亀井善行
読売ジャイアンツ #9 | |
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ファイル:YG-Yoshiyuki-Kamei.jpg 2009年9月15日、東京ドームにて | |
基本情報 | |
国籍 |
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出身地 | 奈良県大和郡山市 |
生年月日 | 1982年7月28日(41歳) |
身長 体重 |
178 cm 80 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投左打 |
ポジション | 外野手、三塁手、一塁手 |
プロ入り | 2004年 ドラフト4巡目 |
初出場 | 2005年7月9日 |
年俸 | 4,200万円(2012年) |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
国際大会 | |
代表チーム |
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WBC | 2009年 |
この表について
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亀井 義行(かめい よしゆき、1982年7月28日 - )は、読売ジャイアンツに所属するプロ野球選手(内野手)。奈良県大和郡山市出身。
経歴
プロ入り前
小学3年生で野球を始め、中学時代はボーイズリーグ「オール大和」のエースとして全国大会、ボーイズリーグ日本代表として世界大会を制覇。上宮太子高等学校では3年春にセンバツ出場。
東都の中央大学に進学後は内野手(主に遊撃手)に転向し、1年春からレギュラーで出場。上級生になると外野手にコンバートされた。東都大学野球リーグでMVP1回・ベストナイン3回を受賞し、4年時には東都通算10人目の通算100安打を達成、主将として秋季リーグで25年ぶりの1部優勝に貢献した。日米大学野球選手権大会、世界大学野球選手権大会の日本代表にも選ばれ、銀メダルに貢献している。東都大学リーグ通算108試合出場、401打数101安打、打率.252、13本塁打、53打点。 ドラフトで読売ジャイアンツから4巡目指名を受け入団。背番号は25。同期入団に東野峻や野間口貴彦がいる。
プロ入り後
2005年は、2軍で打率.320、10本塁打、6盗塁と活躍し、シーズン終盤に一軍昇格。プロ初安打・初打点を記録した。
2006年、3月31日の横浜ベイスターズとの開幕戦に8番・右翼手で出場。3打数2安打4打点と活躍。6月29日には横浜山口俊からプロ入り初本塁打を放った。シーズン中盤に打撃不振に陥り、肋骨骨折など故障もあって矢野にレギュラーを奪回され2軍降格。141打数で四球5、出塁率.233と低迷した。オフの10~11月にはハワイ・ウィンターリーグに参加するなど、積極的に技術面やメンタル面の鍛錬を行っている。
2007年に背番号を35に変更。1番打者候補と期待されたが、一軍出場はプロ入り後最少となる20試合にとどまった。中央大学の先輩の阿部慎之助、堀田一郎と、「ズームイン!!サタデー」内のコーナー『プロ野球熱ケツ情報』で「中3トリオ」を結成。亀井は「三男」という位置づけ。2005年シーズンオフに夫人と入籍。2006年8月11日に長男を授かる。
2008年は谷佳知の不振により開幕6試合目にスタメンに起用されると、1番・高橋由伸、3番・小笠原道大と共に球団9年ぶりとなる3者連続本塁打を放ち、チームのシーズン初勝利に貢献した。5月からは1番打者に定着したが、5月26日の日本ハム戦で、右足関節を捻挫。7月25日に一軍復帰するが、谷との併用が続いた。中日ドラゴンズとのクライマックスシリーズでは第1戦で負傷した鈴木尚広に代わり第2戦から1番でスタメン出場。14打数7安打1打点の活躍で日本シリーズ出場に貢献。日本シリーズにも出場し、最終戦では5番を打った。
2009年は第2回WBCの代表に選出される。規定打席に達したことすらなかったものの、亀井の守備を高く評価していた高代延博コーチの強い推薦によるものだった[1]。出場機会は多くなかったが、3試合の出場で1安打1犠打1盗塁を記録。
