仙台空港
仙台空港 Sendai Airport | |||||||||||||
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IATA: SDJ - ICAO: RJSS | |||||||||||||
概要 | |||||||||||||
国・地域 |
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所在地 | 宮城県名取市 | ||||||||||||
種類 | 商業 | ||||||||||||
運営者 | 国土交通大臣 | ||||||||||||
標高 | 5 m (16.4 ft) | ||||||||||||
座標 | 北緯38度8分13秒 東経140度55分21秒 / 北緯38.13694度 東経140.92250度座標: 北緯38度8分13秒 東経140度55分21秒 / 北緯38.13694度 東経140.92250度 | ||||||||||||
公式サイト | 仙台空港 | ||||||||||||
滑走路 | |||||||||||||
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リスト | |||||||||||||
空港の一覧 |
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/a/af/Sendai_airport12s3872.jpg/240px-Sendai_airport12s3872.jpg)
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![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/1/12/Sendai_airport01s3872.jpg/240px-Sendai_airport01s3872.jpg)
仙台空港(せんだいくうこう)は、宮城県名取市と岩沼市に跨って位置する、東北地方唯一の国管理空港(旧第二種(A)空港)である。空港ターミナルビルを含む主要部分が名取市内にあり、滑走路が岩沼市に及ぶ。
概要
仙台空港は宮城県中南部の海に近い場所にあり、航空機で離着陸する際には広大な太平洋と仙台湾沿いに続く砂浜や防砂林の松林、南北に流れる貞山運河、そして奥羽山脈に抱かれた仙台平野と市街地のビル群が一望の下になる。名取市の北に隣接する仙台市のJR仙台駅へは北北西に直線で14kmほどで、空港連絡鉄道の仙台空港アクセス線により普通列車で24分(快速列車では17分)で結ばれている。
滑走路は、開設時からある1,200mのA滑走路と新設された3,000mのB滑走路の2つがある。それぞれ方角が異なり、二つの滑走路が「y」の字型に交わる。基本的に、A滑走路はセスナ機などの小型機、B滑走路は旅客機などの中型機や大型機が使用するが、航空大学校などの小型機も訓練のために、計器着陸装置(ILS)が使用できるB滑走路を使用する。
現在のターミナルビルは1997年(平成9年)7月から全館供用開始されたものであるが、建設にあたりハートビル法に定めるバリアフリー基準を満たし、1995年(平成7年)12月に空港施設として日本で初めて同法認定の特定建築物となった[1]。完成後に制定された交通バリアフリー法にも合致するよう、整備が行われている[1][2]。また、出発ロビーや待合室の壁面を全面ガラス張りして照明の使用を減らす省資源化が施されている点[2]や、屋根が3つの波型になっている点、出発ロビーや到着ロビーなどの行先表示機が反転フラップ式案内表示機(パタパタ)である点などの特徴もある。展望デッキは、屋上の「スマイルテラス」(大人は有料)と屋内(無料)とがある。ターミナルビル中央部分のエスカレータが集まる吹き抜けは「プラザ」と呼ばれ、中央の噴水の水を抜くと照明機能付きのステージに変わり、イベントが行えるようになっている。
多くの県では、空港で公共用ヘリも見られるが、宮城県や仙台市の消防防災ヘリコプターは仙台市若林区荒浜に仙台市消防局仙台市消防ヘリポートを、宮城県警察ヘリは仙台市若林区霞目にある陸上自衛隊霞目飛行場を使用しているため、仙台空港で見ることは出来ない。
同空港の制限表面については、仙台市の高層ビルの一覧#制限表面を参照。
歴史
