意識のハード・プロブレム

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内, 検索

意識のハードプロブレム(英:Hard problem of consciousness) とは、物質及び電気的・化学的反応の集合体である脳から、どのようにして主観的な意識体験(現象意識クオリア)というものが生まれるのかという問題のこと。意識のむずかしい問題意識の難問とも訳される。オーストラリアの哲学者デイヴィド・チャーマーズによって、これからの科学が正面から立ち向かわなければならない問題として提起された[1]。対置される概念は、脳における情報処理の物理的過程を扱う意識のイージープロブレム(Easy Problem of Consciousness)である。

目次

[編集] 概要

意識のハードプロブレムは、1994年当時「意識に関する大きな問題は、もう何も残されていない」と考えていた一部の神経科学者や認知科学者、関連分野の研究者に対する批判として提示された。

当時の研究者が「解けた」と考えていたのは全て意識に関するやさしい問題ばかりであり(これを意識のイージー・プロブレムと言う)、真剣に議論されてさえいない「意識に関する本当に難しい問題」がまだ残されている、とした。それは具体的には次のような問題である。すなわち

  1. 物質としての脳の情報処理過程に付随する主観的な意識的体験クオリアというのは、そもそも一体何なのか?
  2. そしてこれら主観的な意識的体験やクオリアは、現在の物理学が提示するモデルの、どこに位置づけられるのか?

チャーマーズは現象的意識は現在の物理学の中には含まれていないとし(ゾンビ論法)、ハードプロブレムは現在の物理学の範囲内では解決不可能とする。その上で、物理学の拡張を訴えている。ハードプロブレムはこれからの科学、とりわけ物理学が、真剣に向き合っていかなければならない問題として、心の哲学心身問題自由意志の問題を議論する哲学の一分科)を中心にその詳細が議論されている。

[編集] 歴史的背景

ここでは意識のハード・プロブレムという概念が提唱されるに至った、科学史上の背景を概説する。

20世紀末ごろから、fMRIの進歩などにより、神経科学や認知科学はこれまでにないほどの急速な発展を遂げた。当然 意識に関する研究も膨大な数に上ったが、実験における技術上の制約から、物理的に観測可能な現象に関する研究以外はほとんど行われていなかった。これは当然といえば当然であり、ハードプロブレムという概念が広く知られた現在においても、この点については基本的に変化がない。しかしながら当時の問題点として、観測にかからない対象については議論をすることさえも憚られる、といった風潮があり、また、観測にかからないものは存在しないものとする、といった空気まであった。

しかし哲学の世界には、「意識」そのものを扱った一連の系譜が存在しており、カントやフッサールの現象学などに代表されるように、心的表象や現象などの概念を議論してきた長い歴史がある。これらの知識をひとつのバックボーンとして、当時の意識研究の状況を批判したのがチャーマーズであった。1994年当時、まだ駆け出しの研究者に過ぎなかった28歳のチャーマーズであったが、ハード・プロブレムの概念は大きい注目を浴び、ノーベル賞受賞者を含む各界第一線の研究者たちがこの問題について論文を寄稿した(フランシス・クリックロジャー・ペンローズダニエル・デネットコリン・マッギンフランシスコ・バレーラなど)

ハードプロブレムの概念が広く知られるにつれ、「意識」(クオリア)は哲学の問題であると同時に、科学の問題でもあるのだという認識が科学者コミュニティーの間でも徐々に広がりつつあり、実験系の研究者の間でも、「意識」(クオリア)といった観測にかからない対象についての議論がなされるようになった。これにより以前のような閉塞的な議論状況は随分と緩和された。

