篠ノ井線

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篠ノ井線
姨捨駅付近を走行する特急「しなの」
姨捨駅付近を走行する特急「しなの
基本情報
日本の旗 日本
所在地 長野県
起点 篠ノ井駅
終点 塩尻駅
駅数 15駅
電報略号 シノセ[1]
開業 1900年11月1日
全通 1902年12月15日
所有者 東日本旅客鉄道
運営者 東日本旅客鉄道
日本貨物鉄道
使用車両 使用車両を参照
路線諸元
路線距離 66.7 km
軌間 1,067 mm
線路数 単線複線
電化方式 直流1,500 V
架空電車線方式
最大勾配 25
最小曲線半径 300 m
保安装置 ATS-P姨捨駅桑ノ原信号場構内はATS-SN
最高速度 130 km/h
路線図
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篠ノ井線(しののいせん)は、長野県長野市篠ノ井駅から長野県塩尻市塩尻駅までを結ぶ、東日本旅客鉄道(JR東日本)の鉄道路線幹線)である。

事業基本計画および国土交通省監修『鉄道要覧』では篠ノ井駅を起点としているが、JR線路名称公告では塩尻駅を起点としており、また列車運行上は塩尻駅から篠ノ井駅へ向かう列車が下り、逆が上りとなっている。以下、路線データ・経路図を除き特記なければ、塩尻駅から篠ノ井駅へ下り方向に記述する。

概要

東京名古屋の両都市圏からの特急列車東京駅とは「あずさ」、名古屋駅とは「しなの」)が中央本線から当路線に直通しており、長野県中部の塩尻市松本市安曇野市と同県の県庁所在地長野市とを連絡する役割も担う。日本貨物鉄道(JR貨物)による貨物列車も運行されている。

途中、急峻な山間部を走るため一部にスイッチバック区間がある(姨捨駅付近[2]と2か所ある信号場のうち1か所。ただし特急は引き上げ線に入らず姨捨駅を素通りする[2])。

ラインカラーはダークオレンジ。ただし、路線図などでは松本駅以北がダークオレンジで、以南は中央本線と同じ青色で案内されている。

松本駅 - 塩尻駅間は旅客営業規則の定める大都市近郊区間の「東京近郊区間」に含まれ、同区間でIC乗車カードSuica」が利用可能である[3][4][5]

路線データ

全線が東日本旅客鉄道長野支社の管轄となっている。

歴史

関東近畿を連絡する鉄道としては当初、平時には海路の便があり、戦時に敵の攻撃を受けやすい海岸を走る東海道本線ではなく、中山道を経由する路線が検討されていた。実際にこの路線は着工されたが、建設費が嵩むことや開通後の輸送力が制約されることなどから、工事がほとんど進まないうちに中止となった。この路線のための資材輸送線として建設が始まった直江津から長野を経由し上田へ至る路線はそのまま建設が続行され、さらに延長されて碓氷峠を越えて、高崎まで1893年(明治26年)4月に完成した。

一方、1892年(明治25年)6月には鉄道敷設法が制定され、後の中央本線にあたる路線の建設が決定した。これを受けて、長野県会では同年12月に中央本線と信越本線を連絡する「長野若シクハ篠ノ井ヨリ松本ヲ經テ塩尻又ハ洗馬ニ至ル線路」を第一期線に追加するように帝国議会へ要請する決議を採択した。これを中央連絡線と称した。

1893年(明治26年)3月から鉄道庁の技師が派遣されて路線の調査を行った。この結果6つの路線が候補として上がった。東側から現在の国道254号に沿って松本と上田を結ぶ三才山線、長野県道181号下奈良本豊科線に沿って松本と上田を結ぶ保福寺線、国道143号に沿って松本と上田を結ぶ二線路線、国道19号国道403号に沿って松本と篠ノ井を結ぶ篠ノ井線、国道19号や犀川に沿って松本と長野を結ぶ犀川線、国道147号長野県道31号長野大町線・国道19号に沿って大町経由で松本と長野を結ぶ大町線である。どのルートを選んでも険しい峠を長大トンネルで克服したり、地質の悪い区間を通過したりしなければならなかったが、距離が最も短い篠ノ井線が建設費や開業後の運営の点で有利と判断された。この報告を受けて1894年(明治27年)6月23日に帝国議会で「長野県下長野若ハ篠ノ井ヨリ松本ヲ経テ前項ノ線路ニ接続スル鉄道」が第一期線に格上げされ、また同時に提出された法案により起点は篠ノ井と確定された。1896年(明治29年)予算で建設費は359万7470円とされ、明治28年度から31年度までの予定で施工されることになった。しかしその後、工期の変更と予算の増額があり、明治35年度まで掛かって予算767万7751円で施工された。

