北海道コンサドーレ札幌
北海道コンサドーレ札幌 | |
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原語表記 | 北海道コンサドーレ札幌 |
呼称 | 北海道コンサドーレ札幌 |
愛称 | コンサ |
クラブカラー |
レッド[1] ブラック[1] ブルーグレー[1] |
創設年 | 1935年 |
所属リーグ | 日本プロサッカーリーグ |
所属ディビジョン | J2リーグ |
クラブライセンス | J1 |
ホームタウン | 札幌市を中心とする北海道[1] |
ホームスタジアム |
札幌ドーム[1] |
収容人数 | 39,232[1] |
運営法人 | 株式会社コンサドーレ[1] |
代表者 | 野々村芳和[1] |
監督 | 四方田修平 |
公式サイト | 公式サイト |
■テンプレート(■ノート)■サッカークラブPJ |
株式会社コンサドーレ事務所 | |
種類 | 株式会社 |
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市場情報 | 非上場 |
本社所在地 |
063-0052 北海道札幌市西区宮の沢2条3丁目4-1 |
設立 | 1996年4月16日[2] |
業種 | サービス業 |
法人番号 | 7430001022464 |
事業内容 | サッカークラブの運営他 |
代表者 | 野々村芳和[1] |
資本金 | 8億7,600万円 (2014年12月期)[3] |
売上高 | 13億2,800万円 (2014年12月期)[3] |
営業利益 | ▲4,600万円 (2014年12月期)[3] |
経常利益 | 4,400万円 (2014年12月期)[3] |
純利益 | 4,700万円 (2014年12月期)[3] |
純資産 | 1,600万円 (2014年12月期)[3] |
総資産 | 7億4,100万円 (2014年12月期)[3] |
従業員数 | 30名(2014年12月期)[2] |
決算期 | 12月期 |
主要株主 |
コンサドーレ札幌サポーターズ持株会 35.56%[2] 石水勲 11.41%[2] 石屋製菓 9.53%[2] 札幌丸井三越 5.94%[2] 他 |
特記事項:「北海道の関与団体」として指定。ゴーイングコンサーン付帯[2]。 |
北海道コンサドーレ札幌(ほっかいどうコンサドーレさっぽろ、Hokkaido Consadole Sapporo)は、日本の札幌市を中心とする北海道をホームタウンとする、日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)に加盟するプロサッカークラブ。
概要
1935年創部の東芝堀川町サッカー部が前身[1]。1996年に同サッカー部が北海道へ移転すると同時に運営会社として株式会社北海道フットボールクラブを設立。同年Jリーグ準会員に承認。1998年よりJリーグ加盟した[1]。2016年より運営会社を「株式会社コンサドーレ」に変更。ホームタウンは「札幌市を中心とする北海道」、ホームスタジアムは札幌ドーム(詳細は#ホームスタジアムを参照)[1]。
チーム名の「consadole(コンサドーレ)」は道民を意味する「道産子(読:どさんこ)」の逆さ読みと、ラテン語の響きを持つ「-ole(オーレ)」を組み合わせたもので[1]、一般公募によって決定された。発足当初のクラブ名はコンサドーレ札幌(コンサドーレさっぽろ)で、ホームタウンも札幌市1市だけだったが、創立20周年を迎える2016年シーズンからチーム名を「北海道コンサドーレ札幌」に変更し、ホームタウンエリアも拡大された[4]。
エンブレムは、北海道に生息する日本最大のフクロウ『シマフクロウ』を象徴的に図案化。頂点に羽ばたく翼を持つシマフクロウの盾型の中に、11個の星(結束したイレブン)、勝利を見据えるシマフクロウの眼光(闘志)、ブリザードを表す白ストライプ(攻撃性)を配し、それらが、ホームタウンを意味するリボンの円弧に根ざすデザイン。シマフクロウがモチーフとなり、1997年にマスコットの「ドーレくん」が誕生した[1]。
練習場はオフィシャルスポンサーの石屋製菓が所有する「宮の沢白い恋人サッカー場」と、札幌ドームの敷地内にある天然芝の「屋外サッカー練習場」[1]。クラブ事務所はかつては札幌ドーム内にあったが、2014年1月29日に宮の沢白い恋人サッカー場内のコレクションハウスを改修して事務所を移転した。
コンサドールズは、日本サッカークラブ史上初のクラブ専属オフィシャルダンスドリルチームである。1997年5月15日、札幌厚別公園競技場でデビュー。試合開始50分前、選手紹介、選手入場前、ハーフタイム、ゴール後、ゲーム終了後(勝利試合のみ)にパフォーマンスを行う。ミスダンスドリルチーム日本大会で優勝の経験もある。サテライト、ユースなどの下部組織を持ち、若手の育成にも力を入れている。
フロント
- 代表取締役会長
- 今井春雄(1996年4月16日 - 1998年1月15日)
- 坂野上明(1998年2月16日 - 2003年1月15日)
- 石水勲(2005年3月11日 - 2005年5月12日)
- 代表取締役社長
- 斉藤達(1996年4月16日 - 1997年2月9日)
- 金井英明(1997年2月10日 - 1998年2月9日)
- 田中良明(1998年2月10日 - 2003年1月15日)
- 佐々木利幸(2003年1月16日 - 2005年3月10日)
- 児玉芳明(2005年3月11日 - 2008年7月10日)
- 矢萩竹美(2008年7月11日 - 2013年3月21日)
- 野々村芳和(2013年3月22日 - )
- ゼネラルマネージャー
- 村野晋(2008年2月 - 2008年12月)
- 三上大勝(2013年1月 - )
歴史
前身
1996年 - 1997年(旧JFL)
1996年
「北海道からJリーグチームを」を合い言葉に、ジャパンフットボールリーグ(旧JFL)へ参加。東芝時代から監督を務めていた高橋武夫が初代監督を務めた。V川崎からJリーグでの実績を持つブラジル人選手のFWアルシンドとDFペレイラを獲得。元ウルグアイ代表経験のあるMFオテーロを獲得した他、第74回全国高等学校サッカー選手権大会の得点王となった初芝橋本高校のFW吉原宏太が入団した。Jリーグから移籍してきたプロ選手とFW川合孝治を含む東芝サッカー部から出向してきた社員選手が混在する41人体制のチーム編成となった。
第1節福島FC戦でFW吉原宏太がクラブ第一号となるゴールを決めた。同年に獲得したFWアルシンドが第2節富士通川崎戦で審判への暴言で4試合の出場停止処分となり、更に第9節大塚製薬戦で一発退場を受けると、2日後に自らの申し出によって退団することになった。7月30日にチェコの一部リーグからFWヨゼフ、MFルボシュを獲得し入団。これにより外国人が6人となり外国人枠が5枠しか無かった為、ペルー国籍を持つMF吉成大がペルーへ研修生として半年間派遣されることになった。その後、DFペレイラが第20節本田技研戦で負傷退場し、守備の要が欠く形となり、チームは流れに乗れず第23節鳥栖戦と第24節東京ガス戦に連敗してしまいJリーグ昇格ができる2位以内が絶望となった。残り6試合をチームが意地を見せ5勝1敗と健闘した。初年度は20勝10敗の5位(全16チーム)の成績でJリーグ昇格できず終わった。
シーズン終了後、東芝社員選手の契約更新については、チームに残留する意思を示した社員選手は東芝を退社してプロ契約を結んだ。また、チーム得点王の8点をマークしたFW川合孝治が戦力外通告を受け、1987年から1996年まで東芝サッカー部から務めていた高橋武夫監督が今シーズンを持って退任した。
1997年
元ウルグアイ代表経験を持つウーゴ・フェルナンデスが監督に就任した。1996年まで所属していた選手の多くが退団し、新たに鳥栖から前身の東芝に在籍していたこともあるパナマ代表のFWバルデスが復帰、福岡から世界的に有名なディエゴ・マラドーナの実弟であるMFウーゴ・マラドーナ、名古屋からGKハーフナー・ディド、大塚FCからDF古川毅ら数名を獲得。
