セロニアス・モンク

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
セロニアス・モンク
Thelonious Monk
セロニアス・モンク(1947年)}
セロニアス・モンク
1947年
基本情報
出生名 セロニアス・スフィア・モンク
別名 モンク
出生 1917年10月10日
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国ノースカロライナ州ロッキーマウント
死没 1982年2月17日(満64歳没)
ジャンル ジャズ
ビバップ
ハード・バップ
職業 ピアニスト
作曲家
担当楽器 ピアノ
レーベル ブルーノート
プレスティッジ
リバーサイド
コロムビア

セロニアス・スフィア・モンク(Thelonious Sphere Monk、1917年10月10日 - 1982年2月17日)は、アメリカジャズピアニストであり、即興演奏における独特のスタイルと、数多くのスタンダード・ナンバーの作曲で知られる。

略歴[編集]

彼の人生の初期については、殆ど知られていない。ノースカロライナ州ロッキーマウントに生まれ、その後間もなく、彼の家族はニューヨークへ移り住んだ。6歳の時にピアノの演奏を始め、多少の正式なレッスンを受けてはいたが、本質的には独学と思われる。

10代の頃にはある福音派の伝道者とともにしばらく各地を回り、教会のオルガンを弾いていた。10代の末頃に、彼はジャズ演奏の仕事が見付かり始めた。1941年頃の ジェリー・ニューマン(Jerry Newman) の録音に登場している。この録音は、ニューヨークのクラブ、「ミントンズ」(Minton's) で行われ、彼は此処でこのクラブのバンドのピアニストとして雇われていた。

40年代初頭より、ジャズ・ピアニストとしての活動を始める。彼の演奏スタイルは、この頃は「ハード・スウィンギング」と呼ばれる類いのもので、 アート・テイタム(Art Tatum) のスタイルに近かった。1944年にモンクは、自身の最初のスタジオ録音を コールマン・ホーキンス・カルテット(Coleman Hawkins Quartet) と共に行っている。1947年にネリー・スミス(Nellie Smith) と結婚し、同じ年に彼のバンド・リーダーとしての初めての録音がなされた。1950年代1960年代を通して、モンクは巡業と録音とをこなした。1970年代の始めからは、舞台から姿を消した。1971年11月に彼の最後の録音が行われ、彼の生涯の最後の10年間はごく数回の演奏が行われたのみである。幾つかの情報源によれば、モンクは双極性障害(躁鬱病)に苦しんでいたという。

1982年脳梗塞で亡くなり、ニューヨーク州 ハーツデイル(Hartsdale) にある、ファーンクリフ墓地(Ferncliff Cemetery)に埋葬された。

評価[編集]

彼の死後、彼の音楽は幅広い聴衆によって再発見され、彼は今日では、マイルス・デイヴィスジョン・コルトレーンなどと並び、ジャズの歴史に於ける偉大な人物の一人に数えられている。1989年クリント・イーストウッドは、彼の生涯と音楽についてのドキュメンタリー、 『ストレート・ノー・チェイサー』(Straight, No Chaser ) を制作している。

その他[編集]

  • ブルーノート・レコードプレスティッジ・レコードリバーサイド・レコードコロムビア・レコードなどのレーベルに演奏を残す。
  • 1954年12月24日、プレスティッジ・レコードからの要請でマイルス・デイヴィスのレコーディングに参加するが、音楽性の違いからマイルスと対立したという説が流れた。アルバム『マイルス・デイヴィス・アンド・ザ・モダン・ジャズ・ジャイアンツ』収録の「ザ・マン・アイ・ラヴ(テイク2)」では、モンクがピアノ・ソロを途中で止め、それに対して怒ったマイルスが自分の出番でもないのにトランペットを鳴らすという、緊張感のあるやり取りが録音された。当然のことながらマイルスとモンクは二度と一緒にレコーディングしなかったものの(翌55年のニューポート・ジャズ・フェスティバルにて競演)、マイルスはモンクの作曲能力を認めた上でアルバム『ラウンド・アバウト・ミッドナイト』『マイルストーンズ』でモンクの曲を取り上げた、とされる。
  • 上記の共演は後に「喧嘩セッション」と呼ばれ、誰と共演しようが自分を曲げないモンクらしいエピソードとして受容されていた。だが、実際にはマイルスが後年自伝の『マイルス・デイビス自叙伝 I 』で記した通り、和声のボイシングに違和感を覚えたため「自分のソロの最中はピアノを弾かないでくれ」と指示し、モンクがそれを了承しただけであり、現在はその事がミュージシャンや評論家達の間で曲解された結果として生まれたデマであるとする見方が強い。同書においてマイルスは曲作りにおいて大いに勉強をさせてもらい、また、その演奏も「間」の取り方や不思議なコードに感動し、大いに影響を受けたと語っている。

ディスコグラフィ[編集]

アルバム[編集]

  • "After Hours at Minton's" (1943)
  • "Genius Of Modern Music: Volume 1" (1947-1948)
  • "Genius Of Modern Music: Volume 2" (1947-1952)
  • "Thelonious Monk Trio" (1952)
  • "Monk" (1953)
  • "Thelonious Monk and Sonny Rollins" (1953)
  • "セロニアス・モンク・プレイズ・デューク・エリントン" (1955)
  • "The Unique Thelonious Monk" (1956)
  • "Brilliant Corners" (1957)
  • "Thelonious Himself" (1957)
  • "Thelonious Monk with John Coltrane" (1957)
  • "Art Blakey's Jazz Messengers with Thelonious Monk" (1957)
  • "Monk's Music" (1957)
  • "Mulligan Meets Monk" (1957, with Gerry Mulligan)
  • "Blues Five Spot" (1958)
  • "Thelonious in Action" (1958)
  • "Misterioso" (1958)
  • "The Thelonious Monk Orchestra at Town Hall" (1959)
  • "5バイ・モンク・バイ5" (1958)
  • "Thelonious Alone in San Francisco" (1958)
  • "Thelonious Monk at the Blackhawk" (1960)
  • "Monk in France" (1961)
  • "Monk's Dream" (1962)
  • "Criss Cross" (1962)
  • "Monk in Tokyo" (1963)
  • "Miles and Monk at Newport" (1963, with unrelated Miles Davis performance)
  • "Big Band and Quartet in Concert" (1963)
  • "It's Monk's Time" (1964)
  • "Monk." (1964)
  • "Solo Monk" (1964)
  • "Live at the It Club" (1964)
  • "Live at the Jazz Workshop" (1964)
  • "Straight, No Chaser" (1966)
  • "Underground" (1967)
  • "Monk's Blues" (1968)
  • "Monk in Tokyo" (1970)
  • "The London Collection" (1971, three volumes)
  • "アット・ニューポート 1963&1965" (ピー・ウィー・ラッセル、チャーリー・ラウズ、 ブッチ・ウォーレンと。2003)
  • "Thelonious Monk Quartet with John Coltrane at Carnegie Hall" (2005)

ビデオ・DVD[編集]

  • "Straight, No Chaser"

脚注[編集]


外部リンク[編集]

参考文献[編集]

  • 『定本 セロニアス・モンク』ジャズ批評編集部、松坂 (ジャズ批評ブックス)、2002年。ISBN 4915557146
  • 『決定版ブルーノート・ブック 〜史上最強のジャズ・レーベルのすべて〜』ジャズ批評編集部編、松坂〈ジャズ批評ブックス〉、1999年。ISBN 4915557014