全線を11の工区に分けて、1896年(明治29年)10月に着工され、1900年から篠ノ井方より順次延伸され、1902年に塩尻駅まで全通した。1906年には八王子駅から伸びてきた鉄道が接続して、東京駅 - 長野駅を結ぶ第2のルートが完成した。1909年の線路名称設定の際には、中央東線に含まれたが、中央東線が塩尻駅以西へ延伸されるに及び1911年に篠ノ井線として分離された。

開業後は、急勾配の続く運転上の難所であり、また線路容量も限られることになった。そのため、昭和に入ると順次中間に行き違いの可能な駅や信号場を新設して線路容量の拡大が図られた。第二次世界大戦後も引き続き信号場の追加が行われ、このうち1961年(昭和36年)と1966年(昭和41年)の2回にわたって新設された潮沢桑ノ原羽尾の3つの信号場はスイッチバック式を採用した。これにより、元から存在した姨捨駅のスイッチバックと合わせて、1駅3信号場にスイッチバックを有する路線となった。

1970年(昭和45年)2月、篠ノ井線用にDD51形ディーゼル機関車30両が配置され、これによって無煙化が完了し、蒸気機関車さよなら運転としてD51形蒸気機関車重連による「さよなら篠ノ井線の蒸気機関車」が運転された。1973年(昭和48年)3月28日に全線で電化が完成した。本来は同年7月10日のダイヤ改正で中央西線の電化とともに開業するものであったが、6年に1度の善光寺開帳に間に合わせるために篠ノ井線のみ先行して電化開業し、4月1日から暫定的な電車化が実施された[8]。中央西線の電化開業時には、381系振り子式車両により特急「しなの」の一部が電車化された。

西条駅 - 明科駅間の、潮沢川に沿う地すべり地帯を通過していた旧線に代わる新線の建設工事は1974年(昭和49年)に開始[9] され、1988年(昭和63年)9月10日に完成した。この際に建設されたトンネルや橋梁はいずれも複線対応であるが、単線での開業となっている。この際、潮沢信号場が廃止され、またその後に羽尾信号場が使用停止されたことから、2009年時点では1駅1信号場にスイッチバックのある路線となっている[注釈 2]

年表

開業当日の姨捨駅

運行形態

基本的に、途中の松本駅を起点・終着として中央本線新宿東京方面、名古屋方面および信越本線長野方面と直通する列車を主体に運転されている。

優等列車

中央東線方面からは、特急「あずさ」が乗り入れ、ほとんどの列車は松本駅を起・終点としている。一部に大糸線方面への直通列車が設定されている。

中央西線方面からは、東海旅客鉄道(JR東海)の特急「しなの」が乗り入れ、全ての列車が長野駅に直通するが、臨時の「しなの」の中には大糸線乗り入れ列車や松本駅を起・終点とする列車も存在する。

普通列車

塩尻駅ではなく松本駅が運用上の基点となっている。松本駅を始発・終着としている中央本線方面の列車は、上下線とも中央東線方面の列車のほうが多く、東京都内の高尾駅立川駅まで運行される列車もある。また、中央西線方面の列車は多くが岐阜県内の中津川駅まで運行されている。これらの関係で、松本駅 - 塩尻駅間は特急も含めて比較的多くの列車本数(毎時2 -3本程度)が設定されている。一方、篠ノ井駅を起点・終着としている列車はなく、全て信越本線の長野駅まで(から)乗り入れる。長野駅を起点・終着としている列車も大半は中央東線方面と直通運転している。一部は松本駅までのものもある。篠ノ井線のみを走行する列車は2021年3月13日のダイヤ改正時点で塩尻駅発松本駅行きが2本、塩尻駅発明科駅行きが1本、松本駅発塩尻駅行きと聖高原駅発松本駅行きがそれぞれ1本となっている。なお、松本駅以北の普通列車は毎時1本程度となっている。

