意識

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意識(いしき、Consciousness)は、宗教哲学生物学心理学医学、日常会話などの中で、様々な意味で用いられる。この項目では、以下の意識について解説する。

  • 意識とは、自分の今ある状態や、周囲の状況などを正確に認識できている状態のこと。[1]
    • 医療分野、特に救急医療麻酔科学分野で用いられる。事故を起こして大量出血した人や、急性アルコール中毒を起こしたりした人が救急車で運ばれるときに、また全身麻酔で手術を受けている患者などについて、救急隊員看護師、麻酔科医などが意識レベルという数値で評価する。
  • 意識とは、私たちが、夢を見ない眠りから覚めて、再び夢のない眠りに帰るまでの間持っている心的な性質のこと[2][3]

目次

[編集] 意識という言葉の様々な意味

意識という言葉は実に様々な意味で使われている。意識という言葉の多義性は、議論や研究の中で文脈でしばしば混乱を引き起こす。それぞれの人がそれぞれの場面で、どういう意味でもって、意識という言葉を使っているのか、その点について相互了解を持たないまま行き違いが発散していくことが多い。そうした混乱は、心理学者や神経科学者といった、専門的な肩書きを持つ人々の間でも普通に見られる。こうした問題を避けるため意識と関わる研究分野では、注意深い研究者は論文や書籍の冒頭で、私が意識という言葉を使うときそれはどういう意味か、といった説明を行うことも少なくない。

以下、意識という言葉の持つ容易に区別できるいくつかの意味を述べる[4]。この区分は必ずしも相互排他的な分類ではなく、相互に重複や関連を持った区分である。こうした区分の仕方は研究者によって、とりわけ哲学的な立場によってまちまちで、統一された見解はない。この項では混同されやすい意味の区分を述べるに留めて哲学的な議論の詳細には立ち入らない。

[編集] 覚醒

まず一つ目の意味は起きている、覚醒している、という意味である。これは睡眠失神昏睡または死亡、という状態にない、という事を意味する。この意味での用例をあげるとたとえば「柔道で、絞め技をかけられて我慢してたら、意識を失ってしまった」とか「交通事故のあとずっと昏睡状態だった人の意識が、今朝やっと戻った」などがある。この意味での意識は、意識がある、意識がない、といった形で表現される。この意味での意識は、creature consciousness (クリーチャー・コンシャスネス、生物意識・被造物意識)と呼ばれることもある。また、この意味での意識は目的語を取らずに表現されるため intransitive consciousness (イントランジッティブ・コンシャスネス、自動詞的意識)と呼ばれることもある。

[編集] 気づいていること・自覚的であること・注意を向けていること

詳細は「アウェアネス」、「注意」をそれぞれ参照

次の意味として、気づいている、または知っている、注意を向けている、といった意味がある。たとえば今あなたがこの文章を室内で呼んでいるとしたら、エアコンの稼動音、パソコンのファンのうなり、冷蔵庫が動く音、蛍光灯の音、窓に吹き付ける風の音、外を通過する車の音等々、何らかの音が常に鳴っていると思われる。しかしそうしたことは恐らく今言われてみて気づいただろうが、それまでは特に考えていなかったと思われる。こうしたとき「たしかに色々な音がなっているね。でも今まで特に意識していなかった」などと言う。こうした用法が「意識」という言葉にはある。他にも例を挙げると、あなたはこの文章を読んでいる間、何度も瞬きをしている(人間はおよそ数秒ごとに一回、目を閉じる動作を繰り返す)。これも言われてみばそうだと思うかもしれないが、しかし言われるまでは恐らくそうしたことは考えていなかったはずである。こうしたときも「たしかに瞬きはしている。でも普段は特に意識していないね」などと言う。意識する、意識しない、という言葉でこうしたことが表現されている。

