心身問題
心身問題(しんしんもんだい)とは哲学の伝統的な問題の一つで、人間の心と体の関係についての考察である。この問題はプラトンの「霊―肉二元論」にその起源を求めることも可能ではあるが、デカルトの『情念論』(1649年)にて、いわゆる心身二元論を提示したことが心身問題にとって大きなモメントとなった。現在では心身問題は、認知科学・神経科学・理論物理学・コンピューターサイエンスといった科学的な知識を前提とした形で語られている。そうした科学的な立場からの議論は、哲学の一分科である心の哲学を中心に行われている。
本稿では、デカルトの時代における心身問題の議論から、心の哲学による科学的な心身問題の議論に至るまでの、大きな流れを記述する。
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デカルトの心身二元論 [編集]
デカルトは心を「私は考える」 (cogito) すなわち意識として捉え、自由意志をもつものとした。一方、身体は機械的運動を行うものとし、かつ両者はそれぞれ独立した実体であるとした。ただし、このことは心と身体に交流がないことを意味しない。デカルトは精神と脳の最奥部にある(とされた)松果腺や動物精気、血液などを介して精神と身体とは相互作用すると主張している[1]。
機械論・唯物論の見地 [編集]
デカルトによる生命の機械論的解釈をさらに徹底化させたラ・メトリー(1709年 - 1751年)ら機械論や唯物論の見地に立てば、感情などの心の現象も生物学・化学的な作用であるため、心と体という分離自体がナンセンスである――なぜなら、「心」は「体」の脳の機能によって発生したものである以上、心は独立した実体などではなく、脳によって作り出されたものであるから――とされる。
スピノザの心身論 [編集]
カントの心身論――自由と必然性の二律背反より [編集]
カントは『純粋理性批判』の「純粋理性の二律背反」において、意志の自由と必然性のアンチノミーをあげている。これは心身問題を直接扱ったものではないが、心身論のもう一つの側面である自由と必然性の問題に焦点を当てていることから、広い意味での「心身論」に含める場合もある。
現代哲学における心身論 [編集]
心身問題から心脳問題へ [編集]
主に英米系の哲学においては、心身問題は心と体の問題ではなく心と脳の関係で論じられている。心脳問題として捉える立場には、機械論的唯物論に近い心脳同一説(あるいは精神物理的一元論、D・M・アームストロングなど)から精神の非物質性を擁護する創発主義的唯物論(M・ブンケ)まで、多くの理論や考察がある。
これらは認知科学、脳科学などの成果を基礎としたものであり、心の発生・作用における中枢神経系の機能を哲学に組み込んだものとして評価される一方、脳に帰すことのできない身体独自の機能を切り捨てた議論であるという批判も多い。
日本の哲学者たちの心身問題 [編集]
現代日本において、心身論を扱ってきた哲学者としては市川浩、大森荘蔵、坂本百大、廣松渉らがいる。また、2001年には唯物論研究協会が学術誌『唯物論研究年誌第6号』において「こころとからだ」というタイトルで心身問題についての特集を組んだ。
脚注 [編集]
- ^ Descartes, R. (1641) Meditations on First Philosophy, in The Philosophical Writings of René Descartes, trans. by J. Cottingham, R. Stoothoff and D. Murdoch, Cambridge: Cambridge University Press, 1984, vol. 2, pp. 1-62.
外部リンク [編集]
- (百科事典)「Mind-Body Problem」 - スカラーペディアにある心身問題についての項目(英語)
- (文献リスト)「Mind-Body Problem, General」 - 「心身問題」について論じた文献のリスト。サイトPhilPapersより。(英語)
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