから発祥したと考えられている[65]。日本のO1b2保有者の約8割で見られるO1b2a-47zというサブグループは、おおよそ4,000年乃至12,000年前に発生したと概算されているので、他で多く見られるO1b2-M176(x47z)というサブグループとはそれ以上昔に血筋がわかれているということになる[63]
    O2系統は日本においてはO1b2系統より低頻度であるものの、中国朝鮮ベトナム等においては最多を占めるグループであり、日本やその他の東南アジア、インド北東部やネパールなどの南アジアでも中から低頻度見られ、O系統では最大のサブグループである。
歴史

崎谷満によれば、最初に日本列島に到達し、後期旧石器時代を担ったのは、4万-3万年前に大陸からやってきたD1b系統である[66]。D1bは日本に多く見られる系統であり、アイヌ88%、沖縄県約50%(4% - 56%)[49][47][44]、本州約36% (31% - 39%)[49][47][63][44]で、東アジアではほとんど存在しない。遠縁のD1aが多数のチベット人で見られるほか、少数のウイグル人、モンゴル人、アルタイ人、イ(彝)人、ミャオ(苗)人、ヤオ(瑶)人、漢人などでも確認されている。D1系統は4万年程前に二つのグループに分岐し、東進して日本列島に至り誕生したのがD1bであり、アルタイ-チベット付近にとどまったグループがD1aであると考えられる。

その後、渡来時期については諸説あるが、約1万年程前に古代地中海[67]とネパール[68]に遠戚を持つC1a1系統が日本列島に入ってきた。崎谷満はC1a1の祖型はイラン付近からアルタイ山脈付近を経由し朝鮮半島経由で日本に到達したとしている[69]。渡来年代についてはD1bより早い4万年以上前という説もあり、C1a1が日本列島最古層という可能性もある。

同時期にシベリアの狩猟民であるC2系統が、バイカル湖周辺からアムール川流域および朝鮮半島を経由して、最終氷期の海面低下により地続きとなっていた九州北部に達した(1.5 - 2万年前)。[要出典]また、一部はサハリン経由で北海道に達した。崎谷はC2系統は細石刃石器を用い、ナウマンゾウを狩っていたと考えている。現在、C2系統はカザフ人、モンゴル人、エヴェンキ人等のアルタイ系諸族、極東ロシア(ニヴフ人、コリャーク人等)及び北アメリカ大陸北西部の原住民や北部アサバスカ諸語話者に多い。ただし、C2系統も渡来時期については諸説あり、朝鮮民族などの周辺民族にも一定頻度見られることから、後述のO1b2系統やO2系統と共に渡来してきた可能性もある。ちなみにアルタイ系民族(チュルク系民族モンゴル系民族ツングース系民族)で高頻度なC2系統はほぼ全てC-M48系統であるが、日本人や朝鮮民族で観察されるC2系統はC-F1067系統が大半で、C-M48はわずかである[70]。また日本列島固有のC2a (C-M93) もあり、一概にC2系統といっても、そのルーツや渡来時期は複数存在したことが想定される。

O1a系統台湾原住民の男性に非常に多いので、新石器時代の台湾または対岸の中国本土沿岸部が起源であろうと推測されている。崎谷満はオーストロネシア語族との関連があると想定している。台湾と近いにもかかわらず、日本列島ではO1aはごく少数に過ぎない。

O1b2系統について、崎谷満は長江文明の担い手だと考えている。O1b2系統が移動を開始したのは約2800年前で、長江文明の衰退に伴い、O1b1および一部のO1b2は南下し、百越と呼ばれ、残りのO1b2は西方及び北方へと渡り、中国東北部朝鮮半島から日本列島へ渡ったと崎谷満は主張している。O1b2系統は中国江南から水稲栽培を持ち込んだと考えられ、日本列島への流入は弥生人と関連し、則ちO1b2系統の到来と共に縄文時代から弥生時代へ移行しはじめたと考えられる。O1b2系統は日本本州の他、朝鮮半島や中国東北部でも比較的多く見られる。

O2系統について崎谷は、その一部は弥生人としてミレット農耕をもたらしたが、大部分は弥生人よりも更に後、特に4世紀から7世紀頃に中国大陸及び朝鮮半島から到来した渡来人による流入が多かったであろうとしている[71]。O2は漢民族に最多の系統である。

N系統ウラル系民族に高頻度で、日本には0-8%見られるが、具体的な渡来経路などは明らかでない。N1(xN-M128,N-P43,N-M46/N-Tat)が青森で7.7%観察され[72]遼河文明の遺跡人骨からもN1(xN-M128,N-P43,N-M46/N-Tat)が高頻度で見つかっており[73]、かつ三内丸山遺跡と遼河文明の関連性が指摘されている[74]

HLAハプロタイプの流れ

HLAハプロタイプについては、日本人には大きく以下の4タイプの流れが認められる[75][76][77][78]

  1. B52-DR2: 中国大陸北部から朝鮮半島を経て北九州・近畿へ
  2. B44-DR13、B7-DR1: 満州・朝鮮半島東部から日本海沿岸へ
  3. B54-DR4: 中国南部から琉球諸島を経て太平洋側へ
  4. B46-DR8: 中国大陸南部から直接、あるいは朝鮮半島を経由して北九州へ

1.は中国北部、モンゴルの一集団に高頻度のタイプで、国内では九州北部から本州中央部にかけて多い。

2.は満族、韓国人[79]に高頻度タイプで、国内では日本海側に多い。

3.は中国南部に多いタイプで、国内では沖縄や太平洋側に多い。

4.は国外では満族と韓国人[79]のみに多くみられ、国内には九州北部から本州中央部にかけて多い。このタイプの姉妹タイプB46-DR9が東南アジアで最も高頻度でみられる。

さらにこれとは別に縄文系と想定される別の複数のハプロタイプが南九州や北東北に存在する。またアイヌは日本人と異なる型が多いという。

塩基多様度のネット値 (DA) 分析による系統関係

ミトコンドリアDNAの塩基配列の多様性の度合いを比較分析することによっても系統関係を計測できる。塩基多様度のネット値 (DA) 分析によって求められた集団間の遺伝距離をもとにした系統樹では、まずアフリカ人より西ユーラシア人(ヨーロッパ人)と東ユーラシア人(東アジア人)とが分岐し、次いで東ユーラシア人からアメリカ先住民が分岐し、次いでアイヌと東アジア人クラスターが分岐、次いで中国人と東アジア人が分岐、次いで沖縄と本州とが分岐する[80]