快速列車には長野駅または松本駅 - 飯田線飯田駅を結ぶ「みすず」(篠ノ井線内で快速扱いとなるのは松本発の1本のみであるが各駅に停車)や、中央本線上諏訪駅発長野駅行き下り1本、大糸線信濃大町駅発上諏訪駅行き上り1本(篠ノ井線内は各駅に停車)、長野駅発松本駅行き上り2本(2本とも安茂里駅今井駅を通過するが、うち1本は姨捨駅・冠着駅も通過)、松本駅発長野駅行き下り1本(冠着駅・姨捨駅・今井駅・安茂里駅は通過)、塩尻駅発長野駅行き下り1本(途中で村井駅・松本駅・田沢駅・明科駅に停車、篠ノ井駅は通過。平日のみ運転)がある。これらは基本的に211系E127系長野総合車両センター所属)が使用されている。

313系(JR東海神領車両区所属)も、松本駅発着の中央西線方面の列車において2両または4両で使用されるほか、飯田線直通(岡谷駅経由)の普通列車にも1往復に3両で使用されている。このため、松本駅 - 塩尻駅間はJR東日本の路線としては珍しく、転換クロスシート車両の普通列車が多く乗り入れる区間となっている。

2013年3月16日のダイヤ改正より、塩尻駅 - 長野駅間の一部の列車でワンマン運転が開始された。ワンマン運転の際に使用されるのはE127系のみである。

貨物列車

全線で貨物列車が運行されている。コンテナ輸送も行われているが、寒冷山間地の長野県への石油灯油重油ガソリンなど)輸送が盛んである。石油は、京葉地区京浜地区中京地区にある製油所から内陸の油槽所へ送られている。輸送の高速化のために、タキ1000形貨車で編成された高速貨物列車も設定されている。

牽引機は、EF64形電気機関車EH200形電気機関車である。また、篠ノ井線で列車の発着がある駅は南松本駅のみである[19]

過去の列車

過去の列車は以下の項目を参照

使用車両

篠ノ井線はJR東日本の路線であるが、以下のようにJR東海の車両も乗り入れる。

現在の使用車両

以下は全て電車

過去の使用車両

「キハ」とあるのは気動車客車など車種が記されていない車両は全て電車である。

沿線概況

篠ノ井線は、塩尻市から安曇野市明科地区にかけての松本盆地と、長野市周辺の長野盆地を結ぶ路線で、線路は、同じく両盆地を結んで流れる犀川の川筋ではなく、冠着峠越えのルートに敷設されている。これは、両盆地の間が最近数十万年の間に激しく隆起褶曲した結果、犀川が蛇行しつつ深い渓谷を形成して、川沿いに線路を引ける地形ではなかったためであった。姨捨付近の高所から見晴らす長野盆地は佳景で、日本三大車窓の一つに選ばれている。蒸気機関車時代は難所と呼ばれた冠着トンネルも技術革新のために苦もなく列車が通るようになった。

篠ノ井側から見ると、まず稲荷山駅から冠着トンネルへ向かって40分の1(25)の上り勾配がずっと続く。山腹に沿って曲線を繰り返しながら次第に高度を稼ぐ。千曲川(信濃川)の支流雄沢川と、同じ千曲川の支流犀川の支流麻績川の間の標高955mの尾根の下を全長2,656mの冠着トンネルで潜り抜けると、この路線最高の標高676m地点にある冠着駅へ到達する。

冠着駅から坂北駅まではおおむね麻績川に沿って下る。そこで麻績川の支流の東条川の川筋に入って再び登り、西条駅へ到達する。

西条駅から明科駅までは、潮沢川に沿う区間が地すべり多発地帯であったことや、線路容量が限界に達していたことなどから1988年に新線に切り替えられた区間である。明治時代に建設された当初は、全長365mの御仁熊トンネルを抜けてサミット(山頂部)を通り、全長2,084mの第二白坂トンネルを通って半径300mのカーブを繰り返し25‰で潮沢川に沿って明科駅まで下っていく線形となっていた。1988年に切り替えられた新線では、新しく掘り直された第一白坂トンネルが1,292m、第二白坂トンネルが1,777m、そして第三白坂トンネルが4,261mとなり、最大勾配は23‰とわずかながら改善された。また、この区間はトンネルや橋梁について複線化の準備がなされた設計で建設されたが、単線のままで開通している。

