会津若松市

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あいづわかまつし ウィキデータを編集
会津若松市
会津若松市旗 会津若松市章
1927年4月26日制定
日本の旗 日本
地方 東北地方
都道府県 福島県
市町村コード 07202-8
法人番号 9000020072028 ウィキデータを編集
面積 382.97km2
(境界未定部分あり)
総人口 111,697[編集]
推計人口、2024年4月1日)
人口密度 292人/km2
隣接自治体 郡山市喜多方市耶麻郡猪苗代町磐梯町河沼郡会津坂下町湯川村岩瀬郡天栄村南会津郡下郷町大沼郡会津美里町
市の木 アカマツ
市の花 タチアオイ
市の鳥 カッコウ
会津若松市役所
市長 室井照平
所在地 965-8601
福島県会津若松市東栄町3番46号
北緯37度29分41.4秒 東経139度55分47.1秒 / 北緯37.494833度 東経139.929750度 / 37.494833; 139.929750
外部リンク 公式ウェブサイト

会津若松市位置図

― 市 / ― 町・村


地図
ウィキプロジェクト

会津若松市(あいづわかまつし)は、福島県会津地方東部に位置する。会津地方の中心都市である。

概要

江戸時代には会津藩城下町として盛え、現在でも鶴ヶ城白虎隊など、歴史上の事物が観光資源として有名である。その他にもこづゆなどの文化的な特色、赤べこなどに代表される伝統工芸などにより、数多くの観光客を集める。近年では平成30年情報通信月間総務大臣表彰を受ける[1]など、情報通信技術 (ICT) を利用した取組の先進地域としても知られる。

会津若松市の在る会津盆地は、盆地床が「あいづだいら (会津平)」とも呼ばれ、他に喜多方坂下などがある。また、会津盆地から北の飯豊山地を越えると山形県米沢米沢盆地)、東は猪苗代を経て奥羽山脈を越えると中通り地方の郡山 (郡山盆地)、西には野沢などを経て越後山脈を越えると新潟県下越地方新潟市越後平野)が位置しており、各地とは磐越自動車道国道JR磐越西線などによって結ばれ、観光を通じてそれぞれの都市との交流も活発である。会津盆地の南には会津高原と呼ばれる山間地が広がっており、尾瀬などの観光地が点在している。市域の西側を阿賀川が流れているほか、市の東側は猪苗代湖に面している。内陸であるが奥羽山脈以西に位置しているため、水系も日本海側であり、冬には豪雪地となる。

略称

1899年、当時の若松町が福島県で初の市制を施行して若松市となり、その後も周辺町村の編入などを繰り返し、1955年の7村編入時に会津若松市に市名を変更し現在に至っている。会津若松市を中心とする会津若松都市圏の人口は約23万人(2010年都市雇用圏)。

会津若松市の略称には会津若松の二種類がある。会津藩の首府だったことから、地元以外の場所や観光ガイドでは「会津」と省略されることもある。一方で、地元では、「会津」は広範な地域を指し、「若松」を都市の略称として使い分けることが多い。会津地域内では、「会津」は接頭語として利用される機会が多い。他の地域では、奥羽山脈を越えた中通り北部(福島県中北部)の福島市を本拠地とする福島民報福島民友や、福島県ローカルの天気予報は、「若松」と省略している(例:若松測候所)ほか、高速バスのサボのスペースの都合から行き先表示に「高速 若松」と表示される。阿賀野川水系を共有する下越地方新潟県北部)の新潟市を本拠地とする第四北越銀行は、「会津」と省略している(例:第四北越銀行会津支店)。これらの背景からか、地元では『あいづ』を尻上がりで、東京首都圏など地元以外では尻下がりで言われる。全国ネットの会津を舞台にしたテレビドラマの台詞等では地元との違いが顕著に現れる。

地理

鶴ヶ城天守より会津若松市街を望む
会津盆地と左奥が猪苗代湖
飯盛山
阿賀川上の若郷湖と大川ダム(右下)
会津若松市中心部周辺の空中写真。1976年撮影の17枚を合成作成。国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成。

