レアル・マドリード
| レアル・マドリード | ||||
|---|---|---|---|---|
| 原語表記 | Real Madrid Club de Fútbol | |||
| 愛称 | Madrid, Merengue, Blancos, Vikingos, Los Galacticos, Real レアル, 白い巨人 |
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| クラブカラー | 白、紫 | |||
| 創設年 | 1902年 | |||
| 所属リーグ | リーガ・エスパニョーラ | |||
| 所属ディビジョン | プリメーラ・ディビシオン | |||
| ホームタウン | マドリード | |||
| ホームスタジアム | エスタディオ・サンティアゴ・ベルナベウ |
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| 収容人数 | 80,354 | |||
| 代表者 | ||||
| 監督 | ||||
| 公式サイト | 公式サイト | |||
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| ■テンプレート(■ノート)■サッカークラブPJ | ||||
レアル・マドリード・クルブ・デ・フトボル(Real Madrid Club de Fútbol)は、スペインの首都 マドリードに本拠地を置くサッカークラブチーム。
目次 |
[編集] 概要
1902年に創設。ホームスタジアムはエスタディオ・サンティアゴ・ベルナベウ。現在は、リーガ・エスパニョーラのプリメーラ・ディビシオンに所属し、同リーグにおいて31回の最多優勝記録を持つほか、FCバルセロナとアスレティック・ビルバオと並んでリーガ・エスパニョーラの創立以来、一度もプリメーラ・ディビシオンから降格したことがないクラブでもある。さらに、UEFAチャンピオンズリーグにおいても9回の最多優勝記録を持ち、ビッグイヤーの永久保持が認められた史上初のクラブである。FIFAには20世紀最高のクラブに[1]、国際サッカー歴史統計連盟からはヨーロッパにおける20世紀最高のクラブに認められた[2]。2010年には世界有数の経済誌『フォーブス』によるスポーツチームの資産価値の格付けにおいて、13億2300万ドル(約1100億円)と算出されており、マンチェスター・ユナイテッドFCに次ぐ世界第2位の資産価値のクラブとなっている[3]。
スペインサッカー連盟は1909年に創設されたものであり、同チーム創設当初のスペインにはサッカーを統括する団体が存在しなかった。また、同チームが唯一のサッカー団体であったため、スペインを代表してFIFAの創設メンバーに名を連ねた。
同じスペイン3大名門クラブに並び称されるFCバルセロナとアトレティコ・マドリードの両クラブとはライバル関係にある。FCバルセロナとの対戦はエル・クラシコ (El Clásico) と呼ばれ、100年以上に渡り因縁の対決を続けている。同じマドリードを本拠地とするアトレティコ・マドリードとの対戦はマドリードダービー (El Derbi Madrileño) と呼ばれる[注 1]。首都マドリードに本拠地を置いているレアル・マドリードは、歴史的な背景からカタルーニャやバスクなどの地域のクラブから強い対抗心を抱かれている[4]。
また、一般的にはサッカークラブチームが有名だが、バスケットボールのクラブチームも持つ、総合スポーツクラブである。スペインバスケットボールリーグ1部ACBのレアル・マドリード・バロンセストがそれであり、優勝回数1位を誇る屈指の名門クラブである。
[編集] 下部組織
Bチームであるレアル・マドリード・カスティージャを始めとするユースチームも運営しており、エミリオ・ブトラゲーニョやラウル・ゴンサレスなどクラブ史に残る選手の他、国内外で活躍する選手を輩出している。カスティージャは、1980年にコパ・デル・レイ決勝に進出する[注 2]、下部組織出身者をチームの中心に据えた1980年代はリーガ・エスパニョーラ5連覇を果たすなど優秀なカンテラ組織である。
しかし、レアル・マドリードは他クラブから有名選手を獲得することが多く、2000年にフロレンティーノ・ペレスが会長に就任して以降はその傾向が特に顕著となったため、トップチームに定着する下部組織出身者は非常に少ない。元カスティージャ出身の選手であり、下部組織の総責任者を務めていたミチェルは、2008年にクラブのカンテラ軽視を理由に職を辞している[5]。
[編集] 経営について
デロイト・フットボール・マネー・リーグによれば世界一収入のあるフットボールクラブであり[6]、経営収入は1999年から2011年まで毎年平均14%ずつ増加している。その内訳はスタジアム収入、テレビ収入、マーケティング収入の3つがほぼ均等となっている[7]。クラブブランドや潤沢な資金力を活かして、これまでもジネディーヌ・ジダンやクリスティアーノ・ロナウドらを始め多くの大物選手の獲得に成功している。
特筆すべきものとして、レアル・マドリードはいち早くプレシーズンのワールドツアーを採用し、PRも兼ねて大きな資金を得た。また、多くの場合選手に対して肖像権の半分をクラブ側が持つという契約を提示するため[8][9]、ユニフォームなどのグッズ売り上げ以外にも所属選手による収入がある。リーガ・エスパニョーラの放映権収入に関しては、現在レアル・マドリードとFCバルセロナの2クラブで約半分を独占する形になっており、経済格差やそれを背景としたリーグの2強化も相まってこの分配システムには不満の声が多く上がっている[10]。
[編集] サポーター
レアル・マドリードのファンはマドリディスタ(madridista)と呼ばれている[注 3]。2000年にフロレンティーノ・ペレスが会長に就任したときに、スペインサッカーの実体を理解するためにスペイン各地でスペイン人2000人に応援しているクラブを尋ねたところ、29.2パーセントがレアル・マドリードのファンであると答えた[11]。2006年にハーバード大学が行った調査によると世界中に2億2,800万人いるとされており、この数字はマンチェスター・ユナイテッドFCを6,000万人上回り、世界一の数字である[1]。同じくマドリードを本拠地とするアトレティコ・マドリードは主に労働者階級の支持を受けているのに対し、レアル・マドリードは富裕層の支持を受けているのが特徴である。現地サポーターはレアル・マドリードがタイトルを獲得した際、シベーレスの噴水に集まり祝福する。
攻撃的なサッカーを好む傾向にあり、ファビオ・カペッロは2度指揮を執り、その2度ともリーガ・エスパニョーラ優勝を成し遂げたにもかかわらず、あまりに守備的すぎるという理由から1年で解任されている。1989-90シーズンにレアル・マドリードを率いて、最多得点記録を更新してのリーグ優勝を果たしたジョン・トシャックも、守りすぎだと批判された[12]。また、2005年11月20日にエスタディオ・サンティアゴ・ベルナベウで行われたエル・クラシコでは、不甲斐ないクラブへの不満と相手を称える意味を込めて、相手の選手であったロナウジーニョが交代した際にスタンディングオベーションを送った[13]。2008年のUEFAチャンピオンズリーググループステージ、対ユヴェントスFC戦でも、その試合で2得点を挙げる活躍をしたアレッサンドロ・デル・ピエロに対してスタンディングオベーションを送っている[14]。