ゲノムワイドな解析

ヒトゲノムが解析されて[81]以来、人類集団間の遺伝的関係を推定するために大量のSNPを解析する研究が進展している[82]。日本列島の人類集団においても、このようなアプローチによる集団の歴史の解明、医療方面への応用が期待される。

遺伝子マーカーとしてのミトコンドリアDNA、Y染色体DNAとの違いは、①注目するDNA領域長、②遺伝的組み換えの有無、③遺伝様式などが挙げられる。

遺伝情報に基づいて系統関係を議論する場合、ハプロタイプ単位、あるいはマイクロサテライト、SNP単位での遺伝的多型に注目しているわけだが、遺伝的多型が必ずしも真の系統関係を示すとは限らない。なぜならば、遺伝的多型の実体である対立遺伝子頻度は、そのゲノム領域に依存した突然変異率、組換え率、さらに、遺伝的浮動自然選択、集団間での個体の移住、個体群動態などの影響を受けるためである。この問題を避けるためには、互いに独立な関係にある座位を多数解析することが必要である。この点で、注目する領域が相対的に小さく、組換えのないミトコンドリア、Y染色体の遺伝子マーカーは得られる情報量が制限される。しかしながら、遺伝様式が常染色体とは異なることから、母系、父系の遺伝子系図を比較する議論ができるという長所もある。

ゲノム解析は中立進化をしている領域の他、転写されるコード領域も解析に含むため、適応進化の研究、個別化医療への応用も期待される。

上記詳細は太田(2007)[83]、斉藤(2009)[84]などを参照。

以下、日本列島人類集団を含む研究例をあげる。

International HapMap Consortiumの研究[82]では、東京由来の44名を含む人類集団サンプルを解析している。

Tian et al.(2008)[85]では、東アジア地域をカバーした集団サンプルを用いて、その遺伝的構造を議論している。主成分分析の結果からは日本列島人が単独のクラスターを形成することが見て取れる。同様のクラスターとさらに詳細な遺伝的多様性に関する研究は、HUGO Pan-Asian SNP Consortium[86]によってなされている。

日本列島内部集団の遺伝的構造を解析した例として、7001人のサンプルを解析したYamaguchi-Kabata et al.(2008)[87]では、日本列島の人類集団が琉球クラスターと本土クラスター に分かれることをゲノムレベルで示した。これはミトコンドリアやY染色体の解析からも予想されていた、日本列島人類集団の二重構造モデルを支持する結果であった。しかし本土クラスターと琉球クラスターの遺伝的分化の程度は非常に小さく、そのためSNPの頻度の違いは大部分についてはわずかであった[88]

しかしYamaguchi-Kabata et al.(2008)ではアイヌ人の集団サンプルを解析してはいなかった。最新の成果としては、斎藤成也ら総合研究大学院大学による大規模調査がある。これは、ヒトゲノム中のSNP(単一塩基多型)を示す100万塩基サイトを一挙に調べることができるシステムを用いて、アイヌ人36個体分、琉球人35個体分を含む日本列島人のDNA分析を行った。

その結果アイヌ人からみると琉球人が遺伝的にもっとも近縁であり、両者の中間に位置する本土人は、沖縄にすむ日本人に次いでアイヌ人に近いことが示された。さらに、他の30人類集団のデータとの比較より日本列島人の特異性が示された。このことは、現代日本列島には旧石器時代から日本列島に住む縄文人の系統と弥生系渡来人の系統が共存するという、二重構造説を強く支持する。また、アイヌ人はさらに別の第三の系統(ニブフなどのオホーツク沿岸居住民)との遺伝子交流があり、本土人との混血と第三の系統との混血が共存するために個体間の多様性がきわめて大きいこともわかった[89]

また、この調査により、主成分分析およびfrappe分析から、アイヌ人個体の3分の1以上に本土日本人との遺伝子交流が認められた。

アイヌ人と琉球人は、東ユーラシア人の系統樹においてクラスターを形成しており、ブートストラップ確率(推定系統樹の信頼度)は100%であった。さらにこのクラスターは、系統樹上で、本土日本人とのクラスターを形成していた[90]

その他の分子人類学的指標による諸説

集団遺伝学者の根井正利は、「現代人の起源」に関するシンポジウム(1993年、京都)にて、(アイヌを含む北海道から沖縄県までの)日本人の起源は約3万年前から北東アジアから渡来し、弥生時代以降の渡来人は現代日本人の遺伝子プールにはわずかな影響しか与えていないという研究結果を出している[91][92]。 分子人類学者の尾本恵市は埴原の原日本人(アイヌを含む縄文人)の南方起源説を批判しており、1995年に出した系統図では、日本人はチベット人と同じ枝に位置づけられ、アイヌとは異なるとしており、1997年に出した系統図では、本州日本人はアイヌや琉球諸島、チベット、一部の台湾原住民と近く、韓国人、中国人とは離れているという結果を出している[93][94][95] 松本秀雄はGm遺伝子の観点から、日本人の等質性を示す「日本人バイカル湖畔起源説」を提唱している[96]。また、ヒト白血球型抗原の遺伝子分析により、現代日本人は周辺の韓国人や台湾人よりも等質性が高い民族であるとの研究結果が発表されている(台湾50、韓国70、日本80)[97]

京都大学ウイルス研究所の日沼頼夫はALT(成人T細胞白血病)レトロウイルス (HTLV) のキャリアが多い地域を縄文系の人が色濃く残存する地域と考えた[98]。ATLのウイスルキャリアは日本人に多数存在するが、東アジアの周辺諸国ではまったく見出されず、アメリカ先住民やアフリカ、ニューギニア先住民などで多い。日本国内の分布に目を転じると、九州や沖縄、アイヌに特に高頻度で見られ、四国南部、紀伊半島の南部、東北地方の太平洋側、隠岐、五島列島などの僻地や離島に多いことが判明している。九州、四国、東北の各地方におけるATLの好発地域を詳細に検討すると、周囲から隔絶され交通の不便だった小集落でキャリアは高率に温存されている。HTLVはかつて日本列島のみならず東アジア大陸部にも広く分布していたが、激しい淘汰が繰り返されて大陸部では消滅し、弥生時代になってウイルス非キャリアの大陸集団が日本列島中央部に多数移住してくると、列島中央部でウイルスが薄まっていったが、列島両端や僻地には縄文系のキャリア集団が色濃く残ったものと考えられている。

