郡司浩平
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個人情報 | ||||
本名 |
郡司 浩平 ぐんじ こうへい | |||
生年月日 | 1990年9月4日(33歳) | |||
国籍 |
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身長 | 167.0cm | |||
体重 | 80.0kg | |||
チーム情報 | ||||
所属 | 日本競輪学校(当時) | |||
期別 | 99期 | |||
分野 | 競輪 | |||
役割 | 選手 | |||
特徴 | 先行 | |||
プロ所属チーム | ||||
2011 - | 日本競輪選手会神奈川支部 | |||
グランツール最高成績 | ||||
主要レース勝利 | ||||
競輪祭 2020 全日本選抜 2021 | ||||
最終更新日 2021年1月31日 |
郡司 浩平(ぐんじ こうへい、1990年9月4日 - )は、神奈川県横浜市出身[1]の競輪選手。日本競輪学校(当時。以下、競輪学校)第99期生。日本競輪選手会神奈川支部所属。師匠は元競輪選手で父親の郡司盛夫(50期。 現在は川崎競輪場の開催指導員[2][3])。
来歴[編集]
小学生の時に全日本リトルリーグ野球選手権大会で優勝を経験。横浜市立横浜商業高等学校時代は野球部に所属し、3年時には外野手のレギュラーを獲得した[4]。しかし、甲子園大会には出場することができず、ベスト8に終わった3年夏の神奈川県大会終了直後には将来の目標を見失っていた。しばらくして、父親の盛夫が競輪選手であることから、それに倣いたいと盛夫に伝えたところ、普段は温厚な性格の盛夫が態度を一変し、誓約書を書かされて漸く師弟関係となった。
競輪学校における在校競走成績は第10位(20勝)。
2011年1月15日、ホームバンクの川崎競輪場でデビューし2着。初勝利は同年1月16日の同場。
2016年、第67回高松宮記念杯競輪(名古屋競輪場)の決勝に進出し2着。
2017年、第1回ウィナーズカップ(高松競輪場)においてG2初優勝[1]。
2019年、第35回共同通信社杯競輪(松阪競輪場)において2度目のG2優勝[5]。第61回朝日新聞社杯競輪祭では落車により途中棄権したものの、獲得賞金額で初めてKEIRINグランプリ出場権を獲得[6]、年末のKEIRINグランプリ2019に出場(結果5着)、そして2020年は初のS班を確定させた。
2020年、第62回朝日新聞社杯競輪祭決勝戦で番手捲りを決め、悲願のGIレース初優勝を果たした[7]。また同時に地元開催となるKEIRINグランプリ2020出場権獲得(結果9着)と2021年もS班を確定させた。
2021年、序盤は好調を維持し、当年のGI初戦である第36回全日本選抜競輪でも番手捲りを決めてGIを連覇、2つ目のタイトルを獲得[3]。5月の第75回日本選手権競輪でも決勝戦にコマを進めたがゴール前微差で敗れ2着。6月の第72回高松宮記念杯競輪では車体故障の不運もあり二次予選で敗退し、8月の第64回オールスター競輪は病気欠場した。
2022年、第38回共同通信社杯競輪(名古屋競輪場)を制し、G3も3勝(うち川崎記念では1着同着)し、獲得賞金額で4年連続となるKEIRINグランプリ出場を決めた。
主な獲得タイトルと記録[編集]
脚注[編集]
- ^ a b “【ウィナーズC】郡司ビッグ初制覇!南関ムードに乗って初代王者”. スポニチアネックス. (2017年3月21日) 2017年9月11日閲覧。
- ^ “選手、関係者が抗原検査を行い、全員が陰性/川崎”. 日刊スポーツ (日刊スポーツ新聞社). (2021年1月31日) 2021年1月31日閲覧。
- ^ a b 【川崎競輪・GI全日本選抜】父・盛夫さんも涙 地元・郡司浩平が番手まくりでGI2勝目! - 東スポWeb、2021年2月23日
- ^ “Y校野球部出身 郡司選手 競輪日本一へ 30日、最高峰レースに挑む” (2019年12月19日). 2022年7月25日閲覧。
- ^ “郡司浩平2度目G2制覇!病床の先輩に朗報/松阪”. 日刊スポーツ. (2019年9月16日) 2019年11月19日閲覧。
- ^ KEIRINグランプリは2017年にも出場のチャンスがあったが、この時は次点(補欠)となり出場を逃した。
- ^ “郡司浩平 初タイトル手に地元GPへ進撃/小倉G1”. 日刊スポーツ (日刊スポーツ新聞社). (2020年11月24日) 2020年11月25日閲覧。