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ラブラブショー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ラブラブショー
ジャンル トーク番組
構成 塚田茂
柴田昭
演出 疋田拓
司会者 芳村真理
出演者 ペア1組
宮尾すすむ
音楽 宮内國郎
オープニング 「ラブラブショーのテーマ」
国・地域 日本の旗 日本
言語 日本の旗日本語
製作
プロデューサー 疋田拓
制作 フジテレビ
放送
放送チャンネルフジテレビ系列
音声形式モノラル放送
放送国・地域日本の旗 日本
1973年9月まで
放送期間1970年4月5日 - 1973年9月30日
放送時間日曜 21:00 - 21:30
放送分30分
1973年10月以降
放送期間1973年10月7日 - 1979年9月30日
放送時間日曜 22:00 - 22:30
放送分30分
オールスター夢のラブラブショー
放送期間1981年9月15日[1]
放送時間火曜 20:00 - 21:24
放送枠火曜ワイドスペシャル
放送分84分
回数1回
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ラブラブショー』は、1970年4月5日から1979年9月30日までフジテレビ系列局で放送されていたフジテレビ製作のトーク番組である。

概要

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毎回当時の若手歌手や若手俳優などのカップル1組を招き、司会の芳村真理とその他のゲスト、そしてリポーターの宮尾すすむが2人を盛り上げていた番組。出場カップルの大半は番組側が決めた演出上でのカップルであったが(例:第1回のゲストカップルは堺正章いしだあゆみ)、関口宏西田佐知子三條正人香山美子石坂浩二浅丘ルリ子郷鍈治ちあきなおみ三浦友和山口百恵などのように、本当に結婚した、あるいは交際に発展したカップルの出場例もある。また、高島忠夫寿美花代加山雄三松本めぐみのように、既に夫婦になっている芸能人カップルや、坂本九柏木由紀子のように婚約を発表した芸能人の特集を組むこともあった。1975年5月以降はタレント同士だけでなく、タレントと視聴者という組み合わせのカップルも出場するなど、視聴者参加型番組の要素を持たせた回もある。

当初は日曜21:00枠で放送されていたが、直後の時間帯に編成されていた『白雪劇場』(関西テレビ)が1973年秋の改編で日曜21:00枠へ移動することになったため、以後は日曜22:00枠で放送されていた。また、放送期間中に武田グループの一社提供へと移行した。

後番組は山城新伍司会の『アイ・アイゲーム』で、スポンサーの武田グループは引き続き同番組のスポンサーを務めていた。

番組のアーカイブは制作当時のVTR事情などから数が限られており、映像そのものが放送局側に残されていない回が多数ある。神奈川県横浜市にある放送ライブラリーには、前述の高島忠夫と寿美花代が出演した1973年7月22日放送分の記録映像が保存されているが[2]、番組中に流されていたスポンサーCMは著作権・肖像権の関係からカットされている。1988年3月31日にフジテレビ系列局で放送された『フジテレビ30年史 〜秘蔵VTR一挙大公開〜』では、前述の関口宏と西田佐知子、千昌夫ジョーン・シェパード、加山雄三と松本めぐみが出演した回のオープニングと、三浦友和と山口百恵が出演した回のお見合いならびにエンディングの映像が流された。

視聴率

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  • 最高視聴率は山口百恵と三浦友和が出演した回の放送で関東圏24.0%(ビデオリサーチ)であった。[3]