位置

会津若松市は、福島県西部一帯を占める会津地方の中心都市で、市街地は会津盆地の南東部に位置する。市域全体では、市街地の南に広がる広大な山地も市域に含まれ、最南端は芦ノ牧温泉などのある大戸岳周辺まで市域に収める。東側は猪苗代湖の約3割が市域に含まれ、猪苗代町郡山市と接する。北、西は喜多方市など、会津盆地内の市町村と隣接する。

東西に国道49号磐越自動車道JR磐越西線が通っており、南北も国道121号などの道路、会津鉄道会津線などによって周辺地域と結ばれている。これらの会津地方の東西を結ぶ道路と南北を結ぶ道路は会津若松市で交差しており、鉄道でもJR磐越西線、只見線、会津鉄道会津線が集まる会津地方の交通の要衝になっている。

地形

市域の北部、西部、中心部周辺は会津盆地の南東部にあたり、市街地商業地住宅地などのほか、水田が広がる。また、市の南部から北部に阿賀川が流れており、市域東部、南部からは湯川溷川(不動川)、古川などが流れる。市の東部は猪苗代湖に面しているほか、市の南部には山地が広がる。

湖沼

気候

盆地であるため、一年の気温差が大きく、夏は暑く冬は寒い気候である。また、一日の温度差も激しい。(1月の平均気温 -1℃、8月の平均気温 25℃[2])。また、通常冬は降雪積雪がある。このため、豪雪地帯に指定されているが、冬期の積雪は会津地方の中では少ないほうである。日本海側気候の特徴を多く持っているほか、海から離れているため内陸性気候の特徴も併せ持つ。年間平均気温は11.7℃で、年間降水量は1133.8 mm[2]

人口

1920年の国勢調査開始移行、1930年代にかけて人口は減少しているがその後は増加に転じ、1990年代まで増加を続けていた。

年齢別人口分布


会津若松市(に相当する地域)の人口の推移
総務省統計局 国勢調査より


隣接自治体

歴史

江戸時代まで

市内一箕町にある大塚山古墳は4世紀後半に造営されたものである。出土品の三角縁神獣鏡は畿内で鋳造されたものと同一と推定されている。

都市としての会津若松市の起源は、1384年至徳元年)の、蘆名直盛による黒川城(若松城)築城に遡る。以降、城下町「黒川」は、戦国大名蘆名氏の領国支配の拠点として、また当時奥州最大の都市として発展を遂げていった。

1589年天正17年)、伊達政宗のもとで勢力を拡大する伊達氏が蘆名氏を滅ぼし、黒川を新たな本拠地とした。しかし翌1590年(天正18年)、豊臣秀吉奥州仕置により黒川は伊達氏から取り上げられ、代わって蒲生氏郷が入封した。氏郷は、町の名を黒川から「若松」へと改め、蒲生群流の縄張りによる城作りを行った。なお「若松」の名は、出身地の日野城(中野城)に近い馬見岡綿向神社(現在の滋賀県蒲生郡日野町村井にある神社、蒲生氏の氏神)の参道周辺にあった「若松の杜」に由来し、同じく領土であった松坂の「松」という一文字もこの松に由来すると言われている。7層の天守(現存する5層の復元天守は寛永年間に改築されたものを元にしている)を有するこの城は、氏郷の幼名にちなみ、また蒲生家の舞鶴の家紋にちなんで鶴ヶ城と名付けられ、また築城と同時に城下町の開発も実施した。具体的には、旧領の日野、松阪の商人の招聘、定期市の開設、楽市・楽座の導入、手工業の奨励等により、江戸時代の会津藩の発展の礎を築いた[3][4]。 氏郷の死後、上杉景勝が入封するが、関ヶ原の戦い徳川家康に敵対して敗れ、米沢へ移封となった。その後、蒲生秀行加藤嘉明などの領主を経て、1643年徳川秀忠の子保科正之が入封して会津松平家の祖となり、以後若松は会津藩の城下町として栄えた。

