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* [[LIFE!〜人生に捧げるコント〜]](2017年8月14日)
* [[LIFE!〜人生に捧げるコント〜]](2017年8月14日)
* [[天才てれびくんYOU]] (2018年4月3日 - 6月14日、7月11日)- 朋橋弘至 役
* [[天才てれびくんYOU]] (2018年4月3日 - 6月14日、7月11日)- 朋橋弘至 役
* [[アウト×デラックス]] (2018年9月13日)
* [[情熱大陸]] (2018年9月30日)
* [[チャント!]](2019年4月1日 - 、[[CBCテレビ]]) - リポーター
* [[チャント!]](2019年4月1日 - 、[[CBCテレビ]]) - リポーター


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=== 映画 ===
=== 映画 ===
*『新☆四角いジャングル 虎の紋章』(2010年、GPミュージアム)[[山本芳久 (映画監督)|山本芳久]]監督 - ミラクル魔牙ジュニア役
*『[[新☆四角いジャングル]] 虎の紋章』(2010年、GPミュージアム)[[山本芳久 (映画監督)|山本芳久]]監督 - ミラクル魔牙ジュニア役
*『FLY!〜平凡なキセキ〜』(2012年、朝日放送/吉本興業)近藤真広監督 - ななみの夫役
*『FLY!〜平凡なキセキ〜』(2012年、朝日放送/吉本興業)近藤真広監督 - ななみの夫役
*『[[仮面ライダー平成ジェネレーションズ Dr.パックマン対エグゼイド&ゴーストwithレジェンドライダー]]』(2016年、東映)[[坂本浩一]]監督 - 来瀬荘司 / ロボルバグスター(声)役
*『[[仮面ライダー平成ジェネレーションズ Dr.パックマン対エグゼイド&ゴーストwithレジェンドライダー]]』(2016年、東映)[[坂本浩一]]監督 - 来瀬荘司 / ロボルバグスター(声)役

2020年7月26日 (日) 15:01時点における版

棚橋 弘至
Tanahashi Hiroshi
棚橋 弘至 Tanahashi Hiroshiの画像
2016年8月
プロフィール
リングネーム 棚橋 弘至
マスクド・デビロック
本名 棚橋 弘至
ニックネーム 100年に一人の逸材[1]
エース[1]
太陽の天才児
ハイフライング・スター
和製HBK
ミスター東京ドーム[2]
身長 181cm[1]
体重 101kg[1]
誕生日 (1976-11-13) 1976年11月13日(47歳)[1]
出身地 岐阜県大垣市[1]
所属 新日本プロレス
スポーツ歴 学生プロレス
レスリング[3]
野球[3]
トレーナー 武藤敬司
佐々木健介
藤波辰爾
山本小鉄
デビュー 1999年10月10日[1]
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棚橋 弘至(たなはし ひろし、1976年11月13日 - )は、日本男性プロレスラー岐阜県大垣市出身。血液型O型。新日本プロレス所属。

来歴

少年時代

1976年11月13日岐阜県大垣市に生まれる。幼い頃にプロレス好きな祖母の影響でプロレスの存在を知ってテレビで見るようになり、学校の休み時間ではプロレスごっこに興じていた[4]。一方で大垣市が名古屋圏という土地柄から中日ドラゴンズの大ファンで野球にも熱中し、小松辰雄郭源治に憧れていた。岐阜県立大垣西高等学校では野球部に入部。左翼手を務めながら、将来の夢としてプロ野球選手になることを掲げていた[4][5]。そんな中、高校1年生の頃に見た闘魂三銃士の試合、小橋建太の試合に感銘を受けた棚橋は、「プロレスラーになれば、心も体も強い人になれるのではないか」と、次第にプロレスラーへの憧れを強く抱き始めるようになった[4]

その後、プロ野球選手になる夢を諦めた棚橋は、プロ野球選手になれないならば、伝える側の新聞記者になることを考え、マスコミ関係に強そうな学部をいろいろ受けた結果、一般入試で立命館大学法学部に入学した[6]。入学式後、構内で新入生をサークルに勧誘するブースが数ある中でプロレス同好会に入り、クラスの自己紹介の時間ではクラスメイトが将来の夢として弁護士公認会計士を挙げる中、「将来はプロレスラーになります!」と宣言した[注釈 1][7]。プロレス同好会に在籍する一方、レスリング部にも参加し、1996年春に行われた新日本プロレスの入門テストを受け、与えられたメニューを全てこなしたが不合格[8]。同年秋に2度目の入門テストを受けるも、体調不良による脱水症状に陥りメニューをこなすことができずここでも不合格となった[8]。大学3回の終わりの1998年2月に行われた3度目の入門テストでようやく合格を果たし大学を辞めるつもりだったが、長州力から「この仕事はケガするかもしれないし、将来のために大学だけは卒業しておけ」と言われ大学生活を継続[9]。法学部の公務行政コースで政治について学び、残りの1年間で大量に残していた単位をすべて取得[10]。卒業後の1999年4月、晴れて新日本に入寮した[11]

新日本プロレス

1999年 - 2000年

肉体的にほぼ完成されていた棚橋は入寮から半年後の10月10日、後楽園ホール大会にて真壁伸也(現:真壁刀義)を相手にデビュー。試合は6分55秒、逆エビ固めに敗れた[12]。後にデビュー戦について棚橋は「自分自身より(対戦相手の)真壁さんの先輩としてのすごさ」が印象的だったことを語っており、プロレスラーはデビュー戦こそが本当のスタートであることを改めて実感した[13]。同月19日、福岡国際センター大会のデビュー3戦目で井上亘を相手に逆エビ固めでプロ入り初勝利を収めた[12]。12月23日の選手会主催興行では、新日ジュニアのトップ戦線で活躍する高岩竜一とシングルマッチで対戦した[12]

2000年に入り、ヤングライオンとしてパワーを生かした勢いのある攻撃を身上に前座戦線を賑やかせる一方、メキシコのトップ戦線で活躍するネグロ・カサスから勝利を収める活躍を見せて勢いに乗っていたが、9月9日栃木大会にて試合中に左手中手骨骨折を負い長期欠場へと突入した[12]

2001年

2001年4月19日の後楽園大会にて復帰[12]。欠場期間中のトレーニングにより足が太くなった棚橋は、それを強調するためにコスチュームを黒のタイツから赤のスパッツに変更[14][15]。さらに髪型も長髪にして、ヤングライオン卒業を宣言した[14]。5月18日後楽園大会から同期入門の鈴木健三(後に鈴木健に改名)とタッグとして活動を開始[12]。健三とのタッグはタナケンという愛称で親しまれていたが、6月22日よりタッグチーム名をキング・オブ・ザ・ヒルズKing Of The Hills、略称 : KOTH)と発表した[12]。9月8日に全日本プロレス日本武道館大会で初めて新日本以外の団体に参戦、10月8日には東京ドーム大会の舞台に初めて足を踏み入れ、G1 TAG LEAGUEではKOTHとして初出場を果たすなど、様々な経験を積んでいく[12]。KOTHは当時の新日本のいち若手としては珍しくストロングスタイルが連想されないライトなタッグであったことから注目を受けるようになり、次第に棚橋も新日本のトップ戦線に身を投じることとなる[14]

2002年

健想が肺気胸のため欠場に入ると、3月より佐々木健介ともタッグを組みようになり新タナケンコンビを結成、5月2日東京ドーム大会では健介と共にスタイナー・ブラザーズリック・スタイナー & スコット・スタイナー)と対戦[16]。6月20日に健介、復帰した健想、ブルー・ウルフを加えた4人で新ユニット発足を発表し、同月29日にスウィング・ロウズSWING-LOWS)と名づけた[17]。7月31日、初出場を果たすG1 CLIMAX開幕を前に藤波辰爾に師事を仰ぎ、ドラゴン殺法を伝授されると[17]、G1公式リーグ戦では越中詩郎、健介から殊勲の勝利を挙げた[17]。10月、健介が新日本に辞表を提出したことで存続が危ぶまれていたスウィング・ロウズについて棚橋は「存続」を宣言したものの、翌日に健想が「解散」を一部のマスコミに告白したことで一時混乱状態に陥っていたが[17]、11月14日にスウィング・ロウズの解散を正式に発表。さらに健想が高山善廣とタッグを組みたい意向を示したことで、KOTHも年内での解消を宣言した[17]

11月28日、都内目黒区のマンションにて別れ話のもつれから交際関係にあった女性に刃物で背中2か所を刺されて重傷。棚橋は負傷したまま原動機付自転車を運転して最寄りの病院に駆け込み、緊急治療を受けて一命を取り留めたものの、総血液量の約3分の1にあたる1.7リットルの血液を失い、一時は意識不明に陥った[17][18]。12月20日、刺傷事件後初めて公の場に姿を現し、丸坊主姿で騒動について謝罪した[17]

2003年

2月16日両国国技館大会で中西学とのシングルマッチで復帰戦を行いジャーマン・スープレックス・ホールドに敗れる[17]。この試合以降から赤を基調としたロングタイツにコスチュームを変更した[15]

欠場したブランクを埋めるべく若手の底上げをテーマに掲げた棚橋は、同月21日に30歳以下の選手らで争うU-30王座争奪リーグ戦の提唱を発表[17]。自らもリーグ戦に参加すると、4月23日広島サンプラザホール大会の優勝決定戦で真壁からドラゴン・スープレックス・ホールドで勝利を収め優勝、U-30無差別級王座を獲得し自身初となるタイトル奪取となった[19]。6月13日武道館大会では吉江豊と共にIWGPタッグ王座を奪取、他団体では永田裕志とのタッグでプロレスリング・ノア(以下「NOAH」)に参戦しGHCタッグ王座を奪取するなど、これまでチャンピオンベルトに縁がなかった棚橋にとって、一気に実績をあげた年となった[19]