デイヴィッド・チャーマーズ1966年 - )。意識についての難しい問題(ハード・プロブレム)とやさしい問題(イージー・プロブレム)を区別した。

意識のハードプロブレムという言葉はチャーマーズが作った言葉の中でも最も有名なものとなった。しかしチャーマーズの意図としては、これは意識に関する問題の状況整理のために下準備的な形で提示しただけの区分であった。彼の主張の中心的な部分はそれ以降にあった(デイヴィッド・チャーマーズ#研究を参照)。チャーマーズはスーザン・ブラックモアとのインタビューの中でこの状況を次のように語っている。

スーザン・ブラックモア - さっき簡単な問題(イージー・プロブレム)とむずかしい問題(ハード・プロブレム)の話をしてたけど、たぶんこの区別のことであなたは一番有名でしょう。いまやあらゆる人が、意識についての議論を始めるときにはハード・プロブレム談義から入るわよね。そういう区分けをするようになった経緯はなんだったの?

デイヴィッド・チャーマーズ - 別にそれがさほど深遠な区別だと思ったことはないんだけどね。単に自明なことを言ってるつもりだったんだ。かつて1994年に、意識についての初のツーソン会議で論文を発表したんだけど、会議のはやい時期に壇上に上がって意識についてちょっと本質的なことを言うつもりだったんだよ。そこで「よし、それじゃまずは当たり前のことから始めよう−説明が必要なのは振る舞い(これはイージー・プロブレム)と、主観的体験(これはハード・プロブレム)だ」。さてこれは、もっと深遠なことを言うための入り口でしかないはずだったんだ。
ところがご存じのとおり、みんなが覚えているのはその冒頭の五分間だけだ。たぶん、分野として問題にお手軽なレッテルがあると便利だったんだろうね。何も深遠なことや独創的なことを付け加えたつもりはないんだ。だって意識について本気で考えた人ならだれでも、主観的体験の問題がむずかしい問題なのは知ってるし、それも何百年も前からわかってたことでしょ。

スーザン・ブラックモア[著] 『「意識」を語る』(2005年)、 山形浩生/守岡桜[訳](2009年) pp. 50-51 より ISBN 978-4757160170

[編集] 前史

チャーマーズの言うとおり、この問題は様々な哲学者・科学者が言及してきた歴史的に有名な問題である。歴史的に古い例としては、古代ギリシャの哲学者で原子論を唱えたことで知られるデモクリトス紀元前460年頃-紀元前370年頃)による言及がある。

表面上は色がある、表面上は甘味がある、表面上はにが味がある、しかし実のところ原子と空虚あるのみ

デモクリトス

が感じられるけれども、あるのは原子とその隙間(原子のない空虚)のみだと述べた。

しばしば引き合いに出される有名なものとしては17世紀のイギリスの哲学者ジョン・ロック1632年 - 1704年)による一次性質(Primary qualities)と二次性質(Secondary qualities)の区別がある(Primary/secondary quality distinction)。以下、『人間知性論』より。

ジョン・ロック1632年 - 1704年)。「一次性質(物体の寸法・形・運動)」と「二次性質(色・味・音)」の間につながりが見出せない事を述べた。

およそ一つの物体の寸法・形・運動がもう一つの物体の寸法・形・運動にある変化を生むだろうということ、これは私たちの想念を越えない。〔いいかえれば、想うことができる。また、〕一つの物体の部分の、もう一つの物体の侵入に基づく分離、衝撃にもとづく静止から運動への変化、これらや似よったことは相互にある結合をもつように、私たちには想われる。で、かりにもし物体のこうした一次性質を知ったとしたら、物体相互のそうした作用についてもっとたくさんしることができただろうと、そう希望するのも道理といえただろう。が、私たちの心は物体のこういう一次性質とその一次性質によって私たちのうちに産みだされる感覚との間になんの結合も発見できない。したがって、たとえ二次性質を直接産むような〔物体の〕不可視な部分の寸法・形・運動を発見できたとしても、私たちは、ある二次性質の〔一次性質からの〕帰結いいかえれば〔一次性質との〕共存〔ないし必然的結合〕について絶対確実で疑いえない規則を確立できるはずがけっしてないのである。