形質人類学、考古学からの接近方法

日本人の形成過程を分析する形質人類学からの接近方法には原人や古人骨などの形態解析、石器の分布分析などが古典的な方法としてある[99]。形質人類学的な手法は、「ヒト集団の系統関係の把握」という用途に用いるにはかなり限界があるとの指摘が聞かれてきたところであり、この用途に限って言えば、完全に主役の座を分子人類学に譲り渡した感が強い。もっとも、遺跡発掘骨の年代推定は、発掘物のAMS放射性炭素年代測定法によりかなり正確に推定できる利点がある。

東大人類学教室の長谷部言人鈴木尚は豊富な発掘調査をもとに、日本人が時代を通じて変化してきたこと、明治以降の例でも分かるように、混血等がなくとも急激に形質が変化しうることを示し、一見、形質が大いに異なる縄文人と弥生人の間でも、実は連続していて、外部からの大きな遺伝子の流入を仮定する必要はないと主張し、1980年代半ばまで有力な説であった(これは「変形説」と呼ばれる)。

それに対して、現代日本人は日本の先住民族に置き換わって成立したという「置換説」も、幕末、明治のフィリップ・フランツ・フォン・シーボルトエドワード・S・モースの考察に早くから見られ、記紀神話などを参考に、在来の原住民を天孫族が征服して日本人が形成されたという論は盛んであった。エルヴィン・フォン・ベルツは日本人でも長州藩出身と薩摩藩出身では顔に形質的な違いがあるとして「混血説」を提唱した。京都大学清野謙次の論などが「混血説」の代表である。第二次世界大戦後、長谷部=鈴木ラインの説が唱えられると、一時期、表立って主張されにくい傾向があったが、同じ東大系の鈴木尚の弟子である埴原和郎が、1980年代半ばに日本人の起源は南方系の縄文人と北方系の弥生人の混血であるとする「二重構造説」を唱えたが、近年分子生物学の研究が進むにつれて「縄文人」も北方系であるとする研究結果が多数出るに至っている。

考古学の観点からは、弥生早期の遺跡に外来系の土器が玄界灘に面した大きな遺跡からしか発見されていないことから、弥生人(渡来系)の人数を1割程度に見積もる研究者が多い[100]。一方で、人類学者による研究では大量の渡来があったとされ(埴原和郎で100万人、宝来聰で65%が渡来系)、人類学者の中橋孝博らによる人口シミュレーションによると、農耕民の弥生人は狩猟民である縄文人よりも人口増加率が高く、渡来が少数でも数百年で大きく数を増やす可能性も示された[100][101]。ただし弥生時代の遺跡で出土した人骨では、北九州や山口県をのぞく地域では縄文系とされる人骨の方が多く、弥生時代に実際に稲作を行っていたのは縄文人の系譜を引く人々の方が多いと思われる。特に東日本においては渡来系の特徴を持つ人骨の比率は2割に満たない。そのため現在では、圧倒的多数の縄文人が比較的少数の渡来人の文化を主体的に受け入れて弥生人に変化していったと考えられている。

稲作の起源とその考古学的分析

日本人の渡来ルートを知るために稲作の渡来ルートを考える研究があり、いくつかの説が存在しているが、稲作以前から日本列島には人が住んでいたことと、移民してきた少数の稲作耕作者から稲作が原住民に伝搬された可能性とを考えれば、稲作伝搬が必ずしも大規模な移民を裏付けるものではないことに注意が必要である。

かつて、佐々木高明らによる照葉樹林文化論は、稲作が中国雲南省などの山間部における陸稲を発祥としていると主張していたが、近年、長江文明の全貌が明らかにされるにつれ、稲作は長江下流域の水稲耕作を発祥とする説が有力視されつつある。 上記項目にて詳述。

「倭族」論

古代史、文化人類学研究者の鳥越憲三郎は「倭族」仮説(倭族論)を提唱している[102]。鳥越の定義では倭族とは「稲作を伴って日本列島に渡来した倭人、つまり弥生人と祖先を同じくし、また同系の文化を共有する人たちを総称した用語」である[103]。古代日本列島における倭人・倭国については『魏志倭人伝』(『三国志』魏書東夷伝倭人条)が有名であるが、鳥越は他の史書における倭人の記述(『論衡』から『旧唐書』に至るまで)を読解し[104]、長江(揚子江)上流域の四川省雲南省貴州省の各省にかけて、複数の倭人の王国があったことを指摘した。その諸王国はたとえば『史記』にある以下の諸国である[105]

さらに鳥越は、倭族の起源地を雲南省の湖・に比定し、水稲の人工栽培に成功したというシナリオを描く。以降、鳥越は古代史的な文献研究と現場調査を交差させ、倭族の一部が日本列島に移住し、また他の倭族と分岐していったことを示した。分岐したと比定される民族には、イ族ハニ族(古代での和夷に比定。またタイではアカ族[106])、タイ族ワ族[107]ミャオ族カレン族ラワ族などがある[108]。ほか鳥越は、高床式建物貫頭衣和服)、注連縄などの風俗を比較している。

また諏訪春雄は倭族を百越の一部としている[109]

いずれにせよこの倭族論(倭族仮説)は長江文明を母体にした民族系統論といってよく、観点は異なるが環境考古学安田喜憲の長江文明論や近年の稲作の渡来とも重なっている。

古代史

歴史学は資料の存在を必要とするため新しい年代の議論に限定される。ヤマト王権の起源については伽耶百済高句麗夫余に求める見方がある[110]

民族学

人類学者の鳥居龍蔵は、アイヌ、固有日本人(朝鮮半島を経由して、あるいは沿海州から来た北方系民族)、インドシナ族(苗族)、インドネシア族(隼人)を主な構成要素として日本民族が形成されたと考えた[111]

民族学者の岡正雄は、先史時代の日本列島には少なくとも以下の5つの種族文化が渡来したとしている[112][113]

  1. 母系的、秘密結社的、芋栽培=狩猟民文化(メラネシア方面)
  2. 母系的、陸稲栽培=狩猟民文化(東南アジア方面)
  3. 父系的、「ハラ」氏族的、畑作=狩猟民文化(北東アジア・ツングース方面)
  4. 男性的、年齢階梯制的、水稲栽培=漁撈民文化(中国江南地方)
  5. 父権的、「ウジ」氏族的=支配者文化(アルタイ、朝鮮半島)

