ジョニー・バリアント
ジョニー・バリアント | |
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プロフィール | |
リングネーム |
"ラシャス" ジョニー・バリアント ジョニー・V ジョン・L・サリバン ジョニー・サリバン |
本名 | トーマス・サリバン |
ニックネーム | 弾丸男爵 |
身長 | 188cm |
体重 | 120kg(全盛時) |
誕生日 | 1946年11月25日(77歳) |
出身地 |
アメリカ合衆国 ペンシルベニア州 ピッツバーグ |
トレーナー | アル・コステロ |
デビュー | 1967年 |
ジョニー・バリアント( "Luscious" Johnny Valiant、本名:Thomas Sullivan、1946年11月25日 - )は、アメリカ合衆国の元プロレスラーおよびプレイング・マネージャー。ペンシルベニア州ピッツバーグ出身。
1970年代に一世を風靡したヒールのタッグチーム・ユニット、バリアント・ブラザーズ(The Valiant Brothers)の一員として、WWA、WWF、NWA、AWAなど各団体で活躍した。
来歴
ファビュラス・カンガルーズのアル・コステロに鍛えられ、ザ・シークが主宰していたデトロイト地区の団体で1967年にデビュー。デビュー前はリング・クルーをしていたという。その後、往年のプロボクサーと同じリングネームのジョン・L・サリバン(John L. Sullivan)を名乗りニューヨークのWWWFに登場。当初はベビーフェイスの新鋭として、キラー・コワルスキー、ケンタッキー・ブッチャー、ブル・ラモス、トール・タナカ、ミツ・アラカワ、ジョージ・スティール、バロン・シクルナ、ブルドッグ・ブラワー、ルーク・グラハムなどのヒール勢と対戦し、ブルーノ・サンマルチノのパートナーに起用されることもあった[1]。
日本には1969年9月、日本プロレスに初来日。WWWFを主戦場としつつ、1970年代前半は師匠のアル・コステロも参加していたNWFにも出場しており[2]、1973年7月には、同年よりNWFとの提携を開始した新日本プロレスに来日。ムーンドッグ・メインやシーン・リーガンに次ぐ3番手外国人のポジションで、アントニオ猪木ともシングルマッチで3回対戦している[3]。
帰国後の1973年11月、先輩格の "ハンサム" ジミー・バリアントに誘われ "ラシャス" ジョニー・バリアント("Luscious" Johnny Valiant)と改名し、金髪の悪党タッグチーム「バリアント・ブラザーズ(The Valiant Brothers)」を結成[4]。翌1974年1月5日、インディアナポリスのWWAでブルーノ・サンマルチノ&ディック・ザ・ブルーザーからWWA世界タッグ王座を奪取[5]。WWWFでは同年5月8日、地元のペンシルベニアにてディーン・ホー&トニー・ガレアを破り、WWWF世界タッグ王座を獲得した[6]。
1976年5月にはバリアント・ブラザーズとして全日本プロレスに来日、ジャイアント馬場&ジャンボ鶴田のインターナショナル・タッグ王座およびグレート小鹿&大熊元司のアジア・タッグ王座の両タイトルに挑戦している[7]。その後もジミーとのコンビでジョージアやフロリダなど南部のNWA圏から西海岸のサンフランシスコ地区まで全米を転戦し、各地のタッグ王座を総なめにした[8]。
1978年の下期、ジミーが肝炎を患い欠場することになったため、WWA時代の盟友でもあるガイ・ミッチェルを "ジェントルマン" ジェリー・バリアントに変身させてバリアント・ブラザーズを再編[9]。1979年3月6日、トニー・ガレア&ラリー・ズビスコを破ってWWFタッグ王座に返り咲いている[6]。後にジミーも加わり、一時はトリオとして東部一帯を暴れ回った[10]。1980年2月にはジェリーとのコンビで再び全日本プロレスに参戦、極道コンビが保持するアジア・タッグ王座に再挑戦した[11]。
チーム解散後はシングルプレイヤーとしてWWAおよびAWAのテリトリーに参戦。兄貴分のジミーほどシングルの実績は残していないが、1981年4月にディック・ザ・ブルーザーからWWA世界ヘビー級王座を奪取している[12]。また、AWAでは同年10月より一時的にベビーフェイスに転向し、ジェリー・ブラックウェルやボビー・ダンカンと対戦[13]、当時AWAで大ブレイクしていたハルク・ホーガンのマネージャーを務めたこともあった。その後はヒールに戻り、1980年代前半はブルーノ・サンマルチノが興したIWFやカナダ・オンタリオ地区のビッグ・ベア・プロモーションズなどのインディー団体で活動した[14][15]。
1984年、ビンス・マクマホン・ジュニアの新体制下で全米侵攻を開始していたWWFと再契約[16]。そのマイクパフォーマンスの才能をマクマホンに買われ、新手のヒールとして売り出し中だったブルータス・ビーフケーキのプレイング・マネージャーを任される。後にグレッグ・バレンタインのマネージメントも担当し、ビーフケーキとのタッグチーム「ドリーム・チーム(The Dream Team)」を指揮。1985年8月24日、バリー・ウインダム&マイク・ロトンドのUSエクスプレスからWWF世界タッグ王座を奪取させる[6]。タイトルは翌1986年4月7日のレッスルマニア2でブリティッシュ・ブルドッグスに奪われるが、その後もドリーム・チームを率いてタッグ戦線を賑わせた。ビーフケーキのフェイスターン後はディノ・ブラボーを加えてチームを再編している。また、WWFではジェシー・ベンチュラやボビー・ヒーナンに先駆けるヒールのカラー・コメンテーターとしてもトークの才能を発揮した。
