石破茂
石破 茂 いしば しげる | |
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生年月日 | 1957年2月4日(67歳) |
出生地 |
鳥取県八頭郡八頭町郡家殿 (旧八頭郡郡家町大字殿) |
出身校 | 慶應義塾大学法学部 |
前職 | 三井銀行行員(現三井住友銀行) |
所属政党 |
(自由民主党)→ (改革の会)→ (自由改革連合)→ (新進党)→ (無所属)→ 自由民主党(額賀派)→ 自由民主党(無派閥) |
称号 | 法学士 |
親族 |
祖父・石破市造(大御門村長) 父・石破二朗(鳥取県知事、参議院議員) |
公式サイト | 石破茂オフィシャルサイト |
第49代 農林水産大臣 | |
内閣 | 麻生内閣 |
在任期間 | 2008年9月24日 - 2009年9月16日 |
第4代 防衛大臣 | |
内閣 | 福田康夫内閣 |
在任期間 | 2007年9月26日 - 2008年8月2日 |
第68・69代 防衛庁長官 | |
内閣 |
第1次小泉改造内閣 第1次小泉再改造内閣 第2次小泉内閣 |
在任期間 | 2002年9月30日 - 2004年9月27日 |
選挙区 |
(鳥取県全県区→) 鳥取1区 |
当選回数 | 8回 |
在任期間 | 1986年7月8日 - 現職 |
石破 茂(いしば しげる、1957年(昭和32年)2月4日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属の衆議院議員(8期)。
防衛庁長官(第68・69代)、防衛大臣(第4代)、農林水産大臣(第49代)、自由民主党政務調査会長(第52代)などを歴任した。
父親は建設事務次官、鳥取県知事、自治大臣兼国家公安委員会委員長などを歴任した石破二朗。
経歴
生い立ち
鳥取県八頭郡郡家町(現八頭町郡家殿)出身[1]。幼少の頃、父・二朗は鳥取県知事を務めていた[2]。
学生時代〜銀行員時代
鳥取大学教育学部附属小学校、鳥取大学教育学部附属中学校、慶應義塾高等学校を経て1979年、慶應義塾大学法学部卒業[1]。同年三井銀行に勤務[1]。
政治家として
1981年、父・二朗が死去。一周忌が済んだ頃、二朗の友人だった田中角栄に呼ばれ、田中から「おまえがあとに出ろ」と強く薦められたことが政界入りのきっかけである[3]。
1986年7月の衆院選で鳥取全県区から立候補して初当選(本来は田中派新人として出馬を希望していたが同区に同現職平林鴻三が居た為、同派内の創政会会長竹下登を頼り中曽根派幹部渡辺美智雄を頼り同派新人として初出馬初当選。)。以後連続当選8回。93年に政治改革法案をめぐって自民党から役職停止処分を受けて笹川尭と共に離党。改革の会、佐藤敬夫属す新党みらいや佐藤静雄 (衆議院議員)や新井将敬属す柿沢自由党含む自由改革連合を経て新進党結党に参加するも、小沢一郎の安全保障政策に失望し、新進党を離党。1997年に自民党に復党する。
もともとは農水族として地歩を築いたが、自身が「国防がライフワーク」と語るとおり、「新国防族」などと呼ばれる安保通として頭角を現し、防衛政務次官、防衛副長官、拉致議連の会長などを務めた。
2002年8月に小泉純一郎首相が翌月の訪朝を決めた際、「拉致被害者全員を連れて帰らなければ倒閣に動く」と発言した[要出典]。訪朝の際の交渉により、拉致被害者のうち5人までが帰国した(北朝鮮による日本人拉致問題を参照)直後に発足した第1次小泉内閣第1次改造内閣において防衛庁長官に指名され、拉致議連の会長を辞任して初入閣した。
その後、有事法制の制定に尽力し、防衛庁長官在任中にイラク戦争が勃発すると自衛隊イラク派遣を決定した。防衛庁長官の在任期間は、坂田道太に次ぐ歴代第2位。2007年、福田康夫内閣で防衛大臣に就任し、2度目の入閣を果たす。翌2008年、福田康夫首相の電撃辞任を受けて実施された自民党総裁選に出馬するも麻生太郎が圧勝し、石破は最下位の5位に終わった。続いて成立した麻生内閣では、前任者たちの多くが不祥事に見舞われ、「鬼門」とされていた農林水産大臣に就任した。
2009年9月29日、前日に自由民主党総裁に選出された谷垣禎一の下で、政調会長に就任(党鳥取県連によると、県選出国会議員からの党三役就任は初めて[4])。
2010年4月14日、会見でたちあがれ日本について、「私自身、新党「たちあがれ日本」に参加した与謝野馨と園田博之とは、政策的に非常に近いスタンスだ。2人は、自民党で中心的な政策の立案をしてきており、共闘していくのは当然だ」「たちあがれ日本とは、「民主党の過半数を阻止しなければならない」という思いは共通しており、今後、政策面で共同歩調をとることは多々ある」[5]と述べ、たちあがれ日本と共闘する可能性を示唆し、講演でも「ともに民主党を倒すという思いなら、罵詈雑言や裏切り者などという前に、どうやって共闘するか考えるのが大事だ[6]」と述べ、たちあがれ日本と協力する可能性に言及した。
2010年9月、自民党政調会長に再任。当初、谷垣は石破を退任させ、参院政策審議会長(政調会長代理)の林芳正参院議員を昇格させる人事を構想したが、党内の反対論を受け、石破を政調会長に留任させた。
党役員人事後に設置された自由民主党シャドウ・キャビネット(影の内閣)では、「影の内閣官房長官」に就任した。
自民党が下野した後は、予算委員会などで質問に立つことが多く、首相をはじめとする閣僚に「文民統制が有効に成立する条件とは何か」など様々な質問を行っている。答弁の不十分な点や認識の甘さを指摘しつつ、教え諭すように持論を展開する姿から、「まるで大学の講義のようだ」とインターネットの動画投稿サイトなどを中心に話題となり、新聞・テレビなどのメディアにも取り上げられた[7]。