レギュラーシーズンでは1番・右翼手で開幕スタメンの座を得るも、当初は調子が上がらず谷と併用された。しかし、4月25日の対中日戦で左腕の岩瀬仁紀から代打逆転サヨナラ3ランを放つなど、調子を上げるにつれて投手の左右に関わらずスタメンで起用されるようになる。李承燁の不調により中盤からは5番に定着、以降は一塁手としての起用も多くなる。また「2の腕」をリラックスさせて小さく構えていたが、ラミレスなどからアドバイスを受け[2]、大上段にバットを大きく構える打撃フォームに変更。6月下旬に25打席無安打、8月には28打席無安打とスランプを経験したが、シーズン25本塁打のうち18本塁打、74三振のうち50三振を7月以降に記録した。球団記録に並ぶ3本のサヨナラ本塁打を放ち、初の規定打席に到達。日本ハムとの日本シリーズでも第5戦での武田久からの同点本塁打が評価され、優秀選手賞を受賞し、チームの7年ぶりの日本一に貢献。初のタイトルとなるゴールデングラブ賞を外野手として受賞した。
2010年は開幕から5番に起用されたものの前年の活躍から一転して不振に陥り、度重なる故障もあって3度の登録抹消を経験。ルーキー長野久義らの台頭もあって71試合の出場に留まり打率.185、5本塁打、17打点の成績でレギュラーシーズンを終えた。10月16日に出場選手登録されクライマックスシリーズに出場。11月6日、減額制限を上回る30%減の4200万円に同意して契約更改した[3]。秋季練習では「たぐいまれな器用さがある」[4]と評する原辰徳監督の勧めで三塁手に挑戦し、オフには実戦における守備練習の機会を求めオーストラリアン・ベースボールリーグに参加した。オーストラリアでの序盤の数試合では、参加した巨人の選手の力量が未知だったため三塁のレギュラーは据え置かれたが、現地監督の案で二塁手として試合に出場し内野手の経験を積んだ[5]。
2011年1月に登録を外野手から内野手に変更。開幕はオフに三塁手として補強したラスティ・ライアルに譲ったが、そのライアルの不調や他の野手の負傷が相次いだことなどで、徐々に出場機会が増えた。5月14日の広島東洋カープ戦では、本塁打・三塁打・二塁打を打ち、あと単打を打てばサイクル安打達成となる活躍を見せた(第4打席で凡退し、サイクル安打ならず)。しかし、この試合前の練習中にノック打球の直撃を受けており、翌15日に右手薬指を骨折していたことが判明、チームを離脱した。6月11日に復帰して不振の坂本勇人に代わって1番でスタメン出場し、自身初の先頭打者本塁打を放った。右翼手、中堅手、左翼手、一塁手、三塁手と自分の守れるポジション全てでスタメン出場し、打順は1・2・6・7・8番と変則的だった。守備では本職の外野に加えて内野も無難にこなし、スタメンでない試合であっても終盤に外野の守備固めに入る等走攻守で活躍したものの、目標としていたレギュラー再定着には至らなかった。
2012年は、2月18日の広島とのオープン戦開幕戦では、故障した長野に変わりそれまでキャンプで外野守備の練習を一度も行わなかったにも関わらず3番・右翼手で出場。3月10日には負傷した古城茂幸に代わり二塁手として出場した。開幕戦はベンチで迎える。二度目のスタメン出場となった4月8日の阪神戦で、小嶋達也から顔面に死球を受けた際に鼻骨骨折したが、登録は抹消されずにベンチ入りを続けている。
プレースタイル
打撃では無駄な動きのない安定したスイングから放つ[6]「内角低目を事もなげに打ち返す」という巧打[7]と2009年には25本塁打を記録した長打力を備える。本人は「二塁打や三塁打が多いのが持ち味の中距離打者」と分析し、現在は「それがホームランになるように」長さや重さの違うバットを振り込み、肩回りや下半身など「振る筋肉」の強化に励んでいるという[8]。打撃フォームはWBCで同僚となった稲葉篤紀をモデルとしており、左利きの中長距離打者の稲葉のスイングを身につけるために、「体の左側に軸を置くことを重視する」、「後ろ側の手でバットを強くスイングする」など、「左半身を重視」することで、稲葉など長距離打者特有のスイングを身につけようと試みている[8]。5番で起用されるようになってからは「自分はクリーンナップの一員ではなく、自分の前後にクリーンナップがある」と語っており、「つなぐバッティング」を意識しているという[9]。左投手に弱く一軍に定着できないでいたが、2008年に対左打率.283を残してから対応し始め[10]、以降も2010年までの通算対右打率.263に対して通算打率.257と投手の左右を苦にしなくなった。初球から積極的に打ちにいくが、選球眼に課題を残し、高めのボール球を振る確率が高い[11]。一軍に定着した2008年から2010年にかけての通算得点圏打率.247と得点圏の場面にやや弱い[12]。