かつて仙台市で飛行機の離着陸に使われた場所として、現在の宮城野原公園総合運動場や川内追廻などがあった。1933年(昭和8年)になると、仙台市街地の南東に日本陸軍飛行学校の練習用飛行場として「仙台飛行場」(現霞目駐屯地)が設置された。しかし、日中戦争開戦に伴って飛行部隊が拡充されたため「仙台飛行場」は手狭となり、現在の「仙台空港」のもととなる「名取飛行場」が1940年(昭和15年)に設置された。
年表
- 1940年(昭和15年) - 日本陸軍により、名取郡下増田村(現:名取市の一部)から同郡玉浦村矢野目(現岩沼市の一部)にかけての地に熊谷陸軍飛行学校増田分校教育隊練習基地として学徒動員で建設される。「名取飛行場」「増田飛行場」「矢野目飛行場」などの通称が用いられた。
- 1943年(昭和18年)10月1日 - 水戸陸軍飛行学校を移し仙台陸軍飛行学校が設置される。
- 1945年(昭和20年) - アメリカ軍により接収される。
- 1955年(昭和30年)4月1日 - 下増田村が隣接自治体と合併して名取町となったほか、玉浦村が隣接自治体と合併して岩沼町となったため、敷地が名取町と岩沼町にまたがることになる。
- 1956年(昭和31年) - アメリカ軍より返還され、防衛庁と運輸省との共同使用となる。
- 1957年(昭和32年)
- 滑走路が1,200mに延長される。
- 4月22日 - 初の定期路線となる、日本ヘリコプター輸送(現・全日本空輸)の羽田便が就航する。
- 1958年(昭和33年)10月1日 - 名取町が市制を施行して名取市となる。
- 1963年(昭和38年)5月10日 - 全日空機仙台空港着陸失敗事故がおこる。
- 1964年(昭和39年)
- 陸上自衛隊航空学校岩沼分校が設置される。
- 3月 - 空港整備法に基づいて第2種空港となり、仙台飛行場を仙台空港と改称する。
- 1971年(昭和46年)11月1日 - 岩沼町が市制を施行して岩沼市となる。
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/3/32/Aerial_photo_of_Sendai_Airport_in_1984.jpg/250px-Aerial_photo_of_Sendai_Airport_in_1984.jpg)
写真上がB滑走路、同下がA滑走路。
当時はB滑走路が2,000mで、駐機場はAおよびB滑走路を繋ぐ位置にあった。
現在はB滑走路が西方向に延伸されて3,000mとなり、駐機場と旅客ターミナルもかつてのそれらの東側に移転・拡張されている。
- 1972年(昭和47年)2月14日 - ジェット化および、B滑走路を2,000mにて供用を開始する。航空学校が陸自北宇都宮駐屯地へ移転する。
- 1990年(平成2年) - 仙台空港発着の初の国際路線となるソウル便が就航する。
- 1992年(平成4年) - B滑走路を2,500mに延伸し、供用を開始する。
- 1997年(平成9年) - 新旅客ターミナルが開業する。
- 1998年(平成10年)3月 - B滑走路を3,000mに延伸し、供用を開始する。
- 2002年(平成14年)12月5日 - 仙台空港鉄道仙台空港線が着工される。
- 2007年(平成19年)3月18日 - 仙台空港アクセス線(仙台駅 - 仙台空港駅間直通運転)が開業する。
- 2010年(平成22年)
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/5/54/SendaiAirportMarch16.jpg/250px-SendaiAirportMarch16.jpg)
東日本大震災
2011年3月11日午後2時46分、東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)が発生。滑走路は直ちに閉鎖され、ターミナルビルには旅客・周辺住民・従業員ら約1400人が避難した。当時、空港には運航中の旅客機は居なかった。午後3時56分、地震によって発生した津波が空港に到達、空港および関連施設は冠水し使用不能となり、海上保安庁や民間の小型機・ヘリコプターなど計67機[6]が津波に流されるなどの被害を受けた。この内、海上保安庁のDHC-8-315「みずなぎ」のみ修理を完了したが、他の機体は修理を断念している。3月12日午後に救急車やマイクロバスなどが到着、避難者の退避が開始され、3月16日までに空港職員を除く全員が空港を後にした。