WWF離脱後はAWAでウェイン・ブルームとマイク・イーノスのデストラクション・クルー(後にWWFでビバリー・ブラザーズとして活躍)のマネージャーとなり[17]、1989年10月にAWA世界タッグ王者に就かせている[18]。1996年にはジミー・バリアントとのバリアント・ブラザーズでWWF殿堂に迎えられた。近年は天賦のタレント性を活かし、コメディ役者として活躍している[19]。
獲得タイトル
- NWA世界タッグ王座(サンフランシスコ版):1回(w / ジミー・バリアント)[20]
- NWAジョージア・タッグ王座:1回(w / ジミー・バリアント)[21]
- WWWF世界タッグ王座 / WWFタッグ王座:2回(w / ジミー・バリアント、ジェリー・バリアント)[6]
- WWF Hall of Fame:1996年度(ジミーとのバリアント・ブラザーズで殿堂入り)
マネージャー担当選手
- ハルク・ホーガン(AWA時代)
- ブルータス・ビーフケーキ
- ザ・スポイラー
- グレッグ・バレンタイン
- ディノ・ブラボー
- デモリッション(結成初期に担当)[23]
- ウェイン・ブルーム
- マイク・イーノス
- トム・ブランディ
脚注
- ^ “WWE Yearly Results 1969”. The History of WWE. 2015年6月6日閲覧。
- ^ “The NWF matches fought by Johnny Valiant in 1973”. Wrestlingdata.com. 2015年1月9日閲覧。
- ^ 『新日本プロレス 来日外国人選手 PERFECTカタログ』P83(2002年、日本スポーツ出版社)
- ^ “Jimmy Valiant and Johnny Valiant”. Wrestlingdata.com. 2014年12月31日閲覧。
- ^ a b “WWA World Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2010年4月2日閲覧。
- ^ a b c d “History of the WWE World Tag Team Championship”. WWE.com. 2010年4月2日閲覧。
- ^ “The AJPW matches fought by Johnny Valiant in 1976”. Wrestlingdata.com. 2014年12月31日閲覧。
- ^ “The Valiant Brothers”. Online World of Wrestling. 2009年4月23日閲覧。
- ^ “Being a Valiant wasn't easy”. SLAM! Sports (May 17, 2005). 2009年4月23日閲覧。
- ^ “WWE Yearly Results 1979”. The History of WWE. 2009年4月7日閲覧。
- ^ “The AJPW matches fought by Johnny Valiant in 1980”. Wrestlingdata.com. 2014年12月31日閲覧。
- ^ a b “WWA World Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2010年4月2日閲覧。
- ^ “The AWA matches fought by Johnny Valiant in 1981”. Wrestlingdata.com. 2014年12月31日閲覧。
- ^ “The IWF matches fought by Johnny Valiant in 1982”. Wrestlingdata.com. 2015年1月9日閲覧。
- ^ “The BBP matches fought by Johnny Valiant in 1983”. Wrestlingdata.com. 2015年1月9日閲覧。
- ^ “The WWF matches fought by Johnny Valiant in 1984”. Wrestlingdata.com. 2015年1月9日閲覧。
- ^ “The AWA matches fought by Johnny Valiant in 1989”. Wrestlingdata.com. 2015年1月9日閲覧。
- ^ “AWA World Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2015年1月9日閲覧。
- ^ “Johnny Valiant”. Online World of Wrestling. 2009年4月23日閲覧。
- ^ “NWA World Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2010年4月8日閲覧。
- ^ “NWA Georgia Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2010年4月8日閲覧。
- ^ “NWA United States Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2010年4月8日閲覧。
- ^ “Demolition: the Imitators Become Innovators”. Online Onslaught (August 13, 2004). 2009年4月23日閲覧。