2011年9月30日、自民党政調会長を退任。(後任は、茂木敏充)。その後、衆議院予算委員会野党筆頭理事、自民党安全保障調査会会長に就任。
政策
防衛
自民党きっての防衛政策通として知られる。また、「軍事マニア」[8]「防衛オタク」[9]などと呼ばれる。
2003年3月に情報収集機関の調査隊を改組し、防衛庁長官直轄部隊として情報保全隊を組織した。この隊は同月に勃発したイラク戦争に関する世論動向(主に市民団体)の調査をおこなっていたとされる。
徴兵制度の利点を認める発言をしているが、現在の軍隊にはそぐわない制度だとして実際に採用することについては否定している。自民党の憲法改正草案で当初「徴兵制度の禁止」を謳った条文が想定されていたが、石破などの「国家のために生命を懸けることができないような国家を、果たして国家と呼べるのか?」という批判で消滅した。一方で徴兵制導入への反対を主張している[10]のは、ハイテク兵器が活用される現代の戦争において、兵器の扱いに慣れない素人の一般国民を戦闘員として参加させた場合、デメリットの方がはるかに大きいという理由による。
防衛問題を扱った著書『国防』で、論壇から高い評価を得ている[要出典]。ただし、京都府職員労働組合は機関紙『京都府職新聞号外』2005年6月3日において、京都府船井郡丹波町(現・京丹波町)で発生した浅田農産鳥インフルエンザ事件における自衛隊出動についての記述が事実と異なると主張している。
『太田光の私が総理大臣になったら…秘書田中。』では、しばしば太田光と激しい論争を繰り広げつつ、専門的知見を噛み砕いて解説を行っている。国防政策において太田によく噛み付かれており、番組内では山本一太と共に「天敵」と呼ばれたこともある。太田を特集した『情熱大陸』(2010年5月23日)には、太田を評するコメントを行った。この番組では、国家の安全保障について考える際はあらゆる非常事態を想定せねばならないと発言している。日本と米国が戦争状態に突入したらどうするか、との太田からの質問に対しては「それはありえない」と回答し、日米間の戦争は起こらないと想定している事を示した。また、アメリカの原爆投下については、「日本も原爆を開発する計画があった」「仮に本土決戦が行われていたら相当の犠牲が出ていた」と米国側の認識に一定の理解を示しながらも、2発目(長崎への投下)については「許容範囲を超えている」として米国を批判している。石破は『太田光の私が総理大臣〜』の「アメリカに原爆被害の賠償金を請求します」では原爆被爆者への補償に反対を表明した。
『丸』を愛読し、国防関連の知識を吸収している。『週刊アサ秘ジャーナル』で『丸』から引用した問題を出題されると次々に正解した[いつ?]。「災害派遣時に自衛隊が実弾を発射した相手とは何か」の一問だけは解答できなかったが(正解は海獣[11]、つまりトド駆除)、石破は知らなかったため不正解となった。石破は当初初耳だったため、出題文に衝撃を受け、何度も「災派で撃った!?」と確認し、正解を聞いて驚いていた。
自衛隊を機動的に動かせるような法改正を繰り返し主張しており、特に北朝鮮有事の際の邦人救出の必要性を強調している。2008年の自民党総裁選の際には「動乱が起き、北朝鮮の(日本)国民が逃げなきゃいけない時でも自衛隊は(国内法の制約で)助けに行けない。そんな国でいいのか」と述べた[12]。また2010年5月6日のテレビ番組では、社民党の福島瑞穂に対し、「(朝鮮有事の際に)ソウルやプサンにいる日本人を自衛隊が助け出しに行く。反対ですか?賛成ですか?」「『輸送の安全が確保されない限りは行けない』と書いてあるでしょ。何回この法律の改正を提案しても、反対したのはあなた方じゃないですか。」と質問し、自衛隊法の改正を主張した[13]。 2010年5月23日、テレビ番組で「将来的に日本のような島国に海兵隊が無いのはおかしなことだと思っている」と述べ、日本も海兵隊を持つべきだと主張した。また、日本が海兵隊を持った場合、日本の海兵隊がアメリカ海兵隊と共同で動くことがある可能性にも言及した[14]。
農政
初入閣は防衛庁長官であり、後に防衛大臣も務め、政調会長就任後も予算委員会では主に外交・安全保障を中心に質疑を行っているため国防・安全保障の政策通としての顔が有名だが、元々は農水族であり、農水政務次官を2度務めている。そのため、麻生内閣での農林水産大臣就任は満を持してのものだったという。「農家から防衛しか知らないと思っていたと言われた、農林水産問題を語ってもメディアが報じてくれない」と語ったこともある[15]。
なお、農林水産大臣は松岡利勝の自殺や赤城徳彦、遠藤武彦、太田誠一の相次ぐ辞任により「鬼門」のポストとされていたが、石破は1年間、特に何の問題もなく農水大臣を務めた。ちなみに、農相就任時には、報道のインタビューに対し、「誰から事務引継ぎするの?」と皮肉めいた[16]ほどである。
経済
TPP環太平洋戦略的経済連携協定交渉について「参加しない選択はあり得ない」と述べ、交渉参加に賛成する考えを明確にしている[17][18]。
外交
外交問題では硬軟織り交ぜた主張をとっており、「タカ派」というわけではない。朝日新聞社の論壇誌『論座』にも寄稿して保守強硬派を批判している。『論座』2006年8月号においても、北朝鮮への単独制裁に対して疑問を呈している。内閣総理大臣の靖国神社への参拝にも反対を表明し[19]、靖国神社からの「A級戦犯の分祀」を主張している[20]。
