大熊町

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索
おおくままち
大熊町
Fukushima-1.JPG
事故発生前の福島第一原子力発電所
(2002年7月20日)
Flag of Ōkuma, Fukushima.svg
大熊町旗
Okuma Fukushima chapter.JPG
大熊町章
1969年昭和44年)11月10日制定
日本の旗 日本
地方 東北地方
都道府県 福島県
双葉郡
団体コード 07545-1
法人番号 9000020075451
面積 78.71 km²
総人口 0
推計人口、2017年10月1日)
人口密度 0人/km²
隣接自治体 田村市
双葉郡浪江町双葉町富岡町川内村
町の木 モミ
町の花 ナシ
町の鳥 トビ
大熊町役場
町長 渡辺利綱
所在地 979-1308
福島県双葉郡大熊町大字下野上字大野634番地[1]
北緯37度24分16.1秒東経140度59分0秒
(2011年4月5日以降の町長権限事務は、大熊町役場会津若松出張所(会津若松市追手町2番41号)が所管[2]
Okuma town office.jpg
外部リンク 大熊町役場

大熊町位置図

― 市 / ― 町・村

 表示ノート編集履歴 ウィキプロジェクト

大熊町(おおくままち)は、日本福島県浜通りの中央部、双葉郡1896年以前は標葉郡)にある

福島第一原子力発電所東京電力)の1号機から4号機の所在地である。なお、5号機および6号機は北隣の双葉町に立地している。2011年3月12日から3月15日までに亘って発生した福島第一原子力発電所事故の発生地。

地理[編集]

阿武隈山系の東に開けた浜通り地方の中央に位置しており、東は太平洋に開ける。行政上では、北に浪江町双葉町、西に田村市、南に川内村および富岡町と隣接する。

  • 山 :三郡森(さんぐんもり)、日隠山(ひがくれやま。標高601.5m
  • 川 :熊川

隣接する自治体[編集]

交通[編集]

道路[編集]

一般国道
主要地方道
一般県道
高速道路

鉄道[編集]

東日本旅客鉄道

歴史[編集]

かつて「苦麻」と呼びならわされてきた時代から近現代に至るまで、大熊は南北の勢力がせめぎ合う「境界地帯」という歴史を歩んで来た。歴史地理学的には、大熊は「関東東北の境界地帯」の北口という色が濃い。

「苦麻」時代[編集]

  • 特徴:「苦麻」の村

7世紀前半の国造の時代には、現在の大熊は石城国造の北限、多珂国の北限であり、「苦麻(くま)の村」と呼ばれていた[5]。又、助川(現在の日立市)が「道口岐閉(みちのくちのきへ)」と呼ばれたのに対して、苦麻の村は「道尻岐閉(みちのしりのきへ)」と呼ばれていた。多珂国は、高国造菊多国造石城国造の3地域が統合されて成立した地域国家であり、これが20世紀前半には日立鉱山常磐炭田によるエネルギー源地帯になるなど、地理的・歴史的同一性を有する地域である。

7世紀後半に律令制が浸透すると、多珂国は常陸国に編入され、苦麻の村は常陸国の北限になった。しかし、奈良時代当初の718年になると、現在の勿来(平潟トンネル)を境に菊多郡以北は常陸国から分離され、勿来から亘理までを範囲とする石城国に編入され、苦麻の村は石城国の中部に位置する一村落となった。しかし、728年頃には、石城国は陸奥国に編入された。

「熊川」時代[編集]

7世紀の「苦麻の村」は、やがて当地を流れる川から熊川(くまかわ)と呼ばれるようになり、この時代は戊辰戦争終結まで続いた。

鎌倉開府から戦国時代前半までは、熊川は標葉氏の領土となり、その標葉氏の領土の南限となった。

しかし、戦国時代後半になると、標葉氏は相馬氏に倒された。相馬氏による統治は戦国時代後半から戊辰戦争終結まで続き、熊川は相馬氏の領土の南限となった。そして、戦国時代の相馬氏と岩城氏の境と、江戸時代中村藩磐城平藩の境が、現在の大熊町と富岡町の境に位置する夜ノ森であった。戦国時代末期に、熊川は、相馬氏・岩城氏・田村氏の緩衝地帯であり、田村氏領が豊臣秀吉に逆らって領土拡大を続ける伊達政宗の属領となると、相馬氏は岩城氏とともに熊川から西進して田村氏の領土へ侵攻した。このルートが、現在の国道288号である。

