クリント・イーストウッド
クリント・イーストウッド Clint Eastwood | |||||||||||||||||||||||||||||||||||
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本名 |
Clinton Eastwood Jr. クリントン・イーストウッド・ジュニア | ||||||||||||||||||||||||||||||||||
生年月日 | 1930年5月31日(93歳) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||
出生地 | アメリカ・カリフォルニア州 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||
ジャンル | 映画(俳優、監督、製作、音楽) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||
活動期間 | 1954年- | ||||||||||||||||||||||||||||||||||
活動内容 |
1954年:初出演 1967年:製作会社設立 1971年:映画初監督 1992年:アカデミー監督賞受賞 2004年:2度目のオスカー受賞 2006年:『硫黄島二部作』監督 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||
配偶者 | Dina Eastwood(旧姓Luis) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||
主な作品 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||
監督兼出演 『恐怖のメロディ』『ガントレット』 『センチメンタル・アドベンチャー』 『許されざる者』 『パーフェクト・ワールド』 『マディソン郡の橋』 『スペース・カウボーイ』 『ミリオンダラー・ベイビー』 『グラン・トリノ』 監督のみ 『バード』『ミスティック・リバー』 『父親たちの星条旗』 『硫黄島からの手紙』 『アメリカン・スナイパー』 『ジャージー・ボーイズ』 出演のみ 『ローハイド』『荒野の用心棒』 『夕陽のガンマン』『真昼の死闘』 『アルカトラズからの脱出』 『ザ・シークレット・サービス』 『ダーティーハリー』シリーズ | |||||||||||||||||||||||||||||||||||
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備考 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||
ハリウッド名声の歩道 カーメル市長(1986年-1988年) |
クリント・イーストウッド(Clint Eastwood、本名:Clinton Eastwood, Jr.(クリントン・イーストウッド・ジュニア)、1930年5月31日 - )は、アメリカ合衆国カリフォルニア州、サンフランシスコ出身の映画俳優、映画監督、映画プロデューサー、作曲家、政治活動家。公称身長193 cm(6フィート4インチ)。
俳優として数多くの西部劇やアクション映画に出演。自身最大の当たり役であるハリー・キャラハン役を演じた『ダーティハリー』シリーズでスーパースターの地位を不動のものとした。監督としても『許されざる者』『ミリオンダラー・ベイビー』でアカデミー作品賞とアカデミー監督賞を2度受賞するなど、現代のハリウッドを代表する人物と目されている。
履歴
生い立ちと初出演後の不遇
クリント・イーストウッドは父クリントン[1]・イーストウッド・シニアと母モーガン・イーストウッドの間に生まれる。スコットランド、アイルランド、ドイツ、イングランドの4か国の血をひいている。家系はメイフラワー号の乗員で港町プリマスを統治したウィリアム・ブラッドフォードを祖とする名家であるが、幼い頃の生活は世界恐慌の煽りを受け苦しかった。
オークランド・テクニカル・ハイスクール卒業後、朝鮮戦争のさなかである1951年に陸軍に召集され入隊。2年後の1953年に除隊後、サウス・カリフォルニアに移住。アルバイトの傍らロサンゼルス・シティ・カレッジの演劇コースを専攻する。1950年代初めにユニバーサル映画と契約を結ぶが、当初は『半魚人の逆襲』『世紀の怪物/タランチュラの襲撃』といったB級映画の端役しか与えられないという、不遇の時代を過ごした。
TVシリーズ『ローハイド』、そして2人の師との出逢い
