待つわ

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待つわ
あみんシングル
初出アルバム『P.S. あなたへ…
B面 未知標(みちしるべ)
リリース
規格 レコードシングル
ジャンル J-POP
レーベル PHILIPS RECORDS
作詞・作曲 岡村孝子
チャート最高順位
  • 週間1位(オリコン
  • 1982年度年間1位(オリコン)
あみん シングル 年表
待つわ
1982年
琥珀色の想い出
(1982年)
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待つわ」(まつわ)は、あみんの楽曲で、デビューシングル1982年7月21日PHILIPS RECORDS/日本フォノグラム(現:ユニバーサルミュージック)から発売された。

解説[編集]

デビューシングルながら、1982年オリコン年間売上1位となるヒットを記録した。週間チャートでは6週(8月30日 - 10月4日付)にわたり1位を獲得している。

あみんは当時、名古屋市千種区椙山女学園大学に通う現役の女子大生の岡村孝子・加藤晴子のデュオであった。第23回ヤマハポピュラーソングコンテスト(通称:ポプコン)において「待つわ」でグランプリを獲得、その後同曲がファースト・シングルとして採用され、デビューした[1]

「待つわ」の累計売上は120万枚を超える[2]

TBS系列の『ザ・ベストテン』では、8月26日放送分で第6位に初登場した。9月23日から10月14日放送分まで、4週にわたり1位を獲得し、合計12週に渡ってランクインした。また、1982年暮れの『第33回NHK紅白歌合戦』に「待つわ」で出演した。デビューからわずか5ヶ月ほどでの選出となった。この映像は、NHK番組公開ライブラリーでも視聴可能である。

あみんの活動休止後(1983年)、岡村は「待つわ」をソロで歌ったことはない[3]。解散後、相手を変えて、あみんとしての活動を続行する話があったものの、加藤以外の人物と組むことは全く考えていなかったという[4]。2002年の歌手デビュー20周年記念コンサート・ツアーでは、最終日9月6日・渋谷公会堂(当時の名称)公演に加藤がスペシャル・ゲストとして登場し、およそ20年ぶりに生で「待つわ」を披露した。なお、同公演では岡村と加藤のハーモニーが20年ぶりに新たな形となった「天晴な青空」(2002年)も披露されており、『Encore V 〜20th Anniversary Concert Tour, '02 DO MY BEST〜』としてDVD化もされている。

岡村が加藤を誘ったことがきっかけとなり、2007年には活動が再開された[5]。復活第1弾シングルとして「待つわ」のリメイクを含む「ひまわり/待つわ'07」(2007年)を、7月25日には25年ぶりにして2作目のオリジナルアルバムIn the prime』をリリース。このアルバムには、本シングル盤B面曲セルフカヴァー「未知標'07」も収録されている。同年、『第58回NHK紅白歌合戦』にも「待つわ」のリメイクで出場した。

また、あみんの1枚目のアルバム『P.S. あなたへ…』には、前奏がオルゴールの音から始まるアルバム・バージョンが収録されている。

1982年当時に撮影されたPVでは、地下鉄半蔵門線青山一丁目駅ホームやこどもの国が登場するシーンがある。

1998年、トヨタ自動車の「デュエット」のCMソングに起用された。

2011年9月下旬よりソフトバンクモバイルの『ULTRA Wi-Fi』のCMソングに起用された。

収録曲[編集]

  1. 待つわ (4:24)
  2. 未知標 (みちしるべ) (4:35)

収録アルバム[編集]

  • 待つわ
    • オリジナルアルバム未収録
    • ポプコン・スーパー・セレクション あみんベスト
    • DO MY BEST (岡村孝子デビュー20周年記念ベスト)
    • P.P.S あなたへ…
  • 待つわ(Album Version)
  • 待つわ'07
  • 未知標
    • オリジナルアルバム未収録
    • ポプコン・スーパー・セレクション あみんベスト
    • P.P.S あなたへ…
  • 未知標(岡村孝子ソロバージョン)
  • 未知標'07

ヒット当時のエピソード[編集]

当時、名古屋地区ローカル番組5時SATマガジン』(中京テレビ)の「ローカルスターベストテン」に“陽気なあみん”を名乗る女子大生デュオ(あみんの2人が通っていた椙山女学園とは別の大学に在学)が登場し、彼女たちの歌う「待つわ」を名古屋弁に訳した替え歌「待っとるがや」が披露された。このことに関して本家あみんは黙認をしていたようだが、あまりの反響にレコード発売の話が持ち出されたため、あみんサイドが待ったをかけ、ジャケットのデザインが完成済などリリース寸前ながら発売は見送られる結果となった。[要出典]

1982年のセ・リーグペナントレースは、中日巨人が優勝争いを展開しており、巨人は全日程を終了しても順位が確定せず中日の結果待ちとなったが(結果は中日が最終戦で勝ち優勝決定)、当時『週刊朝日』の巻末のコーナー「山藤章二のブラックアングル」では、結果待ち状態の当時の巨人監督・藤田元司が、テレビであみんが歌う本曲を聴きながら「今の俺の心境を案じてるような歌だな。ところでこの子たち何者だ? エッ、名古屋の大学に通ってるって? やめてくれ、縁起でもない」とぼやくネタが掲載されている。[要出典]ちなみに山藤は、あみんが出場した『第33回NHK紅白歌合戦』の審査員を務めた。また、TBSザ・ベストテン』では、当時名古屋市中村区に所在していた中日ドラゴンズ合宿所からの生中継であみんが「待つわ」を歌ったこともある(その際共演していた当時の寮長・坪内道典の項目も参照のこと)。

「待つわ」のカバー[編集]

関連項目[編集]

脚注[編集]

  1. ^ ただし、ポプコンで歌ったのは冨田二郎による編曲版である。レコードデビューにあたり、新たに萩田光雄が編曲を手がけた。
  2. ^ 世相風俗観察会(編)『現代風俗史年表 昭和20年(1945)→昭和60年(1985)』河出書房新社、1986年、342頁。ISBN 4-309-24089-5
  3. ^ 20周年記念コンサート・ツアーの最終公演で、「待つわ」を歌う直前の曲紹介で岡村は「それでは封印していたあの曲を…」と発言しており、岡村の中では封印されていたことが明らかになった。
  4. ^ 光文社刊・週刊誌『女性自身』2007年6月26日号のインタビューより。
  5. ^ "大人の部活動" 的な感覚で誘ったという[要出典]