川津祐介

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かわづ ゆうすけ
川津 祐介
本名 川頭 祐一
生年月日 (1935-05-12) 1935年5月12日(81歳)
出生地 日本の旗 日本東京府東京市
(現・東京都新宿区
ジャンル 俳優
活動期間 1958年 -
活動内容 映画・テレビドラマ・舞台・情報番組
配偶者 あり
著名な家族 川津花(長女、女優)、川津春(三女、女優)、川頭義郎(兄、映画監督)
主な作品
映画:『人間の條件
TVドラマ:『ザ・ガードマン』『Gメン'75
TV各種:『くいしん坊!万才』『てれび博物館

川津 祐介(かわづ ゆうすけ、1935年5月12日 - )は、日本俳優である。

来歴・人物[編集]

1935年(昭和10年)5月12日、東京府東京市四谷区新宿(現在の東京都新宿区新宿)に生まれる。

慶應義塾大学医学部(その後文転経済学部を卒業)[要出典]在学中の1958年(昭和33年)、映画監督木下惠介の勧めもあって同年『この天の虹』(松竹)でスクリーンデビュー。以後青春スターとして人気を誇る。松竹退社後はフリーとなり、松竹時代の青春路線とは異なる敵役や癖のある準主役など、様々な役柄を演じた。

1965年(昭和40年)からはテレビドラマ『東京警備指令 ザ・ガードマン』の荒木隊員役や『スパイキャッチャーJ3』の壇俊介役などでアクションスターとしても人気を集める。

Gメン75』でのバイクでのアクションシーンで、簡単なスタントであったにも関わらず、過度のダイエットが祟り大ケガを負ってしまい、長期入院で番組も降板し、仕事が途絶えてしまうという苦境に立たされた。しかし、食品会社のコマーシャルに家族全員で出演することによって、ピンチを脱することができたと『こんなにヤセていいかしら』で述懐している。

1988年(昭和63年)にはダイエット本である著書『こんなにヤセていいかしら』がベストセラーになり、同書の中核である「骨盤体操」を世に流行らせた。同時期「ララの巣」という自然食レストランを経営。キチンキトサンの持つ毒素吸着効果に着目し、廃棄物処理されていたエビ・カニの殻を安定仕入れするための独自ルートを構築。殻から抽出したスープ類を提供していた。

1995年(平成7年)、60歳の時に心臓左心室壊死という病気にかかり、20数年間司会を務めた早朝の科学番組『てれび博物館』(東海テレビ)において、手術のために降板することを自身の口から視聴者に告げる。医師からは余命3週間、長くて3ヶ月と診断されていたが、奇跡的に手術が成功して復帰。この手術の一部始終は『てれび博物館』で放送された。現在は『土曜スペシャル』(テレビ東京系)等で夫婦睦まじい姿を見られる。趣味は陶芸油絵料理など。2009年(平成21年)4月から京都造形芸術大学芸術学部映画学科客員教授に就任(任期は1年)。

2014年(平成26年)4月、長田紀生監督作品『ナンバーテン・ブルース さらばサイゴン』が日本初公開された。川津主演作品であったが、諸般の事情からお蔵入りになっており1975年にベトナム戦争下で撮影されて以来、満39年後の初公開となった。

大好物はであったが、『くいしん坊!万才』のロケ先で何度もリテイクを撮らされ、更には地元から鰹料理を振る舞われたことで、食べ過ぎて嫌いになったという。そのため、家庭で食事に出された豆腐でも「の臭いがする」といって手を付けないほどだったが、時間が経つにつれて再び食べられるようになったという。

主な出演[編集]

映画[編集]

など

テレビドラマ[編集]

など

舞台[編集]

など 

ドラマ以外のテレビ番組[編集]

など

※各局旅番組にも出演

著書[編集]

  • 『わが子に語る星と宇宙の話』(日本実業出版社、1983年)
  • 『ジョリ・フリュイ-フルーツの本-』(いずみ出版、1984年)
  • 『超能力健康法』<超能力入門シリーズ>(現代出版、1985年)
  • 『18歳、女優をめざす娘に』(文化出版局、1987年)
  • 『うちゅうとこころがひびきあうとき』(金の星社、1988年)
  • 『こんなにヤセていいかしら-不思議な面白減量法 1回30秒だけで1日1キロ落ちる-』(青春出版社<プレイブックス>(P-471)、1988年)
  • 『わが子に語る星と宇宙の話(改訂・増補)』(日本実業出版社、1990年)
  • 『天使よはばたけ-いじめになんかまけるな-』(国土社、1996年)
  • 『三回死んでわかったこと』(小学館<小学館文庫>、2005年)
  • 『神様ありがとう。今日も元気!』(三宝出版、2008年)

外部リンク[編集]