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遠藤龍之介

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えんどう りゅうのすけ

遠藤 龍之介
生誕 (1956-06-03) 1956年6月3日(68歳)
日本の旗 日本 東京都
出身校 慶應義塾大学文学部
職業 実業家
親戚 遠藤周作(父)
遠藤常久(父方の祖父)
岡田幸三郎(母方の祖父)
鈴木寅彦(曾祖父)
岡田英次(従伯父)
岡田壯平(再従兄)
清水雅(義祖父)
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遠藤 龍之介(えんどう りゅうのすけ、1956年6月3日 - )は、日本実業家テレビプロデューサー日本民間放送連盟(民放連)会長、フジテレビジョン取締役副会長。北海道文化放送取締役、仙台放送監査役。

作家の遠藤周作の長男。一人息子であり、俳優岡田英次従甥でもある[1][2]

経歴

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東京都出身。慶應義塾幼稚舎慶應義塾普通部慶應義塾高等学校を経て、慶應義塾大学文学部仏文学専攻卒業[3][4]。1981年にフジテレビへ入社。ディレクター、編成制作局編成部副部長、同企画担当部長、編成部長を経て、2003年6月から広報局広報部長。2004年から広報局次長兼広報部長[5]、2006年から広報局長、2008年取締役(広報室担当)広報局長、2010年取締役(総務・人事・広報室担当)広報局長、2012年常務取締役(番組審議室・CSR推進室・適正業務推進室・人事・広報担当)、2013年6月27日付で専務昇格[6]。2019年からフジテレビジョン代表取締役社長兼COOを務めた[7][8]。2006年には母校の慶應義塾普通部(中学校)で「目路はるか教室」の講師を務め[9]、2009年には慶應連合三田会大会イベント部会部会長を務めた[10]

社長在任中の2020年秋の改編では2020年9月25日を以て、午後のワイドショー番組『直撃LIVE グッディ!』(2015年3月30日放送開始)を終了させ、お昼の情報・ワイドショー番組を『バイキング』に一本化させ、9月28日から『バイキングMORE』に改題した他、2021年春の改編では22年間続いた朝のワイドショー番組『情報プレゼンター とくダネ!』(1999年4月1日放送開始)が2021年3月26日に終了している。

2021年6月25日付でフジテレビジョン社長を退任、同社及びフジ・メディア・ホールディングスの取締役副会長に就任した[11]

2022年2月17日、日本民間放送連盟(民放連)は現在民放連会長を務めている日本テレビ会長の大久保好男の後任に内定したと発表した。同年6月10日開催予定の定時総会を経て、就任するとしており、任期は2年間の予定である[12][13]

エピソード

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  • 名前の「龍之介」は生誕の前年(1955年)に父の遠藤周作が芥川龍之介賞を受賞したことに由来している[12]
  • 慶應義塾大学在学中、2学年上の檀ふみから父・周作への葉書の追伸として「もしお暇でほんとによろしかったら、お声をかけてくれれば、どこへでもついていきます」と誘われたが、何の返事もしなかった[14]
  • 趣味は将棋。棋力は高く、囲碁・将棋チャンネルの番組、お好み将棋道場第195回(対局日:2013年8月4日)のプロアマ指導対局(プロの角落ち)において佐藤康光九段に106手で勝利を収めている。学生時代は原田泰夫九段から「慶大将棋部員の強豪」[15]と呼ばれ、「慶大将棋部師範の原田は、今春、合宿の折に龍之介さんと平手でテスト、その棋力、立派な態度に感心した」[15]と讃えられた。また、将棋で北杜夫をあっさり負かし、父の周作から「息子は将棋三段で高校も大学も将棋部だから北君が負けたって仕方がない」[16]と自慢された。父周作に対局を申し込まれ、20回ほど連続で勝ったため、母から「あなた、ちょっと負けてあげなさいよ」とたしなめられたこともある[17]。そんな縁からか、2017年5月より日本将棋連盟の非常勤理事を務めることになり[18]、2月に会長に就任した佐藤康光九段を支えることになった。
  • 大学時代に映画「男はつらいよ」の現場で働いた経験がある。父・周作が山田洋次に「息子を現場で勉強させてくれ」と頼み込んで実現したものだという。「男はつらいよ 寅次郎と殿様」では殿様(嵐寛寿郎)の孫役としてエキストラ出演もしている[19]
  • 父・周作は龍之介に、大学受験を勧めなかったという[8]。これを根拠に、最終学歴は高卒との誤情報が報じられ[8][注釈 1]、インターネット上で拡散したこともあった[8]。龍之介は、「削除を求めようかと思ったけど、角が立つのでやめた」と語っていた[8]

