シンエイ動画
本社ビル(東京都西東京市田無町) | |
種類 | 株式会社 |
---|---|
本社所在地 |
日本 〒188-0011 東京都西東京市田無町3丁目9番21号 |
設立 |
1976年(昭和51年)9月9日 (シンエイ動画株式会社) |
業種 | 情報・通信業 |
法人番号 | 9012701002249 |
事業内容 | アニメーションの企画・制作 |
代表者 |
代表取締役社長 梅澤 道彦 代表取締役専務 別紙 博行 |
資本金 | 1億円 |
発行済株式総数 | 160,000株 |
売上高 | 34億8百万円(2010年3月期) |
従業員数 | 70名(2011年7月時点) |
決算期 | 6月 |
主要株主 | 株式会社テレビ朝日 100% |
関係する人物 | 楠部大吉郎(創設者) |
外部リンク | http://www.shin-ei-animation.jp/ |
シンエイ動画株式会社(シンエイどうが、英: SHIN-EI ANIMATION Co., Ltd.)は、日本のアニメ制作会社である。日本動画協会正会員。
概要
代表作に、テレビアニメ『ドラえもん』・『クレヨンしんちゃん』・『あたしンち』(テレビ朝日系)を中心に[注釈 1]、劇場用長編アニメ『ドラえもん』・『クレヨンしんちゃん』シリーズがある。また作画工程のみを他社から請け負う事業も行っている。2010年より、テレビ朝日の完全子会社となっている。シンエイ動画は1965年(昭和40年)に設立された有限会社エイプロダクション(通称: Aプロダクション)が前身である。Aプロダクションは東京ムービーと業務提携し、その制作担当として活動していた。
- 社名の由来
「シンエイ」の由来は、楠部大吉郎によると、「新生Aプロ」、「新しいAプロダクション」という意味であり、新鋭という意味だとは説明していない[1][2]。発足時にシンエイ動画役員を務めた大塚康生も、自身の著書で新生Aプロという意味だと記している[3]。公式サイトでは「新しいAプロ=『新A』」、そして「アニメ界の『新鋭』でありたい」と伝えている[4]。新しく作られたロゴタイプは、シンエイの「A」に漫画風の頭と手を付けた、マスコットキャラクターの様なデザインとなっている。楠部大吉郎デザインのこのキャラクターの名前は「エーちゃん」である[5]。
歴史
Aプロダクション時代
Aプロダクション(以下Aプロ)の名前は、「最初の文字であるA、エースという意味などで何となくつけた」という(創立者・楠部大吉郎の弁)[要出典]。
テレビアニメの黎明期に人形劇団出身者によって創立された東京ムービーがテレビアニメ『ビッグX』で経営危機に陥り、その失敗を踏まえて制作体勢を整えようとした。そこで当時の東京ムービーの社長であった藤岡豊が東映動画(現: 東映アニメーション)から独立したアニメーター、楠部大吉郎に声をかけたことが創立のきっかけだった。そして楠部は、東映動画の新人アニメーターだった芝山努・小林治に声をかけ、少し遅れて椛島義夫・森下圭介の2人が楠部らに合流して計5人が創立メンバーとなり、Aプロは渋谷区代々木にその拠点を構えた。
東京ムービーは営業を担当し、Aプロは制作担当として業務提携(資本提携なし)という形をとった。そして楠部の弟である楠部三吉郎は東京ムービーに入社し、制作管理スタッフとして兄の大吉郎を支えた。やがて東映動画も劇場長編アニメから新人を中心としたテレビアニメ制作へと方向転換を始めると、東映動画の長編スタッフ、中堅のスタッフが続々とAプロへ移籍して来る。これら移籍組の小山礼司、吉田茂承、大塚康生、宮崎駿、高畑勲、小田部羊一らと、定期採用で育成された当時の新人、中村英一といったアニメーターや演出家が、東京ムービーの代表作である『オバケのQ太郎』『巨人の星』『ルパン三世 (TV第1シリーズ)』『ど根性ガエル』『荒野の少年イサム』『天才バカボン』など、数多くの作品を手掛けた。