[編集] 呼称
当クラブの日本語公式ウェブサイトでは「レアル・マドリードC.F.」を用いている[15]。ただし、Real Madrid Club de Fútbol は一般的なスペイン語では「レアル・マドリー・クルブ・デ・フッボル」と発音し、マドリード首都圏では前半部分を「レアル・マドリース」と発音する(→マドリード#名称参照)。そのため、スペイン語の発音に沿って「レアル・マドリー」と表記するメディアもある[16]。また、英語風に「レアル・マドリッド」と表記するマスメディアもあり、日本語表記は統一されていない。なお、「レアル」は「王の」「王立の」という意味で、英語のRoyalと同じである。
愛称・略称は、チームカラーの白をとってエル・ブランコ(El Blanco)やメレンゲ(Merengue)。その他にも、年代ごとにそれぞれ特殊な愛称も存在する。アルフレッド・ディ・ステファノらスタープレイヤーを擁してUEFAチャンピオンズカップ5連覇を成し遂げた1950年代後半は一般的にエポカ・ドラダ(Epoca Dorada、黄金時代)と表現され[17]、多くのリーグ優勝を成し遂げた1960年代はビートルズの楽曲、シー・ラヴズ・ユーの歌詞より[18]イエイエ・マドリード(Yé-yé Madrid)[注 4]、リーグ5連覇を成し遂げた1980年代後半のチームは、エミリオ・ブトラゲーニョの愛称である「エル・ブイトレ」からキンタ・デル・ブイトレ(Quinta del Buitre)と呼ばれた。2000年代前半の第一次ペレス会長時代は、在籍している選手の豪華さからロス・ガラクティコス(Los Galácticos)とも呼ばれていた。日本のメディアではレアル、「エル・ブランコ」を意訳した「白い巨人」、「ロス・ガラクティコス」を訳した「銀河系軍団」や「スーパースター軍団」という呼び名も用いられる。 スペインのマスコミ表記では「El Madrid」(エル・マドリー)が多く使われる。
[編集] クラブの歴史
[編集] 創成期
1895年、オックスフォード大学やケンブリッジ大学の卒業生がマドリードにフットボール・スカイ(Football Sky)というクラブを設立。1900年に分裂し、ニュー・フットボール・クラブ(New Foot-Ball de Madrid)とフリアン・パラシオス会長のエスパニョール・デ・マドリード(Club Español de Madrid)という2クラブが新たに生まれた。そして、1902年にフアン・パドロスが会長となり、レアル・マドリードの前身のクラブであるマドリード・フットボールクラブ(Madrid Foot-Ball Club)が誕生した。
1905年には初のタイトルであるコパ・デル・レイ優勝を達成[注 5]。1912年に、後に会長となるサンティアゴ・ベルナベウが選手としてデビューした。1920年、アルフォンソ13世によってクラブ名がレアル・マドリードとなる[注 6]。1924年に、エスタディオ・サンティアゴ・ベルナベウ以前のスタジアムであるエスタディオ・チャマルティンが完成する。1925年、ニューカッスル・ユナイテッドFC、バーミンガム・シティFC、トッテナム・ホットスパーFCと試合するためイングランド遠征を行った。翌年、ホセ・マリア・ペーニャを獲得。この契約では初めて報酬の金額を記した契約が選手に提示されたことから、プロスポーツとしてスペインサッカーが始まったきっかけと言われている[19]。
1930年代には、15万ペセタで引き抜いたリカルド・サモラを始め[注 7]、FCバルセロナのスター選手であったジョゼップ・サミティエールやデポルティーボ・アラベスで堅守を誇っていたジャシント・キンコセス、シリアコ・エラスティらを集めて初のリーグ優勝、翌年にはリーグ連覇を果たした。特に1931-32シーズンのリーグ戦は、18試合10勝8分という成績でシーズン無敗優勝を果たした。しかし、1936年にスペイン内戦が起こり、1939年までスペインリーグは中断を余儀なくされた。また、1931年にアルフォンソ13世が国外に亡命したことによって、その後10年強の間エンブレムの王冠と共に「レアル」の名を外された。
[編集] サンティアゴ・ベルナベウ会長時代
1943年にサンティアゴ・ベルナベウが会長に就任。1952年、クラブ50周年記念試合でコロンビアのミジョナリオス、ノルウェーのノルシェーピングと三者間トーナメントを行い、その試合で活躍したアルフレッド・ディ・ステファノを獲得。1953-54シーズンに21季ぶりのリーガ・エスパニョーラ優勝を達成し、1954-55シーズンも優勝して2連覇を達成。また、1955-56シーズンには同シーズンから始まったUEFAチャンピオンズカップにて優勝を果たし、1956-57シーズンはリーガ・エスパニョーラ優勝とUEFAチャンピオンズカップ2連覇、1957-58シーズンはリーガ・エスパニョーラ2連覇とUEFAチャンピオンズカップ3連覇を達成した。1958-59シーズンと1959-60シーズンもUEFAチャンピオンズカップ優勝を果たし、同大会において1955-56シーズンから1959-60シーズンまで5連覇を達成した。
1960-61シーズンはリーガ・エスパニョーラ優勝、また同シーズンから始まったインターコンチネンタルカップ優勝の2冠を達成した。その後も1964-65シーズンまでリーガ・エスパニョーラ5連覇、1965-66シーズンはUEFAチャンピオンズカップ優勝を果たし、さらに1966-67シーズンから1968-69シーズンまでリーガ・エスパニョーラ3連覇を記録したうえ、1961-62シーズンと1969-70シーズンはコパ・デル・レイ優勝を果たした。これらの実績を残した当時のチームはイエイエ・マドリードと称された。
1971-72シーズンはリーガ・エスパニョーラ優勝を果たす。スペインにおける外国人選手獲得が再び可能になった1973年夏の移籍市場にギュンター・ネッツァーを獲得。しかし、1973-74シーズンはコパ・デル・レイ優勝を果たすも、リーガ・エスパニョーラでは1947-48シーズン以来最低となる8位に終わり、13年6ヵ月に亘って指揮を執ったミゲル・ムニョスは解任された。1974年夏の移籍市場ではパウル・ブライトナーを獲得し、1974-75シーズンはリーガ・エスパニョーラ優勝とコパ・デル・レイ優勝の2冠を達成。さらに1976-77シーズンまでリーガ・エスパニョーラを3連覇した。ベルナベウは1978年に死去するが、レアル・マドリードはルイス・デ・カルロスが会長に就任後の1978-79シーズンまでリーガ・エスパニョーラ5連覇を達成した。
これらの功績が称えられ、クラブの現在のホームスタジアムにはベルナベウの名前が使われている。
[編集] ラモン・メンドーサ会長時代