1. は縄文中期はじめ頃日本に流入。メラネシア原住民の文化と著しく一致(乳棒状石斧、棍棒用石環、石皿、土器形態と文様、土偶、土面、集団構造)。男性秘密結社の祭り(ナマハゲ)、タロ芋の一種であるサトイモを祭事の折の食物にする。

2.は縄文末期に日本に流入。狩猟生活とともに山地丘陵の斜面の焼畑において陸稲を栽培した。(太陽神アマテラスの崇拝、家族的、村落共同的シャーマニズム、司祭的女性支配者)

3.は弥生初期に満州、朝鮮方面からツングース系統のある種族によって日本に流入。を焼畑で栽培しながらも狩猟も行った。アルタイ語系の言語を最初に日本に持ち込んだのはこの種族。(櫛目文土器、穀物の穂摘み用半月系石器)。日本語のウカラ、ヤカラ、ハラカラなど同属集団を意味する言葉ハラ=カラはツングース諸語において外婚的父系同属集団を呼んだ語ハラ (Hala) に系統を引く。

4.は紀元前4世紀から5世紀頃、揚子江の夏口地方よりも南の沿岸地域から両国滅亡に伴う民族移動の余波として日本に渡来したもの。弥生文化における南方的と言われる諸要素を日本列島にもたらした。アウストロネシア系の種族文化。(水稲耕作、進んだ漁撈技術、板張り船)若者宿、娘宿、寝宿、産屋、月経小屋、喪屋など機能に応じて独立の小屋を建てる慣習も年齢階梯制(年齢や世代の区分で社会を階層づける社会組織)によるもの。

5.は支配者王侯文化・国家的支配体制を持ち込んだ天皇氏族を中心とする部族の文化。4の文化と同系同質の種族が、西から来たアルタイ系騎馬遊牧民によって征服され国家に組織されることによって、満州南部に置いて成立したが1世紀前から南下し始め朝鮮半島南部に暫く留まり3 - 4世紀頃に日本列島に渡来。大家族、「ウジ」族、種族のタテの三段に構成される種族構造。「ウジ」父系的氏族、軍隊体制、王朝制、氏族長会議、奴隷制、氏族職階製、各種の職業集団、鍛冶職集団などを所有。氏族や種族を五つの部分に区画する「五組織」的な社会及び軍事の構造もこの文化。天神崇拝、父系的祖先崇拝、職業的シャーマニズムなどの宗教要素もこの文化。ユーラシア・ステップ地域の騎馬遊牧民の文化と本質的に完全一致する。

言語学

日本語の起源を解明することで、日本人のルーツを明らかにするという研究もある。

日本語の起源は、従来、アルタイ諸語オーストロネシア語族との関連が想定されてきたが、比較言語学的にはまだ証明されていない。現在の所、日本語の起源については、いくつかの説が出ているが決定的な物はない。

学際研究による日本列島へのヒト渡来経路の総合的分析

平成17年(2005年)度から21年(2009年)度にかけて、日本学術振興会による共同研究「更新世から縄文・弥生期にかけての日本人の変遷に関する総合的研究」が行われ、2010年2月20日には国立科学博物館にて公開シンポジウム「日本人起源論を検証する:形態、DNA、食性モデルの一致、不一致」が開催され、また雑誌『科学』(岩波書店、2010年4月号)では同内容が掲載された[114]。研究代表者の溝口優司は、研究班員全員の同意が得られるようなシナリオは作れなかったと断ったうえで、日本列島へのヒト渡来経路は現時点では次のようになるとしている[115]

  1. アフリカで形成された人類集団の一部が、5 - 6万年前までには東南アジアに渡来し、その地の後期更新世人類となった。
  2. - 3. 東南アジア後期更新世人類の一部はアジア大陸を北上し、また別の一部は東進してオーストラリア先住民などの祖先になった(典型性確率を使った頭蓋計測値の分析で、オーストラリア東南部出土の人骨化石であるキーロー[116]などに似た後期更新世人も、縄文時代人の祖先候補とすべきであることが指摘された)。
  3. アジア大陸に進出した後期更新世人類は北アジア(シベリア)、北東アジア、日本列島、南西諸島などに拡散した。シベリアに向かった集団は、少なくとも2万年前までには、バイカル湖付近にまでに到達し、寒冷地適応を果たして北方アジア人的特徴を得た。日本列島に上陸した集団は縄文時代人の祖先となり、南西諸島に渡った集団の中には港川人の祖先もいた。
  4. 更新世の終わり頃、北東アジアにまで来ていた、寒冷地適応をしていない後期更新世人類の子孫が、北方からも日本列島へ移住した可能性もある。
  5. シベリアで寒冷地適応していた集団が東進南下し、少なくとも約3000年前までには中国東北部、朝鮮半島、黄河流域、江南地域などに分布。

また同研究では、北海道縄文時代人は北東アジア由来かもしれないという仮説、縄文時代人の祖先は東南アジア・中国南部のみならず広くオーストラリアまでも含めた地域の後期更新世人類の中から探さなければならないという指摘、後期更新世の沖縄港川人はアジア大陸の南方起源である可能性が高いが、北海道 - 九州地方の縄文時代人とは下顎形態に多数の相違点が見出され、両者の間の系譜的連続性を認める従来の仮説は見直される必要があるという主張もなされた[117]

名称

美称
  • 日本男児、大和男(やまとおのこ)
  • 大和撫子

前者は日本男性、後者は日本女性を指す。武士道武芸、日本的道徳教養芸術和裁日本料理の技能などを備えていることの誉め言葉としてよく使われる。国際スポーツ大会で活躍した日本チーム・選手は、20世紀末からは「サムライ○○」と呼ばれるようになった。(例)サムライブルーサムライジャパン

他の言語

アイヌ語で、アイヌ人以外の日本人を、「自分のそば」「隣人」という意味のシサムという。それ以外の言語では、おおむね「漢語の日本の現地発音、ジパングに類似した固有名詞」+「国民、住民を表す接頭語、接尾語」で表現される。

中国語では、日本または日本人のことを小日本という蔑称で呼ぶことがある。

言語

日本人の殆どが日本語を話す。他、琉球民族では琉球語琉球方言)が話されるが、伝統的な方言は殆ど衰退している。そもそも琉球語を個別言語とするか日本語の方言とするかで議論があり、琉球語の下位方言をさらに独立した言語とする場合もある。