2004年

1月24日沖縄県立武道館大会の試合後、真壁の呼びかけに呼応し、吉江と共に新世代軍として結託すると、上世代との世代闘争を提唱[20]。2月29日に村上和成とシングルマッチを行った際、村上の度重なる暴挙に激怒し遺恨が勃発[20]。3月28日両国大会にて観客不在のノーピープル・マッチとして、村上とU-30王座を賭けた金網デスマッチで対戦。最後は村上の顔面を金網の角に据えてから後頭部を踏みつける荒技でK.O.勝ちを収めた[20]。6月5日大阪府立体育会館大会にてIWGPヘビー級王座を保持するボブ・サップと対戦することが予定されていたが、サップが大会3日前に同王座を返上したことでカードが消滅。急遽IWGPヘビー級王者決定戦として藤田和之と対戦したが、顔面蹴りを食らいK.O.負けを喫した[20]。その後、3度目の出場となるG1では予選リーグ戦をトップで通過し、8月15日に天龍源一郎を下して決勝戦で天山広吉と対戦したがアナコンダバイスに敗れ準優勝に終わった[20]

9月15日にはファッションブランド「デビロック」とのコラボ大会にて覆面レスラーマスクド・デビロックに変身し、THE APEMANと対戦。ドラゴンスープレックスホールドで勝利を収めた[21]

また、年頭より中邑真輔柴田勝頼らと共に将来を嘱望されている意味合いを込めて、新闘魂三銃士と会社から売り出されるようになったが、年齢やキャリア、性格も違う3人は三銃士という括りで縛られることに反発。10月1日後楽園大会にて初めてトリオを結成して試合に出場することになったが、最後は柴田がピンフォール負けを喫した[21]。試合後、世代闘争を一時中断し、外敵撃退のため中邑と共に、上世代の天山、永田らと共闘を宣言。11月3日両国大会にて外敵・健介を相手にIWGPヘビー級王座を賭けたタイトルマッチに挑んだがノーザンライト・ボムに敗れた[21]。12月11日大阪大会で中邑と共に健介 & 鈴木みのる組から勝利を収め、IWGPタッグ王座奪還に成功した[21]

2005年

1月4日東京ドーム大会のメインイベントにて中邑と初めてシングルマッチで対戦。腕ひしぎ十字固めに敗れ、長らく保持したU-30王座から陥落。試合後に涙を流しながら退場した[21]。2月16日、全日本プロレス主催の国立代々木競技場・第二体育館大会に参戦し、かつて付き人を勤めていた武藤敬司とシングルマッチで対戦したがムーンサルトプレスに敗北[21]。4月、新設されたトーナメント戦、NEW JAPAN CUP(以下「NJC」)で優勝[21]。さらに6月、中邑がU-30王座を返上したことで行われた王座決定リーグ戦を全勝で突破し、U-30王座に返り咲くことに成功[21]。7月18日にはNOAH東京ドーム大会に参戦し、力皇猛の保持するGHCヘビー級王座に初挑戦したが敗北した[21]

一方タッグでは、中邑と共に前年12月に獲得したIWGPタッグ王座の防衛戦で数々のタッグチームを撃破。同タッグでCMLLにも参戦するなど、タッグ戦線に新風を巻き起こしてきたが、10月30日神戸ワールド記念ホール大会にて蝶野正洋 & 天山広吉組に敗れタッグ王座から陥落[22]。試合後、中邑と別々に退場しタッグ解消を宣言し[22]、11月3日後楽園大会にて中邑と共に永田 & 中西組と対戦。中邑が中西から逆十字固めでギブアップ勝ちを収めた[22]。試合後に棚橋は「お互い違う道を通って上を目指して行く」と、1年近く共闘してきたパートナーとの決別を改めて宣言した。

2006年

パートナーの中邑と袂を分かち、この年より棚橋はシングルプレーヤーに転向。1月にTNAに遠征しAJスタイルズロデリック・ストロングとシングルマッチを行いいずれも敗北を喫してしまったが、現地関係者よりその躍動感溢れるファイトスタイルから「ハイフライングスター」と呼ばれ高い評価を受けた[22]。遠征先での試合を生かした棚橋は、2月5日の月寒グリーンドーム大会で初めて中邑からシングル初勝利を飾り[22]、19日両国大会では永田からも初勝利を収め、次なる目標としてIWGPヘビー級王座に標的を定めた。6月7日にブロック・レスナーが保持するIWGP王座に挑戦することが発表され、それに伴い自ら保持していたU-30王座を返上[23]。しかしタイトルマッチ2日前に迫った7月15日、レスナーが契約上のトラブルを理由に来日不能となり、それに伴いタイトルマッチの中止が決定。17日月寒大会にて急遽行われた新王者決定トーナメントに出場し、決勝戦でジャイアント・バーナードスリング・ブレイドで破り、IWGP王座初戴冠を果たした[注釈 2][23]。多事多難の中、3度目の正直でようやく手にしたベルトを腰に巻いた棚橋は、観衆に向けて「愛してます」と涙ながらに絶叫した[23]

2007年

4月13日大阪大会にて永田のバックドロップホールドに敗れIWGP王座から陥落[24]。さらに5月1日の試合後に右膝半月板損傷および内側側副靭帯損傷のため欠場[24] となり、上半期は思うような結果が残せずに苦しんだ。7月26日、G1開幕を控えた棚橋は洒水の滝に訪れ、2004年以来となる滝修行を敢行[24]。修行後の囲み取材で「これを機に一気にスターダムへとのし上がります!」と、力強く決意を述べた[25]。8月、6年連続でG1に出場。予選を勝ち抜き決勝トーナメントに進出を決めた棚橋は、同月12日の準決勝戦で真壁、決勝戦で永田を破り、悲願のG1初制覇を成し遂げた[24]。G1を制覇した棚橋は次なる標的としてIWGP王座に狙いを定め、10月8日両国大会にてIWGP王座を保持する永田と再び対戦。ハイフライフローで勝利を収め、約半年ぶりにIWGP王座に返り咲くことに成功した[24]

翌9日、一夜明け記者会見の場で結婚していたことを明らかにした[26]

2008年

レッスルキングダムIIのメインにて中邑と対戦したがランドスライドに敗れIWGP王座から陥落[24]。3月1日の全日本プロレス両国大会にて武藤とタッグを結成し、川田利明 & 太陽ケア組を相手に勝利。メイン終了後のリングでチャンピオン・カーニバルに参戦を表明した[27]。ホームである新日本では、同月8日より開催されたNJCを史上初となる2度目の制覇を果たしIWGP王座挑戦権を獲得[27]、3月30日後楽園大会にて中邑と対戦したが腕ひしぎ逆十字固めに敗れた[27]。4月、全日本主催のチャンピオン・カーニバルに初出場。9日の公式リーグ最終戦で小島聡から勝利を収め決勝に進出し、決勝戦で諏訪魔と対戦したがラストライドに敗れ準優勝[27]。17日、左膝前十字靭帯断裂および外側半月板損傷により以後欠場[27]。8月に開幕されたG1の舞台で復帰を果たすも、精彩を欠き予選落ちに終わった[27]。9月には新日本内で急激に勢力を拡大させるG・B・Hに対抗すべく、対立関係にあった中邑がリーダーを務めるユニット、RISEと本隊との橋渡し役となるも、その後は然したる活躍もないままトップ戦線から遠のいた存在にまで陥る。10月26日にスランプ打破のため、無期限アメリカ遠征に出発[27]。現地TNAの一員として試合をこなしていく中、菅林直樹社長から全日本・武藤が保持するIWGP王座を奪回するため、次期IWGP王座挑戦者として直々に指名を受ける[27]。「打開策を自分が納得するまで見つけ続けたい」と、当初は答えを保留していた[28] が、最終的に翌年東京ドーム大会でのIWGP王座挑戦を受理した[27]

2009年

レッスルキングダムIIIの舞台で武藤を破り、長らく他団体に流出していたIWGP王座の奪還に成功し、3度目の戴冠を果たす[29]。その後、中邑、カート・アングル後藤洋央紀と対戦し3度の防衛に成功[29]。一時は中西学に敗れて王座を手放す[29] が、DOMINION 6.20にて中西に勝利し再び王座を奪還[29]。以後、NOAH所属の杉浦貴ZERO1所属の田中将斗ハッスル所属のTAJIRIといった外敵らと抗争を繰り広げ始め、特にTAJIRIにはグリーンミストを浴びせられたことから強い敵意を示した。8月13日の愛知大会G1公式リーグ戦にてTAJIRIと対戦したがレフェリーのブラインドを突いたグリーンミストからのバズソーキックに敗れた[29]。TAJIRIに土をついた棚橋だったが、G1では公式リーグ最終戦で田中を破り決勝トーナメントに進出[29]。準決勝戦で中邑と対戦したがボマイェに敗れ優勝を逃した[29]。さらに試合中に中邑が放ったハイキックによって眼窩内側壁骨折となり欠場、それに伴いIWGP王座の返上を発表した[29][30]

