ワーラーナシー

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ワーラーナシー
वाराणसी
ガンジス川及びChousatti Ghat
ガンジス川及びChousatti Ghat
座標 : 北緯25度19分30秒 東経83度0分25秒 / 北緯25.32500度 東経83.00694度 / 25.32500; 83.00694
行政
インドの旗 インド
  ウッタル・プラデーシュ州
 県 ワーラーナシー県
 市 ワーラーナシー
市長 Kaushalendra Singh
地理
面積  
  市域 1,550 km2 (598 mi2)
標高 80.71 m (265 ft)
人口
人口 (2007年現在)
  市域 3,147,927人
    人口密度   1,995人/km2(5,167人/mi2
その他
等時帯 IST (UTC+5:30)
Pincode 221 0** (** area code)
市外局番 +0542
ナンバープレート UP-65

ワーラーナシーVaranasi、वाराणसी)はインドの都市。ウッタル・プラデーシュ州に属する。ワーラーナシー県の県都。人口は約116万人(2004年)。ヴァーラーナシーヴァーラーナスィーバラナシとも表記する。かつては英領植民地時代に制定された英語表記のBenaresの誤読により「ベナレス」とも日本語で称された。これは現地語での別名「バナーラス」(बनारस)に由来する名称である。また古くは「カーシー国」(काशी)とも称された。ヒンドゥー教仏教の聖地として重要な都市。位置は北緯25度20分東経83度0分。

地勢・産業[編集]

ガンガー(ガンジス川)沿いに位置する都市。この街の近くで、ヴァルナー川とアッスィー川がガンガーに注ぐ。ワーラーナシーという街の呼称は、「ヴァルナーとアッスィーに挟まれた街」から由来するという見解が有力である。サリー生産が代表的産業。近隣の都市としては、約50キロ南西のミールザープル、120キロ西のアラーハーバードなどが挙げられる。街の郊外には、釈迦が初めて説法を行ったサールナート(鹿野苑)がある。

2009年7月22日の日食では、皆既日食に伴うダイヤモンドリングが観測された。

歴史[編集]

インドの叙事詩マハーバーラタ』にもその存在は記されている。前6世紀から5世紀頃、この地にあったカーシー国の首都として栄えた。その後、コーサラ国マガダ国などに支配された。

前4世紀、インド初の統一王朝となるマウリヤ朝が成立するとその支配下におかれ、以後も歴代王朝に支配された。ラージプート時代の混乱が続く中、ワーラーナシーはイスラーム勢力に征服されることになった。まず12世紀末、アフガニスタンゴール朝に征服された。その後のデリー・スルターン朝時代においても、トゥグルク朝ローディー朝による破壊を受けた。

16世紀に成立したムガル帝国のもとでは、3代皇帝アクバルが宗教寛容策を採ったことで知られるように、イスラーム教徒、ヒンドゥー教徒の共存が図られたため、ベナレスの再建が進んだ。

だが、17世紀に厳格なスンナ派である6代皇帝アウラングゼーブが即位すると、再び聖像崇拝禁止の方針がとられ、街の多くの宗教施設が破壊された。そのため、現存している建物の多くは、18世紀以降に建てられたものである。

1725年にムガル皇帝に徴税権を認められたマナサ・ラーム(ヒンドゥー教徒)のもとで、徐々に街の復興が進んでいき、息子のバルワーン・シングはワーラーナシーの代には復興した。しかし、18世紀後半よりイギリス東インド会社の進出が本格化し、藩王国としてイギリスの統治下におかれた。ベナレスという呼称は、このイギリス統治時代のものである。

死出の地[編集]

マニカルニカー・ガート (火葬場)

インドではヒンドゥー教徒が80%を占めるが、ヒンズー教の教えにより人々は生まれ変わるつど苦しみに耐えねばならないとされる。しかし、ワーラーナシーのガンガー近くで死んだ者は、輪廻から解脱できると考えられている。このためインド各地から多い日は100体近い遺体が金銀のあでやかな布にくるまれ運び込まれる。

また、インド中からこの地に集まりひたすらを待つ人々もいる。彼らはムクティ・バワン(解脱の館)という施設でを待つ。ここでは24時間絶えることなくヒンドゥー教の神の名が唱えられる。亡くなる人が最後のときに神の名が聞こえるようにとの配慮である。ここで家族に見守られながら最後の時を過ごす。

数千年の歴史を持つマニカルニカー(「宝石の耳飾り」の意)・ガートは、南北6キロガンジスの岸辺のほぼ中央に位置し、火葬場としての役割を果たしており、死者はここでガンガーに浸されたのちにガートで荼毘に付され、遺灰はガンガーへ流される。金が無い人、赤ん坊妊婦に噛まれて死んだ人はそのまま流される。

町にはハリシュチャンドラ・ガートと呼ばれる、もう1つの火葬場があり、2つの火葬場はドームという同じ一族が取り仕切っており、働く人々も共通であり、交代勤務で約650人が働いている。火葬場を見下ろす一角には、火葬場を取り仕切ってきた一族ドームの長の座る場所がある。ここには聖なる火と呼ばれる種火が焚かれ、人々はこの火より火葬にする火種をもらう。ワーラーナシーは別名「大いなる火葬場」とも呼ばれており、年中煙の絶えることはない。なお、火葬場の写真撮影は厳格に禁止されている。火葬場を中心に町には巡礼路が設けられ、インドの多くの人々は一生に一度この巡礼路を歩くことを夢と考えている。

かつて、イギリスとインドの価値観(主にヒンドゥー教とキリスト教の死に対するもの)の違いからイギリス人による火葬場の郊外への移転が企てられた。これに対しベナレスの人々は強い異議を唱えた。火葬論争は30年にわたって続いた。この際の記録がベナレス市公文書館に残されている。「ベナレス市制報告書(1925年)」がそれであるが、ここにはこう記されている。「火葬場が町のために存在するのではない。町が火葬場のために存在するのである」。イギリス政府が認めざるを得なかった、ベナレスの死の伝統である[1]

文化[編集]

バナーラス・ヒンドゥー大学 (Banaras Hindu University,BHU) は、約1万人の学生数を誇る。哲学やサンスクリットなどインドの民族文化研究などが盛ん。キャンパス内にはビルラー寺院、インド美術館などがある。ビルラー寺院は、近代ヒンドゥー教寺院の代表的な建造物として知られる。美術館では彫刻、細密画などが展示されている。

観光[編集]

主な観光地は下記の通り。

交通[編集]

航空[編集]

鉄道[編集]

ワーラーナシー近辺には鉄道の駅が4つある。それぞれ、

  • ワーラーナシー・ジャンクション駅(Varanasi Cantonment Railway Station または Varanasi Junction Railway Station または単に Varanasi Railway Station)
  • ムガル・サラーイ駅(Mughal Sarai Railway Station)
  • ワーラーナシー・シティー駅(Varanasi City Railway Station)
  • カーシー駅(Kashi Railway Station)

と呼ばれている。このうち長距離列車が発着するのはワーラーナシー・ジャンクション駅とムガル・サラーイ駅である。ワーラーナシー・ジャンクション駅では2006年3月テロリストによる爆破事件があった。アーグラーまで特急で8-12時間、デリーまで特急で約9-12時間、コルカタまでは約13時間、ムンバイまでは約28時間。

出身有名人[編集]

ギャラリー[編集]

脚注[編集]

外部リンク[編集]