加藤晶

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動

加藤 晶(かとう あきら、1931年8月22日 - 没年月日不明)は、日本競輪選手会京都支部に所属していた元競輪選手日本競輪学校第5期生。故人。

来歴[編集]

1952年にデビュー。捲りの名人という異名を持ち、後に戸上守白鳥伸雄も得意とするようになる、「三角捲り」(いわゆるショート捲り)を確立した最初の選手とも言われている。同時期に活躍した同じ京都の選手であった松本勝明や、滋賀中井光雄といった選手たちと比較すると地味な存在だったが、ここ一番の舞台で勝負強いところを見せ、6回の特別競輪制覇を果たした。

とりわけ、鈴木保巳が競輪中継等でそのことを高く評価していたが、特別競輪の決勝戦には進出できなくとも、決勝戦の一つ前のレースとして行われる順位決定戦(準決勝の4~6着の面々で行われるレース)ではほとんど1着を取っていた。また、荒木実にマーク型の選手を勧めたのは加藤であるが[1]、荒木はその後、高松宮杯競輪を2回制覇した。

1965年競輪祭を完全優勝で制覇したときは34歳で、当時の特別競輪史上最年長優勝記録であった。また、選手生活の晩年には、「最後の1000勝選手達成か?」という話が競輪マスコミ等からしばし取り上げられたこともあったが、惜しくも通算989勝に止まり、1985年6月11日に引退した。

引退後は日本名輪会会員としてファンサービスに務めた。

脚注[編集]

[ヘルプ]
  1. ^ 今だから言えること(月刊競輪2004年10月号)

関連項目[編集]

外部リンク[編集]