アイヌの母語はアイヌ語であるが、母語話者はほとんど現存していない。

宗教

日本人の特定の宗教信者数は、文化庁宗教法人に対する宗教統計調査では、神道系が約9,126万人、仏教系が約8,690万人、キリスト教系が約294万人、その他約906万人、合計1億9,017万人と日本の人口の約1.5倍になっている[118]。一方、国民へのアンケート調査からは、「何らかの信仰・信心を持っている、あるいは信じている」人の割合は20% - 30%という結果が出やすい[119]河合隼雄は『対話する生と死』の中で、日本人は宗教を毛嫌いしたり無宗教であることを公言する人が他国に比較し多いことを指摘し、キリスト教イスラム教信者の信仰心は日本人の想像を超えるものであると述べている。また、日本では戦時中に宗教が国家権力と結びつき悪用されたことやもともと日本人は日常生活の中に、宗教性を入れ込んで生きる姿勢を保持していたため、特定の宗教を他の一神教の信者らが「信じる」ような態度で信仰しなかったと指摘している[120]

その他

  • 日本人論
歴史的に日本人の形質が大きく変化してきたことは人類学者鈴木尚らの研究によって明らかになっているが、近代以降は下肢が伸びて身長が高くなる、が縮小して面長になるなどの変化(小進化)が著しい。近年[いつ?]の傾向としてはの縮小と永久歯の減少が進んでおり、親知らずが生えない日本人が増えているが、それ以上に顎の退化が進み、歯並びが悪い若者が増えている。歴史的には同様の現象は徳川将軍家を始めとする江戸時代大名家にも顕著にみられ、柔らかい食べ物を好んで食べるようになったのが原因と考えられている。
  • 邦人(ほうじん)
」の字は「」と同義であり、したがって「邦人」の字義は「」(歴史的用語である国人とは意味が異なる)である。その語義は第1に「(主体とする)国の人間」を意味し、「自国の人」を指す。この意の「邦人」は、文の主体が日本であれば「日本人」を指し、他の国であればその国の人を指す(用例:アメリカ政府は邦人の救出に成功した)。ただ、当然ながら日本語において日本人を指すことが多いため、現代においてはこれが「邦人」の第2義となっている(用例:日本政府は邦人の釈放を要求した)。なお、第2義の「邦人」は日本に滞在する外国人日系人を含まないことが多い。「日本国外に居留(在留)する日本人(海外在留邦人、略して在留邦人とも、在外邦人などとも呼ばれる。旅行者は含まない)」に対して使われることが多く、マスメディアでは「現地在留の日本人」を指して用いられる頻度が高いが、現代日本語のニュアンスとしては、硬質な話題、すなわち、政治経済のニュースや現地在留の日本人が何らかの災禍を被ったネガティブなニュースで用いられるケースがほとんどであり(用例:事故に巻き込まれた邦人の数は…)、硬質でない話題で用いられることは比較的少ない(用例:ご到着になった天皇陛下と現地在留の日本人らは…)。また、「当事国の在留日本人」という意味で「在+国名+邦人」や「国名+邦人」とする例も見られる(用例:在アルジェリア邦人拘束事件[125]cf. アルジェリア人質事件〉。アルジェリア邦人拘束の報。※後者の場合は第1義的用法〈アルジェリア国の邦人〉との判別は不可能)。