担当した番組

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ドラマ

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アニメ

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バラエティ

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家族・親族

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遠藤家(父方)

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鳥取県東京都

岡田家(母方)

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千葉県海上郡銚子町(現銚子市[21]東京市品川区大井出石町[22]東京都港区[23]

脚注

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注釈

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  1. ^ 例えば、日刊サイゾー(2012年6月11日配信記事)[20]

出典

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  1. ^ 山根道公『遠藤周作その人生と「沈黙」の真実』50ページ
  2. ^ 山口瞳『血涙十番勝負; 続血涙十番勝負, 第11巻』274ページ
  3. ^ 塾員バトン・インタビュー:遠藤 龍之介 君/株式会社フジテレビジョン代表取締役社長兼COO | 慶應義塾基金室”. 2022年12月19日閲覧。
  4. ^ 『週刊現代』2017年4月1日号「フジテレビ亀山社長『6月退場』-新社長は『遠藤周作の一人息子』」
  5. ^ “田中直紀氏がフジTV提訴 「選挙事務所隠し撮り」”. 共同通信. (2004年7月8日). https://web.archive.org/web/20131021193118/http://www.47news.jp/CN/200407/CN2004070801005623.html 2013年10月22日閲覧。 
  6. ^ “人事 フジテレビ役員”. MSN産経ニュース. (2013年6月28日). オリジナルの2013年7月2日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20130702074203/http://sankei.jp.msn.com/economy/news/130628/biz13062803000005-n1.htm 2021年5月28日閲覧。 
  7. ^ “フジテレビ社長に遠藤周作氏長男 「騒動」時に広報部長”. 朝日新聞デジタル (朝日新聞社). (2019年5月13日). https://www.asahi.com/articles/ASM5F6FQ7M5FUCVL028.html 2021年5月28日閲覧。 
  8. ^ a b c d e “フジ新社長の遠藤龍之介氏「高卒社長誕生」デマ語る”. 日刊スポーツ (日刊スポーツ新聞社). (2019年5月14日). https://www.nikkansports.com/entertainment/news/201905130000745.html 2021年5月28日閲覧。 
  9. ^ 第9回目路はるか教室 - 慶應義塾普通部
  10. ^ 2009年実行委員の組織 - 2009年慶應連合三田会大会 -
  11. ^ 株式会社フジ・メディア・ホールディングス 第80期有価証券報告書”. 株式会社フジ・メディア・ホールディングス. 2021年6月25日閲覧。
  12. ^ a b 民放連次期会長に遠藤龍之介フジテレビ副会長”. 読売新聞 (2022年2月17日). 2022年2月17日閲覧。
  13. ^ 民放連会長に遠藤氏内定 フジ副会長、6月就任へ”. 共同通信 (2022年2月17日). 2022年2月17日閲覧。
  14. ^ 『北杜夫マンボウぱじゃま対談 美女かいぼう編』p.38(集英社、1978年)
  15. ^ a b 『狐狸庵VSマンボウ 2』(講談社1975年)p.262
  16. ^ 『狐狸庵VSマンボウ 2』(講談社1975年)p.265
  17. ^ 「対談〜父よあなたは変だった」遠藤龍之介 VS. 斎藤由香”. 日本ペンクラブ・メールマガジン「P.E.N.」第40号. 日本ペンクラブ (2006年3月20日). 2011年10月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年5月28日閲覧。
  18. ^ 日本将棋連盟新役員のお知らせ”. 日本将棋連盟 (2017年5月29日). 2021年5月28日閲覧。
  19. ^ 「男はつらいよ」今のフジで制作難しい 遠藤龍之介社長”. 朝日新聞デジタル. みんなの寅さん考. 朝日新聞社 (2019年12月27日). 2021年5月28日閲覧。
  20. ^ “本多圭の「芸能界・今昔・裏・レポート」Vol.155 「高卒社長が誕生の可能性も!?」フジテレビ“次期社長レース”の行方”. 日刊サイゾー. (2012年6月11日). https://www.cyzo.com/2012/06/post_10746_entry.html 2013年10月22日閲覧。  [信頼性要検証]
  21. ^ 猪野三郎監修『第十版 大衆人事録』(昭和9年)オ・一六四頁
  22. ^ 『人事興信録 第11版』(昭和12年)上オ二六一
  23. ^ 第廿一版 人事興信録 昭和36年(1961年)、お一七九