1985年、ラモン・メンドーサが会長に就任。エミリオ・ブトラゲーニョ、ミチェルらをレアル・マドリード・カスティージャから昇格させ、1985年夏の移籍市場ではウーゴ・サンチェスを獲得。1985-86シーズンは6季振りのリーガ・エスパニョーラ優勝を果たし、さらには1989-90シーズンまでクラブ史上3度目となるリーガ・エスパニョーラ5連覇を達成した。1988-89シーズンには、リーガ・エスパニョーラ、コパ・デル・レイ、スーペルコパ・デ・エスパーニャの国内タイトル3冠を獲得すると、1990-91シーズンまでスーペルコパ・デ・エスパーニャを3連覇した。これらの実績を残した当時のチームはキンタ・デル・ブイトレと称された。
1990-91シーズンから1993-94シーズンにかけては、ヨハン・クライフを監督に迎えてエル・ドリーム・チームと称されたFCバルセロナのリーガ・エスパニョーラ4連覇を許す。1994-95シーズンはクラブOBで前CDテネリフェ監督のホルヘ・バルダーノが監督に就任し、1994年夏の移籍市場ではフェルナンド・レドンドやミカエル・ラウドルップらを獲得したほか、レアル・マドリード・カスティージャからラウル・ゴンサレスを昇格させ、5季ぶりのリーガ・エスパニョーラ優勝を果たした。しかし、1992年からエスタディオ・サンティアゴ・ベルナベウの改修を行い、この改修費用などでレアル・マドリードは多額の負債を抱えることとなり、1995-96シーズン途中の1995年11月20日にメンドーサは会長職を辞任した。
[編集] ロレンソ・サンス会長時代
ラモン・メンドーサの退任後、クラブの副会長を務めていたロレンソ・サンスが会長に就任。しかし、最終的に1995-96シーズンは無冠に終わったばかりかリーガ・エスパニョーラで6位に終わる。
1996年夏の移籍市場では前ACミラン監督のファビオ・カペッロを監督に招聘し、プレドラグ・ミヤトヴィッチ、ダヴォール・シューケル、クラレンス・セードルフ、ロベルト・カルロスらを獲得。1996-97シーズンはリーグ史上最多となる勝ち点92を記録してのリーガ・エスパニョーラ優勝を果たした。しかし、攻撃よりも守備を重んじるスタイルがファンに受け入れられず1年でカペッロは解任される。1997-98シーズンにはユップ・ハインケスが監督に就任し、決勝でユヴェントスFCを下して32年ぶりとなるUEFAチャンピオンズリーグ優勝を成し遂げ、1998-99シーズンはインターコンチネンタルカップ制覇を果たす。しかし、1993-94シーズン及び1995-96シーズンに監督代行で指揮を執った経験を持つ、レアル・マドリード・カスティージャ監督のビセンテ・デル・ボスケが1999-2000シーズン途中に再び監督に就任するまでのおよそ3年間で7度の監督交代が行われた。1999-2000シーズンは、2季振りとなるUEFAチャンピオンズリーグ優勝を達成する。一方、クラブの負債は悪化の一途を辿った。
[編集] 第一次フロレンティーノ・ペレス会長時代
| UEFAチャンピオンズリーグ 2001-02 決勝のスターティングメンバー |
フロレンティーノ・ペレスは会長職に就任すると、旧練習場敷地シウダード・デポルティバの売却でメンドーサ、サンス会長時代に膨らんだ負債を完済。更に「毎年一人はビッグネームを獲得する」と宣言し、銀河系軍団と称されるチームを形成していった。
2000年夏の移籍市場ではFCバルセロナから会長選で公約したルイス・フィーゴを当時史上最高額の移籍金で獲得[20]し、2000-01シーズンは4季振りとなるリーガ・エスパニョーラ優勝を果たす。さらに2001年夏の移籍市場では前年のフィーゴを獲得した際に支払った金額を上回る移籍金でユヴェントスFCからジネディーヌ・ジダンを獲得し[20]、2001-02シーズンはスーペルコパ・デ・エスパーニャ制覇と過去5年以内で3度目となるUEFAチャンピオンズリーグ優勝の2冠を達成。2002年夏の移籍市場ではインテル・ミラノからロナウドを獲得。2002-03シーズンはリーガ・エスパニョーラ優勝、UEFAスーパーカップ制覇、インターコンチネンタルカップ制覇の3冠を達成した。
2003年夏の移籍市場ではマンチェスター・ユナイテッドFCからデビッド・ベッカムを獲得。しかし、それまで監督を務めていたビセンテ・デル・ボスケとの契約更改を行わず、マンチェスター・ユナイテッドFCのアシスタントコーチを務めていたカルロス・ケイロスを新監督に迎える。また、それまでチームのキャプテンを務めたフェルナンド・イエロやフェルナンド・モリエンテス[注 8]、クロード・マケレレらを放出した。2003-04シーズンは、スーペルコパ・デ・エスパーニャ制覇を果たすも、リーガ・エスパニョーラで4位に終わると共に終盤にはクラブ史上初のリーグ戦5連敗を喫した。2004年夏の移籍市場ではマイケル・オーウェン、ジョナサン・ウッドゲート、ワルテル・サムエルらを獲得し、2005年冬の移籍市場ではトーマス・グラヴェセンを獲得するも、2004-05シーズンは1995-96シーズン以来9季ぶりとなる無冠に終わる。2005年夏の移籍市場ではロビーニョ、ジュリオ・バティスタ、セルヒオ・ラモスらを獲得し、フィーゴ、サムエル、オーウェンらを放出。さらに、2006年冬の移籍市場ではアントニオ・カッサーノ、シシーニョを獲得するも、2005-06シーズンは2季連続の無冠に終わり、シーズン途中の2006年2月27日にペレスは会長職を辞任した[21]。
その後、会長職に就任したフェルナンド・マルティン・アルバレスは、ペレス時代の銀河系軍団の構想を真っ向から否定し、クラブへの貢献度を給料査定の基準にしたうえで、「給料分働かない者はクラブから出て行ってもらう」と発言したが、2か月で会長職を辞任した。
[編集] ラモン・カルデロン会長時代
ラモン・カルデロンは2006-07シーズン前に行われた会長選に勝利すると、前ユヴェントスFC監督のファビオ・カペッロを新監督に招聘。2006年夏の移籍市場ではファビオ・カンナヴァーロ、ルート・ファン・ニステルローイらを獲得。また、2007年冬の移籍市場ではマルセロ、フェルナンド・ガゴ、ゴンサロ・イグアインを獲得し、ロナウドをACミランへ放出した他、デビッド・ベッカムがシーズン終了後にロサンゼルス・ギャラクシーへ、同年3月にはロベルト・カルロスもシーズン終了後にフェネルバフチェSKへ移籍することが決定した。2006-07シーズンは4季振りのリーガ・エスパニョーラ優勝を達成するも、シーズン終了後にカペッロは解任された[22]。
その後、クラブOBで前ヘタフェCF監督のベルント・シュスターが監督に就任。2007年夏の移籍市場ではペペ、ヴェスレイ・スナイデル、アリエン・ロッベンらを獲得し、フランシスコ・パボン、アルバロ・メヒアらを放出した。2007-08シーズンはリーガ・エスパニョーラにおいて開幕から一度も首位を明け渡すことのないまま優勝を果たし、18季ぶりとなるリーガ・エスパニョーラ連覇を達成する。
2008年夏の移籍市場ではラファエル・ファン・デル・ファールトらを獲得するも、獲得に全力を注いだクリスティアーノ・ロナウドの獲得は叶わず、更に同選手の獲得を巡りクラブとの関係が悪化したロビーニョをマンチェスター・シティFCへ放出した。2008-09シーズンは序盤の成績不振などから同年12月9日にシュスターを解任。前トッテナム・ホットスパーFC監督のファンデ・ラモスが監督に就任し[23]、2009年冬の移籍市場ではクラース・ヤン・フンテラール、ラッサナ・ディアッラらを獲得した。 リーガ・エスパニョーラでは15節のエル・クラシコ以降、17勝1分と無敗で巻き返しを果たしたが、34節のエル・クラシコでFCバルセロナに大敗。その後のリーグ戦も全敗に終わり、獲得したタイトルはスーペルコパ・デ・エスパーニャのみにとどまった。