私たちは、〔ある物体の〕部分のどんな形・寸法・運動が〔たとえば〕ある黄の色・ある甘い味・ある鋭い音を産むかを知るどころではない。したがって、ある分子のある形・寸法・運動が、どんな色・味・音であれ、ある色・味・音の観念をどのようにして私たちのうちにかりにも産めるか、けっして想念できない。分子の寸法などと色などの観念との間には、想念できる結合がないのである。

ジョン・ロック人間知性論』(1690年)、大槻春彦[訳](1977年)第四巻 p. 43 より ISBN 978-4003400746

近年の有名な科学者であると、たとえば量子力学の基礎方程式であるシュレディンガー方程式を発見したオーストリア出身の理論物理学者エルヴィン・シュレディンガー1887年 - 1961年)がこの問題について語っている。以下、『精神と物質』の最終章より。

この最後の章で私は、かの著名なアブデラのデモクリトスの断片のなかで指摘された、まことに奇妙な事実について少し詳しく述べることにしましょう-奇妙な事実と申しますのは、日常生活で得た身のまわりの世界に関する知識も、実験室で苦心さんたんして行った実験によって提供された知識も、すべて直接の感覚に依存しているのですが、他方このような知識は、外界と知覚との関係を明らかにしてはおりませんので、自然科学の発見によってよたらされた外界に関する描像やモデルには、感覚的性質がまったくかけているということなのであります。

私の信じますところ、この主張の最初の部分は、あなた方すべてが容易にお認めになるでしょうが、あとの半分はおそらくそれほど多くの人が認めるものではないでしょう。その理由は単純なことです。科学者でない人は概して、科学に対して絶大な敬意を表するものなのでして、その「とてつもなく精巧な方法」によって科学者が、人類に不明なことがらや、これからさきにも明らかにできそうにないことがらまでも解明できると信じているからであります。

観察されたことがらは、常に感覚的な性質に依存しているものですから、理論はこのような感覚的性質を説明してくれると安易に考えてしまうのです。しかしながら、理論は決して感覚的性質を説明するものではありません。

エルヴィン・シュレディンガー 『精神と物質』「第六章:感覚的性質の不思議」(1958年)、中村量空[訳](1987年ISBN 4-87502-305-7

[編集] 解説

あなたが車を運転しながら物思いに耽っていたとする。ビュンビュン飛ばしていたところ、交差点の直前で信号が赤だったことに気がつき、恐怖をともなった驚きを感じる。その瞬間の状況を描いたのが上の図だと考えてほしい。
赤信号から出た光は、あなたの網膜で化学反応を起こし、神経細胞興奮させる。その興奮は視神経を通って、視覚野入力される。脳内の各部位で一連の神経細胞が発火したあと、運動神経への出力が足の筋肉を収縮させ、ブレーキを踏みこませる。また交感神経への出力心臓の動悸をはやめ、発汗を引き起こす。これら一連の現象は全て、脳内で起こる物理的・化学的・電気的反応の問題であり、これらのメカニズムを研究することは、イージープロブレムに位置づけられる。しかしこれが全てではない。赤信号の赤い感じ、突然訪れた恐怖、「ハッ」とした驚きの感覚、それら様々なクオリアとはそもそも何なのか、物理的・化学的・電気的反応からいかなる因果関係によって生じるのかについての研究は、意識のハードプロブレムに位置づけされる。
意識の難しい問題

ハード・プロブレムとは 主観的な意識体験(クオリア)とは何なのか、それは脳の物理的・化学的・電気的反応とどのような関係にあるのか、またどのようにして発生するのかという問題を指す(左図の上向き矢印で表現されている部分がハード・プロブレムである)。 意識のハードプロブレムは「物質としての脳がなぜ心を持つのか(心的機能を発揮できるのか)」といったぼんやりした問題ではなく、より限定された形の問い、「物質としての脳がなぜ主観的な意識体験を持つのか」という狭い形の問いである。