徳川幕藩体制下では熊川は中村藩の領内に入り、浜街道(現在の国道6号)の宿場町が整備され、熊川宿の宿場町として栄えた。

「大熊」時代[編集]

戊辰戦争と町村制度施行[編集]

1868年9月22日戊辰戦争中村藩明治政府軍に敗北した結果、熊川など旧中村藩領は磐城国に入れられた。1871年8月29日廃藩置県では、熊川は当初中村県に属したが、1872年1月9日には中村県と平県(旧磐城平藩)が合併して磐前県となった。しかし、1876年8月21日には、磐前県は福島県中通り)と若松県会津)と合併され、これ以後は福島県に属している。

高度経済成長期[編集]

大野病院(2011年2月23日)
  • 特徴:「エネルギー源地帯」の北限

高度経済成長の結果、助川(日立市)から夜ノ森までに渡る鉱業地帯(20世紀前半の日立鉱山常磐炭田)が衰えると、石炭に代わって石油原子力が新しいエネルギー源として注目されるようになった。その高度経済成長期の1967年9月29日に、大熊にて東京電力福島第一原子力発電所が着工した(開業:1971年3月26日)。その2日後の1967年10月1日に、平駅 (現:いわき駅)岩沼駅の電化により、常磐線が全線電化された。こうして、大熊は「エネルギー源地帯」の北限となった。それまで農業の出来ない冬には出稼ぎに行っていた大熊町・浪江町双葉町など福島の海岸地帯の住民は原発関連の仕事をすることで一年中、地元で働けるようになったため安定的な働き口とかなりの補助金を与えてくれた“福の神”とされていた[7]

福島第一原発が開業し、高度経済成長が鎮まると、福島第一原発を描いた「原子力もなか」が大熊の土産として販売されていた。そして、医師不足と過疎問題を象徴する出来事として、2006年には大野病院事件が発生した。

原発事故[編集]

  • 2011年3月11日東日本大震災では、大熊は震度6強を記録する被害を受けた。この震災に誘発され、2011年3月12日15時36分、福島第一原発1号機で、白煙を伴う水素爆発が発生した。
  • 3月13日以降:原発事故の影響を受けて住民の退避が必至となり、仮役場が設置された田村市船引町船引にある田村市総合体育館に多くの住民が移動・避難した[8](避難住民・避難場所は他にも散在[9])。
  • 3月14日:11時1分、プルサーマルを用いている福島第一原発3号機で、黒煙を伴う爆発が発生。
  • 4月3日以降 :上述の仮役場と避難住民は、会津若松市栄町の会津若松市役所追手町第二庁舎へ再移転・再移動した[9]
  • 4月5日 :移転先にて、大熊町役場会津若松出張所、開設(出張所は、大熊町社会福祉協議会、大熊町商工会を含む)[10]
  • 4月中旬 :会津若松にて小学校と中学校、幼稚園が開校・開園。(小学校と幼稚園は地元の既存校・既存園を統合した正式名称「大熊町立小学校」や「大熊町立幼稚園」の分校・分園、中学校は既存校の分校である)[11]
警戒区域指定後

原発事故を受けて、町役場と住民が近隣地域に退避し、2011年4月22日から2012年12月9日までは除染や瓦礫の撤去、並びに復旧作業を行う作業員以外の町民の立ち入りが全面禁止される警戒区域となっていた。同12月10日午前0時を期して、「帰還困難区域」(従来どおり作業員以外の住民の立ち入り・一時帰宅禁止。但し指定された日や事前の予約により日中の一時帰宅(宿泊不可)が可能な場合もある 全人口の96%の元居住地にあたる)と「居住制限区域」「避難指示準備解除区域」(日中の時間帯のみ、町からの許可を得ることを前提に立ち入り・一時帰宅できるが、宿泊不可 これらを合わせて全人口の4%の元居住地)に再編された。

行政[編集]

町長:渡辺利綱(2007年9月20日就任。3期目)