9月27日神戸大会のメインで行われたIWGP王座決定戦=真壁vs中邑のゲスト解説を務めるため放送席で試合を見守る。試合に勝利した中邑が「(IWGP)ベルトに輝きがない」「猪木」とリング上で発言したことに対して「ストロングスタイルの呪いにかかっている」と不快感をあらわにした[31]。10月12日両国大会にてIWGP王座の防衛戦を終えた中邑の前に姿を現す。自身を避ける中邑の眼前にしつこく立ちはだかると、「どうだ、うっとうしいだろ?」と開き直り、続けて中邑に対して「暫定王者」と挑発しIWGP王座次期挑戦者としてアピール[31]DESTRUCTION'09にて中邑と対戦したがボマイェに敗れ王座奪取とはならず。試合後、バックステージで倒れていると、突如としてTAJIRIが現われグリーンミストを喰らったことから遺恨が再発[32]。11月23日後楽園大会で後藤と共にTAJIRI & 田中組と対戦。G1参戦以降ピンフォール負けを許さなかったTAJIRIから勝利を収めた[33]。その後のシリーズでは立て続けにTAJIRIにフォール負けを喫するも、12月5日愛知大会で再びシングルマッチで激突し、ハイフライフローで勝利を収め抗争に終止符[34]。同月9日、東京スポーツ制定のプロレス大賞で最優秀選手賞(MVP)を受賞した[35]

2010年

2月14日両国大会にて矢野通とシングルマッチで対戦。ハイフライフローで勝利を収めたが、試合後に矢野からハサミで髪を切られる暴挙に遭い激怒[36]。以後、矢野との髪切り抗争劇を繰り広げると、DOMINION 6.19にてルーザー・ボールド・ルールと銘打たれた試合形式で完全決着を果たすべく矢野と対戦。回転十字架固めで勝利を収めたが、試合後に矢野から急所攻撃を受けてしまい逆に髪を切られる危機に陥る。そこにかつて敵対関係にあったTAJIRIが救援に駆けつけ、矢野に対してグリーンミストを吹きつけると、ダウンする矢野を羽交い絞めにして拘束。バリカンを手に取った棚橋はようやく矢野の髪を刈ることに成功した[37]

下半期からは昨年12月に凱旋した内藤哲也と抗争に明け暮れ、年内で4度のシングルマッチで対戦。最終的に2勝1敗1分という戦績で勝ち越しに成功。内藤との世代闘争を制した棚橋はその後、フリーとして新日本に参戦し始めIWGP王座に就いた小島聡に対して挑戦をアピール。12月11日大阪大会にて同じくIWGP王座に挑戦を表明した後藤と対戦。ハイフライフローでピンフォール勝ちを収めて[38]、熱望していたIWGP戦線へ一歩近づくと、翌12日愛知大会の全試合終了後に改めて小島に対して挑戦を表明した[39]

2011年

レッスルキングダムVにてIWGP王座を奪還した棚橋は、その後年内で10度の防衛に成功した。

レッスルキングダムVにて小島から勝利を収めIWGP王座5度目の戴冠を果たす[40]。試合後のマイクで「もう一度、これからのプロレス界をオレに任せてください!」と、並々ならぬ決意で2011年の闘いに足を踏み入れた棚橋は以後、破竹の快進撃で防衛ロードをばく進。防衛戦ではクオリティの高い試合内容で観衆を魅了し、特に6月18日の後藤戦、9月19日の中邑戦、10月10日の内藤戦の3試合は年間ベストバウト候補に挙がるなど安定したファイトを見せつけ[41]、王座防衛数もそれまで最多記録を保持していた永田に並ぶ10度の防衛に成功。さらにはアメリカで史上初となるIWGP王座戦を開催するなど、国内のみならず海外でも自分の存在感を大いにアピールし、他の追随を許さない活躍ぶりが讃えられた棚橋は、2009年以来2度目となるプロレス大賞MVPを受賞。プロレス界全体に棚橋時代を印象付けた年となった[41][42]

2012年

レッスルキングダムVI鈴木みのるを撃破し最多記録となる11度目の防衛に成功。年頭より最高のスタートを切ったかに思われたが、その1か月後のTHE NEW BEGINNINGにて新鋭のオカダ・カズチカレインメーカーに敗れ、長らく保持し続けたベルトを明け渡してしまう。それでもDOMINION6.16にて、前回とは逆のシチュエーションでオカダと再戦した際に勝利を収めて同王座に返り咲き、オカダへの雪辱を果たすことに成功した。このIWGP王座奪還を果たしたオカダ戦はプロレス大賞年間最高試合賞(ベストバウト)を受賞。オカダとの対戦は新日本のドル箱カードとなり、以後2人はIWGP王座を巡って幾度となく激闘を繰り広げていった。

2013年

4月7日、INVASION ATTACKにてオカダのレインメーカーに敗れ、IWGP王座から陥落。再びIWGP戦線へ舞い戻ろうとする棚橋は、レスリングどんたく 2013にて同じ志を持つカール・アンダーソンと対戦。ハイフライフローで勝利を収めたが、試合終了直後にプリンス・デヴィット率いるBULLET CLUB(以下「BC」)の襲撃に遭ってしまい新たな遺恨が勃発。DOMINION 6.22にてデヴィットとシングルマッチで対戦するがBCメンバーの再三に渡る介入でペースを掴めず、最後はブラディ・サンデーに敗れた。

ウニベルサル王座を腰に巻く棚橋

8月、CMLLが開催するカンペオン・ウニベルサルに出場し、決勝戦でルーシュから勝利を収めて日本人史上2人目の優勝者となった[注釈 3]

ホーム新日本では引き続きBCとの抗争に明け暮れたが、G1公式リーグ戦でデヴィットと再戦した際も敗北を喫し、獣神サンダー・ライガーと共に7月5日に獲得したCMLL世界タッグチーム王座もBCの乱入がキッカケでタマ・トンガ & レイ・ブカネロ組を相手に陥落。悪の限りを尽くすBCのダーティファイトに憤慨した棚橋は「介入できない形で決着をつけてやる!!」と、DESTRUCTIONにてデヴィットとランバージャック・デスマッチで対戦。本隊とBCの両チームメンバーがリングに入り混じる中、最後はハイフライフローで勝利を収めて一連の抗争に終止符を打たせた。

10月14日、KING OF PRO-WRESTLINGにてオカダの保持するIWGP王座に挑戦。棚橋はここで負けたらIWGP戦線から離脱を公言しており、リスクを背負った中での挑戦となったが、最後はオカダのレインメーカーでピンフォール負け。試合後に「さらばだ、IWGP!!」と、公約通りIWGP戦線から撤退を表明。目指すべき頂を失ってしまった棚橋だったが、11月9日のPOWER STRUGGLEにてIWGPインターコンチネンタル王座(以下「IC王座」)を保持する中邑真輔よりIC王座次期挑戦者として指名を受ける。これまでIWGPヘビーとIC王座という別路線を歩んでいた両者が久々に対決する可能性が急浮上した。

2014年

前年に中邑とのIC王座戦が決定した同日、IWGP王座戦とどちらがメインイベントに相応しいかファン投票が行われた結果、IC王座戦が最終試合に組まれることとなり、レッスルキングダム8に4年連続でメインに登場。IC王座を保持する中邑からハイフライフローで勝利を収めて王座奪取を果たした棚橋はその後、THE NEW BEGINNING in HIROSHIMAにてリマッチを申し入れてきた中邑を相手に初防衛に成功したが、NJCに優勝した中邑が再びIC王座に挑戦することをアピール。INVASION ATTACK 2014にて再び中邑を相手にIC王座の防衛戦を行ったが、ボマイェに敗れ同王座から陥落した。

4月19日後楽園大会にて真壁と共にIWGPタッグ王座を保持するカール・アンダーソン & ドク・ギャローズ組とのノンタイトルマッチに勝利、さらにレスリングどんたく 2014ではイリミネーションマッチで最後一人生き残ったギャローズからピンフォールを奪い、真壁と共に二人残りで勝利。タッグ王座獲りも見えてきた真壁とのタッグ、エースとキングとしてタッグ王座への挑戦を表明したが、その直後に後藤洋央紀と柴田勝頼がリング上に現れ、自分たちこそがタッグ王座の次期挑戦者組だとアピール。その傍らで柴田は「ベルト・・・それよりも、棚橋。オマエと勝負だ」と挑発を受けたが、「眼中に無ぇよ」と軽くあしらった。5月25日の横浜アリーナ大会にて後藤 & 柴田組とタッグ王座コンテンダーマッチを行い、真壁が後藤から勝利を収め挑戦権を獲得。DOMINION 6.21にてアンダーソン & ギャローズ組に挑戦したが王座奪取とはならなかった。

その後は昨年より新日本にレギュラー参戦する柴田とイデオロギー闘争を勃発させ、7月のG1公式リーグ戦で対戦するも敗北。9月21日のDESTRUCTION in KOBEにて柴田とシングルマッチで三度対戦し、最後はハイフライフロー二連発で勝利を収め、G1での借りを返した。試合後、これまで舌戦を繰り広げた柴田と額を合わせて言葉を掛けあうと最後は握手を交わし、長らく続いた遺恨に終止符を打たせた。

10月13日、KING OF PRO-WRESTLINGにてIWGP王座を保持するAJスタイルズから指名を受ける形で挑戦。試合終盤にAJのセコンドについたジェフ・ジャレットによる介入に遭うも、突如として現われたヨシタツがジャレットを蹴散らすという助太刀を受け、最後はハイフライフローで勝利を収め、IWGP王座史上最多となる7度目の戴冠を果たした。

