高松宮記念杯競輪
概要 | |
---|---|
開催時期 | 6月 |
開催地域 | 持ち回り |
愛称 | 宮杯 |
分野 | 競輪 |
カテゴリー | GI |
形態 | 6日間トーナメント |
主催者 |
滋賀県または大津市 - 1988年まで 大津市 - 2010年まで 持ち回り - 2011年以降 |
歴史 | |
初回開催年 | 1950年 |
初代優勝者 | 山本清治 |
最多優勝者 | 滝澤正光(5回) |
直近優勝者 | 古性優作(2022年) |
高松宮記念杯競輪(たかまつのみやきねんはいけいりん)は、毎年6月に開催される、競輪のGI競走である。
2010年までは滋賀県大津市の大津びわこ競輪場で開催された。同競輪場の廃止に伴い2011年より持ち回りとなった。
概要[編集]
当大会は、1950年の第1回大会から2010年の第61回大会まで開催された大津びわこ競輪場を開設するにあたり、その選定地が近江神宮の外苑であったことから、近江神宮に縁のある高松宮宣仁親王に賜杯の下賜を請願し、承諾を得たことに由来する。1963年の第14回大会までは『高松宮同妃賜杯競輪』として、1964年の第15回大会から1972年の第23回大会までは『高松宮賜杯競輪』として、1973年の第24回大会から1997年の第48回大会までは『高松宮杯競輪』としてそれぞれ行われ、1998年の第49回大会より現在の名称で行われている。
ファン・選手・関係者の間では親しみを込めて「宮杯(みやはい)」という略称で呼ばれる。また、例年5月末〜6月初めという梅雨の時期に開催されることから「雨の宮杯」と呼ばれることもある。
当大会は「東西対抗戦」が謳われており、出場選手を東日本地区・西日本地区でそれぞれ分けた上で各地区ごとに予選を行うことが特徴である。かつては最終日の前日に東日本・西日本それぞれで決勝戦(他のGIでは準決勝戦に該当)を行い、それぞれ1 - 4着8名と5着のうちいずれか1名が最終日の決勝戦に勝ち上がる方式であった。現在では5日目に東日本・西日本とも準決勝戦を2レースずつ行い、それぞれ1 - 2着8名と3着のうちいずれか1名が最終日の決勝戦に勝ち上がることになっている。
1992年の第43回大会限りで引退した中野浩一(同大会決勝戦2着)がグランドスラムに王手をかけながら唯一タイトルを獲得出来なかった特別競輪(GI)としても知られる。また、2004年の第55回大会に優勝した松本整や、2006年の第57回大会の内林久徳が大会直後や大会中に引退発表したレースでもある。
開催時期については、大津びわこ競輪場での固定開催であった時期は5月下旬〜6月上旬の間に開催されることが多かったが、持ち回りとなって以降、特に2012年の第63回大会以降は6月中旬(最終日は日曜日)での開催が続いている。
賞金[編集]
以下は、近年の決勝戦における各着順の賞金額。( )内は副賞(1〜3着に授与)を含んだ金額。
大会(年) | 1着 | 2着 | 3着 | 4着 | 5着 | 6着 | 7着 | 8着 | 9着 |
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第69回(2018年)[1] | 2,800万円(2,890万円[2][3]) | 1,440万円(1,480万円[2][3]) | 940万円(964万円[2][3]) | 680万円 | 560万円 | 470万円 | 380万円 | 350万円 | 330万円 |
第70回(2019年)[4] | |||||||||
第71回(2020年)[5] | 2,850万円(2,940万円[6]) | 1,467万円(1,507万円[6]) | 957万円(981万円[6]) | 693万円 | 570万円 | 478万円 | 387万円 | 356万円 | 336万円 |
第72回(2021年)[7] | 2,993万円(3,083万円[8]) | 1,540万円(1,580万円[8]) | 1,005万円(1,029万円[8]) | 728万円 | 599万円 | 502万円 | 406万円 | 374万円 | 353万円 |
第73回(2022年)[9] | 3,442万円(3,532万円[10][11]) | 1,771万円(1,811万円[10][11]) | 1,156万円(1,180万円[10][11]) | 837.2万円 | 688.9万円 | 577.3万円 | 466.9万円 | 430.1万円 | 406.0万円 |
