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1964年のテレビ (日本)

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1964年のテレビ(1964ねんのテレビ)では、1964年昭和39年)の日本におけるテレビジョン放送全般の動向についてまとめる。

主なできごと

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東京オリンピックが開催。これに伴い、カラー放送開始の局が一気に増加。
  • この年は、10月の東京オリンピックの放送で、NHKと民放が協力して制作。最新の放送技術が相次いで導入され、更に、静止衛星を利用して、米国へオリンピック初のテレビ衛星生中継(当時はモノクロ)が行われ、「テレビオリンピック」とも呼ばれた。
  • 前記のオリンピック放送に備え、その開催の1~2週間前までに、電電公社がテレビネット回線のカラー対応の高規格化を大幅に進めたことにより、NHK総合テレビの数多くの地方局がカラー放送を開始。更に民放も、フジテレビジョン関西テレビを始め、名古屋、甲信越、宮城、四国の地方局も相次いで、それを開始した。(詳細は、「#その他のテレビのできごと」「#既存局のカラー放送開始」等を参照)


NHK教育テレビ、一応の全国ネットワーク完成をみる。
  • 1月20日に長崎県で同テレビが放送開始したのを最後に、ほぼ全国の区域で同テレビを視聴できる様になる。


4月12日日本科学技術振興財団テレビ事業本部(東京12チャンネル、後のテレビ東京)が開局。


6月16日新潟地震が発生。日本でのテレビ放送開始史上初の、大規模災害報道となる。
  • 特に当時唯一の地元民放テレビ局であった新潟放送(BSN)テレビはその際、津波の模様を世界で初めてテレビで生中継し、同時にVTRに収録。収録したその模様が後にJNN系列等を通じて、全国に放送された。[1]


