「安用寺孝功」の版間の差分
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[[1988年]]の[[将棋のアマチュア棋戦|アマ名人戦]]で、中学2年にして準優勝。これは、ちょうど10年前の[[塚田泰明]]に並ぶ快挙であった。その2週間後に[[新進棋士奨励会|奨励会]]入り<ref>以上、「[[将棋世界]]」2000年1月号付録より。</ref>。途中、1級から2級へ降級したり、第23回(1998年前期)三段リーグで暫定トップで最終日を迎えながら2連敗して逸機したりするなどの苦難を経験したが、その1年後の第25回(1999年前期)三段リーグで中盤戦を7連勝するなど好調を維持し、最終的に[[阿久津主税]](14勝4敗で優勝)に次ぐ2位の成績(13勝5敗<ref>当期三段リーグは、阿久津(前期成績に基づく順位は8位)・[[橋本崇載]](17位)・[[宮田敦史]](19位)が12勝4敗、安用寺(13位)他2名が11勝5敗の成績で、最終日を迎えた。そのため、安用寺の昇段条件は「阿久津が連敗」「橋本が1敗以上」「宮田が1敗以上」のうちいずれか2つが満たされることであったが、結果として阿久津及び安用寺が連勝・宮田が1勝1敗・橋本が連敗をしたことで、安用寺の逆転となった。</ref>)を修め、奨励会入会から11年をかけてプロ入りを果たす。 |
[[1988年]]の[[将棋のアマチュア棋戦|アマ名人戦]]で、中学2年にして準優勝。これは、ちょうど10年前の[[塚田泰明]]に並ぶ快挙であった。その2週間後に[[新進棋士奨励会|奨励会]]入り<ref>以上、「[[将棋世界]]」2000年1月号付録より。</ref>。途中、1級から2級へ降級したり、第23回(1998年前期)三段リーグで暫定トップで最終日を迎えながら2連敗して逸機したりするなどの苦難を経験したが、その1年後の第25回(1999年前期)三段リーグで中盤戦を7連勝するなど好調を維持し、最終的に[[阿久津主税]](14勝4敗で優勝)に次ぐ2位の成績(13勝5敗<ref>当期三段リーグは、阿久津(前期成績に基づく順位は8位)・[[橋本崇載]](17位)・[[宮田敦史]](19位)が12勝4敗、安用寺(13位)他2名が11勝5敗の成績で、最終日を迎えた。そのため、安用寺の昇段条件は「阿久津が連敗」「橋本が1敗以上」「宮田が1敗以上」のうちいずれか2つが満たされることであったが、結果として阿久津及び安用寺が連勝・宮田が1勝1敗・橋本が連敗をしたことで、安用寺の逆転となった。</ref>)を修め、奨励会入会から11年をかけてプロ入りを果たす。 |
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第30期(2004年度)[[棋王戦 (将棋)|棋王戦]]で、[[内藤國雄]]、[[森下卓]]、[[鈴木大介]]らを破りベスト8進出。あと1勝で敗者復活システムのあるベスト4に進出して、次年度のシード権も得るところであったが、[[深浦康市]]に敗れた。 |
第30期(2004年度)[[棋王戦 (将棋)|棋王戦]]で、[[内藤國雄]]、[[森下卓]]、[[鈴木大介 (棋士)|鈴木大介]]らを破りベスト8進出。あと1勝で敗者復活システムのあるベスト4に進出して、次年度のシード権も得るところであったが、[[深浦康市]]に敗れた。 |
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[[持ち時間]]が長い[[順位戦]]を得意とする傾向があり、2005年度(第64期)は9勝を挙げてC級1組に昇級決定、2007年度は8勝で次点。そして、2008年度は最終局を待たずして8勝目を挙げB級2組への昇級を決めたが、その対局相手は奇しくも塚田泰明であった。 |
[[持ち時間]]が長い[[順位戦]]を得意とする傾向があり、2005年度(第64期)は9勝を挙げてC級1組に昇級決定、2007年度は8勝で次点。そして、2008年度は最終局を待たずして8勝目を挙げB級2組への昇級を決めたが、その対局相手は奇しくも塚田泰明であった。 |
2018年10月12日 (金) 01:55時点における版
安用寺 孝功 六段 | |
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名前 | 安用寺 孝功 |
生年月日 | 1974年8月30日(49歳) |
プロ入り年月日 | 1999年10月1日(25歳) |
棋士番号 | 234 |
出身地 | 京都府宇治市 |
師匠 | 森信雄 |
段位 | 六段 |
棋士DB | 安用寺 孝功 |
2016年3月31日現在 |
安用寺 孝功(あんようじ たかのり、1974年8月30日 - )は、将棋棋士。
戦績
1988年のアマ名人戦で、中学2年にして準優勝。これは、ちょうど10年前の塚田泰明に並ぶ快挙であった。その2週間後に奨励会入り[1]。途中、1級から2級へ降級したり、第23回(1998年前期)三段リーグで暫定トップで最終日を迎えながら2連敗して逸機したりするなどの苦難を経験したが、その1年後の第25回(1999年前期)三段リーグで中盤戦を7連勝するなど好調を維持し、最終的に阿久津主税(14勝4敗で優勝)に次ぐ2位の成績(13勝5敗[2])を修め、奨励会入会から11年をかけてプロ入りを果たす。
第30期(2004年度)棋王戦で、内藤國雄、森下卓、鈴木大介らを破りベスト8進出。あと1勝で敗者復活システムのあるベスト4に進出して、次年度のシード権も得るところであったが、深浦康市に敗れた。
持ち時間が長い順位戦を得意とする傾向があり、2005年度(第64期)は9勝を挙げてC級1組に昇級決定、2007年度は8勝で次点。そして、2008年度は最終局を待たずして8勝目を挙げB級2組への昇級を決めたが、その対局相手は奇しくも塚田泰明であった。
しかしB級2組昇級以降、得意とするはずの順位戦で不調が続き、2013年度(第72期)では1不戦勝を含めて3勝7敗で降級点を喫し、翌2014年度(第73期)でも後半戦で失速し4勝6敗と降級点を抹消できず、2015年度(第74期)では開幕から7連敗を喫し最終的に2勝8敗となり降級点の累積が2個となったことで、B級2組在位7年でC級1組に降級してしまった。
その一方で、プロ入り当初から苦手と見られていた早指し棋戦を克服しつつあると見られ、第23期(2014年~2015年)銀河戦では予選で島本亮に、ブロック戦で千葉幸生及び高橋道雄にそれぞれ勝ち、初めて決勝トーナメント(ベスト16)に進出した[3]。また、NHK杯戦では予選初参加の第50回(2000年度)より18回連続で予選敗退していたが、第68回(2018年度)では予選を勝ち抜いて本戦への初出場を決めた。
棋風
振り飛車戦法を採用することが多く、飛車を振る場所が多彩な棋風である。三間飛車、相振り飛車のほかに、初手▲5六歩からの中飛車、角道を止めない四間飛車など、あまりオーソドックスではない指し方をすることがある。
人物
- 2006年4月、関西研修会幹事に就任。
- 2012年5月に結婚[4]
昇段履歴
昇段規定は、将棋の段級 を参照。
- 1988年 6級 = 奨励会入会
- 1994年 初段
- 1996年1月 三段(1996年度前期から三段リーグ)
- 1999年10月1日 四段 = プロ入り
- 2005年11月15日 五段(勝数規定)
- 2009年2月10日 六段(順位戦B級2組昇級)
主な成績
在籍クラス
竜王戦と順位戦のクラスは、将棋棋士の在籍クラス を参照。