歴史[編集]
1950年の大津びわこ競輪場開設記念開催となる第1回の『高松宮同妃賜杯競輪』では、高松宮が宮妃と共に決勝日に訪れ、賜杯となる優勝トロフィーを優勝者に自ら渡した。以降も高松宮は幾度も決勝日に来場し、決勝の表彰式に臨席するのが恒例となった。以後、1963年の第14回大会まで同名称で開催された。
1964年第15回大会から1972年第23回大会までは『高松宮賜杯競輪』の名称で開催され、1973年第24回大会から長らく『高松宮杯競輪』として開催されてきたが、1997年第48回大会の直前に皇室経済法等の規定により高松宮家から「下賜を取りやめたい」という申し出がなされたため、一時は高松宮杯競輪の開催が危ぶまれるという事態に陥った。最終的に同年はそのまま「高松宮杯競輪」として開催されたが、翌1998年第49回大会からは『高松宮記念杯競輪』と改称することで落ち着いた[12]。
1999年第50回大会からはそれまでの6日制から4日制へと改められ、2002年第53回からそれまでの特別競輪という呼称に代わりグレード制が採用されたためGI競走に格付けされた。
2010年9月17日に大津びわこ競輪場の施設所有および主催者である大津市が2011年3月を以って競輪運営から撤退することを決めたことにより大津びわこ競輪場の廃止が決定された[13]。このため高松宮記念杯自体の存続も議論されたが開催は継続されることになり、2011年度以降は他の特別競輪同様に開催を希望する競輪場での持ち回りで実施されることになり[14]、現在に至っている。ただ、持ち回りとなって以降は、大津びわこ競輪場と同じ近畿の岸和田競輪場が積極的に誘致しており、2011年以降2022年までで通算7回開催し、それ以降も開催地が決定している2023年まで3年連続して開催予定(通算8回)である。
2020年はCOVID-19の流行と感染拡大の防止の観点から、競輪のGI競走としては初めての無観客開催として開催が行われた[15][16]。2021年は、緊急事態宣言の期間延長及び大阪府からの要請を受けて、前半2日間(6月17日・18日)は入場制限あり(事前申し込みはなし)の有観客での開催[注 1]で、後半2日間(19日・20日)は無観客での開催で、それぞれ行われた[17]。
2023年の第74回大会からは、4日制から25年ぶりに6日制へと再び戻される[18][19]。その上で、ガールズケイリンの東西別のトーナメント2つが組み込まれる[20]。のち、2022年12月13日にガールズケイリンのトーナメントがGI『パールカップ』として行われる事が発表した[21]。また、大阪・関西万博に協賛することも併せて発表された。
なお、高松宮記念杯競輪は、第1回から第5回までは記念競輪(現在のGIII相当)、第6回から第13回までは特殊競輪(現在のGII相当)として開催され、特別競輪(現在のGI相当)として正式に認定されたのは1963年の第14回大会からであるが、第1回からほぼ6日間連続通しで開催されていたこともあり、現在では過去全ての優勝者を特別競輪を制覇した者として扱っている。
出場選手選抜方法[編集]
高松宮記念杯競輪の出場選手は、東西対抗の趣旨に則り、東地区と西地区に分かれて選抜される。
- 東地区…北日本地区・関東地区・南関東地区のいずれかに在籍する選手
- 西地区…中部地区・近畿地区・中国地区・四国地区・九州地区のいずれかに在籍する選手
毎回若干変更・修正されるものの、概ね以下の資格順位により正選手108名(東西54名ずつ)、補欠選手10名(東西5名ずつ)を選抜する[22]。
- 選考期間…前年10月〜当年3月(6ヶ月)、選考月…4月、最低出走回数…24出走(但し変更になる可能性がある)
- S級S班在籍者
- 過去3回以上優勝した者(開催時S級1班所属が条件)
- 選手選考対象期間において2ヶ月以上JCFトラック種目強化指定(A)に所属した者(開催時S級1班所属が条件)
- 平均競走得点上位者を東西別に順次選抜(同点の場合は賞金獲得額上位者を優先)
なお、補欠選手は正選手を除く平均競走得点上位者から東西別にさらに順次選抜される。
勝ち上がり方式[編集]
この大会は、他のGI競走とは異なり、『高松宮杯競輪』となった1973年第24回大会以降は「東西対抗戦」の形式をとっているのが特徴である。
