もののけ姫
この記事には百科事典にふさわしくない内容が含まれている可能性があります。 |
もののけ姫 | |
---|---|
監督 | 宮崎駿 |
脚本 | 宮崎駿 |
製作 |
氏家齊一郎 成田豊 |
製作総指揮 | 徳間康快 |
音楽 | 久石譲 |
主題歌 | 『もののけ姫』米良美一 |
編集 | 瀬山武司 |
配給 |
東宝 ミラマックス Alliance Films |
公開 |
1997年7月12日 1999年10月29日 1999年11月26日 2001年10月19日 |
上映時間 | 133分 |
製作国 | 日本 |
言語 | 日本語 |
興行収入 | 193億円 |
『もののけ姫』(もののけひめ)は、宮崎駿によるスタジオジブリの長編アニメーション映画作品。1997年(平成9年)7月12日公開。舞台は室町時代の日本。森を侵す人間たちとあらぶる神々との対立を背景として、狼に育てられた「もののけ姫」と呼ばれる少女サンと蝦夷の少年アシタカとの出会いを描く。宮崎が構想16年、製作に3年をかけた大作であり、興行収入193億円を記録し当時の日本映画の興行記録を塗り替えた。
映画のキャッチコピーは「生きろ」。主題歌「もののけ姫」(作詞:宮崎駿、作曲:久石譲)を歌う米良美一は、女性のような高い声で歌うカウンターテナーが話題になり、この作品によって広く認知されるようになった。声優は『平成狸合戦ぽんぽこ』のおキヨの石田ゆり子、『紅の豚』のマンマユート・ボスの上條恒彦、『風の谷のナウシカ』のナウシカの島本須美とアスベルの松田洋治と言った過去のジブリ作品にも出演した者が起用されている。
なお、1980年(昭和55年)に宮崎駿がアニメ企画案のイメージボードとして構想した同名の作品があり(『宮崎駿イメージボード集』(1983年)に収録)、1993年(平成5年)に同イメージボードを基にした絵本(『もののけ姫』。ISBN 4198600406。)が出版されているが、本項目が解説する作品と直接の関連性はない。
注意:以降の記述には物語・作品・登場人物に関するネタバレが含まれます。免責事項もお読みください。
あらすじ
この節にあるあらすじは作品内容に比して不十分です。 |
エミシの隠れ里に住む少年アシタカは、村を襲った「タタリ神」に死の呪いをかけられる。ただ死を待つより、己の運命を見定めるため、はるか西方の地を目指して旅立つ。
そこでアシタカが見たものは、山林を開拓して鉄を作るタタラの民とその長エボシ御前、森を守る山犬一族、そして山犬として生きる人間の少女サンであった。アシタカはその狭間で、自分が呪われた理由を知る。やがて、森を守ろうとするもののけたちと、もののけの長「シシ神」を殺そうとする人間の壮絶な戦いが始まる。
登場人物
武士が農民を虐げるという、黒澤明の『七人の侍』における構図は、戦後直後の都市労働者(浪人・侍)と、闇の食料を買わなくて済む農家(百姓)という状況で迫真性を発揮し、「侍と百姓」の心象を硬直させた。しかし、それは本来の歴史ではない。むしろ農民はもっと強い、自分達で武装する存在だった。それ以外にも従来の日本の心象は真実からかけ離れている。そういった束縛から逃れ、新しい枠組みを持つ時代劇を目指した結果、武士や農民が表舞台に出てこない物語に着地した[1]。
この映画が依拠するところには中世の『一遍聖絵』や『職人歌合』があり、物語の焦点は武士と農民以外の人々にある。それはかつての日本の正史には登場しない、「虐げられた者」「忘れられた日本人」である。大和との戦に破れたエミシ一族の末裔、人間に捨てられ山犬に育てられた娘、農民や武士と度々対立したタタラ者、不治の病とされた業病に罹った者、本来聖なる仕事を引き受けていた中世の非人、山伏、貧しさ故に売られた娘、地走り(ジバシリ)と呼ばれている山の狩人が、エボシ率いるタタラ場に集中する[2]。
- アシタカ(アシタカヒコ)
- 主人公。ヤマト(大和)との戦いに破れ、北の地の果てに隠れ住むエミシ(蝦夷)一族の数少ない若者。一族の長となるべき少年。無口だが正義感が強く潔い[3]。17歳[4]。一人称は「私」。ヤックルという名のアカシシに跨る。タタリ神に矢を放ち、命を奪った際に死の呪いをかけられる。掟に従い髷(まげ)を切り村との決別を果たした為、再び村に戻ることは出来ない身となった。髷を切る場面は、もはや人間でなくなることを意味している。故に誰も見送らず、密やかに村を出て行かなくてはならなかった。そんな自分を見送るカヤとの別離では、彼女の感極まった心を察し、永久の別れになることを覚悟しつつ、むしろ明るく自分の運命を見極めようとし「私はいつもカヤを思おう」と、未練を残さないように言い切った[5]。右腕には呪いの印である痣が浮き出ており、時にタタリヘビとして顕現する。これは「タタリ神より受けた呪いが蛇状に変化したもの。アシタカに爆発的な力を与えるが、かわりに少しずつ命を奪っていく」という[3]。呪いをかけられて以降のアシタカが射る矢は凄まじい速力で飛び、一撃で武士の両腕をも斬り飛ばす。この場面では悪魔的な力の暗示故、命中する寸前に矢が二本になっている[6]。
- 今までのジブリの主人公とは異なり、守るべき何かが無い。お前は要らない、居なくてもいいと言われている。活躍しても、別段褒め称えられない。しかも、それは悪事を働いた結果ではなく、正しい行いをしてそうなった。それは現代の若者の共通の運命であるという[7]。また、現実における多くの事態のように、アシタカは事件の生起する瞬間に立ち会うのではなく、自分が遭遇する事件結果から、徐々に事件が見えてくる[8]。アシタカはこのタタラ場が、エボシが率いてやってきたことが自分の痣を生む源だったことを知る。同時に、それはタタラ場の女達にとってはこの世で最も大切なことである。アシタカは簡単には解けない矛盾に遭遇した。彼が女達に「辛いか」と尋ねたのも、これがもし本当に辛いだけの働く場所であれば、彼にとっては問題が楽だったためである。だが、女達にとってタタラ場は物凄く辛いが一番良い所であるという二面性にぶつかり、やはり自分はここには居られないと思った。思うと同時に、その前には業病患者達の病院を見ており、否定も肯定も出来ず、問題の複雑さに沈潜した[9]。そしてエボシとサンの対決を前に覚悟を定め、タタリ(憎悪)に翻弄されていた身を制御出来るようになる。アシタカは、嫌味になるかもしれないが凜として涼やかに、憎悪に身を委ねるなと叫ぶ[10]。
