高峰圭二

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たかみね けいじ
高峰 圭二
本名 高橋 政彦
生年月日 (1946-07-06) 1946年7月6日(77歳)
出身地 日本の旗 日本大阪府
身長 170 cm[1]
血液型 A型[2]
職業 俳優
ジャンル 映画テレビドラマ
活動期間 1960年 -
活動内容 1960年:デビュー
1972年:『ウルトラマンA
配偶者 既婚
事務所 星野事務所( - 1998年
主な作品
テレビドラマ
竜巻小天狗
ウルトラマンA
陽はまた昇る
赤かぶ検事の逆転法廷
映画
ウルトラマンメビウス&ウルトラ兄弟
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高峰 圭二(たかみね けいじ、1946年7月6日[1][2] - )は、日本の元俳優。本名、高橋 政彦(たかはし まさひこ)[1][2][3]大阪府出身[1][2][3]桃山学院大学卒業[1][2][3]星野事務所に所属していた[1][2][3]

来歴[編集]

1960年テレビドラマの出演者募集(一般公募)に応募して合格し、『竜巻小天狗』の主役に抜擢ばってきされる[3]宝塚映画と契約し、関西を拠点に数々のドラマに出演した[4]。18歳の時、青春ドラマ『若いいのち』で共演した近藤正臣と意気投合し[4]桜木健一らとともに親交を深める[5]

1972年、桜木主演の人気ドラマ『刑事くん』にゲスト出演した際、それを観たTBSのプロデューサー・橋本洋二から、次のウルトラマンの主役候補に選ばれる[5][6]。桜木や近藤に誘われて受けたカメラテストで『ウルトラマンA』の主人公・北斗星司役に合格し、上京して彼らと同じ事務所に所属する[7]。放送開始前の紹介記事では、「二人に負けないよう、この一作にかけて頑張ります」と述べている[3]

南夕子隊員役の星光子とともに主演した『A』の後半では北斗が単独で変身するようになるが、その際の変身ポーズは高峰と桜木が「仮面ライダーに負けないような変身ポーズを考えよう」と考案したものである[8]。変身ポーズはいくつか考案されたが、採用されたのはもっともシンプルなものであったという[8]。また、『A』最終話でAが地球から去る際に残した「優しさを失わないでくれ」の一連の台詞には強い思い入れを持っており、スタッフに「北斗がAであることを知られた後だから、僕に読ませて欲しい」との直談判に出たが叶わなかったため、ずっと心に残っていたという[9]

『ウルトラマンA』終了後は、必殺シリーズや『水戸黄門』『大岡越前』などの時代劇[5]2時間ドラマなどで活躍[6]1987年のインタビューでは、「私みたいに、特別なキャラクターを持たない役者がいてもいいのではないかと思っています」と述べている[6]

1998年に所属事務所を退社した後は表舞台に出なくなった時期もあったが、2004年には『ウルトラマンA』、2005年には『ウルトラマンタロウ』のDVD発売を記念して行われた座談会に出席している。また、ウルトラシリーズが誕生40周年を迎えた2006年には、映画『ウルトラマンメビウス&ウルトラ兄弟』で30数年ぶりに北斗を演じた。さらに『ウルトラマンメビウス』のテレビシリーズにも出演し、その第44話では星との再共演も果たした。

人物[編集]

出演[編集]

テレビドラマ[編集]

映画[編集]

舞台[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f 日本タレント名鑑'94』VIPタイムズ社、1994年、207頁。 
  2. ^ a b c d e f g TVスター名鑑'99』東京ニュース通信社、1998年、156頁。 
  3. ^ a b c d e f 『福島民報』1972年3月30日付朝刊、7面。
  4. ^ a b Uooな人々 「幻か」〜高峰圭二〜”. 2005年4月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2005年4月20日閲覧。
  5. ^ a b c 僕らのA 2000, p. 40
  6. ^ a b c 「STAFF CAST INTERVIEW 高峰圭二」『ウルトラマン大全集II』監修:円谷プロダクション講談社〈テレビマガジン特別編集〉、1987年、244頁。ISBN 4-06-178405-6 
  7. ^ 『ウルトラマンA』北斗星司役、高峰圭二さんが京都に登場 往年のエピソード披露”. キネプレ (2016年10月4日). 2024年4月6日閲覧。
  8. ^ a b 僕らのA 2000, p. 41
  9. ^ “ウルトラマンを治療した4歳 親の願いに本物のAが動いた”. 朝日新聞デジタル (朝日新聞社). (2022年11月23日). https://www.asahi.com/articles/ASQCM74XBQCMDIFI009.html 2024年4月6日閲覧。 
  10. ^ 『河北新報』1972年7月28日付朝刊、8面。
  11. ^ 僕らのA 2000, p. 43.

参考文献[編集]

外部リンク[編集]