テレビ番組


番組関係のできごと

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1月
2月
  • 24日 - 山陽放送、肉体的な不自由を克服しようと努力する障害児施設にいる一少年の記録のドキュメント『RSKレポート「自分で食べたい」』放送。[6]
3月
  • 25日 - NHK総合、日米テレビ衛星中継の日本からの第1回送信実験番組『アメリカの皆さまへ(This is Japan Calling)』を放送[注 1][16]。番組内では、当時の池田勇人首相がメッセージの中で、前日に起きた「ライシャワー大使刺傷事件」につき「心から遺憾の意」を表明する。[6][17]
  • 27日 - NHK総合、一昨日に続き、日米テレビ衛星中継の日本からの第2回送信実験番組『日米テレビ交換宇宙中継』を放送。日本では番組『Japan at This Moment』を米へ送り、米からは『Good Morning from America』を受けて、日本の夜とアメリカの朝の情景を交換して放送。[6][17][18]
4月
5月
  • 2日 - 読売テレビ、『鈴鹿サーキット自動車レース』を、ヘリコプターを使用してテレビ中継。[6]
  • 3日 - NHK教育、四季の生活を紹介する放送文化財ライブラリー『ユーカラの世界』の第1回「冬の生活」放送[25]。同年9月23日の第2回は第1部「冬の生活」と第2部「夏の生活」の2部構成として[26]、翌年1月15日の第3回は第3部「秋の生活」[27]をそれぞれ放送。[6]
  • 4日
  • 10日 - NHK総合、普段はレギュラ番組『日本ところどころ』の放送をこの日は休止し、特別番組『テレビ討論「少年法をめぐって」』を放送。[6][28]
  • 16日 - TBS系、米ABC放映のテレビ映画『逃亡者』放送開始( - 1967年9月2日。出演:デビッド・ジャンセン ほか)。[6]
  • 26日 - NHK総合、日本訪問中の当時ソ連の第1副首相、アナスタス・ミコヤンを迎え、特別番組『ミコヤン・ソ連第1副首相にきく』を放送。[6][29]
  • 28日 - NHK総合、海外取材番組『カリブ海のくにぐに』放送開始( - 7月23日、全9回)。[6]
6月
  • 4日 - TBS系、ホームドラマ『ただいま11人』放送開始( - 1967年3月23日。脚本:椎名利夫、演出:上田亮、出演:山村聡荒木道子 ほか)。[6]
  • 16日 - この日の13時01分、新潟地震が発生。当時、地元のテレビ局であるNHK新潟放送局と唯一の民放テレビ局だった新潟放送(BSN)テレビが、この日の発生後から大掛かりな地震災害放送を行う[6][1]
    • 共に地震発生後、被災した局舎屋上や鉄塔にテレビカメラを持ち込み、地震で停電した為に大至急放送用の非常用電源を立ち上げた上で、そこから被害の模様を実況生中継で放送。BSNテレビはその際、局舎の真横を流れる信濃川に日本海から遡上してきた津波の模様も放送。この時の模様は同時にビデオテープにも収録・保存され、その後、JNNを始めとして全国に放送された。津波の生放送及びVTRへの録画はこれが世界初である[注 4][30]
    • しかし、地震被害で電電公社のテレビネット中継回線が新潟で寸断してしまった為、この地震の被災の映像の模様が全国に伝えられたのは、NHKが同日(16日)の17時半に生中継されたのが最初で、緊急で独自に新潟→富山→金沢の伝送経路を開拓した上で漸く可能となった[6][31]。BSNも電電公社と協力してTBSへの別の上り回線を確保し、20時56分からの「JNNフラッシュニュース」にて、同系列の全国ネットでは初めて同地震の災害の模様を放送した[32]
    • この地震災害報道に伴い、NHKは放送センター(東京)やNHK長野放送局等から応援が駆け付け[31]、又BSNも、同局が発足当初から加盟しているJNNのキー局であるTBSから、17日の朝にテレビ中継車を含む応援が到着、共にローカル番組だけでなく全国番組の双方に於いて現地からの生中継を含めての地震災害報道を行った[注 5][31][32][33]
  • 21日 - フジテレビ系、『ドキュメンタリー劇場』放送開始( - 1969年)。この日の第1回は「幼稚園は倒れた」を放送。[6]
  • 29日 - TBS(関東ローカル)、女性キャスターを起用し、母親が子供に語りかけるようなやさしい口調を用いて天気予報を伝える、麒麟麦酒一社提供による、月~土の夕方の天気予報帯番組『キリン お天気ママさん』放送開始( -1984年10月6日)。[6]
7月
8月
  • 1日 - 東京12チャンネルでクラシック音楽番組ゴールデンポップスコンサート・題名のない音楽会』放送開始。後にNET→テレビ朝日へ移行し『題名のない音楽会』となり、2025年現在も継続。[6]