北朝鮮問題については、鳥取県が日本海側に位置していることから問題意識が強い。1992年に「見ないで批判するのはいかんだろう」という理由で、自民党・日本社会党・公明党合同の訪朝議員団に参加した。金日成生誕80周年祝賀式典を見た際に、全員が一糸乱れず全く同じ動きをしながら独裁者を賛美する北朝鮮国民の様子に衝撃を受け、以来、その印象の北朝鮮観を抱いている。
教育
『論座』において、教育基本法に愛国心を明文化することに反対の姿勢を示した。「愛国心は国が政策面で強制するものではない」というのが理由である(なお、改正教育基本法には「我が国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養うこと。」と愛国心教育について明記された)。
民主党政権の高校授業料無償化政策については、「いつから高校が義務教育になったのか。中学までの義務教育を充実させることの方が重要ではないか」と疑問を呈している。
皇室
2009年12月の天皇特例会見問題では、石破が委員長を務める「天皇陛下の政治利用検証緊急特命委員会」は民主党政権のとった行動を「陛下の政治利用にあたる」と指摘[21]。石破は民主党政権の対応を「かなり異例[22]」「大事じゃない国はルール通りだが、大事な国はひっくり返して会見するのは政治判断だ。そういうことをしていいのか[23]」「(ルールが)時の政府の意向で左右されることであってはいけない[24]」と民主党政権を重ねて批判した。
2010年(平成22年)2月25日、政府(鳩山由紀夫内閣)が天皇の公的行為に関してまとめた統一見解[25]に関し、官房長官の平野博文(当時)が記者会見で「本来、憲法で言っている概念からいくと、天皇は国政に関する権能を有しないので、政治利用が存在することはあり得ない」と述べ、天皇の政治利用はそもそも存在しないとしたことに対し、石破は「ルールはいらないというなら、憲法の趣旨や陛下の立場を無視した考えられない見解だ」と述べた[26]。
外国人参政権
2010年の党大会で日本における外国人参政権について、「憲法上の議論が多く残り、国民的議論も成熟していない。私どもは拙速な法案成立に断固反対する」と述べ、党として法案に反対する考えを表明、また「(憲法上の)住民とは日本国民をさすと考えており、私どもは多くの疑義があると考えている。国の形そのものにかかわる問題だ」[27]、「この問題は国の形そのものにかかわるものだ。憲法のあり方からしても、拙速な法案成立には断固反対していく[28]」と述べた。
夫婦別姓
2010年(平成22年)3月3日、記者会見で、民主党政権が目指す選択的夫婦別姓導入を含む民法改正案について「これを待ち望む人々のニーズに応えながら、法案には反対だという姿勢を示したい」と述べた。また、自民党内にある選択的夫婦別姓に賛同する動きについて「党内には(夫婦別姓の)問題点が理解されず、『まあ、いいじゃないか』という風潮があるのも事実だ」と述べた[29]。
人権救済機関創設に意欲
2011年(平成23年)3月3日部落解放同盟の全国大会が都内で開かれ、来賓として招かれた各党代表は、解放同盟が求める人権救済機関創設の法整備に意欲を示した。石破は「法律を制定することに与党も野党もない」と述べた[30]。
他党の政策に対して
子ども手当
民主党の政策である子ども手当について、子どもを母国に残した在日外国人も対象になっていることに触れ「(在日外国人であるが)子どもさんは国外にいる。そして、子どもさんは日本国籍を有していない。どう考えても、こういう方々に対して、日本国民の税金を使って支給すべきではない」と述べている[31]。
総裁候補
この節には独自研究が含まれているおそれがあります。 |
2006年の自民党総裁選挙では麻生太郎を支持したが、最後まで地元の鳥取県に地理的に近い山口県出身の安倍晋三を推薦するか迷っていたようである[32]。2007年の自民党総裁選では福田康夫を支持している。
派内では茂木敏充、伊藤達也といった次代のリーダー候補の中でも経験・知名度とも一歩リードしており、若手を中心に支持を集めているが、かつて離党経験のある「外様」であることも響き、派内の全面的な掌握には至っていない[要出典]。初出馬となった2008年自民党総裁選でも、派は自主投票の方針を決め、一部議員が麻生太郎・与謝野馨を支持した。
自民党が野党となったあとに行われた2009年の総裁選では、与謝野馨から立候補を推されるなど、マスメディアから総裁候補の1人として有力視されるも、前回の総裁選で推薦人となった20人のうち13人が落選するなど、推薦人集めが難航したことなどから立候補を断念し、谷垣禎一への支持を表明した。
2010年の党役員人事では、党組織運動本部長・石原伸晃、広報本部長・小池百合子、そして石破が、それぞれ幹事長、総務会長、政調会長に就任し、党三役は全て50代で占められた。自民党総裁・谷垣は、この人事に関して「次世代のリーダーに三役に入ってもらった」と述べている。
なお、石破は著書『国防』の中で「総理になりたいとは全く思っていない」と述べている[33]。
発言
- 防衛庁長官在任中の2004年3月16日に、自衛隊についての発言で「今まで半分やゆ的に自閉隊と言われていたところがある。自閉症の子供の自閉と書いて自閉隊だ」と述べた[34][35]。石破は、発言について「世間でそのように自衛隊を非難する人がいると言っただけ。自衛隊が内にこもっては駄目だという意図だ」と説明した[36]が、自閉症に対する認識不足であるとの批判を浴び[35][37]、3月19日に発言を陳謝した[38]。