2015年

2月11日、THE NEW BEGINNING in OSAKAにてAJに敗戦しIWGP王座から陥落。その後王座復権を誓うため、3月5日に開催されたNJCに3年ぶりに出場し一回戦で矢野通と対戦したが、わずか2分47秒で敗れ早々に脱落。矢野に足元をすくわれてしまったことでIWGP戦線から一気に後退した棚橋は、以後矢野と長期に渡る抗争を展開。

7月5日、DOMINION 7.5 in OSAKA-JO HALLにて再び矢野とシングルマッチにこぎ着けることに成功し、試合はハイフライフローで勝利を収め、抗争に終止符を打った。矢野戦を制した棚橋は「全部取り戻す気持ちで『G1』行きます」と、巻き返しを誓いG1 CLIMAX 25に出場。

8月16日、両国国技館で行われたG1 CLIMAX 25決勝戦で、公式リーグ戦Aブロックを1位で通過した棚橋は、Bブロック1位の中邑真輔をハイフライフロー2連弾で制し、2007年以来8年ぶり2度目の優勝を収めた。優勝セレモニーの中で、棚橋が勢い余って優勝旗を折ってしまうというアクシデントがあった。

その後、G1優勝者に手渡される東京ドーム・IWGP王座挑戦権利証を獲得した棚橋は、G1公式リーグ戦で敗北したバッドラック・ファレ内藤哲也を相手に権利書争奪戦として再戦。いずれも勝利を収めたことで、翌東京ドーム大会でオカダの保持するIWGP王座に挑戦することが決定した。

2016年

2016年1月4日、レッスルキングダム10のメインイベントで、オカダ・カズチカの保持するIWGPヘビー級王座に挑戦。35分を超える激闘の末、最後はレインメーカーでピンフォール負け。5年連続東京ドーム大会のメインイベント勝利記録が途絶えることとなった。

1月30日、中邑真輔の退団により空位となったIWGPIC王座の王座決定戦として、ケニー・オメガと対戦することを発表した。2月14日、THE NEW BEGINNING in NIIGATAにてオメガと対戦したが、片翼の天使でピンフォール負けを喫し王座奪取に至らなかった。

5月21日、後楽園ホールでの試合後にBCに襲撃されてしまい左肩を負傷。検査の結果、左肩剥離骨折、二頭筋断裂と診断され欠場を余儀なくされる。

7月18日、G1の舞台で復帰を果たすも、精彩を欠き予選落ちに終わる。その後はG1開幕戦で敗北を喫したロス・インゴベルナブレス・デ・ハポンSANADAと抗争を繰り広げ、11月5日、POWER STRUGGLEにて、SANADAと対戦。ハイフライフローでピンフォール勝ちを収めて抗争に終止符を打ち、同興行のメインイベント終了後、内藤の保持するIWGPIC王座に挑戦を表明した。

2017年

1月4日、レッスルキングダム11にて、内藤哲也の保持するIWGPインターコンチネンタル王座に挑戦。デスティーノでピンフォール負けを喫し王座奪取に至らなかった。[43]

1月5日、東京・後楽園ホールで行われた「NEW YEAR DASH!!」にて田口隆祐中西学とのタッグでロス・インゴベルナブレス・デ・ハポン(LIJ)のBUSHIEVILSANADA組が持つNEVER無差別級6人タッグ王座に挑戦し勝利。第10代王者に戴冠[44]。これを機に、田口を"監督"としたユニット「タグチジャパン」を結成し、活動を開始する。

2月11日、大阪・大阪府立体育会館で行われた「THE NEW BEGINNING in OSAKA」にて、LIJ(BUSHIEVILSANADA)組に敗れ、NEVER無差別級6人タッグ王座陥落。[45]

3月11日、愛知・愛知県体育館で開幕した「NEW JAPAN CUP 2017」ではEVILに敗戦し、1回戦敗退となる。[46]

4月4日、東京・後楽園ホールで行われた「Road to SAKURA GENESIS 2017」にて、田口隆祐リコシェとのタッグで、NEVER無差別級6人タッグ王座を懸けてLIJ(BUSHIEVILSANADA)組とリマッチ、勝利し第12代王者となる。[47]

6月11日、大阪城ホールで行われた「DOMINION 6.11 in OSAKA-JO HALL」でIWGPインターコンチネンタル王座内藤哲也に挑戦、テキサスクローバーホールドで内藤からギブアップ勝ちを収め、第16代王者となった。ICのベルトを投げたり踏んだりという暴挙を行う内藤を批判し、「このベルトは僕が救います」と宣言した通りの結果となった。[48]

7月2日、アメリカ・ロングビーチ コンベンション アンド エンターテイメント センターで行われた「G1 Special in USA」で、ビリー・ガンの挑戦を受けた。戦前に棚橋が、ガンをカリスマ的な存在として待望の挑戦者であるかのように発言した。しかし、現地ではWWE時代はタッグプレイヤーだった上に53歳と高齢のガンが挑戦者としては物足りないという微妙な空気が漂った。試合は、棚橋がハイフライフローでガンを一蹴して初防衛を飾った。[49]

9月16日、広島・広島サンプラザホールで行われた「DESTRUCTION in HIROSHIMA」で、ザック・セイバーJr.を相手に2度目のIC王座防衛戦を行った。終盤、鈴木みのるが乱入するも、エルガンが排除して棚橋をアシスト。最後はハイフライフローを炸裂させ、激闘を制した。[50] 試合後、棚橋は次期挑戦者として飯伏幸太を指名。[51]

11月5日、大阪府立体育会館で行われた「POWER STRUGGLE」で、飯伏幸太を相手に3度目のIC王座防衛戦を行った。カミゴェを執念で防いだ棚橋が、最後はハイフライフローを炸裂させ、激闘を制した。[52] 試合後、ジェイ・ホワイトがリングに登場し、棚橋をKOに追い込んだ。[53]

2018年

1月4日、「WRESTLE KINGDOM 12 in 東京ドーム」にて、ジェイ・ホワイトを相手にIC王座防衛戦を行い、4度目の防衛を果たした。

1月27日、「THE NEW BEGINNING in SAPPORO ~雪の札幌2連戦~」にて、鈴木みのるに敗れIC王座から陥落。

1月28日、右膝変形関節症のため欠場が発表された[54]

8月12日、日本武道館で開催された『G1 CLIMAX 28』決勝で、飯伏幸太をG-1決勝史上最長となる35分の熱闘の末にピンフォール勝ちを奪い、3年ぶり3度目のG1 CLIMAX優勝を果たした[55]。終盤はエルボーの打ち合いとなったが、飯伏のカミゴェ狙いを悉く切り替えし、最後は背中へのハイライフロー、ハイフライアタック、正調のハイフライフローの3連打で3カウント。敗れた飯伏は棚橋と握手を交わすことはなかった[56]。棚橋の番記者に言わせれば、過去の功績が未来への期待を上回っていた中での優勝であった[57]

8月13日、『G1 CLIMAX 28』優勝決定戦の一夜明け会見が行われ、IWGPヘビー級王座挑戦権利証争奪戦の相手として、5月4日の『レスリングどんたく』で負け、『G1 CLIMAX 28』公式戦で時間切れで引き分けている、オカダ・カズチカを逆指名した[58]

9月23日、兵庫・神戸ワールド記念ホールで行われた「DESTRUCTION in KOBE」の第9試合で、オカダ・カズチカと東京ドーム・IWGPヘビー級王座挑戦権利証争奪戦を行い、ハイフライフローでオカダにとどめを刺し、挑戦権利証の防衛に成功した[59]。試合終了後、ジェイ・ホワイトがリングに乱入し、ブレードランナーで棚橋をKO。場内が大ブーイングに包まれる中、ジェイは同じCHAOSのオカダにも襲い掛かってストンピングを連射した[60]

10月8日、東京・両国国技館で行われた「九州三国志 presents KING OF PRO-WRESTLING」の第8試合で、ジェイ・ホワイトと東京ドーム・IWGPヘビー級王座挑戦権利証争奪戦を行い、電光石火の首固めでジェイから3カウントを奪い、挑戦権利証の防衛に成功した[61]。試合後、結果に納得がいかないジェイは棚橋にストンピングを連発。ヤングライオンが制止に入るも、これを蹴散らしたジェイはさらにブレードランナーを狙う。しかし、そこでオカダ・カズチカが棚橋の救出に登場。慌ててジェイは場外へ。場内は大きな「オカダ」コールに包まれるが、突然現れたBULLET CLUB OGの罠にかかり、オカダもKOされた[62]

10月17日、東京・後楽園ホールで行われた「九州三国志 presents Road to POWER STRUGGLE ~SUPER Jr. TAG LEAGUE 2018~」第2戦の第3試合、CHAOS組(オカダ・カズチカ&矢野通&バレッタ&チャッキーT)対BULLET CLUB OG組(ジェイ・ホワイト&バッドラック・ファレ&タマ・トンガ&タンガ・ロア)の試合は、BULLET CLUB OGの反則負けとなったが[63]、試合後もジェイはオカダにストンピングを連発。ジェイはブレードランナーを狙うが、そこで棚橋がリングインし、オカダを救出した[64]