2009年1月、カルデロンにクラブ総会での不正投票操作疑惑が浮上[24]。同年1月16日、カルデロンはその責任および混乱収拾のため会長職を辞任し、その後は副会長だったビセンテ・ボルダが暫定的に会長を務めた。
[編集] 第二次フロレンティーノ・ペレス会長時代
2009年6月14日に会長選が行われる予定だったが、候補者が元会長のフロレンティーノ・ペレスのみだったため、同年6月1日付でペレスが会長に返り咲いた[25]。ゼネラルマネージャーにホルヘ・バルダーノ、クラブアドバイザーにジネディーヌ・ジダン、スポーツディレクターにミゲル・パルデサといったクラブOBがそれぞれ就任。また、前ビジャレアルCF監督のマヌエル・ペジェグリーニを新監督に招聘した。同年夏の移籍市場では2001年にジダンを獲得した際に支払った金額に次ぐ高額な移籍金でACミランからカカを獲得[20]。更に、前述のジダンを獲得した際の金額を上回る史上最高額の移籍金でマンチェスター・ユナイテッドFCからクリスティアーノ・ロナウドを獲得し[20][26]、また、オリンピック・リヨンからカリム・ベンゼマを獲得した。他にも、ラウル・アルビオル、シャビ・アロンソ、アルバロ・アルベロア、エステバン・グラネロらを獲得。一方でハビエル・サビオラ、クラース・ヤン・フンテラール、アリエン・ロッベン、ヴェスレイ・スナイデルらを放出し、クラブの第4キャプテンを務めていたミチェル・サルガドとの契約も解除した[27]。 最終的に同年夏の移籍市場に費やした費用は総計で2億5000万ユーロ、負債総額は3億2700万ユーロとなった[28]。2010年冬の移籍市場ではルート・ファン・ニステルローイとの契約を解除した。
2009-10シーズン、コパ・デル・レイではセグンダ・ディビシオンBのADアルコルコンに敗れ2季連続となる4回戦敗退に終わり、UEFAチャンピオンズリーグもオリンピック・リヨンに敗れ6季連続となるベスト16に終わった。リーガ・エスパニョーラでは最終的にクラブ史上最多勝ち点記録となる勝ち点96を記録したものの、リーグ史上最多勝ち点記録となる勝ち点99を記録[注 9]したFCバルセロナには及ばず、2005-06シーズン以来4季振りとなる無冠に終わり、シーズン終了後の2010年5月26日にペジェグリーニは解任された。
その後、同年5月28日に前インテル・ミラノ監督のジョゼ・モウリーニョが監督に就任。2010年夏の移籍市場ではアンヘル・ディ・マリア、リカルド・カルヴァーリョ、サミ・ケディラ、メスト・エジルらを獲得。また、レアル・マドリード・カスティージャからダビド・マテオスを昇格させた。一方でこれまでチームのキャプテンを務めたラウル・ゴンサレスと副キャプテンを務めたグティとの契約を解除した他、ラファエル・ファン・デル・ファールトらを放出した。更に2011年冬の移籍市場ではマンチェスター・シティFCからエマニュエル・アデバヨールを半年間のレンタル移籍で獲得した。2010-11シーズンは、UEFAチャンピオンズリーグで7季ぶりにベスト16を突破してのベスト4を記録した他、1992-93シーズン以来18季ぶりのコパ・デル・レイ優勝を果たした。なお、当シーズンはリーガ・エスパニョーラ、コパ・デル・レイ、UEFAチャンピオンズリーグにて計5試合のエル・クラシコが行われ、特に2011年4月16日から同年5月3日までの間に行われた計4試合はクアトロ・クラシコ(Cuatro Clásico、4回のクラシコという意味)と呼ばれた。
2010-11シーズン終了後、クラブはモウリーニョとの確執があったバルダーノを解任し、モウリーニョはチームの全権監督となった[29]。さらに、ジダンがスポーツディレクターに就任。2011年夏の移籍市場ではヌリ・シャヒン、ホセ・カジェホン、ラファエル・ヴァラーヌ、ファビオ・コエントランらを獲得。
NKディナモ・ザグレブ、アヤックス、オリンピック・リヨンと同じグループとなったUEFAチャンピオンズリーググループリーグでは、クラブ史上初となる6戦全勝で首位通過を決めた[30]。
[編集] タイトル
[編集] 国内タイトル
- プリメーラ・ディビシオン : 31回
- 1931-32, 1932-33, 1953-54, 1954-55, 1956-57, 1957-58, 1960-61, 1961-62, 1962-63, 1963-64, 1964-65, 1966-67, 1967-68, 1968-69, 1971-72, 1974-75, 1975-76, 1977-78, 1978-79, 1979-80, 1985-86, 1986-87, 1987-88, 1988-89, 1989-90, 1994-95, 1996-97, 2000-01, 2002-03, 2006-07, 2007-08
- コパ・デル・レイ : 18回
- 1904-05, 1905-06, 1906-07, 1907-08, 1916-17, 1933-34, 1935-36, 1945-46, 1946-47, 1961-62, 1969-70, 1973-74, 1974-75, 1979-80, 1981-82, 1988-89, 1992-93, 2010-11
- コパ・デ・ラ・リーガ : 1回
- 1984-85
- スーペルコパ・デ・エスパーニャ : 8回
- 1988, 1989, 1990, 1993, 1997, 2001, 2003, 2008
[編集] 国際タイトル
- UEFAチャンピオンズリーグ : 9回









- 1955-56, 1956-57, 1957-58, 1958-59, 1959-60, 1965-66, 1997-98, 1999-00, 2001-02
- ラテン・カップ : 2回
- 1955, 1957
- コパ・イベロアメリカーナ : 1回
- 1994
- UEFAカップ : 2回
- 1984-85, 1985-86
- UEFAスーパーカップ : 1回
- 2002
- インターコンチネンタルカップ : 3回


- 1960, 1998, 2002
- スモールワールドカップ : 2回
- 1952, 1956
[編集] 過去の成績
| リーグ戦 | P | W | D | L | Pts | カップ戦 | スーパーカップ | UEFA EL | UEFA CL | チーム得点王[注 10] | |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1955-56 | 3位 | 30 | 18 | 2 | 10 | 38 | ベスト4 | - | - | 優勝 | アルフレッド・ディ・ステファノ |
| 1956-57 | 優勝 | 30 | 20 | 4 | 6 | 44 | ベスト16 | - | - | 優勝 | アルフレッド・ディ・ステファノ |
| 1957-58 | 優勝 | 30 | 20 | 5 | 5 | 45 | 準優勝 | - | - | 優勝 | アルフレッド・ディ・ステファノ |