「チームはファミリー」を合言葉に快進撃を続け、第7節川崎戦では後半44分1-3から怒涛の攻撃を見せ4-3の延長Vゴールで勝利したり、バルデスとマラドーナのホットラインなどの活躍もあり、26勝4敗(全16チーム)でホーム無敗の成績でJFL優勝、Jリーグ昇格を果たし、バルデスは40得点で得点王となった。またナビスコカップ予選リーグでV川崎、G大阪、横浜MのJリーグ勢を抑え、2勝3分1敗で1位通過し決勝トーナメントに進出を決めるなどの成績も残した。11月にJリーグ臨時理事会でJリーグ正会員として正式承認された。
1998年(Jリーグ)
戦いの場をJリーグに移した1998年、C大阪からFW深川友貴とDF梶野智、G大阪からDF木山隆之らJリーグ経験者を数名獲得、本田技研からMF村主博正とMFバウテルらを獲得し、Jリーグで戦える戦力を補強した。
しかし、1stステージ開幕戦の清水戦ではいきなり1-4と大敗。第4節のG大阪戦でJリーグ加盟後初勝利をあげたが、第7節以降は毎試合2点以上失点し、磐田戦ではFW中山雅史が4試合連続となるハットトリックを献上。1stステージ4勝13敗の16位に低迷。2ndステージは10月中旬の第11節の時点で5勝6敗と持ち直したが、フロントとの意見の不一致からフェルナンデス監督が解任された。後任に石井肇コーチが監督に就き第12節から指揮を執った。10月のシーズン中の補強で柏からMF棚田伸、横浜FからDF埜下荘司、東京ガスからFW関浩二を獲得。2ndステージの残りの試合を3勝3敗となり、2ndステージ8勝9敗の10位で、年間順位は12勝22敗の14位(全18チーム)となった。
しかし、1999年からJリーグが2部制に移行するため、Jリーグ下位4チームとJFL優勝チームによるJ1参入決定戦に参加した。コンサドーレが勝利すればJ1参入が決まるという状況で神戸と福岡にホームとアウェイともに敗れ4連敗を喫して、Jリーグ史上初のJ2リーグへの降格チームとなった[注 1]。
1999年 - 2000年(J2)
1999年
「1年でのJ1復帰」を目指して1998年FIFAワールドカップ(フランス大会)で日本代表監督として指揮を執っていた岡田武史を監督に招聘。また、平塚からDF名塚善寛、鹿島からGK佐藤洋平、ロナウジーニョの実兄MFアシス、FWリカルジーニョ、クレーベルらを獲得。藤枝東からFW河村優と北海道札幌市出身のMF佐賀一平、磐田東からGK藤ヶ谷陽介らが入団。
「1年でのJ1復帰」を目標として掲げていたが、第8節時点で3勝5敗と波に乗れずにいた。外国人の活躍が乏しくリカルジーニョとクレーベルの契約を解除し、代わりにMFビジュ、FWジネイを獲得し第15節から出場した。第24節の時点で12勝6分6敗という成績だったが、第25節以降は負けが込み昇格争いに絡むことなく17勝6分13敗の5位(全10チーム)に終わった。
しかし、明るい兆しがあった。FW吉原宏太が第9節にハットトリックを記録し、チーム得点王となる15得点を取った。U-22オリンピック代表に選出、シドニーオリンピック代表の予備登録メンバーになった。更にはFW中山雅史が負傷離脱したためコパ・アメリカ(南米選手権)に追加招集された。
2000年
吉原宏太がG大阪へ移籍した一方、市原から 野々村芳和、G大阪から播戸竜二、京都から大森健作、FC東京からアウミール、V川崎から高木琢也、ブラジルのサンパウロFCからエメルソンらを獲得。北海高等学校の山瀬功治が入団した。
J2を戦うための戦術を確立して、それを実行することができる選手を各ポジションに揃え、14連勝を含む17試合無敗(16勝1分)[注 2][5] を含む31勝5分4敗でJ2優勝(全11チーム)し、J1昇格が決まった。また、エメルソンが31得点でJ2得点王を獲得、山瀬およびGKの藤ヶ谷陽介がU-19日本代表に選出された。
しかし、少ない予算でJ1昇格を狙うためにクラブが採った策は、主力選手を期限付き移籍で集めてメンバーを固定して戦うというものだった。その結果、エメルソンを含む8人がレンタル選手というチーム編成であった。
2001年 - 2002年(J1)
2001年
創立5周年を迎えた2001年シーズン。レンタルで獲得した選手、特にエメルソンを完全移籍で残留させるためにサポーターから増資を募り、3億円近くの資金を集めた。増資の最大の目的であったエメルソンは退団したが、大分のFWウィルをレンタルで獲得した。
開幕戦でC大阪、第2節で柏に連勝。一時は2位に付け、10勝5分15敗の11位(全16チーム)でJ1残留を果たした。ウィルが24得点で得点王を獲得した他、山瀬功治がJ1最優秀新人選手賞を受賞。この年も新人の今野泰幸が高卒1年目でレギュラーを獲得した。シーズン終了後に岡田が監督を退任した。同年完成した札幌ドームの集客効果も加わり、平均観客動員数は2万人を突破した。
2002年
監督に元日本代表の柱谷哲二が就任。ウィルが横浜FMへ、播戸竜二が神戸へ移籍。また、名塚善寛、野々村芳和が引退した。ウィルに替わるストライカーとして、ロシアサッカー・プレミアリーグのFCスパルタク・モスクワからブラジル人FWロブソン、東京Vから小倉隆史、G大阪から小島宏美らを獲得した。しかし、ロシアリーグ得点王(後にこの経歴は虚偽と判明)、UEFAチャンピオンズリーグ出場という肩書きをひっさげて鳴り物入りで加入したロブソンが全く振るわず、チームは開幕から黒星を重ねた。結局ロブソンは同年加入したDFマクサンドロと共に5月末に退団。6月に柱谷は監督を解任された。
後任の監督として リーガ・エスパニョーラ「レアル・オビエド」のチームコーディネータを務めていたイバンチェビッチ・ラドミロを招聘し、また同じくユーゴスラビア(現セルビア)人FWバーヤック、ブラジル人MFジャディウソンの2人の外国人選手をはじめ、日本人選手も次々と獲得して立て直しを図ったが、成績は上向かずにイバンチェビッチは9月に辞任した。後任に張外龍が就任したが、2ndステージ第11節の鹿島戦に敗れて、2度目のJ2降格が決定。シーズン通算で5勝1分24敗の最下位(全16チーム)に終わった。
2003年 - 2007年(J2)
2003年
- チームスローガン:We Shall Return
1年でのJ1復帰を掲げ、監督に鹿島や名古屋で監督を務めたジョアン・カルロスを招聘。また横浜FMを退団したウィルが復帰し、MFホベルッチ、MFベットという2人の元ブラジル代表選手を獲得した。一方、ジョアン・カルロスと確執のあった小倉が退団した他、山瀬功治が浦和へ移籍した。
シーズンに入り、ベットがホームシックで退団、ケガで療養中のウィルが深夜の繁華街で傷害事件を起こしそのまま退団、ホベルッチもジョアン・カルロスとの確執で退団と、外国人選手全員がシーズン半ばで退団した。その後MFビタウ、元大分のFWアンドラジーニャ、元名古屋のMFウリダを獲得したが、第26節の新潟戦で大敗を喫しジョアン・カルロスが辞任。後任は再び張外龍となったが、昇格争いに絡めないまま13勝13分18敗の9位(全12チーム)でシーズンを終えた。
2004年
- チームスローガン:全力蹴球
人件費等の経費圧縮により経営の黒字化を図り、若手主体のチーム編成とユースチームの強化を軸とする長期育成計画の「5段階計画」を立て、レンタル移籍や外国籍選手に頼らずにJ1で安定して戦えるチーム作りを目指す方針を制定。中心選手だった今野泰幸や高年俸のベテラン・外国籍選手が退団した一方、ユースから鈴木智樹と蛯沢匠吾、高卒で上田常幸、上里一将、桑原剛、斉川雄介、大卒で河端和哉、鎌田安啓など新人選手8人、テスト生から入団した静岡FCの清野智秋を獲得した。また、磐田元監督の柳下正明が監督に就任した。
開幕から第4節まで負けなしだったが、三原廣樹が怪我で戦線離脱したことや新居辰基と中尾康二の不祥事による契約解除(解雇)といった事態が起こったため、シーズン途中で横浜FMから金子勇樹、神戸から西嶋弘之を獲得、特別指定選手としてチームに加わっていた権東勇介と正式契約したが、勝利を度外視して若手育成にあてたメンバー構成のチームでなかなか勝ち点を重ねることが出来ず、5勝15分24敗でJ1経験チーム初のJ2最下位(全12チーム 当時は下位リーグとの降格制度はなかった)に終わった。天皇杯はJ1の市原、大分を破りベスト8に進出した。
2005年
- チームスローガン:真っ攻勝負!