[編集] 自意識

詳細は「自意識」、「メタ認知」をそれぞれ参照

上の意味と似ているが、自分がいるということに気づいていること、または自分がいるということを知っていること、を「意識がある」と表現することがある。これは自意識とも言われる。ヒトは成長の過程で自己の存在に気づくようになるが、これは、自我の芽生え、とも言われる。こうした側面と関わる実験は心理学の分野で多い。発達心理学をはじめ、比較心理学における鏡像自己認知の研究などがある。鏡像自己認知とは、鏡を見てそこに映った自分の像を自分だと理解できること、を指す。この鏡像自己認知が、ネコはできるか、ゾウはできるか、チンパンジーはできるか、イルカはできるか、といったことが調べられている。

また、自分自身の心的な状態などを把握すること、たとえば「自分は今機嫌が悪い」「自分は今○○をしたいと思っている」といったことを知ることができること、を「意識がある」と表現することがある。こうした自己の心的状態についての把握する行為は、メタ認知とも言われる。

[編集] 主観的経験、現象的な質

詳細は「現象意識」、「クオリア」をそれぞれ参照

意識という言葉のもつもうひとつの意味は主観的な経験、現象的な質である。この意味での意識は、もっとも広い関心を集めており、非常に激しい哲学上の議論が交わされている部分である。しかしこの意味での意識はハッキリと定義することが難しく、ときに「それはただ指すことしかできない」、「直示的に定義することしかできない」ということが言われることもある。とりあえず主観的な経験という意味での意識の定義で最も有名なものは、ユーゴスラビア出身のアメリカの哲学者トマス・ネーゲルによって提出された次の定義である。

  • 意識があるとは、それであるとはどのようなことであるか、という何ものかがあることである。[5]

この定義はこのままでは暗号めいているため、いくつか例を出して説明する。まずひとつめで。「タンスの角に小指をぶつけた人である、とは一体どのようなことか」。もしあなたが同じような経験したことがあるなら何となく分かるだろうが、こうした人は、足先に突如訪れた激しい痛み、そしてどこにぶつけていいのか分からないやり場のない怒り、などを経験している。二つ目。「お祭りの場でニコニコしながらチョコレート味のアイスクリームを食べている子供である、とは一体どのようなことか」。これも似たような場面を経験したことがあるなら何となく分かるであろうが、こうした子供は、お祭りの場にともなう高揚感、そして口の中に広がる甘い感じ、などを体験している。ではここで問題である。「中にガソリンを詰められたドラム缶である、とはどのようことか」。これはおかしな質問であり、多くの人は次のように思うだろう。ドラム缶はただのモノであり、何かを感じるとか、そういう類のものではないと。つまり、そういったドラム缶であるとはどのようなことか、と言えるような何ものかはない、と。ネーゲルの意識の定義は、こうしたことを意味している。

このネーゲルの意味と関連の深い用法として、主観的な経験の中に現れるそれぞれの質のことを「意識」という言葉で表現することがある。これは普通、クオリア、感覚質などといわれ、一般にいくつもの例を挙げる形で枚挙的に定義される。

[編集] 実体としての意識

詳細は「実体二元論」を参照

もうひとつの意味として、意識はしばしば心霊主義的な霊魂の同義語のような形で使われる。こうした用例としてたとえば「意識が肉体から抜け出して幽体離脱体外離脱)した」といったものが挙げられる。こうした考え方、体と独立に心的実体があるという考え方は、哲学の世界では心身二元論、実体二元論などと呼ばれているが、科学者の中にも哲学者の中にも、この考え方を支持している人はほとんどいない。

[編集] 他の用法

以上で述べた意味は、心や脳とかかわる研究者たちの間で使用されるいくつかの意味である。しかしこれらとは異なる意味での使用も、日常の中ではいくつか見られる。

[編集] 考え方・捉え方

これは主に日本語圏での用法だが、ある物事について十分な関心を払っている、考え方や取り組みかたについて努力が行われている、といったことを表すのに、意識が高い(または低い)、といった言い方をする。たとえば公害や廃棄物などの問題についてよく勉強していて様々な行動や対策を行っている個人や集団を、環境問題についての意識が高い、などと表現する。こうした用法は遵法意識、コスト意識、プロ意識、意識調査、意識改革、など様々な形で見られる。