- ヤックル
- アカシシと呼ばれる大カモシカ。主人であるアシタカによく慣れ、常に行動を共にする。今日では絶滅した設定[3]。エミシのいた東北地方には「鹿踊」の風習がある。獅子面をつけた踊りだが、起源は鹿頭をつけた踊りだったという。儀式として定着したのは近世以前らしいが、農耕儀礼との関連が不明な地域もあり、蝦夷の狩猟儀礼との関係が推測されている。エミシについて「北に赤獅子にまたがる鬼あり」という噂が語られていたが、ヤックルは創作である。多くの設定を史実や民俗学に依っている本作にあって、ヤックルは一際異色かつ幻想的である。しかし、赤獅子の仮面を被って豊穣や好天などを祈る「獅子舞」の儀礼は日本全国にある。その起源は中国やインドと言われる。また、「獅子」はライオンではなく、河童や鳳凰などと同様の架空の動物とされるが、露骨な想像動物ではない。複数の異種動物が混在した麒麟や鵺などとは異なり、何らかの実在動物が原型になっている可能性が高い。獅子面は大きな瞳、鼻穴、角(尖った耳)が二本生えた赤面を持つ。その風貌をヤックルに近いと考えることも出来る[11]。
- ナゴの守
- 猪神。エボシ率いる石火矢衆に深手を負わされ、その苦しみと憎しみによりタタリ神と化した。エミシの隠れ里を襲い、アシタカの放った矢によって息絶えるが、引き換えに死の呪いをかける[3]。息が漏れるような「神の怒りの声」は、感情というよりも言葉全体が恨みの塊になって、取り付く島が無い[12]。
- カヤ
- エミシの村の娘。アシタカを「兄様」と呼ぶが、エミシ村のように小さな村では、自分より年上の人間達は皆兄様や姉様ということになる。アシタカの嫁になるつもりであり、そのように周りが認めた娘だった。玉(黒曜石)の小刀は恋人へ自分の印として渡すものであり、アシタカに渡すと自分の小刀を失くしてしまうことになる。アシタカとの別離では、自分が慕っている、しかも自分の命を救ってくれたために呪いを受けて村を出て行く、そのアシタカをもう二度と逢えないだろうという心情で見送る[5]。
- ヒイ様
- エミシの隠れ里の老巫女。石や木片などを並べて吉凶を占う。呪いを受けたアシタカを占い、西へ向かうよう告げる[3]。村をまとめており[13]、物事を察知する直観力と知恵を持ち、卑弥呼に似ている。卑弥呼は錯乱的な年配の女性と思われることが多いが、沖縄の女性達が神事を男を排除して行っている点に目を向けると、賢く陽気であり、大らかな気分を持っているという。どこか雅なところがあり明るく、それでいて物事を真っ直ぐ見据え、お前は死ぬ運命だと明言する[14]。
- サン
- もののけ姫。15歳[4]。山犬に育てられた少女。森を侵す人間達をひどく憎んでいる。不気味な土面を付け、巨大な山犬に跨り、タタラ場に何度も襲撃を繰り返す。アシタカに出会い、荒ぶる神々と人の間で心が揺れ動く[3]。激しい気性の娘で、人擦れしておらず、世間の言い様とは無関係に育ってきた人間。山犬の立場では負けが続いている。母親は傷付き、このままでは自分達の一族は敗れるのが当然で、しかもサンは純粋な山犬ではない。サン自身は必死になっていて、拮抗しているつもりでも客観的には非常に哀れな存在になっている。そこで人間に助けられて、恩義など全く感じず屈辱で逆上する。山犬になりたい、山犬が一番美しく人間(自分)は醜いと思っており、アシタカに美しいと言われて困惑する[15]。
- 名前は、1980年に宮崎駿がアニメ企画案として構想した作品のヒロインが「三の姫」(三番目の姫)だったことに由来する[16] 。
- モロの君
- 齢三百歳の雌の犬神[3]。山の神、狼(大神)[17]。人語を解し、高度な知能と強靭な力を持つ。サンの育ての親で、娘として側に置く。シシ神の森を侵す人間を憎み、戦っている。特にエボシ御前に敵意を持っており、命を狙っている[3]。自然の側に寄り添う正義の味方ではない。凶暴さと優しさ、生と死の両方を持っている。裏側が不動明王である観世音菩薩のように、相手によっては悪魔よりも悪魔になり、慈悲深い観世音にもなる[17]。サンへ明け透けに、お前(人間)は醜いと言う母親[15]だが、その一方でサンのことを娘として大切に思っており、タタリ神となった乙事主にとりこまれたサンを、最期の力を振り絞って救い出した。乙事主は煩悩や妄念が残っていたためにタタリ神になったが、モロは怨霊になってもエボシを噛み砕こうと思っているが、無差別に何もかも巻き込むタタリ神のようなものにはならない[18]。
- モロの子
- 人語を解する犬神の兄弟。モロほどの知能は無い。サンを守り、彼女と共に人間と戦う[3]。
- エボシ御前
- 深山の麓で、タタラ集団を率いる冷静沈着な女性。山を削り、砂鉄を沸かし、鉄を打ち、石火矢をも造りだす。売られた娘達を買い取り、本来は女人禁制のタタラ場で仕事を与えている。社会からの異分子をも人として扱う徳を持ち、人々に敬われ、かつ慕われている[19]。
- 辛苦の過去から抜け出した女。海外に売られ、倭寇の頭目の妻となり、頭角を現し、ついに頭目を殺し、その金品を持って故郷に戻ってきた。このとき海外(明)で最新式の武器「石火矢」を手に入れ、日本に持ち込んだ。侍の支配から自由な、強大な自分の理想の国を作ろうと考えている。シシ神の森は誰の領地でもなく、シシ神に属している。その地を手に入れ、刃向かう猪神や山犬を退治すれば、ただの製鉄民ではない権力を手に入れ得る場所にいる。製鉄所(タタラ場)に来る以前に、京の都で天皇周辺の人物達と交流を作った[20]。また、タタラ場を世俗とは「無縁」で暮らせる場所にしつつあった。タタラ場は革命家(エボシ)の聖域なのである[2]。この映画で唯一、自然界にとっての悪魔であり、魂の救済を求めていない、つまり「近代人」である[21]。
- 石火矢衆
- シシ神退治を条件に、「師匠連」という謎の組織からエボシに貸し与えられた傭兵。総勢四十名。明から輸入した石火矢を使い、もののけと戦う。鉄や米の運搬時の護衛で、タタラ場全体の警備も務める[3]。
- タタラ者