幕末から太平洋戦争まで

1862年文久2年)、会津藩松平容保京都守護職に任ぜられ、尊王攘夷志士の取り締まりや京都治安維持を担ったが、長州藩を筆頭とする倒幕派(後に明治政府軍となる)の恨みを買うことになった。1868年慶応4年)に戊辰戦争が勃発すると、会津藩は攻撃の対象とされた(会津戦争)。明治政府軍は若松城下にまで侵攻し、白虎隊の自刃などの悲劇が起き、城下町の大半が灰燼に帰した。

戊辰戦争で攻撃を受けた若松城(1868年)

戊辰戦争で敗れた結果、会津若松は明治政府の直轄地となり、民政局が設置された。翌1869年に民政局が廃止されて若松県が設置され、県庁は最初、大町の融通寺に、次に旧若松城本丸に置かれた。明治4年7月14日(1871年8月29日)の全国的な廃藩置県により、引き続き若松県が設置され、会津若松は若松県の県庁所在地となった。しかし、1876年(明治9年)8月21日には若松県、福島県(1876年以前)、磐前県の3県が合併されて現在の福島県が成立し、これ以来は福島県に入れられている。

1889年、北会津郡若松町となり、1899年、市制施行により「若松市」となった。この年の人口は3万0,488人であった。1890年に私立会津中学校が開校。後に県立に移管され福島県立会津中学校となり、現在の福島県立会津高等学校に至る。1899年(明治32年)7月15日、岩越線(現在の磐越西線)が若松駅(現在の会津若松駅1917年(大正6年)4月21日に改称)まで開通する。磐越西線は1914年(大正3年)11月1日新津まで全通した。

1908年日露戦争に伴って新設された第13師団歩兵第65連隊が若松に置かれ、現在の会津若松市立第二中学校の敷地が衛戍地とされた。同連隊は1925年宇垣軍縮に伴って廃止され、代わって第2師団歩兵第29連隊仙台から移動する。その後、1937年日中戦争を契機に歩兵第65連隊も復活した。歩兵第65連隊は南京攻略戦などに参加。歩兵第29連隊はガダルカナル島の戦いに投入され大きな損害を受けている。

1902年(明治35年)1月1日開業の会津電力株式会社により電力の供給が開始されたほか、1929年(昭和4年)4月1日には水道給水が開始された。また、1934年(昭和9年)3月5日の東京への電話開通など、この時期には近代化が進む。また、1932年(昭和7年)10月19日御薬園(会津松平氏庭園)、1934年(昭和9年)12月28日には若松城址が国の史跡に指定されたほか、1937年(昭和12年)4月1日には現在の市役所庁舎が完成している。

太平洋戦争後

太平洋戦争では会津若松は空襲を免れた。1946年には、神明通りが開通、1947年には会津若松商工会議所の設立が認可、1953年10月3日には会津まつりが開催されるなど、戦後復興を遂げていく。

1955年には周辺の7村を編入し、この時に市名を「若松市」から現在の「会津若松市」に変更した。市名の変更は、福岡県若松市1914年市制。現在の北九州市若松区)との混同の回避を目的として行われたもので、先に市制を敷いた市が改名した、唯一の例である。改名前には、電信・電話・郵便等において両市が混同されることが多く、郵便物にいたっては日平均50通、多い日では100通もの誤配があったという(『町村合併の記録』福島県総務部地方課 (1958) )。福岡県の若松市は、1963年2月10日門司市小倉市戸畑市八幡市と合併されて北九州市となったため、福岡県の「若松市」は消滅したが、会津若松市はその後も「会津」を頭に付けた市名のまま現在に至っている。

1961年には人口が10万人を突破し、1965年から住居表示実施により、順次、旧町名が新町名に変更される。また、1965年9月17日には鶴ヶ城の天守閣再建工事が落成する。1989年には会津若松市観光公社が設立され、観光業も発展していく。

その後は1993年4月14日には会津大学が開校し、1992年10月29日会津若松ICを含む区間が開通していた磐越自動車道1997年10月1日に全線(いわき - 新潟)開通し、交通網の充実が図られた。

2011年3月12日福島第一原子力発電所事故により、原発所在地である大熊町の町役場の機能が会津若松に移転した(大熊町役場会津若松出張所)。

行政区域の変遷

住居表示後に消滅した町名

1965年(昭和40年)から住居表示実施により、順次、旧町名が現在の新町名に変更されていった。旧町名のうち、1877年(明治10年)までに成立していた町で、1889年(明治22年)に北会津郡若松町として合併した町を列記する。