脚注

  1. ^ http://www.stat.go.jp/data/jinsui/pdf/201609.pdf 総務省
  2. ^ [1]
  3. ^ American FactFinder - Results
  4. ^ a b http://www.mofa.go.jp/mofaj/toko/tokei/hojin/11/pdfs/1.pdf
  5. ^ Japan news, commentary, culture, sports | The Japan Times[リンク切れ]. Search.japantimes.co.jp. Retrieved on 2013-08-24.
  6. ^ Adachi, Nobuko (2006-05-30). Japanese diasporas: Unsung pasts, conflicting presents, and uncertain futures. ISBN 978-0-415-77035-4. http://books.google.com/?id=litYzL0GYSkC&pg=PA97&lpg=PA97#v=onepage&q&f=false. 
  7. ^ 2011 National Household Survey: Data tables | Ethnic Origin (264), Single and Multiple Ethnic Origin Responses (3), Generation Status (4), Age Groups (10) and Sex (3) for the ...
  8. ^ MOFA: Japan-Peru Relations
  9. ^ a b c d e f g h i j k l m n o http://www.mofa.go.jp/mofaj/toko/tokei/hojin/10/pdfs/1.pdf
  10. ^ 外務省: 英国(グレートブリテン及び北アイルランド連合王国)基礎データ
  11. ^ MOFA: Japan-Argentine Relations
  12. ^ Tourism New Caledonia | Prepare your trip in New Caledonia[リンク切れ]
  13. ^ MOFA: Japan-Singapore Relations
  14. ^ http://www.mra.fm/pdfs/nr_los_FromFSMAmbassador.pdf
  15. ^ MOFA: Japan-Mexico Relations
  16. ^ ボリビア日系協会連合会 (FENABOJA)
  17. ^ Bangladesh Japanese Population”. 2016年2月12日閲覧。[リンク切れ]
  18. ^ Pacific Islands President, Bainbridge Lawmakers Find Common Ground » Kitsap Sun[リンク切れ]
  19. ^ 外務省: インド
  20. ^ 内藤芳篤著 著「日本人」、下中直人編 編『世界大百科事典』 21巻(改定新版)、平凡社、2009年、445頁。 
  21. ^ 塚田史紀・片山一道「『骨が語る日本人の歴史』を書いた京都大学名誉教授片山一道氏に聞く」『週刊東洋経済』7月18日号、東洋経済新報社、2015年、114頁。 
  22. ^ 前掲 『世界大百科事典』21、447頁。
  23. ^ 前掲 『世界大百科事典』21、447-448頁。
  24. ^ 溝口優司(国立科学博物館人類研究部長)『アフリカで誕生した人類が日本人になるまで』日本人の成り立ちについての3つの仮説 (P173)
  25. ^ "日本人". 広辞苑.
  26. ^ 日本国憲法第10条
  27. ^ "日本人". マイペディア. 平凡社.
  28. ^ 環日本海交流、山東半島などからの渡来ルートを含む
  29. ^ 南西諸島、東南アジア諸地域からの渡来ルート
  30. ^ 古代世界の航海技術は従来考えられてきたよりもずっとさかのぼって高度に発達していた可能性が近年の考古学では明らかになってきているが、まだ年代や具体的な技術の内容については確定できない。海部陽介『人類がたどってきた道』NHK出版ほかより。
  31. ^ なお、佐原真はこの語の原義である「縄紋土器を使用していた人間」ということを強調するために「縄紋人」という呼称を提唱している。
  32. ^ 『日本大百科全書』(小学館)「弥生文化」の項[リンク切れ]参照。
  33. ^ http://www.japanology.cn/japanese/book/nihonzo/01/1.htm/ 『中国史のなかの日本像』王勇][リンク切れ]参照。
  34. ^ 佐々木高明『日本文化の多重構造?アジア的視野から日本文化を再考する』小学館,1997,p.112。
  35. ^ 篠田謙一 (2007), 日本人になった祖先たち - DNAから解明するその多元的構造, 日本放送出版協会 、p.32.
  36. ^ Haplogroup M7.
  37. ^ 崎谷満『新日本人の起源』勉誠出版、2009年、P45
  38. ^ 『新日本人の起源』P35 - 38、52
  39. ^ McDonald, J. D. (2005), Y chromosome and Mitochondrial DNA haplogroups, http://www.scs.uiuc.edu/~mcdonald/WorldHaplogroupsMaps.pdf 2008年4月14日閲覧。 
  40. ^ National Geographic, ed., Atlas of the Human Journey, https://www3.nationalgeographic.com/genographic/atlas.html 2008年4月14日閲覧。 [リンク切れ]
  41. ^ International Society of Genetic Genealogy, ed. (2007), Y-DNA Haplogroup Tree 2006, 1.24, http://www.isogg.org/tree/Main06.html 2008年4月14日閲覧。 要引用
  42. ^ 崎谷満 (2008), DNAでたどる日本人10万年の旅, 昭和堂, ISBN 978-4-8122-0753-6 
  43. ^ 文献等(2014年以前)ではO2b*と表記されているが、実際はO1b2(旧O2b)からO-47zを除いたものである。
  44. ^ a b c I. Nonaka, K. Minaguchi, and N. Takezaki, "Y-chromosomal Binary Haplogroups in the Japanese Population and their Relationship to 16 Y-STR Polymorphisms," Annals of Human Genetics (2007) 71,480–495. doi:10.1111/j.1469-1809.2006.00343.x
  45. ^ a b c d e Michael F. Hammer他 (2006年). "Dual origins of the Japanese: common ground for hunter-gatherer and farmer Y chromosomes"Journal of Human Genetics January 2006, Volume 51, Issue 1, pp 47-58 doi:10.1007/s10038-005-0322-0
  46. ^ YOUICHI SATO, TOSHIKATSU SHINKA, ASHRAF A. EWIS, AIKO YAMAUCHI, TERUAKI IWAMOTO, YUTAKA NAKAHORI Overview of genetic variation in the Y chromosome of modern Japanese males. doi:10.1537/ase.140709
  47. ^ a b c Atsushi Tajima, Masanori Hayami, Katsushi Tokunaga, Takeo Juji, Masafumi Matsuo, Sangkot Marzuki, Keiichi Omoto, and Satoshi Horai, "Genetic origins of the Ainu inferred from combined DNA analyses of maternal and paternal lineages." Journal of Human Genetics (2004) 49:187–193. doi:10.1007/s10038-004-0131-x
  48. ^ Yasuhisa Seo, Yasunari Takami, Tatsuo Nakayama, and Keiichi Takahama, "Y chromosome DNA polymorphisms and their haplotypes in a Japanese population." Legal Medicine (Tokyo). 1999 Sep;1(3):145-9. doi:10.1016/S1344-6223(99)80027-3
  49. ^ a b c Toshikatsu Shinka, Keiko Tomita, Tatsushi Toda, Svetlana E. Kotliarova, Juwon Lee, Yoko Kuroki, Dong Kyu Jin, Katsushi Tokunaga, Hideki Nakamura, and Yutaka Nakahori, "Genetic variations on the Y chromosome in the Japanese population and implications for modern human Y chromosome lineage," Journal of Human Genetics (1999) 44:240-245