- タタラ場に住む製鉄集団。黒装束に身を包み、昼夜を問わず鉄を作り続けている[19]。
- ゴンザ
- エボシの側近。エボシが夫(倭寇の頭目)を殺して故郷に戻ったとき、付いて来た唯一の配下[20]。牛隊、ワラット達の頭目。威張り屋で短気であり、アシタカを間者と疑うが、本人は全く真面目。エボシに惚れているという噂がある[19]。
- ジコ坊
- 謎の組織「師匠連」の一員。その命により、不老不死の力があるとされるシシ神の首を狙う。石火矢衆の頭でもあり、狩人、ジバシリなどを動かす。シシ神の森の存在をアシタカに教えた人物[19]。非人の頭らしい存在。非人とは、中世では神人(神の直属民)や、供御人(くごにん、天皇の直属民)を指す。全国の情報を集め、裏側の商売に徹している。エボシのもたらした石火矢を配下に仕込んで、エボシのタタラ経営に加担した。つまり傭兵の口入れ屋だが、本命はシシ神の首である。エボシが独自の(女たちの)石火矢隊を組織したことに危機感がある。乙事主が勢力を結集したことを好機として、森がタタラ場を攻撃している間に、天皇の書状と情報網で集めたジバシリ、悪党達、自分の配下を組織して一挙にシシ神を殺そうと図る[20]。
- 劇中に柿色の衣を着た人々が登場するが、中世では神人・供御人と呼ばれる人々は、柿色や黄色の衣を着て一般平民と区別されていた。また、ジコ坊がシシ神殺しのため天皇のお墨付きを持ってくることは、例えば古い大木を切る際、宗教的権威である天皇家から勅許を受けて切れば、タタリがあったとしても天皇家に行く、という行為による[2]。
- 唐傘連
- ジコ坊に付き従う謎の集団。巨大な唐傘を手に、シシ神の首を狙って暗躍する。目的のためには手段を選ばない非情さを持つ[19]。
- ジバシリ(地走り)
- 通常の狩人よりも山野の知識に長けた者。けものに人と見破られないよう生皮を被るなど、特殊な術を使う[19]。
- シシ神(ディダラボッチ)
- 生命の授与と奪取を行う神。新月に生まれ、月の満ち欠けと共に誕生と死を繰り返す。その首に不老不死の力があると信じられている。夜の姿はディダラボッチで、独特の模様と半透明な体を持つ。体内で青い光を放ちながら、夜の森を徘徊する[19]。
- 体にある渦巻き模様は原始的と言われる民族が多く持っており、縄文時代やケルトもそれに類する。生命の循環や水の渦のようなイメージから蔓草が現れ続々と伸びていく、螺旋や渦は生命である、という世界の捉え方をしていた民族がいずれも模様に取り込んだ。
- 破壊が撒き散らされる中、首を返されたシシ神が倒れると、山は芝生や小さな灌木で覆われた禿山となった。ともあれ緑があれば「ああ甦った」と思う人は多いが、芝生は生態系で最低にある[22]。
- 乙事主(おっことぬし)
- 人語を解する鎮西(九州)の猪神。五百歳の最長老。他の猪神を率いて、人間に大攻勢をかける[19]。モロの君とは旧知の間柄で良い仲だったが、百年ほど前に別れた[23]。戦に負け、部下は皆死んでしまったが、自身は神であるために死ねず、シシ神の池を目指して敗走する中、死んだはずの一族が幽霊のような戦士達として現れ、狂王と化す。全体にリア王の立場がある[24]。
- 猩々
- 日本猿より大型の霊長類。夜毎崩された斜面に集まり、森を取り戻すため木を植えようとする。森を奪った人間を憎んでいる[3]。
- 牛飼い
- タタラ場に住んでいる。牛を馴らし、米や鉄の運搬の仕事を担う[3]。
- 甲六
- トキの夫で、牛飼いの一人。集中豪雨の中で米を運搬中、犬神に襲われ谷へ転落し、アシタカに助けられる。惚れた弱みでトキの尻に敷かれている。憎めない性格[19]。
- トキ
- タタラ踏みの一員で、その指導的存在。さっぱりしているが勝気な性格で、ゴンザを言い負かすほど。夫の甲六にも愛情故のきつい言葉を投げつける[19]。
- 病者
- タタラ場の別棟に住む。エボシが引き取り看病している。新石火矢の製造を任され、開発に成功する[19]。
- 侍
- 鉄のためにタタラ場を狙う領主アサノの武者達。野武士と違い、完全武装で統率の取れた攻撃を仕掛ける[19]。
- コダマ(木霊)
- 一種の精霊で、豊かな森林に住む。淡い緑色をした半透明の体を持つ。森の中で迷ったアシタカを導くなど、特に人間に敵意を持っている訳ではないらしい[3]。
解題
この項目は制作ドキュメンタリーのようになっているため、 |
主題
宮崎監督曰く、この映画にはやりたくて溜めてきた素材が三つも四つも入っている。絵コンテを読むと、エンターテイメント作品には通常不向きと思われる現代の厳しい課題が詰め込まれている。浦谷年良が整理すると、五つになる[25]。
問題が沢山入りすぎていてハラハラしますねと浦谷が水を向けると、監督は以下の通り語った。「解決不能な問題ですよね。今までの映画は、解決可能な小課題を作って、取り合えず今日はそれを超えたと、それをひとつのセオリーにしてきたんですけどね。それが映画の枠内だと。それでやると、現代で僕らがぶつかっている問題とは拮抗しないという結論が出たんじゃないかなぁ」[25]。
主人公の動機
監督の論では、日本の通俗アニメーションを腐らせている一つに「動機の喪失」がある。例えば、監督が以前チベット民話「犬になった王子」に触発されて描いた『シュナの旅』である。ヤックルに乗る主人公シュナは、自国を貧困から掬う穀物の種、「金色の種」を求め旅に出る。この旅の動機は崇高だが、貧乏というリアリティが無い中では「胡散臭い」ものでしかない。アシタカの旅には、観客が共感できる動機が必要だった。即ち「理不尽にも傷付けられ、呪われたと自覚した少年が、その呪いを癒す鍵を探して旅をする」ことである[26]。
更には、アシタカは自発的にではなく、村を追い出されてやむなく旅に出る。それは受難のヒーローというより、ヒーローであることを裏切り続ける存在である。そしてヒロインのサンもまた、傷付いた、自分を醜いと思っているアンチヒロインである。同じ物語を辿りながら、通常の主役であることを徹底的に裏返しにしていく[26]。
観客の予想を破壊すること