作画・演出スタッフの他に美術部門・仕上げ部門も擁して、最盛時にはテレビアニメ5作品の同時制作を誇っていた。しかし1974年(昭和49年)に楠部大吉郎が病気で1年間療養したこと、更に東京ムービーの藤岡が日本市場への関心を失い、アメリカ市場開拓のために奔走しているうちに東京ムービー製作作品の本数が減少した。こうした背景と経営の危機を迎えたことで実制作のみの体制に限界を感じた楠部は自社で企画・制作をする会社にするため、1976年(昭和51年)の『元祖天才バカボン』を最後に東京ムービーとの提携を円満解消して独立。こうしてAプロは、1976年(昭和51年)9月9日に社名を「シンエイ動画株式会社」に変更、改組した。
シンエイ動画時代
こうして再出発したシンエイ動画は、社屋を田無市[注釈 2]北原町へと移転、その際には仕上部門を切り離し作画スタッフも大幅に削減して、経営をスリム化している。この時に独立した作画スタッフが設立したものが亜細亜堂、あにまる屋[注釈 3]等のスタジオである。なお、小山礼司が率いた美術部門は、小山が独立した形で早くに廃している。そして東京ムービーに在籍していた楠部三吉郎は専務取締役としてシンエイ動画へと移籍。兄の大吉郎と共に経営を支えた。またAプロからシンエイ動画として独立した記念として、東京ムービーが持っていた『ドラえもん』の映像化権を藤岡から譲渡されたという逸話がある[3]。
東京ムービーから独立後のデビュー作は、PR用の短編映画『草原の子テングリ』(1977年)。しばらくは他社のグロス請けなどをこなしたのち、1979年にはテレビアニメ『ドラえもん』を苦心の末、再びアニメ化にこぎ着ける。このシンエイ版『ドラえもん』の成功が、シンエイ動画の経営を支えた。
そして業務拡大のため、1982年には社屋を田無市南町に移転。そして1980年代を中心に数多くの藤子不二雄作品や『月刊コロコロコミック』連載作品などを中心に次々とアニメ化。これらはテレビ朝日系を中心に放映された。1992年には田無市本町[注釈 4]に社屋を新築し移転。この青い塗装のビルは同社の経営を支えた『ドラえもん』に感謝を込め『ドラえもんビル』という愛称がある。[要出典]この同年にはテレビアニメ『クレヨンしんちゃん』がスタート。
2003年1月には、テレビ朝日がシンエイ動画の10%の株を引き受け、資本提携する。2009年4月よりテレビ朝日がシンエイ動画の株式の大半を取得し、テレビ朝日の連結子会社になった[6]。新社長は岩永惠に、楠部三吉郎は代表取締役会長へ就任した。2010年10月15日、楠部三吉郎が保有する株式をテレビ朝日が追加取得したことにより、テレビ朝日の100%子会社となった[7][注釈 5]。この事から、テレビ朝日がケーブルテレビ・スカパー!・スカパー!e2他で展開する通信衛星テレビ放送局・「テレ朝チャンネル」で、シンエイ動画製作作品(初回放送時にテレ朝系列でない作品を含む)を集中的に取り上げる「シンエイアニメシアター」という番組が毎日放映されている。
2009年11月には旧社屋の北西方向、東京都道5号新宿青梅線旧道(青梅街道)沿い(西東京市田無町3丁目)に青い塗装の新社屋を落成、入居を開始した。旧社屋はしばらく空きテナントとなっていたが、2011年(平成23年)に社会福祉法人檸檬会がビルを借り上げ、「レイモンドたなしほいくえん」に転用された。
2012年7月、代表取締役社長に梅澤道彦常務が昇格し就任した。また別紙博行専務が代表取締役専務に昇格した。社長の梅澤は前任の岩永同様にテレビ朝日からの出向である。
劇場作品
