新田祐大
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基本情報 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
本名 |
新田 祐大 にった ゆうだい | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
愛称 | にっくん | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
生年月日 | 1986年1月25日(38歳) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
国籍 | 日本 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
身長 | 172cm | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
体重 | 76kg | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
選手情報 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
所属 | 日本競輪選手会福島支部 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
期別 | 90期 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
脚質 | 先行・捲り | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
アマチュア経歴 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2001-2003 | 福島県立白河高等学校 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
登録地変遷 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2005- | 福島 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
業績 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
S級S班 | 2011, 2014, 2016-2021, 2023 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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自転車競技情報 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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■最終更新日:2024年5月9日 ■テンプレートを表示 |
新田 祐大(にった ゆうだい、1986年1月25日 - )は、競輪選手、元自転車競技選手。福島県会津若松市出身。日本競輪学校(当時。以下、競輪学校)第90期卒業。日本競輪選手会福島支部所属。師匠は班目秀雄。
自転車競技での戦績
[編集]福島県立白河高等学校在学中の2003年に佐世保競輪場で開催された全国高等学校総合体育大会自転車競技大会(インターハイ)の1kmタイムトライアルで優勝する。同校卒業後の2004年4月、四日市競輪場で開催されたアジア自転車競技選手権大会ジュニア部門・スプリント2位などの実績を挙げる。
2005年の全日本自転車競技選手権大会において1kmタイムトライアルで優勝するが、この種目は得意としており、以降も2007年・2008年・2010年の同大会同種目で優勝している。
2006年にはアジア競技大会において、渡邉一成、成田和也との「福島トリオ」で挑んだチームスプリントで優勝。2008年にはメルボルンで開催されたトラックワールドカップ第2戦のチームスプリントにおいて、渡邉一成と成田和也とのトリオで挑み2位となる。
2010年にはアジア競技大会では渡邉一成と成田和也とのチームスプリントで2位となり、スプリントでも3位となる。その後12月にメルボルンで開催されたトラックワールドカップ第1戦への出場は競輪競走への出場を優先し参加を見合わせたが、カリ(コロンビア)で開催された第2戦には参加した。
2011年は全日本自転車競技選手権大会においてスプリント・ケイリン・チームスプリント(+ 渡邉一成、中川誠一郎)の種目を制し三冠を達成。