3月16日、福島第一原子力発電所事故の影響を考慮して、アメリカ合衆国政府が在日米軍を含む自国民に対し、同原発から50マイル(80km)圏外に退避するよう勧告したが、同原発から80kmの同心円上に位置する当空港に嘉手納飛行場に駐留するアメリカ空軍第320特殊戦術飛行中隊が航空自衛隊松島基地を経由して移動、空港の復旧活動を行った[7]。アメリカ空軍及び空港の保守作業を担当している前田道路[8]が残骸を除去し、部分的な滑走路の確保後、アメリカ空軍特殊作戦コマンド用輸送機MC-130Pが、強行着陸で復旧用の機材や車両を輸送。米空軍戦闘航空管制官がバックパックラジオで臨時の航空管制を確立し、空港機能を復活させた。以降、米軍はこの空港を使って200万トン以上の食料、水、毛布を被災地に輸送するなど、4月7日まで日米合同救援活動「トモダチ作戦」の拠点として使用された。
旅客利用状況
全体では1999年(平成11年)度の年間338.5万人を境に一時減少したが、2003年(平成15年)度以降は再び増加傾向を見せ、2006年度(平成18年度)には年間338.7万人と1999年度のピークを越えた[9][10]。
仙台空港を目的地側とする旅客の当日目的地は、1位が仙台市となっており全体の約半分(49.8%)、2位は日本三景・松島がある松島町(7.2%)、3位は隣県の山形市(4.5%)となっており、約3割が宮城県外を当日目的地とする。業務の場合は、仙台市を当日目的地とする者が72.4%で圧倒的に多いのに対し、観光の場合は仙台市(24.8%)、松島町(15.4%)、鳴子町(現・大崎市の一部)となっており、それ以外の目的地は、秋田県田沢湖町(現仙北市の一部)や青森県十和田市、あるいは山形市や盛岡市、福島市などの隣接県の県庁所在地となっており、東北地方各地にも広がりを見せる[11]。
国内線
国内線旅客数は1999年(平成11年)度に年間296.5万人でピークとなり、2000年(平成12年)度に年間277.5万人まで減少した。その後は徐々に増加して、2006年(平成18年)度には年間304.8万人となり、初めて300万人の大台に乗った。
仙台空港の国内線における東北地方居住者の利用客比率は、宮城県70%、岩手県9.2%、山形県8.2%、福島県7.7%、その他4.9%となっており、宮城県の隣接県に広がっている[12]。特に、山形市を中心とした村山地方や、福島県中通り北部および浜通り北部の地域では、仙台空港が第一選択の空港になっている。
国内線旅客においては、他の地方から入って来る旅客の方が多い(国内線来訪者比率56.6%。参考:名古屋23.4%、広島52.3%)。これは、関西や北海道、九州からのビジネス客が多いためで、仙台が支店経済都市であることを反映している。
国際線
国際線旅客数は2000年(平成12年)度の年間47.2万人をピークに景気低迷やアメリカ同時多発テロ事件の影響で減少し、2003年(平成15年)度にSARSが発生して年間25.1万人にまで激減した。その後は回復基調となり、2006年(平成18年)度には年間34.0万人となった。
日本人旅客
仙台空港の国際線における東北地方居住者の利用客比率は、宮城県内居住者が40.0%、残りの6割は周辺各県からの利用者となっている(山形県19.7%、岩手県14.3%、福島県10.6%、その他15.4%)[12]。特に、山形県民の日本国外渡航における仙台空港利用率は50%を超えており、仙台空港が第一選択となっている[13]。
1999年(平成11年)度における東北地方居住の日本人出国者の利用空港内訳は、成田54.1%、仙台30.1%、関西6.1%、青森2.7%、福島2.0%、羽田1.9%、新潟1.2%、その他1.9%となっていた[14]。
2002年(平成14年)、成田便が開設される一方で関西国際空港便がなくなった。2005年(平成17年)に中部国際空港が開港すると、成田便と中部便が国際線乗継便として頭角を現してきた。そのため、仙台空港発着の日本国外への旅行パック商品では、定期便や直航チャーター便の他に、これら2路線、特に便数と座席数の多い中部便の乗継商品が主力の1つとなっている。
また、仙台空港から日本国外の国際ハブ空港への航路があるので、乗り継ぎによって世界各地に行くことが可能である。
外国人旅客
仙台空港の外国人利用者数は国際旅客全体の30%程度である[15]。仙台空港を利用する外国人旅客は渡航目的がはっきりしており、韓国人にはラウンド料が安いゴルフ場や韓国より施設が整っているスキー場が、台湾人には台湾では経験しにくいと本場の温泉などが、特徴的な誘因になっている。また、仙台 - ソウル仁川国際空港便は毎日飛んでいるので、ヨーロッパの人が仙台を訪れる際に、ソウル経由を用いる例が見られる (仙台空港の外国人居住地別利用者比率 : 韓国50.0%、中国(台湾含む)23.1%、ヨーロッパ11.5%)。