大町竪町、大町一之町、大町ニ之町、大町ニ之竪、大町三之町、大町原之町、大町三四之竪、大町四之町、大町名子屋町、道場小路町、原之町、紺屋町、甲賀町、馬場上一之町、馬場下一之町、馬場一之竪町、馬場上ニ之町、馬場下二之町、馬場二之竪町、馬場上三之町、馬場下三之町、馬場三之竪町、馬場上四之町、馬場下四之町、馬場四之竪町、馬場上五之町、馬場下五之町、馬場名子屋町、大工町、博労町、上四之町、本六日町、上一之町、上六日町、上二之町、下野伏町、上五之町、行人町、中六日町、上野伏町、屋敷町、本郷町、竪三日町、寺町、東名子屋町、五軒町、横三日町、鳥居町、槻木町、阿弥陀町、愛宕町、浄光寺町、台之町、南横町、天寧寺町、徒之町、滝沢町、千石町、蚕養町、桂林寺町、老町、赤井町、諏訪四ツ谷、当麻町、当麻中町、善久町、針屋町、川原町、材木町、融通寺町、七日町、北小路町、西名子屋町、針屋名子屋町、上大和町、中大和町、下大和町、後之分町、栄町字郭内、栄町字栄町一丁目、栄町字栄町二丁目、栄町字新栄町、栄町字栄町三丁目、栄町字栄町四丁目、栄町字本三之丁、栄町字本一之丁、栄町字融通寺町口、栄町字川原町口、栄町字米代二之丁、栄町字米代四之丁、栄町字十八蔵、栄町字割場、栄町字追手前、栄町字塀内、栄町字本二之丁上、栄町字天寧寺町口、栄町字宝積寺通、栄町字内小田垣、栄町字鶴ヶ城、新横町、片柳町、南町

地域

  • 城南町
  • 南町
  • 南花畑
  • 湯川町
  • 新横町
  • 緑町
  • 御旗町
  • 材木町(一丁目、二丁目)
  • 川原町
  • 城西町
  • 日吉町
  • 住吉町
  • 幕内東町
  • 桜町
  • 柳原町(一丁目~四丁目)
  • 錦町
  • 表町
  • 天神町
  • 明和町
  • 館馬町
  • 館脇町
  • 古川町
  • 東年貢(一丁目~三丁目)
  • 花見ヶ丘(一丁目~三丁目)
  • 湯川南
  • 建福寺前
  • 北青木
  • 駅前町
  • 石堂町
  • 蚕養町
  • 滝沢町
  • 白虎町
  • 扇町
  • 山見町
  • 鶴賀町
  • 居合町
  • 堤町
  • 大塚(一丁目、二丁目)
  • 北滝沢(一丁目、二丁目)
  • 中島町
  • 千石町
  • 南千石町
  • 東千石(一丁目~三丁目)
  • 花畑東
  • 平安町
  • 桧町
  • 慶山(一丁目、二丁目)
  • 和田(一丁目、二丁目)
  • 飯盛(一丁目~三丁目)
  • 花春町
  • 徒之町
  • 宝町
  • 天寧寺町

なお、会津若松市では公式の町名はすべて「まち」と読み、「ちょう」は使用しない。

その他の地域

  • 町北町 - 市街地の北の地域
  • 高野町 - 市の北部、水田地帯などが広がる
  • 神指町 - 市の北西部、こちらも水田地帯などが広がる
  • 北会津町 - 市の西部、他の地域との間には阿賀川が流れる。平成の合併以前の北会津郡北会津村
  • 一箕町 - 市街地の北東の地域で、幹線道路沿いには商業施設が立ち並ぶ
  • 河東町 - 市の北東部、水田や山林などが広がる。平成の合併以前の河沼郡河東町
  • 湊町 - 市の東部で会津盆地の外。猪苗代湖に面している
  • 東山町 - 市の南東部、東山温泉などある
  • 門田町 - 市街地の南の地域。水田地帯だったが、住宅街や商業施設が多く建設された。
  • 大戸町 - 市の南部、芦ノ牧温泉がある
  • 一箕町松長(一丁目~六丁目) - 宅地造成に伴い一箕町大字松長から分離
  • インター西 - 物流団地会津アピオの竣工に伴い町北町と高野町の一部が町名変更
  • 八角町 - 一箕町大字八角字中村東から町名変更
  • 対馬館町 - 門田町大字日吉字対馬館から町名変更
  • 飯寺北(一丁目~三丁目) - 門田町大字飯寺字村西の一部が町名変更
  • 幕内南町 - 神指町大字南四合字幕内南の一部が町名変更