意識のやさしい問題

これに対してイージー・プロブレム(easy problem)とは、 物質としての脳はどのように情報を処理しているのか、という形の一連の問題を指す(イージー・プロブレムにおいては、上向き矢印で表現されている部分は扱われない)。医学、脳科学、生物学の分野で現在なされている研究というのは基本的にイージー・プロブレムについてである。

21世紀初頭現在もには未解明の問題が多数あるが、そのほとんどはこの区分の中ではイージープロブレムに分類される。たとえば「なぜ物質としての脳が、思考したり記憶したり判断したりできるのか」というのはすべてイージーな問題である。脳内にある何らかの神経回路、シナプスの状態、化学物質の状態などが、結果として思考、記憶、判断といった心的機能を可能としているであろうことは基本的に疑問の余地はない。そしてこうした問題を科学的に研究するにあたって方法論的な困難はない。この方法論的な困難がないという意味において、脳の物理的な過程の研究はイージーな問題であると分類される。



[編集] 意識の超難問

チャーマーズの意識のハードプロブレムという名称を受け、人工知能研究者のティム・ロバーツは主観性と関わるある問題を意識の超難問(いしきのちょうなんもん、英:Harder problem of consciousness)と呼んでいる[2][3]

ティム・ロバーツの言う意識の超難問とは「私はなぜこの私なのか」という問題。過去、現在、未来、世界に数多くの人がいて、それぞれが日々 色々なことを体験して生活するが、しかしなぜあなたは他の誰でもなく今のそのあなたの体験をしているのか、という問題。意識のハードプロブレム(物質からなぜ主観的体験が生まれるのかという問題)と別の、より難しい問題だろうとしてこの名とされた[4]

ネド・ブロックは2002年に別の問題を Harder problem of consciousness という名前で提起している[5]。 

日本では永井均がほぼ同様の問題を彼らより以前から提起している。   

[編集] 関連記事

[編集] 脚注

  1. ^ Chalmers, David J. (1995) "Facing Up to the Problem of Consciousness(PDF)". Journal of Consciousness Studies 2(3):pp. 200-219.
  2. ^ 三浦俊彦「意識の超難問」の論理分析(PDF)科学哲学, Vol. 35 (2002) No. 2 pp.69-81
  3. ^ 榛葉 豊 「多世界論と「わたくし」の謎(PDF)」 最終閲覧日 2011年3月21日
  4. ^ Roberts, Tim S "The even harder problem of consciousness(PDF)", NeuroQuantology, vol. 5, no. 2, (2007) pp. 214-221.
  5. ^ Ned Block "The Harder Problem of Consciousness(PDF)" The Journal of Philosophy,. XCIX, 8, (2002) pp.391-425.

[編集] 参考文献

  • チャーマーズが初めてハードプロブレムの概念を発表したカンファレンス。サイトでは当時の発表の音声テープを20ドルで買える。
    • "Toward a Scientific basis for consciousness" Sponsored by The University of Arizona April 12 - 17, 1994 Tucson, Arizona サイト
  • チャーマーズがハード・プロブレムについて論じた初めての論文
    "Facing up〜"に対して寄せられた様々な批判に答える形で出されたのが"Moving forward〜"
    • Chalmers, David J. (1995) "Facing Up to the Problem of Consciousness". Journal of Consciousness Studies 2(3):pp. 200-219. pdf
    • Chalmers, David J. (1997). "Moving Forward on the Problem of Consciousness". Journal of Consciousness Studies, 4, pp. 3--46. pdf
  • デイヴィッド・J・チャーマーズ著, 林 一訳 「意識する心」 白揚社 2001 ISBN 4-8269-0106-2

[編集] 文献

[編集] 外部リンク

個人用ツール
名前空間

変種
操作
案内
ヘルプ
ツールボックス
他の言語