10月27日、東京・後楽園ホールで行われた「九州三国志 presents Road to POWER STRUGGLE ~SUPER Jr. TAG LEAGUE 2018~」第8戦の第4試合、CHAOS組(オカダ・カズチカ&矢野通&バレッタ&チャッキーT&ロッキー・ロメロ)対BULLET CLUB OG組(ジェイ・ホワイト&バッドラック・ファレ&タマ・トンガ&タンガ・ロア&外道)の試合は、外道がロメロから3カウントを奪った[65]。試合終了後、オカダがジェイに襲い掛かったが、それをファレが妨害し、ジェイとタンガがオカダにストンピングを浴びせる。その後、ジェイがブレードランナーの体勢に入ったところ、棚橋が登場し、オカダを救出した。ここで棚橋がオカダへ声をかけ、2人でタマにダブルバックエルボーをお見舞い。館内が棚橋コールに包まれる中、ジェイは場外からリング上の棚橋&オカダを激しくののしって退場。すると、棚橋とオカダが向き合い、棚橋が両手の人差し指を立ててから握手の手を差し出す。これで場内が「オカダ」コールに包まれると、オカダも同じように左右の人差し指を立て、そこから棚橋とガッチリ握手。まさかの展開で場内が大歓声に包まれた[66]

2019年

1月4日、「WRESTLE KINGDOM 13 in 東京ドーム」にてIWGPヘビー級王座のオメガに挑戦、ハイフライフローで39分13秒の激闘を制し第67代王者となった。これで8回目の戴冠となり、自身の持つ最多戴冠記録を更新した。

しかし2月11日、大阪府立体育会館大会でのホワイトとのIWGPヘビー級選手権試合においてホワイトのブレードランナーでピンフォールを奪われ初防衛に失敗。同王座から陥落した。

2月19日、ヨシタツと組み「ジャイアント馬場没20年追善興行~王者の魂~」メインイベントに出場[67]。試合後、宮原健斗の「プロレス最高ですか!」「プロレスを最高に!」の声に合わせ「愛してまーす!」と声を合わせ絶叫した[68]

3月、NEW JAPAN CUP2019に出場。準決勝まで進出するもSANADAに敗れ、決勝進出とはならなかった。その後、準々決勝で勝利したブリティッシュヘビー級王者のザック・セイバーJr.から同王座の挑戦者に指名される。

4月、マディソンスクエアガーデン大会にてブリティッシュヘビー王座に挑むも、変形ジムブレイクス・アームバーでギブアップ負けを喫する。また、これにより左肘を負傷。次期シリーズ、Road to レスリングどんたくの欠場を発表した。

5月、レスリングどんたく最終日に会場に現れ、6月に復帰することを発表。だが、そこにジェイ・ホワイトが現れ、「お前は列の後ろに並んどけ!」などと挑発をされ、復帰戦スペシャルシングルマッチが決定した。そして6月5日、両国国技館大会でのスペシャルシングルマッチでは、ジェイに首固めで丸め込まれ、復帰戦勝利とはならなかった。

7月、G1 CLIMAX 29に出場。開幕戦でオカダに敗れ、2戦目には迷子扱いしていた初出場のKENTAに敗れる。そこから、4連勝と巻き返すも、3連敗を喫し、結果は4勝5敗と11年ぶりに負け越しで終了した。

2019年9月12日 ブリティッシュヘビーのベルトを掲げる棚橋弘至
2019年9月12日 ブリティッシュヘビーのベルトを掲げる棚橋弘至

9月1日、イギリス・ロンドン・ザ・カッパー ボックスで開催された NJPW Royal Questの第7試合でザック・セイバーJr.が持つブリティッシュヘビー級王座に挑戦。ハイフライフローを完璧に決めて3カウントで決着。ブリティッシュヘビー初戴冠を成し遂げた[69]。 9月15日、大分・別府ビーコンプラザで開催されたDESTRUCTION in BEPPUのメインイベントでザック・セイバーJr.とブリティッシュヘビー戦のリターンマッチを行う。試合はザックがグラウンドコブラで3カウントを奪い棚橋は防衛に失敗。ザックが新チャンピオンとなる[70]

2019年11月16日〜 2019年12月8日に開催されたWORLD TAG LEAGUE 2019にトーア・ヘナーレをパートナーに出場。3勝12敗の勝ち点6でシリーズを終えた[71]

2020年

1月4日のいわゆるイッテンヨンの東京ドームでは試合が組まれなかった。1月5日、WRESTLE KINGDOM 14 in 東京ドーム第7試合でクリス・ジェリコと対戦。ジェリコが持つAEW王座への挑戦がかかった試合だったがウォールズ・オブ・ジェリコでタップアウト負け[72]

2月9日、大阪城ホールで開催されたTHE NEW BEGINNING in OSAKAの第3試合ジュース・ロビンソン&デビッド・フィンレー&棚橋弘至&飯伏幸太vsタマ・トンガ&タンガ・ロア&高橋裕二郎&チェーズ・オーエンズの対戦で棚橋がロアを丸め込みで3カウントを獲ったことを受け、棚橋は飯伏と共にG.o.DのIWGPタッグ挑戦をアピール[73]。2月21日後楽園ホール4連戦の三日目として開催されたNEW JAPAN ROADのメインイベントでIWGPタッグ王者のG.o.D(タマ・トンガ&タンガ・ロア)に、棚橋弘至&飯伏幸太組(ファンが言い出したチーム名、「ゴールデン☆エース」が二人のチーム名として定着[74])として挑戦。棚橋がハイフライフローをタマに決め、3カウント。棚橋&飯伏組が新王者となった[75]

6月22日に行われたNEW JAPAN CUP 2020第3戦のメインイベントでタイチとの一回戦を戦う。DOUKIの乱入で流れが変わり、最後は天翔十字鳳からのブラックメフィストで3カウントを奪われ一回戦敗退[76]

7月12日、大阪城ホールDOMINION in OSAKA-JO HALLの第6試合でIWGPタッグ王座を賭けて、タイチ&ザック・セイバーJr組と対戦。最後は棚橋が天翔ザックドライバーを決められ3カウントを奪われ初防衛に失敗した[77]

得意技

師である藤波辰爾のドラゴン殺法や武藤敬司から影響を受けた技が多く、これら以外にクイック技を好んで使用する。ナルシストキャラの確立後は要所で手を広げながらファンに歓声を求めるといった行動や、棚橋も大ファンである仮面ライダーから影響を受けたアピールなどが目立ち始めている。棚橋曰く、「オールドスタイルのアメリカンスタイルが好き」と公言している。

フィニッシュ・ホールド

ハイフライフロー
フロッグスプラッシュと同じ技。元々使われていた技だが、2006年6月よりハイフライフローと名づけフィニッシャーとして使用され始め、棚橋の代名詞的な技として知られるようになる。棚橋曰く「ボディプレスにカッコいい名前をつけただけです」と語る(タモリ倶楽部 2011年2月11日放送分より)ほど単純明快な技だが、故にその汎用性が高く、うつ伏せ状態の相手へ落下したり、立っている相手に放つ(形としてはダイビングボディアタックと同型)などして応用し、2008年からはコーナーポストに頭を向けて倒れている相手への対策として、空中で90度旋回して方向転換しながら落下していく改良を施している。足殺しの一環として相手の両膝に向かって落下していくパターンも使用しており、大一番では確実に勝利を奪えるよう連発で繰り出したり、場外にいる相手に対して放つこともある。その他にも、2015年8月16日G1CLIMAX25優勝決定戦の中邑戦では、雪崩式ランドスライドを狙いセカンドロープに立った中邑を潰すように、トップロープから放ったり、2018年9月23日東京ドーム・IWGPヘビー級王座挑権利証争奪戦のオカダ戦では、雪崩式ツームストンパイルドライバーを狙いセカンドロープに立ったオカダを張り手で落下させながら、トップロープから時間差で放ったりするなど近年ではコーナー上での攻防から仕掛ける場合もある。
棚橋は、この技をフィニッシュ・ホールドとして選択した理由として、「初めて見に来る客に対してインパクトがあって痛みが伝わる」という点を挙げており、技名の由来は「高く飛んで集中した状態」という意で、技の名前からその形と破壊力がイメージできること念頭に置きながら名付けたとされている。
場外ハイフライフロー
大一番で必ず出す技。
ドラゴン・スープレックス・ホールド
藤波に師事する棚橋が2002年より使用し始めたスープレックス技。ドラゴン殺法を藤波から直接指導を受けて以降、大一番でのフィニッシュとして用いられていた決め技だったが、ハイフライフローを使い始めてからはその座を譲る形で使用頻度が低くなった。それでも未だに説得力のある必殺技として大事な場面で用いられており、2014年2月9日広島大会でハイフライフローを返した中邑から同技を決めて勝利している。
スリング・ブレイド
旋回式フライング・ネックブリーカー・ドロップ。2005年の年頭から使用し始め、フィニッシュ・ホールドとして用いられた技。
前方から相手の首に飛びついて相手の首を支点に空中で旋回しながら、相手の後頭部をマットに叩き付ける。ロープの反動で助走を付ける従来の型やカウンター式、その場飛び式とあらゆる場面で使用されており、コーナーポスト最上段から飛びついて放つ「ダイビング式」は数度だけ使用。相手の背後から繰り出す「リバース式、応用編として投げ技を仕掛けられた際に切り返しで使われることも多く、ペースチェンジとして現在も使用している。完全なオリジナル技ではなく、棚橋が開発する以前からDRAGON GATE吉野正人が繋ぎ技として使用していた。技名を命名したのは、当時棚橋のタッグパートナーを務めていた中邑であり、名前の由来はアメリカ映画の『スリング・ブレイド』から来ている。
リバーススリング・ブレイド
相手の背後から繰り出す「リバース式(最終的にブルドッギング・ヘッドロックの形になる)」など様々な派生技が存在する。
レインメーカー式スリングブレイド
棚橋弘至がオカダ戦で披露した技。
ジャーマンスープレックスの体勢で相手の腕を引いて、自身の得意技スリングブレイドを決める技。
変形スリング・ブレイド
相手を上向き状態にしてリバースヘッドロックの体勢で捕らえてそこからファイナルカットに移動して相手の後頭部に衝撃を与える。
テキサスクローバーホールド
テキサスクローバーホールド
2007年11月11日の後藤洋央紀戦でフィニッシュとなった技。棚橋が使用する技の中でも派手な分類に入る技ではないが、前述後藤戦でインパクトを残したことからフィニッシュ技としての頻度を格段に高めた。相手によって背中を反らす角度を変えており、数多い足殺し技の中でも非常に重宝されている。大一番ではこの技の体制からスタイルズクラッシュへ繋げることもある。
ドラゴン・スリーパー
藤波を師事していた棚橋が好んで使用する技で、U-30王者時代にはフィニッシャーとして用いられた。
通常の型の他に相手の左腕を股の間に挟み込み、相手の右腕を左手で掴みとって絞り上げる「スパイラル・ドラゴンスリーパー」や、相手の胴を両足で挟み込みながら決める「胴締め式」などアレンジを凝らしている。ハイフライフローを習得して以降フィニッシュになることが少なくなったが、現在でも継続して使用されている。