行政

初代市長秋山清八は佐川官兵衛麾下の元別撰組隊士[5]。会津高校の創立功労者の一人である[6]。 第三代市長佐治幸平は自由民権運動の活動家。福島事件で起訴されたが無罪となった。
初代市長秋山清八佐川官兵衛麾下の元別撰組隊士[5]会津高校の創立功労者の一人である[6]
第三代市長佐治幸平自由民権運動の活動家。福島事件で起訴されたが無罪となった。

市長

歴代市長

(旧若松町長) 海老名季昌
初代 秋山清八 1899年7月26日 - 1902年3月26日
2代 齋藤庸 1902年5月15日 - 1903年9月23日
3代 佐治幸平 1903年11月26日 - 1906年9月15日
4代 松本時正 1906年10月15日 - 1912年10月10日
5代 小野木源次郎 1912年12月25日 - 1914年6月18日
6代 秋山清八 1914年7月29日 - 1915年5月7日
7,8代 松本時正 1915年6月21日 - 1922年5月15日
9代 松江豊寿 1922年12月27日 - 1925年11月12日
10代 佐藤佐吉 1926年7月28日 - 1926年11月28日
11代 穴澤義弘 1927年2月16日 - 1931年2月15日
12代 佐藤佐吉 1931年6月29日 - 1933年6月27日
13代 須藤素 1933年10月7日 - 1934年12月6日
14代 佐瀬剛 1935年2月22日 - 1939年2月21日
15代 鈴木寅彦 1939年5月1日 - 1941年9月18日
16代 高山輝義 1942年7月1日 - 1945年11月5日
17代 江花静 1945年12月11日 - 1947年4月4日
18代 小日山武夫 1947年4月15日 - 1948年2月14日
19代 横山武 1948年3月28日 - 1952年3月27日
20代 村井八郎 1952年3月28日 - 1956年3月27日
21-23代 横山武 1956年3月28日 - 1968年3月27日
24-26代 高瀬喜左衛門 1968年3月28日 - 1980年3月27日
27代 桜木幸次 1980年3月28日 - 1983年5月9日
28代 猪俣良記 1983年6月26日 - 1987年6月25日
29代 早川広中 1987年6月26日 - 1991年6月25日
30-31代 山内日出夫 1991年6月26日 - 1999年3月31日
32-34代 菅家一郎 1999年4月25日 - 2011年8月6日
35-37代 室井照平 2011年8月7日 -

市役所・市民センター

会津若松市役所本庁舎旧館(1937年竣工)
  • 本庁舎:会津若松市東栄町3番46号
1937年に供用を開始した。2017年からの7次総合計画において、本庁舎旧館保存活用計画及び庁舎整備行動計画が立案された。
  • 北会津支所:会津若松市北会津町中荒井字諏訪前11番地
  • 河東支所:会津若松市河東町郡山字休ミ石14番地
  • 湊市民センター:会津若松市湊町大字共和字西田面50番地
  • 大戸市民センター:会津若松市大戸町上三寄香塩479番地
  • 北市民センター:会津若松市高野町大字上高野字村前28番地
  • 南市民センター:会津若松市門田町大字中野字大道西13番地
  • 一箕市民センター:会津若松市北滝沢二丁目5番6号
  • 東市民センター:会津若松市慶山一丁目1番53号