2001年の第52回大会までは予選(一次予選、二次予選)と準決勝は東日本(関東・南関東以東)と西日本(中部以西)に分かれてそれぞれで勝ち上がりを行い、決勝では東西の各準決勝(東・西王座決定戦)の1〜4着4人ずつと5着2名の中から競走得点上位1名が進出するという体裁だった。
2002年の第53回大会から番組が変更となり、東西対抗戦のタイトルこそ残しているものの、その前哨戦として2月に「東西王座戦」(GII)と題してそれぞれの地区でトライアル競走を開催し、その成績を基に本戦の出場を争う形となった。なお本戦はこれまでの東西の地区分けをせず他のGI競走と同じように勝ち上がりを行っていたが、2004年第55回大会からは一次予選および初日の特別選抜予選のみ東西地区分けが行われ、二日目以降は東西混合戦という形になった。
2013年の第64回大会から東西王座戦の廃止に伴いさらに番組が変更となり、初日の選抜予選が廃止され、二次予選もA・Bの分割予選がなくなり、勝ち上がり条件を3着までとする統一的な予選として行われることになった。なお、選抜予選の廃止により一次予選の勝ち上がり条件も緩和されている。
2017年の第68回大会では、「東西対抗戦」をより明確に打ち出し、準決勝まで東西の選手が分かれる番組へと変更(2001年の第52回大会までの番組体系を復活)し、2日目は二次予選のみで優秀競走は廃止された。3日目の準決勝は2個レースとなり、これらの準決勝はそれぞれ、東王座戦・西王座戦と位置付けられることになった[23][24]。
2018年の第69回大会からは、準決勝が4個レースとなった。また、一次予選の1着選手が2日目の優秀競走へ進出することができるようになった[25]。
従来、青龍賞(東日本)・白虎賞(西日本)は初日の特別選抜予選だったが、2日目の優秀競走(2016年の第67回大会までは龍虎賞、2006年の第57回大会まではマザーレークカップという名称で1個レース)の位置付けになった。
2023年の第74回大会からは、ガールズケイリンを組み込んだ6日制となるため、再度番組体系が変更となった。一次予選は競輪祭・オールスター競輪と同じくポイント制となり、競輪祭と同じく一次予選においては特別選抜が廃止され、前半3日間のうち2走で獲得したポイントにより二次予選進出者を決定し、4日目に優秀競走(二次予選特別選抜)として第11レースで白虎賞(西日本)、第12レースで青龍賞(東日本)が行われる。5日目は従来通り、東日本・西日本それぞれで準決勝戦を2個ずつ行うことになっている。なお、ガールズケイリンのGI・パールカップは、前半3日間にていずれも第9レースから第12レースにかけて行われることになっている(初日予選、2日目準決勝戦、3日目決勝戦)。
2023年からの番組(勝ち上がり戦のみ)[編集]
初日 | 2日目 | 3日目 | 4日目 | 5日目 | 最終日 | |
---|---|---|---|---|---|---|
東 | 一次予選1(東) (4)(2) |
|||||
一次予選2(東) (2)(4) |
二次予選(東) (3) |
|||||
青龍賞(1) | 準決勝(東)(2) | |||||
優秀 | 決勝(1) | |||||
西 | 白虎賞(1) | 準決勝(西)(2) | ||||
一次予選2(西) (2)(4) |
二次予選(西) (3) |
|||||
一次予選1(西) (4)(2) |
||||||
敗者戦 | - | (4) | (8) | (11) |
5日目までの勝ち上がり戦については全て、西暦下1ケタが奇数の年は、奇数のレースでは西日本、偶数のレースでは東日本、それぞれのレースが交互に行われる。一方、西暦下1ケタが偶数の年は、奇数のレースでは東日本、偶数のレースでは西日本、それぞれレースが交互に行われる。
- 1 - 3日目
- 「一次予選」 各日とも第1〜第8レースで行われる。各選手2回(1日目・2日目<第5〜第8レース>、1日目・3日目、2日目<第1〜第4レース>・3日目の3パターンのうちいずれか)出走し、東日本・西日本それぞれ合計ポイント1〜9位が4日目の優秀競走(二次特別選抜予選)である青龍賞(東日本)または白虎賞(西日本)に進出、合計ポイント10〜27位が二次予選進出。なお、獲得した合計ポイントが同一の場合は、選考順位上位の者が優先される。一次予選では現行のポイント制となってからはシードレースである特別選抜予選はなく[注 2][注 3]、また一次予選が行われる3日目までは、欠場選手が発生した場合でも選手の補充は行わないことになっている。