打撃技

ドラゴン式張り手
藤波式のモーションが小さい張り手。
フライング・フォーアーム
助走をつけて、体を横に流しつつジャンピング・エルボーを繰り出す。技を決めた後、雄叫びをあげて観衆にアピールすることが多い。
青天井エルボー
棚橋が使用するフラッシング・エルボーの名称。かつて付き人を務めた武藤の得意技であり、棚橋の場合はその場で飛び上がりながら空中で足をバタつかせて肘を落としていくアレンジが施されている。
太陽ブロー
左手で放つボディブローで、名城信男との合同トレーニングを経て使用。エルボー・スマッシュとのコンボで相手を畳み掛けるときに見られる。
名前の由来は当時の棚橋のニックネーム「太陽の天才児」からとっている。
低空式ドロップキック
足殺しの一環として使用される技で、各種ドラゴン・スクリューを足殺し技との組み合わせや、ペースチェンジとしても好んで用いられる。
ドロップキック
若手時代より使用しており正面飛び式を得意としている。

投げ技

ジャーマン・スープレックス・ホールド
若手時代より得意としていた技のひとつで、2002年から2003年頃のフィニッシャー。当時は大一番でドラゴンスープレックス、それ以外ではジャーマンと使い分けが成されていた。
ダルマ式ジャーマン・スープレックス・ホールド
クラッチ時に相手の両腕を取りながら後方へ反り投げる。棚橋はフルネルソンの状態から相手が強引に振りほどいた後に即座に両腕を抱え込んでから仕掛ける。ドラゴンスープレックスよりも使用頻度が高く、フィニッシュ技に至ったこともある。
ツイスト・アンド・シャウト
2007年頃から使用され、2015年より再び使用。ブレーンバスターの体勢から持ち上げずに、そのまま体を高速で右方向へ捻りながら、相手を後頭部から背中にかけてマットに叩きつける。技名の由来は、「ツイスト」した後に「シャウト=叫ぶ」ことと、ビートルズによるカヴァーが有名な、(バート・ラッセル)・(バーンズとフィル・メドレー)による楽曲「Twist and Shout」とをかけている。
トゥエルブ・シックス
キャプチュードの体勢で相手を上下逆さまに抱え上げ、ファルコンアローのように首から背中に掛けて相手をマットに叩きつける。ハイフライフローへの繋ぎとして使用される。初披露されて以降変型ファルコンアロー変型キャプチュードと呼び名が統一されなかったが、2011年12月27日放送されたフジテレビのバラエティ番組『ネームズ・ディーン』にて命名。「12時(上)から6時(下)の方向へ落とす」という意味で、重盛さと美の案から採用された。
スタイルズ・クラッシュ
2013年8月のG1から使用。
パイルドライバーの体勢から相手の左肩と右肩に脚をかけてロックし、そのまま前方に倒れこんで顔面を打ち付けるフェイス・バスターAJスタイルズの同名同系の技。AJはそのままエビ固めの体勢で押さえ込むのに対し、棚橋の場合は押さえ込まずにハイフライフローを仕掛ける繋ぎ技として用いるパターンが多い。AJの新日本参戦以後使用されなくなったが、2015年のG1公式戦でAJと対戦した際には、掟破りという形で披露された。その後、AJが新日本プロレスに参戦しなくなった後も使用されなくなったが、2018年のG1公式戦でオカダと対戦した際に、テキサスクローバーホールドを極めている脚を持ち替えた上で披露した。
オールアウト
WRESTLE LANDでのフィニッシャー。相手をブロックバスターの体勢で抱えあげたあと上半身を右方向に軽く捻り、上半身を左方向へと振ると同時に股を抱えていた右腕を離す。そのあと抱えた首を支点にして相手の体を振り子のように左方向へと旋回させ、ロック・ボトムの形で相手をマットに叩きつける。WRESTLE LAND以降使用していなかったが、2017年6月11日 IWGPインターコンチネンタル選手権試合の内藤戦で10年以上振りに使用した。
裏投げ
側面から相手の脇下へ頭を潜り込ませるようにして組み付き、片腕で首の付け根あたりを、もう片方の腕で腰を抱え、後方に体を捻りながら投げる技である。元々は柔道の投げ技の一つである。馳浩が得意技としていたため、「技に2番手のイメージがある」とのことから現在は使用していない。
ハーフハッチ・スープレックス・ホールド
フロントヘッドロックの体勢で相手を捕らえ、空いた方の腕を相手の脇下を通した状態で後方へ反り投げる。若手時代によく使用されていた。
ドラゴン・スクリュー
元々若手のころから使用していたが、2009年1月4日の武藤敬司戦から足攻めの一貫のために多用し始めた技。ロープまたは鉄柵越しから放つなど、あらゆる場面で有効に使われる。
グラウンド・ドラゴン・スクリュー
棚橋のオリジナル技。仰向けとなった相手に対して放つドラゴンスクリュー。2007年4月13日の永田裕志戦で初公開し、試合の流れを引き寄せる技のひとつとして使用。他にもうつぶせ状態の相手に対して放つ型や相手の足をロープに挟みながら放つ型、相手の片腕に対して放つなどバリエーションは多い。
ドラゴンスイング
ドラゴン・スリーパーの体勢から相手の体を持ち上げ、ジャイアントスイングのような形で振り回した後にバスターやファイナルカットでリングに叩き付ける。

関節技

足4の字固め
足殺しとして使用される技のひとつ。棚橋が使用する関節技の中ではあまりクローズアップされないが、2012年10月8日の鈴木みのる戦では同技で鈴木の足を痛めつけることに成功するなど効果的に使用された。2003年5月には相手の両足をサソリ固めの要領で固めてグラウンド状態で絞り上げる変型式を得意としていた時期があり、こちらの型はIWGPタッグ王座獲りのために開発したとされている。
レッグブリーカー
仰向けに倒れている相手の足を両手で掴み取り、相手の腿あたりを踏みつけながら体を前方回転させるように飛びながらマットに倒れ込み、着地した衝撃で掴みとった相手の足関節にダメージを与える。足殺し技の中では基本的なムーブであり、棚橋も序盤での攻防で使用している。
キャメルクラッチ(ラクダ固め)
ヤングライオン時代に使用された関節技。2001年にコスチュームを赤タイツに変更して以降、全く見られなくなった。

飛び技

ミサイルドロップキック
ダイビング・サンセット・フリップ
相手にボディスラム等を繰り出してマットへ寝かせた後、セカンドロープに乗り、前方宙返りをしてセントーンを繰り出す。実況では「ローリングセントーン」と言われる事もある。セカンドロープへ上がる際に両腕を上げて胸を張る仕草をして、観客からの歓声を煽る。
ドラゴン・ロケット
リング上からリング場外にいる相手に向かって助走し、頭部や肩口などの正面から突っ込んで体当たりする技。藤波がこの技を使用する際にドラゴン殺法の一環として「ドラゴン・ロケット」と呼ばれていた。棚橋も藤波への尊敬からその名称で使用している。下記の捨て身式トペコンヒーロを使うようになってからは使用しなくなった。
トペ・コン・ヒーロ
場外に落下した相手に向かってエプロン上で助走をつけ、ジャンプした直後に前宙して体当たりする技。試合序盤に戦況を変える技として使用するが、助走をつける間に相手が復帰して回避することがあり、背中を打って自爆することもある。
スカイツイスタープレス
デビューしてから2、3年の間だけ使用していた非常に難易度の高い空中技。その後は封印していたが、2004年マスクド・デビロックに変身する際にはこの技を解禁すると示唆したが実際は使用していない。

フォール技

棚橋は、ここぞという場面でスクールボーイやスモールパッケージホールドなど基本的な丸め込み技を使用するが、自身の著書で『一時期丸め込みを使いすぎた時期があり、ブーイングの元凶となった』と記している。それとは対照的に『丸め込みの3カウントを狙い続けたことは今でもいい経験だと思う』とも記している。