市役所の組織

  • 副市長(1人)
    • 企画政策部(企画調整課、秘書広聴課、地域づくり課)
      • 各支所(まちづくり推進課、住民福祉課)
    • 財務部(財政課、税務課、納税課)
    • 総務部(総務課、人事課、情報政策課、契約検査課)
    • 市民部(環境生活課、危機管理課、市民課、廃棄物対策課)
      • 各市民センター
    • 健康福祉部(地域福祉課、障がい者支援課、高齢福祉課、こども家庭課、こども保育課、国保年金課、健康増進課)
    • 観光商工部(観光課、商工課、企業立地課)
    • 農政部(農政課、農林課)
    • 建設部(都市計画課、花と緑の課、区画整理課、下水道課、道路建設課、道路維持課、建築課)
  • 会計管理者
    • 会計課
  • 教育委員会
    • 教育委員会事務局(教育総務課、学校教育課、生涯学習総合センター、文化課、スポーツ推進課)
  • 市議会
    • 議会事務局
  • 選挙管理委員会
    • 選挙管理委員会事務局
  • 監査委員
    • 監査事務局
  • 公平委員会
  • 固定資産評価審査委員会
  • 農業委員会
    • 農業委員会事務局
  • 水道事業管理者
    • 水道部

一部事務組合等

国の機関

裁判所

  • 福島地方裁判所会津若松支部:会津若松市追手町6番6号
  • 福島家庭裁判所会津若松支部:会津若松市追手町6番6号
  • 会津若松簡易裁判所:会津若松市追手町6番6号
  • 会津若松検察審査会:会津若松市追手町6番6号
    • 裁判所敷地内には、旧会津藩家老・内藤介右衛門の屋敷跡で、江戸時代に遠州流の流れをくむ白露庭がある。

福島県庁の機関

  • 会津地方振興局:会津若松市追手町7番5号
  • 会津保健福祉事務所:会津若松市追手町7番40号
  • 会津農林事務所:会津若松市追手町7番5号
  • 会津若松建設事務所:会津若松市追手町7番5号
  • 会津教育事務所:会津若松市追手町7番5号

これらは、いずれも会津若松合同庁舎内にある。

大熊町役場の機関

  • 大熊町役場 会津若松出張所:会津若松市追手町2番41号 会津若松市役所 追手町第二庁舎内

立法

市議会

  • 定数:30名
  • 任期:2015年(平成27年)8月7日 - 2019年(平成31年)8月6日
  • 議長:目黒章三郎(創風あいづ、5期)
  • 副議長:清川雅史(市民クラブ、3期)
会派名 議席数 議員名
市民クラブ 6 清川雅史、小倉孝太郎、佐藤郁雄、成田眞一、戸川稔朗、石田典男
創風あいづ 6 小倉将人、吉田恵三、村澤智、佐野和枝、横山淳、目黒章三郎
フォーラム会津 5 内海基、長郷潤一郎、古川雄一、中島好路、鈴木陽
社会民主党・市民連合 4 丸山さよ子、松崎新、高梨浩、譲矢隆
公明党 3 樋川誠、土屋隆、大山亨子
無会派 5 原田俊広、斎藤基雄、成田芳雄、阿部光正、渡部認

※2018年5月20日現在。

福島県議会(会津若松市選挙区)

  • 定数:4名
  • 任期:2019年(令和元年)11月20日 - 2023年(平成5年)11月19日
氏名 会派名 当選回数 備考
佐藤義憲 自由民主党福島県議会議員会 2
渡部優生 県民連合議員会 2 党籍は国民民主党
佐藤郁雄 自由民主党福島県議会議員会 1
宮下雅志 県民連合議員会 4 党籍は国民民主党

※2019年6月19日現在。

衆議院

選挙区 議員名 党派名 当選回数 備考
福島県第4区(会津若松市、喜多方市南会津郡耶麻郡河沼郡大沼郡西白河郡西郷村 菅家一郎 自由民主党 3 選挙区
小熊慎司 立憲民主党 3 比例復活