- 4日目
- 「二次予選」 第5〜第10レースで行われる。各レース1〜3着9名が「準決勝」進出。
- 「白虎賞」 第11レースまたは第12レース(年次による)で行われる、西日本の優秀競走(二次特別選抜予選)。失格にならない限り、9名全員が「準決勝」進出。
- 「青龍賞」 第11レースまたは第12レース(年次による)で行われる、東日本の優秀競走(二次特別選抜予選)。失格にならない限り、9名全員が「準決勝」進出。
- 5日目
- 「準決勝」 第9〜第12レースで行われる。各レース1〜2着8名と、3着4名のうち青龍賞又は白虎賞の上位入賞者(存在しない場合は二次予選の上位入賞者)1名が選出され「決勝」進出。
- 6日目(最終日)
- 「決勝」 最終レース。上位3着は表彰式で表彰台に上がることができる。また、優勝者には優勝インタビューやウイニングランなどが執り行われる。
一次予選では特別選抜競走がないため、出場選手全員が同じ条件で開催を迎える。また強制帰郷はないため、失格・途中欠場がなければ全員最終日に出走できる。
参考までに、2004年から2022年までの番組体系も以下に記す。
2018年から2022年の番組(勝ち上がり戦のみ)[編集]
初日 | 2日目 | 3日目 | 最終日 | |
---|---|---|---|---|
東 | 一次予選(東)(5) | |||
特選予選(東)(1) | 二次予選(東)(3) | |||
青龍賞(1) | 準決勝(東)(2) | |||
優秀 | 決勝(1) | |||
西 | 白虎賞(1) | 準決勝(西)(2) | ||
特選予選(西)(1) | 二次予選(西)(3) | |||
一次予選(西)(5) | ||||
敗者戦 | - | (4) | (8) | (11) |
- 初日
- 「一次予選」 合計10レース(東西5レースずつ)行われ、1着10名が「青龍賞」か「白虎賞」へ進出。2〜5着40名と6着のうち4名が「二次予選」進出。
- 「特別選抜予選」 合計2レース(東西1レースずつ)行われ、1〜4着8名が「青龍賞」か「白虎賞」へ進出。5〜9着10名が「二次予選」進出。
- 2日目
- 「二次予選」 合計6レース(東西3レースずつ)行われ、各レース1〜3着18名が「準決勝」進出。
- 「青龍賞」(東)・「白虎賞」(西) 二次特別選抜予選として、各1レースずつ合計2レース行われ、全18名(失格は除く)が「準決勝」進出。
- 3日目
- 「準決勝」 合計4レース(東西2レースずつ)行われ、各レース1〜2着8名と、3着4名のうち青龍賞又は白虎賞の上位入賞者1名が選出。(もし存在しない場合は2次予選の上位入賞者が選出。)
- 4日目(最終日)
- 「決勝」 最終レース。上位3着までは表彰式で表彰台に上がることができる。また、優勝者には優勝インタビューやウイニングランなどが執り行われる。
2017年の番組(勝ち上がり戦のみ)[編集]
初日〜3日目は12レース、4日目(最終日)のみ11レースが行われる。
初日 | 2日目 | 3日目 | 最終日 | |
---|---|---|---|---|
東 | 一次予選(東)(5) | |||
青龍賞(1) | 二次予選(東)(3) | |||
準決勝(東)(1) | ||||
決勝(1) | ||||
西 | 準決勝(西)(1) | |||
白虎賞(1) | 二次予選(西)(3) | |||
一次予選(西)(5) | ||||
敗者戦 | - | (6) | (10) | (10) |
- 初日
- 「一次予選」 合計10レース(東西5レースずつ)行われ、各レース1~3着30名と4着のうち6名が「二次予選」進出。
- 「青龍賞」(東)・「白虎賞」(西) 一次特別選抜予選として、各1レースずつ合計2レース行われ、全18名(失格は除く)が「二次予選」進出。
- 2日目
- 「二次予選」 合計6レース(東西3レースずつ)行われ、各レース1〜3着18名が「準決勝」進出。
- 3日目
- 「準決勝」 後半2レース。各レース1〜4着8名と、5着2名のうち二次予選着順上位1名が「決勝」進出。(同着の場合は、青龍賞・白虎賞回りが優先)
- 4日目(最終日)
- 「決勝」 最終レース。上位3着までは表彰式で表彰台に上がることができる。また、優勝者には優勝インタビューやウイニングランなどが執り行われる。