柳下体制2年目。GK藤ヶ谷陽介がG大阪へ移籍した一方、広島から林卓人と中山元気、鹿島から池内友彦、磐田から高原寿康と加賀健一を獲得し、大卒の徐暁飛、ユースの石井謙伍と野田達郎が入団した。
前年と同じく5位以内を目標に掲げてシーズンに臨んだが、堀井岳也、上里一将、西澤淳二らが負傷により長期離脱を余儀なくされたことによりチーム力が低下したものの、シーズン中盤に浦和から西谷正也、水戸からデルリスを獲得。西谷は攻撃力の向上に大きく寄与した一方、得点力が期待されたデルリスはチーム戦術に合わず、満足な成績を挙げることができないまま2006年限りで退団した。チームは17勝12分15敗の6位(全12チーム)でシーズンを終え、当初目標としていた5位以内には入らなかったものの、第4クール後半までJ1昇格戦線に食い込む活躍を見せた。特に、DFの要として期待された池内はチームトップの11得点と2桁得点を挙げ、守備だけではなく攻撃でもチームに貢献した。
シーズン中にクラブ取締役が女子中学生買春容疑で逮捕されるという不祥事があった。3月、札幌市西区に選手寮「しまふく寮」が開設[2]。
2006年
- チームスローガン:闘
創立10周年を迎えた2006年シーズン。柳下体制3年目。川崎からフッキ、千葉から芳賀博信、山形から大塚真司と川崎健太郎、水戸から関隆倫、アルビレックス新潟シンガポールから野本安啓、名古屋からセバスティアンを獲得し、ユースから藤田征也と西大伍が昇格した。
リーグ戦序盤はフッキの出場停止や大塚ら主力の怪我も影響し、10試合連続未勝利など成績は低迷した。中盤戦以降は状況は改善していったが、20勝12分16敗の6位(全13チーム)で終了した。しかし、第41節湘南戦、第42節徳島戦ではクラブ史上初の2試合連続6得点を挙げるなど、歯車が噛み合った試合では爆発的な攻撃力を発揮した。「走って繋いで撃ちまくれ それが札幌スタイル」という横断幕も登場し、3年間継続した攻撃的サッカーが根付いたシーズンとなった。天皇杯ではJ1の千葉、新潟、甲府を破り初のベスト4に進出。シーズン終了後に柳下が退任。
2007年
- チームスローガン:Power to 1
元大宮監督の三浦俊也が監督に就任。フッキが東京Vへ移籍、加賀健一が所属元に復帰したが、2006年に途中加入したGK佐藤優也を甲府から完全移籍で獲得。さらにC大阪からDFブルーノ・クアドロス、ECヴィトーリアからFWダヴィ・MFカウエ、大宮からGK高木貴弘、高卒ルーキーの岡本賢明と岩沼俊介を獲得した。
堅守速攻を武器にリーグ序盤に7連勝を果たすなど順調に勝ち点を積み上げ、シーズン途中から首位に浮上。一時は2位に勝ち点差10以上をつける独走状態だったが、シーズン当初から連携強化の為に出場選手を固定してきたことによる主力選手の疲労の蓄積や、台風接近による試合順延で不運な日程を余儀なくされるなど、第3クールとなる8月後半頃から急激に失速、他チームに勝ち点差を詰められ熾烈な昇格争いに巻き込まれた。
この苦しい終盤戦に3年目の石井謙伍、2年目の西大伍、新人の岡本などの若い選手や横浜FCから途中移籍した鄭容臺が起用に応えて活躍し、第45節から48節まで4連勝を飾って首位を死守。最終節の水戸戦に勝利してJ1復帰を果たした。また、東京VがC大阪と引き分けたことでJ2優勝(27勝10分11敗)も決めた。
2008年(J1)
- チームスローガン:Progress
三浦体制2年目。広島から吉弘充志を完全移籍で、神戸の坪内秀介、清水の平岡康裕、新潟のMFディビッドソン純マーカスをレンタル移籍で獲得、新人は室蘭大谷高校の宮澤裕樹と柏U-18の堀田秀平が入団した。一方でブルーノ・クアドロスが退団。新加入した元柏のMFアルセウはキャンプ中に退団したが(その前日の親善試合で監督が指示した守備的なプレーに反発し、相手チームの選手に対する暴力行為で退場したことが発端)、新たにアトレチコPRから元名古屋のMFクライトンを獲得した。
リーグ戦は、中断期間突入時点で降格圏内の17位。FWアンデルソンや川崎から箕輪義信を獲得したが、10月19日の第29節柏戦に敗れて1年でのJ2降格、10月26日の川崎戦に敗れ、最下位が確定。12月6日の最終節で鹿島に敗れて目の前で優勝を決められた。年間順位は4勝6分24敗の最下位(全18チーム)となった。三浦は来シーズンも続投を要請されていたが、降格の責任としてシーズン終了後に辞任した。
2009年 - 2011年(J2)
2009年
- チームスローガン:戦
大分や柏の元監督の石崎信弘が監督に就任。ダヴィが名古屋へ移籍、西澤淳二・池内友彦・西谷正也・アンデルソンなど10人以上の選手(レンタル選手も含む)が退団した。一方でチームの大黒柱でもあり、退団が噂されていたMFクライトンが残留、前シーズン途中に期限付きで加入した箕輪義信を完全移籍で獲得した。またダヴィの移籍に伴い、移籍先の名古屋から3億円近くの高額な移籍金が入った為、更なる補強を断行した。具体的には、スウェーデンのユールゴーデンIFからFWキリノ、コロンビアのインデペンディエンテ・メデジンからMFダニルソン、アジア枠で韓国の浦項からDF趙晟桓(チョウ・ソンファン)と3人の新外国人選手を獲得。また、日本人では大宮からGK荒谷弘樹を獲得した。新人は沖縄大学から上原慎也が入団、曵地裕哉、古田寛幸がユースから昇格した。7月、MFクライトンが以前から抱えていた怪我が悪化。残りのシーズンに出場出来ないと判断され退団、代わりにハファエルが加入した。さらに、シーズン途中には柏の石川直樹をレンタル移籍で獲得した。
若手中心の布陣のため連勝・連敗の浮き沈みが激しかった。勝ち切れない試合も多く(J2最多の16引分)、年間順位21勝16分14敗の6位(全18チーム)で終了した。
2010年
- チームスローガン:「MOVE」 -より速く、より正確に、よりタフに-
石崎体制2年目。西大伍が新潟へ、ダニルソンが名古屋へレンタル移籍、曽田雄志が現役を引退した一方、6チームとの競合を制して磐田から中山雅史を獲得。FC東京から藤山竜仁と近藤祐介、愛媛から内村圭宏、広島から李漢宰を獲得した。シーズン途中に清水の高木純平をレンタル移籍で獲得した。
開幕に躓き、5・6月は無敗も5分と勝ち点を伸ばせず、7月以降は怪我人が出るなど1年を通して昇格争いに加わることもなく、年間順位11勝13分12敗の13位(全19チーム)で終了した。終盤は怪我による離脱者が多く、ベンチ入り可能な18人のメンバーを埋められない試合もあった。
2011年
- チームスローガン:Challenge for Smile
創立15周年を迎えた2011年シーズン。石崎体制3年目。6年半在籍した西嶋弘之が徳島へ、ユース時代から在籍していた藤田征也とキャプテンを務めた石川直樹が新潟へ、佐藤優也が北九州へ、吉弘充志が愛媛へ、堀田秀平が新潟シンガポールへ、李漢宰が岐阜へ、新潟にレンタル移籍していた西大伍が鹿島へ完全移籍した。また、藤山竜仁が引退、箕輪義信が退団するなどし、多くの選手がチームを去った。一方、新潟から高木貴弘、C大阪から山下達也、鳥栖から日高拓磨、横浜FMから河合竜二を獲得、レンタル移籍だった高木純平は完全移籍となり、三上陽輔がユースから昇格し、室蘭大谷高校の櫛引一紀が入団した。外国人ではチアゴ(元京都)、ユニバーシアード韓国代表のイ・ホスン、ブラジルのクラブからブルーノ、元徳島のアンドレジーニョを獲得した。なお、また、砂川誠は2010年シーズン後に退団したが、2011年シーズン前に再契約した。また、キャンプに練習生として参加していた西村卓朗と契約を締結した。
シーズン中に、アンドレジーニョがAリーグのパース・グローリーFCへ移籍、チアゴが退団するも、浦項スティーラースから岡山一成、ブラジルのクラブからジオゴ、レモスが加入した。
J2開幕戦の愛媛戦に敗れ、東日本大震災の影響による1ヶ月半の中断期間を挟んだ後のホーム開幕戦となる湘南戦にも敗れるなど第11節(4試合目)時点で18位と低迷したが、7月から9月まで10勝3分2敗の成績で9月21日に3位へ浮上。徳島と勝ち点で並んだ第38節、札幌ドームに歴代2位となる観客数39,243人を記録したFC東京戦に勝利。21勝5分12敗の3位(全20チーム)となり、4年ぶりにJ1復帰を果たした。
2012年(J1)
- チームスローガン:「We Go On」 -ただ、ひたすらに-
石崎体制4年目。山下達也がC大阪に、2年間レンタル移籍していたダニルソンが名古屋に、ブルーノがグアラニFCに、ジオゴが徳島にそれぞれ完全移籍、レモスは契約満了により退団、西村卓朗が引退、上里一将が徳島にレンタル移籍した。一方で、鹿島から杉山哲、広島から髙柳一誠、大分から前田俊介、清水から山本真希、新潟から大島秀夫、FC東京からオーストラリア代表のジェイド・ノースを完全移籍で、ジュニーニョをレンタル移籍で獲得。前年に大邱FCにレンタル移籍していたキリノが復帰。さらにユースからシーズン終盤に活躍した奈良竜樹をはじめ、荒野拓馬、小山内貴哉、前貴之、榊翔太がトップへ昇格した。なお、湘南から完全移籍の松尾直人はFC大阪へ移籍した。