| 1958-59 | 準優勝 | 30 | 21 | 5 | 4 | 47 | ベスト4 | - | - | 優勝 | アルフレッド・ディ・ステファノ |
| 1959-60 | 準優勝 | 30 | 21 | 4 | 5 | 46 | 準優勝 | - | - | 優勝 | フェレンツ・プスカシュ |
| 1960-61 | 優勝 | 30 | 24 | 4 | 3 | 52 | 準優勝 | - | - | ベスト16 | フェレンツ・プスカシュ |
| 1961-62 | 優勝 | 30 | 19 | 5 | 6 | 43 | 優勝 | - | - | 準優勝 | フェレンツ・プスカシュ |
| 1962-63 | 優勝 | 30 | 23 | 3 | 4 | 49 | ベスト4 | - | - | ベスト16 | フェレンツ・プスカシュ |
| 1963-64 | 優勝 | 30 | 22 | 2 | 6 | 46 | ベスト8 | - | - | 準優勝 | フェレンツ・プスカシュ |
| 1964-65 | 優勝 | 30 | 21 | 5 | 4 | 47 | ベスト16 | - | - | ベスト8 | ラモン・グロッソ |
| 1965-66 | 準優勝 | 30 | 19 | 5 | 6 | 43 | ベスト8 | - | - | 優勝 | フランシスコ・ヘント |
| 1966-67 | 優勝 | 30 | 19 | 9 | 2 | 47 | ベスト8 | - | - | ベスト8 | ラモン・グロッソ |
| 1967-68 | 優勝 | 30 | 16 | 10 | 4 | 42 | 準優勝 | - | - | ベスト4 | アマンシオ・アマロ |
| 1968-69 | 優勝 | 30 | 18 | 11 | 1 | 47 | ベスト16 | - | - | ベスト16 | アマンシオ・アマロ |
| 1969-70 | 5位 | 30 | 13 | 9 | 8 | 35 | 優勝 | - | - | ベスト16 | アマンシオ・アマロ |
| 1970-71 | 4位 | 30 | 17 | 7 | 6 | 41 | ベスト32 | - | - | ピッリ | |
| 1971-72 | 優勝 | 34 | 19 | 9 | 6 | 47 | ベスト4 | - | ベスト32 | サンティリャーナ | |
| 1972-73 | 4位 | 34 | 17 | 9 | 8 | 43 | ベスト16 | - | ベスト4 | サンティリャーナ | |
| 1973-74 | 8位 | 34 | 13 | 8 | 13 | 34 | 優勝 | - | ベスト64 | オスカル・マス ピッリ |
|
| 1974-75 | 優勝 | 34 | 20 | 10 | 4 | 50 | 優勝 | - | ロベルト・フアン・マルティネス サンティリャーナ |
||
| 1975-76 | 優勝 | 34 | 20 | 8 | 6 | 48 | ベスト16 | - | ベスト4 | サンティリャーナ | |
| 1976-77 | 9位 | 34 | 12 | 10 | 12 | 34 | ベスト32 | - | ベスト16 | ピッリ | |
| 1977-78 | 優勝 | 34 | 22 | 3 | 9 | 47 | ベスト16 | - | サンティリャーナ | ||
| 1978-79 | 優勝 | 34 | 16 | 15 | 3 | 47 | 準優勝 | - | ベスト16 | サンティリャーナ | |
| 1979-80 | 優勝 | 34 | 22 | 9 | 3 | 53 | 優勝 | - | ベスト4 | サンティリャーナ | |
| 1980-81 | 2位 | 34 | 20 | 5 | 9 | 45 | ベスト8 | - | 準優勝 | フアニート | |
| 1981-82 | 3位 | 34 | 18 | 8 | 8 | 44 | 優勝 | - | ベスト8 | フアニート | |
| 1982-83 | 2位 | 34 | 20 | 9 | 5 | 49 | 準優勝 | 準優勝 | サンティリャーナ | ||
| 1983-84 | 2位 | 34 | 22 | 5 | 7 | 49 | ベスト4 | フアニート | |||
| 1984-85 | 5位 | 34 | 13 | 10 | 11 | 36 | ベスト16 | 優勝 | ホルヘ・バルダーノ | ||
| 1985-86 | 優勝 | 34 | 26 | 4 | 4 | 56 | ベスト4 | 優勝 | ウーゴ・サンチェス | ||
| 1986-87 | 優勝 | 44 | 27 | 12 | 5 | 66 | ベスト4 | ベスト4 | ウーゴ・サンチェス | ||
| 1987-88 | 優勝 | 38 | 28 | 6 | 4 | 62 | ベスト4 | ベスト4 | ウーゴ・サンチェス | ||
| 1988-89 | 優勝 | 38 | 25 | 12 | 1 | 62 | 優勝 | 優勝 | ベスト4 | ウーゴ・サンチェス | |
| 1989-90 | 優勝 | 38 | 26 | 10 | 2 | 62 | 準優勝 | 優勝 | ベスト16 | ウーゴ・サンチェス | |
| 1990-91 | 3位 | 38 | 20 | 6 | 12 | 46 | ベスト16 | 優勝 | ベスト8 | エミリオ・ブトラゲーニョ | |
| 1991-92 | 2位 | 38 | 23 | 8 | 7 | 54 | 準優勝 | ベスト4 | フェルナンド・イエロ | ||
| 1992-93 | 2位 | 38 | 24 | 9 | 5 | 57 | 優勝 | ベスト8 | イバン・サモラーノ | ||
| 1993-94 | 4位 | 38 | 19 | 7 | 12 | 45 | ベスト8 | 優勝 | イバン・サモラーノ | ||
| 1994-95 | 優勝 | 38 | 23 | 9 | 6 | 55 | ベスト16 | ベスト16 | イバン・サモラーノ | ||
| 1995-96 | 6位 | 42 | 20 | 10 | 12 | 70 | ベスト16 | 準優勝 | ベスト8 | ラウル・ゴンサレス | |
| 1996-97 | 優勝 | 42 | 27 | 11 | 4 | 92 | ベスト16 | ダヴォール・シューケル | |||
| 1997-98 | 4位 | 38 | 17 | 12 | 9 | 63 | ベスト16 | 優勝 | 優勝 | フェルナンド・モリエンテス | |
| 1998-99 | 2位 | 38 | 21 | 5 | 12 | 68 | ベスト4 | ベスト8 | ラウル・ゴンサレス | ||
| 1999-00 | 5位 | 38 | 16 | 14 | 8 | 62 | ベスト8 | 優勝 | ラウル・ゴンサレス | ||
| 2000-01 | 優勝 | 38 | 24 | 8 | 6 | 80 | ベスト64 | ベスト4 | ラウル・ゴンサレス | ||
| 2001-02 | 3位 | 38 | 19 | 9 | 10 | 66 | 準優勝 | 優勝 | 優勝 | ラウル・ゴンサレス | |