1959年からCBSで放映されたテレビ西部劇『ローハイド』で、ロディというカウボーイを演じる。同作品は約7年間に亘り220話近く製作された人気シリーズとなり、イーストウッドの知名度と人気は世界的に高まった。1964年にはセルジオ・レオーネ監督にイタリアに招かれ、マカロニ・ウェスタンの嚆矢でありかつそれを代表する作品となった『荒野の用心棒』に出演。その後も『ローハイド』の撮影の合間を縫って『夕陽のガンマン』、『続・夕陽のガンマン/地獄の決斗』と都合3作のレオーネ作品に出演した。この3作品で名無しの男を演じたイーストウッドはレオーネを師と仰ぎ、レオーネの逝去まで交友を続けた。これらの映画の人気により、イーストウッドの映画俳優としての評価はヨーロッパが先行し、アメリカに逆輸入された形となった。
『マンハッタン無宿』で出逢ったドン・シーゲルと再びタッグを組んだ『ダーティハリー』でイーストウッドは型破りな刑事ハリー・キャラハンを演じた。これはシーゲル作品としてそれまでで最大のヒットとなり、イーストウッド本人もこの作品で人気アクション・スターとしての地位を不動にした。現在においてもイーストウッドの俳優としての代表作として真っ先に挙げられるのがこの作品である。『ダーティハリー』シリーズは、この後4作品が製作されている。
監督業の成功
1968年に映画制作会社マルパソプロダクションを設立。1971年に『恐怖のメロディ』で初監督。俳優業の傍ら『荒野のストレンジャー』『アウトロー』などの作品を立て続けに発表。監督業に進出した他の役者と違い、所謂「大作」や賞レースに関わる作品には出演せず、自らのプロダクションで製作した小規模ともB級とも呼べる作品でのみ主演し、監督業と俳優業を両立しながら地位を確立した。80年代までの監督作の中で『アウトロー』『ブロンコ・ビリー』などでは「壊れた家族」というモチーフ、疑似家族を得ることで人生の輝きを取り戻すストーリー[2]という共通した要素が見いだせる。1987年の第45回ゴールデングローブ賞で、セシル・B・デミル賞を受賞。
1992年、師であるセルジオ・レオーネとドン・シーゲルに捧げた“最後の西部劇”『許されざる者』を監督兼主演で制作。第65回アカデミー賞監督賞、作品賞を受賞、第50回ゴールデングローブ賞監督賞を受賞した。この頃から『マディソン郡の橋』『ミスティック・リバー』といった文芸性の高い作品も手がけている。
2004年の『ミリオンダラー・ベイビー』で2度目のアカデミー作品賞/アカデミー監督賞のダブル受賞を果たす。74歳という、最高齢での受賞記録を樹立したバイタリティは、アクション映画で培われたものであろうと驚嘆の元に迎えられた。アカデミー主演男優賞はノミネートにとどまったが、「単に監督もできる俳優」ではなく、「アクション映画から文芸映画まで幅広くこなせる、優れた監督兼俳優」という評価を確立した。
2006年に『父親たちの星条旗』・『硫黄島からの手紙』の2部作を発表。これはアメリカがかつての日米戦争において最大級の痛手を受けた「硫黄島の戦い」を、日米双方の視点から2作に分けて描くという方法で製作されている(同じような日米双方の視点による映画には真珠湾攻撃を扱った『トラ・トラ・トラ!』があるが、こちらは1本の映画の中に入れている)。『硫黄島からの手紙』は、ナショナル・ボード・オブ・レビュー賞作品賞・第32回ロサンゼルス映画批評家協会賞最優秀作品賞を受賞し、同年の賞レース最大の目玉として注目を浴びていたが、アカデミー賞では音響編集賞のみの受賞にとどまった。2007年1月、『硫黄島からの手紙』でゴールデン・グローブ賞最優秀外国語映画賞を受賞。
2006年1月ごろ、南京事件 (1937年)を題材とする中国映画『南京・クリスマス・1937』の監督にイーストウッドが抜擢されたという中国官僚の発言が報道されたが、イーストウッド側がすぐに否定するという一幕があった。
今後の俳優活動について
2008年の『グラン・トリノ』をもって「もう積極的に役は探さない。いまの映画の役は、みんな若い役者向けに書かれているから。」と語り、実質的な俳優引退宣言を行った。今後は監督業をメインに活動するとスポーツニッポンのインタビューで語った[3]。
しかし後に日刊スポーツのインタビューでは「演じたい役があれば(俳優に)戻ってくるかもしれない」ので、自身からは“ 引退 ”という発言は積極的に用いないという趣旨の発言もしており、揺れ動く心情を吐露している[4]。
2012年には上記の発言を裏付ける様に、『人生の特等席』で老いたメジャーリーグスカウトマン役として、4年ぶりに映画に出演した。(スタッフ兼務ではない一演者としては19年ぶり)
政治
立場
政治活動への参加も積極的である。現在はカリフォルニア州公認の共和党員であるがリバタリアニズムを主張し、朝鮮戦争・ヴェトナム戦争・テロとの戦い・イラク戦争などの外征戦争に反対している。また妊娠中絶・同性結婚の選択権を擁護する。成立しなかった、憲法の男女平等修正条項案も支持している。民主党が映画の過激な描写を規制させる法案を制定させようとした際は、先陣を切って反対を表明している。
