青い影

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青い影
プロコル・ハルムシングル
初出アルバム『青い影 (アルバム)英語版
B面 ライム・ストリート・ブルース
リリース
規格 7インチ・シングル
録音 ロンドンオリンピック・スタジオ
ジャンル プログレッシブ・ロックサイケデリック・ロック
時間
レーベル デラム・レコード
作詞・作曲 キース・リード英語版ゲイリー・ブルッカーマシュー・フィッシャー
プロデュース デニー・コーデル
チャート最高順位
  • 1位(イギリス[2]、オランダ[3]
  • 3位(ノルウェー[4]
  • 4位(オーストリア[5]
  • 5位(アメリカ[6]
プロコル・ハルム シングル 年表
青い影
(1967年)
ホンバーグ
(1967年)
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青い影」(あおいかげ、原題:A Whiter Shade of Pale)は、イギリスロック・バンドプロコル・ハルムが1967年に発表したデビュー曲。

ローリング・ストーンの選ぶオールタイム・グレイテスト・ソング500(2010年版)では57位にランクされている[7]。イギリスのBBCラジオ22009年に発表した「過去75年UKで最もプレイされた曲トップ10」では第1位に選ばれている[8]

概要[編集]

ゲイリー・ブルッカー作曲キース・リード英語版作詞を手掛けているが、後述の通り、クレジットをめぐって法廷闘争が繰り広げられた。

マシュー・フィッシャーオルガンによる荘重な)イントロダクションは、バッハの『管弦楽組曲第3番「G線上のアリア」』からの引用とされる[9]1988年日産自動車から発売されたS13型シルビアのCMソングに使用された[10]のを始め、多くのCMやTVドラマなどで使用されている。

1967年5月12日に発売され[1]、2週間で40万枚近くを売り上げた。イギリスのヒットチャートで6週連続1位を獲得。アメリカで5位を獲得するなど、全世界でヒットを記録した。だが、当時発売のファースト・アルバムには収録されていなかった。その後の再発盤などでは収録されている。この曲ができた当時はマルチトラックも発達し、ステレオ録音は一般的に行われていたが、この曲はあえてモノラル風の作りになっている。

なお、邦題は「青い影」となっているが、原題の「shade」は「影」ではなく「色合い、色調」という意味であり、原題を訳すと「蒼白な」「白に近い色調」といった意味になる。

カバー・バージョン[編集]

音楽シーンへの影響[編集]

生前のジョン・レノンも、この曲をお気に入りのひとつとして挙げており「人生でベスト3に入る曲」と語り、発表当時の1967年には「今の音楽業界で、この曲以外は聴く価値がない」と発言していた[11]

日本のポピュラー・ミュージシャンにも影響を与え、松任谷由実はこの曲をきっかけに音楽を自作するようになる。山下達郎も当時ラジオでこの曲を聴き、すぐにレコードを購入し、その日のうちに100回は聴いたという。

「青い影」を巡る裁判[編集]

2005年マシュー・フィッシャーが「青い影」の著作権を巡ってゲイリーとキースを相手に訴訟を起こした[12]。 フィッシャーは「オルガン・ソロを書いただけでなく、ゲイリー・ブルッカーによるオリジナルのコードに重要な改変を加え、2分36秒間に渡り、オルガンで貢献している」と主張し、この曲の作曲者としての印税をメンバーに要求した。一方、ブルッカーは「『青い影』はフィッシャーがプロコル・ハルムに加入する前に作られていて、フィッシャーはアレンジしただけだ」と主張している。2006年12月20日(現地時間)、高等法院はフィッシャーの訴えを原則として認め、40パーセントの著作権を認める判決を言い渡した[13]。ブルッカーは判決を不服として控訴した。

2008年4月3日控訴院は2006年の判決を一部覆し、「青い影」におけるマシューの作曲者としてのクレジットを認めつつも、それに伴う印税は一切フィッシャーには入らないとした[14]。だが、2009年7月30日貴族院は2008年の控訴審の判決を覆し、フィッシャーの言い分を認める最終判決を下した[15][16]。これによって長期間に渡る法廷闘争に終止符が打たれた。

脚注[編集]

参考文献[編集]

  • かまち潤 『これがリヴァプール・サウンドだ!』 小学館、1998年12月1日ISBN 4-09-440803-7 


先代:
ザ・トレメローズ
「サイレンス・イズ・ゴールデン」
全英シングルチャート 1位
1967年6月8日 - 7月12日(6週)
次代:
ビートルズ
愛こそはすべて