物語の図式は森と人界の対立。乙事主たちとエボシたちが激突する、ここまでは観客の予想図式と一致する。普通の映画ではこれで全部辻褄が合う、ただの宿命の対決となる。ここで予想を破壊する、宿命も何も無い、もっと暴力的な図式を提示する。乙事主たちとエボシたちがぶつかる、そのエボシたちの後ろから侍たちの大きな勢力が加わっている。更にそれが進行した形態として、侍たちが突出してエボシたちを飲み込み、乙事主たちと直接ぶつかっている図が描かれる[8]。
アシタカが事態に気が付いたときには、既にこの図式のようになっており、何故こんなことが起こったのだろう、という形で事態が転化していく。それはその中で翻弄されるアシタカの心境であり、それは観客と同じ次元になる。事件に気が付き、発生した順番の逆から出会って行くのが現代であるためである[8]。
過去の作品の否定
宮崎駿には、過去の自分の作品を一度徹底的に否定しなければ、本音で語ることはできないという思いが強烈にあった。スタジオジブリ作品への世間の期待について話が及ぶと、宮崎は(例えば自然保護に熱心なジブリなどの)期待に応えようとしてはいけない、一回期待を持つと、その期待を変えようとしないと返答した[27]。
「生きる」というイメージ
宮崎駿は以下の通り述べている。
百億の人口がねぇ、二億になったって別に滅亡じゃないですからね。そういう意味だったら、世界中の野獣は、もう滅亡、絶滅していますよね(笑)。そうですよ。元は百匹いたのに、今は二匹しかいないなんて生きもの一杯いますからね。そういう目に、今度人類が遭うんでしょ、きっと。でもそれは滅亡と違いますね。僕等の運命ってのは、多分、チェルノブイリで、帰ってきた爺さんや婆さん達が、あそこでキノコ拾って食ったりね、その『汚染してるんだよ』って言いながら、やっぱり平気でジャガイモ食ってるようにして生きていくだんろうなっていうね…まぁ、その位のことしか言えないですよね。それでも結構楽しく生きようとするんじゃないかぁっていうね、どうも人間ってのは、その位のもんだぞって感じがね…[28] |
若者へのメッセージ
監督が言う「我々が直面している最大の課題」は、主人公アシタカの設定に集約されているという。今この世の中に生きている若者は、いわれのない、不条理な、肉体的にも精神的な意味も含めてババを引いてしまった人間達である。それは東アジア、アメリカやヨーロッパ、アフリカでも共通の運命である。その理由は、一人の人間が感じられる悲劇が、ローマ時代であろうと鎌倉時代であろうと同じ故である。人口が五百万人しか居なかった鎌倉時代の日本は、現代から見れば山紫水明、遥かに美しい所が多数存在したが、人間が悲惨の極みであったため、鎌倉仏教のような宗教が生まれてきた。破局の規模が大きいから悲劇が大きいというのは嘘で、一つの村が滅びることが、その人間にとっては全世界が滅びることに等しい、そういう意味を持った時代がある。その意味では人間が感じられる絶望も、その苦痛も量は等しい。恐らくそれは、歴史の様々な場所で感じ取られてきた。「ただ何となくスケールが大きいからね、こりゃ本当のドン詰まりと思っているだけで。でもそれが本当にドン詰まりなのかというと、そうは簡単に行かないことも、歴史は証明してるから」[29]。
浦谷年良はこの発言を以下のようにまとめている。現代の若者達は、意識の奥でみんなババを引いてしまったと感じている。自分は悪くないのに、何故か傷付けられていると感じている。マイナスの磁場のようなものを抱えている。その「心の空洞」に向かって「明るく元気に生きよう」「貧しさから抜け出して豊かになろう」と言っても通じない。こうした絶望、閉塞感を大きな歴史認識の中で捉え、考え直すことで「不条理な運命の中で生きる」ことを模索し、提示していく[27]。
なお監督は、物語のその後について、「アシタカとサンは、その後も良い関係を続けていく」、「アシタカは引き裂かれ、傷だらけになりながらも、サンやタタラ場のために努力し、それを曲げずに生きていく人物である」と語っている[30]。
舞台設定
この項目はコメンタリーのようになっているため、 |
世界観
本作は照葉樹林文化論の示唆を受けた世界観を舞台としている。参考とされたのは中尾佐助の『栽培植物と農耕の起源』であり、日本文化の基底が稲や稲作農民ではないことを明らかにする同書の内容が製作に大きく影響しているとされる[31]。本作では稲作農民に代表される平地の「定住民」とは全く別の生活圏を持つ「遍歴民(山民・海民・芸能民など)」が多く取り上げられる。『もののけ姫』は、遍歴民の世界で展開される物語である。叶精二によれば本作は日本映画で中世史をアウトサイダーの側から描くという、「時代劇の革命」を意図するものであり[32]、網野善彦は本作を「ずいぶん勉強した上でつくられている」と評している[33]。
エミシの村
かつて大和朝廷の支配に抵抗し、追われた人々。祭事の衣装や東北のマタギに似たアシタカの衣装、彼の使う「雅な椀」、娘の装束など、縄文時代の文化にブータンや北タイの焼き畑圏など照葉樹林文化圏の物が混ざった文化を形成している[34]。
東北に居たエミシ(蝦夷)を宮崎駿は、大和政権に追われて東北の山中に隠れ住んでいた最後のエミシ、純血種の生き残りと判断している。村をまとめているのは、占いで物事を決めていくという女性(ヒイ様)である。神社の中で拝んでいるのは岩倉(岩の壁)、御神体である岩の塊である。カヤが抜いた、刀身が直線的で先が尖っている刀は蕨手刀という。柄の方には輪が付いている。東北地方だけで8世紀ほどまで作られていた。生活雑器だが武器にもなり、坂上田村麻呂と戦ったエミシの軍勢はそのような刀を持っていたと考えられている[35]。また、未婚の女性が守り刀を男性に渡すと言う行為は、『粉河寺縁起』にもみられるように求婚の証であり、カヤが決して戻ってくることのないアシタカに守り刀を渡すと言う行為は、カヤが一生未婚のまま人生を全うすることを暗示しているとする指摘がある[36]。
石火矢
劇中の石火矢は、明時代の火槍が発想の源。火槍は火縄銃より以前に応仁の乱の頃、一度日本に入ってきて使われていた。だが、大した威力が無かったため途絶えた。中国、ヨーロッパのハンドカノンは、銃のように小脇に抱えると点火が出来ないため、肩に載せて撃っていた。点火から発射までの時間が非常に長く、まともに命中しない。このような武器は、相手が群がって来る時に脅しをかけたり、ばら撒き弾を撃つものだったが、同時に銃身も破裂して本人も死ぬことが甚だ多かったという程度だった[37]。