2012年は5月1日にロンドンオリンピック代表選手に選出され[1]、8月2日に行われたチームスプリント(+ 中川誠一郎、渡邉一成)では8位となる。
2016年4月、リオデジャネイロオリンピック代表候補に落選。同月、自身を代表とするチーム「Dream Seeker」[2]の設立記者会見を開き、日本自転車競技連盟(JCF)のナショナルチームとは別に今後、五輪出場ポイント獲得レースへの参加を目指すことを表明した[3][4]。
2018年時点では株式会社ドーム(アンダーアーマー日本総代理店)とサプライヤー契約している[2][5]。
2019 UCIトラック世界選手権大会 男子ケイリンで2位[6]。
2020年6月に新型コロナウイルスの影響で延期された東京オリンピックへの出場が内定した[7]。
2021年8月、2020年東京オリンピックの自転車競技トラック男子スプリント予選では9秒728で26位[8]、男子ケイリンでは準々決勝1組で6位に終わる[9]。競技終了後、自転車競技からの引退を表明した[10]ことで2022年に入り強化指定を外れたが、ナショナルチーム「ドリームシーカー」を立ち上げており(中野慎詞らが在籍)、今後は後進の育成に携わる。
競輪での戦績
[編集]自転車競技での実績が認められたことにより、競輪学校には特別選抜での技能免除で第90期生として2004年に入学するが、競走訓練では結果は残せず在校成績56位で卒業した。同期には北津留翼や浅井康太らがいる。
デビューは2005年7月15日の函館競輪場で、同日初勝利を挙げた。しかしデビュー後しばらくは集団競走になじめず、A級でも初優勝するまでに丸9カ月間を費やしている。(これはKPK廃止後にデビューしたタイトルホルダーとしては極めて遅い。)しかし、徐々に集団競走でも力を発揮するようになり、A級で優勝してから1年2カ月後にS級でも初優勝を遂げる。のちに出場したヤンググランプリでは2007年(立川競輪場)が5着、2008年(平塚競輪場)に2着という成績を残している。また2008年には寬仁親王牌(前橋競輪場)の決勝にも進出して7着となっており、自転車競技と競輪の両方で結果を出す実力を発揮した。
2010年は高松宮記念杯・寬仁親王牌・共同通信社杯秋本番の各レースで決勝に進出すると、12月にはトラックワールドカップ第1戦に参加せず挑んだ競輪祭の決勝で2着に入ったことから年間賞金獲得額ランキングの上位へ一気に進出し、同年12月27日より適用される2011年のS級S班選手に選出される[11]。そしてS級S班格付け初戦となるSSカップみのりでは最終バックからの捲りで押し切りGI初優勝を果たしたが、6月の第62回高松宮記念杯競輪(前橋競輪場)では初日特選で誘導員早期追い抜きにより失格となった[12][13][14]。
2013年は高松宮記念杯決勝で2着となり、7月26日には松阪競輪場で当時の[15]バンクレコードを更新(10秒6)[16]。翌27日の準決勝でも同タイムで1着となった。その後オールスターでも決勝で2着となり、年間獲得賞金上位(5位)によるKEIRINグランプリ2013の出場を決定させ、2014年のS級S班格付けも決定させた。
しかし2013年12月のSS11騒動において日本競輪選手会からの脱退を表明し、後に撤回した際にはSS11側の記者会見に列席したことが問題視され、選手会より2014年5月から年内一杯まで8ヶ月間の自粛欠場勧告を言い渡される。しかし処分直前の4月に伊東温泉競輪場で開催された共同通信社杯において開催2日目にバンクレコードを更新し、勢いに乗ったまま迎えた決勝では最終ホームから捲ってGIIを初優勝している。
その後、処分の軽減が行われたことから同年8月から再び出場することができたが、処分の影響からKEIRINグランプリの獲得賞金枠争いで次点となりGPへの出場は果たせなかった。
2015年、京王閣競輪場で行われた日本選手権では、ゴールデンレーサー賞も勝利するなど順当に勝ち上がり、3月22日に行われた決勝では、武田豊樹 - 平原康多で先捲りした関東ラインを追走、最終バック過ぎ3コーナー手前から発進、ゴール線では平原と浅井康太とのハンドル投げ争いを微差で制し優勝。GI2勝目、4日制以上のGI(旧特別競輪)においては初優勝となった。これによりKEIRINグランプリ2015の出場も決めた。また、同年松戸競輪場で行われたオールスター決勝でも、先行した竹内雄作の3番手を取り切り、最後捲って優勝、GI3勝目を挙げた。
