現世
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現世(げんせ、げんせい、うつしよ)とは、われわれ人間が現在暮らしていると認識する物質的な世界、またはその認識。別表記として顕世がある。この世とも呼ぶ。仏教や古くは「げんぜ」ともいう。自分が今生きている(生を受けた)、この世界のことを指す。
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[編集] 概要
現世に対する世界としては、常世・常夜(とこよ)、幽世・隠世(かくりよ)、前世、来世、あの世、天国、地獄などが考えられる(多くは宗教的背景を持つ)が、その存在は証明できない。また、現世も幻想または夢に過ぎない、またはわれわれが認識する世界は、共同幻想に過ぎずその存在は証明できないとの考えもあるが、共同幻想という認識こそが存在の証明であるとする考えもある。
ほぼ間違っていないだろうとされるビッグバン理論を、アインシュタインの一般相対性理論に当てはめる(アインシュタイン方程式に代入する)と、ビッグバンの始まりは、質量が0(ゼロ)のエネルギーが∞(無限)で空間が存在しない特異点となるとされる。いわば現世は、無と無限が重なり合った状態で始まり、その特異点の特性から虚数解が導き出され、特異点の以前は不可知となることが解っている。これらは、現世の始まりは人智を超える世界であり、またその始まり以前は不可知であるという摩訶不思議な現実があるが、またそれも現世の過去の姿としての事実である。
[編集] 仏教
仏教における「三世」のひとつで「前世」「今世」「来世」のうちの「今世」に該当する。 また時間軸とは別の認識として浄土教では「厭離穢土、欣求浄土」の概念がある。「穢土」とは穢(けが)れた世、という意味で現世にあたる。
『金剛般若経』では「一切の有為の法は、夢幻泡影の如し」とあり現世を夢幻、泡のように儚いものとして把握していたことが伺える。このように仏教では、現世を否定的に捉えていた。
後に浮世絵で有名となる「浮き世」も元は「憂き世」であり、江戸時代に「儚い、憂うべき世」という意味が「どうせ儚いのだから、その間は楽しく生きる(浮)世」に転じたとされる。
江戸川乱歩は「現世は夢、夜の夢こそまこと」としばしば好んで色紙に書いたことで知られる。
[編集] 神道
現世と書いて古語として「うつしよ」と読み、この世や人の生きる現実世界を意味する。それに対峙し常世(とこよ)いわゆる天国や桃源郷や理想郷としての神の国があり、常夜(とこよ)といわれるいわゆる地獄としての死者の国や黄泉の国ととらえている世界観がある。
ただし、常世と現世として二律背反や二律双生の世界観が基本であり、常世・神の国には二つの様相があり、このことは常世(常夜と常世は夜と昼とも表される)が神の国としての二面性を持つことと、荒ぶる神と和ぎる神という日本の神の二つのあり方にも通じるものである。
古神道の始まりといわれる神籬(ひもろぎ)・磐座(いわくら)信仰の森林や山・岩などの巨木や巨石は、神の依り代と同時に、籬は垣(かき)の意味で磐座は磐境(いわさかい)ともいい、常世と現世の端境を表す神域でもある。神社神道においても鎮守の森や植栽された広葉常緑樹は、神域を表すと同時に結界でもあり、常世(神域)と現世の各々の事象が簡単に行き来できないようにするための物であり、禁足地になっている場所も多い。
また、集落につながる道の辻に、置かれる石造の祠や道祖神や地蔵なども、厄除けや祈願祈念の信仰の対象だけでなく、現世と常世の端境にある結界を意味するといわれる。現世における昼と夜の端境である夕刻も常夜との端境であるとも考えられ、この時分を「逢う魔時(おうまがとき)」といって、現世に存在しないものと出会う時刻であると考えられている。
[編集] 参考文献
- 『「はかなさ」と日本人』竹内整一平凡社新書 ISBN 4582853641