| 2002-03 | 優勝 | 38 | 22 | 12 | 4 | 78 | ベスト8 | ベスト4 | ロナウド | ||
| 2003-04 | 4位 | 38 | 21 | 7 | 10 | 70 | 準優勝 | 優勝 | ベスト8 | ロナウド | |
| 2004-05 | 2位 | 38 | 25 | 5 | 8 | 80 | ベスト16 | ベスト16 | ロナウド | ||
| 2005-06 | 2位 | 38 | 20 | 10 | 8 | 70 | ベスト4 | ベスト16 | ロナウド | ||
| 2006-07 | 優勝 | 38 | 23 | 7 | 8 | 76 | ベスト16 | ベスト16 | ルート・ファン・ニステルローイ | ||
| 2007-08 | 優勝 | 38 | 27 | 4 | 7 | 85 | ベスト16 | 準優勝 | ベスト16 | ラウル・ゴンサレス | |
| 2008-09 | 2位 | 38 | 25 | 3 | 10 | 78 | ベスト32 | 優勝 | ベスト16 | ラウル・ゴンサレス ゴンサロ・イグアイン |
|
| 2009-10 | 2位 | 38 | 31 | 3 | 4 | 96 | ベスト32 | ベスト16 | クリスティアーノ・ロナウド | ||
| 2010-11 | 2位 | 38 | 29 | 5 | 4 | 92 | 優勝 | ベスト4 | クリスティアーノ・ロナウド | ||
| 2011-12 | ベスト8 | 準優勝 |
[編集] 2011-12シーズン登録選手
|
|
括弧内の国旗はその他の保有国籍を、星印はEU圏外選手を示す。
- 監督
[編集] 2011-12シーズン移籍選手
- in
| Pos. | 選手名 | 移籍元 | 備考 |
|---|---|---|---|
| MF | バイエルン・ミュンヘン | フリー移籍 | |
| DF | RCランス | ||
| FW | RCDエスパニョール | ||
| DF | SLベンフィカ | ||
| MF | ボルシア・ドルトムント | ||
| MF | エルクレスCF | レンタル期間終了 | |
| DF | AEKアテネFC | レンタル期間終了 |
- out
| Pos. | 選手名 | 移籍先 | 備考 |
|---|---|---|---|
| FW | マンチェスター・シティFC | レンタル期間終了 | |
| DF | SLベンフィカ | ||
| GK | 現役引退 | ||
| DF | レアル・サラゴサ | レンタル移籍 | |
| MF | バレンシアCF | レンタル移籍 | |
| MF | ASローマ | レンタル移籍 | |
| MF | エヴァートンFC | レンタル移籍 | |
| MF | ヘタフェCF | レンタル移籍 |
[編集] 歴代所属選手
詳細は「:Category:レアル・マドリードの選手」を参照
[編集] 歴代監督
| 氏名 | 国籍 | 期間 |
|---|---|---|
| アーサー・ジョンソン | 1910-1920 | |
| フアン・デ・カルセル | 1920-1926 | |
| ペドロ・ジョレンテ | 1926 | |
| サンティアゴ・ベルナベウ | 1926-1927 | |
| ホセ・ベラオンド | 1927-1929 | |
| ホセ・キランテ | 1929-1930 | |
| リッポ・ヘルザ | 1930-1932 | |
| ペドロ・ジョレンテ | 1932 | |
| ロベルト・フィアスト | 1932-1933 | |
| フランシスコ・ブル | 1934-1941 | |
| フアニート・アルメ | 1941-1943 | |
| ラモン・エンシナス | 1943-1945 | |
| パブロ・エルナンデス・コロナド | 1945 | |
| ジャシント・キンコセス | 1945-1946 | |
| バルタサール・アルベニス | 1946-1948 | |
| マイケル・A・キーピング | 1948-1950 | |
| エクトル・スカローネ | 1951-1952 | |
| フアン・アントニオ・イピーニャ | 1952-1953 | |
| エンリケ・フェルナンデス | 1953-1955 | |
| ホセ・ビジャロンガ | 1955-1957 | |
| ルイス・カルニグリア | 1957-1959 | |
| ミゲル・ムニョス | 1959 | |
| ルイス・カルニグリア | 1959 | |
| マヌエル・フレイタス | 1959-1960 | |
| ミゲル・ムニョス | 1960-1973 | |
| ルイス・モロウニー | 1974 | |
| ミリャン・ミリャニッチ | 1974-1977 | |
| ルイス・モロウニー | 1977-1979 | |
| ヴヤディン・ボシュコヴ | 1979-1982 | |
| ルイス・モロウニー | 1982 | |
| アルフレッド・ディ・ステファノ | 1982-1983 | |
| アマンシオ・アマロ | 1983-1984 | |
| ルイス・モロウニー | 1985-1986 | |
| レオ・ベーンハッカー | 1986-1989 | |
| ジョン・トシャック | 1989-1990 | |
| アルフレッド・ディ・ステファノ | 1990-1991 | |
| ラドミル・アンティッチ | 1991 | |
| レオ・ベーンハッカー | 1992 | |
| ベニト・フローロ | 1992-1993 | |
| ビセンテ・デル・ボスケ | 1993-1994 | |
| ホルヘ・バルダーノ | 1994-1995 | |
| ビセンテ・デル・ボスケ | 1995-1996 | |
| アルセニオ・イグレシアス | 1996 | |
| ファビオ・カペッロ | 1996-1997 | |
| ユップ・ハインケス | 1997-1998 | |
| ホセ・アントニオ・カマーチョ | 1998 | |
| フース・ヒディンク | 1998-1999 | |
| ジョン・トシャック | 1999 | |
| ビセンテ・デル・ボスケ | 1999-2003 | |
| カルロス・ケイロス | 2003-2004 | |
| ホセ・アントニオ・カマーチョ | 2004 | |
| マリアノ・ガルシア・レモン | 2004 | |
| ヴァンデルレイ・ルシェンブルゴ | 2004-2005 | |
| フアン・ラモン・ロペス・カロ | 2005-2006.5 | |
| ファビオ・カペッロ | 2006.5-2007.6 | |
| ベルント・シュスター | 2007.6-2008.12 | |
| ファンデ・ラモス | 2008.12-2009.6 | |
| マヌエル・ペジェグリーニ | 2009.6-2010.5 | |
| ジョゼ・モウリーニョ | 2010.5- |
[編集] 歴代会長
| 氏名 | 国籍 | 期間 |
|---|---|---|
| フリアン・パラシオス | 1900-1902 | |
| フアン・パドロス | 1902-1904 | |
| カルロス・マドロス | 1904-1908 | |
| アドルフォ・メレンデス | 1908-1916 | |