フォーリン・ラブ
いわゆる高角度前方回転エビ固め。2007年8月のG1の秘密兵器として使用した技で、準決勝戦で真壁刀義からこの技でピンフォール勝ちを収めている。
フォーリンラブという名称がつく以前からも度々使用されており、2004年2月には高山善廣から当時大金星となる勝利を奪っている。
首固め(スモール・パッケージ・ホールド)
2004年にフィニッシャーとして頻繁に使用されたフォール技
同年6月には相手に向かって走り込んで決める首固めを「電光石火」なる名称で披露しており、様々な切り返しの場面で使用される。
回転足折り固め(ジャパニーズ・レッグロール・クラッチ)
若手時代から好んで使用されるフォール技で、かつては横入り式エビ固めの要領で相手を倒しながら移行したりするなど応用を利かせていた。
最近では2014年8月のG1公式戦で対戦した中邑の虚を突いて勝利を収めているほか、2019年のNJCではザック・セイバーJr.からピンフォール勝ちを奪っている。
スリング・ブレイドル
スリング・ブレイドからすばやく回転十字固めを決める技。
ハイフライフロール
うつ伏せ状態の相手にハイフライフローを放った後、相手の身体を四つん這いになるように引き起こし、自らの両足を相手の両脇に引っ掛けながら側方へ回転しながらエビ固めに丸め込む。2011年9月19日の中邑真輔戦で初披露し同技で中邑から勝利している。
グラウンド・コブラツイスト・ホールド
師である藤波が得意としていた技のひとつで、棚橋もドラゴン殺法の継承者として使用。現在はほとんど使われなくなった。

合体技

マイケル・エルガン
ハイフライフロー・フロム・エルガン・パート1
エルガンが棚橋をリフトアップスラムで投げ、そのまま棚橋が場外の相手にハイフライフローを敢行する。
ハイフライフロー・フロム・エルガン・パート2
エルガンが棚橋を持ちあげ振り子のように反動をつけてハイフライフローの形で相手に叩きつける。
田口隆祐中西学
日本三景型オーマイ&ガーアンクル
田口がオーマイ&ガーアンクル、中西がアルゼンチン・バックブリーカー、棚橋がテキサスクローバーホールドをそれぞれ決める3人による関節技。

タイトル履歴

新日本プロレス
最多戴冠記録保持者。
パートナーは吉江豊中邑真輔飯伏幸太
パートナーはマイケル・エルガン & ヨシタツ中西学 & 田口隆祐→田口隆祐&リコシェ
  • U-30王座争奪リーグ戦 優勝:1回(2003年)
  • G1 CLIMAX 優勝 : 3回(2007年、2015年、2018年)
  • NEW JAPAN CUP 優勝 : 2回(2005年、2008年)
プロレスリング・ノア
パートナーは永田裕志
CMLL
パートナーは獣神サンダー・ライガー
パートナーはタイチ & OKUMURA
レボリューション・プロレスリング
プロレス大賞
  • 2003年度プロレス大賞 敢闘賞
  • 2006年度プロレス大賞 敢闘賞
  • 2007年度プロレス大賞 殊勲賞
  • 2009年度プロレス大賞 最優秀選手賞
  • 2011年度プロレス大賞 最優秀選手賞
  • 2012年度プロレス大賞 年間最高試合賞(6月16日大阪府立体育会館、IWGPヘビー級選手権試合、オカダ・カズチカ vs 棚橋弘至)
  • 2014年度プロレス大賞 最優秀選手賞
  • 2018年度プロレス大賞 最優秀選手賞

入場テーマ曲

曲名 作曲者 備考
STRANGE N.J.P. UNIT デビュー当時に使用。[CD:WBSS-8000]
DO IT MYSELF SUPER STUPID 2004年12月まで使用。大学生時代に京都の古着屋で同曲が流れていて、プロレスラーになったら「この曲で入場する」と、入場曲として使用した経緯を後に語っている[78]。下記HIGH ENERGYに入場曲を変更して以降、新日本とは別ブランドとなるWRESTLE LANDで使用されている。[CD:SRCL-3692]
HIGH ENERGY 作曲:JULIA CLARIS 編曲:棚橋弘至、NJPW SOUNDS 2005年1月 - 2016年12月まで使用。[CD:KICS-1854〜6]
LOVE & ENERGY 北村陽之介 2017年1月 - 現在まで使用。公開当初は「〜prototype〜」のものを使用していたが、2017年6月11日の大阪城ホール大会より完成版を使用し始めるようになった。[CD:KIZM-493]

決め台詞

  • 「○○の皆さん、愛してま〜す!」
勝利を収めた試合の締めで発言する台詞。○○には会場・大会の開催地名が入る(イベントの締めに言うこともある)。
初公開は2006年7月17日の月寒グリーンドーム大会。当時のIWGP王者であるブロック・レスナーの来日が不能となり、急遽開催されたIWGP王者決定トーナメントを制した後の勝利者インタビューにて。王者の来日ドタキャンという緊急事態の中でIWGP王者となった棚橋は、「今日、集まってくれたファンの皆さん、愛してます。そしてやっぱり俺は新日本プロレスを愛してます!」と、観衆に対して涙ながらに訴えかけ、この時はまだ「ま」と「す」の間に「〜」が入ることはなかった[79]。同年10月9日の両国国技館大会より、現在のような観衆への愛を明確にした絶叫スタイルが定着した[79]
大日本プロレス所属のアブドーラ小林が非公認でこの台詞を使用していたが、後にサムライTVの放送番組内で行われた対談にて棚橋本人により公認された。
立命館大学の同級生である角田龍平MCを務める『角田龍平のオールナイトニッポンR』にてジングルのドナリに上記の肉声を使用している。
マイク無しで行うサイレントバージョンも存在していたが、現在ではあまり見られない。
  • 「100年に1人の逸材、棚橋弘至です!」
自己紹介の際に使用。
元ネタは『仮面ライダーキバ』の紅音也が発した台詞「100年に一度の天才」から。
  • 「まぁ、俺のカッコ良さは反則だけど」
以前、反則攻撃を受けた試合の後のインタビューにて、反則行為を行った相手に向かって文句を言った後の捨て台詞。
  • 「お前の罪を数えろ!」
元ネタは『仮面ライダーW』の台詞[80]。特に矢野との抗争時に多用し、煽りPVでは矢野が「テメェで数えろ!」と言い返す、という編集が行われている。
  • 「○○にキター!!」
仮面ライダーフォーゼ』のセリフが元ネタ(○○には地名などが入る)。
  • 「俺、生まれてから一回も疲れたこと無いから」
主にハードだった試合後に使用することが多い。
  • 「IWGPは遠いぞ」
2012年レッスルキングダムVIにて、IWGPヘビー級王座防衛後に挑戦を表明してきたオカダ・カズチカに向かって放った台詞。
後にオカダからIWGP王座を奪われ、同王座に挑戦を表明したとき、オカダから逆にこの台詞を吐かれた[81]
  • 「お前が俺の最後の希望だ」
仮面ライダーウィザード』からの引用で、2016年末IWGPヘビー級戦線に絡めず東京ドーム連続メインイベント記録が途絶えそうになった棚橋が内藤哲也の持つIWGPインターコンチネンタル王座に挑戦表明した時に発した。

決めポーズ

右手の親指と人差し指を突き立てた状態から、人差し指で天をかざすように手を顔より少し上の位置まで上げる[82]。初公開は2008年後半[82]。初期段階では親指と人差し指だけ立てて他の3本指はしっかり握っていたが、後に中指、薬指、小指の3本は完全に握らずに微妙な握り具合のままでポーズを決めるようになった[82]。リングインした後コーナーポストに登り、リングアナウンサーのコールに合わせて決めることが多い。
本人曰く『仮面ライダーカブト』へのオマージュである」と公言しており、後にカブトのスーツアクターである高岩成二から直伝されたことからポーズの拝借は無許可ではないことを明らかにしている[82]

パフォーマンス

入場時には入場曲にあわせて、試合終了後には『仮面ライダー響鬼』の挿入曲である雷電激震に合わせてパフォーマンスを行う。
2014年の東京ドーム大会から新たにHIGH ENERGYバージョンを披露した。

