現象学

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現象学げんしょうがくPhänomenologie)は、哲学学問及びそれに付随する方法論を意味する。哲学史上、哲学者によって「現象学」が指し示す概念は大きく異なり、1人の哲学者においても活動時期によって概念は変遷している(フッサール)。下記に代表的な3つの「現象学」の概要を記す。

  1. G.W.F.ヘーゲル(1770~1831)が1807年に出版した著作『精神現象学』(Phänomenologie des Geistes)の中で、「現象学」は主観的意識から現象の背後にある絶対精神を把握する哲学の手引きとして示される。弁証法的現象学と呼ばれることがある。
  2. 19世紀末、心理学主義生物学主義の蔓延するヨーロッパ思想界を背景に、諸科学数学物理学)の基礎付けを行うことを目標にして、エトムント・フッサール(1859~1938)が提唱した、学問及びそれに付随する方法論を超越論的現象学transzendentale Phänomenologie)と呼ぶ。超越論的現象学では、認識論的批判に無関心な、存在(=「超越」)を自明なものとして捉える「自然的態度」を保留にした状態で、存在と「意識」との関係及び、それぞれの意味が純粋経験=志向的体験から反省的に問われる。なお、後期フッサール(1920年代以後)においては更なる深化を遂げ、前-意識的な領域(現象が現象として成立する地平)を問う発生的現象学genetische Phänomenologie)が唱えられる。
  3. マルティン・ハイデッガー(1889~1976)において、超越論的現象学は批判的に摂取され、「存在者」の「存在」を存在の明るみに出す、解釈学的な方法として用いられる。ハイデッガーの現象学は、解釈学的現象学と呼ばれることがある。

本項では、「解釈学」と共に現代ドイツ哲学の二大潮流を形成し、ハイデッガー、サルトルメルロ・ポンティデリダらに批判的に継承された「現象学」について述べる(上記では2、3項目に該当)。(ヘーゲルの精神現象学については別項精神現象学を参照)

20世紀以降の現象学の学問的潮流は「現象学運動」と呼ばれる。その後、現象学で培われた多くの概念や方法論は、20世紀末期に注目される心の哲学へと波及し、心身問題や主観的な体験であるクオリアの問題を論じるさいに参照される、重要な知的リソースの一つとなっている。

目次

[編集] フッサールの現象学

フッサールの目標は、「事象そのものへ」(Zu den Sachen selbst!)という有名な研究格率に端的に表明されている。つまり、いかなる先入観形而上学的独断にも囚われずに存在者に接近する方法をフッサールは求めたのである。その過程で、フッサールの「現象学」の概念も修正されて行った。下記においては、フッサールを活動時期によって1.前期 2.中期と 3.後期の3つに分け、各々の時期に考案された主要な概念を取り上げて叙述する。

[編集] 前期(記述的現象学)~『イデーン』前まで~

1900年前後のヨーロッパにおいては、学問が自己の整合性・論理性のみから展開していく一方で、特に数学論理学の領域で、心理学主義生物学主義的な、心理的現象から論理を基礎付けようとする思想が席巻していた。心理学主義とは、あらゆる対象の基礎を心理的な過程に基づけようとする試みである。数学の研究者から出発したフッサールの関心も、心理学から、論理数学を基礎付けようとするものであった。

フッサールは、大学で約2年間師事したブレンターノの「志向性」(Intentionalität)の概念を継承したとされる。ブレンターノにおいて、「志向性」とは「意識」が必ず相関者(対象)を指し示すこと、言い換えると「意識」とは例外無く「何かについての」意識であることを意味する。ブレンターノ自身は、志向性の概念を心理作用の分類に用いただけであったが、フッサールは、「意識」がまず存在し、その後で対象が確認されるのではなく、「意識」と相関者(対象)が常に相関関係にあるという志向性の特徴に着目した。

[編集] 純粋経験=志向的体験

[編集] 現象学的還元(超越論的還元及び形相的還元)

日常的に、私たちは、自分の存在、世界の存在を疑ったりはしない。私たちは、自分が「存在する」ことを知っているし、私の周りの世界もそこに存在していることを知っている。この自然的態度を以下の3点から特徴づけ批判する。

  1. 認識の対象の意味と存在を自明的としていること
  2. 世界の存在の不断の確信と世界関心の枠組みを、暗黙の前提としていること
  3. 世界関心への没入による、意識の本来的機能の自己忘却

このような態度の下では、人間は自らを「世界の中のひとつの存在者」として認識するにとどまり、世界と存在者自体の意味や起源を問題とすることができない。このような問題を扱うために、フッサールは世界関心を抑制し、対象に関するすべての判断や理論を禁止することで(このような態度をエポケーという)意識を純粋な理性機能として取り出す方法を提唱した。

[編集] 超越論的主観性

[編集] ノエマ/ノエシス

[編集] 後期(発生的現象学)

[編集] 生活世界

[編集] キネステーゼ(運動感覚)

[編集] ハイデッガーの解釈学的現象学

[編集] 現象学運動

1900年にフッサールの『論理学研究』が出されると、ミュンヘン大学の心理学者リップス門下のプフェンダーらの共感を呼んだ。1905年にはフッサールのゲッティンゲン大学とミュンヘン大学の間で学的交流が開始され、いわゆる「現象学運動」が開始された。1906年にはシェーラーイエナ大学からミュンヘン大学に移籍し、この運動に合流した。1913年からの『現象学年報』刊行はその一つの結実であった。この初期の、ミュンヘン大学を中心に展開した現象学運動を「ミュンヘン学派」あるいは「ミュンヘン現象学」と呼ぶ。次第にフッサールとミュンヘン学派は思想的相違から懸隔を生じさせ、1916年にフッサールがフライブルク大学へ移る頃には、その対立は決定的になっていた。

フライブルク時代のフッサールはあまり表面に出ることはなかったが、この時期に重要な作業研究に打ち込み、また多くの後継者を育成した。とくにこの「フライブルク現象学」時代に彼の後継者として現れ、現象学の存在論的発展を切り開いたのがハイデッガーである。1927年『現象学年報』誌上に発表されたハイデッガーの『存在と時間』は、現象および現象学に明確な規定を定め、さらにフッサールの、意識を純粋存在とみなす考えを批判し、実存的な人間存在である現存在の存在体制としての「世界・内・存在」構造の分析が進められた。ハイデッガーはさらに『根拠の本質について』、『形而上学とは何か』で現象学的存在論を深めたが、1930年代には方法的限界を示唆するようになった。

第二次世界大戦後、現象学はフランスに場を移して発展した。同国での現象学哲学者としては、サルトルメルロ・ポンティギュルヴィッチなどがいる。

[編集] 現象学者及び現象学に影響を与えた理論家

[編集] 日本の関連人物

[編集] 参考文献

  • 新田義弘『現象学と解釈学』筑摩書房<ちくま学芸文庫>、2006年 ISBN 4480090029

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク