亀井善行
読売ジャイアンツ #9 | |
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基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 奈良県大和郡山市 |
生年月日 | 1982年7月28日(41歳) |
身長 体重 |
178 cm 82 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投左打 |
ポジション | 外野手、一塁手、三塁手、二塁手 |
プロ入り | 2004年 ドラフト4巡目 |
初出場 | 2005年7月9日 |
年俸 | 6,900万円(2016年) |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
国際大会 | |
代表チーム | 日本 |
WBC | 2009年 |
この表について
|
亀井 善行(かめい よしゆき、本名:亀井 義行(読み同じ)、1982年7月28日 - )は、読売ジャイアンツに所属するプロ野球選手(外野手、内野手)。
経歴
プロ入り前
奈良県大和郡山市出身。小学3年生で野球を始め、中学時代はボーイズリーグ「オール大和」のエースとして全国大会、ボーイズリーグ日本代表として世界大会を制覇。上宮太子高等学校では3年春に第72回選抜高等学校野球大会出場。
東都の中央大学に進学後は内野手(主に遊撃手)として1年春からレギュラーで出場。上級生になると外野手にコンバートされた。東都大学野球リーグでMVP1回・ベストナイン3回を受賞し、4年時には東都通算10人目の通算100安打を達成、主将として秋季リーグで25年ぶりの1部優勝に貢献した[1]。日米大学野球選手権大会、世界大学野球選手権大会の日本代表にも選ばれ、銀メダルに貢献している。東都大学リーグ通算108試合出場、401打数101安打、打率.252、13本塁打、53打点。
2004年のドラフト会議で読売ジャイアンツから4巡目指名を受け入団。背番号は25。同期入団に東野峻や野間口貴彦がいる。
プロ入り後
- 2005年
- 2軍で打率.320、10本塁打、6盗塁と活躍し、シーズン終盤に一軍昇格。プロ初安打・初打点を記録した。シーズンオフに結婚を発表。
- 2006年
- 3月31日の横浜ベイスターズとの開幕戦に8番・右翼手で出場し、3打数2安打4打点と活躍。6月29日の対横浜戦で山口俊からプロ入り初本塁打を放った。しかし長続きせず65試合の出場にとどまり、打率も辛うじて2割を超える程度しか残せなかった。
- 2008年
- 谷佳知の不振により開幕6試合目で2番打者として起用されると、1番・高橋、3番・小笠原道大と共に球団9年ぶりとなる3者連続本塁打を放ち、チームのシーズン初勝利に貢献。5月からは1番打者に定着したが、5月26日の対北海道日本ハムファイターズ戦で、右足関節を捻挫。7月25日に一軍復帰するが、谷との併用が続いた。中日ドラゴンズとのクライマックスシリーズでは第1戦で負傷した鈴木尚広に代わり第2戦から1番でスタメン出場。14打数7安打1打点の活躍でチームの日本シリーズ出場に貢献。日本シリーズにも出場し、第2戦では大沼幸二から同点適時打、第5戦は打線の7回の涌井秀章からの5連打の一人となったり、第6戦では帆足和幸からチーム唯一の得点となる適時打を放った。第7戦では5番を任され、初回に相手先発の西口文也が自身の打席で暴投し、先制点が入り、なおも1死2、3塁のチャンスだっただセカンドゴロに倒れ、得点できず、後続も倒れてしまった。2回に坂本勇人のソロ本塁打で2点にリードを広げるも、これ以降西武投手陣の継投の前に走者を出せず、8回に逆転され、日本一を逃した。第7戦は無安打に終わってしまい、前述の暴投で先制後のチャンスを逃したのが響く形となってしまったが、一定の活躍を見せた。
- 2009年
- 開幕前に第2回WBCの代表に選出され、3試合の出場で1安打1犠打1盗塁を記録。ペナントレースで規定打席に達したことすらなく実績に乏しい亀井が選ばれたのは、守備を高く評価していた高代延博コーチの強い推薦によるものだった[2]。
- レギュラーシーズンでは1番・右翼手で開幕スタメン出場。当初は調子が上がらず谷と併用されたが、4月25日の対中日戦で左腕の岩瀬仁紀から代打逆転サヨナラ3ランを放ったことで投手の左右にかかわらずスタメンで起用されるようになる[3]。中盤からは李承燁の不調により5番に定着、以降は一塁手としての起用も増えた。6月下旬に25打席無安打、8月には28打席無安打とスランプを経験したが、シーズン25本塁打のうち18本塁打、74三振のうち50三振を7月以降に記録した。球団記録に並ぶ3本のサヨナラ本塁打を放ち、初の規定打席に到達。日本ハムとの日本シリーズでも第5戦での武田久からの同点本塁打を放つなど、日本一に貢献し優秀選手賞を受賞。オフには初のタイトルとなるゴールデングラブ賞に選ばれ、年俸も倍増となった。。U-26 NPB選抜 対 大学日本代表にはオーバーエイジで出場。日韓クラブチャンピオンシップも5番ライトで出場し勝利に貢献。
- 2010年
- 開幕から5番に起用されたものの前年の活躍から一転して不振に陥り、度重なる故障もあって3度の2軍落ちを経験。ルーキー長野久義が台頭した影響で71試合の出場に留まり、打率.185、5本塁打、17打点の成績に終わった。11月6日、減額制限を上回る30%減の年俸4200万円で契約更改した[4]。秋季キャンプでは「たぐいまれな器用さがある」と評する原辰徳監督の意向で三塁手へのコンバートが決まり[5]、実戦における守備練習の機会を求めオーストラリアン・ベースボールリーグにも参加した[6]。
- 2011年
- 1月に登録を外野手から内野手に変更。サードの開幕スタメンは新外国人のラスティ・ライアルに譲ったが、そのライアルの不調や他の野手の負傷が相次いだことなどで、徐々に出場機会が増えた。5月14日の対広島東洋カープ戦では、本塁打・三塁打・二塁打を打ち、あと単打を打てばサイクル安打達成となる活躍を見せた(第4打席で凡退し、サイクル安打ならず)。ところが、この試合前の練習中にノック打球の直撃を受けて右手薬指を骨折していたことが翌日に判明、チームを離脱した。6月11日に復帰して不振の坂本勇人に代わって1番でスタメン出場し、自身初の先頭打者本塁打を放った。しかし、一時は3割を記録していた打率もシーズン中盤以降急落。右翼手、中堅手、左翼手、一塁手、三塁手と守れるすべてのポジションでスタメン出場し、打順も1・2・6・7・8番を経験したが、定位置確保には至らなかった。
- 2012年
- 三塁手として新加入の村田修一とレギュラーを争う予定だったが[7]、チーム事情から主に外野手として出場。5月2日の対広島戦では自身の守備のミスでチームが敗北。試合後、原監督は「見苦しい。一晩中寝ないで反省してほしい」と厳しいコメントを出した[8]。しかし、翌日の同カードで汚名返上となる決勝ホームランを放ち、涙ながらにヒーローインタビューに応えた。また、このプレーで5月のジョージア魂賞を受賞した。9月22日対ヤクルト戦の9回表に公式戦で初めて二塁の守備に就いた。しかし、4月に頭部死球で鼻骨骨折、7月に左親指捻挫など怪我に苦しんだこともありレギュラー再奪取は果たせず。打率.236に対し長打率.409と長打力を発揮したものの、2010年を下回る60試合、117打席の出場に留まった。
- 2013年
- 1月7日、登録名を「亀井 善行」に変更することが発表され[9]、登録も外野手に戻った。しかしキャンプイン直後の2月2日に練習のしすぎで左ふくらはぎの肉離れを発症し戦線離脱。4月19日に2軍で実戦復帰し[10]公式戦7試合で打率.188だったものの、5月3日に一軍復帰[11]。同月10日の対横浜戦で4年ぶり自己最多タイの1試合4打点を記録し[12]、また25日のオリックス戦では球団通算5500勝を自身の4年ぶりの逆転サヨナラ打で決めた。復帰後はレギュラーに定着し、主に2番・右翼で先発出場し、東北楽天ゴールデンイーグルスとの日本シリーズではファインプレーで最も大会を沸かせた選手として特別賞のベースボールヒーローズ賞を受賞した[13]。
- 2014年
- 2月26日の試合前練習中、内野ノックで捕球する際に右手に打球を受け、右手人差し指第一関節の骨折と診断される。その後手術を受け回復、5月17日の2軍戦で実戦復帰し、5月31日の対オリックス戦で一軍復帰。7番右翼手で先発出場すると0対0で迎えた延長12回表に馬原孝浩から決勝のソロ本塁打を放った[14]。その後も右翼手のレギュラーとしてスタメン出場を続け、勝負強い打撃と守備でチームの勝利に貢献。チームを2度目の交流戦優勝に導き、交流戦MVPを獲得した[15]。69試合の出場ながら3割近い打率を残した。クライマックスシリーズではファイナルステージで阪神と対戦。チームはストレートの4連敗で敗退したが、第3戦ではランディ・メッセンジャー、第4戦には能見篤史からそれぞれソロホームランを打つなど、不振だった打撃陣においてレスリー・アンダーソンと共に気を吐いた。オフの10月21日に、「日本プロ野球80周年記念試合」の阪神・巨人連合チームに選出された事が発表された[16][17]
- 2015年
- 7月7日のヤクルト戦でプロ入り初の四番打者を任される。巨人の第84代四番打者となった。これについて自身は「全く、想像していなかった。巨人の四番ですから。簡単じゃないのは分かっているし」と述べた[18]。7月16日に、第1回WBSCプレミア12の日本代表第1次候補選手に選出された事が発表された[19]。また、シーズンを通しては規定打席にはあと11打席足りなかったものの、4年ぶりの100試合以上出場を果たし、打率.272、6本塁打、35打点の成績を残した。
選手としての特徴
打撃
打撃では無駄な動きのない安定したスイングから[20]「内角低目を事もなげに打ち返す」という巧打が特徴[21]。2009年にはWBCで同僚だった稲葉篤紀の打撃フォームを参考に25本塁打を記録するなど過去最高の結果を残した[22]。だが、上述のように2010年から2012年にかけてスランプに陥ったが、それは「さらなる長打力を求めて上半身の筋トレに励んだ結果、筋肉のバランスを崩したことが原因」との一説もある[23]。2013年シーズンは長打へのこだわりを捨て、グリップの位置を下げてオープンスタンス気味に構え、フォームを一本足打法からすり足打法に変えたことで、低めの変化球へ対応できるようになったと言われる[24][25]。バットはグリップを細くしたイチローモデルを使っている[26]。
かつては左投手を苦手としたために一軍に定着できないでいたが、2008年に対左打率.283を残してから対応し始め[27]、以降も2010年までの通算対右打率.263に対して通算打率.257と投手の左右を苦にしなくなった。初球から積極的に打ちにいくが、選球眼に課題を残し、高めのボール球を振る確率が高い[28]。一軍に定着した2008年から2013年にかけての通算得点圏打率を.270 としている [29]。
守備・走塁
入団当初から遠投115メートルの強肩と広い守備範囲を首脳陣から高く評価されており[30]。特に肩の強さは12球団トップクラスでイチローからも称賛されるほどだった[20]。2010年に内野手にコンバートされ、一塁手、三塁手、二塁手としてもプレーしたが、2013年より本人の希望で外野手登録に戻った。走塁面では一塁到達3.87秒の俊足を誇るが[31]、盗塁は企図・成功ともに少ない。
詳細情報
年度別打撃成績
年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2005 | 巨人 | 20 | 45 | 42 | 1 | 6 | 2 | 0 | 0 | 8 | 1 | 0 | 0 | 1 | 0 | 1 | 0 | 1 | 15 | 0 | .143 | .182 | .190 | .372 |
2006 | 65 | 151 | 141 | 13 | 29 | 12 | 1 | 3 | 52 | 18 | 1 | 0 | 1 | 3 | 5 | 0 | 1 | 38 | 2 | .206 | .233 | .369 | .602 | |
2007 | 20 | 23 | 19 | 3 | 3 | 1 | 0 | 1 | 7 | 3 | 1 | 0 | 0 | 1 | 3 | 0 | 0 | 7 | 0 | .158 | .261 | .368 | .629 | |
2008 | 96 | 298 | 276 | 41 | 74 | 21 | 3 | 5 | 116 | 23 | 7 | 5 | 5 | 0 | 14 | 0 | 3 | 43 | 5 | .268 | .311 | .420 | .731 | |
2009 | 134 | 547 | 490 | 79 | 142 | 25 | 4 | 25 | 250 | 71 | 12 | 7 | 4 | 3 | 45 | 3 | 5 | 74 | 7 | .290 | .354 | .510 | .864 | |
2010 | 71 | 220 | 205 | 22 | 38 | 13 | 0 | 5 | 66 | 17 | 4 | 2 | 1 | 2 | 9 | 0 | 3 | 38 | 4 | .185 | .228 | .322 | .550 | |
2011 | 111 | 308 | 284 | 27 | 70 | 13 | 2 | 3 | 96 | 24 | 7 | 1 | 8 | 1 | 14 | 3 | 1 | 43 | 5 | .246 | .283 | .338 | .621 | |
2012 | 60 | 117 | 110 | 12 | 26 | 7 | 3 | 2 | 45 | 11 | 0 | 0 | 2 | 0 | 4 | 1 | 1 | 13 | 3 | .236 | .270 | .409 | .679 | |
2013 | 86 | 324 | 296 | 31 | 76 | 17 | 0 | 3 | 102 | 25 | 3 | 2 | 9 | 1 | 17 | 0 | 1 | 36 | 5 | .257 | .298 | .345 | .643 | |
2014 | 69 | 268 | 240 | 31 | 71 | 17 | 1 | 8 | 114 | 26 | 3 | 1 | 4 | 2 | 19 | 1 | 3 | 30 | 4 | .296 | .352 | .475 | .827 | |
2015 | 109 | 432 | 382 | 42 | 104 | 21 | 0 | 6 | 143 | 35 | 8 | 1 | 3 | 6 | 40 | 0 | 1 | 59 | 6 | .272 | .338 | .374 | .712 | |
通算:11年 | 841 | 2733 | 2485 | 302 | 639 | 149 | 14 | 61 | 999 | 254 | 46 | 19 | 38 | 19 | 171 | 8 | 20 | 396 | 41 | .257 | .308 | .402 | .710 |
- 2015年度シーズン終了時
年度別守備成績
年 度 |
一塁 | 二塁 | 三塁 | 外野 | ||||||||||||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
試合 | 刺殺 | 補殺 | 失策 | 併殺 | 守備率 | 試合 | 刺殺 | 補殺 | 失策 | 併殺 | 守備率 | 試合 | 刺殺 | 補殺 | 失策 | 併殺 | 守備率 | 試合 | 刺殺 | 補殺 | 失策 | 併殺 | 守備率 | |
2005 | - | - | - | 15 | 20 | 0 | 0 | 0 | 1.000 | |||||||||||||||
2006 | - | - | - | 52 | 61 | 4 | 0 | 1 | 1.000 | |||||||||||||||
2007 | - | - | - | 10 | 10 | 0 | 0 | 0 | 1.000 | |||||||||||||||
2008 | - | - | - | 85 | 119 | 1 | 2 | 0 | .984 | |||||||||||||||
2009 | 47 | 345 | 23 | 3 | 22 | .992 | - | - | 104 | 194 | 5 | 2 | 2 | .990 | ||||||||||
2010 | 22 | 115 | 12 | 1 | 3 | .992 | - | - | 58 | 94 | 5 | 0 | 3 | 1.000 | ||||||||||
2011 | 43 | 209 | 20 | 0 | 13 | 1.000 | - | 42 | 18 | 65 | 5 | 6 | .943 | 49 | 34 | 1 | 1 | 0 | .972 | |||||
2012 | 17 | 81 | 8 | 0 | 10 | 1.000 | 1 | 0 | 0 | 1 | 0 | .000 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | .000 | 32 | 28 | 1 | 0 | 0 | 1.000 |
2013 | 19 | 33 | 4 | 1 | 3 | .974 | - | 3 | 0 | 1 | 0 | 0 | 1.000 | 83 | 103 | 3 | 1 | 0 | .991 | |||||
2014 | 4 | 8 | 0 | 1 | 0 | .889 | - | - | 65 | 94 | 6 | 1 | 1 | .990 | ||||||||||
2015 | 8 | 23 | 0 | 1 | 3 | .958 | - | - | 106 | 158 | 2 | 2 | 0 | .998 | ||||||||||
通算 | 160 | 814 | 67 | 7 | 54 | .992 | 1 | 0 | 0 | 1 | 0 | .000 | 46 | 18 | 66 | 5 | 6 | .944 | 659 | 915 | 28 | 9 | 7 | .991 |
- 2015年度シーズン終了時
表彰
- ゴールデングラブ賞:1回 (2009年)
- スカパー! ドラマティック・サヨナラ賞:1回 (2009年)
- 「ジョージア魂」賞:1回 (2012年度第3回)
- 日本シリーズ優秀選手賞:1回 (2009年日本シリーズ)
- アットホーム 月間クラッチヒーロー賞 : 1回 (2013年5月)
- 日本シリーズ特別賞
- BASEBALL HEROES賞 : 1回(2013年日本シリーズ)
- セ・パ交流戦MVP:1回(2014年)
記録
- 初出場・初先発出場:2005年7月9日、対広島東洋カープ11回戦(広島市民球場)、7番・右翼手で先発出場、4打数1安打
- 初打席:同上、2回表にマイク・ロマノから遊撃ゴロ
- 初安打:同上、6回表にマイク・ロマノから右前安打
- 初打点:2005年7月13日、対中日ドラゴンズ10回戦(札幌ドーム)、8回裏に鈴木義広から右中間へ適時二塁打
- 初盗塁:2006年4月8日、対中日ドラゴンズ2回戦(ナゴヤドーム)、9回表に三盗(投手:岡本真也、捕手:谷繁元信)
- 初本塁打:2006年6月29日、対横浜ベイスターズ9回戦(横浜スタジアム)、5回表に山口俊から右越ソロ
背番号
- 25 (2005年 - 2006年)
- 35 (2007年 - 2008年、2009年WBC)
- 9 (2009年 - )
入団時の背番号25番は尊敬する高橋由伸の24番の次の番号を自分で要求したもの。 2007年、李承燁の背番号変更に伴い、同じ右投左打の淡口憲治、清水隆行もつけた35番に変更。 2009年からは清水がつけた9番に再び変更。
登場曲
- FYA「Must Be Love feat. Smujji」(2005年)
- Eminem「Without Me」(2006年開幕 - 6月)、MONKEY MAJIK「thank you」(2006年7月以降)
- FUNKY MONKEY BABYS「そのまんま東へ」(2007年)
- 湘南乃風「黄金魂」(2008年)
- 湘南乃風「黄金魂」(2009年)、FUNKY MONKEY BABYS「ちっぽけな勇気」(2009年9月以降)
- FUNKY MONKEY BABYS「ちっぽけな勇気」(2010年開幕-7月)、湘南乃風「黄金魂」(2010年開幕 - 7月)、FUNKY MONKEY BABYS「あとひとつ」(2010年8月以降)
- FUNKY MONKEY BABYS「大切」(2011年開幕 - 4月)、JAMOSA「何かひとつ」(2011年5月以降)
- ナオト・インティライミ「Brave」(2012年)
- ハジ→「瞬く間。」(2013年)
- ハジ→「春色。」(2014年 - 2015年)
- ハジ→「逆転満塁ホ→ムラン☆♪。」(2015年7月)
▪lecca 「My measure」(2016年)
登録名
- 亀井 義行(かめい よしゆき、2005年 - 2012年)
- 亀井 善行(かめい よしゆき、2013年 - )
代表歴
脚注
- ^ “神宮燃ゆ!25年ぶり東都制す”. 中央大学HAKUMON Chuo. 2012年10月28日閲覧。
- ^ 「WBCに愛があった」(高代延博著、ゴマブックス刊)より。
- ^ 巨人亀井「あの1本で僕の人生は…」 nikkansports.com 2009年11月25日
- ^ 亀井、三割ダウンで更改&三塁で再出発! スポーツ報知 2010年11月8日
- ^ 亀井三塁コンバート 復活目指し練習開始 nikkansports.com 2010年11月2日
- ^ 【巨人】人生初の二塁も!亀井が帰国 nikkansports.com 2010年12月24日
- ^ 原監督が亀井vs村田を歓迎 nikkanposrt.com 2011年12月29日
- ^ 「寝ないで反省してほしい」/原監督 nikkansports.com 2012年5月3日
- ^ 亀井義行選手の登録名を変更 - 読売ジャイアンツ公式 2013年1月7日閲覧
- ^ “【巨人】亀井2軍で実戦復帰「結果出す」”. nikkansports.com (日刊スポーツ). (2013年4月19日) 2013年4月19日閲覧。
- ^ “亀井、復活だ!4年ぶり4打点”. スポーツ報知. (2013年5月11日) 2013年5月11日閲覧。
- ^ “巨人・亀井 自己最多4打点も…サヨナラ負けにガックリ”. スポニチSponichi Annex (スポーツニッポン). (2013年5月11日) 2013年5月11日閲覧。
- ^ コナミ日本シリーズ2013 表彰選手/賞金・賞品一覧日本シリーズ公式サイト
- ^ 亀井、延長12回2死劇弾!今季1軍初出場で大仕事 - スポーツ報知
- ^ 2014年「日本生命セ・パ交流戦」最優秀選手賞(MVP)および日本生命賞決定のお知らせ 日本野球機構オフィシャルサイト
- ^ 2014 SUZUKI 日米野球シリーズ 阪神・巨人連合チーム出場選手発表 阪神タイガース公式サイト (2014年10月21日) 2015年5月26日閲覧
- ^ 阪神・巨人連合対MLBの出場選手発表
- ^ “「第84代4番」亀井、つない打!原監督「4番」に耳を疑った”. スポーツ報知 (2015年7月8日). 2015年7月8日閲覧。
- ^ トップチーム第一次候補選手発表!11月に行われる「WBSC世界野球プレミア12」へ向けて65名が名を連ねる 野球日本代表 侍ジャパンオフィシャルサイト (2015年7月16日) 2015年8月4日閲覧
- ^ a b 小関順二、西尾典文、泉直樹『プロ野球スカウティングレポート2010』アスペクト、2010年、41頁頁。ISBN 978-4-7572-1744-7。
- ^ 日本経済新聞 2010年6月10日朝刊
- ^ 『ジャイアンツに学ぶ打撃・投球の技』成美堂出版、2009年、150-151頁頁。ISBN 978-4-4151-0793-6。
- ^ 亀井義行不振の原因は“向上心”?野球選手と筋トレの微妙な関係。 NumberWeb 2010年5月3日
- ^ チャンスは『今』でしょ!巨人・亀井善行、復活のときが来た スポーツナビ 2013年5月31日
- ^ 亀井 4年ぶりサヨナラ男復活!原監督「今一番状態がいい」 sponichAnnex 2013年5月26日
- ^ 巨人3年ぶり5発!!至高のフルコースだ nikkansports.com 2013年7月6日
- ^ 『野球小僧 世界野球選手名鑑2009』白夜書房、2009年、89頁頁。ISBN 978-4-86191-508-6。
- ^ 『野球小僧 世界野球選手名鑑2011』白夜書房、2011年、113頁頁。ISBN 978-4-86191-710-3。
- ^ 『野球小僧 世界野球選手名鑑2010』白夜書房、2010年、24頁頁。ISBN 978-4-86191-595-6。
- ^ 大きく育て巨人ルーキー亀井 河野祥一郎「今週のイチ押し!」 日刊スポーツ 2005年5月16日
- ^ 小関順二、西尾典文、石川哲也、場野守泰『プロ野球スカウティングレポート2011』廣済堂出版、2011年、347頁頁。ISBN 978-4-331-51519-8。
関連項目
外部リンク
- 個人年度別成績 亀井善行 - NPB.jp 日本野球機構
- 亀井 善行 - 読売巨人軍公式サイト
- 亀井義行公認ホームページ