シンエイ動画に改組してからの事実上の劇場デビュー作は、1980年(昭和55年)3月公開の『ドラえもん のび太の恐竜』である[注釈 6]。東宝の配給で同時上映は、『モスラ対ゴジラ』だった。東宝の番組ラインとしては、1978年まで学校の休み期間中に上映していたゴジラ映画と短編のテレビアニメ数本を上映する東宝チャンピオンまつりの流れを汲むもので[8]、当初は長編ではない予定だったが、原作者の藤子・F・不二雄から「僕の中では90分ないと映画とは呼べない」という要望を受けてオリジナルの新作長編映画として制作された[9][10]。以後、短編-中編の藤子作品の併映作と共に、毎年3月の春休み映画として『ドラえもん』の劇場版が上映されるようになった。1980年代に多く行われていた藤子アニメ三本立て興行は、1990年代以降、影を潜めた。しかし、『ザ・ドラえもんズ』といった30分の短編と長編『ドラえもん』のセットは2004年まで続いた。映画『ドラえもん』シリーズは、2005年(平成17年)からのテレビシリーズ全面リニューアルの影響でその年は作られず、2006年(平成18年)から再び上映されるようになった。また、これを機に短編作品は作られなくなった。
『クレヨンしんちゃん』も『クレヨンしんちゃん アクション仮面VSハイグレ魔王』が作られ、1993年夏に映画初登場。1994年以降は毎年春にシリーズ上映されている。
また、1981年夏の『21エモン 宇宙へいらっしゃい!』と『ドラえもん ぼく、桃太郎のなんなのさ』の同時上映、2003年冬の『あたしンち』は、シリーズ上映の予定があったとされる。前者はシリーズ化されればドラえもんをサブに置き、他の作品をメインに上映する形になる予定であった。[要出典]
これまでシンエイ動画制作の劇場アニメは、テレビシリーズの映画化が中心だったが、2007年の『河童のクゥと夏休み』(監督: 原恵一)は、改組後初めての劇場オリジナル作品となった。
CG・デジタル制作
この節には独自研究が含まれているおそれがあります。 |
CGにおいては、比較的早いうちから[いつ?]特殊効果として部分的に使用していた。それまでCGは殆ど外注であったが、1990年代に入ると、堤規至(元アニメーター)を中心にCGI班を立ち上げ、シンエイ動画社内でも制作されるようになった。1990年代後半から始まったアニメ業界のデジタル制作(デジタルペイント・デジタル撮影)化の波が押し寄せる中においても、仕上・撮影を外注化していることから基本的にはセルアニメでの制作を堅持し続け、デジタル制作はあくまでも部分的使用に留まっていた。
そして外注スタジオのデジタル制作対応に伴い『ジャングルはいつもハレのちグゥ』(2001年)でフルデジタル制作を本格的に開始。その流れに伴って他の作品も2002年以降、デジタルでの制作へと完全に移行した。また、2005年以降は地上デジタル放送対応に伴い、全てのテレビ作品がハイビジョン制作されるようになった。
作品履歴
Aプロダクション時代
テレビシリーズ
- オバケのQ太郎 (TBS、1965年-1967年)
- コメットさん[第1期(ドラマ)] (TBS、1967年-1968年、実写合成) ※アニメ作画担当
- パーマン (TBS、1967年-1968年)
- 怪物くん (TBS、1968年-1969年)
- 巨人の星 (読売テレビ、1968年-1971年)
- ウメ星デンカ (TBS、1969年)
- ムーミン (フジテレビ、1969年、1-26話まで)
- アタックNo.1 (フジテレビ、1969年-1971年)
- 珍豪ムチャ兵衛 (TBS、1969年)
- 新・オバケのQ太郎 (日本テレビ、1971年-1972年)
- 天才バカボン (読売テレビ、1971年-1972年)
- ルパン三世 (読売テレビ、1971年)
- 赤胴鈴之助 (フジテレビ、1972年)
- ど根性ガエル (ABC〔当時TBS系〕1972年-1974年)
- 荒野の少年イサム (フジテレビ、1973年-1974年)
- 侍ジャイアンツ (読売テレビ、1973年-1974年)
- 空手バカ一代 (NET〔現;テレビ朝日〕、1973年-1974年)