- 「佐藤正久君の時には大変お世話になった。今後3年後は海、その3年後は空というようにしていきたい。各幕の協力が必要だ」(2007年11月5日、各幕との懇談にて)
- 防衛大臣在任時、UFOの存在を日本政府としては確認していないという公式見解を出した。
- 防衛省の航空幕僚長であった田母神俊雄の論文問題に関して、「現職の自衛官が自らの思想信条で政治をただそうというのは、憲法の精神に反している」と指摘。自身のブログでも、かつての部下である田母神を批判した[39]。
- イージス艦「あたご」の事故について、事故直後・捜査が入る前に航海長を省へヘリで呼び出し、大臣同席で事情調査をしたことについての民主党の前原誠司の質問「あなたは何をしているんですか?」に、「今はあなたの質問に答えています」と答弁をした。
- 『サンデープロジェクト』(テレビ朝日)で核密約について聞かれたとき「秘密をばらすような人間を次官や大臣にするのが間違っている」と発言した。
- 民主党の選挙対策委員長・石井一の「鳥取・島根は日本のチベット」と発言を聞き、「日本海側の人間はかつて裏日本と言われ悔しい思いをしてきた訳で、地域の人を見下す対応をする人が選挙を仕切っているのが民主党のやり方だ」と批判した[40]。
- 2010年11月18日に参議院予算委員会にて内閣官房長官・仙谷由人が「暴力装置でもある自衛隊」と述べたことから審議が紛糾して発言の撤回・謝罪に追い込まれた件に関連し、2009年3月30日に当時の現職の農林水産大臣であった石破も民間のシンポジウムにて「国家の定義というのは、警察と軍隊という暴力装置を合法的に所有するというのが国家の1つの定義」と述べていた[41]ことが指摘された[42]。この点について石破は、2010年11月19日に自身のブログにて、北朝鮮がなぜあのようなテロ行為を引き起こすのかを説明する上で、政治学上の定義を引用したに過ぎず、自衛隊を名指ししたものではないと釈明した[43]。ただし石破は、清谷信一との共著である『軍事を知らずして平和を語るな』(2006年)にて、暴力装置に自衛隊も含まれるとの旨を以下のように明確に述べたことがある[44]。
「国家という存在は、国の独立や社会の秩序を守るために、暴力装置を合法的に独占・所有しています。それが国家のひとつの定義だろうと。暴力装置というのは、すなわち軍隊と警察です。日本では自衛隊と警察、それに海上保安庁も含まれます。」
- 中国共産党系の新聞「世界新聞報」(2008年1月29日)に掲載された石破茂防衛大臣の発言[45]
- 私は防衛庁長官時代にも靖国神社を参拝したことがない。第二次世界大戦の時に日本の戦争指導者たちは、何も知らない国民を戦線に駆り出し、間違った戦争をした。だから私は靖国神社に参拝しない、あの戦争は間違いだ、多くの国民は被害者だ
- 日本には南京大虐殺を否定する人がいる。三十万人も殺されていないから南京大虐殺そのものが存在しないという。何人が死んだかと大虐殺があったかは別問題だ
- 日本には慰安婦についていろいろな見解があるが、日本軍が関与していたことは間違いない。
- 日本人が大東亜共栄圏の建設を主張したことは、侵略戦争に対する一種の詭弁だ
- (中国は日本に対する脅威であるから対中防衛を強化せよという人たちは)何の分析もしないで、中国は日本に対する脅威だと騒いでいる
- 日本は中国に謝罪すべきだ
- 事故を起こした福島原発を含め現在ある全ての原発の計画・建設を行い、電力会社や原発を製造したメーカーから多額の献金を受け取っていた自民党の責任が問われる中次のように述べた[46][47][48][49]。
- 誰が悪い、彼の責任だと言っても詮無き事
- 東電社員の叱責は事態改善をうながすことにならぬ
- 福島原発事故は政府による災害だ
- 人体に影響を与えるような汚染のレベルにはほど遠い
政治資金
東京電力や関連企業がパーティー券購入額の目安として、東京電力が政治家の電力業界での重要度を査定しランク付けしていた上位10議員の内の1人であったことが報じられた。
議員秘書等から依頼に応じパーティー券を購入し、一回あたりの購入額を政治資金収支報告書に記載義務のない20万円以下にして東電からの資金の流れが表面化しないようにしていた[50]。
人物像
父・二朗との関係
石破が生まれた時、父・二朗は48歳の高齢だった。二朗の秘書をつとめていた高岩迪資によると、石破が誕生した際、二朗は「年寄り子で恥ずかしい」といって病院に行きたがらなかっため、高岩が代理として出掛けていた。病院側では、高岩を茂の父親と間違えることが何度かあったという[51]。
元三井信託銀行社長・土井正三郎(鳥取県米子市出身)によれば、「昭和五十三年初夏の頃石破(二朗)さんから令息・茂君の就職について相談を受けたことがありました[52]。そのとき私は本人の志望会社を認められることを強調し、たまたま入社志望会社の人事担当役員が古くから親交がありましたので、石破(二朗)さんと一緒に訪ねたこともありました[53]。又、令息の学業、クラブ活動の成績等は極めて優秀、希望通り採用内定し、その通知を受けられた、ご両親のご安堵の程が察せられたことを想起しています[54]」という。
信仰
母方の曽祖父金森通倫から4代目のクリスチャン(キリスト教徒)であり、日本基督教団鳥取教会に所属している。幼稚園も教会附属で、18歳のときに日本基督教団鳥取教会で洗礼を受けた。石破は、「46年間、キリスト教に触れつつ信仰をもちながら生きてきた」と述べている[55]。
趣味・嗜好など