- 「特別優秀」 「決勝」の前に2レース行われる。「準決勝」5着2名のうち決勝に進めなかった1名および6〜9着8名と、二次予選敗退選手による3日目「特選」レース1〜2着8名および3着4名のうち1名の、18名により行われる。
その他、2日目以降に予選敗退者を対象とした「特一般」(2日目)、「一般」、「選抜」、「特選」(3日目以降)が開催される。
最終日の競走が全11レースしか設定されないため、3日目「一般」各レースの7〜9着9名が、最終日を待たずに強制的に(失格はなくても)途中帰郷(「お帰り」)させられる。
2013年 - 2016年の番組(勝ち上がり戦のみ)[編集]
初日〜3日目は12レース、4日目(最終日)のみ11レースが行われる。
優秀 | 初日 | 2日目 | 3日目 | 最終日 |
---|---|---|---|---|
龍虎賞(1) | 準決勝(3) | |||
青龍賞(1) 白虎賞(1) |
二次予選(6) | 決勝(1) | ||
一次予選(10) | ||||
敗者戦 | - | (5) | (9) | (10) |
- 初日
- 「一次予選」 合計10レース(東西5レースずつ)行われ、各レース1~4着40名と5着のうち平均競走得点上位5名が「二次予選」進出。
- 「青龍賞」(東)・「白虎賞」(西) 一次特別選抜予選として、各1レースずつ合計2レース行われ、各レース1〜4着8名と5着2名のうち選考順位上位1名は2日目の「龍虎賞」と、3日目の「準決勝」進出権利が同時に得られる。各レース5着2名のうち選考順位下位1名と6〜9着8名は「二次予選」進出。
- 2日目
- 「二次予選」 合計6レース行われ、各レース1〜3着18名が「準決勝」進出。
- 「龍虎賞」 二次特別選抜予選として、最終レースに行われる。失格にならない限り、9名全員が「準決勝」進出。
- 3日目
- 「準決勝」 後半3レース。各レース1〜3着9名が「決勝」進出。
- 4日目(最終日)
- 「決勝」 最終レース。上位3着までは表彰式で表彰台に上がることができる。また、優勝者には優勝インタビューやウイニングランなどが執り行われる。
- 「特別優秀」 「決勝」の前に2レース行われる。「準決勝」各レース4〜6着9名と、二次予選敗退選手による3日目「特選」レース1〜3着9名の18名により行われる。
その他、2日目以降に予選敗退者を対象とした「特一般」(2日目)、「一般」、「選抜」、「特選」(3日目以降)が開催される。
2004年 - 2012年の番組(勝ち上がり戦のみ)[編集]
初日〜3日目は12レース、4日目(最終日)のみ11レースが行われる。
- 初日
- 「一次予選」 合計8レース(東西4レースずつ)行われ、各レース1着8名が「二次予選A」、2〜3着16名と4着のうち平均競走得点上位3名が「二次予選B」進出。
- 「選抜予選」 合計2レース(東西1レースずつ)行われ、各レース1〜5着10名が「二次予選A」、6〜9着8名が「二次予選B」進出。
- 「青龍賞」(東)・「白虎賞」(西) 一次特別選抜予選として、各1レースずつ合計2レース行われ、各レース1〜4着8名と5着2名のうち選考順位上位1名は2日目の「龍虎賞」と、3日目の「準決勝」進出権利が同時に得られる。各レース5着2名のうち選考順位下位1名と6〜9着8名は「二次予選A」進出。
- 2日目
- 「二次予選B」 合計3レース行われ、各レース1〜2着6名が「準決勝」進出。
- 「二次予選A」 合計3レース行われ、各レース1〜4着12名が「準決勝」進出。
- 「龍虎賞」 二次特別選抜予選として、最終レースに行われる。失格にならない限り、9名全員が「準決勝」進出。
- 3日目
- 「準決勝」 後半3レース。各レース1〜3着9名が「決勝」進出。
- 4日目(最終日)
- 「決勝」 最終レース。上位3着までは表彰式で表彰台に上がることができる。また、優勝者には優勝インタビューやウイニングランなどが執り行われる。
- 「特別優秀」 「決勝」の前に2レース行われる。「準決勝」各レース4〜6着9名と、二次予選敗退選手による3日目「特選」各レース1〜3着9名の18名により行われる。
その他、2日目以降に予選敗退者を対象とした「特一般」(2日目)、「一般」、「選抜」、「特選」(3日目以降)が開催される。
過去の優勝者[編集]
回 | 開催日 | 開催場 | 優勝者 | 府県 | 東西 |
