中華思想

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中華思想の概念図
浜下版清朝華夷秩序概念図.jpg

中華思想(ちゅうかしそう)とは、中国大陸を制した朝廷が世界の中心であり、その文化、思想が最も価値のあるものとし、朝廷に帰順しない異民族の独自文化の価値を認めず、「化外の民」として教化・征伐の対象とみなす、中国大陸に存在する伝統的な思考法。「華夷思想」「華夷秩序」などともいう。

元の時代モンゴル人が中国大陸を征服し、南宋の漢人を南蛮と呼んでいたり、清の皇帝がイギリスなどとの対等外交を拒否したりしていたように、中華思想は漢民族に限定したものではなく、東アジアの朝廷文化から生み出した一種の世界観である。

人間、国、物事の関係を水平ではなく上下関係で見るのが、中華文化の特徴である。その為、名前の前に敬称の「老」または蔑称の「小」を付けることが多く、反日デモにおいて度々用いられる「小日本」という呼称はその一例である[1]

目次

[編集] 中華思想に基づく異民族への蔑称

尚、現代中国・台湾・日本などでは、これらの言葉は一般的に死語となっているが、学術的には使われ続けている。

[編集] 歴史

中華」の由来に関しては中国を参照のこと

中華夷狄の峻別を理論的に説いた文献のうち、現在確認できる最古のものは孔子によるものである。孔子は初の礼楽を制度化し、夷狄起源の文化要素を排除すべきことを主張した。

の皇帝の王莽は、前漢において夷狄を王に冊封していた慣習を華夷秩序の観点から改め、匈奴高句麗の王を侯に降格せしめようとしたが、これらの諸国の離反を招いてしまった。

王朝は西域を主とする異国文化を珍重し、また外国人が宮廷で登用されることも珍しくなかった。

しかし王朝では対外劣勢を反映し、宋学では華夷の序が強調されるようになった。南宋中原に臣伏・朝貢していたから、現実としては金こそが中華である。これは堀敏一「律令制と東アジア世界」などで通説となっている。実際南宋人が北方人から「南蛮」「蛮子」などと呼ばれたことは有名である。

が異民族王朝のに滅ぼされると、明の遺臣の一部は清に仕えることを潔しとせず抵抗もしくは亡命し、そのうちの一人である朱舜水は、夷狄によって治められている現在の中国はもはや中国でなく、亡命先の日本こそが中華であると述べ、水戸学へも思想的影響を与えた。日本の江戸時代儒学者山鹿素行も著書中朝事実の中で同様の主張をした。ただ、朱舜水や山鹿素行の述べた「中華」とは、現代で言う大国や先進国といった意味での「中華」である。

その清王朝も乾隆帝の時代には中華としてイギリスとの対等外交を拒絶するようになった。

[編集] 学術的用語を離れた俗用法として

漢人の伝統的な思想という学術的な意味から転じて、単に強引で自己中心的な考え方を中華思想と呼ぶ場合がある。

[編集] 脚注

  1. ^ 天児慧「中国を考える 関係再構築へ 上」日本経済新聞 2010年10月26日 経済教室

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク


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