  • 2日 - RKB毎日放送、特集『八重山群島をさぐる』放送開始(全5回)。[6]
  • 3日 - フジテレビ系、ライオン歯磨・ライオン油脂の共同提供による、平日13時からの30分間の帯ドラマライオン奥様劇場』放送開始。後継番組『ライオン午後のサスペンス』、『ライオン劇場』も含め、同ドラマ枠は1984年9月28日まで続いた(1980年からはライオン一社提供)。この日から放送の第1作は『この河の流れに』( - 8月28日、全20回)。
  • 5日 - NHK総合、同月2・4日に「ベトナム戦争」に関連する「トンキン湾事件」が起きたのを受け、関連番組の編成を開始。この日は、番組『時の表情』で「拡大するベトナム戦争」として座談会を行った[34]。その後も、同月11日放送の『NHK特派員報告』では「「"自由"の前線」-南ベトナムのアメリカ人-」を[35]、9月5日の『NHK特派員だより』では「動乱の南ベトナム」[36]等を放送した。[6]
  • 25日 - NHK総合、同年10月1日に開通する東海道新幹線の最初の公式試運転の模様を、3部構成による番組『実況中継「東海道新幹線」』として全線実況中継(一部録画あり)。番組では、飛行機・ヘリコプター・列車内と沿線各地を結んだ。[6][37][38]
  • 28日 - 日本テレビ系、「NTVスタジオ」(生田スタジオ)完成記念のカラー特別番組が3時間に渡り放送される(詳細は、「テレビ番組」欄内の「特別番組」の項を参照)。[39]
  • 31日 - フジテレビ系で塩野義製薬一社提供の音楽番組『ミュージックフェア』放送開始[6][40][41]。初代司会は歌手越路吹雪で、初回ゲストは淡谷のり子舟木一夫ら(2025年5月現在も継続中)。
9月
  • 1日 - 中部日本放送がこの日のカラー本放送開始を記念しての特別番組『カラー日本めぐり』(午前11時15分からの30分番組)を放送。
  • 2日 - NHK教育、『教養特集』にて「科学の焦点「輸血」」を放送[42]。番組では厚生省に協力して献血運動の教材用プリントを制作した。[6]
  • 3日 - NHK総合、海外取材番組『近代国家の像』放送開始( - 12月24日、全13回)。[6]
  • 6日 - 日本テレビ系で1957年9月3日から放送されていた刑事ドラマの草分け『ダイヤル110番』が、この日放送の第364回を以て終了、7年間の歴史に幕。
  • 7日 - フジテレビ系の東名阪3局が同時にカラー本放送を開始したこの日、初の同番組として、外国カラーテレビ映画『海底大戦争 スティングレイ』が放送開始(第10話で『トニーの海底大戦争』と改題、- 1965年3月31日)。[43]
  • 9日 - NHK総合、特別番組『オリンピック聖火リレー ―鹿児島到着―』を、鹿児島空港から実況中継。[6][44]
  • 25日 - 同月23日にカラーのサービス放送を開始した東北放送が、第1スタジオから、自社初のカラー番組放送を実施(フィルム番組『蔵王春秋』と、生放送の座談会『駄菓子遍歴四十年』)。[45]
  • 30日 - NHK総合、特別番組『義宮さまご結婚』を皇居から中継。[6][46]
10月
  • 6日 - NHK総合、『第62回IOC総会開会式』を、東京・日生劇場から中継。[6][47]
  • 1024日 - 東京オリンピックが開催[6]。NHKと民放各局[注 6]開会式を中継し、うちNHK総合では視聴率61.2%(関東地区、ビデオリサーチ調べ)を記録。日本初開催の近代オリンピック大会となる東京五輪は、連日NHK総合や民放テレビで生中継又は録画放送され、その内、開会式を始め、20種目中16種目がカラーで制作された。中でも、これはモノクロ放送であったものの、「東洋の魔女」の異名を残したバレーボール日本女子代表金メダルを獲得した女子バレーボール決勝(対ソ連)が、最高視聴率85%を記録した。東京五輪の成功により、カラーテレビは急激に家庭に普及していくようになる。NHKは東京五輪閉幕後、次世代型の高品位テレビの研究を開始。これが、ハイビジョンの誕生へつながっていく。
  • 16日 - NHK総合及び民放各社、ソ連でニキータ・フルシチョフの首相解任で臨時ニュースを放送、特別番組を編成。[6]
  • 17日 - NHK総合及び民放各社、この日の日本時間の午前0時に中国が北京放送を通じて、「中国の核実験が初めて成功した」という発表を伝えた[48]のを受け、臨時ニュースを放送、特別番組を編成。[6]
    • NHK総合では、普段では既に放送終了時間である午前0時過ぎも放送を継続し、0時5分からこれに関する臨時ニュースを放送[49]、その後午前0時26分からはこれに関しての記者座談会も行い、午前1時半まで放送を続けた[50]。又午前7時半からは特別番組『中共の核実験』を放送した[51][48]
11月
12月

