赤べこ

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赤べこの張り子人形

赤べこ(あかべこ)は、福島県会津地方郷土玩具。「べこ」とは東北地方方言で「」という意味である[1]

本項目では赤べこをベースにデザインされた会津のマスコットあかべぇ」についても記述する。

概要[編集]

赤べこは、赤い牛の張子人形である。会津地方の郷土玩具であり、子どもの魔避けとして用いられてきた。体色のは魔避けの効果があり、斑点はを表しているといわれている。天正年間に、蒲生氏郷が殖産振興のために招いた技術者から張子製作が伝わった[1]。赤べこの由来は諸説あり、平安時代に蔓延した疫病を払った赤い牛の伝説[2]や、江戸時代初期(1611年)の会津地震で壊れた円蔵寺柳津町)の虚空蔵堂の再建時、の上へ資材を運び上げた赤い牛の伝説がある(異伝については後述)。郷土史家の石井明夫によると、会津地方では第二次世界大戦後の昭和期まで、アジア大陸由来とみられる「朝鮮べこ」と呼ばれる赤毛の牛が荷役に使われていたという[1]

会津地方に1713年正徳3年)に天然痘がはやったとき、赤べこに黒い斑点を入れて子供がかからないよう願ったところ効験があったという伝承もある[1][3]

赤べこは、次のような工程で作られる。まず、のみ小刀で削った木型に、何重にも重ねた和紙で張り、成型する。和紙を乾燥させた後、小刀で背や腹にあたる部分を切り開いて、中から木型を取り出し、切り開いた部分をもう一度和紙ではり合わせる。次に、胡粉で全体を白く下塗りし、その上に赤い染料などをニカワで溶かしたもので赤く塗る。さらに、で顔や模様の絵付けをし、最後に、首がよくゆれるように、首の後部におもりをつけ、頭部を糸でつるす[2][4]

構造[編集]

と胴の接続に独特の工夫がしてあり、首の周りには余裕がとってある。は胴体内に差し込まれる部分と振り子のようになっており、愛嬌のある顔に触れると上下に左右に振り子運動を繰り返しユーモラスな動作がしばらく続くようになっている。

伝説[編集]

807年大同2年)、円蔵寺に徳一大師が虚空蔵堂を建立する際、上流の村から大量の材木を寄進された。しかし、水量が豊富な只見川から材木を運搬することは決して簡単ではない仕事だった。人々が材木を運ぶのに難儀しているとどこからか牛の群れが現れ、材木の運搬を手伝ってくれた。重労働で多くの牛が倒れる中で最後まで働いたのが赤色の牛だったといわれている。そのことから、赤べこが作られた。[要出典]

「あかべぇ」[編集]

磐越西線あいづライナー」専用編成にペイントされている「あかべぇ」

2004年平成16年)頃に登場した会津のマスコット。会津地方の観光案内パンフレットや磐越西線で過去に運行されていた電車(「あいづライナー」・719系電車)にペイントされるなど幅広い採用が見られ、俗に「あかべぇ車」と呼ばれる。会津若松観光物産協会のウェブサイトでの紹介によると、「ごくまれにあおべぇなるものもいるかもしれない」という。

関連するイベント等[編集]

特急ビバあいづ「赤べこ」[編集]

かつて平成5年(1993年)に磐越西線に登場したシャトル特急ビバあいづ3号車の愛称である。モハ485-1008を改造した定員0名のフリースペースインビテーションカーになっており、案内係の女性が1名乗車していた。車内は会津若松市の歴史や観光案内、物産品などが展示されており、地酒の試飲も行われた。特に人気を集めたものに世界的な版画家・斎藤清の企画展などが行われていたが、平成10年(1998年)12月に再び座席車に復元されてその使命を終えた。

赤べこまつり[編集]

2012年10月に柳津町で開催された全国門前町サミットにあわせて、円蔵寺で行われた。

赤べこマラソン[編集]

2012年10月に全国門前町サミットの会場となった柳津町の関連イベント。

フォーミュラカー「赤べこ」[編集]

2018年にフォーミュラ1に参戦していたイタリアのチーム「スクーデリア・トロ・ロッソ」がブレンドン・ハートレイの乗機の愛称をTwitterで公募した結果、「赤べこ」に決定[5]、それに伴い彼のもとに福島県会津若松市の市長から『必勝』の文字の入った特製赤べことメッセージが贈られている[6]。なお、チーム名であるトロ・ロッソおよびその所有者であるレッドブルの各名称はそれぞれイタリア語と英語で「赤い雄牛」を意味し、偶然にも赤べことは(ニュアンスの違いはあれど)ほぼ一致している。

脚注[編集]

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関連項目[編集]

外部リンク[編集]