番組で共演し、実際に結婚したタレント

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スタッフ

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放送局

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  • フジテレビ:日曜 21:00 - 21:30 → 日曜 22:00 - 22:30
  • 青森テレビ:日曜 10:30 - 11:00(1979年10月時点)[4]
  • テレビ岩手:日曜 16:40 - 17:10(1977年4月時点)[5]
  • 秋田テレビ:日曜 21:00 - 21:30(1971年10月 - 1973年7月時点)[6] → 日曜 22:00 - 22:30(1973年10月以降)[7]
  • 山形テレビ:日曜 21:00 - 21:30(1971年10月 - 1973年7月時点)[6] → 日曜 22:00 - 22:30(1976年5月時点)[8]
  • 仙台放送:金曜 21:30 - 22:00(1970年4月 - 9月)→ 日曜 21:00 - 21:30(1970年10月 - 1973年9月)→ 日曜 22:00 - 22:30 (1973年10月 - 1979年9月)[9]
  • 福島中央テレビ(1971年4月 - 9月に放送):金曜 21:00 - 21:30[10]
    • 福島テレビ:日曜 11:30 - 12:00(1971年10月 - 1973年9月)→ 日曜 22:00 - 22:30 (1973年10月 - 1979年9月)[11]
  • 新潟総合テレビ:日曜 18:00 - 18:30(1976年5月時点)[8]
  • テレビ静岡:日曜 21:00 - 21:30(1972年4月時点)[12] → 日曜 22:00 - 22:30(1976年5月時点)[8]
  • 長野放送:日曜 22:00 - 22:30(1976年5月時点)[8]
  • 富山テレビ:日曜 21:00 - 21:30(1973年9月まで)→ 日曜 22:00 - 22:30(1973年10月以降)[13]
  • 石川テレビ:日曜 21:00 - 21:30(1973年9月まで)→ 日曜 22:00 - 22:30(1973年10月以降)[13]
  • 福井テレビ:日曜 21:00 - 21:30(1973年9月まで)→ 日曜 22:00 - 22:30(1973年10月以降)[13]
  • 東海テレビ:日曜 21:00 - 21:30(1972年4月時点)[12] → 日曜 22:00 - 22:30
  • 関西テレビ:日曜 21:00 - 21:30 → 日曜 22:00 - 22:30
  • 山陰中央テレビ:日曜 21:00 - 21:30(1973年9月まで) → 日曜 22:00 - 22:30(1973年10月以降)[14]
  • 岡山放送:日曜 21:00 - 21:30(1970年8月時点)[15] → 木曜 21:30 - 22:00(1972年3月時点)[16]木曜 19:00 - 19:30(1976年10月時点。当時の放送免許エリアは岡山県のみ。香川県との相互乗り入れ後の放送時間は不明)[17]。香川県での本番組の放送については不明。
  • 広島テレビ:日曜 13:30 - 14:00(1970年8月時点)[15] → 日曜 12:45 - 13:15(1972年3月時点)[16] →日曜 11:45 - 12:15(ネット最終日の1975年10月5日時点)[18]
  • テレビ愛媛:日曜 21:00 - 21:30(1970年8月時点)[15]→日曜 22:00 - 22:30(1979年4月時点)[19]
  • 四国放送:日曜 17:30 - 18:00(1974年9月まで)→ 土曜 23:00 - 23:30(1974年10月より、1979年時点)[20][21]
  • 高知放送:土曜 22:00 - 22:30(1976年1月時点)[22]
  • テレビ西日本:日曜 21:00 - 21:30(1972年7月時点)[23] → 日曜 22:00 - 22:30
  • テレビ長崎:日曜 12:45 - 13:15(1975年12月時点)[24]
  • テレビ熊本:日曜 12:45 - 13:15(1972年3月時点)[25]
  • テレビ大分:日曜 12:45 - 13:15(1972年3月時点)[26] → 火曜 21:30 - 22:00(1974年9月時点)[27]
  • テレビ宮崎:日曜 12:45 - 13:15(1972年3月時点)[28]
  • 鹿児島テレビ:日曜 12:45 - 13:15(1972年3月時点)[28]
  • 沖縄テレビ:日曜 21:00 - 21:30(1973年9月まで) → 日曜 22:00 - 22:30(1973年10月以降)[29]

主題歌

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「ラブラブショーのテーマ」
作詞:塚田茂 / 作曲:宮内國郎
歌は各回の出場カップルが歌唱していた。オープニングでは、この曲をBGMに司会者2人が手を取りあいながら階段を降りていた。曲は時期によってアレンジが異なっていた。

復刻版

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当番組が終了後も、復刻版が3回に渡って放送された事がある。

オールスター夢のラブラブショー

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1981年9月15日に『火曜ワイドスペシャル』枠で放送[1]。司会は引き続き芳村真理が務めた。ゲストペアは松田聖子桑原正(映画『野菊の墓』で共演)、野村義男河合奈保子郷ひろみ浅野温子五木ひろし紺野美沙子[1]などで、主に番組終了後にデビューした芸能人が出演した。

ぼくら冒険王

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1987年3月20日と同年9月18日に、過去フジテレビで放送された番組の復刻版を放送する『ぼくら冒険王』(『金曜おもしろバラエティ』枠)で、2回に渡って復刻版を放送[30]。司会は山田邦子が担当、またレポーター役の宮尾すすむも出演した。ゲストペアは、第1回は国生さゆり前田耕陽(映画『いとしのエリー』の宣伝を兼ね出演)、第2回は原田知世三上博史(映画『私をスキーに連れてって』宣伝を兼ね)が出演した[30]

