自己認識

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自己認識(じこにんしき)は、自分が存在すると言う理解である。さらに、それは、他の人々が同様に自己認識するという理解を含んでも良い。自意識は、それが必ずしも顕在しているとは限らず、また、後になってから捜し求められることのない点でユニークなタイプの意識である。認識論の観念では、自意識は自分の同一性のまさに核心についての個人的な理解である。ジャン=ポール・サルトルは自意識について、それが特定の任意の場所から生じるものではないゆえに、「位置的でない」と述べた。自意識は責任能力や実直さの様な人間の特性の根拠である。あるものが既存の自己に関して完全に忘れている間に、あるものが一定の自己モニタリングにいるように、自意識はさまざまな程度で人々に影響する。

自意識と対比された自己認識[編集]

意識それ自体への人間の理解がなお貧弱であるのと同じくらい、自己認識への理解もまた貧弱である。

自分を分析する能力は、心理学者の間では、中期幼年期まで開発されず、恐らく動物の中でもほんの少数のにしかないと、広く信じられている。自意識を有するや否やを調べるテストは以下の様なものである。対象の額に鮮やかなドットを塗り、次に、鏡の前に対象を置く。対象が自分の額からドットをとろうと手を伸ばした場合、対象は自己認識によって自分の存在をはっきり理解しているといえる。

禅宗信者苦痛は、普遍の実体である自己の狭い概念に確固として伴うことに起因する否定的な結果を識別する。哲学者ルートヴィヒ・フォイエルバッハの宗教に関する理論は、自意識へのヘーゲル学派の観念に由来する主観の投影に基づいた。

自意識」という用語は、日常の使用では異なる意味を持っている。すなわち、自分がどのように他のものには見えているのかを、心配したり懸念したりすることである。

自意識を強く感じている場合、その人は自分のアクションのもっとも小さなものさえをあまりにも用心深く慎重に進めることがありうる。たとえば、ピアノ奏者は「息がつまり」、自信を失うかもしれないし、聴衆の存在に気づいた場合には演奏を執り行う能力を失うかもしれない。

関連書[編集]

関連項目[編集]

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