明科駅からは松本盆地に出て、おおむね犀川の右岸に沿って通っている。途中田沢駅 - 松本駅間は山と川に挟まれた狭隘な区間を通過する。松本からは、市街化・工業化の進む平坦な田園地帯を南下し、やがて松本盆地の南端に位置する塩尻駅に達する。

駅一覧

列車運行上の下り方向に(塩尻駅から篠ノ井駅に向かって)記述する。なお便宜上、篠ノ井側の全列車が直通する信越本線篠ノ井駅 - 長野駅間も合わせて記述する。

  • 駅名 … ◆・◇:貨物取扱駅(◇は定期貨物列車の発着なし)
  • 停車駅
    • 普通、普通「みすず」、快速「みすず」…篠ノ井線内は全ての駅に停車
    • 快速…●印の駅は全列車停車、▲印の駅は一部の列車が停車、△印の駅は上りの一部の列車のみが停車、|印の駅は通過
    • 特急「あずさ」「しなの」、臨時快速「リゾートビューふるさと」…各列車記事参照
  • 線路 … ∥:複線区間、∧:これより下は複線、∨:これより下は単線、◇・◆:単線区間(◇は列車交換可能、◆はスイッチバック駅/信号場)
  • 全駅長野県内に所在
  • 標高の単位は m(メートル)
正式路線名 駅名 駅間
営業キロ
累計
営業キロ
標高 快速 接続路線・備考 線路 所在地
篠ノ井線 塩尻駅 - 0.0 715.8 東日本旅客鉄道中央本線岡谷方面)・中央本線支線(辰野方面)
東海旅客鉄道中央本線(木曽福島方面)
(全方面と直通運転あり)
塩尻市
広丘駅 3.8 3.8 664.5  
村井駅 3.0 6.8 628.8   松本市
平田駅 2.0 8.8 609.0  
南松本駅 2.1 10.9 594.6  
松本駅 2.4 13.3 586.0 東日本旅客鉄道:大糸線(塩尻方面との直通運転あり)
アルピコ交通上高地線
平瀬信号場 - 17.5 568.9  
田沢駅 8.3 21.6 555.9   安曇野市
明科駅 6.6 28.2 525.5  
西条駅 9.0 37.2 661.9   東筑摩郡 筑北村
坂北駅 3.7 40.9 601.0  
聖高原駅 4.1 45.0 621.4   麻績村
冠着駅 3.3 48.3 676.0   筑北村
姨捨駅 5.9 54.2 551.2
[* 1]
  千曲市
桑ノ原信号場 - 58.4 458.2  
稲荷山駅 8.7 62.9 358.0   長野市
篠ノ井駅 3.8 66.7 356.2 しなの鉄道しなの鉄道線[* 2]
信越本線
今井駅 2.1 68.8 359.0  
川中島駅 2.2 71.0 362.4  
安茂里駅 2.1 73.1 360.3  
長野駅 2.9 76.0 360.5 東日本旅客鉄道:■ 北陸新幹線飯山線[* 3]
しなの鉄道:北しなの線
長野電鉄長野線
  1. ^ 駅観光案内標では海抜547m。
  2. ^ 運転系統上は長野駅発着となっている。
  3. ^ 飯山線の正式な起点は豊野駅だが、運転系統上は長野駅発着となっている。

2021年度の時点で、JR東日本自社による乗車人員集計[20]から除外される駅(完全な無人駅)は、姨捨駅のみである。

廃止信号場

  • 潮沢信号場 : 1988年廃止、明科駅 - 西条駅間・旧線上(明科駅から4.9 km、西条駅まで4.8 km)
  • 羽尾信号場 : 2008年使用停止、2009年廃止[17]、冠着駅 - 姨捨駅間(冠着駅から3.7 km、姨捨駅まで2.2 km)

過去の接続路線

平均通過人員

各年度の平均通過人員(人/日)は以下の通り[21]

