1972年のテレビ (日本)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

1972年のテレビ(1972ねんのテレビ)では、1972年(昭和47年)の日本におけるテレビジョン放送全般の動向についてまとめる。

番組関係のできごと[編集]

1月
2月
3月
4月
5月
6月
  • 17日 - 佐藤栄作首相(当時)がこの日退陣を表明、NHKなどで退陣に関する記者会見を中継。異例のテレビ主導による会見となった[4]
7月
  • 8日 - NET系で、土曜20時枠に特撮番組『人造人間キカイダー』とテレビアニメ『デビルマン』の2本立てを編成、1974年3月までこの体制となる[注 5]
  • 21日 - 日本テレビ系で刑事ドラマ『太陽にほえろ!』(東宝制作)が放送開始。1986年11月14日まで全718回続く長寿番組となった。
  • 28日 - NET系で、5月12日をもって打ち切られた日本テレビ系『日本プロレス中継』の後継番組として、月曜20時台に放送されていた『NETワールドプロレスリング』の他にも、金曜20時台にも『NET日本プロレス中継』を開始。9月25日まで月曜・金曜の並行放送を続け、9月29日から『NET日本プロレス中継』に一本化(1973年3月30日終了)[注 6]
8月
9月
10月
12月

その他テレビに関する話題[編集]

テレビ神奈川(4月1日開局。写真は初代本社で、現在は解体済み)
テレビ神奈川(4月1日開局。写真は初代本社で、現在は解体済み)
びわ湖放送(4月1日開局)
びわ湖放送(4月1日開局)
NHK沖縄放送局(5月15日沖縄返還により開局)
NHK沖縄放送局(5月15日沖縄返還により開局)

開局[編集]

周年[編集]

番組[編集]

開局・放送開始[編集]

視聴率[編集]

(関東地区、ビデオリサーチ調べ)

報道[編集]

  1. ニュース(NHK総合、9月8日)55.5%
  2. ニュース(連合赤軍あさま山荘事件)(NHK総合、2月28日)50.8%
  3. 田中総理中国へ(NHK総合、9月25日)50.6%
  4. スタジオ102(NHK総合、2月29日)47.0%
  5. カメラリポート(NHK総合、2月29日)46.6%
  6. 即日当選開票当確者紹介(NHK総合、12月11日)46.1%
  7. ニュース(NHK総合、2月29日)44.9%
  8. 当確者に聞く(NHK総合、12月11日)44.3%
  9. ニュース(NHK総合、4月27日)44.0%

スポーツ[編集]

  1. 第20回オリンピックミュンヘン大会(NHK総合、9月8日)58.7%
  2. 第20回オリンピックミュンヘン大会(NHK総合、9月2日)55.5%
  3. 第11回冬季オリンピック札幌大会(NHK総合、2月11日)53.1%
  4. 第20回オリンピックミュンヘン大会(NHK総合、9月10日)51.3%
  5. 第20回オリンピックミュンヘン大会 閉会式ハイライト(NHK総合、9月12日)46.9%

バラエティー[編集]

  1. 第23回NHK紅白歌合戦(NHK総合、12月31日)80.6%
  2. 1972年度輝く!日本レコード大賞・第2部(TBS、12月31日)46.5%
  3. 8時だョ!全員集合(TBS、7月15日)45.7%

ドラマ[編集]

  1. ありがとう(TBS、12月21日)56.3%
  2. 連続テレビ小説 繭子ひとり(NHK総合、2月10日)55.2%
  3. 連続テレビ小説 藍より青く(NHK総合、9月8日)53.3%
  4. 時間ですよ・最終回(TBS、3月15日)36.2%
  5. 肝っ玉かあさん(TBS、1月13日)33.0%

テレビ番組[編集]

テレビドラマ[編集]

NHK[編集]

日本テレビ系[編集]

TBS系[編集]

フジテレビ系[編集]

NETテレビ系[編集]

東京12チャンネル系[編集]


子供向けドラマ[編集]

NHK[編集]

日本テレビ系[編集]

TBS系[編集]

フジテレビ系[編集]

NETテレビ系[編集]

テレビアニメ[編集]

特撮番組[編集]

報道・情報番組[編集]

バラエティ番組[編集]

クイズ番組[編集]

音楽番組[編集]

トーク番組[編集]

教養・ドキュメンタリー番組[編集]

映画番組[編集]

スポーツ番組[編集]

単発特別番組枠[編集]