なお、室蘭市入江運動公園陸上競技場と函館市千代台公園陸上競技場がJリーグクラブライセンス制度のスタジアム基準を満たさなかったため、初めて全ホームゲームを札幌で開催した[6]。
リーグ戦は第2節から7連敗。第9節のC大阪戦で初勝利を挙げたが、第10節から9連敗を喫した。7月、全北現代モータースより金載桓(キム ジェファン)をレンタル(それに伴い李昊乗の選手登録を抹消[7])、ナウチコからハモンとフォス・ド・イグアスFCからテレを完全移籍で獲得。一方でキリノが湘南へ完全移籍、横野純貴がツエーゲン金沢へレンタル移籍し、ジュニーニョと契約解除した。その後も成績は伸びないどころか逆に敗退を重ね、これで負けてしまえば自力での挽回が不可能という状態となった9月29日の第27節の川崎戦でも惨敗。これによってJ2降格が完全に決定(9月中の降格決定はJリーグ史上初、7試合を残しての降格決定は史上最速)。年間順位は4勝2分28敗の勝点14で最下位(全18チーム)。連勝は無く、アウェー13連敗、年間28敗、総失点88、得失点差-63はJ1ワースト記録。勝点14はJ1がリーグ戦18チーム年間34試合制となって以降最低の記録である[注 3]。シーズン終了後、石崎が監督を退任した。
2013年 - (J2)
2013年
- チームスローガン:北海道とともに、世界へ
監督に札幌のユース及びトップチームコーチを務めた室蘭市出身の財前恵一が就任。財前はチーム初のOB、北海道出身者の監督となった。また、3月に札幌OBの野々村芳和が北海道フットボールクラブの代表取締役社長に就任。強化費が前年の推定5億円から推定2億5000万程度に減額されるのを受けて本来なら契約延長を行いたい主力級の選手にも契約満了後他チームへの移籍を容認せざるを得ない状況に追い込まれた。中山雅史、元主将の芳賀博信が引退、高原寿康及び高木純平(共に清水へ移籍)、岡山一成(奈良クラブへ移籍)、高木貴弘(岐阜へ移籍)、山本真希(川崎へ移籍)、高柳一誠(神戸へ移籍)、大島秀夫(北九州へ移籍)が契約満了に伴い退団、金載桓がレンタル終了で全北現代へ復帰、ハモンがブラジルクラブに、ジェイド・ノースがブリスベン・ロアーFCに、近藤祐介が栃木SCに、岩沼俊介が松本山雅に完全移籍した。
一方、讃岐から趙成眞(チョ ソンジン)を完全移籍で、ブラジルのクラブからパウロンをレンタル移籍、2年間FC東京・徳島にレンタル移籍していた上里一将、金沢にレンタル移籍していた横野純貴が復帰、また、東洋大学で札幌ユースU-18出身の松本怜大が入団、前年度にJユースカップで全カテゴリを通じて初の全国優勝を達成したユースから中原彰吾、永坂勇人、堀米悠斗、神田夢実、阿波加俊太、深井一希の6人がトップへ昇格した。3月にタイのコーンケンFCとクラブ間提携パートナーシップを結び、シーズン中に中原、永坂がコーンケンFCへレンタル移籍した。シーズン中にはテレが規律違反で退団(その後町田へ移籍)したが、来シーズンから加入が内定している阪南大学の工藤光輝を特別指定選手で登録。7月、練習生として参加していたフェホ、ベトナム代表のレ・コン・ビンをレンタル移籍で獲得(それに伴い李昊乗の選手登録を抹消。契約は継続。)
開幕戦で2006年以来の勝利を収めたが、第2節から3連敗し第4節終了時点で21位まで落ちる。その後は大きな連敗はないものの大きな連勝もないという一進一退の展開が続き、第2節から第24節までは2桁順位が続く。第25節で開幕戦以来の1桁順位となる9位に浮上した後は、第29節で11位、第36、38節で10位になった以外1桁順位を維持し、第39節からシーズン初の3連勝を達成したことにより、最終節に勝利すれば得失点差と他の対戦カードの関係で自力でのプレーオフ進出が決まるところまで迫ったが、最終節の北九州戦で引き分けたためプレーオフ出場は成らなかった。なお、最終成績は20勝4分18敗の8位(全22チーム)。天皇杯は4回戦で甲府に敗北した。
2014年
- チームスローガン:北海道とともに、世界へ
財前体制2年目。曵地裕哉(愛媛へ移籍)、三上陽輔(富山へ移籍)が退団、岡本賢明が熊本へ、フェホが中国の北京八喜足球倶楽部へ、趙成眞が韓国の水原三星へ完全移籍、横野純貴がタイのコーンケンFCへ、堀米悠斗が福島へ、神田夢実と阿波加俊太が相模原へレンタル移籍、レ・コン・ビンがレンタル移籍期間満了に伴い退団した。
一方、愛媛から5年ぶりに復帰になる石井謙伍、長崎から金山隼樹、栃木から菊岡拓朗、川崎から薗田淳、神戸から都倉賢、韓国の慶南FCから丁成勳(チョン ソンフン)、オランダ2部のアルメレ・シティFCからステファノを完全移籍で、ブラジルのクラブからヘナンをレンタル移籍で獲得、中原彰吾、永坂勇人がレンタル移籍から復帰、昨シーズン特別指定選手で登録していた工藤光輝、北海道教育大学の上原拓郎が加入、ユースから前寛之、内山裕貴がトップへ昇格した。
シーズン中には、1月に仮契約していた小野伸二がオーストラリアのウェスタン・シドニー・ワンダラーズFCから完全移籍で加入、李昊乗の負傷離脱に伴い相模原へレンタル移籍していた阿波加俊太が育成型レンタル移籍契約を解除し復帰した。また、前貴之が富山、古田寛幸が讃岐へレンタル移籍した。
開幕戦で前年J2降格の磐田にアウェーで勝利するも下位に低迷。第24節から第28節までの間5戦連続で勝利がなく、8月28日に成績不振を理由に財前監督を解任し、新監督にかつて愛媛で監督をしていたイヴィッツァ・バルバリッチが就任した。なお来日の関係で指揮を振るうのが第31節のFC岐阜戦からのため、第29・30節はコーチの名塚善寛が監督代行として指揮することになった[注 4]。 監督交代後4勝2敗5分の成績を残したが、最終的には15勝14分13敗の10位(全22チーム)の成績に終わった。天皇杯は2回戦で清水に敗北した。また、女子サッカーチームとして「北海道リラ・コンサドーレ」を創設し、宗像訓子が初代監督に就任した。
2015年
- チームスローガン:北海道とともに、世界へ
バルバリッチ体制2年目。日高拓磨(富山へ移籍)、前年タイリーグにレンタル移籍していた横野純貴(福島へ移籍)、松本怜大(町田へ移籍)、上原拓郎(熊本へ移籍)、丁成勳、ステファノ(インドネシア・スーパーリーグのペルシジャ・ジャカルタへ移籍)が契約満了、ヘナンがレンタル移籍期間満了に伴い退団した。またイ・ホスンが湘南へ完全移籍、奈良竜樹がFC東京へ、工藤光輝が相模原(7月からはグルージャ盛岡)、内山裕貴がシンガポールSリーグのホウガン・ユナイテッドFCへレンタル移籍した。シーズン中には、小山内貴哉がAC長野パルセイロ、砂川誠が岐阜へレンタル移籍した。
一方、川崎から元日本代表の稲本潤一、岐阜から前年J2得点4位のナザリト、甲府からインドネシア代表のイルファン、C大阪から韓国U-21代表のク・ソンユン(具聖潤)を完全移籍で、川崎から福森晃斗、ブラジルのアヴァイFCから前年東京Vに所属していたニウドをレンタル移籍で獲得、古田寛幸・前寛之・前貴之・堀米悠斗・神田夢実がレンタル移籍から復帰、ユースから進藤亮佑がトップへ昇格した。
開幕戦で勝利し、5月には都倉が6得点でJ2月間MVPを獲得する活躍などがありチームも好調。前半21試合でアウェー戦負けなしのプレーオフ圏内の6位で折り返した。ところが後半戦にに入ると3連敗するなど第19節から7試合勝利がなく、7月24日にバルバリッチ監督を解任してU-18監督の四方田修平が就任したが、新監督就任直後から4試合連続無得点、前監督時代から含めて12戦連続勝利なしなどチームは勝ちきれず、最終的には14勝15分13敗の10位(全22チーム)でシーズンを終えた。
2016年
- チームスローガン:北海道とともに、世界へ
チームは2016年シーズンより運営会社名を株式会社北海道フットボールクラブから株式会社コンサドーレへ、チーム名はコンサドーレ札幌から北海道コンサドーレ札幌へ(但し公式記録などの略称については従前に同じ)、ホームタウンを札幌市から札幌市を中心とする北海道へ変更[8]。 また、リージョナルマーケティング及びF-Powerと共同事業契約を結び、「株式会社エゾデン」を設立。小売電気事業者として電気事業に参入した[9]。
四方田体制2年目。前年に岐阜へレンタル移籍していた砂川誠が引退、古田寛幸(金沢へ移籍)、前田俊介(ガイナーレ鳥取へ移籍)、薗田純(熊本へ移籍)、菊岡拓郎(相模原へ移籍)、ナザリトが契約満了、二ウドがレンタル移籍期間満了に伴い退団した。また、FC東京にレンタル移籍していた奈良竜樹が川崎へ完全移籍、長野にレンタル移籍していた小山内貴哉とパウロンが福島へレンタル移籍した。