- 高校時代からアイドル歌手グループキャンディーズの大ファンであり、中でもミキ(藤村美樹)がお気に入り。2007年11月15日の守屋武昌元防衛次官に対する証人喚問において、久間章生、額賀福志郎両名の名前が出てきた日の夜、キャンディーズの曲を熱唱した。キャンディーズの30年ぶりの同窓会では、テレビのインタビューに「キャンディーズは青春そのもの。あの頃を思い出してもっと頑張ろうと思う」と答えている[56][57]。メンバーの一人で解散後女優に転向した田中好子が2011年4月21日に死去した際には「本当の同時代を生きた私たちの青春そのもの。大事な友達を亡くしたような思いだ」とコメントした[58]。
- 自他ともに認める軍事オタクにして、ミリタリー系プラモデルの愛好家でもある。静岡ホビーショーにおける自衛隊車輌展示も彼の働きかけにより実現したと言われている。少年時代は自動車、タクシー、SLが大好きな車マニア、鉄道マニアでもあった。現在でも戦車や戦闘機のプラモデルを集めるのが趣味のようである。防衛庁長官時代、ロシア国防大臣が来日した際に大臣を喜ばせるために2日間徹夜して空母アドミラル・クズネツォフの模型を組み上げた(この時、「在任中はプラモ制作を我慢する」という自戒を破ったと後に述懐している)。ただ、石破自身は、「子供のころから戦車、戦闘機、軍艦といった、乗り物が好きで、国防や外交について『筋金入りのオタク』という意見や批判はいささか買いかぶりのような気がしてならない」と述べている[59]。また、近頃は「軍艦が好き」「プラモデルが好き」などと言うと、すぐに危ない軍事オタクのように言われるが、それは短絡的な決め付けであるとも述べている[2]。
- アニメファン。アニメ専門チャンネル「ファミリー劇場」製作のトーク番組「アニメ問わず語り」(2009年7月16日放送)で、1978年公開の「さらば宇宙戦艦ヤマト」を30分に渡って語っている。中で、「公開後すぐ観に行った。一日4回上映を全て観、それを3日続け、当時、付き合っていた女性に頭がおかしいんじゃないの?と云われた」と告白している。
- 鉄道ファンでもあり、ブルートレイン「銀河」の廃止の際、寝台券が入手できず残念がった。2010年3月に寝台特急「北陸」と夜行急行「能登」が廃止された際にもテレビ番組のインタビューに答えている。現在でも鳥取と東京の往復に寝台特急「サンライズ出雲・瀬戸」と特急「スーパーいなば」を利用する姿がたびたび報じられている。雑誌『週刊プレイボーイ』(集英社)2009年2月16日号のインタビュー記事では、「寝台車で過ごす時間は側近にも邪魔されず、好きな事をして過ごせるとても楽しい時間だ」と述べている。
- 石破自身は喫煙者である。カレーライスとコロッケが好物だが、納豆は苦手であるという。
交友関係
- コラムニストの泉麻人は、慶應義塾高校での同級生。
- 民主党の議員では前原誠司と親密。双方とも鳥取県出身[60]で、内閣総理大臣の靖国神社公式参拝に反対している他、防衛問題でも意見が一致し、共同で本を出版したこともある[61]。鉄道やプラモデルといった、趣味の話題でも話が盛り上がるという。石破が2008年9月に行われた自民党総裁選に立候補したが、これは前原との会話が間接的な原因となったとする報道もある[62]。
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その他
- 2004年から2005年にかけて、『ULTRAMAN』、『戦国自衛隊1549』、『亡国のイージス』など自衛隊の大規模な協力を得て撮影された映画が公開されたが、これは防衛庁長官を務めていた彼の映画産業への理解が深かったことが大きい。そのため、当時はテロやSFといった大胆なテーマの作品にも自衛隊の協力が得られるのが特徴であった[63]。
- 道路特定財源を資金源とする道路運送経営研究会(道路特定財源の一般財源化に反対している)から献金を受けている[64]。
- 2008年12月、政治家をモチーフにした商品を数多く手がける菓子問屋「大藤」から「希望戦士 ISHIDAM」(定価735円)なる商品が、石破の地元である鳥取と秋葉原限定で発売された。同商品は二十世紀梨の果汁入り饅頭で、皮には石破が農水大臣だったことにちなみ、米粉が配合されている。プラモデル風のパッケージには石破をモチーフにしたイラストが描かれており、20種類+シークレット2種類のオリジナル缶バッジが同梱されている。
- 2010年12月、日本テレビ系『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!』の「絶対に笑ってはいけないスパイ24時」に、防衛問題についてジミー大西と対談するVTRでゲスト出演した。
主な所属議員連盟
- 日本会議国会議員懇談会(副会長)
- 北朝鮮に拉致された日本人を早期に救出するために行動する議員連盟
- みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会
- 真・保守政策研究会
- 日韓議員連盟(幹事)
略年譜
- 1957年2月4日 - 建設官僚・石破二朗、和子の長男として生まれる
- 1969年3月 - 鳥取大学教育学部附属小学校卒業
- 1972年3月 - 鳥取大学教育学部附属中学校卒業
- 1975年3月 - 慶應義塾高等学校卒業
- 1976年12月 - 昭和51年度全日本学生法律討論会第1位
- 1979年
- 1983年
- 1月 - 三井銀行退社
- 2月 - 木曜クラブ(田中派)事務局勤務
- 1984年9月 - 同事務局退職
