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2007年11月4日 (日) 12:07時点における版
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生年月日 | 1941年10月3日 |
出身地 | |
最終学歴 | 東京大学 |
前職 | 大蔵省勤務 |
役職 | 元・建設大臣 元・保守党党首 |
世襲の有無 | 二世 義父・野田武夫 |
選挙区 | 熊本2区 |
当選回数 | 12回 |
所属党派 | (自由民主党→) (高志会=自由改革連合→) (新進党→) (自由党→) (保守党→) 自由民主党(山崎派) |
党の役職 | 衆議院議員総会長 |
会館号室 | 衆・第二議員会館415号室 |
ウェブサイト | http://www.nodatakeshi.com/ |
野田 毅(のだ たけし、1941年10月3日 - )は、日本の政治家、自由民主党所属の衆議院議員。旧姓、小立。
人物
大阪府立寝屋川高等学校を経て、1964年に東京大学法学部を卒業、大蔵省へ入省。同期には田波耕治、野口悠紀雄、涌井洋治など。当初から政治家を志し、入省時の面接試験で「いずれ政治家になりたい」旨を答えている。1968年に野田武夫元衆議院議員の許へ婿入りし、野田姓となる。1972年、野田武夫の急逝に伴い大蔵省を退官、後継者として同年末の衆議院総選挙に旧熊本1区から出馬し初当選。
中曽根派に所属、藤波孝生の側近として「新生クラブ」の事務局長を務め、同派で同期当選、渡辺美智雄系の山崎拓とはライバル関係であった。
1989年6月の宇野内閣で建設大臣に就任し初入閣。2年後の1991年11月には、宮澤内閣において国務大臣・経済企画庁長官として2度目の入閣を果たした。
1994年、日本社会党委員長・村山富市への首班指名に反対し、新党ブームに乗り海部俊樹らと自民党を離党。同年、新進党結党に参加する。その後の新進党分裂では小沢一郎と行動を共にし自由党を結成。自由党が与党入りしたことにより、1999年の小渕恵三内閣では自治大臣・国家公安委員長に就任し3度目の入閣。2000年、自由党が分裂した際は小沢と袂を分かち海部、加藤六月、二階俊博らと保守党を新たに結成し、与党残留の道を選んだ。この保守党結成・小沢一郎との決別には自民党側の多数派工作が存在し、自由党分裂前に野田と青木幹雄・官房長官(当時)が都内のホテルで密会していた様子を報道2001がスクープしている。
2001年、扇千景を事実上引き摺り下ろす形で保守党党首に就任。この時の自民党幹事長が山崎拓で、かつてライバル関係にあった2人もこの時は打ち解け、その仲が接近した。2002年12月の保守新党結党を前に、保守党党首でありながら小池百合子らを連ねて自民党に復党した。ただ、この露骨なまでの自己保身は、保守新党内で扇や海部俊樹から「情けないわねぇ」、「人間として許されない」など激しい反発を買った。
財務・経済・商工分野に明るい。また、日中協会会長を務めるなど、親中派の立場を鮮明にし、小泉前首相の靖国神社参拝や外交姿勢を批判した。
フジテレビの「報道2001」にて中国の反日政策や朝鮮戦争の記述など明らかに間違えている中国教科書について、中国をフォローし中国共産党の代弁ばかり言っていた野田に対し、民主党の原口一博から「野田さんは(テレビ番組を通して)中国政府に言っているので、こういうことを言う」と指摘された。
2005年、郵政国会では総務会決議において反対し、衆議院本会議では棄権したが、非公認では選挙は戦えないことから最終的には賛成に転じ公認を得る。2007年9月,安倍内閣崩壊に伴う、自民党総裁選では福田康夫元官房長官を支持。推薦人に名を連ねる。
来歴
- 1972年12月 - 自由民主党公認で衆議院議員初当選。
- 1978年12月 - 経済企画政務次官就任。
- 1980年7月 - 通産政務次官就任。
- 1986年1月 - 衆議院商工委員長。
- 1989年6月 - 建設大臣就任。
- 1991年11月 - 国務大臣・経済企画庁長官就任。
- 1994年7月 - 自由民主党を離党。
- 1998年1月 - 自由党結党に参加、幹事長に就任。
- 1999年1月 - 自治大臣・国家公安委員長就任。
- 2000年4月 - 自由党を離脱し保守党結党に参加、幹事長に就任。
- 2001年9月 - 保守党党首に就任。
- 2002年12月 - 自由民主党へ復党。
- 2006年10月 - 党衆議院議員総会長、党総務に就任。
また、近未来政治研究会(山崎派)常任顧問に就任。
主な所属議員連盟等
- 北京オリンピックを支援する議員の会幹事長
- 日韓議員連盟副会長
関連項目
外部リンク
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