| ペドロ・パラヘス | 1916-1926 | |
| ルイス・デ・ウルキホ | 1926-1930 | |
| ルイス・ウセラ | 1930-1935 | |
| ラファエル・サンチェス | 1935-1936 | |
| アドルフォ・メレンデス | 1936-1940 | |
| アントニオ・サントス | 1940-1943 | |
| サンティアゴ・ベルナベウ | 1943-1978 | |
| ルイス・デ・カルロス | 1978-1985 | |
| ラモン・メンド-サ | 1985-1995 | |
| ロレンソ・サンス | 1995-2000 | |
| フロレンティーノ・ペレス | 2000-2006 | |
| ラモン・カルデロン | 2006-2009 | |
| ビセンテ・ボルダ | 2009 | |
| フロレンティーノ・ペレス | 2009- |
[編集] クラブ記録
[編集] 出場試合数
| 順位 | ポジション | 選手名 | 所属期間 | 試合数 |
|---|---|---|---|---|
| 1 | FW | 1994-2010 | 741 | |
| 2 | DF | 1983-2001 | 709 | |
| 3 | FW | 1971-1988 | 645 | |
| 4 | FW | 1953-1971 | 602 | |
| 5 | DF GK |
1989-2003 1999- |
601 |
[編集] 総得点数
| 順位 | ポジション | 選手名 | 所属期間 | 得点数 |
|---|---|---|---|---|
| 1 | FW | 1994-2010 | 323 | |
| 2 | FW | 1953-1964 | 308 | |
| 3 | FW | 1971-1988 | 290 | |
| 4 | FW | 1958-1966 | 238 | |
| 5 | FW | 1985-1992 | 208 |
[編集] メモリアルゴール
| 得点 | 選手名 | 対戦相手 | 試合日時 |
|---|---|---|---|
| 1st | FCバルセロナ | 1902年5月13日 | |
| 1000th | アスレティック・ビルバオ | 1950年11月5日 | |
| 2000th | ポンテベドラCF | 1963年11月9日 | |
| 3000th | UDサラマンカ | 1982年1月20日 | |
| 4000th | レアル・バリャドリード | 1994年12月22日 | |
| 5000th | CDヌマンシア | 2008年9月14日 |
[編集] 各種クラブ記録
- 最多得点差勝利 11-1 1942-43 コパ・デル・レイ、FCバルセロナ戦
- 最多得点差敗北 1-8 1929-30 リーガ・エスパニョーラ、RCDエスパニョール戦
- リーグ最多勝利 31試合/38試合 2009-2010
- リーグ最少勝利 7試合/18試合 1929-30
- リーグ最多得点 107得点 1989-90
- リーグ最少得点 24得点 1930-31
- リーグ最多失点 71得点 1950-51
- リーグ最少失点 15得点 1931-32
- リーグ最多勝ち点 96ポイント[注 11] 2009-10
- リーグ最少勝ち点 17ポイント[注 12] 1929-30
- 公式戦連勝記録 15試合 1960-61 ほか
[編集] 各種個人記録
- 1シーズン最多得点者 53得点 クリスティアーノ・ロナウド 2010-11
- 1試合最多得点者 6得点 フェレンツ・プスカシュ レアル・ベティス戦 1961年6月18日 ほか
- 最年少得点者 17歳117日 アルベルト・リベラ セルタ・デ・ビーゴ戦 1995年6月10日
- 最年長得点者 38歳233日 フェレンツ・プスカシュ FCセビージャ戦 1965年11月21日
- 最速得点者 14秒 ロナウド アトレティコ・マドリード戦 2003年12月3日
- 最速ハットトリック 10分 クリスティアーノ・ロナウド マラガCF戦 2011年5月7日
[編集] ユニフォーム
チームカラーは白、青。胸スポンサーには、2007年からオンラインカジノの運営会社であるbwinのロゴを入れている。メーカーはアディダス。
白いユニフォームは、コリンシアンFCをモデルにしている。また、イングランドの古豪リーズ・ユナイテッドのユニフォームも白であり、1960年代前半にドン・レヴィーが監督に就任したときに青と金のユニフォームから変更になった。これは、当時UEFAチャンピオンズカップ5連覇などを成し遂げたレアル・マドリードにあやかってチーム作りをしようとしたためだとも言われている[31]。スペインのクラブとして初めて背番号があるユニフォームを着用したクラブでもあり、1947年11月23日のアトレティコ・マドリード戦で背番号入りのユニフォームを導入した[32]。2009-10シーズンからは、日本語・中国語・アラビア語のレプリカユニフォームも一般販売されている[33]。
レアル・マドリードのセカンドユニフォームは青や紺、黒などの比較的落ち着いた色を使用することが伝統であった。しかし、2011-12シーズンのチャンピオンズリーグ用セカンドユニフォームには、上下とも赤という明るい色を38年ぶりに採用した[34][35]。
[編集] メーカーと胸スポンサー
| 年度 | メーカー | 胸スポンサー |
|---|---|---|
| 1980–1982 | アディダス | - |
| 1982–1985 | Zanussi | |
| 1985–1989 | ヒュンメル | Parmalat |
| 1989–1991 | Reny Picot | |
| 1991–1992 | Otaysa | |
| 1992–1994 | Teka | |
| 1994–1998 | KELME | |
| 1998–2001 | アディダス | |
| 2001–2002 | - | |
| 2002–2005 | Siemens mobile | |
| 2005–2006 | Siemens | |
| 2006–2007 | BenQ Siemens | |
| 2007– | bwin.com |
[編集] 脚注
[編集] 注釈
- ^ 厳密には、マドリードダービーはレアル・マドリードとアトレティコ・マドリードのみならず、マドリード市などマドリード都市圏(マドリード首都圏)に本拠を置くチーム同士が対戦するダービーマッチのことを指す。
- ^ 決勝戦の相手はレアル・マドリードのトップチーム。
- ^ レアル・マドリードに所属している、もしくは過去に所属していた選手もこう呼ばれる場合がある。
- ^ 優勝した1965-66シーズンのUEFAチャンピオンズカップにて、選手達が決勝前の写真撮影にビートルズの髪型を模したカツラを着用して臨んだことに由来。また「イエイエ」は当時のスペインにおける若者風情の一つであり、1960年代に流行した音楽やファッションなどを総称してそう呼ぶ。
- ^ ただし、当時のコパ・デル・レイは参加クラブが少なく、この年に参加したクラブはマドリードFCを含め3クラブのみだった。
- ^ クラブ名に「レアル」を冠せられたことに伴い、クラブのエンブレムにも王冠が加えられた。