一方、神戸から増川隆洋、ブラジルのECバイーアからヘイスとマセード、オペラリオ・フェロヴィアリオECからジュリーニョを完全移籍で獲得。さらに、阿波加俊太と内山裕貴がレンタル移籍元から復帰した。
成績
- 年度別成績・歴代監督
- 通算対戦成績
- ホーム開幕戦
所属選手
- 現役選手・スタッフ
- 背番号の変遷
- 外国籍選手
- 過去に在籍した選手・スタッフ
- 下部組織出身者
代表選出選手
- A代表
- U-23代表
- U-20代表
データ
- 年度別チーム得点王
- ハットトリック
- チーム最多得点試合
- チーム最多失点試合
- Tips
タイトル
- クラブ
- 個人別
- 最優秀選手
- Jリーグベストイレブン
- 得点王
- 新人王
- 札幌ドームサッカー部門MVP賞
ホームスタジアム
ホームスタジアムは札幌ドームである。過去のホームゲーム開催スタジアムは『北海道コンサドーレ札幌の年度別成績一覧#入場者数・主催試合数(年度別・会場別)』を参照。
Jリーグ加盟後に開催したのは札幌厚別公園競技場(札幌厚別)、室蘭市入江運動公園陸上競技場および函館市千代台公園陸上競技場であるが、室蘭・函館は2012年から開催されていない。
なお、札幌厚別もJリーグライセンス制度の基準を満たしていないため、2014年からはJリーグからの許諾を得た特例開催の扱いで数試合に制限して実施しており、Jリーグから2014年度のJ1ライセンス交付時に、札幌厚別の改善計画案について書面での提出を求める「制裁」を受けていた[10][11]。2015年からホームスタジアムを札幌ドームのみにしている[1]。
- 道外での公式戦ホームゲーム
札幌厚別の改修工事(1996年、1998年)、冬季間の積雪による競技場閉鎖、ナイトゲーム用の照明設備が備えられていない等の理由により、道外で公式戦のホームゲームを開催したことがある。
2001年と2002年の高知県での開催は、同年の最初のホームゲームだった。クラブは高知県を準ホームタウンとして定め、2002年には同県でキャンプも実施した。札幌(新千歳空港)と高知(高知空港)を往復するチャーター航空機利用ツアーなども実施したが、入場者数が伸び悩んだため、2002年限りで高知県との準ホームタウン関係を解消した[12]。
年 | 会場 | 試合日 | 対戦チーム | 勝敗 | 入場者数 | |
1996 | 町田 | 5月5日 | JFL 第3節 | コスモ四日市 | 1-2 ● | 966 |
平塚 | 5月16日 | JFL 第5節 | 甲府 | 2-1 ○ | 615 | |
1997 | 長崎県立 | 3月15日 | ナビスコ杯予選 | V川崎 | 2-2 △ | 4,823 |
長良川 | 3月26日 | 横浜M | 1-2 ● | 2,913 | ||
水前寺 | 3月29日 | G大阪 | 1-0 ○ | 2,881 | ||
1998 | 仙台ス | 3月25日 | J 1st 第2節 | 鹿島 | 1-3 ● | 14,682 |
4月15日 | J 1st 第6節 | 浦和 | 2-0 ○ | 12,171 | ||
2001 | 高知陸 | 3月17日 | J1 1st 第2節 | 柏 | 2-1 ○ | 6,276 |
2002 | 3月2日 | J1 1st 第2節 | 仙台 | 0-1 ● | 7,236 | |
2007 | 西が丘 | 4月11日 | J2 第8節 | 福岡 | 0-0 △ | 2,161 |
- スタジアム観戦マナーについて
- リーグ戦ホームゲーム入場者数など
- 入場者数(年度別・最多/最少入場者数)
- 入場者数(年度別・会場別)
スタジアムDJ
- AIR-G' DJ
- 高山秀毅 (2010- )
入場曲
配布物
- マッチデープログラム ホーム全試合会場入り口にて無料配布 北海道フットボールクラブ
- 2003年 - 2005年 : MATCH DAY PROGRAM
- 2006年 - 2008年 : kattare-カッターレ-
- 2009年 : -アカクロ-
- 2010年 - 現在 : VOCS-ヴォックス-
ユニフォーム
チームカラー
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| ||||||||||||||||||||||||
|
- レッド(暖かい炎=ファイティングスピリットの象徴)[13]
- ブルーグレー(針葉樹林の茂る深い森=冷静な判断力の象徴)[13]
- ブラック(北海道の大地=無限大のパワーを象徴)[13]
- ホワイト(雪、シマフクロウ=フェアプレー精神の象徴)[13]
ユニフォームについて
ユニフォームは東芝時代の赤と黒の縦縞を引き継いでいる。
- 1997年 - 1998年は赤と黒の縦縞を基調にブルーグレーを使用。
- 2001年 - 2002年は赤と黒の間に白のラインが入っていた。
- 2005年:正面を赤一色、背面を赤ベースに黒の三本線へ変更。
- 2006年:サプライヤーをKappaに変更したことに伴い赤黒縦縞が復活。
- 2010年:ソックスを黒へ変更。2ndユニフォームの全面に赤黒の帯が付いた。
- 2015年:2ndユニフォームのパンツが赤へ変更。
ユニフォームスポンサー
掲出箇所 | スポンサー名 | 表記 | 掲出年 | 備考 |
胸 | 石屋製菓 | 白い恋人 | 1998年 2002年 - 2007年 2010年 - |
1997年は袖(「石屋製菓」表記)、 2008年 - 2009年は背中 |
---|---|---|---|---|
背中上部 | サッポロビール | CLASSIC サッポロクラシック(1st) ☆SAPPORO(2nd) |
1997年 - 1998年 2002年 - 2007年 2010年 - |
1999年 - 2001年は胸、 2008年 - 2009年は袖 (「サッポロビール」表記) 1st、2ndで分けるのは2014年 - |
背中下部 | なし | |||
袖 | JAグループ北海道 | JA北海道 | 2012年 - | チームの練習着にも掲出 (「JA共済」・「JAバンク」・「ホクレン」表記) |
パンツ | 日本航空 | JAL | 2008年 - | 1998年 - 2007年は袖 2011年は旧ロゴマークを使用 |
※ユニフォームサプライヤーのKappaを含めた5社がオフィシャルパートナー
ユニフォームサプライヤーの遍歴
歴代ユニフォームスポンサー
年度 | 胸 | 背中上部 | 背中下部 | 袖 | パンツ | サプライヤー |
1996 | ハドソン | 東芝 | 解禁前 | サッポロビール | - | PUMA |
1997 | サッポロビール | 石屋製菓 | ||||
1998 | 白い恋人 | JALグループ | ||||
1999 | サッポロビール | 白い恋人 | adidas | |||
2000 | 日本航空 | |||||
2001 | ||||||
2002 | 白い恋人 | サッポロビール | JR北海道 | |||
2003 | ||||||
2004 | ||||||
2005 | ☆SAPPORO | |||||
2006 | Kappa | |||||
2007 | ||||||
2008 | ニトリ | 白い恋人 | ☆SAPPORO | JAL | ||
2009 | ||||||
2010 | 白い恋人 | ☆SAPPORO | ニトリ | |||
2011 | - | |||||
2012 | JA北海道 | |||||
2013 | ||||||
2014 | CLASSIC サッポロクラシック(1st) ☆SAPPORO(2nd) | |||||
2015 | ||||||
2016 | - |
スポンサー
オフィシャルパートナー
|
2016年1月現在
下部組織
下部組織として、高校生年代のU-18(1997年4月設立)、中学生年代のU-15(1997年4月設立)と北海道コンサドーレ旭川ユース・U-15(2004年4月設立)と北海道コンサドーレ釧路ユース・U-15(2016年4月設立)、小学生年代のU-12(2002年4月設立)と釧路ユース・U-12(2016年4月設立)を保有している[14]。