姉妹都市・友好都市

国内の姉妹都市・友好都市

国外の姉妹都市・友好都市

友好都市提携の申し入れを拒否した経過のある都市

  • 萩市山口県
    1986年昭和61年)に、友好都市提携の申し入れを拒否した。
    萩市は、戊辰戦争会津藩と戦った長州藩の本拠地である。萩市から、敵として戦った戊辰戦争から120年を記念しての友好都市提携の申し入れがあったが、会津若松市民の間から「我々は(戊辰戦争の)恨みを忘れていない」、当時の福島県知事松平勇雄を指し「会津藩主の孫がまだ生きている」との意見があったため、これを拒否した。ただ、実際この騒動の後に萩市と会津若松市は友好都市関係を結ぶことこそ無かったが、この騒動がきっかけで、活発に民間交流するようになった。
    (→歴史的経緯については「会津戦争」を参照

経済

中心市街地のメインストリートは中央通り神明通りなどがある。神明通りは商店街であり、このメインストリートを軸に中小の商店が列んでいる。しかし、全国規模の郊外型大型店の相次ぐ進出により、市街地中心部では空き店舗が目立つようになった。そのような中で、中心市街地のひとつである七日町通りでは、市からの補助金制度を作り古い街並みの保存や復旧に取り組むことで、新たな観光資源としての町づくりを行なっている。

(以下の生産額は、すべて2006年度のもの)

第一次産業

  • 総生産 : 519千万円
    • 農業 : 497千万円
    • 林業 : 21千万円

市域北部、西部などには水田が広がっており、稲作が盛んである。

第二次産業

第三次産業

  • 総生産 : 35,738千万円
    • 卸売・小売業 : 4,525千万円
    • サービス業 : 12,866千万円
会津若松市内の主な百貨店・複合商業施設・大型ショッピングセンター

金融機関

郵便

一般信書便事業者

学校

日本初のコンピュータ理工系大学、会津大学

大学・短期大学

高等学校

私立通信制

中学校

公立
私立

小学校

市立
  • 会津若松市立一箕小学校
  • 会津若松市立永和小学校
  • 会津若松市立大戸小学校
  • 会津若松市立鶴城小学校
  • 会津若松市立謹教小学校
  • 会津若松市立行仁小学校
  • 会津若松市立神指小学校
  • 会津若松市立小金井小学校
  • 会津若松市立城西小学校
  • 会津若松市立城南小学校
  • 会津若松市立城北小学校
  • 会津若松市立日新小学校
  • 会津若松市立東山小学校
  • 会津若松市立松長小学校
  • 会津若松市立湊小学校
  • 会津若松市立門田小学校
  • 会津若松市立荒舘小学校
  • 会津若松市立川南小学校
  • 会津若松市立河東学園小学校
私立

特別支援学校

  • 福島県立会津支援学校
    • 福島県立会津支援学校竹田分校 - 長期入院の児童生徒対象、分校名となっている竹田綜合病院内に立地。
  • 福島県立聴覚支援学校会津分校

大熊町立学校

福島第一原子力発電所事故のために市内に設立された大熊町立学校の分校。

  • 大熊町立大熊中学校 - 会津若松分校として会津若松市役所追手町第二庁舎に移転。
  • 大熊町立小学校 - 大野小学校・熊町小学校の会津若松分校として旧会津若松市立河東第三小学校に移転。
  • 大熊町立幼稚園 - 会津若松分園として旧会津若松市立河東第一幼稚園に移転。

施設

福島県立博物館

図書館

  • 会津若松市立会津図書館 - 1903年文部省認可、1904年開設)
  • かつて存在した旧施設は一般書の開架図書数が少なかった。かつ施設自体の老朽化も進んでいたため、代替となる會津稽古堂(生涯学習総合センター)が建設され移転した。

ホール

會津稽古堂

  • 2011年4月17日開館
  • 当初は3月26日の開館予定だったが、東日本大震災の影響で開館が延期された
  • 中央公民館と、市立図書館を含む生涯学習のための複合施設
  • 上記以外にも、料理教室や音楽スタジをも有する。

博物館

(福島県の歴史、自然、民俗など)