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1 | 1950年(昭和25年) | 大津びわこ | 山本清治 | ( | 大阪)西 |
2 | 1951年(昭和26年) | ||||
3 | 1952年(昭和27年) | 高倉登 | ( | 埼玉)東 | |
4 | 1953年(昭和28年) | 松村憲 | ( | 高知)西 | |
5 | 1954年(昭和29年) | 中井光雄 | ( | 滋賀)||
6 | 1955年(昭和30年) | ||||
7 | 1956年(昭和31年) | ||||
8 | 1957年(昭和32年) | 西村亀 | ( | 山口)||
9 | 1958年(昭和33年) | 加藤晶 | ( | 京都)||
10 | 1959年(昭和34年) | 山本清治 | ( | 大阪)||
11 | 1960年(昭和35年) | 石田雄彦 | ( | 和歌山)||
12 | 1961年(昭和36年) | 笹田伸二 | ( | 徳島)||
13 | 1962年(昭和37年) | ||||
14 | 1963年(昭和38年) | 高原永伍 | ( | 神奈川)東 | |
15 | 1964年(昭和39年) | 戸上守 | ( | 福岡)西 | |
16 | 1965年(昭和40年) | 白鳥伸雄 | ( | 千葉)東 | |
17 | 1966年(昭和41年) | 宮路雄資 | ( | 熊本)西 | |
18 | 1967年(昭和42年) | 平間誠記 | ( | 宮城)東 | |
19 | 1968年(昭和43年) | 吉川多喜夫 | ( | 神奈川)||
20 | 1969年(昭和44年) | 高原永伍 | |||
21 | 1970年(昭和45年) | 田中博 | ( | 群馬)||
22 | 1971年(昭和46年) | 稲村雅士 | |||
23 | 1972年(昭和47年) | 福島正幸 | |||
24 | 1973年(昭和48年) | 太田義夫 | ( | 千葉)||
25 | 1974年(昭和49年) | 荒木実 | ( | 京都)西 | |
26 | 1975年(昭和50年) | 藤巻清志 | ( | 神奈川)東 | |
27 | 1976年(昭和51年) | 荒木実 | ( | 京都)西 | |
28 | 1977年(昭和52年) | 谷津田陽一 | ( | 神奈川)東 | |
29 | 1978年(昭和53年) | 阿部良二 | ( | 岩手)||
30 | 1979年(昭和54年) | 荒川秀之助 | ( | 宮城)||
31 | 1980年(昭和55年) | 藤巻昇 | ( | 北海道)||
32 | 1981年(昭和56年) | 久保千代志 | ( | 愛知)西 | |
33 | 1982年(昭和57年) | 伊藤豊明 | ( | 愛媛)||
34 | 1983年(昭和58年) | 尾崎雅彦 | ( | 東京)東 | |
35 | 1984年(昭和59年) | 佐々木昭彦 | ( | 佐賀)西 | |
36 | 1985年(昭和60年) | 滝澤正光 | ( | 千葉)東 | |
37 | 1986年(昭和61年) | ||||
38 | 1987年(昭和62年) | ||||
39 | 1988年(昭和63年) | 井上茂徳 | ( | 佐賀)西 | |
40 | 1989年(平成元年) | 滝澤正光 | ( | 千葉)東 | |
41 | 1990年(平成 2年) | 鈴木誠 | |||
42 | 1991年(平成 3年) | 佐々木昭彦 | ( | 佐賀)西 | |
43 | 1992年(平成 4年) | 滝澤正光 | ( | 千葉)東 | |
44 | 1993年(平成 5年) | 井上茂徳 | ( | 佐賀)西 | |
45 | 1994年(平成 6年) | 神山雄一郎 | ( | 栃木)東 | |
46 | 1995年(平成 7年) | ||||
47 | 1996年(平成 8年) | 吉岡稔真 | ( | 福岡)西 | |
48 | 1997年(平成 9年) | ||||
49 | 1998年(平成10年) | 高木隆弘 | ( | 神奈川)東 | |
50 | 1999年(平成11年) | 太田真一 | ( | 埼玉)||
51 | 2000年(平成12年) | 金子真也 | ( | 群馬)||
52 | 2001年(平成13年) | 高木隆弘 | ( | 神奈川)||
