サラワク王国
| 公用語 | 英語、マレー語、中国語 | |
| 首都 | クチン | |
| 政治体制 | 君主制 | |
| 面積 - 総計 |
124,450 km² |
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サラワク王国(サラワクおうこく、1841年 - 1946年)は、ボルネオ島北部(現在のマレーシア・サラワク州とブルネイ)に存在した白人王国。ジェームズ・ブルック(James Brooke 1803年 - 1868年)が建国し、ブルック王朝3代が統治した。
- 初代ジェームズ・ブルック(James Brooke 在位1841年 - 1867年)
- 2代チャールズ・ブルック(Charles Brooke 在位1867年 - 1917年)
- 3代ヴァイナー・ブルック(Vyner Brooke 在位1917年 - 1946年)
[編集] 概要
19世紀半ばのブルネイでは原住民の反乱が相次ぎ、ブルネイのスルターンは1839年にサラワクのクチンにやって来たイギリス人の探検家ジェームズ・ブルックに鎮圧を依頼。ブルックは、英国海峡植民地政庁の協力で鎮圧に成功し、褒賞としてサラワクを割譲させ、ラージャ(藩王)に任じられた。ブルックは“白人王 (White Raja)”の称号を与えられ、ここにサラワク王国が建国された。その後ブルックはイギリスの後ろ盾で次々とブルネイの領土を奪って領土を拡大していき、王国は2代チャールズ・ブルック、3代ヴァイナー・ブルックに継承された。1941年には建国100周年を記念して憲法も制定したが、間もなく太平洋戦争が始まり、日本軍に占領された。ヴァイナー王はオーストラリアに亡命し、サラワクは日本軍の軍政下に置かれた。奇しくも、王朝は丁度建国100年で実質的な支配を失った。日本降伏後、ヴァイナーは王位を辞退し、サラワクはイギリスの直轄植民地となり、3代続いた王国は消滅した。
[編集] 歴史
- 1839年8月5日 - 英国人探検家ジェームス・ブルックがサラワクのクチンに上陸。
- 1840年 - ジェームズ・ブルックが反乱の鎮圧に協力。
- 1841年 - ジェームズ・ブルックがサラワクの藩王「ラジャ」に任ぜられる。
- 1846年 - ブルネイから独立。
- 1868年6月11日 - ジェームズ・ブルックが死去
- 1868年8月3日 - 息子チャールズ・ブルックが王位継承。
- 1888年 - イギリスの保護国となる。
- 1917年5月17日 - チャールズ・ブルックが死去
- 1917年5月24日 - ヴァイナー・ブルックが王位を継承。
- 1941年9月24日 - 建国100周年を記念して憲法を公布
- 1946年7月1日 - ヴァイナー・ブルックが王位を辞退、イギリスの直轄植民地となる。
- 1957年8月31日 - マラヤ連邦独立。
- 1963年 - マラヤ、サバ、サラワク、シンガポールでマレーシア連邦結成、イギリスから独立。
[編集] 関連項目
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