現象学

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  1. ヘーゲルの現象学
  2. フッサールの現象学

ヘーゲル精神現象学せいしんげんしょうがく)は、単純な感覚的確信から始まり、絶対知へ至るまでの精神の弁証法的発展を叙述する学問である。

フッサールにおける超越論的現象学げんしょうがく)は、彼の継承者と批判者とによって展開され続けている哲学の一分野である。世界がすでに「ある」とする態度を棚上げ(エポケー、「判断停止」と訳される)して、そのような信念がどのようにして成立するか、そしてそのような「ある」ものとしての世界は、経験からどのように構成されるのかを探求する。エポケーとは古代ギリシアの哲学者であるピュロンにより初めて用いられた。そこでは物の本性を把握するのは不可能でありそれゆえ「判断を差し控えるべき」であるとされ、現象学に通ずるものがある。

現象学の学問的潮流は「現象学運動」と呼ばれる。19世紀末から20世紀にかけてヨーロッパ哲学の主流であった心理学主義と歴史主義への批判を出発点とする。

その後、現象学で培われた多くの概念や方法論は、二十世紀末期に勃興した心の哲学へと波及し、心身問題や主観的な体験であるクオリアの問題を論じるさいに参照される、重要な知的リソースの一つとなっている。

目次

[編集] 概要

[編集] 「精神現象学(Phänomenologie des Geistes)」(ヘーゲル)

原意は精神の現象学。ヘーゲルの哲学大系の中では、「精神現象学」とは「意識」を問題とする哲学の分野。「精神現象学」の領域における「意識」の発展を、ヘーゲルの弁証法に基づいて示せば、

  1. 意識そのもの
  2. 自己意識
  3. 理性

の3段階を示す。「意識そのもの」の段階では、「感性的意識」から「知覚」へ、そして「悟性」へと認識が深められる。次にこのような認識の主体としての「自己」が自覚され、「自己意識」が生じる。この「自己意識」と同質な意識を他者にも認めることによって、他人の「自己意識」をも認識し、単なる自我を超えた普遍的な、他者との共通性を持つ「自己」、「理性」の現れとしての「自己」を認識にするに至る。この過程が「精神現象学」である。

一方で『精神現象学』ではやや異なる広い意味での「精神現象学」が記述されており、前述の「理性」段階に至るまでの「精神現象学」に続いて、「客観的精神」「絶対的精神」をも考察の対象に含める。つまり「意識」あるいは「主観的精神」のみならず広く「精神」一般をその対象に含む。

[編集] 現象学(フッサール)

今日一般的に「現象学」と呼ばれるのは、「解釈学」と並ぶ現代ドイツ哲学の二大潮流の一つで、フッサールによって提唱されたものを指す。フッサールは従来の認識論が立っていた「意識」を自明視する態度を斥け、この態度を以下の3点から特徴づけ批判する。

  1. 認識の対象の意味と存在を自明的としていること[1]
  2. 世界の存在の不断の確信と世界関心の枠組みを、暗黙の前提としていること[2]
  3. 世界関心への没入による、意識の本来的機能の自己忘却[3]

このような態度の下では、人間は自らを「世界の中のひとつの存在者」として認識するにとどまり、世界と存在者自体の意味や起源を問題とすることができない。このような問題を扱うために、フッサールは世界関心を抑制し、対象に関するすべての判断や理論を禁止することで(このような態度をエポケーという)意識を純粋な理性機能として取り出す方法を提唱した。

[編集] 現象学の歴史

1900年にフッサールの『論理学研究』が出されると、ミュンヘン大学の心理学者リップス門下のプフェンダーらの共感を呼んだ。1905年にはフッサールのゲッティンゲン大学とミュンヘン大学の間で学的交流が開始され、いわゆる「現象学運動」が開始された。1906年にはシェーラーイエナ大学からミュンヘン大学に移籍し、この運動に合流した。1913年からの『現象学年報』刊行はその一つの結実であった。この初期の、ミュンヘン大学を中心に展開した現象学運動を「ミュンヘン学派」あるいは「ミュンヘン現象学」と呼ぶ。次第にフッサールとミュンヘン学派は思想的相違から懸隔を生じさせ、1916年にフッサールがフライブルク大学へ移る頃には、その対立は決定的になっていた。

フライブルク時代のフッサールはあまり表面に出ることはなかったが、この時期に重要な作業研究に打ち込み、また多くの後継者を育成した。とくにこの「フライブルク現象学」時代に彼の後継者として現れ、現象学の存在論的発展を切り開いたのがハイデッガーである。1927年『現象学年報』誌上に発表されたハイデッガーの『存在と時間』は、現象および現象学に明確な規定を定め、さらにフッサールの、意識を純粋存在とみなす考えを批判し、実存的な人間存在である現存在の存在体制としての「世界・内・存在」構造の分析が進められた。ハイデッガーはさらに『根拠の本質について』、『形而上学とは何か』で現象学的存在論を深めたが、1930年代には方法的限界を示唆するようになった。

第二次世界大戦後、現象学はフランスに場を移して発展した。同国での現象学哲学者としては、サルトルメルロ・ポンティギュルヴィッチなどがいる。

[編集] 代表的現象学者

[編集] 参照文献

記事執筆に当たっては以下の諸文献を参照している。

  • 新田義弘著『現象学と解釈学』ちくま学芸文庫、2006年 ISBN 4480090029
  • ハイデガー著、桑木務訳『存在と時間』上中下、1960年 ISBN 4003365119 他 [4]
  • 岩崎武雄編『世界の名著44 ヘーゲル』中公バックス、1978年 ISBN 4124006543

[編集] 脚注

  1. ^ 「わたしたちは『である』ということがなにを意味するのかを、概念的に確定することをしないで、『である』が分かっています。わたしたちは、その意味を捉えて定着させるべき視界を、ちょっとも知らないのです。このいいかげんな、あいまいな存在了解は、ひとつの事実なのです。」(ハイデガー『存在と時間』上pp.23-24)
  2. ^ 「つまり世界のなか〈に・ある〉ことは精神的な特性であり、また人間の『空間性』は、つねに同時に物体性によって『基礎づけられて』いるところの、人間の肉体性の性質である、といったことでは明らかにすることができないのです。…(中略)…というのは、現存在は、存在論的には、関心だからです。世界・内・存在は、本質的に現存在に属しているから、世界に対する現存在の存在は、本質的に配慮なのです。」(ハイデガー『存在と時間』上pp.110-112)
  3. ^ 「……しかし認識作用がさしあたりそのなかに含まれているところの内在の『内』は、実際に何を意味しているのか、そして認識作用のこの『内部存在』という存在性格が、主観の在り方にどのように基づいているか、については全く沈黙が守られています。…(中略)…ひとは認識を未解決なものと見ていることが、さらけだされるのです。」(ハイデガー『存在と時間』上pp.118-119)
  4. ^ 脚注引用もこれに基づく。

[編集] 関連項目

国内の人物

[編集] 外部リンク