[編集] 知性

詳細は「知性」を参照

意識という語は知性の意味と混同されることがある。しかし心や脳と直接かかわる分野の現代の研究者がこうした意味で「意識」という語を使用することはまずほとんどない。

[編集] 自由意志

詳細は「自由意志」を参照

意識という語は自由意志の意味と混同されることがある。しかし心や脳と直接かかわる分野の現代の研究者がこうした意味で「意識」という語を使用することはまずほとんどない。

[編集] 医療・救急分野における意識

[編集] 意識の性質

意識の構成には「清明度」、「広がり」、「質的」の三つの要素が存在するが、このうち一般的に意識障害というと「清明度」の低下についてを指す。[要出典]「広がり」の低下(意識の狭窄)は催眠であり、「質的」の変化(意識変容)はせん妄もうろう等を指す。

[編集] 意識・無意識

  • 意識の働きが活性化し、五感に対する刺激を感じ取ることが可能な状態である。
    • 「意識がある」とは、脳において刺激を認識することが可能であり、刺激に対し明確な反応を示す状態を指す。
  • 無意識は五感に対する刺激がで感じ取られず、刺激を認識していない状態である。刺激に対する反応が部分的な状態である。
    • 「意識がない」とは、脳の働きが部分的に停止し、刺激の入力を拒否した状態である。
    • 「気を失う」とは、過剰な刺激に対しショックを受け、脳の働きが停止した状態である。

[編集] 意識レベル

医療の現場に於いては、意識の状態・反応に応じて「意識レベル」で表示する。救急医療では、バイタルサインの重要項目の一つとして先ず疾病者等の意識を確認して「意識レベル」の判定を行う。

「意識レベル」はGlasgow Coma ScaleJapan Coma Scaleによって数値化して評価される。


[編集] 哲学における意識

中世において、意識はほとんど良心と同義であり、現在我々が知る心的現象一般としての意識という概念はなかった。

意識や心の構造が問われるようになるのは、17世紀以降である。近世前期の哲学において、意識はもっぱら思惟を典型とする認識と表象の能力として扱われたといってよく、ただしこの認識能力は感情や感覚を含むものであった。ルネ・デカルト: Je pense,donc je suis我思う、ゆえに我あり メルセンヌ神父によるラテン語訳: Cogito ergo sum)などの方法論的懐疑により、後世に主観的でありしかもなお明証性をもつ: Cogitoと表現される認識論存在論を展開した。デカルトは世界を「思惟」と「延長」から把握し、思惟の能動性としての認識と受動性としての情念をそれぞれ主題化した。

ゴットフリート・ライプニッツにおいては、全表象能力はおのおの明晰さの度を持ち、もっとも完全な認識である悟性が神を直観的に認識するほか、理性は合理的推論を判明に、感性は感覚的把握を明晰に行うとされた。ライプニッツの影響を受けたクリスティアン・ヴォルフは、「意識」の語をドイツ語: Bewusstsein (字義通りには「知られている状態」)と造語し名づけた。イマヌエル・カントは、Cogitoを「純粋統覚」(reine Apperzeption)とみなし、すべての悟性的認識の根源であるとしたが、意識そのものの主題化には向かわず、各認識能力の身分と能力についての考察をその批判において展開した。

意識がドイツ哲学において全面的に主題化されるのはドイツ観念論においてである。ヨハン・ゴットリープ・フィヒテは、デカルトやカントが cogito/Ich denke から遡行的に知られるとした "ich bin" 我あり、をデカルトにおいてそうであったような個我の自己認識から、カントが主題化した超越論的認識能力の原理へ拡大し、": das Ich"(日本語訳 自我)と呼び、その働きを定式化した。ここでdas Ichとは意識の能力にほかならない。つまり、そのようなdas Ichは、自己自身を真正の対象とする活動、すなわち(: Tathandlung(日本語訳 事行=自己を認識する活動である)と把握され、この自らを客観(対象)とする認識主観としての自我を自己意識と呼ぶ。フィヒテのほか、フリードリヒ・シェリングゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲルらが自己意識を哲学の問題として取り上げた。シェリングは、対象化された自己意識を」: Unbewusstsein(意識でないもの)、: Bewusstlosigkeit(意識を欠いた状態)(日本語訳「無意識」)と名づけた。ユングはシェリングが無意識の発見者であると指摘している。ドイツ圏における意識についての研究は1780年代から1810年頃まで盛んに行われたが、その後は存在論的哲学に再び座を譲った。

[編集] 心理学における意識

[編集] 19世紀の心理学における意識

19世紀中葉のヨーロッパでは、哲学から心理学が分科した。ヴィルヘルム・ヴントは意識という概念を中心に心理学を組み立てようとした。意識は自分の感ずる「感覚」「感情」「観念」に分けられる。この3つの意識を自分自身が感じたままに観ることを内観法(ないかんほう)という。

[編集] 行動主義心理学における意識

行動主義心理学では、意識という概念を用いずに、刺激と反応という図式で人間の行動を理解しようとする。

[編集] 関連項目

[編集] 精神分析学における意識

精神分析学では人間の心を、意識前意識無意識の3つに分ける。

自分で現在認識している内容を意識という。つまり、我々が直接的に心の現象として経験していること、これは私の経験だと感じることのできることを総体的に意識という。意識は短期記憶作動記憶と関係がある[要出典]、ともされる。

自分で現在認識していないが、努力すれば思い出すことができる内容を前意識という。前意識は長期記憶と関係がある[要出典]ともされる。

自分で現在認識しておらず、努力しても思い出せない内容を無意識という。精神分析学では通常の方法では思い出せない無意識下にあるものを、自由連想法などを用いて意識に持ってゆくことで無意識を理解しようとした。

[編集] 認知科学・人工知能における意識

認知科学人工知能の分野では、人間が人工知能に質問などをして、その人工知能があたかも人のように反応し、人から見て人と何ら区別がつかなければ、それをもってしてその存在は知能あるいは意識を持っていると見なしていいのではないか、とアラン・チューリングが提案した(チューリング・テスト)。

[編集] 関連項目

[編集] 心の哲学

詳細は「心の哲学」を参照

現代の心の哲学でも意識は扱われている。実に様々な説・主張がある。詳しくは同項目を参照のこと。

[編集] 関連項目

[編集] プロトサイエンス疑似科学などにおける意識

探求者の立場により定義、内容もさまざまで、大胆な仮説が多く、議論が分かれているのが現状である。

自分が慣れ親しんだ諸理論や学問上のツールを、なかば強引に流用して意識の理論を構築しようと試みている研究者なども存在する。(究極の一要素にこだわる還元主義的な発想に陥っているもの、数式や方程式で表現することにこだわるものなど)

また、一部では、心の哲学における細かい論点に対する科学の分野における議論が未熟であること、意識そのものの捉え方が研究者ごとに大きく異なり曖昧になっていることなどを問題視・疑問視する声もある。今後は、従来の分野の域を超えた学際的な議論が期待される。