- ^ 地元のスター選手である上カタルーニャから首都マドリードへの移籍とあって、スペインでは大きな騒ぎとなり、カタルーニャのマスコミからは裏切り者扱いを受けた。
- ^ ASモナコへのレンタル移籍であり、翌年復帰するも2005年冬の移籍市場でリヴァプールFCへ完全移籍した。
- ^ なお、これまでのリーグ史上最多勝ち点記録は1996-97シーズンの優勝を果たした際に記録した勝ち点92であり、1位、2位共にこの記録を塗り替える勝ち点を記録する結果となった。
- ^ そのシーズンに行われた全ての公式戦での得点数。太字はピチーチ賞受賞。
- ^ 試合数38。勝利時の獲得ポイントが3。
- ^ 試合数18。勝利時の獲得ポイントが2。
[編集] 出典
- ^ a b 106 years of history Real Madrid C.F.、2008年3月6日
- ^ Europe's Club of the Century IFFHS
- ^ フォーブスによるレアルマドリードの資産価値は13.23億ドル(2010年4月公表)
- ^ 特集 各国歴代最強イレブン【20】スペイン(1) - 時事ドットコム
- ^ マドリー、カンテラのトップが辞任 goal.com、2008年12月5日
- ^ “世界で最も裕福なクラブ”. Real Madrid C.F. (2009年2月12日). 2009年10月9日閲覧。
- ^ “収入、前年比8.6%増”. Real Madrid C.F. (2011年9月16日). 2011年9月17日閲覧。
- ^ “【レアル】C・ロナウド、ユニフォーム売り上げ130億円。ベッカム抜きクラブ新記録”. Real Madrid C.F. (2010年4月15日). 2011年9月17日閲覧。
- ^ “サントスへの不満を募らせるバルセロナ”. goal.com (2011年9月16日). 2011年9月17日閲覧。
- ^ “リーガ放映権料分配巡り、12クラブが共同戦線 不均衡是正訴える”. yahoo.co.jp (2011年9月9日). 2011年9月17日閲覧。
- ^ ボール 2004 62頁
- ^ ボール 2004 40-41頁
- ^ 2005年のロナウジーニョから2009年のメッシへ livedoor スポーツ、2009年1月8日
- ^ ベルナベウの観客を魅了したデル・ピエロ uefa.com、2008年11月5日
- ^ レアル・マドリードC.F.
- ^ 活字メディアでは「ワールドサッカーキング」、「フットボリスタ」、放送メディアでは「J SPORTS」など。
- ^ ボール 2002 182頁
- ^ ボール 2002 174頁
- ^ ボール 2004 102頁
- ^ a b c d “サッカー選手の高額移籍金ランキング”. AFPBB News (2009年6月12日). 2009年10月9日閲覧。
- ^ “一時代に別れを告げたマドリー”. uefa.com (2006年2月28日). 2009年11月14日閲覧。
- ^ “マドリー、カペッロ監督を解任”. uefa.com (2007年6月28日). 2009年10月8日閲覧。
- ^ “シュスター監督が解任、後任はラモス氏”. uefa.com (2008年12月9日). 2009年10月9日閲覧。
- ^ “カルデロン会長、ソシオ集会で不正発覚”. livedoor スポーツ (2009年1月15日). 2009年10月8日閲覧。
- ^ “レアル・マドリーにペレス会長復帰”. livedoor スポーツ (2009年6月1日). 2009年10月9日閲覧。
- ^ ペレス会長が推し進めるR・マドリーの歴史的な大改革 - ocn sports
- ^ “レアル・マドリー、サルガドの退団を発表”. スポーツナビ (2009年8月5日). 2009年10月9日閲覧。 [リンク切れ]
- ^ “【欧州サッカー】レアルの負債が441億円 ロナルド、カカらの獲得で”. MSN産経ニュース (2009年10月9日). 2009年10月9日閲覧。 [リンク切れ]
- ^ “レアルがバルダーノGDの退団を発表、モウリーニョにチームの全権を託す”. soccer king (2011年5月26日). 2011年9月9日閲覧。
- ^ “記録的な成績を残しグループリーグ終了”. Real Madrid C.F. (2011年12月9日). 2011年12月9日閲覧。
- ^ ボール 2002 151頁
- ^ Real Madrid turns 106 (V)Real Madrid C.F.
- ^ “レアル・マドリー 新加入 カカの日本語、中国語などのユニフォーム発表”. TimeWarp (2009年7月1日). 2009年10月6日閲覧。 [リンク切れ]
- ^ La segunda camiseta de la Champions es roja as.com、2011年8月11日
- ^ “38年ぶりの“赤い”レアルがD・ザグレブ下し白星スタート”. searchina (2011年9月15日). 2011年9月15日閲覧。
[編集] 参考文献
- フィル・ボール著、近藤隆文訳 『バルサとレアル スペイン・サッカー物語』 NHK出版、2002年。ISBN 978-4140806739。
- フィル・ボール著、野間けい子訳 『レアル・マドリー ディ・ステファノからベッカムまで』 ネコ・パブリッシング、2004年。ISBN 978-4777050369。
[編集] 関連項目
- フランシスコ・フランコ - スペインの独裁者。
- GOAL!2 - 物語の主人公がレアル・マドリードに移籍する。当時の所属選手も多数出演している。
- トロフェオ・サンティアゴ・ベルナベウ - プレシーズンに行われる親善試合。
[編集] 外部リンク
- realmadrid.jp - 公式ウェブサイト (日本語)
- レアル・マドリード公式 (realmadridjapan) - Twitter - (日本語)
- Real Madrid - Facebook - (スペイン語)(英語)
- Real Madrid - 公式YouTubeチャンネル(Flash Video) - (スペイン語)
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1 カシージャス | 2 カルヴァーリョ | 3 ペペ | 4 S・ラモス | 5 シャヒン | 6 ケディラ | 7 C・ロナウド | 8 カカ | 9 ベンゼマ | 10 エジル | 11 グラネロ | 12 マルセロ | 13 アダン | 14 X・アロンソ | 15 コエントラン | 16 アルトゥントップ | 17 アルベロア | 18 アルビオル | 19 ヴァラーヌ | 20 イグアイン | 21 カジェホン | 22 ディ・マリア | 24 ディアッラ 監督: モウリーニョ |
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欧州クラブ協会(ECA) 創立メンバー
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