- エースをねらえ! (MBS〔当時NET系〕、1973年-1974年)
- ジャングル黒べえ (MBS〔当時NET系〕、1973年)
- 柔道讃歌 (日本テレビ、1974年)
- はじめ人間ギャートルズ (ABC〔放送途中TBS系からNET系に移動〕、1974年-1976年)
- ガンバの冒険 (日本テレビ、1975年)
- 元祖天才バカボン (日本テレビ、1975年-1976年)
※「パーマン」「怪物くん」「ウメ星デンカ」はスタジオ・ゼロと交代で制作。
劇場映画
- 喜劇 駅前漫画 (1966年、東京映画。実写合成(アニメ作画担当))
- 巨人の星 (1969年-1970年、TVシリーズ再編集)
- アタックNo.1 (1970年-1971年、TVシリーズ再編集)
- パンダコパンダ (1972年)
- パンダコパンダ 雨ふりサーカスの巻 (1973年)
シンエイ動画時代
※/tはテレ朝チャンネルの「シンエイアニメシアター」での放映実績のある作品。
テレビシリーズ
- 特記以外はテレビ朝日との共同制作
- おれは鉄兵 (フジテレビ、制作協力、1977年-1978年)※画面上は「制作担当」
- 野球狂の詩 (フジテレビ、各話制作協力、1977年-1979年)
- 一球さん (フジテレビ、制作協力、1978年)※画面上は「制作担当」
- ドラえもん (1979年-)/t(水田わさび版のみ)
- 日本名作童話シリーズ 赤い鳥のこころ (1979年)
- 怪物くん[新] (1980年-1982年)/t
- 忍者ハットリくん (1981年-1987年)/t
- ゲームセンターあらし (日本テレビ、1982年)/t
- フクちゃん (1982年-1984年)/t
- パーマン[新] (1983年-1985年)/t
- オヨネコぶーにゃん (1984年)/t
- プロゴルファー猿 (1985年-1988年)/t
- オバケのQ太郎[新] (1985年-1987年)/t
- エスパー魔美 (1987年-1989年)/t
- ウルトラB (1987年-1989年)/t
- つるピカハゲ丸くん (1988年-1989年)/t
- 新プロゴルファー猿(1988年)/t
- ビリ犬 (1988年-1989年)/t
- 美味しんぼ (日本テレビ、1988年-1992年)/t
- おぼっちゃまくん (1989年-1992年)/t
- ビリ犬なんでも商会 (1989年)/t
- 笑ゥせぇるすまん (TBS、1989年-1992年)
- チンプイ (1989年-1991年)/t
- ガタピシ (1990年-1991年)/t
- 藤子不二雄Ⓐの夢魔子(TBS、1990年)
- 八百八町表裏 化粧師 (TBS、1990年)
- どろろんぱっ! (1991年)/t
- 21エモン (1991年-1992年)/t
- クレヨンしんちゃん (1992年-)/t
- さすらいくん (TBS、1992年)
- 忍ペンまん丸 (1997年-1998年)/t
- ヨシモトムチッ子物語 (テレビ東京、1998年)
- 週刊ストーリーランド (日本テレビ、1999年-2001年)
- 激動!歴史を変える男たち 〜アニメ静岡県史〜 (静岡朝日テレビ、2000年)※静岡県ローカル
- ジャングルはいつもハレのちグゥ (テレビ東京、2001年)/t
- あたしンち (2002年-2009年)/t※一部地域は2004年にて終了。
- ご姉弟物語 (2009年-2010年)/t
- スティッチ! 〜ずっと最高のトモダチ〜 (2010年-2011年)
- エリアの騎士 (2012年)
- 黒魔女さんが通る!! (NHK Eテレ〔NHKは制作には非関与〕、2012年-2014年)
- インド版 忍者ハットリくん (2013年-)/t
- となりの関くん (テレビ東京、2014年)