それをエボシが改良した石火矢は少し火縄銃のようになっているが、まだ付け火のような棒で火を付けており、火縄銃のようにはいかない。火縄は硝酸を木綿の組み紐に染み込ませてあるもので、火を点けると灯っていき、ゆっくり燃える。それを瞬間的に吹くと、また少し火勢が強くなる。よって火縄銃を撃つ時は、構えてから息を急に吹き掛け、火縄を挟み込み、火蓋を開けて引き金を引くと火縄挟みが落ち、弾が発射される。その段階に到達していないため、代わりに後ろから元込め、つまり後装になっている。弾と火薬が入っているものをそのまま入れて撃つことにより、先から弾を込めなくて済むようになっている。そのような後ろから弾丸を込める仕組みは、古い大砲にあったものである。弾丸が入った部品に火薬を入れ、砲身に入れる。そして木の楔を打ち込み、点火して撃ち、楔を抜いてこれを引き出し、次弾を装填する[37]。
国くずし
エボシが使う「国くずし」という言葉だが、奥村正二著『火縄銃から黒船まで』によれば、「天正年間に大友宗麟は南蛮船から火砲数門を買い、これを「国くずし」と名づけて実践に使っている」とある[37]。
非人
非人は中世では柿色の衣を着た人々で、一般平民とは区別されている。神人・供御人とも呼ばれる。非人に関連して浦谷年良は、宮崎駿が尊敬する作家、堀田善衛の『定家明月記私抄』を引用している。「元来天皇家というものが、これらの遊女、白拍子、舞人、猿楽、さらには武芸を事とする武人などの芸能民とともに、各種の職人、広い意味での宗教人など、いわば非農業民、それを別の言葉で言いかえるとして、『遊手浮食』の徒、『無縁の輩』等の『道々の輩』、すなわちこれら路上の遍歴民を統轄し保障をする存在であったことを確認しておきたい」[2]。
着物
製作時にはヤックルの走りの分解図、カヤ達エミシの村の娘達の衣装、アシタカが扱うエミシの矢の形(鏃は黒曜石で三枚羽)など、細かい指定が大量に書かれていた。中でも特徴的なのが「帯の位置」である。着物の常識が失われているため帯の位置は高くなっているが、本来はへそ下であると注意書きがされていた。一方、その下には「これは『七人の侍』の三船敏郎以来の結び方、アシタカだけに使う」とあった。これは主人公アシタカの「現代の若者性」「若さと未熟さ」といった暗示であるのか、と意味を問われた宮崎駿は「三船のあれは、子供だってことでしょ」と答えている。市場を行き交う人々や、特に、成熟した大人として描かれるジコ坊の帯の位置は低い[38]。
たたら場とエボシ御前
エボシのたたら場の構成員に対する態度は大きく2つに分かれる。戦争で人狩りにあって売られた女たちと、社会から差別を受けてきた癩者(ハンセン病患者)とみられる病者に対しては温かい手を差し伸べているのに際し、病者以外の男たちに対してはシシ神やその配下の猪たちに対するおとりとして利用されて猪ともども吹き飛ばされて命を失うことを承知の上でシシ神退治に動員し、その最後の様子を眺めているなど、極めて冷淡な態度を取っている[39]。
だが、エボシは女たちに対しても重大な事実を隠している。それは、売られた鉄が武器に加工されて侍の手に渡り、戦争に用いられ、その結果藤木久志が「奴隷狩り」と称した現象が引き起こされることである。つまり、女たちはエボシが作らせた鉄で作られた武器によって、奴隷として売られてエボシの下にやってきたのである。当然、エボシもこうした矛盾がいつかたたら場を崩壊させかねないことを認識していた。市沢哲はエボシがアシタカに告げた「私の秘密」の正体を社会的弱者である病者たちに新しい石火矢を作らせて同じ弱者である女性たちに持たせて侍の鎧を打ち抜かせていくことで侍の力を奪い、鉄が侍のために使われるシステムを打破することで矛盾を解消し、更に労働によって得られた果実の分配のあり方を変えていくという「国崩し」の実現を図ることとして捉え、森(=シシ神)との戦いはこの目的の中においては局所的なことに過ぎないとする[40]。
その一方で、エボシの出現はサンの位置づけを根本的に変えることになる。元々、森の神(=ナゴの守)に対するいけにえとして捧げられたサンは、エボシと石火矢衆によって森の神が倒され、巨大なたたら場が作られたことによって、いけにえとしての存在価値すら否定されてしまうことになる。宙ぶらりんの立場に追い込まれたサンに残されたのは、「もののけ」として生きる途しか残されていなかったのである[41]。
製作背景
これまで宮崎駿の監督した長編アニメは、おおよそ5万 - 7万枚ほどの作画枚数で製作されてきたが、本作では14万枚以上もの枚数が使用された。宮崎は「ジブリを使いつぶす」ほどの覚悟で桁外れの労力と物量を本作に投入したというが、以降の『千と千尋の神隠し』(約11.2万枚)や『ハウルの動く城』(約14.8万枚)、『崖の上のポニョ』(約17万枚)もほぼ同規模かそれ以上の枚数であり、スタジオジブリの製作体制そのものを刷新した。
スタジオジブリ最後のセル画と絵の具を使った作品となった。この作品でもサンの顔に付いた血糊やデイダラボッチを3DCGで作った他画面の多重合成も行われ、製作スケジュールの追い込みでデジタル彩色も一部使用されていたが、以降のジブリ作品は線画をコンピュータに取り込み、デジタル彩色の手法を用いるフルデジタル処理で製作されるようになった。
男鹿和雄がアシタカが住むエミシの村を描くために1995年に白神山地の取材に訪れている。青森県の鰺ヶ沢町、津軽峠、天狗峠、一ツ森町などを写真を撮ったり絵を描いたりしながら歩き回り、その時のイメージを作品にちりばめている。
もののけ姫の映像がほぼ完成したある日、鈴木敏夫プロデューサーのもとに宮崎駿が訪ねてきて「鈴木君、タイトル変えようと思うんだけど、『アシタカ聶記(せっき)』でいこう」ということになり話はそこで終了した。鈴木敏夫プロデューサーは直感的に「もののけ姫」というタイトルが気に入っていたので、テレビCMも「もののけ姫」のタイトルで強行して制作した。制作後、宮崎駿にタイトルが変わっていないことが気付かれてしまうが、特に問い詰めなかった[42]。