その他[編集]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ これにより、19:00の特撮番組『ミラーマン』、20:00の時代劇『一心太助』(杉良太郎主演版)、21:00のトーク番組『ラブラブショー』の計3本が休止。また19:30のアニメシリーズ『カルピスまんが劇場(→世界名作劇場)』は、1969年10月5日開始以来初めて放送されなかったが、前作『アンデルセン物語』は前週の1971年12月25日で放送を終え、翌9日に次作『ムーミン』(第2作)が開始するため、「継続中の休止」には至らなかった。
  2. ^ a b 当時『クイズグランプリ』と『スター千一夜』は土曜日も放送されていた(1974年9月まで)。
  3. ^ ただし、国際映像はNHKと北海道放送(HBC)が共同制作し、世界各国に配信した。
  4. ^ ただし1987年10月から1989年9月までは、平日22時枠に報道番組『JNNニュース22プライムタイム』→『JNNニュースデスク'88・'89』が編成されたために中断、この間は代替として水曜21時枠で『水曜ドラマ』が編成された。
  5. ^ 20時枠前半は1973年5月12日より続編の『キカイダー01』となり、また後続のアニメ枠は『ミクロイドS』→『キューティーハニー』と続く。
  6. ^ 1973年4月6日からは新日本プロレス中継に変更され、『ワールドプロレスリング』に再改題。
  7. ^ 1972年当時、朝日放送は東京放送(TBS、現・TBSテレビ)とネットワーク(JNN系列)を結んでおり、1975年4月からNETテレビ(現・テレビ朝日)とネットワーク(ANN系列交換(いわゆる「腸捻転」解消)を実施した。
  8. ^ 第5作のみ星正人主演。
  9. ^ TBSの人気番組『8時だョ!全員集合』も休止となったが、ザ・ドリフターズいかりや長介曰く「あとで局の人間が「視聴率、ヒトケタだったよ」とボヤいていたが」とのことである[5]
  10. ^ 当時使用されていたバージョンは2011年7月24日のアナログ放送終了の際にも、アナログ放送での最終映像として放送され、最終画面(「JOAX-TV(NTV)日本テレビ」)の左下に「58年間 ありがとうございました」の文字が添えられた。
  11. ^ 日本テレビ版は遅れて1963年1月21日に開始したため、1973年で10周年だった。
  12. ^ 『シャボン玉ビッグワンショー』開始までのつなぎ番組

出典[編集]

  1. ^ a b c 米中200年の歩みが番組で特集される中、日本では連合赤軍による事件が勃発 Muscat(フジテレビ)2018年2月19日
  2. ^ 日本民間放送連盟(編)「放送日誌 昭和47年(1972)2月」『月刊民放』第2巻第4号、日本民間放送連盟、1972年4月15日、53頁、NDLJP:3470873/28 
  3. ^ ジョン・カビラさんと読んだ「放送法 第1条」」『NHK PR』、NHKオンライン、2022年5月23日https://web.archive.org/web/20220523134319/https://www6.nhk.or.jp/nhkpr/post/original.html?i=343472022年5月23日閲覧 に掲載されている「NHK沖縄放送局開局記念ポスター」の写真を参照。
  4. ^ a b 日本民間放送連盟(編)「放送日誌 昭和47年(1972)6月」『月刊民放』第2巻第8号、日本民間放送連盟、1972年8月15日、52頁、NDLJP:3470877/28 
  5. ^ いかりや長介『だめだこりゃ』(新潮社)182頁
  6. ^ a b 日本民間放送連盟(編)「放送日誌 昭和47年(1972)4月」『月刊民放』第2巻第6号、日本民間放送連盟、1972年6月15日、53頁、NDLJP:3470875/28 
  7. ^ 「NHKジャーナル/沖縄局が業務再開/「くらしに生かす…」全国集会」『放送教育』第27巻第4号、日本放送教育協会、1972年7月1日、88頁、NDLJP:2341335/45 
  8. ^ 日本民間放送連盟(編)「放送日誌 昭和47年(1972)7月」『月刊民放』第2巻第9号、日本民間放送連盟、1972年9月15日、53頁、NDLJP:3470878/28 
  9. ^ a b c d e f g 日本民間放送連盟(編)「(3)番組―イベント報道、ナマワイド生活情報番組、ブロック制作、報道と表現の自由」『月刊民放』第2巻第12号、日本民間放送連盟、1972年12月15日、19 - 21頁、NDLJP:3470881/11 
  10. ^ 読売新聞』(縮刷・関東版) 1972年(昭和47年)10月1日付朝刊、テレビ欄。
  11. ^ a b c テレビ東京の歩み

参考文献[編集]

など