五輪代表とはならなかった2016年は、6月の高松宮記念杯で最終ホームから捲りを放って押し切りGI4勝目を手にした。この年に計7つあったGIで6回決勝進出し(寛仁親王牌のみ準決勝敗退)、オールスター(8月)のファン投票でも初の1位となった。しかしKEIRINグランプリ2016では先頭から後方に下がったあとの巻き返しに失敗し7位で入線した直後に審議対象となり、先頭に立った際に先頭誘導員を抜いたタイミングがルールに定められた可能となる地点の直前だったため『先頭員早期追い抜き』の反則行為で失格となった[13][14]。
2017年は高松宮記念杯の決勝において、後方の位置から前団をバックで一気に捲り切り連覇を果たしている。また同年11月には競輪祭を制覇、GI4つ目のタイトル獲得となった。
2018年はナショナルチームとしての活動・練習に重点を置いたため、初戦は2月の全日本選抜となったが、決勝で単騎ながら最後の4コーナーから一気に伸びて優勝、これでGIタイトルは5つ目となり、GI全タイトル制覇のグランドスラムに王手をかけた(残りのタイトルは寬仁親王牌のみ[17][18])。ただ、8月のオールスター競輪に出場したあとはグランドスラムが懸かった寛仁親王牌も欠場するなど競輪からは暫く離れ、4ヶ月ぶりに出走したKEIRINグランプリ2018で3着となった。
2019年も同様にナショナルチームとしての活動・練習に重点を置いたため、競輪のレース参戦は同じくナショナルチームの一員である脇本雄太とともに少なく、S級S班ながら2月の全日本選抜、10月の寬仁親王牌、11月の競輪祭の出場は辞退した。ただ、8月のオールスターで優勝したことで、KEIRINグランプリ2019の出場は決めた。
2020年は東京オリンピック代表選手に内定したこともあり、前年同様ナショナルチームとしての活動・練習に重点を置いたため当初競輪には出走しなかったが、東京オリンピックの1年延期が決定したことで、6月以降で高松宮記念杯を皮切りにGIないしGIIを中心に出走。グランドスラムまであと1つとしていた寬仁親王牌では決勝戦に進出しタイトルに期待がかかったが、脇本雄太にあと一歩及ばず2着でタイトル獲得はならなかった。当年はノンタイトルであったが、獲得賞金額8位で年末のKEIRINグランプリ2020出場を決め(7着)、2021年もS班格付けとなった。
2021年は、東京オリンピック終了まで競輪には一切出走せずであった。オリンピック終了直後、脇本雄太とともにそのままいわき平競輪場に実質「中0日」で移動、同年の競輪としては初戦となるオールスターに参戦。一次予選は第1走のドリームレースが4着であったが第2走は1着としたことで二次予選はシードレースのシャイニングスター賞に進出、準決勝も2着とし、決勝戦では自身含め4人でラインを組むも近畿ラインに先着を許し5着に終わった。結局この年はGIレースでの優勝がなく、また年間の半分以上を競輪で出走していなかったため賞金ランキングでも上位に入れず、6年間守り続けたS級S班から陥落が決まった[19]。
2022年10月23日、第31回寬仁親王牌・世界選手権記念トーナメント(前橋)で優勝を果たす。新田にとって3年ぶり9度目のGI優勝であるとともに、寬仁親王牌を初優勝したことで、現行のGI6大会を全て制覇。史上4人目となるグランドスラムを達成し[20]、優勝インタビューでは大粒の涙を流した[21]。36歳8か月でのグランドスラム達成は史上最年長(過去の3人はいずれも30歳で達成)、選手登録日(新田は2005年5月1日)から達成までの17年5か月23日も史上最長(最短は滝澤正光の11年7か月27日。但し当時は5タイトル)であった[22]。
2023年は思うような成績を上げられず、S級S班からの陥落が確定した[23]。
2024年2月の第39回読売新聞社杯全日本選抜競輪(岐阜競輪場)最終日に、自身3度目となる誘導員早期追い抜きによる失格をしてしまい、同年の地元ダービー(いわき平競輪場)出場は絶望となってしまった[13]。
主な獲得タイトルと記録
[編集]- 2010年 - SSカップみのり(立川競輪場)
- 2015年 - 日本選手権競輪(京王閣競輪場)、オールスター競輪(松戸競輪場)
- 2016年 - 高松宮記念杯競輪(名古屋競輪場)
- 2017年 - 高松宮記念杯競輪(岸和田競輪場)、競輪祭(小倉競輪場)
- 2018年 - 全日本選抜競輪(四日市競輪場)
- 2019年 - オールスター競輪(名古屋競輪場)
- 2022年 - 寬仁親王牌・世界選手権記念トーナメント(前橋競輪場)
- グランドスラム - 2022年10月23日、寬仁親王牌・世界選手権記念トーナメント優勝により達成
- バンクレコード - 伊東温泉競輪場 9.0秒(2014年4月27日)、防府競輪場 8.8秒(2015年4月27日)
競走スタイル
