佐藤慎太郎

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佐藤 慎太郎
Shintarō Satō
個人情報
本名 佐藤 慎太郎
さとう しんたろう
生年月日 (1976-11-07) 1976年11月7日(47歳)
国籍 日本の旗 日本
身長 165cm
体重 73kg
チーム情報
所属 日本競輪選手会福島支部
期別 78期
分野 競輪
役割 選手
特徴 追込
アマ所属チーム
学校法人石川高等学校
プロ所属チーム
1996-
日本競輪選手会福島支部
グランツール最高成績
主要レース勝利
KEIRINグランプリ 2019
全日本選抜競輪 2003
共同通信社杯 2004
ふるさとダービー 1回
S級S班 2011、2020 -
最終更新日
2023年11月27日

佐藤 慎太郎(さとう しんたろう、1976年11月7日 - )は日本競輪選手である。福島県東白川郡塙町出身。日本競輪学校(当時。以下、競輪学校)第78期卒業。日本競輪選手会福島支部所属。選手登録番号13162。師匠は添田広福。ホームバンクは泉崎国際サイクルスタジアム。初出走は1996年8月14日のいわき平競輪場で初勝利も同レース。2019年KEIRINグランプリ優勝。血液型はAB型

戦績[編集]

小学生時代はソフトボールをやっており、中学では野球部に所属していた[1]学校法人石川高等学校を経て、競輪学校には2度目の受験で合格し第78期生として入学[2]

デビューしばらく後、追込戦法に転向してからは名を知られるようになり、2003年読売新聞社杯全日本選抜競輪優勝によりトップクラスの地位を確立した。以降も2004年高松競輪場共同通信社杯競輪2005年武雄競輪場ふるさとダービーの優勝を果たしている。 2004年はG1優勝なしで賞金ランキング1位で出場し、2005年は賞金ランキング2位でグランプリ出場、2006年は賞金ランキング最後枠の6位で出場した。

KEIRINグランプリには初出場となった2003年から2006年まで4年連続、2019年から2022年まで4年連続で出場しており、それを含めてGPGIの決勝進出回数は実に38回に及ぶ[3]

その後、落車による大ケガが原因で長い間スランプに見舞われたが、2010年に地元開催のオールスター競輪決勝で山崎芳仁の2着に入り、これにより年間獲得賞金額が上位となったため2011年度のS級S班(当時は18人で構成)に選出された。

2019年にはGI決勝2着を2回(全日本選抜オールスター)などで賞金上位(5位)となって、13年ぶり[4]にKEIRINグランプリへの出場が決定した。またこれにより、自身9年ぶり2度目となる2020年度のS班入りも果たした(9人制に変わってからは初)。そして12月30日に立川競輪場で行われたKEIRINグランプリ2019において、マークした同県の新田祐大の番手から直線強襲し初優勝を飾った[5]。43歳1ヶ月での優勝は山口幸二2011年に43歳5ヶ月で優勝)に次ぐ歴代2位の高齢優勝記録となった。

翌2020年も獲得賞金上位(6位)でKEIRINグランプリに出場したが、結果は3着だったため連覇達成はならなかった。

2021年から2023年にかけて、3年連続で日本選手権競輪の決勝3着以内(2021年と2023年は3着、2022年は2着)に入っている[6]

2023年、日本選手権競輪の決勝3着の他に高松宮記念杯競輪や寛仁親王牌競輪決勝2着で獲得賞金ランキング4位で出場。

主な獲得タイトル[編集]

競走スタイル[編集]

直線の差し脚だけでなく、目標にできる先行選手がいない場合の位置確保に長けており、追込選手としてだけではなく、展開次第では大ギアを駆使した捲りを放つ一流の実力を誇る。また失格が非常に少ないことも特筆できる。2004年には全てのGIで決勝戦進出を果たした。

北日本の先行選手が豊富であることも好材料となり、大レースでは常に安定して上位入着を果たしている。

エピソード[編集]

  • 2007年から2008年にかけて放送された競輪のCM『9ways』で、9番車として「」の設定で出演していた。
  • 同じ福島支部に同姓同名の選手(83期・選手登録番号13533)が所属しているが、間違いを避けるため「佐藤太郎」として登録されており、「新」「旧」の表記で区別している専門誌などもある。83期の佐藤は2023年下期に、デビューから24年かけて初のS級1班昇格を決めている。
  • 2016年12月23日、通算取得賞金10億円を突破した(歴代27人目)[7]
  • 4人兄弟姉妹の長男として誕生。
  • 競艇選手桐生順平は義理の弟に当たる(佐藤の妹の夫)[8]
  • 2011年3月の東日本大震災発生後は、山崎芳仁らと同様に、福島支部に籍を残しながら練習拠点を沖縄に移した[9]。同じジムでシェイプアップ目的でパワーマックスをやっていた比嘉真梨代(当時は琉球大学財務部職員)を見かけ、競輪に生かしたらどうかと声をかけ、競輪学校入りとガールズケイリンデビュー(沖縄114期)のきっかけを作った[10]。2018年現在の練習仲間の一人でもある[11]
  • 阪神タイガースの熱烈なファンであることを公言している[12]。そのため、KEIRIN.JPの選手プロフィールではタイガースのユニフォームを模したウェアを着た写真が掲載されており、競走で着用するユニフォームにはデイリースポーツの広告が掲載されている。

脚注[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]