映画公開時のキャッチコピー「生きろ」は、糸井重里によるもの。完成までには糸井と鈴木敏夫プロデューサーの間で激しいやり取りがあり、没になったコピー案は50本近くあった。主な候補に「おそろしいか、愛しいか。」「だいじなものは、ありますか。」「おまえは、まぶしい。」「昔々は、今の今。」「死ぬのと、生きるの、どっちが好きだ。」「死ぬなっ。」などがある[43]。
興行と賞歴
興行収入193億円、観客動員数1420万人を記録し、当時の日本映画の歴代興行収入第1位となった。2011年現在も、千と千尋の神隠し(1位)・ハウルの動く城(2位)・もののけ姫(3位)と、日本国内の興行収入歴代記録第3位を維持している。洋画を含めても第5位である。
日本国内におけるDVDとVHSを合わせたビデオグラム出荷本数は2007年5月時点で440万本[44]。
1999年1月22日に金曜ロードショーで初のTV放送がされ関東地区で35.1%、西日本地区で40.8%の視聴率を記録した[45]。
香港での興行収入は654万香港ドル[45]、全米では1000万ドル[45]。
- 第1回文化庁メディア芸術祭アニメーション部門大賞
- 第52回毎日映画コンクール日本映画大賞
- 第21回日本アカデミー賞最優秀作品賞
- 朝日デジタルエンターテイメント大賞・シアター部門賞
- アニメーション神戸'97・部門賞(演出部門)、部門賞(デジタル技術部門)、アワード(劇場映画の部)
- マルチメディアグランプリ'97・MMCA特別賞
- 第15回ゴールデングロス賞・最優秀金賞、特別功労大賞
- 報知映画賞・特別賞
- 日刊スポーツ映画大賞・監督賞
- 石原裕次郎賞
- 第39回毎日芸術賞・映像・映画部門
- エランドール賞・特別賞
- 日本映画ペンクラブ・97年度ベスト5日本映画部門1位
- ブルーリボン賞・特別賞
- おおさか映画祭・特別賞
- 高崎映画祭・最優秀監督賞
- 映画鑑賞団体全国連絡会議・日本映画作品賞
- 文化庁優秀映画・優秀映画作品賞
- 読売映画・演劇広告賞 優秀賞
- 日経優秀製品・サービス賞、最優秀賞、日本経済新聞賞
- 第39回日本レコード大賞・作曲賞、アルバム企画賞(サントラ)
- 日本のメディア芸術100選アニメ部門選出
ディズニーとの提携
本作はスタジオジブリが1996年にウォルト・ディズニー・カンパニー(WDC)並びに日本法人のウォルト・ディズニー・ジャパン(WDCJ)の間で国内でのビデオソフト(「ジブリがいっぱいCOLLECTION」)発売および海外でのジブリ作品配給に関わる事業提携を締結した事に伴い、WDC(「ディズニー」表記)から初めて出資を受けた作品である。このため「耳をすませば」迄の【発売元:徳間書店・販売元:徳間ジャパン】ではなく、WDCJのビデオソフト部門の「ブエナビスタ・ホームエンタテインメント ジャパン(現:ウォルト・ディズニー・スタジオ・ホーム・エンターテイメント ジャパン)」になった。但し、レーザーディスク版のビデオソフトについては徳間からの発売・販売となった。
こうして本作のビデオは既に『アラジン』などで日本市場に大きな勢力を築いていたウォルト・ディズニー・ジャパンの流通ルートで販売された。また、アジアを除く全世界でWDC子会社のミラマックスが配給し、ブエナビスタ・ホームエンタテインメントからビデオ発売をした。本作以降、ジブリはWDC並びにWDCJと親密になっていく。
映画のレイティングシステムは、日本(映倫)では「一般」に指定されているが、アメリカ (MPAA) では「PG-13」に指定された。
英語版のナレーションには同じくウォルト・ディズニー製作のアニメ『ガーゴイルズ』でナレーションを務めていたキース・デヴィッドが起用された。
声の出演
キャラクター | 日本語版 | 英語版 |
---|---|---|
アシタカ | 松田洋治 | ビリー・クラダップ |
サン | 石田ゆり子 | クレア・デインズ |
エボシ御前 | 田中裕子 | ミニー・ドライヴァー |
ジコ坊 | 小林薫 | ビリー・ボブ・ソーントン |
モロの君 | 美輪明宏 | ジリアン・アンダーソン |
乙事主 | 森繁久彌 | キース・デヴィッド |
カヤ | 石田ゆり子 | タラ・ストロング |
甲六 | 西村雅彦 | ジョン・デミータ |
ゴンザ | 上條恒彦 | ジョン・ディマジオ |
トキ | 島本須美 | ジェイダ・ピンケット=スミス |
山犬 | 渡辺哲 | ? |
ヒイさま | 森光子 | デビ・デリーベリー |
ナゴの守 | 佐藤允 | ? |
牛飼いの長 | 名古屋章 | ? |
病者の長 | 飯沼慧 | ? |
キヨ | 香月弥生 | ? |
ジバシリ | 冷泉公裕 | ? |
牛飼い | 近藤芳正 坂本あきら 斉藤志郎 菅原大吉 冷泉公裕 |
? |
たたら場の女 | 藤貴子 山本郁子 |
トレス・マクニール サリー・リン デニース・ポワリエ メアリー・エリザベス・マクグリン(歌声) |
エミシの少女A | 島本須美 | ? |
エミシの少女B | 飯沼希歩 | ? |
ナレーター | キース・デヴィッド | |
その他 | 塚本景子 中村彰男 山本郁子 松山鷹志 小林和矢 松田健浩 藤巻直哉 深澤幸太 |
パメラ・アドロン ルイス・アークェット コーリー・バートン アレックス・フェルナンデス ジャック・フレッチャー パット・フラリー ジョン・ホステッター ジョン・ラフター・リー マッタ・マッケンジー マイケル・マクシェーン マット・K・ミラー マーニー・モジマン アダム・ポール デヴィッド・ラズナー ドワイト・シュルツ |
スタッフ
- 原作・脚本・監督:宮崎駿
- 作画監督:安藤雅司、高坂希太郎、近藤喜文
- 原画:大塚伸治、篠原征子、森友典子、賀川愛、小西賢一、遠藤正明、清水洋、栗田務、三原三千雄(現、三原三千夫)、大谷敦子、稲村武志、芳尾英明、二木真希子、山田憲一、笹木信作、山森英司、吉田健一、松瀬勝、桑名郁朗、松尾真理子、河口俊夫、野田武広、杉野佐秩子、近藤勝也、金田伊功
- 動画チェック:舘野仁美、中村勝利、斎藤昌哉、中込利恵、小野田和由