以下に、意識の仕組みを解明しようとしている仮説提唱者の一部を示す。    

ロジャー・ペンローズ
微小管のコンピューターグラフィックス
理論物理学者、現在オックスフォード大学教授。「ペンローズの量子脳理論」「ペンローズの量子脳仮説」などと呼ばれる意識に関する独自の仮説を提唱しており、「脳内の神経細胞にある微小管で、波動関数が収縮すると、意識が生起する」としている。微小管とは細胞骨格の一種で、細胞の構造を維持する役割を担っているタンパク質の複合体である。微小管が採用された背景には、脳内の広い範囲で、ある程度の時間量子力学的な重ね合わせ状態を維持できそうな構造物が他に見当たらなかったためだという理由がある。このペンローズの量子脳理論は三つの大きな仮定の上に組み立てられている。ひとつは「人間の思考はチューリングマシンの動作には還元できない」という仮定、もうひとつは「波動関数の収縮はチューリングマシンで計算することが不可能な、実在的物理プロセスである」という仮定、そして最後は「量子論相対論を理論的に統合することで、意識の問題も同時に解決される」という仮定である。これら個々の仮定はどれも、科学者コミュニティーの間で一般的に受け入れられているものではないが、それらを更に一つの理論として結びつけたのが、ペンローズの量子脳理論である。こうした憶測の上に憶測を重ねて構成された仮説であるため、内容の正しさについては一般的に懐疑の眼で見られている。ただ、著名な理論物理学者ペンローズによって提唱された仮説という事もあり、知名度は高い。また、ペンローズの仮説の詳細を良く理解しないまま、疑似科学的な主張に都合良く利用されているケースもある。
茂木健一郎
脳科学者、現在Sony CSL上級研究員。基本的な立場としてはデイヴィッド・チャーマーズと同じ路線を歩んでおり、クオリアまでをも含んだ全ての現象を扱いうる「拡張された物理学」を志向している。茂木の著書「クオリア入門」も「心も自然法則の一部である」という表題から始められており、「意識のほんとうの科学を目指す」という自身の方向性をはっきりと明示している。また茂木は「脳内でのニューロンの時空間的な発火パターンに対応してクオリアが生起している」という独自の作業仮説をとり、そこからクオリアが持つ(であろう)何らかの数学的構造を見つけることが出来るのではないか、として研究を行っている。具体的には発火しているニューロンの時間的・空間的パターンをミンコフスキー空間内で幾何学的または位相幾何学グラフ理論的に抽象化し、そこに群論的な数学的構造を見出そうとしている[要出典]、ともされる。
前野隆司
工学者、現在慶應義塾大学機械工学科教授。専門はロボティクス。前野はロボットに人間と同等の機能をもたせるようプログラミングする、といういわゆる人工知能の問題を追いかけている途上で、意識に関する仮説「受動意識仮説」を見出し、提唱している。工学者の前野らしく、意識についてかなり工学的な議論を展開する。
中田力
脳科学者。脳にはニューロンネットワーク以外の機能構造があるとし、グリア細胞に存在するアクアポリン4を介した水分子のクラスター形成によってランダムなニューロンの発火、つまり覚醒がおこるとする仮説を展開している。[6]

[編集] 神経科学者などによる意識の探求

神経科学などを専門としている医学関係者による意識の探求は、人間(あるいは患者)の事例・症例を多数踏まえ、脳の解剖や神経組織の観察・実験などから意識現象と物理的な要素をすり合わせ的に検証している。

研究者としては例えばジョゼフ・ルドゥーアントニオ・ダマシオベンジャミン・リベットなどが挙げられる。

最新の成果からは、意識は行動に先んじない(つまり後追いする)という事が確認されており、この事から「意識とは自分の現状をモニター(監視)する機能である」と結論付けられつつある。 つまり意識はモニター監視した結果をフィードバックする事で、その後の行動に反映するという形で間接的に行動を制御は出来るが、その瞬間瞬間に行動を直接的に制御しているのではない、といったことである。[要出典]

