ジョアン・カルロス
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ジョアン・カルロス・ダ・シルヴァ・コスタ(João Carlos da Silva Costa、1956年1月15日-)は、ブラジル出身のサッカー指導者。鹿島アントラーズなどの監督を歴任し、Jリーグでは通算で4冠を獲得している。なお、サッカー選手としての経験は全く無く、指導者としてのキャリアの最初はフィジカルコーチである。
目次 |
[編集] 指導歴
- 1981年 - 1989年
フラメンゴ監督 - 1985年
U-17ブラジル代表監督 - 1989年
アル・ヒラル監督 - 1990年 - 1993年
フラメンゴ監督 - 1993年 - 1995年
アメリカ-SP監督 - 1996年 - 1998年
鹿島アントラーズ監督 - 1998年
アトレチコ・パラナエンセ監督 - 1999年
アラサトゥーバ監督 - 1999年
ブラジルユース代表監督 - 1999年
ウニオン・サンジョアンEC 監督 - 1999年 - 2001年
名古屋グランパスエイト 監督 - 2001年
セレッソ大阪監督 - 2002年
フラメンゴ監督 - 2003年
コンサドーレ札幌監督 - 2005年
ジャマイカ代表監督 - 2006年
アメリカ-SP監督 - 2007年
アル・ターイ監督 - 2007年
CRB監督 - 2008年
トゥピFC監督 - 2008年
CRB監督 - 2008年 - 2009年
Tigres do Brasil監督 - 2011年 - 2012年
Orlando Pirates監督
[編集] 鹿島アントラーズ時代
1996年、エドゥー(ジーコの実兄)の後を受けて鹿島監督に就任。なお、ジーコは同時に鹿島のテクニカルディレクターに就任している。1998年のシーズン途中で辞任するまで2年半監督を務める。
- 1996年 Jリーグ年間王者
- 1997年 Jリーグ1stステージ優勝
- 1997年 ナビスコカップ優勝
- 1997年 天皇杯優勝
- 1997年・1998年 ゼロックス・スーパーカップ優勝
1997年は年間王者こそ2ndステージ優勝のジュビロ磐田に譲ったものの年間勝ち点の合計では1位であり、2005年の制度であれば年間三冠である。1998年、主力選手の一人であるジョルジーニョとの確執がきっかけで辞任。
[編集] 名古屋グランパスエイト時代
1999年、名古屋のこの年4人目の監督(代行も含む)に就任。後は連戦連勝。チームは天皇杯を制する。
しかし、2000年は選手層が薄くなったことと、主力に怪我人が続出したことが原因で思うような成績があげられなかった。 2001年のシーズンファーストステージでは3位という成績を残したが、主力選手との確執が原因で解任。
[編集] セレッソ大阪時代以降
J2降格の危機に瀕していたセレッソ大阪の監督に就任し、J1残留を託される。しかし、リーグ戦3試合を残してJ2降格が決まり降格直後に辞任する。後任の西村昭宏が残りのリーグ戦を全勝で終え、天皇杯は準優勝となる。
その後、2003年にはこの年からJ2に降格したコンサドーレ札幌の監督に就任するが、シーズン途中で辞任した。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
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