- 動画:手島晶子、大村まゆみ、北島由美子、真野鈴子、坂野方子、柴田和子、倉田美鈴、沢九里、鈴木麻紀子、鈴木まり子、菊地華、鶴岡耕次郎、田村篤、野口美律、藤井香織、米林宏昌、矢地久子、山田珠美、川田学、佐光幸恵、アレキサンドラ・ワエラウフ、ダビット・エンシスナ、東誠子、山浦由加里、西戸スミエ、横田喜代子、富沢恵子、コマサ、土岐弥生、柴田絵理子、長嶋陽子、椎名律子、岩柳恵美子、藤森まや、近藤梨恵、常木志伸、西河広美、渡辺恵子、谷平久美子、矢野守彦、古谷浩美、安達昌彦、山本まゆみ、中山大介、田辺正恵、新留理恵、松下敦子、太田久美子、清水理枝、林良恵、小林幸子、手塚寛子、原口ちはる
- テレコム・アニメーションフィルム
- 飯盛夏子、渡邊奈津子、矢沢真由、東樹葉子、中路景子、毛利志乃舞、小高雅子、上田峰子、板垣伸、安留博子、富野昌江、式部美代子、与沢桂子、平井和子、藤倉雅代、宇田明彦
- テレコム・アニメーションフィルム
- 作画協力:アニメトロトロ、OH!プロダクション、スタジオコクピット、スタジオたくらんけ、グループどんぐり
- 美術:山本二三、田中直哉、武重洋二、黒田聡、男鹿和雄
- 背景:吉田昇、春日井直美、長縄恭子、斉藤久恵、伊奈淳子、平原さやか、荒井貞幸、太田清美、谷口淳一、長田晶子、佐々木洋明、田村盛揮
- 特殊美術:福留嘉一
- 特殊効果:谷藤薫児、橋爪朋二、村上正博、榊原豊彦、谷口久美子
- CG:菅野嘉則、百瀬義行、片塰満則、井上雅史
- 色彩設計:保田道世
- 色指定:井関真代、森奈緒美、守屋加奈子
- 仕上:小野暁子、熱田尚美、鍋田富美子、野村雪絵、山田和子、鈴木栄一、片山由里子
- スタジオキリー
- 岩切当志子、高橋直美、宮本智恵美、清水まり子、森沢千代美、渡辺信子、平林和広、谷島香、石川香織、土屋裕美、工藤百合子、原井智恵、児玉淳、浦山和恵、平良ふみ子、泰野君子、石黒静、吉田美夜子、高木小百合、後藤恵子、大隈昌子、佐々木恵子、角田和子、中釜かおる トレスマシン 柚木脇涼己
- IMスタジオ
- 伊勢田美代子、尾崎美人、鉢田恒、浅井より子、西村豊美、森田薫、安味香織、大内一美、木村裕美子、天満友美、佐藤けい子、赤沼茂子、前原絹代、船崎幸子、板原多恵、小林一夫
- トレーススタジオM
- 安斉直美、相原明子、杉山和歌子、金内順子、醍起玲子、本橋恵美子、松尾めぐみ、大城ひろ子
- 東映動画
- 黒沢和子、奥西紀代美、坂野園江、入江三瓶子、五十嵐令子、古屋純子、藤橋清美、戸塚友子
- テレコム・アニメーションフィルム
- 山本智子、人位万里、長崎さゆり、太田真弥子、石川恵里子、西脇好美、宮川淳子、長岡純子
- スタジオOM青森ワークス、アニメハウス、はだしぷろ、ピーコック、ムッシュオニオン、スタジオOZ、スタジオアド
- スタジオキリー
- デジタルペイント:石井裕章、佐藤麻希子、杉野亮、服部圭一郎
- 録音演出:若林和弘
- 録音演出助手:真山恵衣
- 整音:井上秀司
- 編集:瀬山武司
- 編集助手:水田経子、内田恵、田村眞子
- 撮影監督:奥井敦
- 撮影:藪田順二、高橋わたる、古城環
- 音楽:久石譲
- 音楽制作:ワンダーシティ、スタジオジブリ
- 録音:東京テレビセンター
- 音響制作:オムニバスプロモーション
- 録音スタジオ(音楽):ワンダーステーション、アバコクリエイティブスタジオ
- 録音スタジオ(台詞):MITスタジオ、アバコクリエイティブスタジオ
- 効果:伊藤道廣
- 効果助手:石野貴久
- 効果協力:VOX 猪飼和彦、渡辺基、時田滋
- 効果制作:サウンドリング
- 監督助手:伊藤裕之
- 演出助手:有冨興二、石曽良正徳
- 制作担当:川端俊之
- 制作進行:大塚浩二、居村健治、鈴木健一郎
- 制作デスク:田中千義、西炯共昭
- プロデューサー:鈴木敏夫
- 制作:スタジオジブリ
- 英語版演出:ジャック・フレッチャー
- 配給:東宝
- 時間:133分
売上記録
(日本国内)
内容 | 記録 | 補足 |
---|---|---|
興行収入 | 194億円[46](英語版の日本興行分除く)。 | |
配給収入 | 約113億円[46](英語版の日本興行分除く) | |
動員 | 1420万人[46](英語版の日本興行分除く) | |
『イメージアルバム』 | 7万枚出荷(1996年7月22日発売のCD)[47]。 0.5万枚出荷(2004年発売の再発CD)[47] |
|
『サウンドトラック』 | 50万枚出荷(1997年7月2日発売のCD)[47] | |
『交響組曲』 | 8万枚出荷(1998年7月8日発売のCD)[47] | |
主題歌『もののけ姫』 | 60万枚出荷(1997年発売のシングルCD)[47] 0.5万枚出荷(2004年発売の再発シングルCD)[47] |
|
VHS(1998年6月発売) | 400万本出荷[45] | 2005年3月現在 |
DVD(2001年11月発売、本編+映像特典の3枚組) | 50万枚出荷[45] | 2005年3月現在 |
フィルムコミック | 180万部以上[48] | 4巻計 |
『THE ART OF The Princess MONONOKE もののけ姫』 |
10万部近く[48] | 定価2800円 |
DVD
現在発売されているDVDには、日本語、英語、フランス語、広東語、ドイツ語、イタリア語、スペイン語、ポルトガル語の8ヶ国語が収録されている。 また2001年には制作過程を描いたメイキングDVD『「もののけ姫」はこうして生まれた。』(ブエナ・ビスタ・ホーム・エンターテイメント)が発売された。
参考文献
- 叶精二 (2000年3月16日). “「もののけ姫」を読み解く”. 高畑勲・宮崎駿作品研究所. 2006年4月17日閲覧。
- 浦谷年良『「もののけ姫」はこうして生まれた。』徳間書店、1998年。ISBN 4198609306。
- 宮崎駿『もののけ姫-スタジオジブリ絵コンテ全集<11>』徳間書店、スタジオジブリ事業本部、2002年。ISBN 9784198614751。
- 宮崎駿『風の帰る場所-ナウシカから千尋までの軌跡』ロッキング・オン、2002年。ISBN 9784860520076。
- 網野善彦『「忘れられた日本人」を読む』岩波書店、2003年。ISBN 4198609306。