  50. ^ Jean A Trejaut, Estella S Poloni, Ju-Chen Yen, Ying-Hui Lai, Jun-Hun Loo, Chien-Liang Lee, Chun-Lin He and Marie Lin "Taiwan Y-chromosomal DNA variation and its relationship with Island Southeast Asia."BMC Genet. 2014 Jun 26;15:77. doi:10.1186/1471-2156-15-77.
  51. ^ Kumarasamy et al.(2003)Genetic Affinities of the Andaman Islanders, a Vanishing Human Population Current Biology Volume 13, Issue 2, Pages 86–93 doi:10.1016/S0960-9822(02)01336-2
  52. ^ Tambets, Kristiina et al. 2004, The Western and Eastern Roots of the Saami—the Story of Genetic “Outliers” Told by Mitochondrial DNA and Y Chromosomes PMC 1181943
  53. ^ Duggan AT, Whitten M, Wiebe V, Crawford M, Butthof A, et al. (2013) Investigating the Prehistory of Tungusic Peoples of Siberia and the Amur-Ussuri Region with Complete mtDNA Genome Sequences and Y-chromosomal Markers PLoS ONE 8(12): e83570. doi:10.1371/journal.pone.0083570
  54. ^ Lell, Jeffrey T. et al. 2001-2002, The Dual Origin and Siberian Affinities of Native American Y Chromosomes PMC 384887
  55. ^ ただし近年の遺伝子調査により、アイヌは縄文人の単純な子孫ではなく、オホーツク人等の新モンゴロイド系北方民族のY-DNAも10%ほど見られ、複雑な過程を経て誕生したことが明らかになった。消えた北方民族の謎追う 古代「オホーツク人」北大が調査
  56. ^ Template:Cite webの呼び出しエラー:引数 url は必須です。Michael F. Hammer他 (2006年). “[{{{url}}} "Dual origins of the Japanese: common ground for hunter-gatherer and farmer Y chromosomes"]” (PDF) (英語). ResearchGate. doi:10.1007/s10038-005-0322-0. 2015年6月3日閲覧。 “Outside of Japan D-P37.1 and its sub-lineages are extremely rare, being found in only three Korean males (D-P37.1* and D-M125*) and one male from Micronesia (D-M116.1*).”
  57. ^ Meryanne K Tumonggor, Tatiana M Karafet, Sean Downey, et al., "Isolation, contact and social behavior shaped genetic diversity in West Timor." Journal of Human Genetics (2014) 59, 494–503; doi:10.1038/jhg.2014.62
  58. ^ 道方しのぶ『日本人のルーツ 探索マップ』平凡社新書,2005年,61頁
  59. ^ Michael F. Hammer (2005) (PDF). Dual origins of the Japanese: common ground for hunter-gatherer and farmer Y chromosomes. The Japan Society of Human Genetics and Springer-Verlag. http://www.eva.mpg.de/genetics/pdf/Japan.pdf 2007年1月19日閲覧。. [リンク切れ]
  60. ^ University of Pittsburgh, Jomon Genes - Using DNA, researchers probe the genetic origins of modern Japanese by John Travis
  61. ^ Shi Yan, Chuan-Chao Wang,Hong-XiangZheng et al. (2013), "Y Chromosomes of 40% Chinese Are Descendants of Three Neolithic Super-grandfathers." E-print at arXiv:1310.3897 [q-bio.PE].
  62. ^ Shi, Hong; Zhong, Hua; Peng, Yi; Dong, Yong-li; Qi, Xue-bin; Zhang, Feng; Liu, Lu-Fang; Tan, Si-jie et al. (October29,2008). “Y chromosome evidence of earliest modern human settlement in East Asia and multiple origins of Tibetan and Japanese populations”. BMC Biology (BioMedCentral) 6: 45. doi:10.1186/1741-7007-6-45. PMC 2605740. PMID 18959782. http://www.biomedcentral.com/1741-7007/6/45 2010年11月21日閲覧。.  オープンアクセス
  63. ^ a b c Michael F. Hammer, Tatiana M. Karafet, Hwayong Park et al., "Dual origins of the Japanese: common ground for hunter-gatherer and farmer Y chromosomes." Journal of Human Genetics (2006) 51:47–58. doi:10.1007/s10038-005-0322-0
  64. ^ Jin, Han-Jun; Kwak, Kyoung-Don; Hammer, Michael F.; Nakahori, Yutaka; Shinka, Toshikatsu; Lee, Ju-Won; Jin, Feng; Jia, Xuming et al. (2003). "Y-chromosomal DNA haplogroups and their implications for the dual origins of the Koreans". Human Genetics 114 (1): 27–35. doi:10.1007/s00439-003-1019-0. PMID 14505036.
  65. ^ Shi Yan, Chuan-Chao Wang, Hui Li et al., "An updated tree of Y-chromosome Haplogroup O and revised phylogenetic positions of mutations P164 and PK4." European Journal of Human Genetics (2011) 19, 1013–1015.
  66. ^ 『DNA・考古・言語の学際研究が示す新・日本列島史』(勉誠出版 2009年)
  67. ^ Scozzari R, Massaia A, D’Atanasio E, Myres NM, Perego UA, et al. (2012), "Molecular Dissection of the Basal Clades in the Human Y Chromosome Phylogenetic Tree." PLoS ONE 7(11): e49170. doi:10.1371/journal.pone.0049170
  68. ^ Pille Hallast, Chiara Batini, Daniel Zadik, et al. (2014), "The Y-Chromosome Tree Bursts into Leaf: 13,000 High-Confidence SNPs Covering the Majority of Known Clades." Mol. Biol. Evol. Advance Access publication December 2, 2014. doi:10.1093/molbev/msu327
  69. ^ 『DNA・考古・言語の学際研究が示す新・日本列島史』(勉誠出版 2009年)
  70. ^ So Yeun Kwon, Hwan Young Lee, Eun Young Lee, Woo Ick Yang, and Kyoung-Jin Shin, "Confirmation of Y haplogroup tree topologies with newly suggested Y-SNPs for the C2, O2b and O3a subhaplogroups." Forensic Science International: Genetics 19 (2015) 42–46. doi:10.1016/j.fsigen.2015.06.003
  71. ^ 『DNA・考古・言語の学際研究が示す新・日本列島史』(勉誠出版 2009年)
  72. ^ Hammer, Michael F.; Karafet, Tatiana M.; Park, Hwayong; Omoto, Keiichi; Harihara, Shinji; Stoneking, Mark; Horai, Satoshi (2005). "Dual origins of the Japanese: Common ground for hunter-gatherer and farmer Y chromosomes". Journal of Human Genetics 51 (1): 47–58. doi:10.1007/s10038-005-0322-0. PMID 16328082.