- デンキ街の本屋さん(TOKYO MX〔同局は制作には非関与〕、2014年)
- 怪盗ジョーカー(TOKYO MX、2014年-)
- 新あたしンち (アニマックス、2015年-2016年)
- 甘々と稲妻(2016年)※企画協力
TVスペシャル
- ドラ・Q・パーマン (1980年、ドラえもんの特番枠で放映)
- 怪物くん (1981年-1982年)/t
- プロゴルファー猿 (1982年)/t
- 三国志 (1985年)/t
- Mr.ペンペン (1986年)/t
- Mr.ペンペンII (1986年)/t
- 三国志II 天翔ける英雄たち (1986年)/t
- 呪いのワンピース (1992年)
- 美味しんぼ 究極対至高長寿料理対決 (1992年)
- 笑ゥせぇるすまんスペシャル (1992年)
- 笑ゥせぇるすまん 春の特大号 (1993年)
- 笑ゥせぇるすまん 年忘れ特大号 (1993年)
- 美味しんぼ 日本コメ戦争 (1993年)
- 景山民夫のダブルファンタジー (1994年)
- 中崎タツヤスーパー ギャグシアター (1994年)
- 戦争童話集シリーズ(※2002年~2006年・2008年は野坂昭如原作。2007・2009年はオリジナル作品)
- ウミガメと少年 (2002年)
- 凧になったお母さん (2003年)
- 小さい潜水艦に恋をしたでかすぎるクジラの話 (2004年)
- ぼくの防空壕 (2005年)
- 焼跡の、お菓子の木 (2006年)
- ふたつの胡桃 (2007年)/t
- キクちゃんとオオカミ (2008年)
- 青い瞳の女の子のお話 (2009年)
- 白い恋人 (2006年12月23日・北海道テレビ放送/2007年2月10日・BS朝日)
OVA
- ジャングルはいつもハレのちグゥシリーズ
- ジャングルはいつもハレのちグゥ デラックス (2002年-2003年)
- ジャングルはいつもハレのちグゥ FINAL (2003年-2004年)
- みんなのどうよう (2014年)
Webアニメ
- シンエイぷちアニ劇場(2010年)
- なんちゃって!
- ポテッコベイビーズ /t
- 西武鉄道駅員タコちゃん - 本社最寄の田無駅を舞台に新人駅員「タコちゃん」の奮闘を描く。西武鉄道とのコラボレーション。/t[11]
- アニメで分かる心療内科(2015年、制作はFor All名義[12])
劇場映画
- ドラえもん (1980年-2004年/2006年-)/t
- 21エモン 宇宙へいらっしゃい! (1981年)/t
- ドラえもん ぼく、桃太郎のなんなのさ (1981年)
- 怪物くん デーモンの剣 (1982年)/t
- 忍者ハットリくん (1982年-1983年)/t
- パーマン (1983年、2003年-2004年)/t
- 忍者ハットリくん+パーマン 超能力ウォーズ (1984年)
- 忍者ハットリくん+パーマン 忍者怪獣ジッポウVSミラクル卵 (1985年)
- プロゴルファー猿 (1986年-1987年)/t
- オバケのQ太郎 (1986年-1987年)
- はだしのゲン2 (動画協力、1986年)
- エスパー魔美 星空のダンシングドール (1988年)/t
- ウルトラB ブラックホールからの独裁者B・B! (1988年)
- 県立海空高校野球部員山下たろーくん (1988年)
- ドラミちゃん (1989年、1991年、1993年-1994年)/t
- チンプイ エリさま活動大写真 (1990年)/t
- 21エモン 宇宙(そら)いけ!裸足のプリンセス (1992年)/t
- 映画クレヨンしんちゃんシリーズ (1993年-)/t
- ウメ星デンカ 宇宙の果てからパンパロパン! (1994年)/t
- ザ・ドラえもんズ (1996年-2002年)/t
- ドラえもん 感動シリーズ (1998年-2002年)/t
- 映画 あたしンち (2003年)/t