  • 歴代町長
氏名 就任 退任 備考
1 小畑重 1954年12月3日 1962年12月2日
2 志賀秀正 1962年12月3日 1979年8月6日
3 遠藤正 1979年9月25日 1987年9月
4 志賀秀朗 1987年9月20日 2007年9月19日 志賀秀正の息子。
5 渡辺利綱 2007年9月20日 現職
  • 町議会:定数12人(現在の議員の任期は2019年11月19日まで)

姉妹都市・提携都市[編集]

人口[編集]

Demography07545.svg
大熊町と全国の年齢別人口分布(2005年) 大熊町の年齢・男女別人口分布(2005年)
紫色 ― 大熊町
緑色 ― 日本全国
青色 ― 男性
赤色 ― 女性
大熊町(に相当する地域)の人口の推移
1970年 7,750人
1975年 8,190人
1980年 9,296人
1985年 9,988人
1990年 10,304人
1995年 10,656人
2000年 10,803人
2005年 10,992人
2010年 11,515人
2015年 0人
総務省統計局 国勢調査より

施設[編集]

観光[編集]

名所[編集]

  • 温泉
    • 玉の湯
  • 馬の背岬
  • 熊川海水浴場
  • 坂下ダム

名産[編集]

祭事・催事[編集]

  • 2月 - おおくま駅伝大会
  • 10月 - 町内体育祭
  • 8月 - 熊川稚児鹿舞(震災後も避難先で復活[13]) 
  • 11月 - ふるさと祭り

教育施設[編集]

福島原発事故時の主要な避難場所である会津若松市に開校された小学校幼稚園は、地元の既存校・既存園を統合した正式名称「大熊町立小学校」や「大熊町立幼稚園」の分校や分園である。

高等学校
中学校
  • 大熊町立大熊中学校
    • 大熊町立中学校 会津若松分校(使用施設は、会津若松市役所追手町第二庁舎)
小学校
  • 大熊町立小学校
    • 大熊町立小学校 会津若松分校(使用施設は、旧会津若松市立河東第三小学校 校舎
    • 大熊町立大野小学校
    • 大熊町立熊町小学校
幼稚園
  • 大熊町立幼稚園 会津若松分園(使用施設は、旧会津若松市立河東第一幼稚園 園舎)

脚注・出典[編集]

[ヘルプ]
  1. ^ 1954年(昭和29年)11月1日大熊町条例第2号「大熊町役場の位置を定める条例」
  2. ^ 2011年(平成23年)4月5日大熊町条例第8号「大熊町役場会津若松出張所設置条例」
  3. ^ 常磐道の追加インターチェンジの設置について 国土交通省 2015年6月12日掲載・閲覧
  4. ^ 常磐道のIC設置を許可=18、19年度に2カ所-太田国交相 時事ドットコム 2015年6月12日掲載・閲覧
  5. ^ 『日本歴史地名大系 福島県の地名』205頁
  6. ^ 同年10月30日、総理府告示第884号「町村の廃置分合」
  7. ^ http://japan.hani.co.kr/arti/international/26747.html,2017年3月9日
  8. ^ 募る疲労、不安 被災者避難所生活”. 福島民報(ウェブサイト). 福島民報社 (2011年3月14日). 2011年3月29日閲覧。
  9. ^ a b 大熊町、3日に役場機能を若松に移転”. (ウェブサイト). 福島放送 (2011年3月31日). 2011年3月31日閲覧。[リンク切れ]
  10. ^ 大熊町役場 会津若松出張所が開設します 安否情報コールセンターも始まります”. ブログ大熊町(公式ブログ). 大熊町 (2011年4月5日). 2011年4月5日閲覧。
  11. ^ 学校関係まとめ 中学校の準備が進んでいます”. ブログ大熊町(公式ブログ). 大熊町 (2011年4月14日). 2011年4月14日閲覧。
  12. ^ Sister City” (英語). Bathurst Regional Council. 2012年2月26日時点のオリジナル[リンク切れ]よりアーカイブ。2011年4月3日閲覧。
  13. ^ 福島・大熊の熊川稚児鹿舞、4年ぶりに上演 会津若松 河北新報、2014年07月21日

参考文献[編集]

  • 『大熊町史』第一巻(福島県双葉郡大熊町、1985年)
  • 「苦麻の村」池澤夏樹、『新潮』2013年5月号(新潮社、2013年) - 大熊町の元教員の人生を描いた震災文学

関連項目[編集]

大熊関連
浜通りの歴史
関連市町村

外部リンク[編集]