沙市区

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中華人民共和国 湖北省 沙市区
長江と万寿宝塔(観音磯)
長江万寿宝塔観音磯
簡体字 沙市
繁体字 沙市
拼音 Shāshì
カタカナ転写 シャーシー
国家 中華人民共和国の旗 中華人民共和国
湖北
地級市 荊州市
行政級別 市轄区
面積
総面積 492 km²
市区 37.77 km²
人口
総人口(2004) 59.2 万人
経済
電話番号 0716
郵便番号 434000
ナンバープレート 鄂D
行政区画代碼 421002
公式ウェブサイト http://www.shashi.gov.cn/

沙市区(さし-く)は中華人民共和国湖北省荊州市に位置する市轄区。長江の北岸に位置する港湾都市であり、かつては単独で地級市を形成していた。

歴史[編集]

荊州長江大橋

春秋時代戦国時代には、この付近にあったの首都・の外港および長江の渡し場となっており、古くは名津あるいは名夏首と呼ばれ、春秋戦国時代に江津と改名された。後漢末期に関羽が現在の沙市のすぐ西に江陵城(現在の荊州古城の場所にあった)を築き、江陵は物流・戦略上の要地として重要となり争奪戦の舞台になった。港町の名は代に沙頭市と改められたが、これが縮められて現在の沙市という地名になった。

沙市には代の1324年に建てられた章華寺、代の1552年に長江沿いに建てられた七層八角形の万寿宝塔などがあり名勝となっている。その他、鶏公山文化遺址、周梁玉橋文化遺址、春秋時代の楚の愛国詩人屈原が住んだ江瀆宮などがある。中山公園は1935年に整備された都心の公園で、周囲を江津湖に囲まれており、中山紀念堂や楼閣などのほか、春秋時代の著名人物である孫叔敖の墳墓もある。沙市の市街に隣接して荊州古城(旧江陵城、荊州区)があり、近郊には411年間にわたり楚の国都であった紀南城跡もある。

1894年日清戦争の敗戦後、翌1895年下関条約で沙市は開港地となり長江有数の港湾都市となった。日中戦争では1940年6月8日に沙市は日本軍に占領され、終戦まで占領された。日本軍の投降後は国民党湖北省政府第四行政専員公署が置かれたが、1949年7月15日に人民解放軍に制圧された。中華人民共和国成立後、荊州周辺は何度も行政区分の変更が行われた。当初は湖北省の直轄市(省轄市)だったが、1956年には荊州地轄市となり、1979年に再度省轄市となり、名称も沙市市に戻った。1994年10月、国務院は沙市市、江陵県、荊州地区の合併を批准し、地級市「荊沙市」が発足したが、1996年に荊州市と名称変更され現在に至っている。

行政区画[編集]

6街道、4鎮、1郷を管轄している。

  • 街道:解放街道、崇文街道、中山路街道、勝利街道、朝陽街道、聯合街道
  • 鎮:岑河鎮、観音壋鎮、鑼場鎮、関沮鎮
  • 郷:立新郷

外部リンク[編集]