コンサドーレの創設から翌年の1997年4月にトップチームの当時の練習場として使用されていた栗山町の藤野スポーツ広場を拠点として活動、札幌U-18、札幌U-15も同時に開設された。遠方から栗山町に通うユース選手のために、1998年4月にユース尞を栗山町に開設したが、2003年3月に活動拠点を札幌市東区東雁来に移すため栗山町のユース尞を閉鎖した。同年5月に活動拠点を栗山町から東雁来に移しユース専用の東雁来グラウンドを開設。2005年3月に札幌市西区に選手寮「しまふく寮」が開設され、トップ選手と混ざり一部のユース選手が入寮した。同年6月にクラブパートナーでもある進藤病院の院長が練習場運営会社ジャパンスポーツラボを設立し、上川郡東川町に練習場「コンサフィールド東川」を開設した[15]。
ユース・U-18
2012年12月24日 第20回Jリーグユース選手権大会 vsG大阪ユース戦(長居スタジアム)の決勝スターティングメンバー。数字は背番号、(C)はキャプテン。 |
高円宮杯U-18サッカーリーグ2011プレミアリーグイーストは奈良竜樹や榊翔太らを擁して[16] 優勝し初代王者となった。これにより出場したチャンピオンシップは準優勝。2012年のJリーグユース選手権大会で北海道のサッカーのチームとして初めて全国大会を制した[17]。
- 創設年:1997年
- 本拠地:札幌市東区東雁来
- 練習場:東雁来グラウンド、札幌サッカーアミューズメントパーク
スタッフ・所属選手
- コーチ
- 所属選手
成績
年度 | リーグ戦 | 旧高円宮杯 | クラブユース 選手権 |
Jユースカップ | 知事杯全道 | その他出場大会 | U-18監督 | ||||||
所属 | 試合 | 勝点 | 勝 | 敗 | 分 | 順位 | |||||||
2001 | - | - | - | - | - | - | - | ベスト16 | 準優勝 | GL敗退 | (不明) | - | 財前恵一 |
2002 | - | - | - | - | - | - | - | 2回戦敗退 | ベスト4 | ベスト16 | - | ||
2003 | プリンスリーグ 北海道 |
7 | 19 | 6 | 0 | 1 | 優勝 | GL敗退 | GL敗退 | GL敗退 | - | ||
2004 | 7 | 19 | 6 | 0 | 1 | 優勝 | GL敗退 | GL敗退 | GL敗退 | 地区予選敗退 | - | 四方田修平 | |
2005 | 9 | 19 | 6 | 2 | 1 | 優勝 | 準優勝 | GL敗退 | GL敗退 | 準々決勝(初戦)敗退 | 日・韓・中ジュニア交流競技会出場 | ||
2006 | 9 | 15 | 4 | 2 | 3 | 5位 | 予選敗退 | GL敗退 | GL敗退 | 準々決勝(初戦)敗退 | ダラスカップ出場 | ||
2007 | 9 | 25 | 8 | 0 | 1 | 優勝 | GL敗退 | GL敗退 | GL敗退 | 地区予選敗退 | - | ||
2008 | 9 | 27 | 9 | 0 | 0 | 優勝 | ベスト16 | GL敗退 | GL敗退 | ベスト4 | 北海道CSL5位 | ||
2009 | 9 | 23 | 7 | 0 | 2 | 優勝 | GL敗退 | ベスト8 | GL敗退 | 準々決勝(初戦)敗退 | 北海道CSL優勝 | ||
2010 | 7 | 19 | 6 | 0 | 1 | 優勝 | ベスト8 | GL敗退 | ベスト16 | 準優勝 | - | ||
2011 | プレミアリーグ イースト |
18 | 35 | 10 | 5 | 3 | 優勝 | - | ベスト8 | ベスト8 | 2回戦(初戦)敗退 | チャンピオンシップ準優勝 | |
2012 | 18 | 30 | 9 | 6 | 3 | 2位 | GL敗退 | 優勝 | ベスト4 | - | |||
2013 | 18 | 29 | 9 | 7 | 2 | 5位 | ベスト8 | ベスト4 | 不参加[注 5] | ゴシアカップ2013 U16部 準優勝 | |||
2014 | 18 | 20 | 5 | 8 | 5 | 8位 | ベスト4 | GL敗退 | 不参加 | - |
年度 | リーグ戦 | クラブユース 選手権 |
Jユースカップ | その他出場大会 | U-18監督 | ||||||
所属 | 試合 | 勝点 | 勝 | 敗 | 分 | 順位 | |||||
2015 | プレミアリーグ イースト |
18 | 13 | 3 | 11 | 4 | 9位 | ベスト8 | ベスト16 | |
四方田修平 |
川口卓哉 | |||||||||||
2016 | プリンスリーグ 北海道 |
-位 |
- 高円宮杯全日本ユースサッカー選手権は2010年大会をもって廃止。
- 知事杯全道サッカー選手権大会は2015年より第2種(U-18)チームは出場不可。
- 主な全国大会結果
ベスト4以上を記載
- 高円宮杯U-18サッカーリーグ チャンピオンシップ
- 準優勝:2011年
- 高円宮杯U-18サッカーリーグ プレミアリーグ イースト
- Jリーグユース選手権大会
- 日本クラブユースサッカー選手権 (U-18)大会
- 準優勝:2001年
- ベスト4:2002年、2014年
- 高円宮杯全日本ユース(U-18)サッカー選手権大会
- 準優勝:2005年
国際大会
年 | 大会名 | 試合日 | 対戦相手 | 会場 | 結果 |
2006 | ダラスカップ2006 | GL第1戦(4月9日) | サントス・ラグナ | ピザハット・パーク・フィールド 7 | 1-5 ● |
GL第2戦(4月10日) | アイントラハト・フランクフルト | リッチランド・カレッジ・フィールド 10 | 0-4 ● | ||
GL第3戦(4月12日) | ブラックバーン・ローヴァーズFC | ピザハット・パーク・フィールド 7 | 2-1 ○ | ||
2013 | ゴシアカップ2013 U-16部 |
GL第1戦(7月15日) | IFKエステルスンド | ヘーデン 4 | 5-0 ○ |
GL第2戦(7月16日) | ロバトス・フット | ゴシア・アリーナ | 0-0 △ | ||
GL第3戦(7月17日) | FKフィヤールハンメル | ゴシア・アリーナ | 4-0 ○ | ||
決勝T 1回戦(7月18日) | FKリレハンメル | ヘーデン 4 | 7-0 ○ | ||
決勝T 2回戦(7月18日) | キネティック・アカデミー | ゴシア・アリーナ | 5-0 ○ | ||
決勝T 3回戦(7月19日) | MTVトリュブント・リューネブルク | Harlanda 1 | 5-0 ○ | ||
決勝T 準々決勝(7月19日) | グンニルセIS | ヘーデン 4 | 3-0 ○ | ||
決勝T 準決勝(7月19日) | IFエルフスボリ | Slottskogsvallen | 2-2(5PK4) ○ | ||
決勝T 決勝(7月19日) | カンパラ・ジュニア | ゴシア・アリーナ | 2-3 ● |
ユース・U-15
- 創設年:1997年
- 本拠地:札幌市東区東雁来
- 練習場:東雁来グラウンド
スタッフ・所属選手
成績
年度 | 所属 | 部 | リーグ戦 | 高円宮杯 U-15 |
クラブユース U-15 |
JFA プレミアカップ |
U-15監督 | |||||
試合 | 勝点 | 勝 | 敗 | 分 | 順位 | |||||||
2001 | - | - | - | - | - | - | - | - | - | - | 三浦雅之 | |
2002 | - | - | - | - | - | - | - | 準優勝 | 予選敗退 | |||
2003 | - | - | - | - | - | - | - | 準優勝 | - | 森下仁之 | ||
2004 | - | - | - | - | - | - | - | ベスト16 | ベスト16 | |||
2005 | - | - | - | - | - | - | - | 予選敗退 | ベスト16 | 予選敗退 | ||
2006 | - | - | - | - | - | - | - | 予選敗退 | GL敗退 | 予選敗退 | ||
2007 | 北海道カブスリーグ | 1部 | 7 | 21 | 7 | 0 | 0 | 優勝 | 予選敗退 | - | 予選敗退 | 名塚善寛 |
2008 | 9 | 27 | 9 | 0 | 0 | 優勝 | ベスト4 | ベスト16 | 予選敗退 | |||
2009 | 10 | 28 | 9 | 0 | 1 | 優勝 | 準優勝 | ベスト8 | 予選敗退 | |||
2010 | 10 | 27 | 9 | 1 | 0 | 優勝 | ベスト16 | ベスト8 | 予選敗退 | |||
2011 | 15 | 39 | 13 | 2 | 0 | 優勝 | ベスト16 | ベスト8 | - | |||