  • 塩尻駅 - 松本駅間
    • 2013年度:24,097人/日
    • 2014年度:23,344人/日
    • 2015年度:24,699人/日
    • 2016年度:24,861人/日
    • 2017年度:25,474人/日
  • 松本駅 - 篠ノ井駅間
    • 2013年度:8,843人/日
    • 2014年度:8,510人/日
    • 2015年度:9,296人/日
    • 2016年度:9,163人/日
    • 2017年度:9,173人/日

脚注

注釈

  1. ^ 優等列車であっても、JR東海の車両を使う特急「しなの」は120 km/h制限で運用されている。
  2. ^ JR線でスイッチバックが2か所以上現存する路線はほかにJR四国土讃線坪尻駅新改駅)、JR九州肥薩線大畑駅真幸駅)がある。
  3. ^ 当時「篠ノ井線」と呼称(逓信省鉄道局『明治33年度鉄道局年報』

出典

  1. ^ 日本国有鉄道電気局『鉄道電報略号』1959年9月17日、21頁。 
  2. ^ a b 原武史【歴史のダイヤグラム】姨捨のスイッチバックの価値『朝日新聞』土曜朝刊別刷り「be」2021年10月23日4面(2021年11月6日閲覧)
  3. ^ a b Suicaの一部サービスをご利用いただける駅が増えます (PDF) 東日本旅客鉄道(2013年11月29日)2021年11月6日閲覧
  4. ^ a b 「中央本線・篠ノ井線でSuica対応駅拡大 2017年4月1日」レスポンス(2016年12月5日配信)2021年11月6日閲覧
  5. ^ a b Suicaをご利用いただける駅が増えます (PDF) 東日本旅客鉄道(2016年12月2日)2021年11月6日閲覧
  6. ^ 『停車場変遷大事典 国鉄・JR編』JTB 1998年
  7. ^ 【第12回】篠ノ井線の路線改良は「未完成」 明科―西条”. 信毎 本のweb (2021年6月30日). 2021年9月14日閲覧。
  8. ^ 平石大貴「47-3改正から50-3改正における急行形直流電車の転配について」『鉄道ピクトリアル』第981号、電気車研究会、2021年1月、76 - 88頁。 
  9. ^ トレッキングガイド内「篠ノ井線の歴史」年表 (PDF) 安曇野市商工観光部観光課/安曇野市観光協会/安曇野市観光情報センター(2021年11月6日閲覧)
  10. ^ 「国鉄主要幹線のATS化進む」『交通新聞』交通協力会、1965年2月2日、2面。
  11. ^ 「篠ノ井線からSL消える 長鉄 22日にお別れ記念運転」『交通新聞』交通協力会、1970年2月13日、4面。
  12. ^ 「篠ノ井線のCTC化完成」『交通新聞』交通協力会、1972年2月6日、1面。
  13. ^ 「通報 ●篠ノ井線松本・篠ノ井間の電気運転開始について(運転局)」『鉄道公報日本国有鉄道総裁室文書課、1975年3月28日、8面。
  14. ^ 信濃毎日新聞』981年6月7日朝刊、6月8日朝刊
  15. ^ 「TOPIC PHOTOS」『鉄道ピクトリアル』第38巻第12号、電気車研究会、1988年12月号、91頁。 
  16. ^ 「JR年表」『JR気動車客車情報 89年版』ジェー・アール・アール、1989年8月1日、143頁。ISBN 4-88283-110-4 
  17. ^ a b 小西純一「長野県内のスイッチバック信号場、駅」『鉄道ピクトリアル』第882号、電気車研究会、2013年11月、22 - 31頁。 
  18. ^ 列車ダイヤ作成ミス…立ち往生、単線に3本進入”. 読売新聞. 2012年7月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年8月27日閲覧。
  19. ^ 貨物時刻表 平成26年3月ダイヤ改正』、鉄道貨物協会、2014年。 
  20. ^ 各駅の乗車人員”. 東日本旅客鉄道. 2022年8月11日閲覧。
  21. ^ 路線別ご利用状況(2013〜2017年度) (PDF) 東日本旅客鉄道(2021年11月6日閲覧)

参考文献

関連項目

外部リンク