人物・エピソード

  • 名づけのエピソードとして、父親は最初、豊臣秀吉の「秀吉」を逆さにして「吉秀」と名付けようとしたらしいが、母親から猛反対され「弘至」という名がつけられた。「弘」の一文字でも「ひろし」と読むことができるが、父親がアントニオ猪木の大ファンであることから、猪木の本名である「猪木寛」から一文字いただいたという[83]
  • ジュニアモデルの呼春は棚橋の娘。
  • 憧れのプロレスラーとして、ダイナマイト・キッドカート・アングルショーン・マイケルズの名を挙げている。中でもマイケルズのファンであり、2009年当時IWGP王者だった頃、挑戦者としてアングルを迎え撃った際、前日記者会見にてアングルから「タナハシは日本のショーン・マイケルズだ」[84] と言われたときは、死ぬほど嬉しかったと答えている[85]
  • 1997年に行われた入門テストに合格したものの、長州より「大学卒業」の指示を下された棚橋は当時、プロレスラーになるのに大卒の肩書きが必要なのか疑念を抱いていたが、大学時代に得た知識はコメントを発表するときの言葉選びに役立っていることや「立命館大学卒」という肩書きでクイズ番組に出演できているのは長州のおかげであると、のちに感謝の意を表している[9]
  • 入門当時に新日本の現場監督であった長州力が「学生プロレス嫌い」を公言していたことから、当初棚橋自身は立命館大学レスリング部出身を名乗り、学生プロレス経験者であることを公言せず、2006年4月に東京スポーツ紙上でレイザーラモンHGと対談した際、自らが学生プロレス出身であることを初めて公言した(サークルの先輩にユリオカ超特QレイザーラモンRGがいる)。学生プロレス時代のリングネームは、メイ牛山、ハメ浩を経て、ターナー・ザ・インサート[注釈 4]
  • 仮面ライダーシリーズの大ファンであり、現在のスタイルに多大なる影響を与えている。2016年8月4日には『雨上がり決死隊のトーク番組 アメトーーク!』の「仮面ライダー芸人」に出演し、仮面ライダーへの熱い思いを語った。このアメトーークの出演が反響を呼び遂に仮面ライダーの映画に出演することになった。平成ライダーシリーズは『仮面ライダーカブト』から見始め、平成ライダーシリーズの中でも『仮面ライダーW』が一番好きだという。
  • また、上記の『アメトーーク!』で過去に『仮面ライダークウガ』の主人公役のオファーがあったエピソードを明かしたが、番組放送後に当時東映のチーフプロデューサーであった高寺成紀Twitter上で事実誤認であることを語っている。実際はテレビ番組の主役ではなく、獣神サンダー・ライガーを手本にした“プロレスラーの仮面ライダークウガ”を番組のプロモーションの一環として登場させようと、当時テレビ朝日のプロデューサーであった清水祐美が過去にスポーツ局に所属し、新日側と繋がりがあった事から交渉、棚橋が候補の一人であった事を明かしている[86][87][88]。棚橋は2009年のインタビューの時点で新日側から「バイクの運転は出来るか?」と聞かれた事を明かしているが、東映やテレビ朝日側からの棚橋への直接的な交渉はなく[89]、最終的に新日側の判断でレスラークウガの件を断っている[90]
  • CMLLではルード(ヒール)として登場しており、試合では顔の右側をフェイスペイントし、日本ではまれにしか見られないラフ殺法をしている。矢野とのIWGP戦でも、この状態で試合をしている(解説はこれを黒棚橋と呼んでいた)。
  • 忘れえぬ日本人レスラーは誰かという質問に対し、棚橋は決まってヒロ斉藤の名前を出すという。プロレス界において、危険技を使わずに定番のムーブで会場を盛り上げることが難しい中、ヒロは自身の得意技であるセントーンを繰り出すだけで観衆を沸かし、ベテランになってから会場人気が高くなったのも「プロレスは積み重ねの競技」ということを証明するいい例だと語っている[91]
  • 『G1 CLIMAX 28』の翌日の8月13日、新日本プロレス事務所で一夜明け会見が行われ、2019年1月4日の東京ドームでのIWGPヘビー級王座挑戦権利証を授与される身としてケニー・オメガに関して「オレはオマエのプロレス好きじゃないよっていうイデオロギーで、対立構造を作るしかない。運動能力もすごいし、日本語も上手にしゃべれるし、みんな好きなんだろうけど、オレは彼のプロレスはあまり好きじゃない。そういうことですね」と辛辣な言葉を吐いた[92]
  • 2018年、映画『パパはわるものチャンピオン』で映画初主演を飾った[93][94]。2019年1月21日の後楽園ホールでは映画の世界観を再現したスペシャルマッチが行われた[95]
  • プロレスライターの堀江ガンツは2019年の記事で棚橋を「猪木イズムの呪縛を払拭し、プロレス本来の面白さを追求したレスラーの1人」と評している[96]
  • 芸能活動はマセキ芸能社がマネジメントを行っていたが、2016年に新日本とアミューズの業務提携により、同社へ移行している。

出演

TVドラマ

TVバラエティ

ミュージックビデオ

映画

劇場アニメ

Webアニメ

ラジオ

Webラジオ

  • 棚橋弘至のpodcast off!!(不定期更新)

CM

  • マクドナルド「ペッパーチーズ・ダブルビーフ」(2005年7月13日、日本マクドナルド)[107]
  • ボートピア名古屋「築地口クライマックス」(2016年4月23日 - )[108]

DVD

  • 棚橋弘至のハイエナジー エクササイズ HIGH ENERGY EXERCISES For men 〜手に入れろ! 魅せBODY ★1日10分7日間肉体改造計画〜(TCエンタテインメント、2014/03/12発売)
  • 棚橋弘至のハイエナジー エクササイズ HIGH ENERGY EXERCISES For women 〜目指せ! 美BODY 誰でも簡単速攻ダイエット★1日10分7日間プログラム(TCエンタテインメント、2014/03/12発売)
  • 「太腕世直し繁盛記〜大江戸プロレスラー計画」(テレビ朝日・ビデオ・パック・ニッポン、2014/07/18発売) - 若旦那 / 太腕仮面役(主演)

連載

著書

  • 『オレはプロレスラー―みなさん!愛してまーす!!』(2007年8月1日、カンゼン)ISBN 978-4-8625-5003-3
  • 『棚橋弘至デビュー10周年記念BOOK(1)HIGH』(2009年10月1日、ベースボール・マガジン社)※前述の「ドラゴンノート」連載vol.1〜vol.63収録。
  • 『棚橋弘至デビュー10周年記念BOOK(2)FLY』(2009年11月2日、ベースボール・マガジン社)※「ドラゴンノート」vol.63〜vol.119まで収録。
  • 『棚橋弘至の100年に1人の逸材BODYのつくりかた』(2012年3月14日、ベースボール・マガジン社)ISBN 978-4-5831-0425-6
  • 『棚橋弘至はなぜ新日本プロレスを変えることができたのか』(2014年4月23日、飛鳥新社ISBN 978-4-8641-0311-4
  • 『棚橋弘至の100年に1人の逸材★BODYのつくりかたビギナーズ!』(2014年6月7日、ベースボールマガジン社)ISBN 978-4-5831-0690-8
  • 『1/100 The one-hundredth』(2015年6月7日、扶桑社ISBN 978-4594072773
  • 『全力で生きる技術』(2015年8月25日、飛鳥新社)ISBN 978-4-8641-0425-8
  • 『棚橋弘至はなぜ新日本プロレスを変えること(文庫版)』(2015年12月10日、飛鳥新社)ISBN 978-4864104487
  • 『疲れない男・棚橋弘至が教える! 史上最強のメンタル・タフネス どんなことにもびくともしない「心」が手に入る』(2017年3月8日、PHP研究所ISBN 978-4569835563
  • 『カウント2.9から立ち上がれ 逆境からの「復活力」』(2019年6月13日、マガジンハウスISBN 978-4838730551

受賞歴

日本メンズファッション協会
ビートたけしのエンターテインメント賞
  • 第19回(2019年)特別賞[111]

脚注

注釈

  1. ^ 当時の同好会会長に棚橋は「サークルに入ったらプロレスラーになれるんですか?」という質問を投げかけたところ、「なれるぞ!」という会長の回答をすっかり信じ込んでしまい、さらには新入生による自己紹介の際に将来の夢としてプロレスラーになると宣言したことから後に引けなくなったと、述懐している[7]
  2. ^ 学生プロレス出身者のIWGPヘビー級王座戴冠は史上初である。
  3. ^ 史上初は2010年に優勝した獣神サンダー・ライガー
  4. ^ ただし前述の東京スポーツの対談においては、学生時代のリングネームとされている「ターナー・ザ・インサート」と棚橋が同一人物かどうかについては明言を避けている。

出典

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  4. ^ a b c 棚橋2014、21頁。
  5. ^ 棚橋2009(1)HIGH、4頁。
  6. ^ 棚橋2014、22頁。
  7. ^ a b 棚橋2014、23頁。
  8. ^ a b 棚橋2014、28頁。
  9. ^ a b 棚橋2014、29頁。
  10. ^ テリー伊藤対談「棚橋弘至」(3)法学部時代は「アウェイ」でした
  11. ^ 棚橋2014、35頁。
  12. ^ a b c d e f g h 棚橋2009(1)HIGH、11頁。
  13. ^ 棚橋2009(1)HIGH、5頁。
  14. ^ a b c 棚橋2009(1)HIGH、6頁。
  15. ^ a b 棚橋2009(2)FLY、26頁。
  16. ^ 棚橋2009(1)HIGH、12頁。
  17. ^ a b c d e f g h i 棚橋2009(1)HIGH、13頁。
  18. ^ 東京地方裁判所平成14年(合わ)第620号
  19. ^ a b 棚橋2009(1)HIGH、14頁。
  20. ^ a b c d e 棚橋2009(1)HIGH、15頁。
  21. ^ a b c d e f g h i 棚橋2009(1)HIGH、16頁。
  22. ^ a b c d e 棚橋2009(1)HIGH、17頁。
  23. ^ a b c 棚橋2009(1)HIGH、18頁。
  24. ^ a b c d e f 棚橋2009(1)HIGH、19頁。
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関連項目

参考文献

  • 週刊プロレス編集部『棚橋弘至デビュー10周年記念BOOK(1)HIGH』ベースボール・マガジン社、2009年。 
  • 週刊プロレス編集部『棚橋弘至デビュー10周年記念BOOK(2)FLY』ベースボール・マガジン社、2009年。 
  • 棚橋弘至『棚橋弘至はなぜ新日本プロレスを変えることができたのか』飛鳥新社、2014年。ISBN 978-4-8641-0311-4 

外部リンク