- 1986年7月 - 第38回衆議院議員総選挙に自民党公認で鳥取全県区より出馬し衆議院議員初当選(全国最年少[1])、政策科学研究所(中曽根派→渡辺派)に所属
- 1992年12月 - 農林水産政務次官に就任( - 1993年6月)
- 1993年 - 自民党離党
- 1994年
- 1996年10月 - 第41回衆議院議員総選挙で新進党離党。無所属で鳥取1区より出馬し再選、会派「21世紀」に参加
- 1997年3月 - 自民党復党。小渕派に所属(前年の総選挙では無所属で再選)
- 2000年7月 - 農林水産総括政務次官 12月 - 防衛総括政務次官に就任
- 2001年1月 - 防衛庁初代副長官に就任( - 2001年4月)
- 2002年
- 2004年4月 - 第2次小泉内閣の閣僚の中で麻生太郎・中川昭一とともに国民年金保険料が未払いだったことが発覚
- 2007年9月 - 福田康夫内閣で防衛大臣に就任( - 2008年8月)
- 2008年
- 2009年
- 1月 - 新設の農政改革担当大臣を兼任( - 2009年9月)
- 9月 - 09年自民党総裁選に擁立する動きがあったものの自身は出馬せず、谷垣禎一を支援。谷垣のもとで自由民主党政調会長に就任
- 2010年
- 2011年
- 9月 - 自民党政調会長を退任。衆議院予算委員会筆頭理事に就任
- 10月 - 政調会長退任に伴い、影の内閣(シャドウ・キャビネット)における影の官房長官からも退任
- 12月 - 派閥横断型政策勉強会「さわらび会」を立ち上げる。初会合には38人を集めた
家族・親族
- 実家
- 自家
系譜
- 家系
- 祖父・市造について
- 祖父・市造は大御門村の村長を長い間つとめた[67]。菩提寺の浄土宗西橋寺住職・河中隆幸によると、「(市造は)自己を飾らぬ豪気不屈な人であったと聞いている」[67]という。鶴田憲治著『因伯青春の譜』によると、「…数期にわたり大御門村の村長をつとめた篤実厳格な人、とくに子供の教育には熱心だった」、「しかし、当時八頭の山村の中農家で二人の男の子を鳥取の中学に出し、さらにそれ以上に進学させることは、それ程容易なことではなかった。」という[68]。二朗は市造について、「若い時から物好きだったと見えまして、他にさきがけて、山を拓いて二十世紀梨を作ったり、御所柿を植えたり、蚕種の製造をやったりなどしておりましたが、どれも成功とまではいかず随分母を困らせていたようでありました。
- それでもどこか良いところがあったと見えまして、後年中田政美さんが“君のおとうさんは君より偉かった”と仰言って下さったことがありました。中田さんは御承知の通り、建設事務次官をおやりになり、衆議院議員をなさった方ですが、若い時八頭郡役所にお勤めになった当時、父との御交際があった由であります。事実子供の私の方が出来が悪かったかと思いますが、兎に角有難い父であったと思います。父は昭和十七年冬大東亜戦争勃発前に六十九歳で没しましたが、日米相戦うことになるか否か見極めなければ死ねない、とまで言い、大変な関心を持って居たようでありました。今から考えると若死にのほうだったかと思いますが、大東亜戦争を見ずに亡くなったのは或は幸せだったかもしれません」と述べている[69]。
- 父・二朗について
- 父・二朗は東京帝国大学法学部を卒業し内務官僚となり、昭和30年(1955年)11月建設官僚トップの建設事務次官に就任、退官後鳥取県知事を4期務め、昭和49年(1974年)7月参議院議員に当選、昭和55年(1980年)7月自治大臣兼国家公安委員会委員長に就任した。
- 清貧と努力の人だった[70]。八頭郡郡家町後援会長・平木正男によると、「“家屋敷売っても出来る子には勉強させろ”これは亡父石破市造村長の言葉である[70]。小学校・鳥取一中・高等学校・帝大へ[70]。夏休み帰省の時必らず私の父を訪ねて帰宅、八東川で子供の頃の四つ身の着物に菅笠(すげがさ)姿で魚獲り[70]。破衣破帽で道中饒舌(しゃべ)りまくっての通学姿の石破さん[70]。何処に全甲の頭脳が秘められて居たのか[70]。未だに不思議な性格と頭の良かった石破さんが判らない[70]。将(まさ)にこの親に応えられた此の子石破さんであったかなあ[70]」という。
- 菩提寺の浄土宗西橋寺住職・河中隆幸によれば、「(二朗)氏誕生の当時家産は必ずしも隆盛であったとはいえないが、両親は青雲の志(せいうんのこころざし).に燃える兄弟の為、祖先から受け継いだあらゆる私財を学費につぎ込み、己の身は倹しく、僅(わずか)な田畑を耕しながら、吾が子の成功を念じておられたものである[67]。両親の苦労に報いるべく苦学に苦学を重ねた彼は、東大法学部を卒業後、内務省、建設省等、あらゆる重要なポストを歴任後、鳥取県知事に立候補したのである[71]」という。
- 臼井家(鳥取市)
- 臼井宗(教育者)は父・二朗の長姉の夫。『続 因伯の医師たち』(森納著) p.88-90によると、「臼井家はもと高田姓を名のっていた。八東郡下私都村峰寺に代々医を業として住み、時には御殿医として藩に仕えたこともあった。臼井家六代目宗順(宋順)の時に峰寺より中私都村市場に移った。宗順に医家を継ぐ男子なく三女のちよに八上郡本角村の医師田淵養玄の二男幾蔵を迎えて婿養子とした。幾蔵の二男宗は教職につき丹比小学校長等をつとめた。宗の子宗雄は鳥取市で眼科医院を開業している。」という。
- 金森家(熊本県、東京都)
- 母方の大おじには金森次郎(実業家)、金森五郎(医師)、金森九郎(鉄鋼技師、東大教授)などがいる。ジャパンタイムスの社長、会長、相談役を務め、国際基督教大学の設立に尽力した東ヶ崎潔、元明治学院大学教授浜健夫などは大おばの夫である。元同志社総長牧野虎次長男操の夫人弥生は母和子の従姉に当たる[72]。