その他のテレビのできごと

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  • 1月20日 - NHK教育テレビの放送がこの日、長崎佐世保で開始[56]。これにより、NHK教育テレビの一応の全国ネットワーク完成をみる
  • 4月1日 - NHK教育テレビで、既にカラー放送を開始している名古屋中央放送局を除く中部地区の各地方局と本部管下の甲信越の各地方局に於いて、一斉にカラー放送を開始。[57]
  • 4月12日 - 日本最後のVHF親局日本科学技術振興財団テレビ事業本部(東京12チャンネル、科学テレビ。JOTX-TV)開局(科学技術専門の教育局。1973年10月末に財団のテレビ事業撤退のため廃局。制作業務にあたっていた「東京12チャンネルプロダクション(のちの東京12チャンネル)」に事業譲渡、一般局の新規免許を得て翌日11月1日に改めて開局。後のテレビ東京)。[6][9][58]
  • 7月9日 - NHK第9代会長阿部眞之助急逝(80歳没)。後任として解説委員等を歴任した前田義徳が就任(前田は1973年7月まで在職)。[6]
  • 7月 - 日本テレビ、多摩丘陵よみうりランド内にカラー公開スタジオ「NTVスタジオ」(生田スタジオ)が完成。[59]
  • 8月17日 - 【訃報】NHKドラマ『虹の設計』主演の佐田啓二(俳優)がこの日の早朝に静養先の長野県の別荘から同作の収録に参加するために知人が運転する自動車で帰京する途中、山梨県韮崎市にて乗用の自動車が事故を起こし、その際に佐田は頭を強打するなどして負傷、急ぎ韮崎市立病院に搬送されたが午前11時過ぎ頃に死亡が確認された(37歳没)[60][61]
  • 8月31日 - 福岡県佐賀県県境にある九千部山に、NHK福岡放送局RKB毎日放送九州朝日放送テレビ西日本の在福岡民放3社によるUHFアナログ中継局(久留米中継局)を設置、この日から放送開始。在福岡局のエリアが福岡県筑後地方と佐賀県全域及び大分県西部に拡大される。
  • 9月1日
  • 9月7日 - フジテレビ系列の東名阪3局(フジテレビ・関西テレビ・東海テレビ放送)が同時に、この日の19時からのフジテレビの新番組「外国テレビ映画『海底大戦争 スティングレイ』」にて、カラー本放送を開始(フジテレビ・関西テレビは共に、在京・在阪民放では3局目。東海テレビは在名民放では2局目[注 9]。)。[6][43][63][64][65]
  • 9月 - 電電公社が、テレビネット回線の北日本ルートである、東京―仙台―盛岡―札幌間のカラー対応の高規格化が完成。これを受け同月(9月)23日から、東北放送がネット受けによるカラーのサービス放送を開始(翌10月1日に同本放送を開始)[45]。翌24日からは、NHKの札幌中央盛岡及び仙台中央各局の総合テレビに於いて、カラー放送を開始する[66][67][68]
  • 10月1日
    • この日から、東京オリンピックの開催直前を受け、地方局のカラー放送開始の動きが活発になる。
      • 電電公社が、テレビネット回線の西回りループ(大阪―広島―福岡―熊本―松山―大阪間)の、カラー対応の高規格化が完成[66][67][69]
      • 前記の動きを受け、既に開始している大阪中央局を除き、同ループ内でのNHK地方局の総合テレビに於いて、一斉にカラー放送を開始[66]。これにより7中央局と福岡局は全て総合テレビのカラー化が実現したほか、四国は高松局がテレビ局自体未開局で岡山局管内だったため全県でカラー放送開始となった。
      • 1~5日まで、数局の地方民放局がカラーの本放送を開始する(詳細は、「既存局のカラー放送開始」の項を参照)。
    • テレビ西日本(TNC)が日本テレビ系列からフジテレビ系列にネットチェンジ。これに伴い、NETテレビとフジテレビのクロスネット局だった九州朝日放送(KBC)はNETテレビのフルネット局となる。また日本テレビのネット番組の一部はRKB毎日放送(RKB、TBS系列)に移動[注 10]し、1969年4月の福岡放送(FBS)開局までの4年半、福岡県など九州では日本テレビ系空白地域となる。[注 11]
    • 山口放送(KRY)の関門テレビジョン山口県下関市)がこれまでの徳山(後の周南)テレビジョン(山口県徳山市(後の周南市))と別内容で放送された番組編成から、テレビ西日本のネットチェンジに伴い親局である徳山テレビジョンと同一内容(日本テレビ系列)に統一。それまでの関門テレビジョンは、隣県の福岡県に本社を置き、山口県西部もエリアになっているTNCが日本テレビ系列であったことから、NETテレビやフジテレビの番組を中心とした番組編成で、同じ会社が運営する放送局で別の編成を組む全国で類を見ない異例の形だった。

開局

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既存局のカラー放送開始

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視聴率

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(関東地区、ビデオリサーチ調べ)[88]

  1. 第15回NHK紅白歌合戦(NHK総合、12月31日)72.0%
  2. 東京オリンピック・バレーボール女子決勝「日本対ソ連」(NHK総合、10月23日)66.8%
  3. 東京オリンピック・閉会式(NHK総合、10月24日 16:52-18:20)63.2%
  4. 東京オリンピック・開会式(NHK総合、10月10日 13:43-15:20)61.2%
  5. ニュース(NHK総合、12月31日 21:00-21:05)58.2%
  6. 赤穂浪士(NHK総合、11月29日)53.0%
  7. 東京オリンピック・第2日(NHK総合、10月11日 19:30-21:40)52.1%
  8. ニュース・天気予報(NHK総合、10月14日 21:40-21:58)48.4%
  9. 世界J・ウェルター級タイトルマッチ「エディ・パーキンス×高橋美徳」(TBS、1月4日)47.9%
  10. ニュース(NHK総合、10月24日 18:20-18:27)47.2%
  11. 台風情報台風20号)(NHK総合、9月25日 7:20-7:42)46.9%
  12. 東京オリンピック・第9日(NHK総合、10月18日 22:00-23:00)45.7%
    • 東京オリンピック・第9日(NHK総合、10月18日 13:00-18:54)44.8%
    • 東京オリンピック・第12日(NHK総合、10月21日 12:45-18:54)44.8%
  13. ゆく年くる年(NHK総合、12月31日)44.6%
  14. 三菱ダイヤモンドアワー 日本プロレスリング中継(日本テレビ、12月4日)44.2%
  15. 東京オリンピック・開会式前(NHK総合、10月10日 13:20-13:43)43.6%
  16. 台風情報(台風20号)(NHK総合、9月25日 7:00-7:16)42.7%
  17. 東京オリンピック・第8日(NHK総合、10月17日 20:00-22:20)42.6%
  18. てなもんや三度笠(TBS、3月15日)42.2%

