青い影

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青い影
プロコル・ハルムシングル
収録アルバム 青い影
リリース 1967年5月
規格 7インチ・シングル
ジャンル プログレッシブ・ロックサイケデリック・ロック
レーベル デラム・レコード
作詞・作曲 キース・リード、ゲイリー・ブルッカーマシュー・フィッシャー
プロデュース デニー・コーデル
チャート最高順位
  • 1位(イギリス[1]、オランダ[2]
  • 3位(ノルウェー[3]
  • 4位(オーストリア[4]
  • 5位(アメリカ[5]
プロコル・ハルム シングル 年表
青い影
(1967年)
ホンバーグ
(1967年)
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青い影(あおいかげ、原題:A Whiter Shade of Pale)は、イギリスロック・バンドプロコル・ハルムデビュー曲。1967年5月に発売されるや、2週間で40万枚近くを売り上げ、イギリスのヒット・チャートで6週連続1位に輝いた。

1960年代の英国ロック界で、ビートルズの諸作品を凌ぎ最も大きな商業的成功を収めた楽曲とも言われ、音楽シーンに多大な影響を与えてきた。

概要[編集]

ゲイリー・ブルッカー作曲キース・リード作詞を手掛けているが、後述の通り、クレジットをめぐって法廷闘争が繰り広げられた。

マシュー・フィッシャーオルガンによる荘重なイントロダクションは、バッハカンタータ140番「目ざめよと呼ぶ声あり」に類似していると言及されることがあるが、明らかに異なるメロディーであり、管弦楽組曲第3番BWV1068より「G線上のアリア」がコード進行とメロディー共に近いと考えられる。1988年日産自動車から発売されたS13型シルビアのCMソングに使用された[6]のを始め、多くのCMやTVドラマなどで使用されているため、日本人にも馴染みの深い曲である。キース・リードの抽象的で難解な歌詞に乗って、ゲイリー・ブルッカーのソウルフルな歌声が聴き手の心を捉え、日本におけるディスコの「チークタイム」では定番の曲として使われることも多かった。

発売されるやイギリスで1位、アメリカで5位を獲得するなど、全世界で大ヒットを記録した。しかし、発売当時のファースト・アルバムには収録されていなかった。その後の再発盤などでは収録されている。

この曲ができた当時はマルチトラックも発達し、ステレオ録音は一般的に行われていたが、この曲はあえてモノラル風の作りになっており、一聴すると1950年代調の雰囲気を醸し出している。1967年当時の曲と比較しても異色だったといえる。ジャンルとしては、当時の時代背景を反映したサイケデリック・ロックの色彩が強い。

なお、邦題は「青い影」となっているが、原題の「shade」は「影」ではなく「色合い、色調」という意味であり、原題を訳すと「蒼白な」「白に近い色調」といった意味になる。

音楽シーンへの影響[編集]

生前のジョン・レノンも、この曲をお気に入りのひとつとして挙げており「人生でベスト3に入る曲」と語っていた。また、発表当時の1967年には「今の音楽業界で、この曲以外は聴く価値がない」とまで言っていた。

日本のポピュラー・ミュージシャンにも影響を与え、松任谷由実はこの曲をきっかけに音楽を自作するようになったという。山下達郎も当時ラジオでこの曲を聴いて、すぐさまレコード・ショップへと走り、購入したその日のうちに100回は聴いたという。

2004年に発表された「ローリング・ストーンの選ぶオールタイム・グレイテスト・ソング500」では第57位にランクインしている。

また、イギリスのBBCラジオ22009年に発表した「過去75年UKで最もプレイされた曲トップ10」では第1位に選ばれるなど、本国においても長年に渡り高い人気を誇っている[7]

カヴァー[編集]

「青い影」を巡る裁判[編集]

2005年マシュー・フィッシャーが「青い影」の著作権を巡ってゲイリーとキースを相手に訴訟を起こした。

フィッシャーは「オルガン・ソロを書いただけでなく、ゲイリー・ブルッカーによるオリジナルのコードに重要な改変を加え、2分36秒間に渡り、オルガンで貢献している」と主張し、この曲の作曲者としての印税をメンバーに要求した。一方、ブルッカーは「『青い影』はフィッシャーがプロコル・ハルムに加入する前に作られていて、フィッシャーはアレンジしただけだ」と主張している。

2006年12月20日(現地時間)、高等法院はフィッシャーの訴えを原則として認め、40パーセントの著作権を認める判決を言い渡した。ブルッカーは判決を不服として控訴した。

2008年4月3日控訴院は2006年の判決を一部覆し、「青い影」におけるマシューの作曲者としてのクレジットを認めつつも、それに伴う印税は一切フィッシャーには入らないとした。

しかし、2009年7月30日貴族院は2008年の控訴審の判決を覆し、フィッシャーの言い分を認める最終判決を下した。これによって長きに渡る法廷闘争に終止符が打たれた。

関連項目[編集]

脚注・出典[編集]