中村明━━━━佳子 ┃ ┏女 石破市造━━━石破二朗 ┣━━━━┫ ┃ ┃ ┗女 ┃ ┏石破茂 ┃ ┃ 浜健夫 ┣━━━━╋女 ┃ ┃ ┃ ┏女 ┃ ┗女 ┃ ┃ ┣金森太郎━━和子 ┃ ┣金森五郎 金森通倫━┫ ┣女 ┃┃ ┃東ヶ崎潔 ┃ ┣金森九郎 ┃ ┗金森次郎 ┃ ┏岸子 上野吉二郎━┫ ┗梅子 ┃ ┃ ┃ ┃ (妻は今里広記の娘) ┃ ┏早川二郎 ┣━━━┫ ┃ ┗早川一郎 早川智寛 ┃ (妻は牧田与一郎の娘) ┃ ┃ ┃ ┃ (元総理大臣) ┃ ┃ ┏佐藤栄作 ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┗岸信介━━━━洋子 ┃ ┃ (元総理大臣) ┃ (元総理大臣) ┃ ┃ ┣━━━━━━━━━安倍晋三 ┃ ┃ ┃ ┃ ┣━━━━早川種三 安倍晋太郎 ┃ ┃ ┃ ┃ ┏女 ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃松崎昭雄 ┃ ┃ 森永太一郎━森永太平━━┫ ┣━━━━━━━━━━昭恵 ┃ ┣恵美子 ┃ ┃ ┃ ┗森永剛太 ┏長子 ┃ ┃ ┏孝代 ┃ 城戸崎武━━┫ ┃ ┏戸田直温 ┗城戸崎博孝 ┃ ┃ ┃ ┃ ┣戸田良直 岩間和夫 ┏裕子 ┃ ┃ ┣━━━━━┫ ┗戸田鋭之助━┻収子 ┏菊子 ┗岩間紀夫 ┃ ┃ ┃ ┣盛田正明 ┣━━━┫ ┃ ┣盛田和昭 ┃ ┃ 盛田久左衛門 ┗盛田昭夫 ┃ ┏盛田英夫 ┣━━━┫ ┃ ┗盛田昌夫 亀井豊治━━━━良子
著作
単行本
- 職業政治の復権―混迷からの脱出 それは無党派層がめざめるとき(1995年、サンドケー出版局、ISBN 978-4914938772)
- 坐シテ死セズ(西尾幹二との共著、2003年、恒文社21、ISBN 978-4770411044)
- 石破茂、2005、『国防』、新潮社 ISBN 9784104737017
- 本書を原案としたコミックとして 『国防入門』(漫画・原望、2007年、あおば出版、ISBN 978-4873177885)がある。
- 軍事を知らずして平和を語るな(清谷信一との共著、2006年、KKベストセラーズ、ISBN 978-4584189672)
- 構想日本 第4巻 政治時評(構想日本J.I.フォーラム編、2006年、水曜社、ISBN 978-4880651644) 「政治とカネの関係を考える」
- 国防の論点―日本人が知らない本当の国家危機(森本敏・長島昭久との共著、2007年、PHP研究所、ISBN 978-4569659558)
- 自民党の底力(小泉純一郎・中川秀直らとの共著、2007年、成甲書房、ISBN 978-4880862149)
- 「国力」会議(麻生太郎・平沼赳夫らとの共著、2008年、祥伝社、ISBN 978-4396613075)
- 日本の戦争と平和(小川和久との共著、2009年、ビジネス社、ISBN 978-4828415024)
雑誌
参考文献
- 「「いじめられっ子」石破茂の逆襲』 山村明義 (『文藝春秋』2004年5月号)
- 「生粋の愛読者が抱く『正論』『諸君!』への違和感」石破茂(『論座』2006年8月号)
- 石破二朗回想録刊行会、1982、『回想録 石破二朗 追想篇』
脚注
- ^ a b c d 自民党鳥取県支部連合会
- ^ a b 国防 p.76
- ^ 国防 p.77
- ^ “自民政調会長に石破氏 党三役、県選出で初”. 日本海新聞. (2009年9月30日) 2009年12月26日閲覧。[リンク切れ]
- ^ “たちあがれ日本と共同歩調も”. NHKニュース. (2010年4月14日) 2010年4月15日閲覧。[リンク切れ]
- ^ “「衆参ダブル選の可能性高い」と石破氏 「たちあがれ日本」との連携も模索”. 産経新聞. (2010年4月14日) 2010年4月15日閲覧。
- ^ J-CASTニュース 2010/8/3 菅首相 防衛論議に「しどろもどろ」 質疑というより「石破教室」 http://www.j-cast.com/2010/08/03072623.html?p=all
- ^ 石破茂『軍事を知らずして平和を語るな』ベストセラーズ、2006年。ISBN 978-4584189672。
- ^ 『神道時事問題研究』 2010年2月1日
- ^ 『CIRCUS』(KKベストセラーズ)[いつ?][要ページ番号]
- ^ 海獣(正確にはトド類)の被害に悩む地元漁協からの要請を受け、海棲哺乳類である動物からの被害のため自然災害であるとの論理で、自衛隊が災害派遣名目で実弾を発射し、これを駆除した(詳細はトド#人間との関わりを参照)。
- ^ “麻生氏「危なくてしようがない」 金総書記重病説事実なら「脅威」”. 産経新聞. (2008年9月20日) 2010年1月26日閲覧。[リンク切れ]
- ^ 朝ズバ2010年5月26日[1]
- ^ “石破氏「日本に海兵隊ないのはおかしい」”. nikkansports.com(共同通信). (2010年5月23日) 2010年12月10日閲覧。
- ^ 農林水産・桃太郎・ネットカフェ - 石破茂オフィシャルブログ 2008年9月16日(2009年9月11日閲覧)。
- ^ 実際には、前任の太田誠一が辞職した直後であったため、農相臨時代理であった当時の内閣官房長官・町村信孝からの引継ぎであった。
- ^ 石破氏、TPP交渉「参加を」 自民内の意見割れる 日本経済新聞 2011年11月9日閲覧。