経歴
1986年にカリフォルニア州西海岸にあるカーメル市市長に当選、1期2年間務めた。また、自ら資金を調達し、かつて支持していた第37代カリフォルニア州知事グレイ・デイヴィス(民主党)へ退陣を迫る投票を行い、民主的な政治家の政治への参加を求めるテレビCMを製作した。2003年5月には、当時開戦したばかりのイラク戦争と、開戦を敢行した国家の双方を「極めて重大な過ちを犯した」と批判。同じく政治論争に積極的で『ミスティック・リバー』で主演に起用したショーン・ペンがバグダードへ向かうのを説得して止めた。
2008年大統領選挙では共和党ジョン・マケイン候補を支持した。
2012年大統領選挙では、共和党予備選で当選確実となって久しいミット・ロムニーに対して2012年8月3日に支持表明した[5]。フロリダ州タンパで行われた共和党大会では、無人の椅子にオバマ大統領が座っているものと見立てて一人芝居を展開した[6]。
叙勲
2007年2月17日、監督としての功績が認められ、フランスのジャック・シラク大統領(当時)からレジオンドヌール勲章を授与された。また2009年4月29日、「春の外国人叙勲」で日本政府より「映画製作を通じた日本とアメリカ合衆国との相互理解の促進に寄与」とした功績により、旭日中綬章を授与された。
私生活、その他
- 古くは1962年2月21日にも『ローハイド』に一緒に出演したエリック・フレミング、ポール・ブラインガーと共に来日している。イーストウッドらが東京国際空港(羽田空港。当時、成田空港はまだ開港していなかった)に到着した時のモノクロ映像が現存し、近年でもテレビ番組で紹介された。
- ジャズに対する造詣が深く、ジャズの巨匠であるチャーリー・パーカーを題材とした『バード』を監督、プロデューサーとして『セロニアス・モンク ストレート・ノー・チェイサー』を製作している。また、『ミスティック・リバー』、『ミリオンダラー・ベイビー』『父親たちの星条旗』では、音楽担当のクレジットにもその名を連ねている。『さよなら。いつかわかること』では初めて音楽のみを担当した。
イーストウッド家は代々ジャズを嗜好しており、クリントの祖母の代から始まり、クリントの息子カイル・イーストウッドはジャズ・ベーシストとして活躍している。クリント自身クラブでピアノを演奏したこともあり、かつては音楽を勉強しようとシアトル大学に入学したほどだったが、生活費を稼ぐために大学はやめざるを得なかったという[1]。 - 1997年にファッションブランド「テハマ」(アメリカ・インディアンの言語で「大自然」の意と宣伝しているが、由来については異論もある)を共同経営者名義で設立。同名のゴルフコースも所有している。
- 彼が出演した映画作品のチラシは、スティーブ・マックイーンと双璧を成すほど人気が高く、『荒野の用心棒』『夕陽のガンマン』『続・夕陽のガンマン』『華やかな魔女たち』『奴らを高く吊るせ!』といった作品の初版チラシに至っては1枚で数十万円単位まで価格が高騰しているものも存在する。
- 自分の監督作品で、2年連続でアカデミー賞・助演男優賞受賞者を輩出した。『ミスティック・リバー』のティム・ロビンス(第76回・2003年)と、『ミリオンダラー・ベイビー』のモーガン・フリーマン(第77回・2004年)である。
- 「Clint Eastwood」という名前はアナグラムで「Old West Action」(懐かしい西部劇)となる。
- 1953年に結婚したマギー・ジョンスン(1985年離婚)との間に1男1女をもうけ(兄のカイル・イーストウッドはジャズミュージシャン、妹のアリソン・イーストウッドはモデル・女優)、ほかにフランシス・フィッシャーとの間に1女、二度目の妻ディナ・ルイス(2013年離婚)[7][8]との間に1女、婚外子として1男2女(息子は俳優のスコット・リーヴス)、と合計5人の女性との間に7人の子供がいるとされる。1996年のディナ・ルイスとの再婚の際は、初婚のときに生まれた娘と同年代だということで話題になった。愛人だったソンドラ・ロックから慰謝料を求める訴訟を起こされたり、誹謗に満ちた自伝を出版されたりしたこともマスコミを賑わせた。
- また健康に関して熱心であり、これまでの人生で映画の役柄以外では一切タバコを吸わない。1970年頃から超越瞑想(TM瞑想)を毎日行っている。また食事では野菜類を用いたダイエットを長年継続しており、スプラウトなど、多種類の野菜や果物や豆腐、その他大豆製品を多く摂ることを心がけているという。
- 2013年に離婚した二度目の妻であるディナ・イーストウッド(旧姓ルイス)は、父がアフリカ系アメリカ人と日本人の、母がアイルランド・イングランド・ドイツの血を引く。
- 自分の主演作の試写会へ出かけるのに、招待状を持ったかどうか何度も確認するほどの心配性でもある。