2012 | 14 | 27 | 8 | 3 | 3 | 3位 | 初戦敗退 | ベスト16 | 予選敗退 | |||
2013 | 14 | 42 | 14 | 0 | 0 | 優勝 | 初戦敗退 | ベスト32 | 予選敗退 | 関浩二 | ||
2014 | 14 | 35 | 11 | 1 | 2 | 優勝 | ベスト16 | ベスト8 | 予選敗退 | |||
2015 | 14 | 38 | 12 | 0 | 2 | 優勝 | 初戦敗退 | ベスト16 | 準優勝 | 佐藤尽 | ||
2016 |
- 主な全国大会結果
ベスト4以上を記載
- JFAプレミアカップ
- 準優勝:2015年
旭川ユース・U-15
- 創設年:2004年
- 本拠地:上川郡東川町
- 練習場:コンサフィールド東川
スタッフ・所属選手
- 監督
- 三浦雅之 (2004年 - 2006年)
- 賀谷英司 (2007年)
- 佐藤尽 (2008年 - 2014年)
- 北原次郎 (2015年 - 現在)
- コーチ
- 川口卓哉 (2004年 - 2007年)
- 松山育司 (2004年 - 現在)
- 竹原靖和 (2008年 - 2011年)
- 柴田慎吾 (2012年 - 現在)
- 所属選手
成績
年度 | 所属 | 部 | リーグ戦 | 高円宮杯 U-15 |
クラブユース U-15 |
U-15監督 | |||||
試合 | 勝点 | 勝 | 敗 | 分 | 順位 | ||||||
2004 | 予選敗退 | 予選敗退 | 三浦雅之 | ||||||||
2005 | 予選敗退 | 予選敗退 | |||||||||
2006 | 予選敗退 | 予選敗退 | |||||||||
2007 | ベスト16 | 予選敗退 | 賀谷英司 | ||||||||
2008 | 北海道カブスリーグ | 1部 | 9 | 13 | 4 | 4 | 1 | 6位 | GL敗退 | 予選敗退 | 佐藤尽 |
2009 | 2部 | 10 | 13 | 4 | 5 | 1 | 4位 | 予選敗退 | 予選敗退 | ||
2010 | 2部 | 10 | 18 | 5 | 2 | 3 | 優勝 | 予選敗退 | 予選敗退 | ||
2011 | 2部 | 15 | 37 | 12 | 2 | 1 | B組優勝 | 予選敗退 | 予選敗退 | ||
2012 | 1部 | 14 | 5 | 1 | 11 | 2 | 8位 | 予選敗退 | 予選敗退 | ||
2013 | 2部 | 14 | 31 | 10 | 3 | 1 | 2位 | 予選敗退 | 予選敗退 | ||
2014 | 1部 | 14 | 20 | 6 | 6 | 2 | 4位 | 予選敗退 | 予選敗退 | ||
2015 | 1部 | 14 | 16 | 5 | 8 | 1 | 6位 | 予選敗退 | 予選敗退 | 北原次郎 | |
2016 | 1部 | 14 |
釧路ユース・U-15
釧路市を本拠地とするR・シュペルブ釧路のジュニアユースを母体にして合同でアカデミー活動を行っている。
ユース・U-12
- 創設年:2002年
- 本拠地:札幌市東区東雁来
- 練習場:東雁来グラウンド
釧路ユース・U-12
- 創設年:2016年
- 本拠地:釧路市・釧路郡釧路町
- 練習場:釧路町運動公園など
スタッフ・所属選手
- 監督
- 浅沼達也 (2002年 - 現在)
- コーチ
- 名塚善寛 (2002年 - 2006年)
- 関浩二 (2004年 - 2005年)
- 佐賀一平 (2006年 - 2007年)
- 相川雄介 (2007年 - 2013年)
- 川口卓哉 (2008年 - 2010年)
- 木崎拓也 (2011年 - 現在)
- 所属選手
下部組織出身者
国際試合
2011年6月に札幌市の姉妹都市の大田広域市で開催された「It's Daejeon国際サッカー大会」に出場。本大会がクラブ初の国際試合となる。[20]
- 親善試合
経営問題
クラブが北海道に移転後から、長年にわたって経営面で問題を抱え続けた。
- 1996年、7億9000万円の赤字を計上。
- 1997年、Jリーグへの昇格を目指すため選手獲得に多大な資金を投入したことから、わずか2年目で累積赤字が17億円になり慢性的な赤字経営となった。
- 1998年、累積赤字が27億円に拡大。
- 1999年、累積赤字が29億円に拡大。札幌市から毎年9000万円(2008年から8000万円に減額)の補助金が開始される。
- 2000年、初の単年度7500万円の黒字を達成し、累積赤字が28億円に減少。この年から2007年まで毎年1億円の補助金を北海道から受ける。
- 2001年、完成した札幌ドームの集客効果で2年連続の単年度黒字1億5800万円を達成し、累積赤字が27億円に減少。札幌ドームの年間3000万円近くする使用料を札幌市から補助金を間接的に受ける。
- 2002年、J2降格など成績不振で、再び単年度8700万円の赤字となり、累積赤字が再び28億円となる。
- 2003年、高額の人件費と観客動員の低迷により、2億8000万円の赤字となり累積赤字は30億円を突破、債務超過も4億5000万円に膨らんだ。
- 2004年、経費削減と移籍金収入により、約3億5000万円の黒字。債務超過は1億円以下に減少。
- 2005年、観客動員・広告収入の増加により、債務超過が約4200万円に減少。
- 2006年、J1昇格を目標に強化費の大幅増加に踏み切るも、入場者数などが伸び悩み1億6000万円の赤字を計上。
- 2008年5月、約20億円の減資を実施[2]。減資と合わせて増資により2億8421万円の資金調達を行う。これにより債務超過の状態が解消された。同年4月28日付けで札幌市に対して、コンサドーレ札幌(当時)についての住民監査請求を受ける。その中で、貸付金や補助金等に係る札幌市の支出額全額(貸付金と補助金の合計で約17億円)が損害にあたるという主張がなされた[注 6]。
- 2012年、8070万円の増資を実施。
- 2013年9月30日、2014年度Jリーグライセンスについて、J1ライセンスの交付が決定したが、2014年までに債務超過の解消の方策を理事会に示す旨の「是正通達」が付帯された[21]。
雑誌
シーズン前キャンプ地
チーム創設時から現在までのキャンプ地の変遷は以下のとおり。
キャンプ地及び対戦相手 | |||
---|---|---|---|
年 | キャンプ地 | 場所 | 対戦相手(勝敗) |
1996 | オーストラリア | ||
神奈川県横浜市 | |||
1997 | 宮崎県綾町 | ||
オーストラリア | |||
1998 | メキシコ | プエブラユース(2-0○) | |
パナマ | ラベ・ウニードス(2-0○)、パナマリーグ選抜(2-1○) | ||
静岡県 | |||
1999 | 沖縄県石垣市 | 神戸(0-2●) | |
高知県春野町 | |||
静岡県豊川市 | シロキ工業SEGグラウンド | ||
2000 | オーストラリア | キャンベラ選抜(3-3△) カンバーランド(6-0○)、V川崎(0-2●)、サウスオーストラリア州選抜(1-0○)、広島(1-0○) 市原(2-0○) | |
静岡県 | |||
宮崎県 | |||
2001 | オーストラリア | ||
静岡県御殿場市 | 全北現代(2-2△)、横浜FC(1-0○) | ||
宮崎県 | |||
2002 | オーストラリア | 南オーストラリア州選抜(4-0○)、アデレード・ブルーイーグルス(1-0○) 、東京V(0-0△)、 アデレードシティフォース(1-1△) | |
宮崎県宮崎市 | シーガイア | 阪南大学(2-2△)、 城南一和(3-0○) 、プロフェソール宮崎FC(4-4△)、 南国高知FC(4-0○) | |
高知県高知市 | 春野運動公園陸上競技場 | ||
2003 | オーストラリア | ||
鹿児島県指宿市 | 京セラ川内FC(2-0○)、 ヴォルカ鹿児島(1-0○)、 鹿屋体育大学(4-0○,3-0○) 、本田技研(2-1○) 福岡(1-1○)、 流通経済大学(5-0○,3-0○) | ||
2004 | グアム | グアム(7-0○)、 東京V(0-1●) | |
鹿児島県指宿市 | 柏(0-1●,0-1●)、 名古屋(0-3●)、 佐川印刷(2-2△)、 本田技研(0-0△)、 静岡産業大学2-0○) アルビレックス新潟(0-1●) | ||
2005 | 静岡県静岡市 | J-STEP | |
鹿児島県指宿市 | 京都(0-2●,0-1●)、 城南一和(1-1△,1-3●,1-1△)、 熊本(0-0△,0-0△,1-2●) | ||