テレビ番組

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テレビドラマ

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NHK
日本テレビ
TBS
フジテレビ

子供向けドラマ

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日本テレビ
TBS
フジテレビ
NETテレビ
東京12チャンネル

特撮番組

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テレビアニメ

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バラエティ番組

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クイズ番組

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音楽番組

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報道・情報番組

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教養・ドキュメンタリー番組

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特別番組

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  • 「NTVスタジオ」(生田スタジオ)完成記念特番(8月28日放送。全てカラー)[39]
    • 雛鶴三番叟[39]
    • 「グランドバラエティーショー」 スペシャル版[39]
    • 舞踊寿くらべ[39]
    • 東映歌舞伎「元禄春夜抄」(明治座の8月公演からの録画中継)[39]
  • カラー日本めぐり(カラー)(中部日本放送)- 9月1日。同局のカラー本放送開始記念番組。
  • 僕は見たんだ(カラー)(フジテレビ)- 9月3日。カラー試験放送番組。[100]
  • 東北放送カラー放送開始番組(9月25日放送。全てカラー)
    • フィルム番組『蔵王春秋』[45]
    • 座談会『駄菓子遍歴四十年』(生放送)[45]

既存番組のカラー化

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年内開始番組を除く

参考文献

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など

脚注

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注釈

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  1. ^ 衛星中継の送信装置は、NHK放送技術研究所製を使用。
  2. ^ 2015年9月28日より『羽鳥慎一モーニングショー』が放送開始、『モーニングショー』のタイトルが22年半ぶりに復活した。
  3. ^ その後継として、2016年4月より土曜23時40分枠で『オトナの土ドラ』を放送中。
  4. ^ この地震の映像は、2008年12月23日の新潟放送のテレビ開局50周年の特番を始め、同局の歴史を放送した特番では必ずと言ってよい程その映像が放送されており、新潟地震からちょうど60年経った2024年6月16日に同局で放送された特番、「BSN NEWS ゆうなびスペシャル 新潟地震60年『あの日の記憶 あすへの備え』」(BSN新潟放送公式YouTubeサイト「BSN新潟 NEWS & LIVE」)でもその時の津波を含むビデオ映像が冒頭直後に放送されたが、この番組全編はその放送翌日にBSNの公式YouTubeサイトでアップされたと同時に、そのビデオ映像も局の公式サイトから初めてネット上で公開された。
  5. ^ 尚、TBS系の全国番組では、「JNNニュースコープ」の生中継を含むJNNのニュース番組や「ポーラ婦人ニュース」(当時TBS系だった朝日放送テレビ制作)の生中継を通じて、被害の模様が放送された。
  6. ^ この年開局した東京12チャンネル(後のテレビ東京)も含む。12チャンネルは1日平均12時間放送している
  7. ^ 平井がシナリオ、桑田が作画を担当。
  8. ^ 関西テレビが2015年4月より呼称を「カンテレ」としたことに伴い、50年以上に亘るロゴマークとしての役目を終えた。
  9. ^ この日の朝日新聞名古屋版朝刊7ページのテレビ欄の同番組の記事には、「東海テレビで初のカラー番組として放送される。」という文章が記されている。
  10. ^ 但し、一部の日本テレビ系番組はスポンサーの関係でTNCに残った他、TNCで日本テレビ版をネットしていた『キユーピー3分クッキング』はKBCが企画ネット番組としての形でFBSが開局するまで自社制作分を放送した。
  11. ^ FBSが北九州に中継局を設けたのは1969年9月1日。
  12. ^ 同局のカラー放送開始日は、1968年3月28日であった。
  13. ^ 試験放送を前月(9月)の15日に実施。8日後の9月23日からはサービス放送を開始している。
  14. ^ ネット受けによる試験放送は、前月(9月)の11日から開始している(信濃毎日新聞 1964年9月7日 夕刊 P.8 テレビ欄記事「東京五輪 SBCもカラー放送」に記載(信濃毎日新聞データベースにて閲覧))。
  15. ^ ネット受けによる試験放送は、前月(9月)の25日から開始している。
  16. ^ 本放送開始前の9月28日に、日本テレビ『ロンパールーム』の同時ネット受けに於いて、それによる初の試験放送を実施している。
  17. ^ 当初日本テレビは非ネットだったが、末期(7月19日)より日本テレビでもネットされた。
  18. ^ 2期有り、1期は19:00 - 20:00の1時間番組、2期は19:30 - 20:00の30分番組。2期は『ブラザー劇場』の第1作目。
  19. ^ さぼてん』開始前につなぎとして放送した、『ナショナル劇場』初のバラエティ番組。