走塁面では一塁到達3.87秒の俊足を誇る[13]。内野手登録であるが、本職は外野手で、入団当初から遠投115メートルの強肩と広い守備範囲をコーチ陣から評価されていた[14]。その外野守備能力を高く評価されて2009年第2回WBC代表にも選ばれ[9]、特に肩の強さはイチローからも称賛されるほどで、12球団トップクラスの強肩を誇る[6]。
詳細情報
年度別打撃成績
年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
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2005 | 巨人 | 20 | 45 | 42 | 1 | 6 | 2 | 0 | 0 | 8 | 1 | 0 | 0 | 1 | 0 | 1 | 0 | 1 | 15 | 0 | .143 | .182 | .190 | .372 |
2006 | 65 | 151 | 141 | 13 | 29 | 12 | 1 | 3 | 52 | 18 | 1 | 0 | 1 | 3 | 5 | 0 | 1 | 38 | 2 | .206 | .233 | .369 | .602 | |
2007 | 20 | 23 | 19 | 3 | 3 | 1 | 0 | 1 | 7 | 3 | 1 | 0 | 0 | 1 | 3 | 0 | 0 | 7 | 0 | .158 | .261 | .368 | .629 | |
2008 | 96 | 298 | 276 | 41 | 74 | 21 | 3 | 5 | 116 | 23 | 7 | 5 | 5 | 0 | 14 | 0 | 3 | 43 | 5 | .268 | .311 | .420 | .731 | |
2009 | 134 | 547 | 490 | 79 | 142 | 25 | 4 | 25 | 250 | 71 | 12 | 7 | 4 | 3 | 45 | 3 | 5 | 74 | 7 | .290 | .354 | .510 | .864 | |
2010 | 71 | 220 | 205 | 22 | 38 | 13 | 0 | 5 | 66 | 17 | 4 | 2 | 1 | 2 | 9 | 0 | 3 | 38 | 4 | .185 | .228 | .322 | .550 | |
2011 | 111 | 308 | 284 | 27 | 70 | 13 | 2 | 3 | 96 | 24 | 7 | 1 | 8 | 1 | 14 | 3 | 1 | 43 | 5 | .246 | .283 | .338 | .621 | |
通算:7年 | 517 | 1592 | 1457 | 186 | 362 | 87 | 10 | 43 | 595 | 157 | 32 | 15 | 20 | 10 | 91 | 6 | 14 | 258 | 23 | .248 | .297 | .408 | .705 |
- 2011年度シーズン終了時
年度別守備成績
年 度 |
一塁 | 三塁 | 外野 | |||||||||||||||
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試合 | 刺殺 | 補殺 | 失策 | 併殺 | 守備率 | 試合 | 刺殺 | 補殺 | 失策 | 併殺 | 守備率 | 試合 | 刺殺 | 補殺 | 失策 | 併殺 | 守備率 | |
2005 | - | - | 15 | 20 | 0 | 0 | 0 | 1.000 | ||||||||||
2006 | - | - | 52 | 61 | 4 | 0 | 1 | 1.000 | ||||||||||
2007 | - | - | 10 | 10 | 0 | 0 | 0 | 1.000 | ||||||||||
2008 | - | - | 85 | 119 | 1 | 2 | 0 | .984 | ||||||||||