- 河童のクゥと夏休み (2007年)
- 劇場版3D あたしンち 情熱のちょ~超能力♪ 母 大暴走! (2010年)
- パロルのみらい島(2014年)
- STAND BY ME ドラえもん(2014年)
パイロットフィルム・未放映作品
- ドラえもん 勉強部屋のつりぼり (1978年)
- 1979年10月3日放送のテレビシリーズ秋特番で放送された。2004年発行の雑誌「ぼくドラえもん」創刊号の付録DVDおよび2009年発売のDVD-BOX「ドラえもん タイムマシンBOX 1979」に映像が収録されている。
- エスパー魔美
- ウメ星デンカ
- ミラ・クル・ワン
- 米たにヨシトモが監督を務めた。
- プリンスデモキン
- あまいぞ!男吾
- 2002年に英知出版「トラウママンガブックス」レーベルから発行された原作漫画の復刻版の巻頭に、このパイロット版の図版がカラーで掲載されている。
- ジャングルはいつもハレのちグゥ
- 後にDVD特典映像として収録された。
その他
- 草原の子テングリ(1977年、桜映画社、雪印乳業のPR用映画。原案: 手塚治虫)
- ドラえもん ケンちゃんの冒険(1981年、全国心身障害児福祉財団、ホール上映。後に特番でテレビ放映。)
- 交通安全だよドラえもん(1981年、防災アニメ)
- 交通安全でござる忍者ハットリくん(1983年、防災アニメ)
- 交通安全でござる忍者ハットリくん[パートII](1989年、防災アニメ)
- オールスター番組対抗ボウリング大会(1982年3月、この回『ドラえもん』『怪物くん』『忍者ハットリくん』の声優が出場するにあたり、冒頭、ドラえもん・怪物くん・ハットリカンゾウがボウリングをするシーンを放送。)
- 財津和夫「それがボクのおとうさん」(1997年、NHK「みんなのうた」)
- いこいーな「西東京市誕生10周年事業のマスコットキャラクター」(西東京市と共同デザイン)
- 石立鉄男主演、日本テレビ・ユニオン映画制作ドラマシリーズのオープニングタイトル
制作協力
- 遙かなる時空の中で-八葉抄-(2005年)
- ガン×ソード(2005年)
- 獣王星(2006年)
- BLOOD+(2006年)
- Myself ; Yourself(2007年)
- おおきく振りかぶって(2007年)
- 魔法少女隊アルス THE ADVENTURE(2007年、※OVA)
- へっぽこ実験アニメーション エクセル♥サーガ(2007年)
- 天元突破グレンラガン(2007年)
- MOONLIGHT MILE 1stシーズン -Lift off-(2007年)
- 真救世主伝説 北斗の拳 ZERO ケンシロウ伝(2007年、※映画)
- BAMBOO BLADE(2008年)
- S・A〜スペシャル・エー〜(2008年)
- 魔法遣いに大切なこと ~夏のソラ~(2008年)
- 無限の住人(2008年)
- それいけ!アンパンマン 妖精リンリンのひみつ(2008年、※映画)
- ひぐらしのなく頃に礼(2009年)
- 君が主で執事が俺で(2009年)
- しゅごキャラ!! どきっ(2009年)
- それいけ!アンパンマン だだんだんとふたごの星(2009年、※映画)
- おおかみかくし(2010年)
- 天体戦士サンレッド(2010年、※第二期)
- とある飛空士への恋歌(2014年)
- 俺、ツインテールになります。(2014年)
- これから先、何度あなたと。(2015年、※ミュージックビデオ)
- ヒストリー機関(日本アニメ(ーター)見本市)(2015年)
- 妖怪ウォッチ(2016年)
関連人物
アニメーター・演出家
その他
出身者
注釈
- ^ 設立から現在まで自社で著作権を保有する作品ではフジテレビ系との取引は一切無い。ただし、Aプロダクション時代からシンエイ動画初期に製作業務に参加した作品はあった。