出典

[編集]
  1. ^ a b 新潟放送社史編纂委員会 編『新潟放送十五年のあゆみ』新潟放送、1967年、383-388頁。NDLJP:2518084/440 
  2. ^ a b NHKクロニクル『イタリア歌劇団公演 歌劇「セビリアの理髪師」全曲 ロッシーニ作曲 ~東京文化会館で収録~』(アナログ教育 1964年01月01日(水) 午後09:30 〜 午後11:50)
  3. ^ a b NHKクロニクル『イタリア歌劇団公演 歌劇「蝶々夫人」(2幕3場)プッチーニ作曲 ~東京文化会館で収録~』(アナログ教育 1964年01月03日(金) 午後09:30 〜 午後11:50)
  4. ^ a b 日本放送協会 編『NHK年鑑'64日本放送出版協会、1964年10月15日、87,201,203頁。NDLJP:2474361/59,NDLJP:2474361/122,NDLJP:2474361/123https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2474361 
  5. ^ TBS50年史 335頁年表「社外」TBS編
  6. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah ai aj ak al am an ao ap aq ar as at au av aw ax ay az ba bb bc bd be bf bg bh bi bj 「放送史年表 -詳細版- 1964年」(NHK放送文化研究所)(2025年5月14日閲覧)
  7. ^ 日本放送協会総合放送文化研究所放送史編修部『NHK年鑑'64』日本放送出版協会、1964年、144~5頁。NDLJP:2474361/88 
  8. ^ 放送五十年史資料編 596、634頁 日本放送協会編
  9. ^ a b 増補新版現代風俗史年表 122頁 世相風俗観察会編 河出書房新社
  10. ^ NHKクロニクル『仲間がほしい ~フィルム構成~』アナログ総合 1964年01月15日(水) 午前10:30 〜 午前11:00
  11. ^ NHKクロニクル『第10回NHK青年の主張全国コンクール全国大会』アナログ総合 1964年01月15日(水) 午後01:00 〜 午後02:01
  12. ^ a b 読売新聞 1964年1月31日 朝刊 P.11 テレビ欄(読売新聞「ヨミダス歴史館」にて閲覧)
  13. ^ 『日本プロレス事件史 Vol.2』、P41
  14. ^ NHKクロニクル『茶の間の科学 「成人病」』アナログ総合 1964年02月03日(月) 午前08:40 〜 午前09:00
  15. ^ NHKクロニクル『キャラウェー高等弁務官にきく』アナログ総合 1964年02月19日(水) 午後10:30 〜 午後11:00
  16. ^ NHKクロニクル『特別番組「日米テレビ宇宙中継」 「アメリカの皆さまへ」 「解説・座談会」』アナログ総合 1964年03月25日(水) 午後09:00 〜 午後10:00
  17. ^ a b 日本放送協会総合放送文化研究所放送史編修部『NHK年鑑'64』日本放送出版協会、1964年、24~6頁。NDLJP:2474361/22,NDLJP:2474361/23 
  18. ^ NHKクロニクル『特別番組「日米テレビ交換宇宙中継」 (アメリカから)世界博覧会 日本館 ワシントン ホトマック河畔』アナログ総合 1964年03月27日(金) 午後10:00 〜 午後10:45
  19. ^ 増補新版現代風俗史年表 121頁 世相風俗観察会編 河出書房新社
  20. ^ a b 日本放送協会総合放送文化研究所放送史編修部『NHK年鑑'65』日本放送出版協会、1965年、106,140,187頁。 
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