就航路線一覧
航空会社が2社以上の場合、最前の航空会社の機材・乗務員で運航する共同運航便(コードシェア便)
国内線
航空会社 | 就航地 |
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日本航空 (JAL) | 新千歳空港、大阪国際空港[† 1]、福岡空港[† 2] |
全日本空輸 (ANA) | 新千歳空港、成田国際空港、中部国際空港、大阪国際空港、福岡空港、那覇空港 |
スカイマーク (SKY) | 神戸空港(2012年7月就航予定)、中部国際空港(2012年10月就航予定)、福岡空港(2013年2月就航予定) 『新千歳空港(2012年4月就航予定)、成田国際空港(2012年4月就航予定)』については就航予定日時を過ぎているが、2012年6月1日現在就航は行われていない[16][17] |
アイベックスエアラインズ (IBX) ・ 全日本空輸 (ANA) [† 3] | 新千歳空港(2012年6月30日まで運航) 、成田国際空港、小松飛行場、中部国際空港、大阪国際空港、広島空港、福岡空港 |
北海道国際航空 (ADO) ・ 全日本空輸 (ANA) [† 4] | 新千歳空港 |
- アイベックスエアラインズが当空港をハブとしている。
統計
就航空港 | 旅客数 | 国内線順位 |
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大阪国際空港 | 約103万人 | 上位24位 |
新千歳空港 | 約70万人 | 上位36位 |
国土交通省平成20年度航空運輸統計速報より、上位50位以内のものを記載
国際線乗継便
仙台空港から成田国際空港及び中部国際空港とを結ぶ便には、共同運航便(コードシェア便)として外国航空会社便名が付与される便がある。外国航空会社便名での利用は国際線乗継旅客に限られ、国内線のみの利用は国内航空会社の便名となっている。
- 全日本空輸 (NH) : 成田国際空港便
- タイ国際航空 (TG) ・ ルフトハンザドイツ航空 (LH) ・ オーストリア航空 (OS)
- アイベックスエアラインズ (FW) : 成田国際空港便
- ユナイテッド航空 (UA)
- 全日本空輸 (NH) : 中部国際空港便
- タイ国際航空 (TG) ・ ルフトハンザドイツ航空 (LH) ・ エバー航空 (BR)
国際線
航空会社 | 就航地 |
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アシアナ航空 (OZ) ・ 全日本空輸 (NH) | ![]() |
中国国際航空 (CA) ・ 全日本空輸 (NH) | ![]() |
中国南方航空 (CZ) | ![]() |
エバー航空 (BR) ・ 全日本空輸 (NH) | ![]() |
ユナイテッド航空 (UA) ・ 全日本空輸 (NH) | ![]() |
- 東日本大震災の発生後全ての国際線が運休していたが、以下のスケジュールで運航が再開している。
かつての定期就航路線
- 国内線
- 東京/羽田 : 1957年 - 1985年、全日本空輸
- 三沢 : 1958年 - 1962年、全日本空輸
- 函館
- 1958年 - 1962年、全日本空輸
- 1977年 - 1993年、日本エアシステム(現・日本航空)
- 1996年 - 2006年、エアーニッポン(現・全日本空輸) → 全日本空輸
- 2001年 - 2003年、北海道エアシステム
- 新潟
- 1978年 - 1992年、全日本空輸
- 1986年 - 1994年、ジェイエア
- 岡山 : 1994年-2005年、日本エアシステム(現・日本航空) → 日本航空インターナショナル(現・日本航空)
- 高松 : 1994年-2005年、日本エアシステム(現・日本航空) → 日本航空インターナショナル(現・日本航空)
- 鹿児島 : 1995年-1998年、エアーニッポン(現・全日本空輸)
- 信州まつもと : 1996年-1997年、日本エアシステム(現・日本航空)
- とかち帯広 : 1996年-1997年、日本航空インターナショナル(現・日本航空)
- 松山 : 1996年-1998年、全日本空輸
- 旭川 : 1996年-1999年、エアーニッポン(現・全日本空輸)
- 女満別 : 1996年-2001年・2003年、日本エアシステム(現・日本航空)
- 釧路 : 1996年-2001年・2003年、日本エアシステム(現・日本航空)