  73. ^ Yinqiu Cui, Hongjie Li, Chao Ning, Ye Zhang, Lu Chen, Xin Zhao, Erika Hagelberg and Hui Zhou (2013)"Y Chromosome analysis of prehistoric human populations in the West Liao River Valley, Northeast China. " BMC 13:216 doi:10.1186/1471-2148-13-216
  74. ^ 中国北方新石器文化研究の新展開【詳細報告】「東北アジアにおける先史文化の交流」王 巍(中国社会科学院考古研究所・副所長)
  75. ^ 徳永勝士 (1995)「HLA遺伝子群からみた日本人のなりたち」『モンゴロイドの地球(3)日本人のなりたち』東京大学出版会,第4章,遺伝子からみた日本人,p193-210
  76. ^ 徳永勝士 (1996) 「HLA の人類遺伝学」『日本臨床免疫学会会誌』=『Japanese journal of clinical immunology』19(6), 541-543
  77. ^ 徳永勝士 (2003)「HLA と人類の移動」『Science of humanity Bensei 』(42), 4-9, 東京:勉誠出版
  78. ^ 徳永勝士 (2008)「HLA遺伝子:弥生人には別ルートをたどってやってきた四つのグループがあった!」『日本人のルーツがわかる本』逆転の日本史編集部,東京:宝島社,p264-p280
  79. ^ a b 北朝鮮では調査がなされていない
  80. ^ 宝来聡「DNA人類類進化学」岩波書店、116頁。宝来聡「ミトコンドリアDNAからみた日本人の成立」琉球大学医学部公開講座講演要旨、1997年3月
  81. ^ International Human Genome Sequencing Consortium (2001) Initial sequencing and analysis of the human genome. Nature, 409: 860-921. doi:10.1038/35057062
  82. ^ a b International HapMap Consortium (2005) A haplotype map of the human genome. Nature, 437: 1299-1320. doi:10.1038/nature04226
  83. ^ 太田(2007) ゲノム科学と人類学―世界の動向と今後の展望―Anthropological Science (Japanese Series). 115(2), 73-83. doi:10.1537/asj.115.73
  84. ^ 斉藤(2009) ヒトゲノム研究の新しい地平[リンク切れ]Anthropological Science (Japanese Series). 117(1), 1-9.
  85. ^ Chao Tian, Roman Kosoy, Annette Lee, Michael Ransom, John W. Belmont, Peter K. Gregersen, Michael F. Seldin (2008) Analysis of East Asia Genetic Substructure Using Genome-Wide SNP Arrays PLoS ONE, 3(12): e3862. doi:10.1371/journal.pone.0003862
  86. ^ HUGO Pan-Asian SNP Consortium(2009) Mapping Human Genetic Diversity in Asia.[リンク切れ] Science. 326, 1541-1545.
  87. ^ Yumi Yamaguchi-Kabata, Kazuyuki Nakazono, Atsushi Takahashi, Susumu Saito, Naoya Hosono, Michiaki Kubo, Yusuke Nakamura, Naoyuki Kamatani(2008) Japanese Population Structure, Based on SNP Genotypes from 7003 Individuals Compared to Other Ethnic Groups: Effects on Population-Based Association Studies. The American Journal of Human Genetics, 83(4), 445-456. doi:10.1016/j.ajhg.2008.08.019
  88. ^ http://www.riken.jp/r-world/info/release/press/2008/080926/detail.html [リンク切れ]
  89. ^ http://www.soken.ac.jp/news_all/2719.html
  90. ^ 国立大学法人 総合研究大学院大学 【プレスリリース】日本列島3人類集団の遺伝的近縁性
  91. ^ 宝来聰『DNA 人類進化学』(岩波書店、1997年)
  92. ^ 月刊誌『選択』2007年12月号
  93. ^ 尾本恵市 (1996), 分子人類学と日本人の起源, 裳華房, ISBN 978-4785386382 要ページ表記
  94. ^ 斉藤成也『DNAからみた日本人』筑摩書房 p56
  95. ^ 篠田謙一 (2007), 日本人になった祖先たち - DNAから解明するその多元的構造, 日本放送出版協会, ISBN 978-4140910788 要ページ表記
  96. ^ 松本秀雄 (1992), 日本人は何処から来たか — 血液型遺伝子から解く, 日本放送出版協会, ISBN 978-4140016527 
  97. ^ 李成柱 (2001), “血液分析により民族の移動経路を判明する”, 東亜日報, http://japan.donga.com/srv/service.php3?biid=2001010317828 2008年4月14日閲覧。 
  98. ^ 日沼頼夫(1998) 「ウイルスから日本人の起源を探る」『日本農村医学会誌』,46(6),908-911
  99. ^ 馬場悠男「港川人1号人骨」東京大学総合研究資料館1996[リンク切れ]ほか。
  100. ^ a b 篠田謙一『日本人になった祖先たち』(2007年)p185
  101. ^ 『日本人はるかな旅・5/そして日本人が生まれた』(NHK出版)
  102. ^ 鳥越憲三郎『原弥生人の渡来』(角川書店、1982年)『倭族から日本人へ』(弘文堂、1985年)『古代朝鮮と倭族』(中公新書、1992年)『倭族トラジャ』(若林弘子との共著、大修館書店、1995年)『弥生文化の源流考』(若林弘子との共著、大修館書店、1998年)『古代中国と倭族』(中公新書、2000年)、『中国正史倭人・倭国伝全釈』(中央公論新社、2004年)
  103. ^ 諏訪春雄編『倭族と古代日本』(雄山閣出版、1993年)7 - 8頁
  104. ^ 倭・倭人関連の中国文献倭・倭人関連の朝鮮文献
  105. ^ 三国志地名事典(索引)も参照
  106. ^ 『古代中国と倭族』(中公新書、2000年)263頁
  107. ^ 『弥生文化の源流考』(若林弘子との共著、大修館書店、1998年)
  108. ^ 中国の少数民族タイの民族
  109. ^ 諏訪春雄編『倭族と古代日本』(雄山閣出版、1993年)
  110. ^ 澤田洋太郎『日本語形成の謎に迫る』(新泉社、1999年)
  111. ^ 『鳥居龍蔵全集』第1巻、朝日新聞社、1975年
  112. ^ 異人その他 日本民族=文化の源流と日本国家の形成 言叢社 1979
  113. ^ 『異人その他 他十二篇 岡正雄論文集』岩波文庫、1994年
  114. ^ 平成17年度から平成21年度日本学術振興会科学研究費補助金(基盤研究(S))による研究「更新世から縄文・弥生期にかけての日本人の変遷に関する総合的研究 」日本人形成過程のシナリオ[リンク切れ]まとめ2010年5月[リンク切れ]2010年9月20日閲覧。および『科学』岩波書店、2010年4月号
  115. ^ 溝口は「本プロジェクト研究班の班員全員の合意によるものではない」と明記している。同リンク先。
  116. ^ [2][リンク切れ] キーローはメルボルンの北西19kmに位置し、1940年に約1万3000年前のキーロー頭骨と4万年前と考えられる石器が出土した。
  117. ^ 同リンク
  118. ^ 宗教統計調査結果―平成25年12月31日現在―” (PDF). 文化庁 (2013年12月31日). 2016年2月17日閲覧。
  119. ^ 日本の宗教人口-2億と2-3割の怪の解-”. 武蔵野大学仏教文化研究所 渡辺浩希. 2014年7月3日閲覧。
  120. ^ 河合隼雄『対話する生と死』(大和書房
  121. ^ Geno 2.0: The Greatest Journey Ever Told” (英語). (official website). National Geographic Society. 2013年1月23日閲覧。:有料。※日本語版
  122. ^ DNAルーツ”. (公式ウェブサイト). 株式会社ローカス (Rucus). 2013年1月23日閲覧。:有料。
  123. ^ 研究チーム紹介・健康長寿ゲノム探索研究チーム”. (公式ウェブサイト). 地方独立行政法人 東京都健康長寿医療センター 東京都健康長寿医療センター研究所. 2009年8月30日閲覧。
  124. ^ 産経新聞生命ビッグバン取材班『ここまでわかってきた日本人の起源』産経新聞出版、2009年5月30日、17頁頁。ISBN 978-4-5940-5955-2 
  125. ^ 在アルジェリア邦人拘束事件(我が国の働きかけ)”. (公式ウェブサイト). 外務省 (2013年1月21日). 2013年1月23日閲覧。

関連項目

外部リンク