KEIRINグランプリ06

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KEIRINグランプリ06(けいりんぐらんぷりぜろしっくす)は2006年12月30日京王閣競輪場で開催されたKEIRINグランプリである。

出場選手[編集]

車番 選手 出身 出場要件
1 山崎芳仁 福島 高松宮記念杯競輪優勝
2 後閑信一 群馬 寛仁親王牌優勝
3 吉岡稔真 福岡 日本選手権競輪優勝
4 合志正臣 熊本 全日本選抜競輪優勝
5 有坂直樹 秋田 年間獲得賞金上位
6 手島慶介 群馬 年間獲得賞金上位
7 小倉竜二 徳島 競輪祭優勝
8 井上昌己 長崎 オールスター競輪優勝
9 佐藤慎太郎 福島 年間獲得賞金上位

競走内容[編集]

残りあと2周を通過後、山崎-佐藤-有坂の北日本ラインが、吉岡-合志-井上の九州ラインを抑えにかかるが、吉岡が突っ張っていく。これに対して山崎はジャンから発進。最終ホームでは山崎-佐藤-有坂、手島-後閑、小倉、吉岡-合志-井上の順。最終バック付近から手島が捲って出て、4角で山崎を捲り切る。その動きに対し、山崎マークの佐藤が直線に入って手島後位に入り込んで抜け出しを図るが、佐藤後位の有坂が内から一気に差し切って優勝。

競走結果[編集]

着順 選手 決まり手
1 有坂直樹
2 手島慶介
3 佐藤慎太郎
4 合志正臣
5 小倉竜二
6 後閑信一
7 山崎芳仁
8 井上昌己
9 吉岡稔真

配当金額[編集]

車番二連勝単式 5-6 13,470円
三連勝単式 5-6-9 63,340円

エピソード[編集]

  • このレースが吉岡稔真の引退レースとなったが、開催以前から直前の全日本選抜競輪を欠場していた吉岡の動向が注目された中、当レース開催数日前にスポーツニッポンがスクープ記事として掲載し[3]、他紙もそれに続いたが、直前の会見から吉岡は引退に関する話はノーコメントを貫いた。
    しかしグランプリ直前での「顔見せ」では観客席から突如吉岡に対する巨大な応援幕が吊るされ、さらに競走の周回中から一部のファンが「吉岡」コールを湧き上げるなど、競輪において前例のない雰囲気の中で競走が行われていた。ちなみに吉岡は最終バック付近あたりから涙が溢れてしまい、追走に手一杯で勝負にならなかったことをレース直後、マスコミに対してコメントしている[4]
    優勝した有坂に対するセレモニーが終了した後、吉岡の事実上の引退表明が行われた。事実上と述べたのは、吉岡がここでは「引退」の二文字を一切、口にしなかったからである[5]
  • 有坂は、井上茂徳(1994年)の記録を更新し、当時歴代最年長で優勝した[6]。また当時、GI優勝経験がないままのGP優勝事例は、史上3例目[7]であったが、翌2007年日本選手権競輪平塚競輪場)を制し、晴れてGI優勝者となった。また、史上6例目の初出場初優勝(第1回を除く)を果たした。
  • この年の冬はノロウイルスが大流行しており、事前に競輪場の全場内を消毒して開催を行っていたが、この時に吉岡の3番手を固めて8着に敗れた井上昌己は、のちに開催時ノロウイルスに感染していたことが明らかになっている[8]

関連項目[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ KEIRINグランプリ06【GP】出場選手の決定について
  2. ^ KEIRINグランプリ06前夜祭が行われました - Keirin JP、2006年12月21日
  3. ^ スポーツニッポン、2006年12月26日付の記事にて。
  4. ^ 日本自転車振興会・『KEIRINグランプリ06【GP】レポート』最終日編
  5. ^ NHK衛星第1放送の中継内において吉岡の表明が放映されたが、その際、引退という言葉は一切含まれていなかった。なお、選手登録削除日は2007年1月12日
  6. ^ 有坂37歳最年長Vアーカイブ
  7. ^ 1997年山田裕仁2004年小野俊之に続く史上3例目。
  8. ^ 井上が低迷乗り越え賞金王 日刊スポーツ2008年12月31日

外部リンク[編集]