- カンヌ国際映画祭で黒澤明監督の『夢』の上映の際、会場に入ろうとした黒澤に対し突然群衆の中から現れ、「ミスタークロサワ」と言いながらほおにキスをし、「あなたがいなかったら、今の私はなかった」と感謝の言葉を告げたという。これはデビュー作となった荒野の用心棒が用心棒の非公式なリメイクであったことが関係している。
- 渡辺謙とも親交が深く、2006年ゴールデングローブ賞授賞式において、イーストウッド自身の口から「偉大なる渡辺謙に感謝します」と述べた。
- 2012年、イーストウッド一家を追ったリアリティ番組Mrs. Eastwood & Companyが放映された[9]。
主な出演、監督、製作作品
★印はセルジオ・レオーネ監督作品。☆印はドン・シーゲル監督作品。
公開年 | 日本語題 | 原題 | 役職 | 備考 | |||
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監督 | 製作 | 音楽 | 出演 | ||||
1959-1965 | ローハイド | Rawhide | ○ | テレビドラマ | |||
1964 | 荒野の用心棒 | A Fistful of Dollars 伊語版 Per un pugno di Dollari |
○ | ★ | |||
1965 | 夕陽のガンマン | For a Few Dollars More 伊語版 Per qualche Dollaro in più |
○ | ★ | |||
1966 | 続・夕陽のガンマン/地獄の決斗 | The Good, The Bad and The Ugly 伊語版 Il buono, il brutto, il cattivo |
○ | ★ | |||
1967 | 華やかな魔女たち | Le Streghe segment "Una serata come le altre" |
○ | オムニバス: 第5話「またもやいつもの通りの夜」 ヴィットリオ・デ・シーカ篇 | |||
1968 | 奴らを高く吊るせ! | Hang 'em High | ○ | ||||
マンハッタン無宿 | Coogan's Bluff | ○ | ☆ | ||||
荒鷲の要塞 | Where Eagles Dare | ○ | |||||
1969 | ペンチャーワゴン | Paint Your Wagon | ○[I] | ○ | |||
1970 | 真昼の死闘 | Two Mules for Sister Sara | ○ | ☆ | |||
戦略大作戦 | Kelly's Heroes | ○ | |||||
1971 | 白い肌の異常な夜 | The Beguiled | ○ | ☆ | |||
恐怖のメロディ | Play Misty for Me | ○ | ○ | ||||
ダーティハリー | Dirty Harry | ○ | ☆ | ||||
1972 | シノーラ | Joe Kidd | ○ | ||||
1973 | 荒野のストレンジャー | High Plains Drifter | ○ | ○ | |||
愛のそよ風 | Breezy | ○ | ○ | クレジットなし | |||
ダーティハリー2 | Magnum Force | ○ | |||||
1974 | サンダーボルト | Thunderbolt and Lightfoot | ○ | ||||
1975 | アイガー・サンクション | The Eiger Sanction | ○ | ○ | |||
1976 | アウトロー | The Outlaw Josey Wales | ○ | ○ | |||
ダーティハリー3 | The Enforcer | ○ | |||||
1977 | ガントレット | The Gauntlet | ○ | ○ | |||
1978 | ダーティファイター | Every Which Way But Loose | ○ | ||||
1979 | アルカトラズからの脱出 | Escape from Alcatraz | ○ | ☆ | |||
1980 | ダーティファイター 燃えよ鉄拳 | Any Which Way You Can | ○[I] | ○ | 挿入歌「Beers to You」 レイ・チャールズとのデュエット | ||
ブロンコ・ビリー | Bronco Billy | ○ | ○[I] | ○ | 挿入歌「バールーム・バディーズ」 マール・ハガードとデュエット | ||
1982 | ファイヤーフォックス | Firefox | ○ | ○ | ○ | ||
センチメンタル・アドベンチャー | Honkytonk Man | ○ | ○ | ○[I] | ○ | ||