クリストフ・コッホ
フランシス・クリックとともに、科学が意識の問題に挑む第一歩として、「意識と相関する脳活動(NCC)」を神経科学の実験により追求していくことが得策であるとして具体的な研究手法を提案した。意識の機能を脳活動と対応づけていくことが着実な進展につながると考えている。意識の機能として将来の行動のプラニングが重要であることから、前頭葉に直接投射のある脳部位の活動がNCCの一部となっていると考えており、解剖的に前頭葉へ投射していない一次視覚野の活動は直接意識に上らないという「V1仮説」を提唱している。その他にも、意識に関して理論的考察から、「非意識ホムンクルス」などの概念も提唱している。クオリアは計画モジュールなどの一歩手前のニューロン連合からつくられると考えている。これはレイ・ジャッケンドフの「意識の中間レベル理論」に準拠し、意識の内容は常に知覚の形式をとると主張している。一方、より抽象的な「思考」などは非意識に遂行されると考えられる。現在カリフォルニア工科大学教授。
ジェラルド・エーデルマンジュリオ・トノーニ
ダイナミック・コア仮説を展開する。

[編集] 関連項目

[編集] 人物

[編集] 脚注

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  1. ^ G.Bryan Young ら(編), 井上聖啓ら(訳) 『昏睡と意識障害』
  2. ^ Steven Laureysら(編) "The Neurology of Consciousness: Cognitive Neuroscience and Neuropathology"
  3. ^ 「意識は科学に残された最大の未解決問題のひとつだ」といった表現、または「~などと言う人がいるが、私はそうは思わない」といった表現は、1990年代ごろから多くの文献で見られるようになる。サイエンティフィック・アメリカンに掲載された、クリストフ・コッホとスーザン・グリーンフィールドの議論なども参照せよ。Koch, C, and Greenfield, S, (2007) How Does Consciousness Happen? Scientific American (Online PDF)
  4. ^ ここでは非常に簡単な区分しか示さない。より詳細な議論については、たとえば哲学分野での議論を反映した文献として、スタンフォード哲学事典の記事、Van Gulick, Robert, "Consciousness", The Stanford Encyclopedia of Philosophy (Spring 2009 Edition), Edward N. Zalta (ed.) がある。また「意識」という概念について分析を行っている様々な論文を、PhilPapersというサイトがリストしている。こちらも参照のこと。(文献リスト)「The Concept of Consciousness」 - 「意識の概念」について論じた文献のリスト。(英語)
  5. ^ Thomas Nagel (1974). "What is It Like to Be a Bat?" Philosophical Review 83 (October):435-50 (Online PDF) この論文は邦訳がある。永井均訳、『コウモリであるとはどのようなことか』、勁草書房、1989年、ISBN 4326152222 。PhilPapersにネーゲルのこの What it is like の用法と関連した論文をリストしているカテゴリがある。そちらも参照のこと。(文献リスト)「What is it Like?」 - 「○○であるとはどのようなことか」について論じた文献のリスト。サイトPhilPapersより(英語)
  6. ^ 中田力『脳のなかの水分子』意識が創られるとき 紀伊國屋書店 ISBN 4314010118

[編集] 参考文献

  • David Rosenthal. "Concepts and Definitions of Consciousness". In P W. Banks (ed.), Encyclopedia of Consciousness. Elsevier. ISBN 0123738644
    • エルゼビアから出版されている意識百科事典の「意識」の項目。前半部分が意識の様々な意味の解説となっており、後半部分が高階思考説の解説となっている。
  • G.Bryan Young (編), Charles F. Bolton (編), Allan H. Ropper (編), 井上 聖啓 (訳), 堤 晴彦 (訳), 有賀 徹 (訳) 『昏睡と意識障害』 メディカル・サイエンス・インターナショナル 2001年 ISBN 4895922634
    • 医療分野の本。昏睡や意識障害をもたらす様々な症例について、診断、治療のための情報・指針などが書かれている。
  • Steven Laureys (編), Giulio Tononi (編) "The Neurology of Consciousness: Cognitive Neuroscience and Neuropathology" Academic Press (2008) ISBN 0123741688
    • 科学的な意味での意識の研究に関する論文集。

[編集] 関連書

[編集] 外部リンク