脚注

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  1. ^ a b c 読売新聞 縮刷版』読売新聞社、1981年9月15日テレビ欄。 
  2. ^ 検索結果 ラブラブショー - 放送ライブラリ公式ページ”. 放送ライブラリー. 2016年9月25日閲覧。
  3. ^ 「開局30周年特別企画・フジテレビ30年史 秘蔵VTR一挙公開」(1988年3月31日放送)で紹介された。
  4. ^ デーリー東北』1979年10月14日付朝刊テレビ欄。
  5. ^ 河北新報』1977年4月3日 - 4月24日付朝刊テレビ欄。
  6. ^ a b 『河北新報』1971年10月24日、1973年7月1日付朝刊テレビ欄。
  7. ^ 秋田魁新報』1974年3月テレビ欄。
  8. ^ a b c d 日刊スポーツ』1976年5月2日付テレビ欄。
  9. ^ 福島民報』1970年4月10日、1970年9月18日、1970年10月4日、1973年9月30日、1973年10月7日、1979年9月30日付朝刊テレビ欄。
  10. ^ 『福島民報』1971年4月2日 - 9月24日付夕刊テレビ欄。
  11. ^ 『福島民報』1971年10月3日、1973年9月30日、1973年10月7日、1979年9月30日付朝刊テレビ欄。
  12. ^ a b 読売新聞』山梨・静岡版 1972年4月16日付朝刊テレビ欄。
  13. ^ a b c 北國新聞』1973年9月30日付、10月7日付各朝刊、テレビ欄。
  14. ^ 山陰中央新報』1973年9月・10月各テレビ欄。
  15. ^ a b c 中国新聞』1970年8月30日付朝刊テレビ欄。
  16. ^ a b 山陽新聞』1972年3月テレビ欄。
  17. ^ 毎日新聞』(岡山版)1976年10月21日付朝刊、テレビ欄。この関係で当該枠のテレビアニメ大空魔竜ガイキング』は本放送時点では未放送だった(香川県との相互乗り入れ後の1979年に放送(『中国新聞』1979年5月16日付朝刊テレビ欄。この時は水曜17:00 - 17:30に放送〈月 - 金曜の帯放送だったかは不明〉。香川県では西日本放送が遅れネット)
  18. ^ a b 『中国新聞』1975年10月5日付朝刊テレビ欄。同日は10月1日のテレビ新広島開局と広島テレビの日本テレビ系フルネット化にともなうフジテレビ系番組の移行措置として、広島テレビが前週分11:45からを遅れネットした後、テレビ新広島が22:00から同時ネットしている。
  19. ^ a b 愛媛新聞』1979年4月8日付朝刊テレビ欄。
  20. ^ 『四国新聞』1974年9月・10月各テレビ欄
  21. ^ 四国新聞』1979年3月31日付朝刊22面、テレビ欄
  22. ^ 『愛媛新聞』1976年1月24日付朝刊テレビ欄。
  23. ^ 『愛媛新聞』1972年7月2日付朝刊テレビ欄。
  24. ^ 熊本日日新聞』1975年12月テレビ欄。
  25. ^ 『熊本日日新聞』1972年3月テレビ欄。
  26. ^ 大分合同新聞』1972年3月テレビ欄。
  27. ^ 『大分合同新聞』1974年9月テレビ欄。
  28. ^ a b 宮崎日日新聞』1972年3月テレビ欄。
  29. ^ 沖縄タイムス』1973年9月・10月各テレビ欄。
  30. ^ a b 読売新聞 縮刷版』読売新聞社、1987年3月20日・9月18日テレビ欄。 
フジテレビ系列 日曜21:00 - 21:30枠
前番組 番組名 次番組
わたしはカモちゃん
(1969年10月5日 - 1970年3月29日)
ラブラブショー
(1970年4月5日 - 1973年9月30日)
【ここまでフジテレビ制作枠】
白雪劇場 大久保彦左衛門
(1973年10月7日 - 1974年6月30日)
※21:00 - 21:55
【ここから関西テレビ制作枠】
フジテレビ系列 日曜22:00 - 22:25枠
白雪劇場 若さま侍捕物手帖
林与一版)
(1973年5月6日 - 1973年9月30日)
※21:30 - 22:25
【ここまで関西テレビ制作枠】
ラブラブショー
(1973年10月7日 - 1979年9月30日)
【ここからフジテレビ制作枠】
アイ・アイゲーム
(1979年10月14日 - 1985年9月29日)
※22:00 - 22:30
フジテレビ 日曜22:25 - 22:30枠
ラブラブショー
(1973年10月7日 - 1979年9月30日)
【ここからネットワークセールス枠】
アイ・アイゲーム
(1979年10月14日 - 1985年9月29日)
※22:00 - 22:30