- 青森 : 1998年-1999年、エアーニッポン(現・全日本空輸)
- 大阪/関西
- 1999年-2002年、エアーニッポン(現・全日本空輸)
- 2000年-2002年、フェアリンク(現・アイベックスエアラインズ)
- 2008年4月-2008年10月、日本航空インターナショナル(現・日本航空)
- 広島西 : 2001年、フェアリンク(現・アイベックスエアラインズ)
- 大阪/神戸
- 2006年-2007年、日本航空インターナショナル(現・日本航空)
- 2006年-2009年、全日本空輸
- 国際線
サイパン・サイパン : 1990-1998年、コンチネンタル・ミクロネシア(後のコンチネンタル航空、現・ユナイテッド航空)
シンガポール・シンガポール : 1991年-1998年、シンガポール航空
韓国・済州 : 1991年-1994年、アシアナ航空
韓国・釜山 : 1991年-1997年、アシアナ航空
香港・香港 : 1993年-2003年、2007年-2008年、2010年-2011年、香港ドラゴン航空
アメリカ・ホノルル : 1994年-2003年、日本航空インターナショナル(現・日本航空) → JALウェイズ(現・日本航空)
中国・広州 : 2007年-2008年、中国南方航空
チャーター便
2004年(平成16年)度は185便が運航された。主な目的地はハワイや香港、タイである。ハワイへは、日本航空が週末を中心に運航。毎年数回、イタリア方面への直行便が運航される。
遊覧飛行
仙台空港では、4社がセスナ機やヘリコプターで遊覧飛行を実施している。昼間の運航では、仙台市街地や松島、蔵王連峰、栗駒山などの上空を遊覧するコースがある。季節的にナイトフライトも催行され、夏には、宮城県内各地で催される花火を上空から見るナイトフライトや、年末のSENDAI光のページェント期間中において、定禅寺通りなど仙台市上空を回るナイトフライトも催行される。
アクセス
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/2/21/SAT721.jpg/230px-SAT721.jpg)
2003年(平成15年)の調査[18]によると、日本人の仙台空港へのアクセス方法は、リムジンバス等が51.6%で最も多く、団体バスが14.3%、自家用車送迎が13.3%であった。2005年(平成17年)の別の調査によると、仙台空港を利用する福島県民の8割以上が車でアクセスをしていた[19]。
2007年(平成19年)3月、仙台空港アクセス線の運行開始に伴い、仙台市都心部と仙台空港間の旅客輸送の中心であった仙台市交通局のエアポート・リムジンバスが廃止。それと同時に民間のバス会社2社が、同区間に従前のリムジンバスの乗車料金より割安な運賃で参入したが、愛子観光バスは2008年(平成20年)2月29日、東日本急行は2009年(平成21年)1月31日の運行をもってともに撤退した。公共交通機関の利用客争奪戦のあおりを受けた空港周辺の民間駐車場では、値引き合戦が行われている。
- 鉄道
同駅ホームと空港ターミナルビルとの間は、距離が短く、ほとんど段差を通らずに往来できる。
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/d/da/MIYAGI_KOTSU_ROUTEBUS_AIRPORT.jpg/230px-MIYAGI_KOTSU_ROUTEBUS_AIRPORT.jpg)
- バス
- 道路
上記の他に乗合タクシーや、冬期に蔵王連峰、安比高原方面へスキーバスも運行される。
- 駐車場
空港内公営駐車場は1,228台[20]。周辺の民間駐車場10社で約2,400台分がある[20]。
- タクシー
仙台駅前~仙台空港の所要は約30分で、運賃5,600円+高速道路代500円[20]。
周辺
空港の東側には、江戸時代に伊達政宗の命により作られた貞山運河(貞山堀)が南北に流れており、それを越えてさらに東へ1kmほどいけば太平洋である。ここから5kmほど北には朝市が行われる閖上(ゆりあげ)港がある。
南側には、パイロットを養成する航空大学校仙台分校、航空管制官などを養成する航空保安大学校岩沼研修センター、海上保安庁の航空要員を養成する海上保安学校宮城分校、海上保安庁仙台航空基地などが設置されている。かつては、陸上自衛隊航空学校岩沼分校も置かれていた。空港南西部に、広大な陸上自衛隊管理の遊休地が演習場名目で残されている。