1983 | ダーティハリー4 | Sudden Impact | ○ | ○ | ○ | イメージソング「Go Ahead Make My Day」 (T.G.シェパードとのデュエット) | |
1984 | タイトロープ | Tightrope | ○ | ○ | |||
シティヒート | City Heat | ○[I] | ○ | ||||
1985 | 世にも不思議なアメージング・ストーリー | Amazing Stories : segment "Vanessa in the Garden" | ○ | TVシリーズ シーズン1 第12話「ヴァネッサの肖像」 | |||
ペイルライダー | Pale Rider | ○ | ○ | ○ | |||
1986 | ハートブレイク・リッジ 勝利の戦場 | Heartbreak Ridge | ○ | ○ | ○[II] | ○ | |
1988 | ダーティハリー5 | The Dead Pool | ○ | ||||
バード | Bird | ○ | ○ | ||||
セロニアス・モンク ストレート・ノー・チェイサー | Thelonious Monk: Straight, No Chaser | ○ | セロニアス・モンクの記録映画 | ||||
1989 | ピンク・キャデラック | Pink Cadillac | ○ | ||||
1990 | ホワイトハンター ブラックハート | White Hunter Black Heart | ○ | ○ | ○ | ||
ルーキー | The Rookie | ○ | ○ | ||||
1992 | 許されざる者 | Unforgiven | ○ | ○ | ○ | ||
1993 | ザ・シークレット・サービス | In the Line of Fire | ○ | ||||
パーフェクト・ワールド | A Perfect World | ○ | ○[III] | ○ | |||
1995 | キャスパー | Casper | ○ | カメオ出演 | |||
マディソン郡の橋 | The Bridges of Madison County | ○ | ○ | ○[III] | ○ | ||
ヘンリエッタに降る星 | The Stars Fell on Henrietta | ○ | |||||
1997 | 真夜中のサバナ | Midnight in the Garden of Good and Evil | ○ | ○ | |||
目撃 | Absolute Power | ○ | ○ | ○[III] | ○ | ||
1999 | トゥルー・クライム | True Crime | ○ | ○ | ○[II] | ○ | 主題歌「ホワイ・シュッド・アイ・ケア」作曲 |
2000 | スペース・カウボーイ | Space Cowboys | ○ | ○ | ○ | ||
2002 | ブラッド・ワーク | Blood Work | ○ | ○ | ○ | ||
2003 | ミスティック・リバー | Mystic River | ○ | ○ | ○[IV] | ||
ピアノ・ブルース | Piano Blues | ○ | ○ | TVミニ・シリーズ | |||
2004 | ミリオンダラー・ベイビー | Million Dollar Baby | ○ | ○ | ○[IV] | ○ | |
2006 | 父親たちの星条旗 | Flags of Our Fathers | ○ | ○ | ○[II][IV] | ||
硫黄島からの手紙 | Letters from Iwo Jima | ○ | ○ | ||||
2007 | さよなら。いつかわかること | Grace is Gone | ○[II][IV] | 音楽・主題歌のみ担当 | |||
2008 | チェンジリング | Changeling | ○ | ○ | ○[IV] | ||
グラン・トリノ | Gran Torino | ○ | ○ | ○[II] | ○ | ||
2009 | インビクタス/負けざる者たち | Invictus | ○ | ○ | |||
2010 | ヒア アフター | Hereafter | ○ | ○ | ○ | ||
2011 | J・エドガー | J. Edgar | ○ | ○ | ○ | ||
2012 | 人生の特等席 | Trouble with the Curve | ○ | ○ | |||
2014 | ジャージー・ボーイズ | Jersey Boys | ○ | ||||
アメリカン・スナイパー | American Sniper | ○ | ○ | ○[III] | |||
2016 | Sully | ○ | ○ |
受賞
- アカデミー賞
- 1992年: 監督賞 / 『許されざる者』