- 叶精二『宮崎駿全書』フィルムアート、2006年。ISBN 9784845906871。
- 市沢哲「映画『もののけ姫』分析―歴史ファンタジーに歴史学はどう関わるか」(初出:『国文論叢』第34号(神戸大学、1994年)/所収:)/所収:市沢『日本中世公家政治史の研究』(校倉書房、2011年) ISBN 978-4-7517-4330-0)
関連文献
- 司馬遼太郎、堀田善衛・宮崎駿『時代の風音』朝日文庫、1997年。ISBN 9784022641397。
- スタジオジブリ『The art of The Princess Mononoke-もののけ姫 (Ghibli the art series)』徳間書店、スタジオジブリ・カンパニー、1997年。ISBN 9784198100025。
- アニメージュ編集部『もののけ姫-ロマンアルバム』徳間書店、1997年。ISBN 9784197200269。
出典
- ^ 『「もののけ姫」はこうして生まれた。』、42-43頁。
- ^ a b c d 『「もののけ姫」はこうして生まれた。』、315-316頁。
- ^ a b c d e f g h i j k l m アニメ映画パンフレット『もののけ姫』、5頁。
- ^ a b 宮崎駿『もののけ姫-スタジオジブリ絵コンテ全集<11>』徳間書店、スタジオジブリ事業本部、2002年。ISBN 9784198614751。
- ^ a b 『「もののけ姫」はこうして生まれた。』、354頁。
- ^ 『「もののけ姫」はこうして生まれた。』、209-210頁。
- ^ 『「もののけ姫」はこうして生まれた。』、52頁。
- ^ a b c 『「もののけ姫」はこうして生まれた。』、76-77頁。
- ^ 『「もののけ姫」はこうして生まれた。』、362頁。
- ^ 『「もののけ姫」はこうして生まれた。』、364-365頁。
- ^ 叶精二 (2000年3月16日). “「もののけ姫」を読み解く-1,照葉樹林文化,ヤックルは獅子か”. 高畑勲・宮崎駿作品研究所. 2011年9月21日閲覧。
- ^ 『「もののけ姫」はこうして生まれた。』、356頁。
- ^ 『「もののけ姫」はこうして生まれた。』、352頁。
- ^ 『「もののけ姫」はこうして生まれた。』、347頁。
- ^ a b 『「もののけ姫」はこうして生まれた。』、366-368頁。
- ^ 宮崎駿『風の帰る場所-ナウシカから千尋までの軌跡』ロッキング・オン、2002年。ISBN 9784860520076。
- ^ a b 『「もののけ姫」はこうして生まれた。』、387-388頁。
- ^ 『「もののけ姫」はこうして生まれた。』、393頁。
- ^ a b c d e f g h i j k l アニメ映画パンフレット『もののけ姫』、6頁。
- ^ a b c 『「もののけ姫」はこうして生まれた。』、94-95頁。
- ^ 『「もののけ姫」はこうして生まれた。』、269頁、272頁。
- ^ 『「もののけ姫」はこうして生まれた。』、293-294頁。
- ^ 『「もののけ姫」はこうして生まれた。』、389頁。
- ^ 『「もののけ姫」はこうして生まれた。』、396-397頁。
- ^ a b 『「もののけ姫」はこうして生まれた。』、49-50頁。
- ^ a b 『「もののけ姫」はこうして生まれた。』、45-46頁。
- ^ a b 『「もののけ姫」はこうして生まれた。』、53-54頁。
- ^ 『「もののけ姫」はこうして生まれた。』、136-137頁。
- ^ 『「もののけ姫」はこうして生まれた。』、52-53頁。
- ^ 宮崎, 駿 (2001). "Interview to Hayao Miyazaki" (Interview).、記録媒体には未収録
- ^ 浦谷年良『「もののけ姫」はこうして生まれた。』徳間書店、1998年、81頁。ISBN 4198609306。
- ^ 叶精二 (2000年3月16日). “「もののけ姫」を読み解く-3,室町時代の民衆像”. 高畑勲・宮崎駿作品研究所. 2011年9月7日閲覧。
- ^ 網野善彦『「忘れられた日本人」を読む』岩波書店、2003年、31-34頁。ISBN 4198609306。
- ^ 叶精二 (2000年3月16日). “「もののけ姫」を読み解く-1,照葉樹林文化,宮崎作品に見る照葉樹林文化の思想”. 高畑勲・宮崎駿作品研究所. 2010年11月25日閲覧。
- ^ 『「もののけ姫」はこうして生まれた。』、352-353頁。
- ^ 市沢「映画『もののけ姫』分析」、2011年、P418
- ^ a b c 『「もののけ姫」はこうして生まれた。』、275-278頁。
- ^ 『「もののけ姫」はこうして生まれた。』、27-28頁。
- ^ 市沢「映画『もののけ姫』分析」、2011年、P418-419・435-436
- ^ 市沢「映画『もののけ姫』分析」、2011年、P430-436
- ^ 市沢「映画『もののけ姫』分析」、2011年、P421-422
- ^ 王様のブランチ-スタジオジブリ特集 (テレビ番組). TBS. 3 September 2011.
- ^ ゲツヨル! (テレビ番組). 日本テレビ放送網. 4 June 2007.
- ^ 中村均 (2007年5月23日). “110万冊無料配布。“ゲドを読む。”の狙いを読む 宮崎吾朗監督作品「ゲド戦記」DVDのユニークなプロモーション”. 日経ビジネスオンライン
- ^ a b c d e 叶精二『宮崎駿全書』フィルムアート、2006年、214頁。ISBN 9784845906871。
- ^ a b c 叶精二『宮崎駿全書』フィルムアート、2006年、212頁。ISBN 9784845906871。
- ^ a b c d e f 叶精二『宮崎駿全書』フィルムアート、2006年、209頁。ISBN 9784845906871。
- ^ a b 出版界初の受賞 1997年日経優秀製品・サービス賞 最優秀賞に、コンテンツとしての『もののけ姫』 - ウェイバックマシン(2001年5月24日アーカイブ分)
外部リンク
- “「もののけ姫」制作日誌”. スタジオジブリ. 2006年4月17日閲覧。