2009 | 47 | 345 | 23 | 3 | 22 | .992 | - | 104 | 194 | 5 | 2 | 2 | .990 | |||||
2010 | 22 | 115 | 12 | 1 | 3 | .992 | - | 58 | 94 | 5 | 0 | 3 | 1.000 | |||||
2011 | 43 | 209 | 20 | 0 | 13 | 1.000 | 42 | 18 | 65 | 5 | 6 | .943 | 49 | 34 | 1 | 1 | 0 | .972 |
通算 | 112 | 669 | 55 | 4 | 38 | .995 | 42 | 18 | 65 | 5 | 6 | .943 | 373 | 532 | 16 | 5 | 6 | .991 |
- 2011年度シーズン終了時
表彰
記録
- 初出場・初先発出場:2005年7月9日、対広島東洋カープ11回戦(広島市民球場)、7番・右翼手として先発出場、4打数1安打
- 初安打:同上、6回表にマイク・ロマノから右前安打
- 初打点:2005年7月13日、対中日ドラゴンズ10回戦(札幌ドーム) 、8回裏に鈴木義広から右中間へ適時二塁打
- 初盗塁:2006年4月8日、対中日ドラゴンズ2回戦(ナゴヤドーム)、9回表に三盗(投手:岡本真也、捕手:谷繁元信)
- 初本塁打:2006年6月29日、対横浜ベイスターズ9回戦(横浜スタジアム)、5回表に山口俊から右越ソロ
背番号
- 25 (2005年 - 2006年)
- 35 (2007年 - 2008年、2009年WBC)
- 9 (2009年 - )
入団時の背番号25番は尊敬する高橋由伸の24番の次の番号を自分で要求したものだったが、2007年、李承燁の背番号変更に伴い、同じ右投左打の淡口憲治、清水隆行もつけた35番に変更。2009年からはやはり清水がつけた9番に変更。
登場曲
- FYA『Must Be Love feat. Smujji』(2005年)
- Eminem『Without Me』(2006年3-6月)
- MONKEY MAJIK『thank you』(2006年7月-2006年終了まで)
- FUNKY MONKEY BABYS『そのまんま東へ』(2007年)、『ちっぽけな勇気』(2009年-)、『あとひとつ』(2010年-)
- 湘南乃風『黄金魂』(2008年-2010年)
- JAMOSA『何かひとつ』(2011年)
- ナオト・インティライミ 『Brave』(2012年)
脚注
- ^ 「WBCに愛があった」(高代延博著、ゴマブックス刊)より。
- ^ 週刊ベースボール9月7日号より
- ^ 亀井、三割ダウンで更改&三塁で再出発! スポーツ報知 2010年11月8日
- ^ 原監督大改造!秋季練習初日に亀井三塁、野間口サイドへ挑戦! スポーツ報知 2010年11月2日
- ^ えっ!亀井二塁!完全復活へ守備位置へのこだわり封印 スポーツ報知 2010年12月10日
- ^ a b 小関順二、西尾典文、泉直樹『プロ野球スカウティングレポート2010』アスペクト、2010年、41頁頁。ISBN 978-4-7572-1744-7。
- ^ 日本経済新聞 2010年6月10日朝刊
- ^ a b 『ジャイアンツに学ぶ打撃・投球の技』成美堂出版、2009年、150-151頁頁。ISBN 978-4-4151-0793-6。
- ^ a b “(2)5番定着 亀井が急成長”. YOMIURI ONLINE
- ^ 『野球小僧 世界野球選手名鑑2009』白夜書房、2009年、89頁頁。ISBN 978-4-86191-508-6。
- ^ 『野球小僧 世界野球選手名鑑2011』白夜書房、2011年、113頁頁。ISBN 978-4-86191-710-3。
- ^ 『野球小僧 世界野球選手名鑑2010』白夜書房、2010年、24頁頁。ISBN 978-4-86191-595-6。
- ^ 小関順二、西尾典文、石川哲也、場野守泰『プロ野球スカウティングレポート2011』廣済堂出版、2011年、347頁頁。ISBN 978-4-331-51519-8。
- ^ 大きく育て巨人ルーキー亀井 河野祥一郎「今週のイチ押し!」 日刊スポーツ 2005年05月16日