医療機関

メディア

ラジオ局
コミュニティ情報誌

交通

会津若松駅

当地は会津盆地の交通の中心でもあり、陸奥国の南の要衝であった。

鉄道

東日本旅客鉄道(JR東日本)
会津鉄道

代表駅である会津若松駅は、市街地の北部に設置されている。

バス

市内で運転されるバス、ハイカラさん

路線バスは、市内では会津レクリエーション公園付近のみを走行する磐梯東都バスの路線を除き、会津乗合自動車(会津バス)グループ1社のみにより運行されており、会津若松駅前には路線バスのバスターミナルがある。そのほか観光客などに向けたバスとして、会津若松駅、七日町鶴ヶ城御薬園東山温泉飯盛山などを結ぶまちなか周遊バス(ハイカラさん・あかべぇ)が運行されている。

高速バス路線

磐越自動車道沿線
福島駅・仙台空港・仙台駅方面
東京方面

タクシー

会津若松市拠点の主なタクシー会社

  • あいづタクシー
  • 若松タクシー
  • 白虎タクシー
  • 広田タクシー
  • 葵タクシー

空港

会津若松市から利用される空港

道路

高速道路

国道

主要地方道

一般県道

道路通称名

詳しくは福島県内の通りを参照されたし。

文化

会津秋祭りで賑わう神明通り
会津若松のソースカツ丼
起き上がり小法師

会津若松は長い歴史と風土から伝統ある文化を持ち、現在では会津若松の観光産業をも担っている。

祭事

食文化

名産品

会津若松を舞台とした作品

観光

2006年特急あいづ
旧滝沢本陣
御薬園
蚕養国神社

会津若松市は、その歴史的経緯、文化的特色から観光業が盛んで、多くの観光客が訪れる。 2005年以降、会津ディスティネーションキャンペーンなどの観光キャンペーンが行われており、新宿駅上野駅からJR東北本線磐越西線などを経由する直通の特急列車"あいづ"号を運行するなどしている。

観光地

温泉

寺院

神社

人物

著名な出身者 

歴史上の人物

政治・行政・司法

外交官

軍事

学術・教育・文芸

経済

芸能

マスコミ・言論界

スポーツ

その他

縁の有る人物

その他

  • 2008年5月28日に、フリーかつオープンソースオフィスソフトOpenOffice.org」を会津若松市役所に全庁的に導入することを発表した[10]。これは、福島県内市町村では初めてとなるものである。その後、2012年2月にMicrosoft Officeとの互換性が高いことやバージョンアップが活発であることを理由にOpenOffice.orgの派生ソフトウェアである「LibreOffice」へ移行した[11]
  • 西村京太郎選集「会津高原殺人事件」徳間書店の山前譲とのインタビューで地元のタクシー運転手から「今の会津若松は新政府が作ったところで何もないでしょ。大半は喜多方に移った」と聞き斗南藩に転居させられたらしい[要出典]
  • 南会津を源とする、「星」という苗字を持つ人が他地域と比較すると多い。全国的にみると稀な苗字だが、会津若松においてはごく普通である。また、ワタナベ姓については、「渡辺」よりも「渡部」という表記のほうが多いという特徴がある。

脚注

  1. ^ 平成30年度「電波の日・情報通信月間」記念中央式典における表彰 - 平成30年5月29日、総務省
  2. ^ a b 若松 平年値(年・月ごとの値) 主な要素”. 気象庁. 2018年7月8日閲覧。
  3. ^ 『福島県史』
  4. ^ 野口『シリーズ藩物語、会津藩』、P15
  5. ^ 『日本の歴代市長』(第一巻)「秋山清八」
  6. ^ 学校の沿革”. 福島県立会津高等学校. 2017年12月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年7月20日閲覧。
  7. ^ 会津オリンパス株式会社”. 2018年7月8日閲覧。
  8. ^ "内視鏡リーディングカンパニーとして盤石な体制構築〜世界最先端技術を備えた「会津オリンパス」拡張" (Press release). オリンパス. 8 August 2007.
  9. ^ 保志総一朗のアニメキャラ・最新情報まとめ”. アニメイトタイムズ. 2020年10月31日閲覧。
  10. ^ "無償オフィスソフトウェアの全庁導入について" (PDF) (Press release). 会津若松市総務部情報政策課. 28 May 2008.
  11. ^ 高橋信頼 (2012年2月20日). “会津若松市がOpenOffice.orgからLibreOfficeに移行”. ITpro. 2012年2月20日閲覧。

関連項目

外部リンク