53 | 2002年(平成14年) | 山口富生 | ( | 岐阜)西 | |
54 | 2003年(平成15年) | 小嶋敬二 | ( | 石川)||
55 | 2004年(平成16年) | 松本整 | ( | 京都)||
56 | 2005年(平成17年) | 村本大輔 | ( | 静岡)東 | |
57 | 2006年(平成18年) | 山崎芳仁 | ( | 福島)||
58 | 2007年(平成19年) | 小嶋敬二 | ( | 石川)西 | |
59 | 2008年(平成20年) | 渡邉晴智 | ( | 静岡)東 | |
60 | 2009年(平成21年) | 平原康多 | ( | 埼玉)||
61 | 2010年(平成22年) | ||||
62 | 2011年(平成23年) | 前橋 | 深谷知広 | ( | 愛知)西 |
63 | 2012年(平成24年) | 函館 | 武田豊樹 | ( | 茨城)東 |
64 | 2013年(平成25年) | 岸和田 | 成田和也 | ( | 福島)|
65 | 2014年(平成26年) | 宇都宮 | 稲川翔 | ( | 大阪)西 |
66 | 2015年(平成27年) | 岸和田 | 武田豊樹 | ( | 茨城)東 |
67 | 2016年(平成28年) | 名古屋 | 新田祐大 | ( | 福島)|
68 | 2017年(平成29年) | 岸和田 | |||
69 | 2018年(平成30年) | 三谷竜生 | ( | 奈良)西 | |
70 | 2019年(令和元年) | 中川誠一郎 | ( | 熊本)||
71 | 2020年(令和2年) | 和歌山 | 脇本雄太 | ( | 福井)|
72 | 2021年(令和3年) | 岸和田 | 宿口陽一 | ( | 埼玉)東 |
73 | 2022年(令和4年) | 古性優作 | (大阪) | 西 |
女子優勝者(高松宮妃賜杯競輪)[編集]
開催場は全てびわこ競輪場
回 | 開催日 | 優勝者 | 府県 |
---|---|---|---|
1 | 1950年(昭和25年) | 渋谷小夜子 | ( | 神奈川)
2 | 1951年(昭和26年) | ||
3 | 1952年(昭和27年) | ||
4 | 1953年(昭和28年) | 山内寿子 | ( | 長崎)
5 | 1954年(昭和29年) | 田中和子 | ( | 奈良)
6 | 1955年(昭和30年) | ||
7 | 1956年(昭和31年) | ||
8 | 1957年(昭和32年) | ||
9 | 1958年(昭和33年) | 畑田美千代 | ( | 京都)
10 | 1959年(昭和34年) | 松本喜登美 | ( | 山口)
11 | 1960年(昭和35年) | 加古政子 | ( | 群馬)
12 | 1961年(昭和36年) | 中村金子 | ( | 熊本)
13 | 1962年(昭和37年) | 松川光子 | ( | 香川)
14 | 1963年(昭和38年) | 川崎喜登美(旧姓・松本) | ( | 山口)
15 | 1964年(昭和39年) | 石村美千代(旧姓・畑田) |
今後の開催予定[編集]
- 第74回 - 2023年(令和5年)6月13日〜18日 - 岸和田競輪場(3年連続8回目)
エピソード[編集]
- 昭和期の女子競輪が廃止される直前まで、『高松宮妃賜杯競輪』という名称で女子の競走も併せて行われていたが、1964年10月を以って女子競輪が廃止されたため、同年度を最後に高松宮妃賜杯競輪も併せて廃止され、男子の高松宮賜杯競輪のみとなった。元女子選手のうち、この高松宮妃賜杯競輪などの特別競輪に出走したことのある一部の選手が女子競輪廃止翌年の1965年6月8日に行われた第16回高松宮賜杯競輪最終日に招待され、近江神宮への参拝、閉会式で高松宮宣仁親王を囲んでの記念撮影、懇親会が行われた[28]。
- 完全優勝(予選・準決勝とも全て1着)達成者は、10名。うち吉岡稔真は唯一の2年連続完全優勝[29]。
- 平成以降で、高松宮記念杯競輪にてGI初優出かつ初優勝を果たしたのは、3名。
決勝戦テレビ中継[編集]
- 決勝戦のテレビ中継は1977年までTBS系列で放送された後で、翌年1978年以降は東京12チャンネル → テレビ東京系列に移行され2011年まで放送された(なお、テレビ東京[注 4]では2000年、2002年 - 2004年、2006年 - 2010年は放送されていない)。