- ^ 谷垣氏は反対、石破氏は賛成…TPP交渉参加 読売新聞 2011年11月9日閲覧
- ^ ““젊은 의원들 전쟁몰라 용감…日정치 지나친 우경화 걱정”” (韓国語). 東亜日報. (2006年9月28日) 2010年3月27日閲覧。
- ^ “靖国問題、A級戦犯の分祀で一致 自民総裁選5候補”. 日本経済新聞. (2008年9月15日) 2010年3月27日閲覧。
- ^ “「憲法認識の欠如」自民が天皇特例会見で見解”. 読売新聞. (2009年12月18日) 2010年1月25日閲覧。
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- ^ 『報道ステーション』(2007年8月、テレビ朝日)で発言
- ^ 国防 p.240
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- ^ “「自閉隊」発言を陳謝 引用不適切だったと石破氏”. 47NEWS (共同通信社). (2004年3月19日) 2011年6月27日閲覧。
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- ^ このシンポジウムには、当時の民主党の副代表であり、仙谷の「暴力装置」発言の時点における幹事長である岡田克也ら複数のパネリストも参加していたが、石破が警察や軍隊を「暴力装置」と表現した点について、特に誰からも問題視されなかった。
- ^ 週末日程、「暴力装置」発言 - 石破茂オフィシャルブログ 2010年11月19日
- ^ 『「暴力装置」は「差別用語」か?』 清谷信一 - asahi.com Astand RONZA 2010年11月19日
- ^ 『WiLL』2008年6月号渡部昇一「石破防衛大臣の国賊行為を叱る」
- ^ 中央公論2011年5月号
- ^ 【放射能漏れ】「事態改善をうながすことにならぬ」首相の東電社員叱責に自民・石破氏が批判 - SankeiBiz
- ^ しんぶん赤旗 2011年4月19日
- ^ 原子力ロビー「電気事業連合会」の力と実態 電力会社幹部は3年間で5600万円を自民党政治団体に献金、「味方作り」を推し進めてきた現代ビジネス
- ^ “東電、10議員を「厚遇」 パーティー券を多額購入”. 朝日新聞. (2012年1月8日) 2012年3月28日閲覧。
- ^ 『回想録 石破二朗 追想篇』 p.171
- ^ 『回想録 石破二朗 追想篇』 p.422
- ^ 『回想録 石破二朗 追想篇』 pp.422-423
- ^ 『回想録 石破二朗 追想篇』 p.423
- ^ キリスト新聞「今週のニュース」(2006年4月22日)より
- ^ 『ハッケン!!』(2008年4月、フジテレビ)で発言。
- ^ 『週刊文春』(文藝春秋)2007年11月29日号 p.26-28「石破大臣が歓喜のキャンディーズ熱唱-守屋喚問、久間、額賀実名暴露の夜に」
- ^ 自民・石破氏「青春そのもの。ありがとう。忘れないよ」 産経新聞 2011年4月22日閲覧
- ^ 国防 p.74
- ^ 前原本人は京都生まれ京都育ちだが、父祖の地は鳥取県(父は境港市、母は日野郡日南町出身)である。
- ^ 石破茂・前原誠司ほかが集中講義!日本の防衛 7つの論点(石破・前原らのインタビュー集、2005年、宝島社、ISBN 978-4796647892)
- ^ 【自民総裁選】続々名乗り、麻生氏苦虫 - MSN産経ニュース 2008.9.6
- ^ 『日経エンタテインメント!』2007年11月号(日経BP社)
- ^ 衆議院議員鈴木宗男君提出社団法人全日本トラック協会への補助金のあり方に関する質問に対する答弁書 - 第169通常国会における答弁書(内閣衆質169第30号 平成20年2月5日)
- ^ 中村明氏死去 石破茂農相の義父 - mediajam
- ^ asahi.com(朝日新聞社):〈09総選挙〉鳥取1区 石破・農林水産相の「ふる里」八頭 - 2009総選挙
- ^ a b c 『回想録 石破二朗 追想篇』 p.86
- ^ 『回想録 石破二朗 追想篇』 p.682
- ^ 『回想録 石破二朗 追想篇』 p.683
- ^ a b c d e f g h 『回想録 石破二朗 追想篇』 p.14
- ^ 『回想録 石破二朗 追想篇』 p.87
- ^ 『回想録 石破二朗 追想篇』 p.421
関連項目
- 鳥取県出身の人物一覧
- 平成研究会
- 世襲政治家
- 親族関係にある政治家一覧
- 太田光の私が総理大臣になったら…秘書田中。 - たびたび出演していた。
- モーニング娘。 - 石破が贔屓にしているアイドル。
- キャンディーズ - 石破が贔屓にしていたアイドル。特に藤村美樹のファンだったという。
関連人物
外部リンク
公職 | ||
---|---|---|
先代 町村信孝(臨時代理) |
農林水産大臣 第49代:2008年 - 2009年 |
次代 赤松広隆 |
先代 高村正彦 |
防衛大臣 第4代:2007年 - 2008年 |
次代 林芳正 |
先代 中谷元 |
防衛庁長官 第68・69代:2002年 - 2004年 |
次代 大野功統 |
先代 創設 |
防衛庁副長官 2001年 |
次代 萩山教嚴 |
議会 | ||
先代 大野功統 |
衆議院運輸委員長 1998年 - 1999年 |
次代 仲村正治 |
党職 | ||
先代 保利耕輔 |
自由民主党政務調査会長 第52代:2009年 - 2011年 |
次代 茂木敏充 |