静岡県沼津市 | 愛鷹広域公園多目的競技場 | 磐田(2-1○,0-1●) | |
2006 | 宮崎県宮崎市 | 国際海浜エントランスプラザ | ホンダロック(6-3○)、 福岡(2-1○) 、川崎(1-2●) 横浜FM(1-1△)、 甲府(2-3●) |
熊本県熊本市 | KK WING | 横浜FC(3-0○) 水原三星(0-2●) ロッソ熊本(8-2○) | |
鹿児島県薩摩町 | インターナショナルゴルフリゾート京セラ | 広島(2-3●)、 鹿屋体育大学(4-1○) 、ヴォルカ鹿児島(2-1○) | |
2007 | 沖縄県国頭村 | ふれあい広場 | |
赤間総合運動公園 | |||
熊本県熊本市 | KK WING | 川崎(2-2△)、 城南一和(4-4△)、 水原三星(3-1○)、 甲府(1-1△)、 神戸(2-0○) 国民銀行(2-2△) U-22日本代表(1-0○) 福岡(1-1△) NW北九州(2-2△) | |
2008 | グアム | レオパレスリゾートグアム | 仁川ユナイテッドFC(1-1△,2-2△)、 FC東京(1-1△)、 大宮(0-2●)、 新潟(1-1△) |
熊本県熊本市 | KK WING | 水原三星(0-4●)、 上海申花(2-2△,0-0△)、 鳥栖(0-1●,0-1●)、 福岡(3-2○)、 福岡大学(1-1△)、 熊本(2-1○) | |
2009 | グアム | レオパレスリゾートグアム | 大宮(1-0○)、 神戸(2-2△) |
熊本県熊本市 | KK WING | 清水(0-2●)、 浦項スティーラーズ(3-2○,0-1●)、 FC東京(2-1○)、 NW北九州(2-1○) | |
2010 | グアム | レオパレスリゾートグアム | 大宮(1-2●)、 柏(0-2●) |
熊本県熊本市 | KK WING | 鹿屋体育大学(4-0○)、 神戸(1-2●)、 大分(2-2△) | |
2011 | グアム | レオパレスリゾートグアム | 大宮(1-4●)、 柏(2-2△) |
熊本県熊本市 | KK WING | 熊本(3-3△)、 仙台(0-4●)、 大分(3-2○) | |
2012 | グアム | レオパレスリゾートグアム | 仁川ユナイテッドFC(0-1●) |
熊本県熊本市 | KK WING | 北九州(1-2●)、 関西大学(2-1○)、 福岡(0-0△) 、大分(1-2●)、 鳥栖(4-0○)、 鹿屋体育大学(2-1○) | |
2013 | 北海道札幌市 | サッポロ・イーワン・スタジアム | |
熊本県大津町 | 大津町運動公園 | レノファ山口FC(3-3△)、 水原三星(2-4●)、 長崎(1-0○)、 仙台(1-0○)、 金沢(0-0△)、 熊本(1-1△) 仁川ユナイテッドFC(1-3●)、 福岡(2-1○)、 福岡大学(3-1○) | |
2014 | 沖縄県金武町 | 金武町陸上競技場 | 琉球大学(5-0○) |
熊本県熊本市 | うまスタ/ラグビー場 | 熊本(3-0○)、 山形(0-2●)、 鳥栖(2-4●)、 福岡大学(1-1△)、 仙台(1-2●)、 福岡大学(0-0△)、 東海大学(1-0○) | |
2015 | 沖縄県金武町 | 金武町陸上競技場 | 川崎(1-1△)、 岐阜経済大学(9-2○)、 名古屋(0-5●) |
熊本県大津町 | 大津町運動公園 | 町田(0-0△)、 長崎(1-2●)、 山口(3-0○)、 金沢(非公開) | |
2016 | 沖縄県金武町 | 金武町陸上競技場 | ニューイヤーカップ(沖縄ラウンド):3位 東京V(0-1●)、 FC東京(1-2●)、 琉球(4-2○) 練習試合:湘南(1-0○)、川崎(1-0○) |
熊本県大津町 | 大津町運動公園 | 北九州(2-0○)、 大分(1-2●)、 金沢(勝利(非公開))、 山口(3-2○) |
脚注
- 注釈
- ^ 参加対象は1997-98年のJリーグ2シーズン通算の順位ポイントによるものだったが、1997年シーズンは下部リーグJFLにいた札幌には1998年1シーズンのみの順位ポイントしか計算されなかった。
- ^ 当時は引き分けを挟んでも連勝記録として認定されていたため、J2記録となる16連勝として記録されていた。
- ^ 実数値では、1999年、リーグ戦16チーム30試合時代に湘南が記録した年間通算13が最低。
- ^ 名塚は本来Jリーグの監督をするのに必要なS級ライセンスを保持はしていないが、新監督が決まっていることもあり特例で監督代行になった。
- ^ 高円宮杯U-18プレミアリーグとの日程調整がつかず不参加となった[19]。
- ^ Jリーグ31チームのうち21チームが自治体から補助金を受けたと監査請求の回答書に記載されている。2007年だけの総額で約7億円が自治体からJリーグに補助金として支出されている。
- 出典
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p “クラブガイド:北海道コンサドーレ札幌”. 日本プロサッカーリーグ. 2016年1月31日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i 平成25年12月期有価証券報告書 (PDF) 北海道フットボールクラブ株式会社 2016年1月11日閲覧
- ^ a b c d e f g “2014年度(平成26年度)Jクラブ個別情報開示資料”. 日本プロサッカーリーグ. 2015年11月7日閲覧。
- ^ “株式会社北海道フットボールクラブ(コンサドーレ札幌) 社名・チーム名変更及びホームタウン追加のお知らせ”. 2015年11月28日閲覧。
- ^ Jリーグ・公式戦における「連勝・連敗」の定義について
- ^ “札幌 基準満たせず室蘭、函館開催なし”. nikkansports.com (2012年2月2日). 2012年3月2日閲覧。
- ^ 登録選手追加・変更・抹消のお知らせ Jリーグ公式サイト 2012.07.13
- ^ “株式会社北海道フットボールクラブ(コンサドーレ札幌) 社名・チーム名変更及びホームタウン追加のお知らせ”. 2015年11月28日閲覧。
- ^ “電力自由化に伴う新会社「エゾデン」設立のお知らせ、ならびに3社合同記者発表実施報告”. 2016年1月16日閲覧。
- ^ "クラブライセンス交付第一審機関 (FIB) による 2014シーズン Jリーグクラブライセンスの交付について" (Press release). 公益社団法人日本プロサッカーリーグ. 30 September 2013. 2015年11月10日閲覧。
- ^ “【道スポ】札幌ドーム開催確保へ コンサ来季日程“特例”を要望 3連続ホームなど土日開催死守”. 北海道新聞 (2013年12月27日). 2015年11月10日閲覧。
- ^ 高知新聞 コンサドーレ札幌情報2002
- ^ a b c d “チームデザイン”. コンサドーレ札幌. 2013年11月23日閲覧。
- ^ a b コンサドーレ札幌オフィシャルガイドブック2012 コンサドーレ札幌アカデミー 15年の軌跡 p58
- ^ コンサドーレ札幌オフィシャルガイドブック2007 コンサフィールド東川 p45
- ^ “チーム紹介”. 日本サッカー協会. 2014年8月15日閲覧。
- ^ “Jユースカップ - 決勝:ガンバ大阪ユース、コンサドーレ札幌U-18 両監督・選手コメント”. Jリーグ公式サイト. 2013年12月10日閲覧。
- ^ a b "コンサドーレ札幌U-18監督及びコーチ交代のお知らせ" (Press release). 北海道フットボールクラブ. 7 August 2015. 2015年10月26日閲覧。
- ^ “平成25年度 第31回 知事杯全道サッカー選手権大会 トーナメント表”. 北海道サッカー協会. 2013年7月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年7月2日閲覧。
- ^ “【J2日記】札幌:It's Daejeon”. J's GOAL (2011年6月10日). 2014年2月3日閲覧。
- ^ "クラブライセンス交付第一審機関(FIB)による 2014シーズン Jリーグクラブライセンスの交付について" (Press release). 日本プロサッカーリーグ. 30 September 2013. 2016年1月31日閲覧。
関連項目
外部リンク
公式サイト
- 公式ウェブサイト
- 北海道コンサドーレ札幌 (consadole) - Facebook
- オフィシャルブログ
- クラブコンサドーレ