脚注[編集]
注釈[編集]
- ^ 実際には、初日の2,280名が最高だった。
- ^ ほかにビッグレースでは、競輪祭と共同通信社杯(GII)でも特別選抜予選がない。
- ^ 一方、競輪祭と同じくナイター開催かつ一次予選でポイント制を復活させたオールスター競輪では、一次予選においては従来通りファン投票による得票最上位18名により「ドリームレース」または「オリオン賞レース」が行われるため、この2つのレースにおいては他の一次予選レースよりもポイントを優遇することで事実上のシードレースとしている。
- ^ 系列局では、2008年までびわ湖放送制作の中継をネットして放送された事もある。
- ^ 2012年と2013年は、地上波中継が無かった。
- ^ BS朝日で、「第66回高松宮記念杯競輪中継 S級探偵社」として放送されている。
出典[編集]
- ^ 高松宮記念杯競輪(GⅠ)ST7 副賞を含まない金額
- ^ a b c 無料WEB予想紙「ニッカンPDF新聞」 GI 第69回高松宮記念杯競輪 最終日 - 日刊スポーツ
- ^ a b c 日刊スポーツ大阪本社版、2019年6月16日付15面
- ^ 高松宮記念杯競輪(GⅠ)(ST7) (PDF) 副賞を含まない金額
- ^ 高松宮記念杯競輪(GⅠ)(ST7) (PDF) 副賞を含まない金額
- ^ a b c 日刊スポーツ大阪本社版、2020年6月21日付15面
- ^ 高松宮記念杯競輪(GⅠ)(ST7) (PDF) 副賞を含まない金額
- ^ a b c 日刊スポーツ大阪本社版、2021年6月21日付10面
- ^ 高松宮記念杯競輪(GⅠ)(ST7) (PDF) 副賞を含まない金額
- ^ a b c 日刊スポーツ大阪本社版、2022年6月19日付15面
- ^ a b c “九州ラインが古性優作を追走 山田庸平が流れ込んで2着 園田匠が3着/岸和田”. nikkansports.com (2022年6月20日). 2022年6月20日閲覧。
- ^ 中央競馬にもかつて「高松宮杯」があったが、それも後に同様の申し出が行われたことで、現在の高松宮記念へと改称された。
- ^ びわこ競輪 廃止、大津市方針 60年で幕 京都新聞 2010年9月17日閲覧
- ^ 平成24年度以降の特別競輪等の見直し及び平成23年度高松宮記念杯競輪開催場について(2011年1月26日) Keirin News 2011年1月26日閲覧
- ^ 6月18日からの高松宮記念杯は無観客で実施 - 日刊スポーツ、2020年5月29日
- ^ 高松宮記念杯競輪も無観客での開催が決定 - サンケイスポーツ、2020年5月29日
- ^ “第72回高松宮記念杯競輪(GI)の開催について”. KEIRIN.JP (2021年5月31日). 2021年5月31日閲覧。
- ^ 2023年より高松宮記念杯競輪(G1)が6日制へ - More CADENCE、2022年9月30日
- ^ 【競輪】GⅠ高松宮記念杯が4日制から6日制へ - 東スポWEB、2022年9月30日
- ^ 【ガールズケイリン】ビッグレース新設! 優勝者にはガールズグランプリ出場権を付与 - 東スポWEB、2022年9月30日
- ^ “ガールズケイリンに3つのG1を新設! 各優勝者には年末のガールズグランプリ出場権”. 日刊スポーツ (日刊スポーツ新聞社). (2022年12月13日) 2022年12月13日閲覧。
- ^ 選考基準 ⇒ ここから「高松宮記念杯競輪(GI)」をクリック
- ^ 高松宮記念杯競輪(GI)の概定番組について
- ^ 競輪・宮杯の勝ち上がりを変更 - 西日本新聞、2017年2月1日
- ^ 【記者コラム】〝原則〟から離れた変更 宮杯の勝ち上がり - 競輪スポニチ、2018年6月15日(中林陵治 6月14日付・東京版掲載)
- ^ 平成30年度高松宮記念杯競輪 概定番組
- ^ 2人の優勝者がガールズGPへ 競輪祭など番組変更 - 日刊スポーツ、2018年1月26日
- ^ 近畿競輪二十年史p.211-217。近畿競輪運営協議会、1968年12月1日発行
- ^ “2018年版競輪年間記録集(35〜37頁)” (PDF). KEIRIN.JP. 2019年5月7日閲覧。
外部リンク[編集]
- 高松宮記念杯競輪 競輪資料室|KEIRIN.JP
- 2016年版 競輪年間記録集pdf 21頁 (月刊競輪WEB アーカイブ)