旧・仙台陸軍飛行学校内には1939年(昭和14年)創祀の航空神社があったが、占領期の1945年(昭和20年)に進駐軍に同校が接収されたため、神体は現在の空港ターミナルビルの東300mほどの名取市下増田にある下増田神社に遷された[21]。また、空港から南に5kmほどの岩沼市二の倉には、航空安全の神が祀られる二の倉神明社がある[22][23]。
滑走路の北東側の名取市内に、第一臨空公園、第二臨空公園、第三臨空公園[24]、滑走路の南西側の岩沼市内に仙台空港臨空公園が設置されている。仙台空港臨空公園は、中坪臨空公園として2011年(平成23年)4月に供用開始予定であったが、東日本大震災の影響を受けて1年遅れの2012年(平成24年)4月29日に供用開始された[25]。供用開始前の3月17日には、名取・岩沼両市および兵庫県伊丹市の市長・市議会議長や、トモダチ作戦で仙台空港の復旧活動をしたアメリカ合衆国の駐札幌総領事らが出席して、米国・ワシントンD.C.に100年前に日本から送られた桜の子孫樹を植樹した(伊丹市には仙台空港との間で定期便が就航する大阪国際空港があり、桜の子孫樹を育てている農家がある)[26]。
なお、空港周辺にあるホテルは、ビジネスホテルが杜せきのした駅近くにあるホテルルートイン名取のみで、リゾートホテルのモンタナリゾートがやや離れたところにある。シティホテルは仙台市内が最寄となる。
脚注
注釈
出典
- ^ a b 企業・団体・自治体等ユニバーサルデザイン取組状況調査結果 (PDF) (広島県)
- ^ a b 27. 仙台空港旅客ターミナル (PDF) (国土交通省中国地方整備局「ユニバーサルデザイン先行事例」)
- ^ 「復旧の仙台空港ターミナルビルを公開」 asahi.com(朝日新聞社) 2011年4月11日
- ^ 「仙台空港の定期便運航再開について」2011年07月17日閲覧
- ^ 「仙台空港ご利用のお客さまへ」2011年07月17日閲覧
- ^ 共同通信社 - 津波で損傷、海保機が現場復帰 修理完了
- ^ Tech. Sgt. Aaron Cram / 353rd Special Operations Group (2011年3月16日). “SOG Airmen open two strategic runways for relief operations”. 2011年5月23日閲覧。
- ^ 東北地方太平洋沖地震等への対応について-前田道路株式会社
- ^ 空港関係資料(宮城県庁)
- ^ 空港管理状況調書(国土交通省)
- ^ 平成15年 航空旅客動態調査 (PDF) (国土技術政策総合研究所 資料 No.374)
- ^ a b 2001年 航空旅客動態調査 (PDF) (特定日の全数調査)
- ^ 県広報誌「県民のあゆみ」平成17年9月号 (PDF) (山形県庁)
- ^ 社会資本整備に係る東北地方の将来の姿(仮称) (PDF) (国土交通省)
- ^ 国際観光振興機構 (PDF) (JNTO)
- ^ 新路線就航計画について 「仙台-札幌(新千歳)線」「仙台-神戸線」「仙台-名古屋(中部)線」 - スカイマーク 2011年4月5日
- ^ 新路線就航計画について 「仙台-札幌(新千歳)線」「仙台-成田線」「関空-札幌(新千歳)線」「関空-那覇線」 - スカイマーク 2011年9月9日
- ^ 「航空機を利用する観光旅客等の実態調査」<仙台空港編> (PDF) (アジア太平洋観光交流センター)
- ^ 仙台か福島か! …空港利用者争奪戦 [リンク切れ](YOMIURI ONLINE)
- ^ a b c 空港アクセスの概況(2007年10月現在) (PDF) (国土交通省東北運輸局)
- ^ 下増田神社(宮城県神社庁)
- ^ 神明社(宮城県神社庁)
- ^ 二の倉神社(岩沼市商工会)
- ^ 市内公園一覧(名取市)
- ^ 仙台空港臨空公園供用開始 (PDF) (岩沼市)
- ^ 日米友好の桜寄贈100周年 東日本震災復興祈念植樹(伊丹市)
関連項目
- 宮城県内にある他の空港
- 1930年代に霞目飛行場が出来るまでは、仙台城三の丸前にある馬場跡を利用した「追廻練兵場」、または、宮城野原の練兵場(現在の宮城野原公園総合運動場)が航空機の離着陸に用いられた。戦前・戦中の地図には、現・国立病院機構仙台医療センターの土地に「飛行場」との記載もある。
外部リンク
- 仙台空港 公式webサイト
- 仙台空港ターミナルビル
- 仙台空港鉄道株式会社
- 宮城県土木部 空港臨空地域課
- 仙台空港70年の歩み
- 仙台空港の制限表面図 (PDF) (国土交通省東京航空局)
- 仙台空港供用規定 (PDF)