- ^ 現在の西東京市
- ^ 現: エクラアニマル、設立は1982年(昭和57年)
- ^ 現: 西東京市田無町2丁目
- ^ テレビ朝日はアニメでは元々、同局の前身・日本教育テレビ(NET)の設立母体の一つである東映の傘下企業かつ創業者・楠部の出身企業である東映アニメーション(旧東映動画)との作品を中心としていたが、『ドラえもん』の成功以降順次シンエイ動画中心へと変化していき、一時東映アニメーションとの全国ネット作品が途絶えることもあった。このため、東映アニメーションは在阪準キー局・朝日放送(ABC)と組むことでテレビ朝日系列における全国ネット作品を維持することになったが、シンエイの前身・Aプロダクションはかつて東京ムービーとの関係上ABCと近い関係にあった経緯を踏まえると、結果的にアニメ枠に関してはテレ朝・ABCと東映・シンエイの関係が逆転することになった。朝日放送は1975年3月30日にそれまでNET系列だった毎日放送(MBS)とネットチェンジするまでTBS系列だったが、AプロダクションはABC同様に東京ムービーを通じてMBSや読売テレビ(YTV)とも比較的親密な関係だった。
- ^ Aプロ時代には東宝チャンピオンまつりで上映された短編の『パンダコパンダ』シリーズがある。シンエイ動画になってからも1977年に21分の『草原の子テングリ』があったが、PR映画であり一般の配給網には乗らなかった。
出典
- ^ 『アニメージュ』1985年1月号、徳間書店。楠部大吉郎インタビューでの本人の証言。
- ^ 『アニメージュ』2000年5月号、徳間書店(小黒祐一郎「第19回 渡辺歩」『この人に話を聞きたい アニメプロフェッショナルの仕事 1998-2001』飛鳥新社、東京、2006年、312ページ頁。ISBN 4-87031-758-3。)。シンエイ動画社員の渡辺歩が楠部から説明されたという証言。
- ^ a b 『リトル・ニモの野望』p.55。
- ^ 「会社沿革」 シンエイ動画公式サイト
- ^ キクちゃんとオオカミ ブログパーツ シンエイ動画公式サイト
- ^ 「シンエイ動画株式会社の株式取得による連結子会社化のお知らせ」 テレビ朝日 IRニュース、2008年10月2日
- ^ 「シンエイ動画株式会社の100%子会社化のお知らせ」 テレビ朝日 IRニュース、2010年10月6日
- ^ 「スクリーンにかかったテレビアニメーション 東宝チャンピオンまつり」『キネ旬ムック 動画王 Vol.7』キネマ旬報社、1998年、p131
- ^ 白石雅彦編著『平成ゴジラ大全1984~1995』双葉社、2003年、p38
- ^ 原恵一、浜野保樹編著『アニメーション監督 原恵一』晶文社、2005年、p31
- ^ ~特命!沿線ご案内係~「西武鉄道駅員タコちゃん」発進! (PDF, 西武鉄道・シンエイ動画 2011年4月14日)
- ^ hulu - アニメで分かる心療内科(2015年2月14日閲覧)ではスタジオ名が「シンエイ動画」と表記されている他、同作の公式サイトのドメインをシンエイ動画が取得している。
参考文献
- 『アニメージュ』(1985年1月号、徳間書店) - Aプロダクション特集。楠部大吉郎インタビュー。
- 大塚康生『作画汗まみれ 増補改定版』徳間書店、2001年
- 大塚康生『リトル・ニモの野望』徳間書店、2004年
- 「楠部大吉郎ロングインタビュー」『キネマ旬報別冊 動画王 Vol.07』キネマ旬報社、1998年
- 「近藤喜文さんがAプロで過ごした青春時代」『アニメージュ』徳間書店、1998年4月号
- 大塚康生、森遊机『大塚康生インタビュー アニメーション縦横無尽』実業之日本社、2006年
関連項目
外部リンク
座標: 北緯35度43分45.6秒 東経139度32分30.9秒 / 北緯35.729333度 東経139.541917度