[編集]自転車競技での得意分野を生かした先行や捲りの戦法で、速いスピードによる安定した走りを見せることが多く、特にダッシュ力には凄まじいものがある。一方で難もあり、先行もこなすが持久力との兼ね合いからペース配分が鍵となっている。2010年代まではヨコの動きを苦手としていたが、2020年代に入ってからは番手をまわる競走も増え、激しい競り合いもこなせるような自在タイプとなっている。
出演
[編集]脚注
[編集]- ^ ロンドン五輪・ロンドンパラリンピック代表候補選手記者会見 - 日本自転車競技連盟 2012年5月1日付
- ^ a b 夢追い人の実験場、2020年の先へ。新田祐大代表のDream Seeker(ドリームシーカー)設立ストーリー More CADENCE - Part 2 2018年4月18日
- ^ 東京五輪のメダル目指し新チームを結成 競輪の新田祐大ら自転車の6選手 - OVO [オーヴォ]
- ^ 新田祐大が自転車新チーム発表 優香らと東京五輪目指す Archived 2016年4月15日, at the Wayback Machine. - 西日本新聞
- ^ 新田祐大 株式会社ドーム
- ^ “新田祐大が銀メダルの男子ケイリン、レース詳細レポート/世界選手権トラック2019 | トラック競技/ロードレース/競輪ニュース-More CADENCE”. 競輪/KEIRIN/ロードレースのメディア-More CADENCE (2019年3月1日). 2021年3月25日閲覧。
- ^ “東京オリンピック日本代表が集結 動画インタビュー編/トラック競技日本代表発表記者会見 | トラック競技/ロードレース/競輪ニュース-More CADENCE”. 競輪/KEIRIN/ロードレースのメディア-More CADENCE (2020年6月5日). 2020年9月8日閲覧。
- ^ “自転車 脇本雄太が9秒518の日本新で予選通過 新田祐大は予選落ち”. 日刊スポーツ 2021年8月4日閲覧。
- ^ “ケイリン脇本雄太、準々決勝1位通過で準決勝進出 新田祐大は敗退”. 日刊スポーツ 2021年8月8日閲覧。
- ^ “自転車・新田祐大が競技引退「できることはやりきった」 男子ケイリンで準々決勝敗退”. スポーツ報知 2021年8月9日閲覧。
- ^ S級S班選手の決定について - KEIRIN.JP 12月5日配信
- ^ 【高松宮記念杯】平原、新田まさかの失格で波乱の幕開け - スポニチアネックス2011年6月3日付記事
- ^ a b c “【競輪】新田祐大が先頭員早期追い抜きで失格 4月の地元・日本選手権出場は絶望的/岐阜G1”. 日刊スポーツ (日刊スポーツ新聞社). (2024年2月12日) 2024年2月13日閲覧。
- ^ a b 当時のルールによる。
- ^ のちに2014年5月に井上昌己が10秒4で更新。
- ^ 松阪競輪場バンクレコード更新について(新田祐大選手 10秒6) - KEIRIN.JP 7月26日配信
- ^ 【競輪】新田祐大が全日本選抜制覇 豪快8番手まくり!GP出場一番乗り デイリースポーツ、2018年2月12日
- ^ 同じく王手をかけている選手には、日本選手権競輪のみを残す山崎芳仁(福島88期)がいる。
- ^ 新田祐大が準決敗退でグランプリ逃し6年間維持したSS班陥落/小倉G1 - 日刊スポーツ、2021年11月22日(2021年11月23日閲覧)
- ^ “新田祐大選手グランドスラムの達成について”. KEIRIN.JP(JKA) (2022年10月23日). 2022年10月24日閲覧。
- ^ “新田祐大が史上4人目のグランドスラム達成 ゴール前でイン強襲…表彰式では男泣き/前橋G1”. 日刊スポーツ (日刊スポーツ新聞社). (2022年10月23日) 2022年10月23日閲覧。
- ^ “新田祐大、王手から3年 執念で実らせたグランドスラム 狙うはGP初優勝だ/前橋G1”. 日刊スポーツ (日刊スポーツ新聞社). (2022年10月24日) 2022年10月24日閲覧。
- ^ “【競輪】郡司浩平は準決敗退でS級S班から陥落決定 新田祐大と守沢太志もS班守れず/小倉G1”. 日刊スポーツ. (2023年11月25日) 2023年11月26日閲覧。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 新田祐大選手プロフィール - KEIRIN.JP
- GOLDEN BOY - 自身のブログ
- 新田祐大 - Olympedia
- 新田祐大 - Sports-Reference.com (Olympics) のアーカイブ
- 新田祐大 - UCI
- 新田祐大 - Cycling Archives
- 新田祐大 - CycleBase
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