- 1994年: アービング・G・タルバーグ賞
- 2004年: 監督賞 / 『ミリオンダラー・ベイビー』(74歳の史上最年長受賞)
- ゴールデングローブ賞
- 1971年: 世界人気男優賞
- 1987年: セシル・B・デミル賞
- 1988年: 監督賞 / 『バード』
- 1992年: 監督賞 / 『許されざる者』
- 2004年: 監督賞 / 『ミリオンダラー・ベイビー』
- NY映画批評家協会賞
- 2004年: 監督賞 / 『ミリオンダラー・ベイビー』
- LA映画批評家協会賞
- 1992年: 監督賞・男優賞 / 『許されざる者』
- カンヌ国際映画祭
- 1988年: フランス映画高等技術委員会賞 / 『バード』
- 2003年: ゴールデン・コーチ賞(功労賞)
- 2008年: 第61回記念特別賞 / 『チェンジリング』
- 2009年: パルム・ドール名誉賞
- ヴェネツィア国際映画祭
- 2000年: 栄誉金獅子賞・特別功労賞
- 京都国際映画祭
- 2014年:モスト・リスペクト賞[10]
- ナショナル・ボード・オブ・レビュー賞
- 2014年:監督賞 / 『アメリカン・スナイパー』[11]
- キネマ旬報ベスト・テン
- 1993年度(第67回):外国映画監督賞 / 『許されざる者』『パーフェクト・ワールド』
- 1995年度(第69回):外国映画監督賞 / 『マディソン郡の橋』
- 2004年度(第78回):外国映画監督賞・読者選出外国映画監督賞 / 『ミスティック・リバー』
- 2005年度(第79回):外国映画監督賞・読者選出外国映画監督賞 / 『ミリオンダラー・ベイビー』
- 2006年度(第80回):外国映画監督賞 / 『父親たちの星条旗』『硫黄島からの手紙』・読者選出外国映画監督賞 / 『硫黄島からの手紙』
- 2009年度(第83回):外国映画監督賞 / 『グラン・トリノ』『チェンジリング』・読者選出外国映画監督賞 / 『グラン・トリノ』
- 2014年度(第88回):外国映画監督賞・読者選出外国映画監督賞 / 『ジャージー・ボーイズ』[12][13]
端役出演作品
1954年
- 『半魚人の逆襲/REVENGE OF THE CREATURE』...研究員ジェニングス役(uncredited)◇俳優デビュー <DVD化>
1955年
- TV.movie『Allen in Movieland』...Orderly役
- 『Francis in the Navy』...水夫ジョネシー役
- 『Lady Godiva of Coventry』...サクソン人役(uncredited)
- 『世紀の怪物 タランチュラの襲撃/TARANTULA!』...空軍戦闘機の隊長役(uncredited) <DVD化>
1956年
- 『Never Say Goodbye』...X線研究所の助手役(uncredited)
- TV『ハイウェイ・パトロール Season1:#27.Motorcycle A』
- 『Star in the Dust』...牧童役(uncredited)
- 『最初の女セールスマン/THE FIRST TRAVELING SALESLADY』...兵隊ジャック・ライス役
- 『全艦発進せよ/Away All Boats』軍医兵役(uncredited)
- TV『Death Valley Days Season5:#07.The Last Letter』
- 『底抜け西部へ行く/PARDNERS』...町の青年役 ◇「夕陽のガンマン」コンビ、リーバン・V・クリーフも脇役出演。
1957年
- TV『West Point Season1:#22.White Fury』
- 『二人の可愛い逃亡者/ESCAPADE IN JAPAN』...パイロット:ダンボ役
- TV『Navy Log Season3:#17.The Lonely Watch』
1958年
- 『壮烈!外人部隊/LAFAYETTE ESCADRILLE』...パイロット役
- 『Ambush at Cimarron Pass』...キース・ウィリアムズ役
1959年
- TV『マーベリック Season2:#19.Duel at Sundown』
1962年
- TV『ミスター・エド Season2:#25.Clint Eastwood Meets Mister Ed』
参考資料
- 『クリント・イーストウッド アウト・オブ・シャドー』ドキュメンタリー作品(ワーナー・ブラザース、監督ブルース・リッカー、2000年)
インタビュー・伝記
- 『クリント・イーストウッド レトロスペクティブ』序文はイーストウッド自身、公認本
- リチャード・シッケル、新藤純子訳、キネマ旬報社、2010年
- 『クリント・イーストウッド 孤高の騎士 映画作家が自身を語る』イーストウッドの自伝インタビュー
- マイケル・ヘンリー・ウィルソン編、石原陽一郎訳、フィルムアート社、2008年
- マーク・エリオット『クリント・イーストウッド ハリウッド最後の伝説』笹森みわこ・早川麻百合訳、早川書房、2010年
- 中条省平『クリント・イーストウッド アメリカ映画史を再生する男』朝日新聞社、2001年/ちくま文庫、2007年
出典
- ^ クリントは芸名。本名はClinton
- ^ 『ゼロ年代アメリカ映画100』(芸術新聞社)p.126f。
- ^ イーストウッド俳優引退宣言、監督専念へ
- ^ “イーストウッド監督「引退」は使わない”. nikkansports.com. (2010年1月18日) 2010年1月19日閲覧。
- ^ “俳優イーストウッド氏がロムニー氏支持を表明 米大統領選”. (2012年8月5日) 2012年8月13日閲覧。
- ^ “クリント・イーストウッド監督の米共和党大会での一人芝居が賛否両論” (2012年9月5日). 2012年9月12日閲覧。
- ^ “Clint Eastwood: Wife of actor-director files for divorce”. Washington Times. 2013年10月24日閲覧。
- ^ “クリント・イーストウッドさんの妻、離婚を申請”. CNN.co.jp (2013年10月25日). 2014年6月6日閲覧。
- ^ “なんでOKしたの? クリント・イーストウッドがリアリティ番組出演で私生活を公開”. TV Groove (2011年12月16日). 2014年6月6日閲覧。
- ^ “京都国際映画祭開幕!牧野省三賞は木村大作が受賞「あと5年は頑張る」”. 映画.com. (2014年10月16日) 2014年10月17日閲覧。
- ^ “ナショナル・ボード・オブ・レビュー賞発表”. 映画.com. (2014年12月3日) 2014年12月4日閲覧。
- ^ “2014年 第88回キネマ旬報ベスト・テン”. KINENOTE. 2015年1月8日閲覧。
- ^ “「そこのみにて光輝く」が日本映画1位…キネマ旬報ベスト・テン”. スポーツニッポン. (2015年1月8日) 2015年1月8日閲覧。
関連する人物
- ドン・シーゲル:「ダーティハリー」の監督。「監督・イーストウッド」に最も影響をあたえた人物。
- アーノルド・シュワルツェネッガー:カリフォルニア州知事。彼の知事当選に対し、自身の市長を務めた経験から、「これが奴の地獄の始まりよ」とコメントした。
- マイケル・J・フォックス:映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー PART3』(1990年)で、主人公マーティを演じた際、劇中でリー・トンプソン扮するマギーに「クリント・イーストウッドです」と名乗った。
- スパイク・リー:2006年、『父親たちの星条旗』、『硫黄島からの手紙』について、黒人俳優が出演していない事を理由にスパイク・リーから人種差別主義者呼ばわりされ、イーストウッドがそれに反論したことから両者とも激しい舌戦を繰り広げた。
- 荒木飛呂彦:漫画『ジョジョの奇妙な冒険』第3部の主人公である空条承太郎のモデルはイーストウッドである。2012年には描きおろしの原画をイーストウッドにプレゼントした。
日本語吹き替え
日本語吹き替え版ではローハイド出演以降からは山田康雄が専任で担当しており、イーストウッド来日時には本人からフィックスとして公認されており、VHSの吹替も初期から担当していた、これはイーストウッド主演映画の多くを配給するワーナーの吹替制作に山田の所属するテアトル・エコーが関与していたこともあると思われる。しかし、95年に山田が死去し、『パーフェクト・ワールド』が山田の最後の吹き替えとなった。その後、野沢那智がテレビ放送時に山田の後任として『ザ・シークレット・サービス』で吹き替えを務める際、山田の声にそっくり真似てほしいと要求され、困惑したという逸話がある。それからはほとんどの作品で野沢が吹き替えを担当していた。映像ソフトでは、生前山田と親交の深かった小林清志や納谷悟朗などが交代で担当していたが、正式な専属吹き替え声優は決められなかった。2010年に野沢も死去し、現在のところイーストウッドの吹き替えは作品ごとに全く異なる声優が担当する状況へとなっている。2009年の『夕陽のガンマン』日本語吹替完声版で山田に声質の似る多田野曜平が作品のテレビ放送時にカットされた部分の代役に抜擢され、以降『続・夕陽のガンマン』、『ダーティハリー』(カット部分がある4作目まで)、『荒野の用心棒』でも起用されている。
外部リンク
- クリント・イーストウッド - allcinema
- クリント・イーストウッド - KINENOTE
- Clint Eastwood - IMDb(英語)